第五部 第四章 第二十九話 ベリドの尖兵
神羅国王都・葵之園──。
神羅国のほぼ中央に存在する王都は、同時に神羅国最大の商業拠点でもある。
神羅の商いは葵の地から始まる……それは神羅商人に伝わる格言じみた教えだ。
王都の中央やや南に位置するのは神羅王の居城・天狼城。通常の城より広く取られた敷地内には、王族や家臣の居住区が設けられている。
その周囲には、王家と取引のある商人の為に役所が配置されていた。
民の居住区は更にその外側へと広がっている。
そんな葵之園の領民居住区……その南東の外れに名の知れた豪商の別邸がある。
商人の名はヤマナカ・ロクエモン。神羅国の中でカゲノリ派に付いた商人である。ロクエモンはカゲノリに惚れ込み様々な支援を行っていた。
そんなロクエモンの別邸奥。三つの人影のうち一つ……ローブを被った人物は、狂ったように屋敷内の家具を破壊して回っていた……。
「くっ……一体何だってのよ!次々に流れが悪くなる。ベリド様から離れてもう七年になるっていうのに、何もかも台無しじゃない!」
あまりに取り乱した為に頭からローブが外れ露出した顔……それは中性的な印象を受ける金髪の若い人物。目鼻立ちは整っている為美女にも美男にも見える。
そう……彼女こそ神羅国、一連の騒動の元凶。名をイプシー・マグリタという。
「落ち着け、イプシー。まだ手はある」
イプシーを諭したのは二十五、六程の男。かなり洗練された品を身に纏うこの男こそ神羅第一王子カゲノリだ。
「カゲノリ……今更何が出来ると?」
「王位争いは相手が居てこそ。既に残りの相手はカリンのみ……ならば、判るな?」
「……簡単に言ってくれるわね」
「簡単だろう?王都まで通る道は知れているのだ。ならば待ち伏せれて不意を付けば良いだけのこと」
「…………」
イプシーはカゲノリの言葉から案を探る。不意打ちは確かに悪手ではない。
だがカリンの側には龍が居る。加えて昨日、黒龍ラゴウが敗れた後勇者の行動が知れないのだ。何を仕掛けてくるか判らない以上、安易な行動は命取りになる恐れもある。
(……。でも確かに好機でもあるわね。ここまで目論見が崩れたなら失敗は今更の話……どうせならこの国を盛大に壊すとしましょうか)
イプシーはトシューラ軍人としての役目を果たすことにした。
神羅国を大きく混乱させればトシューラ軍の進行の助けになるだろう。
だが……それは、イプシーにとっては建前としての行動動機。
イプシーにトシューラ軍人としての矜持はない。そもそも軍に所属したのは魔導研究に適していたからだ。
費用を気にせず研究が出来る軍は、魔術師にとって非常に都合が良かったのである。故にイプシーはトシューラへの忠誠心など持ち合わせてはいない。
しかし、イプシーは出逢った。超越智識、超常の力を持つ存在に──。
女王パイスベルの御膝下『トシューラ王立魔術研究所』──十年程前、そこに抜擢されたイプシーは仮面の男ベリドと出会い衝撃を受ける。
未知の知識、有り得ない魔力量……イプシーが求めて止まないものを全て持ち合わせたベリドは、神にも等しい存在に見えた。
その後ベリドに心酔したイプシーは、ベリドに服従を誓い魔人化。望む力の一端を手に入れるに至る。
今、イプシーがディルナーチに居るのも軍の任務としてよりベリドの命の意味合いが大きい。
ベリドからの指令は二つ。
一つ目は、ディルナーチに存在する医療や方術の知識をベリドに送ること。これはかなり速い段階で達成した。
二つ目は魔人、若しくは龍といった魔力の高い存在を捕らえベリドの元に送ること。
ディルナーチの魔人は【御神楽】が監視している。一度魔人を捕らえようとしたイプシーだが、まるで予見した様に現れた剣士に妨害された。それが幾度も続いた為、今度は龍を標的にすることにした。
龍は基本群れを作る。最上位龍の庇護の元に結界内で共に暮らすのが通常の暮らしなのだ。
ならばと単独に存在する龍を狙うも、そういった個体は最上位龍……イプシーでも一石一丁で捕らえられる相手ではない。
しかも、魔人同様何故か行動を予測されている。そこでイプシーは《未来視》を持つ者の可能性に至る。
