第五部 第五章 第九話 最後の一騎討ち
ディルナーチ大陸のほぼ中央を南北に伸びる国境線──大陸を二分し久遠・神羅の領土を示すそれは、目に見えて線が引かれている訳ではない。
だが目印となるものは存在する。
それは一本の刀──名を【
その御雷刀を中心として、久遠・神羅どちらに向かっても徒歩で半刻程の距離に建造された柵は、南北の海岸線まで続いている。
それが実質の国境……。両国の柵に挟まれた地は不可侵地帯であり、足を踏み込めるのは『首賭け』が行われる時のみとされていた。
ここで忘れてはいけないのは、『首賭け』が単なる一騎討ちではないということだろう。
互いの国の威信を賭けた『首賭け』は、同時に領土の境界を決める争いでもあるのだ……。
「『首賭け』に勝った王は、御雷刀を手にする権利が生まれる。それを相手国側に投げ届いた距離の分だけ国境が移動し、領土が拡がる決まりだ」
久遠・国境上空……珍しく御神楽から出向いて来たラカンは、国境の地に突き立つ刀に指先を向けている。
「『覇竜・御雷刀』は、その名が示すように覇竜王の鱗から造られた刀だと伝わっている。今から六百年前……百鬼一族が二つに分断され争いが始まった際、それを見兼ねた当時の覇竜王リーマリンドが提案したのが『首賭け』の起源だ」
リーマリンドは自らの鱗に力と意志を宿し天使に託した。それを受け取った天使は、竜鱗を加工するに相応しい刀鍛冶師を選び出し知識を授けた。
そうして出来上がった一振りの長刀──それこそが御雷刀なのである……。
「あの刀自体に意思があるんですか?」
「ああ。といっても意志疎通が出来る類いのものではないがな……。リーマリンドはいつの日か『首賭け』が終結することを望んでいた。統一され生まれた新たな百鬼王に御雷刀が託される……筈だったのだ」
「でも、結局六百年も……。色んな意味で悲しい話ですね……」
「しかし、その悲劇も今日終わる。悲しみの因果を断ってくれたこと……感謝しているぞ、ライ」
ラカンが自ら握手を求めるのは初めてのことである。
常に御神楽頭領として地上の国に距離を置いていたラカン。しかし、本当は率先して動きたいのではないか……ライはずっとそう感じていた。
「……まだですよ。確実に終わらせるにはラカンさん……御神楽の手助けが必要です」
「分かっている」
「必ず……終わらせましょう。ディルナーチの未来の為に」
そして遂に──その刻が訪れた……。
久遠・神羅両国王による一騎討ち【首賭け】。
他者の介在を一切許さす、両国王が己の全てを賭けて戦う決闘。不可侵地帯にて行われるそれを見守る為に、領主・領民が大挙して国境へと足を運ぶ……。
御雷刀の側に並び立つ両国王は、共に白い袴装束に身を包み二本差し。周囲より少し低い草原の窪地は、より多くの民が戦いを見届けることが出来るだろう。
但し……これは祭りではない。場に広がる厳かな空気は、国を問わず領主、領民の心に否が応にも緊張を与えた。
やがて時刻を告げられた二人の王は、御雷刀の柄を握り高らかに宣言を始めた。
「聞け!ディルナーチに住まう民達よ!我が名はミナヅキ・ケンシン……神羅国の王だ!これより『首賭け』を始めるに至り、貴様らに伝えることがある!!」
「私は久遠の王、サクラヅキ・ドウゲン!今この場に集いしディルナーチの民達よ……これより我ら両王の言葉を決して忘れないで欲しい!!」
『首賭け』は数十年に一度……殆どの者はその作法など知らないが、この場の王達の言葉が特別なものであることは何となく察し始めている様だ……。
「我ら両国の王は、これまでの愚かな対立に終止符を打つと宣言する!つまり、これが最後の『首賭け』だ!今後、二度と両国王の対決は行われぬ!そして領土争いも終止符となるだろう!!」
