第五部 第四章 第十一話 ゲンマの休日


 盗賊に追われるアサガオを救った翌日──ゲンマは再び修行をする為宿を出ようとしていた。


 昨日の騒動で盗賊から警戒された可能性は高い。しかし、スイレンと打ち合わせをするにも通信手段が無いのだ。

 スイレンがそれに気付き戻って来る可能性も考慮したゲンマは、一晩外出を控え宿で待っていた。しかし、結局スイレンは戻らなかった。


 ともなれば、今更慌てても仕方が無いと判断したゲンマ。あっさり開き直り、昨日同様の研鑽を行おうとしたのである。



 そんなゲンマが宿を出ようとしたその時……不意に声を掛けられた。


 相手は町娘……と思いきやそうではない。何と町娘姿のアサガオである。


「!姫……じゃなくて、アサガオ……その格好どうしたんだ、一体?」


 まさか大衆の中で姫呼ばわりする訳にも行かず、思わず名前で呼んでしまったゲンマ。対してアサガオは、名前を呼んで貰ったことが嬉しくて仕方無いご様子。


「……まさか、一人で来たのか?」

「はい」

「それじゃ今頃、城で騒ぎになってるんじゃないのか?」

「皆には街に出ることを告げて来ましたので大丈夫です。深鳴の街は治安が良いので、身分を隠し時折こうして街を歩いているんですよ?」


 美景領主イワシゲは、アサガオが領民と接することを認めていた。

 領民の暮らしぶりを知ることはその領地の豊かさを知る基準となる……自らそれを感じることは、アサガオが何処に嫁いでも領民を大切にすることに繋がると判断したのだろう。


 そもそもイワシゲは、元から領主の血筋だった訳ではない。領主ミカゲ家の分家から血が途絶えぬ為に養子に入ったのである。

 元は商人の血筋故に人と接する機会が多かったイワシゲ。その時の知識や経験を使い一代で美景領を栄えさせた名君でもある。



 そうは言っても一人の父親……大事な娘を一人で街に放置する訳もなく、必ず護衛は付けている。

 ゲンマの感知では、少なくとも二人の隠密を確認していた。


「それで……一体どうした?」

「あの……実はゲンマ様とお話をしたくて……ご、御迷惑で無ければですが……」

「いや……別に迷惑じゃないが……」

「では、お願い出来ますか?」

「……わかった」


 修行はいつでも出来る……というより、黒身套の修行は通常時こそ修行なのだ。神具の確認・研鑽が後回しになることは大した問題ではない。


 それに僅か二日の滞在……その内の幾分かを少女の為に浪費しても罰は当たらないだろう。


「さて……それじゃ折角だから、話をしながら深鳴を案内して貰えるか?」

「はい!是非に!」



 アサガオは満面の笑顔を浮かべる。ゲンマは不思議な気分だった……。


(そういや、純辺沼原の外でゆっくりするのは初めてか……しかも姫相手とはなぁ)


