第五部 第四章 第二十一話 神羅の蜂 


 視点は再び隠密達の変革へと移る。



 神羅国隠密頭シレンの説得に成功したトビとサブロウ。これにより神羅隠密はカリンに加勢し情勢が一変する……筈だった。


 だが実際は各地の隠密の分裂、小競合いが始まってしまう。



 神羅王直属の隠密【蜂】。本来隠密達は頭であるシレンの呼び掛けには無条件で応えねばならず、カリン派として行動を始める筈だったのだ。



 しかし、それは果たされなかった──。



 トビが語った『隠密の願い』……奇しくもカゲノリはそこに付け入り、先手を打っていたのである。

 どうやら、カゲノリに与すれば血塗られた宿命から解放する、臣下として迎える、と甘言を労していたらしい。


 勿論、カゲノリにそんなつもりはないだろう。何故ならカゲノリの命令は『敵対者を排除せよ』というもの……つまり隠密同士で殺し合えと言っているのだ。


 隠密達の団結を潰してでも自らを有利に……そこには最早『国の為』という考えは何処にも存在していないことに、カゲノリ派に付いた隠密達は気付いていない……。



 そんな状態の中……トビ、サブロウ、そしてシレンの三人は、神羅隠密の里から最も近いカリン派の領地・龍洞領に向かっていた。



「まさか、ここまで切り崩されているとはな……」


 苦々しげに舌打ちする神羅国・隠密頭シレン。幸い大規模な戦闘には至っていないが、悪い流れだと察した様だ。


「やはり切れ者……。この頭をもっと民の為に回していれば、カリン様とて快く王位を譲っただろうに……」


 同様に不快な表情を浮かべるサブロウ。老人とは思えぬ動きで先行している。


「だが、これで俺は確信した。やはり神羅国王に相応しいのはカリン殿だ。我々隠密の願いを……心までも利用するカゲノリのやり方は、ディルナーチの未来に繋がるとは思えん」


 仮面を付けたままでもそれと判る程に、トビは苦悶の顔を浮かべている。


 このままでは神羅隠密同士の殺し合いにまで発展してしまう──トビはそれだけは何としても避けたかった。


「それで……どうする、シレン?」

「トビ殿の神具の力……《千里眼》と言ったか?それを使って見付けたカゲノリ様の側近と接触する」

「接触するだけなら可能だろうが、説得は出来まいよ?」

「もし説得出来ぬ場合は、この手で片を付け……」

「駄目だ!頼むから殺すのはやめてくれっ!!」


 トビは必死だった……。


 だが、シレンはその言葉に釘を刺す。甘いだけでは事を成すことは出来ない、と。


「しかし、隠密が命を賭けたならば死を厭わぬぞ?そんな相手を殺すなというのは、無謀が過ぎる」

「無理を言っているのは重々理解している。だが、駄目なのだ。命の奪い合いでは希望が潰えてしまう……。隠密が変わるには、まず隠密が血を流さぬ結果が必要なのだ」

「何故そこまで拘る……」


 無血に拘るトビに怪訝な顔を向けるシレン。だが、サブロウは理解を示した。


「これから良き世界を作ろうと言うのに、その手始めが仲間同士の殺し合いではな……隠密が負の象徴では不幸の連鎖から抜けられぬと言いたいのだろう?」

「そうだ。……シレン殿。久遠と神羅……両国間の隠密で犠牲になった数、どちらが多いか御存知か?」

「……久遠だろう。何故かドウゲン王は捕らえた隠密を追放で済ませていたからな」

「……私はあの方に問い質したことがある。何故、屠らないのだと。その時のドウゲン様のお言葉は、今だからこそ理解出来る」


 ドウゲンは一言、『未来の為』とだけ語ったという。それを聞いたシレンとサブロウは思わず黙り込む。


「ドウゲン様の亡くなられた奥方は、強力な【未来視】を持っておられた。ドウゲン様は仰っていたよ……未来が分かっていても、自ら行動せねば最良にはならないのだ、と。それが奥方……ルリ様のお言葉」

「……しかしな………」

「俺は久遠と神羅の争いを止めると決めた。犠牲の多い久遠隠密を説得出来るだけの結果が必要なのだ。その為には、神羅の隠密にも争いを避けたいという同じ願いがあると知らしめねばならぬ。……だから、頼む」

「しかし……優先するのは我が身だぞ?それは譲れん」

「それでいい。だが、安易に討つのだけは止めて欲しい」

「……甘いな、トビ殿も」


 同じ隠密でありながら何故そうも真っ直ぐなのか……シレンは僅かばかり嫉妬を覚えた。


「……《千里眼》は望んだものを映す。俺はこの騒動を無血で纏められる存在を視たのだ。だからこそだ」

「成る程……だが、神具といえど万能ではあるまい?」

「わかっている。しかし、動かねば始まらぬ」

「……ハッハッハ!頑固者め」


 シレンはとっくにトビに従う覚悟は決めている。


「済まぬな。隠密頭の立場が長いと、どうも他人を試す癖が付く。トビ殿の気持ちは理解しているつもりだ」

「……いや、同じ立場だ。理解している」

「さて……それでは行くか」


 雁尾を出て五日。既に幾箇所の隠密を説得して回ったトビ達。


 不思議なことに、カゲノリ派領地の隠密は思いの外早く説得出来た。

 話を聞き納得したが、どうやらライが幻覚魔法を使いカゲノリや領主の悪事を繰り返し見せた為のようだ。


(あの力……確か俺の神具にもあったな……)


