第六部 第一章 第十五話 離れていても
シウト国トゥインク領───。
広大な平地を利用し多くの食糧を生産する、シウト国最大の穀物生産地として有名な領地。
大きな観光地こそ無いものの、穀物以外にも様々な物を生産・流通させているシウト国の土台とも言える領地である。
南方にカイムンダル大山脈、西方にはアロウン国と隣接するシウト南の領地は、最近大山脈が開通し『高地小国群』──現・連合国家ノウマティンとの交易路としても発展を始めていた。
そんなトゥインク領の街、ルナード。暮らす者の約七割が農民という非常にのどかな街は、俄に色めき立っていた……。
金色の麦畑の中に立つ芸術の様な美しさ──輝くような白金の髪を風に
理由は美しさだけではない。今し方目の前で起きたのは奇跡と言える光景だったのだ……。
「おお……一瞬で麦が……」
「め、女神様だ……女神様がご降臨あそばされた……」
その年は既に麦を刈り終えていた黒茶けた大地。しかしそこには、再び見渡す限りに広がる黄金色の麦が風に揺られていた。
大いなる奇跡──ルナードの住民はそれを確かに目撃したのである。
「はい!では、皆さん……申し訳ありませんが、収穫の方は宜しくお願いしますね?」
両手をパチンと合せ住民達の視線を集めたのは、やはり美しい金髪の天使。ニコニコと皆に語り掛ける姿は、一緒にいる少女が『女神』という印象を更に強める結果となっていることを当人は知らない。
「お疲れ様、フェルミナ。疲れていないですか?」
麦畑で佇む少女──フェルミナに呼び掛けた天使、アリシア。振り返ったフェルミナは、やはり笑顔で応える。
「大丈夫よ、アリシア」
「良かった……私達の役割はこれで終わり。帰りましょうか」
「そうね」
「それでは皆さん、御機嫌よう……」
ルナードの民に手を振りつつ飛翔したフェルミナとアリシア。
そのまましばらく移動した二人は、山間に美しい渓谷を見付け休息をとることにした。
二人の役目はクローディアからの依頼による食糧の増産・確保──。
といっても、収穫後間もない季節である為シウト国自体の備蓄は充分に確保されている。
今回……フェルミナに穀物増産を頼ったのは、トシューラや小国から避難した難民達へのもの。
魔獣の侵攻は各国の食料事情を乱した。自国にて守りに徹するにせよ他国に避難するにせよ、食料確保しつつ魔獣に抗うのは限界がある。
特にトシューラは穀物の収穫時期だったこともあり、その年の食料を相当数失うこととなった。
そういった不運を魔獣が意図する訳もないが、そもそも仕掛けたのは邪教の司祭メオラ……より大きな被害は明らかに狙って起こされたものである。
更に、魔獣出現の煽りを受けた小国も戦力不足で逃げに転じるしかない。
小国の大半は大国を頼るのだが、今回はトシューラが厄災の発生源。シウト、アステ、エクレトルの三国に雪崩れ込む形となる。
「でも、アリシア……。あれで足りるかしら?」
「大丈夫ですよ。神聖機構の計算では寧ろ十分な量になりました……。あれならシウト国以外に避難した民にまで食料を回すことも出来る筈ですよ?」
「良かった……。じゃあクローディアも安心ね」
シウト国女王クローディアとしては、難民に支援して不足した分をある程度魔法で成長を早め冬前に収穫出来れば御の字といった意図だった。
しかし、結果は期待の更に上──例年の倍の収穫ということになる……。
「でも本当に凄いですね~、大聖霊の力は。一瞬で麦が成長しましたよ?」
「私の力は【生命】の概念力だから、あの位は……。でも、本当は季節の循環を乱すのは良くないの。今回は特別」
「特別というのは魔獣が絡んでいるから?」
「それもあるけど、もう一つ……」
「魔王……のこと?」
コクンと首肯くフェルミナ。
「正確には魔王だけじゃないけど、今のロウド世界は少し問題が多過ぎるみたい……。多分、まだ騒動は続く気がする」
「………。それは大聖霊の力?それとも勘、でしょうか?」
「情報による推測……かな?」
フェルミナには大聖霊紋章を通し時折ライの感情や力が流れ込んでくる。その中で、ライは何度となく強者と戦い自らを高めているのを感じた。
そう──それは『英雄の時代』並の混乱。そういった場合、一つの脅威が一度で終わることの方が稀なのだ。
「魂の経路……そんなものが……」
「私はライさんと一番最初に契約を結んだ。だからかしら……多分、一番魂の繋がりが強いの。離れていても近くに感じるくらいに」
「じゃあ、ライさんもそうじゃないんですか?」
フェルミナは首を振る。その表情は複雑な笑顔を浮かべていた。
「ライさんは無意識で経路を全開にしたままなの。それは私の疲弊を気にしたのが始まりなんだと思う。だから、今私から力を送ることは無理……私を感じることは出来ても場所や状態までは分からない筈よ?力に関しては、近くで直接送り込めば別だけど……」
