第六部 第一章 第六話 エイル、トシューラへ向かう
パーシンがトラクエル領を出立した丁度その頃……かつての魔王エイルは、トシューラ国内にある小さな村の上空に居た。
三百年前──トシューラとアステに対する怒りにより禁術 《魔人転生》を使用した末、エイルは魔王となった。
その力を振るいトシューラ・アステを一時的に退けはしたものの、カジームの大地を枯渇させる結果となってしまった。
その為カジームは、物資不足に陥り暮らしの困窮を余儀無くされることになる。
そのままではやがて疲弊し侵略の憂き目に遭うのも時間の問題……そこでレフ族の中の有志が立ち上り、他国から生活物資を用立てることになった。
飛翔や転移といった魔法を扱える魔法王国の子孫、レフ族……。
最初の頃こそ上手く立ち回っていたが、長い時間の中で気の緩みがあったのだろう。些細なことから捕らわれる者が現れ始めた。
レフ族は情に厚い。誰かが囚われれば救いに向かおうとする。レフ族長老リドリーは苦渋の決断でそれを禁じた。
だが……家族や恋人はそれを受け入れられないのも当然のこと。結果、レフ族は更に囚われてしまうことになる。
ライがトシューラ魔石採掘場で出会ったフローラ、ベリーズ、ナッツも、同様の理由で囚われていたレフ族である。
そういった経緯に責任を感じたエイルは、仲間達の為……そして自らの贖罪の為にレフ族を捜す旅に出た。
カジームの守りは傭兵オルストと黒竜フィアアンフが居る。エイルに匹敵する守りがあるからこそ、行動する機会でもあった……。
しかし、捜すと言っても世界は広い。エイルはレフ族の中でも突出した魔法の才を持つが、捜索系の魔法は不得手。
そこで消去法により捜索地を絞ったエイル。カジームと同盟を結んだシウト・トォン両国は、国内でレフ族を捜索してくれたが見付からなかったという。
レフ族を捕らえようとするのは、昔からトシューラとアステと相場が決まっている。
加えて、カジーム防衛の際にトシューラ第一王子・リーアが口にしたレフ族を知ったような言い回し……。
故にエイルは、先ずトシューラでの捜索を選択したのだ……。
そういった経緯で、トシューラの混乱は好都合と考えていた……のだが──。
(アタシは何をやってんだかな……)
飛翔魔法で移動中、エイルは村に迫る魔獣を目撃。
村人達は避難しておらず……いや、避難のしようが無かったと言うべき状況だった。
そこは北と東が険しい山に阻まれる地域。若い者ならば何とか山を越えられるが、老人や子供は到底乗り切れるとは思えない険しさ。
南には平原が広がり、そちらからは既に魔獣に追われた一団が迫っている状態。南方向に逃げることは無謀に他ならない。
唯一残された西側には大きな湖が広がっていて、既に幾艘もの船が難民を乗せて浮かんでいた。
つまり、袋小路……。魔獣の出現数を考えれば、領主や騎士達の救援は期待出来ないというのが正しい判断と言えるだろう。
その村……アギロナ村の者達は、移動出来ぬ家族を見捨てずに足掻く為の準備を行っていた。女子供、年寄りなど動けぬを村の奥に避難させ守ろうとしていたのである。
一方、他所の街から避難して来た者達は無謀を承知で山へと向かう。
エイルは偶然……本当に偶然、それを目撃した。
そして迫る魔獣の群れ……。
その時、エイルの脳裏にかつてのカジームでの光景が過る。
膨大な戦力で迫るトシューラとアステ。仲間達の為に必死に抗うレフ族──そんな光景が眼前で魔獣に襲われる小さな村と重なったのである。
その瞬間、エイルは考える前に自然と身体が動いていた……。
迫る魔獣に対し、エイルは魔法を用い殲滅を仕掛け見事撃退を果たしたのである。
流石の魔獣も【広範囲消滅神格魔法】の前には魔法耐性など意味を為さず、尽くが塵と化す結果となった。
そうして、アギロナに降り立ったエイル。己の行動に今さらながら驚きを隠せずにいた……。
(トシューラはアタシの敵だった筈……なのに、何で助けちまったんだろ……?)