 今までは長の立場から里を長く空けることは出来なかった。武者修行で里を出る時はほぼ休みなく動き、食事すら移動しながらだった程だ。


 だが……今はライの構築した防衛が機能し、ハクテンコウも率先して里を守ると約束してくれている。


 忙しく駆け回っているであろうライやクロウマル達に若干の後ろめたさを感じているが、これもまた役割と自らを納得させた。



 開き直ったゲンマはアサガオと共に街を巡る。時折休憩しながら交わす会話は、本当に些細なこと。純辺沼原という土地での暮らし振りなどが殆どだった。


「良いなぁ……一度行ってみたいです」

「来れば良い。あ……いや……田舎過ぎて道程が大変か……」

「あ……いえ……道程はそれ程大した問題ではないです」


 寂しげな笑顔を浮かべたアサガオは、ふと昨日のことを語り始めた。


「私には姉が二人いて、一人は既に他領地に嫁ぎました。一番上の姉は領主に相応しい婿を貰わねばならない為、父の元で色々と学んでいます」


 それは、やがて新たな美景領主となる者を支える為の花嫁修行……長女は当然の様に熟しているとのこと。


「私は……取り柄がないんです。姉二人は優秀で父の期待に応えていますが、私はお料理くらいしか……」

「?……料理が出来るなら凄いじゃねぇか……」

「ありがとうございます。でも、将来的に嫁いだ先で料理しか出来ないのでは恥だと姉に言われました。昨日、他領地にお見合いに行かされて改めて理解しました……」

「……………」


 他領地の有力武家への見合い……そこでは作法や仕来りを目の当たりにさせられたとアサガオは言う。

 民と自由に触れ合うことが出来るアサガオは、領主の娘としての暮らしが重荷になりつつあることを父であるイワシゲは知らない。


「私は少し体験しただけで疲れてしまいました……」

「……武家に嫁ぐのは絶対なのか?」

「姉は……そう言っています」

「御領主は……?」

「特には何も……」

「なら聞いてみろ。親って奴は子の幸せを望む筈だ。跡継ぎがいない一人娘ならまだしも、姉ちゃんがいるなら大丈夫じゃないか?」

「そう……でしょうか?」


 まだ不安気なアサガオ。ゲンマは無責任だと思いながらも、アサガオを励ました。


「人に人生を指示されるなんざ俺には考えられん。どうしても嫌なら抗え」

「抗う……ですか?」

「ああ。何を賭けてでも自由になりたいなら、だがな。領主の娘として嫁ぐのも生き方だが、誰かが責任を取ってくれる訳じゃない。自分の生き方に責任を取れるのは自分だけだ」

「……………」

「それに無理矢理嫁いで苦しんだ場合、家臣達も苦しむんじゃねぇか?アサガオの家臣達は家族同然なんだろ?なら、幸せを願ってる筈だがな」

「家臣が……私の幸せを?」


 アサガオはそんな考えには思い至らなかったらしく、少し驚いていた。


「……まぁ、俺じゃ役に立てんが御領主を説得して欲しいなら言え。アサガオはまだ若い……慌てて身の振り方を決めなくても良いと思うぞ?」

「はい……ありがとうございます」


 少し明るさを取り戻したアサガオは、ゲンマを見て笑う。


 雁尾領主オキサトも……そしてアサガオも、幼いのにその立場で苦労をしている。ゲンマはそんな現実に幾分の憤りを覚える。


(国が安定してりゃあ違うのか?……いや、そもそも領主が血筋で決まるのが問題なのか?)


