第五部 第五章 第七話 意地を通す者達 


「やあ……来てくれたんだね、ライ君」



 久遠国側陣営。唯一垂れ幕の無い国境側に視線を向けていた久遠王ドウゲンは、振り返りながら穏やかな顔で微笑んだ。

 真っ白な羽織り袴の姿はいつものドウゲンよりも凛々しく締まった印象を受ける……。



 周囲に人はいない。『首賭け』に挑む王を煩わせぬよう、兵や領主達は万全の態勢を整えているのだ。


 『首賭け』を妨げることは久遠・神羅問わずに両国にとっての恥──命を奪おうとする刺客も存在しない。

 そして今……久遠王たるドウゲンは心穏やかに首賭けの時を待っている。


 それ程に重い『首賭け』……それを止める為に懸命に動き、汚名すらも甘んじて受けようとしたクロウマルの覚悟──口にこそしないが、父たるドウゲンは誇らしく思っていた。 



「来るのは当たり前ですよ……。俺は友人の決意を見届ける為に残ったんですから。………。あ!もしかして、ペトランズの魔獣騒動のことをラカンさんから聞いたんですか?」

「うん。今朝方連絡があってね……『首賭け』が終わり次第、君はペトランズに帰るだろうと……。でも、直ぐに帰ることも出来ただろう?」

「そんな真似しませんよ。ドウゲンさんを放って帰るなんて、俺には………」

「そう……君はそういう男だったね」


 ドウゲンとしては、自分が居なくなった場合に久遠国の支えになって欲しかったのだろう。

 それはつまり、ドウゲンが自らの死を覚悟していることを意味する。


「……君には本当に世話になった。トウカ、クロウマル、各領主もね」

「じゃが、『首賭け』は止める気は無いんじゃな?何故じゃ?」

「大聖霊様……そうだね。少しだけその話に触れないとライ君も納得しないかな」



 ドウゲンが語るのは妻ルリの見た未来……。



「私はルリからこの『首賭けの日』のことを聞いていたんだよ」

「それは……俺が此処に居る未来のことですか?」

「そう……でも、それだけじゃない。ルリの《未来視》は強力で、一つの事例に対して未来は一つしか視えなかった。でも、不思議なことに『首賭け』については幾つもの未来を見ている」


 その《未来視》は複数の道を示していたという。そしてどの未来でも『首賭け』は止まらず、両国の王のどちらか……ないし双方が命を失う結果になるのだと。



「ルリは私を救おうと無理をして《未来視》を使ったのだろう。その結果、強力過ぎる《未来視》の負担がルリを苦しめ命を削ることになってしまった。ルリの寿命が縮んだのは私のせいだ………」

「でもそれは、ルリさんがドウゲンさんを救おうとした結果でしょう?ドウゲンさんのせいじゃありませんよ」

「それでも私は……」


 ルリに生きていて欲しかった───。


 ライにはそんなドウゲンの辛さを到底理解することは出来ない。

 しかし……ドウゲンのその姿は、ハルキヨがヤシュロを失った際に見せた絶望に重なって見えた……。



 ドウゲンは王として、そして父として生きねばならなかったのだろう。このまま敢えて死を選ぶのではないか……ライにはそんな不安が拭えない。


「……死ぬ気じゃありませんよね?」

「まさか……私がそんな真似をしてもルリは喜ばないからね」

「なら、どうして『首賭け』を続けるんですか?クロウマルさんから報告を受けた時点で止めることは可能だった筈ですよ……?」

「……それは、ケンシンから聞かなかったかい?」

「国民の鬱憤という話ですか?でも、今の両国なら……」


 ドウゲンは寂しそうに首を振っている。


「ライ君……国民というのはね?何かハッキリとした区切りが必要なんだよ。領主などが纏まり交流にまで話が及んでも、それを周知しないと理解しないんだ。いや……周知しても、納得出来るがないと不安が消えないんだよ」


 これまで五百年を越える対立により、互いの国が敵という認識が民に刷り込まれてしまっている。顔を知らず実害も受けない相手でも、国が敵と言い続けた為に敵意が根深くなっているのだとドウゲンは語る。