通常からイプシーを排除する様子がないことから、何らかの制限があると判断。それからイプシーは、ラゴウから『龍の秘薬』を手に入れたことで魔人と龍の捕縛を断念……徹底した陰行に徹することになった。
そこで連絡を取ったベリドから三つ目の使命が下された。
それはディルナーチの大地を一部切り取ること。どんな形でも良いのでトシューラ国に土地を齎すことを命じられたのだ。
魔力高き大地であるディルナーチは研究に持ってこいの場所。確かにイプシーにもその意義は理解出来た。
陰行に徹し侵略部隊を指揮。自分は神羅国を、兵には久遠国を……そうやって少しづつディルナーチの国々を蝕み始めた。
だが──全ては一人の男の出現で崩れ始めた。
ディルナーチに現れた勇者ライ。始め取るに足らない魔人と
いや……それどころか、心酔するベリドすらも脅かす存在へと進化を続けたのである。
イプシーは勇者が久遠国と縁深き者になったことを考慮し、久遠への謀略を捨てることにした。
侵入していたトシューラ兵は軒並み拿捕され行方知れず。イプシーの力ではディルナーチの外まで《遠隔視》による監視は届かなかった故の決断である。
しかし、イプシーの予測を裏切り勇者は神羅国にまで足を踏み入れた。ライの存在はイプシーにとって最大の誤算と言える。
『もし計画が上手く行かなかった場合でも、あなたのお陰で既に必要な知識は手に入れてあります。特に医療技術はペトランズ大陸より数段進んでいたことは大きい。欲を言えば龍が欲しかったですがね……ともかく、あなたは良く働いてくれた。後はトシューラが侵略し易いよう神羅国を混乱させて帰還して下さい』
数年前に伝えられていたベリド最後の言葉……イプシーはそれを実行することにしたのである。
「わかったわ、カゲノリ。でも私達は、王都で備えることにしましょう。カリンの始末はヒョウゴ……あなたにお願い出来る?」
「良いだろう。カリンは今何処だ?」
「今は王の統治領内……王都まで三つ手前の街・豊河に居るわ」
「わかった……カゲノリ。約束は忘れるなよ?でなければ貴様を仕留めることになるぞ?」
「分かっておる。対価に見合う戦果を、見せてみよ」
「フッ……言われるまでもない。じゃあな」
長筒『精霊銃』を担いだヒョウゴは、屋敷の外へ出ると精霊を使い飛び去った。
「……フフフ。さてカゲノリ。お前の役割は分かっているな?」
「無論だ」
「ならば良い。先ずはヒョウゴの力を見せて貰おう」
ニヤリと嫌らしい笑いを浮かべたイプシー。ただ混乱させるだけではベリドを満足はさせられない。それを見越して幾つか思惑を企んでいるのだ。
(何……失敗しても銀龍を疲弊させれば、龍を捕縛することも出来よう。ヒョウゴが敗れても精霊術師の遺体ならばベリド様も喜んでくれる筈。ああ……ベリド様……愛しきお方。間も無く手土産を用意しあなたの元へ帰ります)
王都に巣食う魔の手。だが、その目論見が果たされることはない。
まず最初の誤算はヒョウゴから始まった……。
王領内の街、豊河。キリノスケの遺体がそこを通過して少し後、カリン達の前に飛翔する男が現れた。
獣の様な目で、長筒型の武器を持つ男。クロウマルは咄嗟にカリンをその背に庇う。コウガも警戒を忘れてはいない。
「飛翔して現れるとは……お前は何者だ?」
「俺は精霊使い、ソガ・ヒョウゴ。カリン、お前に話がある」
クロウマルの問いに答えたヒョウゴはカリンに視線を向け、長筒を足元に放り投げた。
敵意はないという意思表示……確かに殺気はない。クロウマルはコウガと目配せし警戒しつつも刀を納めた。
「……ソガ・ヒョウゴ……カゲノリ兄上の手の者が何の用ですか?」
「俺はお前らを仕留めろと言われて来た。が、先約がある」
「先約?」
怪訝な表情のカリン。カリン暗殺は最重要指令の筈……それを無視し、こうして姿まで現したヒョウゴに困惑している様だ。
「俺は一度決めた獲物を仕留めるまで他は狙わん。だからお前達を見逃してやる。まあ、命令無視だからこれでカゲノリとは袂を別つことになるだろう。お前達を狙うことは今後あるまい」
「……それをわざわざ伝えに?」
「そうだ。それと忠告を一つしてやろうと思ってな……カゲノリは今、王都に居る。そこにいる異国の魔術師には気を付けろ」
「異国の魔術師……そんな者がカゲノリ兄上に……」
「用件は以上だ。精々死なぬ様気を付けることだ」