 考えたところでどうなる訳ではない。だが、大人として子供の内から苦労する者達を見ていると何やら胸の内がムカムカとしてくるゲンマ。

 それは、大人たる存在達の不甲斐なさだと感じるが故のこと……。当然そこには自分も含まれているのだ。


「悪いな……俺は頭が悪いからこの程度しか言ってやれん」

「いいえ……少し考えさせられました」

「そうか」


 アサガオはまたも熱い視線を注いでいる。ゲンマは少しだけその視線に対して照れた。


 純辺沼原の女達はゲンマを家族と見ているが、恋愛対象ではない。アサガオと同年代の少女達も知人のオジサン程度にしか見ていない。


 生まれて初めて『好意の視線』……だが相手が幼いことと恋愛経験の低さで、未だにアサガオの気持ちには気付かない。



 鈍感男ゲンマ……そんなゲンマに惚れたアサガオが気の毒である……。



 その後も街中を歩き話を続け、昼時となる。アサガオは手製の弁当を用意していたらしく、二人でそれを食べた。

 取り柄と言っていたが、アサガオの料理の腕はかなりのものだとゲンマは感心している。


 そうして……いつの間にか日が傾き出し、アサガオは戻らねばならない時間となった。


「あ……あの……明日もお話をして下さいませんか?」

「いや……明日はちょっとな……」


 予定が変わっていない場合、盗賊退治に踏み切らねばならない。

 その役割が終わればゲンマは純辺沼原に戻るか、他の地で役割を探すことになる。実質、アサガオとゆっくり話を出来るのは今日だけだった。


「……俺が残れてもあと数日だ。だが、突然帰ったりはしないから安心しろ」

「……はい」

「そんな顔をするな。俺が飛べるのは見ただろ?美景領は雁尾領と隣だし純辺沼原は割りと近い。時折来て話をする程度は出来る」

「はい」


 元気の無いアサガオ。ゲンマは頭を掻きながら懐に手を伸ばすと、一つの包みを取り出した。


「これをやる」


 取り出したのはかんざし。街中で目に付いたそれを買っていたのは、昨日受け取った簪の代わりと考えてのことである。

 だが……アサガオには何よりの宝になった。


「安物で悪いな……」

「いえ……嬉しい……」

「城の近くまで送るぞ?」

「ここで大丈夫です。ありがとうございました、ゲンマ様……」

「俺の方こそ。こんなにゆっくり出来たのは久々だ。楽しかった」



 アサガオは仄かに頬を染め小走りで去って行く。何度も振り返り手を振る姿は町娘そのものに見えた……。


 ただ……アサガオが振り返る度に後を追う隠密達が慌てて隠れる姿が滑稽で、ゲンマは思わず吹き出していた。



 そんなこんなと宿に戻ったゲンマ……宿の部屋にはスイレンが待っていた。


「スイレン殿……悪いな。待たせたか?」

「いえ……それより、盗賊の件ですが……」

「あ~……実はな?」


 昨日の出来事を説明したゲンマに対し、スイレンは全く反応しない。


「……さては知ってやがったな?」

「はい。盗賊が深鳴を襲撃するのは“ 捕らわれた仲間を救う為 ”ですから」

「!……ってことは、俺が居たせいで盗賊が襲ってくるのか?そりゃあ、ちょいとばかり人が悪いぜ?」

「ですが、ゲンマ殿が居なければアサガオ殿は盗賊の手に落ちていた筈です」

「うっ!……そ、それはそれで胸糞悪い……」

「これは必然なのです。だからこそ盗賊の位置が判明する」


 ダシに使われた……納得は行かないが、アサガオの件がある以上ゲンマは諦めるしかない。


「で……俺はどうする?」

「予定通り盗賊退治を行いましょう。明日の正午……近隣の廃神社に盗賊が集います。そこで一網打尽に致します」

「了解だ」

「時にゲンマ殿……嫁を貰う予定はありますか?」

「は……?何だ、いきなり……」


 スイレンは変わらぬ表情で話を続けた。


「この先、あなたはカリン殿を手助けする者達同様に神羅の要になるでしょう。その時、国事に明るい伴侶が必要となります」

「それも《未来視》ってヤツか?……俺は純辺沼原を離れる気は無い。辺境の長で手一杯だ」

「………。ゲンマ殿。あなたはお強い。恐らく現段階でディルナーチ大陸の人間で五本の指に数えられる。その意味がわかりますか?」

「知らん。強くて何か悪いのか?」

「いいえ……ですが、あなたは強い。強い者には守る責任があるとは思いませんか?」

「………」


 元々ゲンマが長になったのは純辺沼原の地を守る強さがあったが故のこと。強きが弱きを守る必要性は理解している。


 だが……。


「俺は俺だ。他人に指図されるなんざ真っ平御免だ」

「……指図されなければ良い……違いますか?」

「何……?」

「あなたがあなたの意思で多くを守る意思があるなら、領主になる必要がある。それは、いずれ分かりますよ」

「オキサト様は優秀だぜ?それに、忠臣ドウエツ殿も居る。雁尾を荒らす様な事を言うな」

「……あなたは雁尾の領主ではなく他領地の領主になる。それはラカン様の《未来視》にも出ています」


 呆れ顔のゲンマは、頭を掻きながら溜め息を吐いた。


「残念ながらそりゃあ外れだな……未来視は絶対じゃあ無いんだろ?」

「はい。ですが、私はこの未来視は外れないと思っています」

「……根拠は何だ?」

「あなたが断る訳がない」

「………訳がわからんな」

「その時が来れば分かりますよ。それで話は戻りますが、ゲンマ殿には恋人か許嫁はいますか?」

「……知ってて聞いてるな、スイレン殿」


 スイレンは少しだけ表情を崩し鼻で笑った。


(……お、俺はからかわれているのか?)