「世界は混迷の時代……ディルナーチの民は今後共に手を取り合い未来へと進まねばならない!既に次代の王達はその為の道筋を見付けた!これで、分断された兄弟国は本当の意味で一つになる筈だ!!」
「だが!永年刻まれた互いへの敵意は深く、易々とは納得出来ないだろう!だから、それを俺達が全部背負ってやる!」
「蟠りも諍いも、憎悪も嫉妬も、全ての負の感情を私達に預けて欲しい!そして『首賭け』の結果がどうでも、私達がその全てを飲み込もう!」
ケンシンとドウゲンが交互に宣言をする間、民はただ黙って聞いていた……。
「分かったか、ディルナーチの民よ!同じ血の同胞よ!分かったら俺達の命を贄として前に進め!次代の王達の在り方を、ただ温かく見守ってやれ!」
「再度告げる!これが最後の『首賭け』……私達が全てを背負う!そのつもりで見守って貰いたい!そして今後、二度と王の血が流れぬことを祈って欲しい!!」
御雷刀から手を離した両国の王は、自らの刀を抜き放ち高く掲げ交差させた……。
「民よ!未来を目指せ!」
「再び絆を繋げる同族を慈しめ!」
「今日こそが!」
「ディルナーチが生まれ変わる日なのだ!」
堂々たる王の宣言は不可侵地帯を静寂に包んだ──。
やがて漣の様なざわめきが湧き上がり、嵐のうねりの如き歓声へと変わっていった。
いや──それは歓声と呼ぶことが些か躊躇われるもの。王の宣言はその身の犠牲を意味しているのだ。領民の中には王を惜しみ悲しむ声もかなり混じっていた……。
「……どうやら上手くいった様だな」
「これで約束は果たされたね……。長かったよ、今日まで……」
「あれから二十年以上だ。互いに無くしたものもある。歳とる訳だぜ……」
王として失わぬ覚悟を持っていても、世界は容赦なく大事なものを奪っていった。
ドウゲンは妻ルリを、ケンシンは子息キリノスケを喪ったのだ……。
「そう言えばケンシン。君の奥さんは?」
「俺の嫁は争いが嫌いでな……今日は来ないように言ってある。別れは昨日言ってきたが、死ぬつもりはないぜ」
「私もだよ。まだあの子達が心配だからね」
「互いに子離れも出来やしねぇか……」
「ハハハ……違いない」
命を賭ける戦いを前に、二人は笑う。そこに友情が先んじていることが二人には不思議な気分だった……。
「そういやライの野郎……何か介入する気だったみてぇだが?」
「……私は心配していないよ。彼は私達の決意を理解している。苦悩も、悲しみも理解している筈だ……。それを無下に出来る男じゃないよ」
「……お前がそういうなら、大丈夫か。ならば……」
「うん……気掛かりは無い。後は私達の戦いを民に刻み込むだけだよ」
本気で戦わねば争いの虚しさは民の心に刻まれない。
死ぬ気はない。いや──死にたくないと思うからこそ本気になれることは、二人とも理解している。
「さて、やるか?」
「そうだね」
「どちらにせよお前とは此処でお別れだ……。縁があったらまた会おうや」
「それは来世で……かな?」
「さてな……」
素早く飛び退き距離を置いたドウゲンとケンシン。そこからは、怒濤の剣戟の始まりだった……。
久遠国王家剣術『華月神鳴流』と神羅国王家剣術『風月心刀流』は、元は同じ流れを組む流派──。
しかし、六百年を掛け全く違う形に変化していた。
そうなると華月神鳴流を知るケンシンの方が有利に思えるが、飽くまで触りを学んだだけなので優位性は無いに等しい。
互いに剣の才覚、研鑽は互角……一進一退の戦いは四半刻続いた……。
「ハァ……ハァ……。こ、この歳で真剣勝負かよ……。あ~、ヤダヤダ……」
ケンシンは軽口を叩いているが、あまり余裕がない。対してドウゲンも汗だくで苦笑いを浮かべている……。
「ハァ、ハァ……。王の役目が多忙で……鍛練を欠かしていたからね」
「す、素直に認めようぜ……歳だ、歳。お前、見た目が若過ぎんだよ」