憎むべきトシューラ国。その民を救う義理はない。だが、エイルは不思議と後悔はしていない。
そんなエイルに駆け寄るアギロナ村の住民は口々に賞賛と感謝の声を並べる。
「ありがとうございました!あなたのお陰で救われました!」
「い……いや、アタシはたまたま通り掛かっ……」
「あなたはこの村の救世主だ!是非御礼を……」
「ちょっ!ちょっと待てっ……」
「皆!聖女様をおもてなしせねば!ささ……こちらに!」
聖女とまで持ち上げられてしまったエイルさん。自分がかつての魔王だと知ったら村人達はどう思うだろうか?などと考えたが、混乱を引き起こすだけなので黙っていることにした……。
そのまま村の集会所まで案内されることになるが、その途中小さな感触がエイルの掌に潜り込む。
「お姉ちゃん、聖女様なの?」
エイルの手を握り語り掛けてきたのは、十にも満たない少年──ニコニコと笑顔を浮かべエイルと並んで歩いている。
「いや……アタシは聖女なんかじゃねぇよ」
「でも、凄かったよ?」
「アタシは魔法が得意なだけさ」
「ふぅん……ところでお姉ちゃん、オッパイ大きいね?」
マジマジとエイルを見上げる少年。その興味が魔法より乳に移ったらしい。
「………。ぷっ!アッハッハ!お前面白いな!」
「ねぇ、触って良い?」
「良いぜ?でも、ちょっとだけな?」
「やった~!」
少年が目を輝かせたその時、制止の声が響く……。
「コラ!聖女様に失礼だぞ、ティノス!」
「え~?だって……」
「申し訳ありません、聖女様。ティノスは幼くして親を亡くしたらしいのです」
そう語るのは老人……皆の態度から長老と思われる人物だった。
「らしい?何か変な言い回しだな……」
「失礼しました。実はティノスは孤児なのです。小さい頃にアギロナ……我が村に迷い込んで、それ以来私共と暮らしています」
「孤児……そうか。お前も家族が……」
「お姉ちゃんも家族居ないの?」
「ああ。戦争でな……」
エイルはまたも自分を重ねていた……。
ティノスは血縁がなく村の皆に育てられているという。それはまるで今の自分の様だと……。
トシューラへの怒りは消えた訳ではない。ライに救われたあの日、怒りの質が変わったと言うべきなのだろう。
今、エイルの中にあるのは燃え盛る怒りではない。明確に怒りを向ける相手を捜している『やり場の無い怒り』に変化しているのだ。
何せ魔王化して三百年もの月日が過ぎた……エイルの復讐の対象となる者が今を生きている訳がない。
トシューラ王族への怒りも世代が違う以上、直接的なものではない。現在のレフ族を苦しめていた現状も、カジームが国と認定されシウト・トォンとの同盟が成った時点で憂慮の必要が無くなった。
正直なところ、エイルは自らの怒りの在り方を迷っていた……。
「お姉ちゃん?」
「ん?ああ、悪ぃ。ちょっとな……」
「……ふぅん」
見上げるティノスの目は不思議な光を湛えている。エイルは心の内を見透かされてしまいそうで、少しばかり怖くなった。
「あ……そ、そうだ。アンタ達に聞きたいんだけど、アタシみたいな耳をした奴を見掛けなかったか?肌はアタシと違って白いんだけど、金髪で目の青い奴ら。男でも女でも良いんだけどさ?」
「申し訳ありません……。この辺りは田舎ですから、特徴ある姿をした者を見れば気付くと思いますが……一応、皆に聞いてみましょう」
「ああ。助かるぜ」
「さぁ……集会所はあちらです、聖女様」
「いや、だから聖女じゃねぇって……」
強引に案内された集会所にはアギロナの村民が集まっている。それを確認した長老は、高らかに宣言した。