そう告げたヒョウゴは長筒を拾い上げ肩に担ぐ。カリンはコウモリ型精霊を召喚し飛翔の準備を始めたヒョウゴを慌てて引き留めた。
「ま、待って下さい!ヒョウゴ殿……ご助力願えませぬか?」
「断る。お前じゃ俺の願いは叶えられん。カゲノリならばと思ったが、時勢はお前に向いている様だからな……カゲノリとの決着が付いた後、俺を罪人として処分しようと構わんが手は貸さん」
「そう……ですか……」
「どのみち、この後俺が無事かも判らんからな」
死地に赴く男の顔……それを察したクロウマルは問い質さずにはいられない。
「貴公がそこまでいう相手とは何者だ?」
「お前らの仲間だろう?コウヅキ・イオリというのは……」
「イオリ殿………」
「俺と対峙して生き延びた者は初めてだ。しかも俺に一撃まで与えた……フフフ……最高の獲物よ」
血に餓えた獣のようにギラギラした視線……カリンは思わず後ずさる。
クロウマルはカリンの視線を遮るように身体を動かす。
「もう一つだけ聞かせてくれないか?貴公は何故わざわざ忠告を?」
「……さてな。俺も神羅の民には違いない。だからかも知れん」
異国の者を側近にしているカゲノリ。実はそこに違和感を感じていたヒョウゴだが、自分にはどうでも良いことの筈……しかし、ヒョウゴはこうして忠告に現れた。
それが祖国愛かどうかは当人にも分かっていない様だ……。
「ともかく俺はコウヅキ・イオリの元に向かう。奴が死んでも恨むなよ?」
そう言い残したヒョウゴは虎渓領へと飛び去り見えなくなった……。
「……イオリ殿……無事で」
「カリン殿……大丈夫だ。イオリ殿は強い」
「何故、そう言い切れるのです?」
「私のこの仮面には《解析》という力がある。今、ヒョウゴを見た強さとイオリ殿の強さ……イオリ殿の方が勝っていた」
「そ、そうでしたか……良かった……」
安堵するカリン。しかし、コウガは気付いていた……。
「クロウマル殿も嘘が下手だな……」
カリンには気付かれない程の小声で囁いたコウガに、クロウマルは苦笑いで返す。
「今は王都に向かうが先決。それにカリン殿はこの後に実の兄と対峙せねばならぬ。嘘でも憂いを取り払うべきと思った」
「……案外不器用だな、クロウマル殿も」
「器用ならば良かったのだがな……だが、半分は嘘ではない」
「ほう……?」
確かにクロウマルにはイオリを心配している様子はない。
「イオリ殿は雁尾にてライから貰った神具を試していた。そこで初歩とはいえ魔法を幾つか修得している。あの才能……末恐ろしいと感じた。それに……」
ソガ・ヒョウゴは先程、仕留め損なった上に反撃されたと語ったのだ。ならばイオリは、ソガ・ヒョウゴに対抗する為の術を組み上げている可能性は高い。
先約というのはそういう意味なのだろうことは、何となくだが察しは付いた。
「つまり、イオリ殿はヒョウゴを引き付ける役目を買って出た……私はそう感じた」
「ならば準備は怠らない……か。成る程……全く、人というのは何と言うか……」
「ずる賢い……か?」
「いや……やはり面白い」
コウガは友キリノスケの棺に目を向けた。初めにコウガの心を掴んだ心友は、本当に変わった男だったのだ……。
「やはり俺は、キリノスケに生きていて欲しかった……」
「私はキリノスケ殿を知らぬが、ゆっくり話をしてみたかった」
「そうか……両国の王の子……もしかすると、それこそが久遠・神羅の友好への扉だったかも知れんな……」
クロウマルは少し寂しげなコウガの肩を叩き笑顔を浮かべた。
「いや……キリノスケ殿の願いは無駄にはしまい。私は両国の友好を成し遂げてみせる」
「……そう言って貰えればキリノスケも本望だろう。俺も力を貸す」
「そうだな……カリン殿の為にもディルナーチの為にも、我らは力を合わせるべきだ」
「久遠国の為にも……ですね」
いつの間にか話に加わったカリン。イオリの件は聞こえてはいなかった筈──問題はないだろう。
「では行こう、カリン殿」
「はい。父上……神羅王ケンシンの元へ」
花に飾られたキリノスケの遺体は間も無く王都に辿り着く。
そして──王都には最後の苦難と戦いが待っていた……。
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