第六部 第一章 第四話 国境の出会い


 トシューラの民は、魔獣の氾濫により故郷を追われた……。



 その多くは領主の膝元たる城下街や騎士団屯所に逃げ込んだが、如何せん被害の規模が大き過ぎる。小さな土地に民の全員を受け入れることは不可能だった……。


 そこで受け入れを拒否された民は、より安全な場所を求め移動を開始──生存の道を探る。



 地竜の住まう南の荒野に逃げ込めた者達は幸運だった方だろう。近場に安全な地域が無い者達は、守りの堅い隣国へととにかく逃げることとなる。


 それでも無事に逃げられた者はまだ良かった……。運の悪い者は魔獣に喰われる運命を辿ったのだ。

 それが嫌で自害した者も合わせると、トシューラ国民の犠牲は十万人を超える……。そんな事実は後に判明することだ。



 だが……確かに人々は生き残った。これは、決して『諦めなかった者』の出会いの話。




「間も無く国境だ!皆、気合いを入れろ!余裕のある者は怪我人や老人に手を貸してやってくれ!」


 トシューラ北部の交易路。二百台近い馬車の先頭で馬の手綱を引くのは、三十手前の男。伸び放題の髪を束ね粗末な服を着たその男は、この一団を率いるリーダー役を担っていた。



「ヴォルヴィルスさん」


 呼び掛けられたリーダー──ヴォルヴィルスは、歩みを止めずに声の主に顔を向けた。


 声を掛けたのは老人。立派な髭を蓄え麦わら帽子を被っている男は馬に跨がっている。その姿は騎士……ではなく農夫の風体だ。



「ホルセ殿。間も無く国境……これで皆も人心地つけるだろう。これも馬を貸してくれたホルセ殿のお陰だ」

「いや……どうせあのままじゃ馬も喰われちまうからねぇ。ウチの馬が役に立ったなら良かったよ。それより、皆を迅速に誘導してここまで来れたのは、間違いなくヴォルヴィルスさんのお陰だ。感謝している」

「そんなことは無いさ。馬が居なけりゃこれだけの人は運べない。食料も荷物も同じだ。皆、ホルセ殿のお陰だよ」

「………本当に変わってるなぁ、ヴォルヴィルスさんは。騎士というのはもっと偉ぶるもんだろうに」


 外見は奴隷と見紛う程のボロ服を着ているヴォルヴィルスだが、その腰にはキラリと光る剣を携えている。

 と言っても、それは始めから持っていたものではない。避難の途中、森に突き立てられていたものを拝借したのだ。


「騎士といってもだけどな……おっと。そんなことより、ここまで来れば先導は要らないだろ。俺は国境に着くまで最後尾に回って警戒に徹しよう」

「なら、私も手伝おうか」

「済まないな、ホルセ殿」


 伸ばしたホルセの手を取り馬に飛び乗ったヴォルヴィルス。二人はそのまま他の馬群を避けつつ最後尾に移動した。



 馬の引く荷車一台につき約十五名前後。それが百八十七台。更に食料の荷台が十台──それらはホルセの牧場の馬だけでなく、移動しながら補充したものである。


「何とか食料が尽きる前に辿り着いた。これで安心だろう」

「……しかし、本当に受け入れて貰えるだろうか?」

「確かにこの人数だからな……だが、今回は魔獣の災害。神聖機構──エクレトルが動いて各国に呼び掛けている筈だから、恐らく大丈夫だろう。それに……」


 今向かっているのは小国ではなく大国。この事態に於ける避難民の受け皿になってくれる可能性は高い。 


「……こんなことを言うのも何だが、ウチの国は他国からの評判が悪い。勿論、良い領主様も居るんで暮らしは悪いとも言えないんだが、どうも王族がねぇ……」

「ホルセ殿よ。あんまり人前じゃそんなこと言うなよ?王族ってのはそういう批判に敏感だからな。特にトシューラは……」

「わかってるさ。だからアンタだけに話してるんだよ。……。だけど不安なのさ。受け入れて貰えないんじゃないかって……せめて同盟のあるアステ側だったら大丈夫かと思ったのさ」