 根本的に力が足りないので、神具といえど数名にしか使えない《迷宮回廊》。当然、ライのような無茶苦茶な広範囲は使用出来ない。


 だからこそトビは、《千里眼》を使用し対象を搾った後に対応に動いた。話し合いで済めばそれが良いに決まっているのだ。



 そうして辿り着いた龍洞領の街・雨積あまづみ。商人の運搬流通拠点になっている街は、そのまま多くの情報が入る場所でもある。


 その雨積の街一画に『蜂須賀運輸』という古い商会が存在する。【蜂】が付く場所……それが神羅隠密の情報収集機関の表の姿だ。


「ここに居るのは間違いない。シレン殿……モモチという者を御存知か?」

「優秀だぞ?魔人にしてこの周辺を束ねる隠密分隊長……しかし、まさかカゲノリ様に取り込まれていたとは思わなかったがな」

「それは貴様も同じだろう、シレンよ」


 突如、商会の扉が開き中から商人が現れた。


 その姿は着物姿の若い女……そう、隠密分隊長モモチは女である。


「久しぶりだな、モモチ」

「フン……偉そうだな、シレン。久遠隠密頭と結託し神羅を貶めようとする賊めが……」

「カゲノリ様にそう吹き込まれたか……?」

「事実だろう?」


 睨み合うシレンとモモチ。トビは間に割り込み話し合いを提案をする。


「ともかく移動しよう。こんな日の中で話をするには、此処は人目があって場所が悪い」

「……良かろう。付いて来い」


 モモチに従い付いて行った先は町外れの廃虚。トビ達は罠の可能性を警戒しつつも付いて行く。

 想像通り、廃虚は隠密達で囲まれていた。



「モモチ……話を聞け」

「必要ない。カゲノリ様は我々に約束してくれた。王になれば隠密の望む世界にすると……」

「貴様はあの白昼夢を見なかったのか?あれがカゲノリ様の本性だと何故気付かぬ」

「あんなもの、贋物に決まっているだろう?貴様こそ、あんな幻覚一つで何故久遠隠密などとつるんでいる?この裏切者め!」


 取り付く島も無いモモチ。そこでサブロウが語り掛ける。


「モモチと言ったな?お主も隠密ならば情報の真偽くらいは見極められるだろう?あの白昼夢……ホタル殿の過去は真実。故に魔獣騒動になった。その為にキリノスケ様が犠牲になり、この国最大の危機を招いた……この情報くらいは持ち得ているだろう?」

「それこそ偽り……カゲノリ様は逆賊キリノスケに与した女ホタルを討ち果たした。その結果、邪法を用い国を混乱に陥れたのだ。カリン様はそれに加担した以上、同様に逆賊よ」

「…………」


 サブロウは深く深呼吸した。カリンやキリノスケを幼い頃から知るサブロウにとって、今のモモチの言葉は主への侮蔑。内心では怒りを抑えるのに必死だろう。


 それを堪えたのはトビの心意気を理解しているから。しかし、漏れ出す殺気ばかりはどうしようも無い様で、廃虚を取り囲む隠密達の気配には動揺が混じっているのが判る。


「……フン!真実を突かれて言葉も出ないか」

「いい加減にせんか、モモチ!今の言葉はあまりにも無礼……今、師匠が本気ならばこの場の全員を屠れるのだぞ!?」

「我々を倒しても国中に同志が居る。彼等が必ずや隠密の願う世界を……」

「それは違うぞ、モモチ殿」


 ズイと歩を進めたトビはモモチを否定する。一切の疑い無き眼……隠密とは思えぬその目と気迫にモモチは一瞬たじろいだ。


「良いか、モモチ殿……隠密の望む世界が隠密の犠牲の上にあってはならんのだ。だから俺は説得に来た」

「何を世迷い言を……隠密は命など惜しまぬ!」

「本当にそうか?俺はずっと疑問に思っていた。大事な者を失ってまで俺は何をやっているのだと……何故隠密を続けねばならないのだとな?貴公にはそんな考えは一切無かったのか?」

「…………。無い」


 嘘……明らかにそう感じさせる間があったモモチ。しかし、それがどうでも関係無きこと。トビは自らの思いの丈をモモチにぶつける。


「俺はずっと思っていたんだ……仕えるに足る王の為に何が出来るのかを。死んでいった仲間の為に何をするべきかをな?だが、それがずっと見付からずに俺自身は暗き闇を歩き続けていた」

「それが隠密だ。何を今さら……」

「俺もそう考えていた。だが、ある男がそんな考えを吹き飛ばした。その男は口では軽く語るが全て結果で見せ付けた。だから思った……何故此奴だけが可能なのだと」

「…………」

「そして言われたよ。大事なのは結果じゃない……自らが信じる行動なのだと。そして確かにその通りだった。男に感化された者達は、助力があったにせよ行動を示し始めた」


 嘉神領主トウテツは分家嘉神との因縁を終結に向け着実に歩みを進めている。不知火の嫡男リンドウは、己の足りぬものを埋める為に行動を始めた。

 豪独楽領主ジゲンは自らの力を国を担う者を育てる為に。飯綱領主イブキは、他国との絆を深める為に行動を開始した。


 そしてトウカは自らに向き合い、主クロウマルも久遠・神羅両国の為に命を賭けている。


「モモチ殿の望みは何だ?隠密の望む世界とは?聞かせてくれ」

「何故、貴様などに……」

「人はまず語らねば通じぬ。語らねば始まりもせぬのだ。それとも怖いか?」

「怖い……だと?」

「そうだ。己の闇が深すぎて、光に手を伸ばすのが怖いか?だから誰かの言葉を鵜呑みにしたか?」

「貴様……言わせておけば……」

「ならば聞かせてくれ。俺は貴公の口から貴公の想いを知りたい」


 しばしの沈黙……モモチは手で合図し廃虚周辺の隠密達に集合を掛ける。


「良いだろう……我々の望みは……」



 それは細やかながらも深き因縁染みた話だった。


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