「皆の衆!何と……我がアギロナ村に聖女様が御降臨あそばされた!そして、あの魔獣を駆逐して下されたのだ!」
「ほ、本当か、長老!」
「うむ!だって、ワシ見たもん!」
村人に拡がる安堵と歓喜。
「だからアタシは聖女じゃ……」
「これはもう、しばらく逗留して頂き至れり尽くせりの歓待をするしかあるまい!」
「おい!話を……」
「さぁ!皆、お世話を!」
「くっ……。ジジィ……」
何となぁ~く、エイルは長老の意図を察した。
まだ魔獣全てを殲滅していないこの状況下でアギロナ村が生き残るには、より強い守りが必要なのである。
一瞬で魔獣を殲滅したエイルは格好の人材。しかも、騎士や貴族では無いならば保身で無下に切り捨てはしないだろう……という目論見。
しかし、エイルはそんな謀略に乗る気はない。
「……。アタシは忙しい。それじゃな」
「ま……待って下され!先の短いこの老いぼれの全てを差し出します!だからどうか……」
「……つったってなぁ……忙しいのは本当なんだよ。人捜ししてんだからさ……」
「先程言っておられた長耳の者の話ですな?それならば一つ心当たりがあるんですが……」
「本当か!どこにいるんだ?」
「いや……分かりませんよ?」
ガクッ……と体勢を崩したエイルは、拳を握り震えている。殴りたい衝動を何とか必死我慢している様だ……。
「お、お待ち下さい、聖女様!お捜しの方の居所は分かりませんが、人捜しについては当てがあるのです!」
「人捜し?それはこの国の中でも問題なく捜し出せるのか?」
「はい。えぇ~っと確か……」
懐を探り一枚の紙切れを取り出した長老。そこには『魔術師組合』の所在地と宣伝が書かれていた。
「魔術師……組合?」
「はい。実は以前、人捜しに来られた魔術師がおりまして……その際に置いていった物です」
「へぇ~……何々?防衛・護衛、暗殺、復讐から、失せ物、捜し人、恋の相談まで何でもござれ……ん?防衛?」
そう──防衛である。
「ちょっと待て……なら、アタシを引き留めなくても魔術師に頼めば良いだろ?」
「それが……生憎、魔術師組合は対価が必要なのです」
「対価?高いのか?」
「魔術師組合は依頼に見合った対価が必要でして……魔獣からの防衛となるとどれ程になるか想像も付きません」
「……本末転倒じゃねぇか」
エイル自身もそれ程金銭を持ち合わせていない。更にレフ族を捜すとなると、人数分の対価が要求されるのは必至。アギロナが対価を支払えないのと同様に、エイルも支払えるとは限らないのだ。
「やっぱりこの話は無しだな」
「そ、そんな……」
「………。そんな目をするんじゃねぇよ」
エイルは子犬の様な目をした村人達に囲まれてしまった!
と、そこに外の見張りをしていた村人が集会所に駆け込んでくる。
「ち、長老!大変です!」
「どうした!まさか、また魔獣が……!」
「いいえ、それが……」
見張りの村人の話では、避難をしようとしていた者達が一斉にアギロナに集まり始めたのだという。
元々アギロナに向かっていた集団、そして湖に逃れていた者達、更には山を越えようとしていた者達までが引き返し、小さなアギロナ村に押し寄せているのだそうだ。
そう……。それはエイルが仏心を出して助けてしまった故の結果である。皆、エイルの庇護下に入るべく押し寄せたのは間違いない。
「……………」
「……………」
再びエイルに注がれるイノセントな視線。問題が拡大した以上、放置する訳には行かなくなってしまった。
かつての魔王様は、敵国と思っていたトシューラの地にて人助けを余儀無くされることとなる……。
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