「今向かってるのはシウト国だからな。確かに理由は判らないが同盟を破棄したとは聞いている。だが、シウトの新王は若いがかなりの人物とも聞いているぞ?だから大丈夫だと俺は考えているが……」


 とにかく行ってみないことには分からないのだ。最悪、ダメなら国境沿いを迂回しエクレトル側に移動するしかない……ヴォルヴィルスはそう考えていた。



 そうこうしている内に難民一同の目に国境の関所が見えてきた。皆から安堵の声が漏れ始めたことに、ヴォルヴィルスはようやく肩の荷が下りたといったところである。


「これで俺の役目は終わりだな」

「ヴォルヴィルスさん……アンタは行かないのかい?」

「実はまだトシューラに用がある。ホルセ殿、元気でな」

「………。ありがとう、世話になった。気を付けてな」


 握手を交わし立ち去ろうとしたヴォルヴィルス。ホルセが馬を一頭持っていけと言い掛けたその時……難民の先頭で騒ぎが起こったらしく怒号が飛び交い始める。


「………。何だ?何があった、ホルセ殿?」

「さぁ……私にも分からん」

「乗り掛かった船だからな。仕方無い……少し見てくる」


 馬車の合間を抜けた先にある人混みを掻き分け、先頭に出たヴォルヴィルス。そこで見たのは固く閉ざされた関所。その前ではトシューラの民が助けを求め叫んでいた……。


「お願いだ!通してくれ!」


 何人かの男達は扉を叩いているがビクともしない。関所の扉は鉄製。更に関所の壁は切り立った岩を利用した天然の要塞である。


 そこから切り出した通路にはシウトの兵が見下ろしていた。


「魔獣から逃げて来たんだ!頼む!女子供だけでも……」


 関所からは返答が無い。入国の拒否──なのかは返答しない以上何とも言えない。


 そこでヴォルヴィルスは、代表として高らかに声を上げる。



「私はこの者達を率いて来たヴォルヴィルスという者だ!話が出来る代表者は居ないか!?」

「……………」

「返事がないのでは移動も待機も判断し兼ねる!せめて返答くらいは為されよ!」


 やはり返答は無い。


 関所内で何かあったのかとヴォルヴィルスは少しばかり不安になった……。

 だが、しばし後に扉は重い音を立て僅かに開かれる。


 中から現れたのは若い女……長い黒髪に真っ黒な衣装。防具などは装備していない。その細い腰には細長い曲刀を携えている。



「アンタが責任者か?」

「いいえ。私はトラクエル領主の副官付き護衛、キリカと申します」

「……?どういうことだ?副官付きなら副官が居るんじゃないのか?」

「今、副官殿は領主様の元に出向いています。間も無く戻るでしょう」

「そうか……わかった。だが、魔獣から逃れた難民は疲れている。中に入れて安心させてくれないか?」

「申し訳ありませんが、私には裁量権がありません」

「じゃあ、せめて女子供だけでも頼めないだろうか?」


 黒髪の女……キリカは膠もなく首を振った。


 そこで遂に不満が爆発した難民達は、批難の声を上げ始める。


「この人でなし!魔獣に終われて来た俺達を見殺しにするのか!?」

「そうよ……故郷を追われてきたのに、こんな時くらい慈悲を見せなさいよ!」

「早く入れろ!今、魔獣が出たらどうするんだ!」


 口々に罵る難民達。だが、キリカはただ溜め息を吐いて立っている。


(不味いな……これじゃ暴動になり兼ねない。移動すべきか?だが、もう十日近く移動しどおし……疲労も鬱憤も限界だろう)