 事実……ルリの視た中で唯一和解になった未来では、民同士の蟠りが消えず小競合いのようなことが長く続くのだと告げられたそうだ。


「だから『首賭け』を続け悲劇を焼き付ける、か……。しかし、それはお主の子や家臣を信じきれていないだけではないのかぇ?」

「……私はルリが視た中で最善の選択肢を選んだつもりだよ。それに、ケンシンとの約束を果たすのに最も確実な方法は『首賭け』……挑まない訳にはいかない」

「…………」


 両国の王が宣言する最後の『首賭け』……それこそが国民への周知であり、犠牲の虚しさを見せ付ける好機でもあるとドウゲンは確信していた。


「だから……最後まで見届けてくれないかい、ライ君?」


 決意に満ちたドウゲンの目差し……これ以上は何を言っても無駄だろうことはライでも解る。


 しかし───。


「ドウゲンさんの決意は分かりました。その意地も、ルリさんへの想いも理解してるつもりです。でも……俺にも意地があります」

「意地……とは何かな?」

「友人が命を落とすのを黙って見ていられる訳が無いじゃないですか……狡いですよ、ドウゲンさん」


 ライは……悔しさのあまり泣いていた。


 親子程離れていて立場も違う久遠王を、友と呼んだライ……。ドウゲンはその言葉に嬉しそうに微笑む。


「友と思ってくれるなら……最後まで意地を通させてくれないか?」

「良いですよ。でも、その後は俺も好きにさせて貰います」

「ライ君……」

「王の犠牲が無いと分からない様な民に教えてやるんですよ……本当に大事なことを」

「君は何を………」

「教えません。分からず屋の友人にはね……」


 グイと涙を拭ったライはそのままドウゲンに背を向けた。


「また会いましょう……。必ず……また」



 そのまま飛翔を始めたライは国境を渡り神羅国陣営へと姿を消した……。




「良かったのかぇ?」


 頭上のメトラペトラは勿論ライの気持ちを理解している。

 質問の意図も、今の言い回しではドウゲンが『首賭け』に集中出来ないのでは?というライへの気遣いだ。


「良いんですよ。自分の命を軽んじる分からず屋は、少し悩んだ方が良いんだ」

「……………」


 お前がそれを言うかとメトラペトラは呆れたが、今この場に於いてライの言い分はあながち間違ってはいない。

 だからこそメトラペトラは更に呆れた……。それは、どっちもどっちだと。


「………。何ですか?」

「いんやぁ?ワシは今だけは何も言わんぞよ?」

「…………」

「ホレ、急げ。これが最後の仕事じゃ……気合いを入れんか!」



 頭をタシタシと叩かれたライは、しばし無言で飛翔し神羅国側の陣営へと渡る。



「おいおい……。堂々と渡って来る奴があるかよ……」


 到着した先……やはり国境に陣を敷いていた神羅王ケンシンは、完全に呆れていた。


「大丈夫でしょ?明日共同宣言をする打ち合わせとでも言えば……」

「……?やけに不機嫌だな……。ニャン公、何があった?」

「なぁに……意地っ張り同士でちょいとの。そういえば、お主も意地っ張りのクチじゃったな……ケンシンよ」

「ああ……そういうことか」


 神羅王ケンシンは何となく事情を察したようで、肩を竦めている。


「俺もカリンや領主達に何度も説得されたが、全部蹴ったぜ?」

「ケンシンさん……あんたって人は!」

「うるせぇよ、ガキが。超常だか化け物だか知らねぇが、これは神羅王と久遠王の二十年来の誓いだ。嫁もいねぇ童貞のガキは黙って見てろ!」

「なっ……!」

「人間てのはな……?決めたことを通さにゃ腐るのよ。重い責任を負う者なら尚更にな?お前はそれがお望みか?ん?」

「…………」


 ケンシンの迫力はまさに『力の国王』を体現したものだった……。


「お前が我が儘を通すってなら、今後は神羅も久遠も敵と思え。その覚悟があるなら好きにしろ……その時はお望み通りにしてやる」

「……わかりました。その言葉、絶対に曲げないで下さいよ?」

「二言は無ぇ。……見せてみな、お前の覚悟ってヤツを」


 ライはそのまま無言でケンシンの元を立ち去った……。


「一体何の騒ぎかと思ったら……ライ、父上と何を……」


 カゲノリとカリンはケンシンの傍に控えていたらしく、ライに近付いて来た。