「歳じゃ……ない」
「この頑固野郎めが……」
かつての好敵手との手合わせが次第に楽しくなってきた二人の王。
しかしこれは殺し合い──やがて、その剣が互いの身を削り始める。
掠めた刃による傷は浅い……。しかし確実に傷は増え始め、白い袴装束はその至るところに赤い染みを生み出す。
その光景は、戦いを見守る者の記憶にさぞ鮮烈に刻まれていることだろう。
更に四半刻……激しさを増し続け、体力も限界に近付きつつある王達の姿。そして、それを見つめる者達……。
特に王の子らは胸を締め付けられる思いなのは間違いない。
「父上……」
「大丈夫です、兄上。ライ様は約束をして下さいました。そして約束通り私はライ様を信じます……例え何があっても」
「……強くなったな、トウカ」
「兄上も……昔の優しい兄上に戻ってくれましたね」
「ライのお陰で私は気付かされた……初心を思い出したんだ。だから、私もライを信じている」
同様に神羅側でも……。
「父上……。あんなにも必死に……」
「あれはディルナーチに住まう全ての民の為……あの血は我らの代わりに流しているのだ。……あれが王の姿というものだ、カリンよ」
「カゲ兄様……。私には……あの様な真似は出来そうにありません」
「……父上は、そんなお前の為にも戦っているのだ。『首賭け』の廃止……六百年来の偉業と言える」
「それでも私は……」
父に生きていて欲しい……。
口下手でぶっきらぼうながらも、時折不器用な優しさを見せる父ケンシン。カリンはそんな父が好きだった……。
「俺達は無力かもしれない。だが、縁に恵まれた。情けない話だがそれを信じよう、カリン」
「はい……」
「任せきりで済まん。頼んだぞ……ライよ」
それぞれの想いが交差する『首賭け』──それに応えるかの様に天の雲行きが少しづつ怪しくなり始める。
その雲の中。ライはメトラペトラと共に、『首賭け』決着の時をただ静かに待っていた……。
「そろそろじゃな」
「はい」
「やり残したことは無いかぇ?」
「正直わかりませんよ。もっと色々やりたかったこと、手伝いたかったことはありますけど、そうやっていると帰ることすら出来なくなる」
「……『首賭け』は良い区切りじゃった訳か。ペトランズの魔獣の件もあるからのぅ」
このまま安定するまで居ると、更に理由を付けて帰りたくなるのではないか……メトラペトラもそれは分かっている。
それ程にディルナーチという大陸は、ライとメトラペトラが馴染んでいた場所なのだ。
「……当初の予定では『首賭け』が始まる前に乱入して、王に討たれたフリをする予定だったんですけどね」
「どのみち損な役回りなんじゃな……」
「ま、性分なんで……」
寂しそうに笑ったライは地上の王達に視線を向けた……。
「……そろそろ決着になりそうですね。メトラ師匠……計画どおりお願いしますね」
「うむ。任せよ」
ライはトキサダから譲り受けた仮面を被り準備を始める。
「おお……。トキサダは余程お主が気に入っている様じゃな……」
「え?何がですか?」
「その仮面を付けた途端、お主の髪が赤く染まり伸びおった。それはお主の正体を気取られぬ為のものじゃろうな」
「トキサダさん……」
トキサダは、ライの正体が判明しないよう仮面に細工を施してくれていたらしい。髪だけではなく、服の柄まで派手な火炎柄に変化している。
それはディルナーチ再訪の際、身を隠す煩わしさを少しでも取り除く為の配慮……。【波動吼】の師でもあるトキサダは、本当にライを気に入ってくれていたのだろう。
「これで遠慮せず行けるのぅ?」
「はい……!」
この日……ディルナーチの民は遂に一つになる──。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます