第五部 第四章 第十九話 コウヅキ親子の再会
ソガ・ヒョウゴの待ち伏せを躱し虎渓領に到着を果たしたイオリとミツナガ。
生まれ故郷に戻ったイオリが真っ先に向かったのは、領主を引退した実父ソウウンの屋敷だった。
ソウウンは昔から厳しい人物で、イオリは躾として良く殴られた。
無論、ただ暴力的な人間という訳ではない。ソウウンは言葉で伝わらないことは行動で示す人物──『褒めるも叱るも体当たり』と言う不器用な男だった。
当然、イオリが出奔する際も派手に殴られた。しかし、その頃のイオリには何の言葉も何の行動も心に届くことはなかった……。
イオリが姿を消した後も領主を続けていたソウウンだったが、寄る年波には勝てず六年程前に領主の地位を譲り隠居したとミツナガは語る。
今は小さな庵を建て夫婦水入らずで暮らしているらしい。
「ソウウン殿は城で暮らすのは窮屈だと言ってな……容姿を変えて民の暮らしに紛れている」
「………そんな真似までしてるのか。父上らしいと言えば父上らしいが……母上は不満を口にしていないだろうか?」
「寧ろナズナ殿は率先して民の生活に交じわっている。以前伺った時は近隣の者とすっかり仲良くなっていた」
「ハハハ……母上らしい」
イオリは母親似と言われている。一見して微笑んでいる様な細い目と、物怖じしない行動力……イオリの母・ナズナは何処でも、誰とでも直ぐに打ち解ける人物だった。
「姉上も良く許したな……」
「いや、始めは心配だと反対していたらしい。だが、ソウウン殿はあの御気性だからな……」
「言い出したら聞かない、か……。それを押し切って出ていった勘当息子が戻るんだ。殴られる覚悟くらいはしておかないとね」
「さて……ソウウン殿もお歳だからな。老齢で身を引いたと聞いているから、少しは丸くなったんじゃないだろうか?それに……」
「何だ……?」
「いや……何でもない」
イオリが姿を消した後のソウウンはどこか覇気が無かったという。しかし、そのことはイオリに更なる負い目を与える為ミツナガは口を噤んだ。
「見えてきた……あの屋敷だ」
ミツナガに案内されて辿り着いたのは、本当に必要最低限の小さな屋敷。
庭には耕された畑、放し飼いのニワトリ、そして、小さな池に見えるのは鯉ではなく亀……。
確かにちょっとした隠居暮らしといった風情だ。
「あら?イオリ?」
声を上げたのは庭の畑の隅で作業していた女性……イオリが小間使いの者かと思った人物は、イオリの母ナズナだった。
「母上……。……。案外似合ってますね」
「あらそう?この格好、ご近所の方に教えて貰ったのよ?夏でも涼しくて日焼けしないようにって」
十五年振りの再開とは思えない軽さ…… 二人の性格を知るミツナガは苦笑いをしている。
「お元気そうで何よりです、母上……。でも、少し痩せましたか?」
「フフッ……老けただけよ。あなたは変わらないわね、イオリ。無事な姿を見て安心しました」
「長い間心配をお掛けして本当に申し訳ございませんでした。……。それで、お話があるのですが……父上は?」
「日課だから裏庭で木刀を振っていると思うわよ?会っていらっしゃい」
「……はい」
庵の裏手に回ったイオリとミツナガ。そこには上半身裸で一心不乱に木刀を振るイオリの父、ソウウンの姿が……。
以前より幾分小さくなった気がする父の背中……イオリは申し訳無さが込み上がる。
「父上………」
その言葉に木刀を振る手を止めたソウウン。深く溜め息を吐き、振り返ることなく言葉を発する。
「………帰ったか」
「はい。本来なら顔向け出来ぬ身ですが、どうしてもお話がしたくて参りました」
「そうか……」
スッと振り返ったソウウンは、木刀を庵の壁に立て掛け布で身体の汗を拭う。その間、イオリは黙って待っていた。
やがて服装を正したソウウンは歩み寄りイオリの姿を確認する。
「……お前は変わらぬな、イオリ」
ニコリと笑顔を浮かべたソウウン。イオリが頬笑み返し掛けた瞬間、それは起こった……。
「どの面下げて戻ってけつかる、この放蕩息子めがぁ!!」
「ぶはぁっ!!」
ソウウン、怒りの鉄拳──。
明るい母と違い、父は拳で語る男……日々の鍛練を欠かさぬ為に齢六十を越えても尚その力は凄まじい。殴られたイオリは思い切り吹っ飛ばされた……。
「ソ、ソウウン殿!」
「ん?何じゃ……ホズミの小倅か。お前も殴られたいのか?」
「い、いえ……そういう訳では……」
「ならば黙っておれ。これは禊だ。儂の期待を裏切り、儂の言うことを聞かず、儂に恥をかかせ、儂を心配させたケジメ……とにかく、気が済むまで殴らねば話になどならぬわ!」
そう……全ては儂の為。元領主の立場とか親不幸だとかの話ではない。飽くまでソウウンの腹立たしさを収める為の拳。言い方を変えればそれは、憂晴らしともいう……。
その後も“ ピョ~ン! ”とイオリに飛び乗ったソウウンは、歳に見合わぬ警戒な動きで拳を振るいまくった。イオリの顔がみるみる腫れてゆく様を見たミツナガは、己の考えの甘さを思い知らされた。
(済まん、イオリ。俺が甘かった……。ソウウン殿は引退した故、落ち着いたとばかり思っていたが………まだまだお元気だったようだ)
気を張る領主の座を退き落ち着いただろうという甘い考えは、今し方目の前で打ち砕かれた。ミツナガは殴られ続ける友をただただ呆然と見守るしかない。
ソウウンは基本、他人の意見を聞かない。いや……聞かない訳ではないが、自分の理論を押し通す男なのだ。
因みに、ソウウンを諌められるのは妻ナズナと孫娘ヨツバだけであることも付け加えておこう。
その後もイオリを殴り続けたソウウンは、ようやく満足したのかスクリと立ち上り汗を拭った。その顔は何処か誇らしげだった……。
「ふぅ……十五年分にはまだ足りぬが、取り敢えず気が晴……これくらいで赦してやろう」
「ありがとうございます、父上」
「ぬっ!?貴様!何だそれは?」
「色々ありましたから、こんなことも出来るんです」
ボロボロの筈のイオリの顔は、いつの間にか綺麗に元通り。神具による回復魔法は効果抜群だ。
「クックック……ハーッハッハ!どうやら殴られ足りない様だな、イオリ。次はナズナの分を……」
「私の分は不要ですよ?」
いつの間にか裏庭に現れたナズナ。大方の流れを予想しソウウンを止めに来たのだろう。
「………ではフタバの分を」
「不要です」
「……では、アキ」
「不要です」
「…………」
「…………」
妻の制止によりそれ以上殴るのを諦めたソウウンは、不満気に舌打ちをしつつ何やらブツブツと呟いている。
「……母上。出来ればもう少し早く止めに来て欲しかったですね」
「あれがあの人のケジメの付け方なのよ。私としてももっと酷い顔になると思っていましたが……残念ね」
「……………」
あの夫にしてこの妻在り……ナズナはイオリがボコボコにされれば滞在が長引くと考えていたらしい。
そんな感動の対面からは程遠い親子の再会。ようやく落ち着いた一同は、庵の中へ場を移すことにした……。
「ほぅ、そんなことがな……。確かにあの白昼夢はおぞましいものだ。だが、引退した儂らは何をする立場に無い。虎渓領の助力を得たければ、領主であるアキフサ殿と話をすることだな」
「言うと思いましたよ……。今回ここに来たのは挨拶です。親不孝な私の謝罪……そして、私はこの地の領主にはならないことを伝えに来たのです」
「フン……お前こそそう言うと思ったわ。頑固は誰に似たのやら……」
ミツナガは、“ アンタだよ、アンタ ”とソウウンに突っ込みを入れる。但し、心の中で……。
「カリン様は私を必要と仰ってくれたそうです。ならば私は、僅かでもそのお力になりたい。再びこの地を去る親不孝……どうか御許しを」
頭を畳に付けたイオリに対し、ソウウンは姿勢を崩し手をヒラヒラさせる。
「知らん知らん。勘当した息子が何処で何をしていようがどうでも良いわ。好きにしろ。後は若い奴等の責任よな……」
「父上……」
「おっと……儂は庭の亀に餌をやらんとな」
そう言い残しそそくさと外に出たソウウン。
「相変わらず自由人だな、父上は……」
頭を上げたイオリは、父の素っ気なさに寂しげな笑みを浮かべた。
だが、それを察したナズナは勘違いだとイオリを諭した。
「何言ってるの……あんなにはしゃいでたじゃない」
「はしゃいでいた?あれがですか?」
「あの人は不器用なの。あなたが殴られたのは、本当に心配されていたからですよ?それに今だって、あなたの心残りが無い様に好きにしろって……」
「…………」
イオリは思い違いをしていた。
嘘を見抜ける筈のイオリが本心を見抜けなかった相手、ソウウン。不器用な男故に、天然の嘘吐き──。
イオリは、自分が思うよりもずっと愛されていたことに涙が溢れた。
「私は……愚かだ……」
「あなたが領主にならなかったのも運命なのでしょう。でも、忘れないでね?あなたの故郷はこの虎渓領……いつでも帰っていらっしゃいね?」
「はい……。ありがとうございます……」
また一つ、過去の蟠りが解けた。だからこそ……イオリの信念は強くなる。
両親の為にも神羅国をより正しく……イオリは改めてそう誓うのであった……。
そしてイオリとミツナガは、虎渓領主アキフサの元へと向かうことに……。
「行ったか……」
「ええ。全てが落ち着いたら改めて里帰りするそうですよ?領主にはなれないことをあなたに詫びに来ると……」
「全く……領主どころか王の側近になるかどうかとはな。流石は儂の息子だ」
「そう仰ってあげれば宜しいのに……」
「フン……儂もイオリも、互いにそんな歳でもあるまい。男は自らの意思で行動し、その結果を受け止めねばならん。その程度は理解しているからこそ、此処に現れたのだろう」
ソウウンとて虎渓領主だった男……その器は大きく、息子の一度決めた生き様をとやかく言うことはない。
それもまた、父親としての在り方の一つ……フタバは、そんなソウウンの不器用さを笑顔を浮かべ見守るのであった……。
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