 スイレンは半笑いで話を続ける。


「もしお相手がいるなら色々と考える必要があったのですが……それは……残念ですね」

「くっ……!で?居ないとどうなる?スイレン殿が嫁に来るのか?ん?」


 その問い掛けを聞いたスイレンは明らかに不快な顔で笑っている。少し舌打ちまで聞こえた気がした。


「ご冗談を。ゲンマ殿には相応しい奥方が出来ますよ。あなたはまだ気付きませんが、その方との縁はもうある……」

「………まさか、アサガオのことじゃないだろうな?」

「あら……察しが良いですね」


 察しが良いというより、ゲンマ自身に縁がある人間は限られているだけの話だ。


「……アサガオはまだ子供だぞ?」

「アサガオ殿はお見合いに足を運んだのですよ?お忘れですか?」

「俺は身分が違い過ぎるだろうが」

「アサガオ殿が望んだ場合はどうですか?」

「それは……だがなぁ……」


 スイレンは佇まいを正しゲンマに向き合った。釣られたゲンマは何故か正座になる。


「少し余計な話でしたね。ですが、そんな未来も有り得る……その程度には考えて下さい。あなたが神羅の為に行動したい場合、高い地位……そしてそれを支える存在が必要になる」

「………からかったのか?」

「いいえ、真面目な話ですよ。もし迷う時があればラカン様に相談下さい。これは【御神楽】との通信が可能になる魔導具です」


 赤い魔石の指輪を手渡すスイレン。ゲンマは指が太すぎて小指にしか入らない。


「……多分、その未来視は外れるぞ?」

「それならそれで構わないでしょう。私はラカン様の言葉を伝えただけですから」


 再び溜め息を吐いたゲンマ。いい加減、話を切り換えることにした。


「………それより盗賊の話だ。殲滅しちまって良いのか?」

「いいえ……出来れば拿捕をお願いします。特に危機で無い場合は殺さないで下さい」

「わかった……盗賊退治までは付き合ってやる。後は勝手にさせて貰うからな?」

「御随意に。それでは明日の朝迎えに来ますので、身体を休めて下さい」


 スイレンが立ち去った後……ゲンマは悶々としていた。


「クソッ……訳が分からん。未来の領主?アサガオが伴侶?全く想像出来ん」


 自分は純辺沼原に居られればそれでいいと考えていた。だが……現状を鑑みれば、他領地にまで足を運び神羅の役に立ちたいとも考えていた。


 地位が無い為行動で、智識が無い為スイレンに従うしかない自分……それがまた、確かに不甲斐なくも感じている。


「大体アサガオはまだ子供だぞ?俺みたいな男に嫁いでも……」


 そんな考え自体が浮かんだ自分に再び悶々とを繰り返す。ある意味修行より辛いとすら思うゲンマ……。


「この通信魔導具……ライかクロウマルに繋がらないか?」


 試しにライへ繋いでみると見事に成功。早速相談を始めるゲンマ……。


『成る程……そんなことが……。スイレンちゃん、暗躍してるなぁ』

「俺は正直混乱してる。何か助言をくれ」

『いや……答え出てるでしょ?』

「は?何処がだ?」

『ゲンマさんは自分のやり方を貫けば良いんですよ。先のことはその都度考えれば良い』

「……お前なぁ」

『俺は今までそうしてきた。一番駄目なのは流されることですよ……』

「…………」


 ラカンの考えは気にするなとライは続けた。


 自分で考える……それはゲンマ自らがアサガオに伝えたことでもある。


「……確かにそうだな。助かったぜ、ライ」

『ヤベッ!見付かった!ゲンマさん、それじゃまた!』

「お、おい……」


 相変わらず慌ただしいライの様子に笑みを溢したゲンマは、そのまま部屋で大の字に寝そべった。


「ま、確かにそうだな。となると、先ずは盗賊退治からか」


 気合を入れ直したゲンマは養生に徹することにした。食事、風呂、就寝……全て必要なことである。



 そして……盗賊退治当日の朝が訪れた──。





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