以前メトラペトラが言ったように、ライは『魂の経路』の調整が出来ていない。大聖霊達は受け手側が調整している状態である。
更にメトラペトラは、直接ライの側に居ることで聖獣や精霊の魔力経路を調整していた。
無論、少しづつ慣れてきている筈なので何れは感覚を掴むだろうが……。
「一つ聞いて良いですか?」
「どうしたの?」
「何でライさんを追わなかったんですか?そこまで分かっているなら場所だって……」
「……。初めの理由はライさんの言葉かな……“必ず帰る”と約束してくれたから。でも力が回復するにつれ、今度は不安が募って……ライさんは強くなろうとしていたから、それを邪魔する訳にはいかなくて……」
「邪魔になんてならないと思いますけど……」
フェルミナは無言で首を振っている。
フェルミナはエルフトでの修行の際、何の役にも立てなかったことを気にしていたのだ。寧ろライを傷付けてしまったと考えている。
実際に力が回復したフェルミナが邪魔になる筈もないが、それはそれでライの旅の出会いは減っていた可能性も否定できない。
だが……本心を言えばフェルミナは怖かったのだ……。
「怖い……ですか?一体何を……?」
「ライさんを信じきれず待てない自分、迎えに行っても喜ばれなかった時のこと、それに……」
「………?」
「その……私は要らないと言われたらどうしよう、って……」
その顔は乙女の顔……しかし、自分では気付いていない様子。
フェルミナはストラトで暮らす中で人の営みを知った。
【生命の大聖霊】たるフェルミナにとって人の中で暮らすのは初めてのことと言える。
封印から解き放たれたフェルミナが初め寂しさを覚えたのは、【命の概念力】を持ちながら他の命に触れていない為。それは人でなくても良かったのだ。
勿論、人と触れ合ったことが無い訳ではない。ただフェルミナに対して接する人間は、崇拝にせよ欲望にせよ『意図』を持ち接して来たのである。
しかし三百年振りにフェルミナを解放したライは、そんな気配を感じさせなかった。
奴隷契約……と言いながら、ライはフェルミナに命令を下したことはない。頼みや願いはあれど、無理をさせないという前提があったのである。
そして常に側に居てフェルミナが安心出来るよう心を砕いたのだ。
そこには対価も損得もない……それは、そんな人間にフェルミナが初めて触れた瞬間だった。
それからはフェルミナの人間への認識が変化を始める。
ライに所縁ある人間の多くはフェルミナを『大聖霊』としてではなく一人の少女として接したのである。
それが世界を改竄したバベルの意思かは分からない。だがフェルミナは、これまでで最も満ち足りた暮らしを得ることが出来たのは確かだろう。
そんな中で知った人の感情。美しいものばかりではないが、そこには確かに美しいと感じさせるものもあることを知ったフェルミナ。
更にライから流れ込んだ様々な感情は、フェルミナに『人』との共存という意識を芽生えさせた。
特にライの存在は、フェルミナが手離したくないと思った初めてのもの。
しかし……いや、だからこそフェルミナはどうしたら良いのか分からない様だった……。
そんなフェルミナを、アリシアはその豊満な胸で抱き締める。
「ア、アリシア……?」
「大丈夫ですよ、フェルミナ。ライさんが本当にフェルミナを必要としないなら契約を解く筈です。それに……ライさんからの感情にはフェルミナを想うものもあったのでは?」
「それは……」
「大体、私ならこんな可愛いフェルミナを手離す筈がありません。自信を持ってね?」
「……。ありがとう、アリシア」
頭を撫でる姿はまるで妹を可愛がる姉の様だが、実際はフェルミナの方が遥かに歳上である……。
「でも、そうなると他の娘が可哀想になっちゃいますね……」
「それはどうして、アリシア?」
「ホラ……ライさんを好きな方は結構いるみたいですし……」
「皆がライさんを好きなら皆一緒でも問題無いでしょ?エイルさんもマリアンヌもそのつもりみたいだし……」
「え?えぇ~……あのですね?」
自分だけを見て欲しいという『独占欲』までは理解していないフェルミナ。アリシアは少し説明に困る。
「……うん。そうですね。皆一緒に仲良く出来ると良いですね」
アリシアは説明を先送りにした……。
この時の生返事がアリシアを『
一方その頃ディルナーチ大陸、御神楽に居た『
「へックション!うぅむ……寝冷えかのぅ……?」
「師匠……裸で寝てるからですよ?」
「たわけ!ワシはいつも裸……ってイヤァン!スラ~ッシュ!」
「ギャアァァァッ!」
『
(ま、まぁ、人間は一夫多妻の国もあるそうですから、後は当人達次第ですね……)
「どうしたの、アリシア?」
「いいえ。何でもありません。そろそろ帰りましょうか、フェルミナ?」
「そうね」
フェルミナは転移陣を展開し、二人は一瞬でシウト国首都ストラトへと帰還を果たした。
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