 カゲノリは指輪の魔導具による幻術で、人の姿を投影。紋付き袴の正装。

 カリンは少し落ち着いた藍色の着物を着ている。


「全く王ってのは、どいつもこいつも……普段自分達がどれだけ大事にされてるのか全く分かっちゃいない!バカヤロウがっ!」

「ライ……」

「どうなされたのでしょう、ライ殿は……?」

「分からん。が、随分と荒れているな」


 困惑するカゲノリとカリン。


 憤りが消えないライは近くに岩場を見付け、突然自らの額を叩き付けようとした。メトラペトラは慌ててライの頭から避難する。


 結果、響く地響き……更に周囲には岩が砕けた音も加わり、警備は少しばかりの騒ぎになった。

 音と振動は久遠国側にまで伝わり同様の騒ぎになったが、今回のライにはそれを謝罪するまでの余裕はない。


 そこまでせねば苛立ちが収まらないというのも珍しい、と考えつつメトラペトラは再度ライの頭に着地した……。



「……落ち着いたかぇ?」

「スミマセン、師匠。少しイライラして……。あ、あれ?カゲノリさん、カリンさん……いつの間に?」

「最初から居たのだがな……。それより、何があった?」

「気にする必要は無いぞよ、カゲノリよ?此奴はケンシンに『童貞』と言われて動揺しただけじゃからの」

「違うわ!この嘘吐きニャンコめ!」

「何じゃと?嘘なんか吐いとらんわ!」

「…………」


 首賭け前夜だというのに騒がしい男、ライ……。

 カリンは『童貞』の言葉に顔を赤らめていたのだが、辺りが薄暗くなり始めた為に誰も気付かない。


「まぁ、本当はケンシンに痛いところを突かれ苛立っただけじゃがの?」

「父上は昔からそうだ。我ら兄妹はもう慣れたが……」

「お主らも苦労しとるのぉ……」

「でも父上は、筋の通らない横暴は滅多にしませんでしたよ?」


 カリンの言い分は間違ってはいない。


 ライのやってることは、王の長年の覚悟を捻じ曲げる行為でもある。幾ら強いと言っても、本来はライのような若僧如きが踏み入って良いものではない。

 それをライ自身も理解しているからこそ、余計に腹が立ったのだ。


 理屈を理解出来る己にも、立場を理由に家族の気持ちを考えぬ王達にも、それを説得出来ない自らの愚かさにも怒りが膨らんだ……。

 だから思わず物に八つ当たりてしまったのだが、我に返ったライはそれが少し恥ずかしかった。



「ケンシンさんは説得出来ないとは思ってましたけどね……。でも、お二人だって死なせたくないでしょう?」

「……無論だ」

「………はい」

「その為に……明日は少し騒ぎになります。お二人の役目は家臣を纏めることだと忘れないで下さい」


 カゲノリもカリンも、既にライのやろうとしていることはサブロウを通じて聞いている。


「本当にやるのか?お前は神羅国にとっても恩人……出来れば汚名を着せたくは無いのだが……」

「先刻、ケンシンさんに言われましたよ。我が儘を通すなら覚悟しろって……覚悟はもう決めてますから」

「そうか………」

「だからお二人ともこれでお別れです……。カゲノリさんの身体の件は後でまた来た時に……」

「……済まない。是非また会おう。俺は借りが嫌いだからな」

「ハハハ……そういうところはケンシンさんに似てるんじゃないですか?」

「ハッハッハ。そうかもな」


 カゲノリと握手を交わしたライは、カリンにも手を差し出す。


「頑張って下さいね、カリンさん」

「大丈夫です……私には支えてくれる人がいます」

「俺としては、クロウマルさんとカリンさんが支え合ってくれれば安心なんですが……」

「……はい。いつか必ず」


 ライはクロウマルとカリンの婚姻の話をしたつもりだったのだが、カリンは国主同士の支え合いと受け取った様だ。


 流石に両国の統一というのは欲張り過ぎかと苦笑いしているライ。そこへ、カゲノリが小さく耳打ちした。


「カリンは案外鈍いのだ……」

「ハハハ……。でも……いつか、そうなると良いなぁと期待しましょう」

「そうだな……」


 小首を傾げるカリンと握手を交わしたライは、二人に別れを告げ神羅国陣営を出た。


 首賭け前夜……別れの挨拶は続く。

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