第五部 第四章 第三十二話 葵之園へ


 場所は再び神羅国王都・葵之園──商人ロクエモンの別邸内。



 『遠隔視魔法』を使用しヒョウゴの戦いの顛末を見ていたイプシーは、複雑な表情を浮かべていた……。



(ヒョウゴが敗れたのは良いわ。でも、何故ヒョウゴはカリンではなくコウヅキ・イオリとかいう男を?意味がわからないわ……)


 ヒョウゴの信念など知りもしないイプシーにそれが解る筈もないが、これによって誤算が二つ生まれた。



 一つは都合の良い誤算。


 精霊術師ソガ・ヒョウゴの遺体が手に入ることに加え、魔人であるイオリを捕縛する好機が生まれたことだ。


 戦いで疲弊している今ならば、魔人といえど捕らえることは容易。《未来視》の使い手が邪魔に入る前に転送してしまえば、ベリドへの大きな貢献になる。



 しかし……もう一つの誤算がイプシー判断を迷わせる。


(カリンが無事なまま王都に辿り着けば、カゲノリの王位継承の目は完全に途絶えることになる。後々を考えるとカリンを王にさせることは避けたい……どうすべきかしら……?)


 どちらもトシューラではなくベリドの為……。研究に必要な肉体もディルナーチの大地も“ ベリドに捧げる為 ”に必要……イプシーはそう考えていた。


 より役に立つのはどちらか……イプシーはしばしの葛藤の後、研究素材である肉体を優先することにした。


(となればカゲノリはもう不要ね。一度研究素材を確保した後、様子を見て後始末をしましょうか。とにかく今はコウヅキ・イオリをベリド様の元に……)


 イプシーはディルナーチに執着がある訳ではない。ならば、優先すべきを果たすのみ……カゲノリの始末は最終的にカリンに任せても良い。

 神羅国にイプシーの暗躍を知る者が居ない以上、今回のやり方はまだ通用する。次はカリンを操ることも出来るだろう……そんなことを考えたイプシー。


 だが……それが大きな勘違いであることを間もなく思い知らされることになる……。



「カゲノリ……私は少し用が出来たわ。そこでお前に……お前が神羅王の地位に着くことを邪魔する輩は皆殺しにしなさい」

「……わか……り……ました、イプシー様」


 恭しく頭を下げ恭順の意を示すカゲノリ。イプシーは口許を歪め笑う。


 カゲノリは既にイプシーの手の内……その事実はある【真実】を表していた……。



 神羅国に起こった王位絡みの悲劇……。カゲノリの暗躍と思われていたそれは、全てイプシーの手によるもの……つまりは、イプシーこそが神羅国騒乱の元凶なのである。


 そしてその元凶はペトランズ大陸へと逃げ去ろうとしていた。



 だが──。



 見計らったようにそれを妨害する者が存在した……。



 イプシーが転移魔法を発動しようとした瞬間、その眼前に姿見の鏡が出現。

 一瞬何事かと呆けたイプシーは、鏡に映る自分の驚く顔に気付き我に返る。


 そして鏡に触れ確認しようとした、まさにその瞬間……鏡の中から黒い物体が出現。反応する間もなくイプシーは勢い良く弾き飛ばされた。


「ぎゃっ!」


 そのまま壁に激突し崩れ落ちるイプシー。鏡に視線を向けると、そこに居たのは空飛ぶ黒猫……。


「フッフッフ……決まった!」


 シュビッ!とポーズを決める黒猫。イプシーは頭を振るい自分に起こった出来事の記憶を辿る。


 鏡の中から現れたのは黒い獣の後ろ足だった……イプシーは盛大な飛び蹴りを受けたのだ。


「……お、お前は」

「我が名は大聖霊メトラペトラ。お主も運がないのぅ……並みならばお主の目論見は上手く回っていたじゃろうに、お節介な男のせいで全て台無しになった。少しばかり同情するぞよ?」

「お節介な……男?」


 そこでイプシーはようやく思い出した。白髪の勇者の傍らにいつも存在した黒猫を。それはつまり……。


「酷いなぁ、メトラ師匠……俺はお節介じゃなく、縁が出来た人を助けただけですよ?」


 鏡の中から現れたのは最も警戒していた男……勇者ライである。


「……き、貴様!どうやって此処が……」

「ん?ああ……俺は《千里眼》持ちなんだよ。お前の正体はラゴウから聞いた時点で察しが付いたぜ、トシューラ軍のイプシーさんよ?」

「………くっ!ラゴウめ……生きていたのね」


 そんな会話の間にも鏡の中からライの仲間が次々に現れる。

 サブロウ、トビ、ミト、シレン。皆、カリンに与する者達だ……。


「カゲノリ様……」

「……隠密のお前達まで俺を裏切るか………シレン」

「裏切っておられるのはどちらです?先程までの会話……しかと聞いておりましたぞ?敵である異国……トシューラの魔術師と結託したと思いきや、まさか操られているとは……」


 シレンは涙を流している。


 王位に最も近かった筈の男、カゲノリ……。確かに冷酷な面も持ち合わせていたが、シレンはカゲノリが嫌いではなかった。


 それは内に秘めた王への決意の強さを知るが故……しかし、今のカゲノリにはその覇気など見る影もない……。

 その死んだような瞳に、シレンは涙せずにはいられなかったのだ。


「カゲノリ様!今からでも遅くありませぬ!正気に戻りその女を……」

「無駄じゃ、シレンよ」


 説得を遮るメトラペトラ。ライではなくシレンの頭上に飛び乗ると、目を細めカゲノリを観察する。


「アヤツの意思は既に飲まれておる。見たところ魔獣の気を纏っている様じゃ……恐らくはトビの腕を奪ったのと同様の手法で魔獣融合を受けたのじゃろう」

「そ……それではカゲノリ様は……」

「うむ……最早助かるまい。普通ならば、じゃがな?」


 言葉に含みを持たせたメトラペトラはチラリとライに視線を向ける。ライは頷き了承の意思を見せた。


「分かってますよ、師匠……。でも、先ず優先すべきを片付けましょうか?」

「そうじゃの……これ以上損害が広がるのは面倒じゃ。今日、この場にて全ての決着を付ける。首賭けまで時間もないことじゃしの?」


 注がれる一同の視線……その対象であるイプシーは内心焦りで混乱していた。


(クソッ!まさか、いきなり結界を越えて此処に現れるとは……。誤算……しかも、この数を相手にするのは私といえど分が悪い)