 ヴォルヴィルスがそう危惧したのも束の間、難民の男達が棒切れを手に動き始めた。

 だが、キリカには焦る様子は窺えない。これが逆にヴォルヴィルスの不安に拍車を掛けた。



「待て、お前ら!あの女は責任者が戻ると言っただろ?だからもう少し待て!必ず保護して貰える!」

「ヴォルヴィルスさん。アンタには感謝してるよ……だが、俺は家族を安全な場所に逃がさにゃならんのだ。その為なら力尽くでも……」

「止めとけ!あの女は達人だ!全員で掛かっても殺されるだけだぞ!」

「だからどうした!俺達は……」

「馬っ鹿っ野っ郎~!」


 素早く動いたヴォルヴィルスは男達を次々に殴り飛ばした……。


「な、何を……!」

「死んだら負けなんだよ!家族を思うなら生き抜け!家族が居ない奴は自分の為に生き抜いてみろ!」

「アンタに何が分かる!俺達は……」

「俺の故郷は滅ぼされた!」


 ヴォルヴィルスの叫び──難民達は絶句した……。


「もう無いんだ。俺の故郷は……。だが、散り散りになってもまだ誰かが生きている可能性もある。俺はその為に生きている」

「ヴォルヴィルスさん……」

「お前らが死ねば家族が悲しむ、苦しむ。苦労を背負い込むんだ。それはお前らが負けたことを意味する……。分かるか?死んだら負けなんだ……」


 常に難民達を守り励ましていたヴォルヴィルス。時には自らが囮になり魔獣から難民を逃がしさえしたその男の言葉は重い……。

 そのお陰か、難民達は少し冷静さを取り戻した様だった。


「キリカ殿と言ったな?では、こうしよう。難民達は門の前で許可が下りるまで待つ。出来るだけ扉の付近でな……だから魔獣が出た際は、関所防衛の為で良いから戦ってくれ」

「………。わかりました」

「勿論俺が先陣を切って戦う。難民達は必ず守ってみせる」


 ヴォルヴィルスの宣言で安心したのか、難民達は大人しくなった。


 一応ながらシウト国の戦闘支援もある。取り敢えずは一安心……とその時、関所の門が大きく開いた。


「待つ必要は無い。皆、中に入ってくれ」


 現れたのは、かなり地位の高そうな容姿の亜麻色の髪をした男。

 戦いの場に身を置く者の気配を纏うその男は、白の軍服に赤いマントを羽織り腰には長剣を下げていた。


 背後には臣下らしき仮面の男を筆頭に、兵達が追随している。



「……アンタが領主の副官殿か?」


 ヴォルヴィルスが確認をすると男は首を振った。


「俺は現トラクエル領主をやっているフリオニール・ロイネス・ノルグー。フリオと呼んでくれ」


 さも当然のようにヴォルヴィルスに手を差し出したフリオ。応えるヴォルヴィルスとの身分の差を感じさせぬ気さくな態度には、嫌味な感じはしない。


「……まさか領主様直々に来るとは思いませんでした」

「まぁ色々と事情があってな。それより……」


 フリオは難民達に向き直り深く頭を下げる。


「不安にさせ済まなかった!この通り謝罪する!どうか許して欲しい!」


 難民からすれば他国の領主。それが見下すでもなく同じ目線で頭を下げたのだ。文句など出せる訳も無い。


「シウト国トラクエル領は皆を手厚く受け入れると約束しよう。温かい食事に柔らかなベッド、風呂もある。先ずはゆっくり休んで欲しい」


 そこでようやく難民達に歓喜の声が拡がって行く。


 案内の兵の後に続き門の中に入って行く難民達を見届けたヴォルヴィルスは、安堵の笑顔を浮かべ自らはそのまま立ち去ろうとした。


「感謝します。フリオ殿」

「……アンタは避難しないのか?」

「俺はまだやることがあるのです。それでは……」

「………。ちょっと待ってくれ。少し話がしたい。急ぎでないならば、だが……」


 フリオは厚意で言っている訳ではない。それを読み取ったヴォルヴィルス……何か話があるのだろうと誘いを受けることにした。


「分かりました」

「敬語は要らないぜ?公的な場でもない限りフリオで良い」

「では、俺もヴォルと呼んでくれ」


 改めて握手を交わした二人。ヴォルヴィルスは誘いのまま、トラクエル関所砦の中へと足を踏み入れた……。



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