 カゲノリを魔獣化させて共闘するにも現状は少々不利になる。

 ならば……逃げに徹すべきと切り替えたイプシーの行動は早かった。


「……私は頼まれて力を貸しただけよ。見逃して貰えないかしら?」

「無理だね。アンタ、カゲノリを操ってるだろ?解除出来るなら殺さずに済みそうだけど、見逃すのは無理だ」

「……そう。残念ね!」


 高速言語による魔法……イプシーにとっては、今しがたイオリが使用していたのを見ていた光魔法 《閃光華》による目眩まし。


 この隙に転移でイオリの元に向かい、そのままトシューラへ帰投する……イプシーが狙ったのはそんな算段だった。


 だが、当然そう上手く事は運ばない。


 転移陣が発生する前に魔法式が乱れ、イプシーの転移魔法は掻き消えたのだ。


「ば、馬鹿な……転移が……」

「あのなぁ……。逃げられる訳無いだろ?お前を逃がせば全てが無駄になるからな……。転移出来ないようにして貰ったんだよ」


 転移して現れたあの瞬間……同時に周囲の結界を破壊したメトラペトラは、自らの結界を仕込んだのである。

 結界内に捕らえた者を逃がさぬ為の『転移魔法消滅結界』。


 一瞬でそれを行ったメトラペトラは、師として大聖霊たる威厳を見せ付けた。


「……まさか……そ、そんな一瞬で……」

「ウチのニャンコ師匠は世界最高の魔法使いなのさ……残念」


 誉められたメトラペトラは尻尾をフリフリしている。対してイプシーは、この時点で逃走という選択肢が無くなったに等しい。


「……ならば仕方無い……。私がお前を葬るまでだ」

「止めとけよ……アンタじゃ俺は倒せない」

「さて……それはどうかしら?」


 イプシーは戦いを選択。しかし、本当の狙いは戦いの最中に結界を綻ばせ脱出をすること……未だ逃走を諦めてはいない。


 そうしてマントを脱ぎ払ったイプシー。その体は青い羽毛に包まれていた……。


 その腕は鳥の翼と人の手の融合体。胸からヘソの辺りまでは人肌が露出しているが、下半身はどちらかと言えば鳥類寄りの形状。そして身体には鱗を重ねた面積の少ない軽量鎧を着けていた。




「アンタ……その姿、魔人か?まさか《魔人転生》を……?」

「残念ね……私はベリド様のお力で魔人化していたけど、この身体はディルナーチに来る際手を加えて頂いたのよ」

「つまり魔人の身体を改造した訳か……さぞ強力にしたつもりなんだろうな、ベリドは」

「………お前……ベリド様を知った様な口振りね。一体何者?」


 そう……ペトランズから来ただけの者ならば、ベリドの存在を知ることは無い筈なのだ。


 徹底した情報隠蔽……それがベリドのやり方。しかしそれは、ベリドと対峙した者が死する故……。

 そして、ベリドと対峙し生き残る者など存在しないとイプシーは考えていた。


 残る可能性はトシューラ出身者というものだが、そうであるならばそもそもイプシーの邪魔をすることは有り得ないのである。


「勇者だよ。シウトの勇者、ライ・フェンリーヴだ。……一つ聞きたいんだけど、ベリドは元気か?」

「………どういう意味?」

「アイツは二年程前に死にかけた筈だからさ?無事なら状態を聞いておきたくてね」

「何……ですって?」

「知らなかった訳か……じゃあアンタは、二年以上前から情報が無かった訳だな?」


 狂気を宿した目でライを睨むイプシー。しかし、ライは全く動じていない。


「一体どういうこと……?ベリド様に限って死に掛けるなど有り得ないわ!」

「やったのは神格を持つ存在だ。たとえベリドが脅威だろうと抗うには相手が悪かった……意味が解るか?」

「神格……神が相手だったとでも言うの?」

「正確には神の力を持った男の【残滓】とでも言うべきかな……。ともかく、ベリドは瀕死だった。今生きているかは知らない。アンタからその情報を聞き出したかったんだけどね……まあ、良いや」


 実は一度 《千里眼》を使用してベリドを捜したことがあった。

 しかし……神の力である【チャクラ】を用いてもその姿が朧気で、場所の特定が出来なかった。


 それはベリドの存在がこの世から消えた故か、はたまた神の力を阻害する程強力な力を手に入れたのか……ライは後者を疑っていた。


 あのベリドがそう易々と死ぬ訳がない。ならば、強力な力とは何か?考えられるのは存在特性──いや、ベリドならばその先……【神衣かむい】に至る恐れもある。

 ならばこそ捜し出し先手を打ちたかったが、イプシーは情報を持ち得ていなかった様だ。


(振り出しか……そうなると、情報を持っているのはトシューラが一番有力か。どのみち一度行ってみる必要があるな……。おっと、それより今は)


 ベリドについて得られる情報は無い。ならば、後はイプシーを捕らえるだけ。


 そして、神羅国の騒動は結末へと動き出す──。

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