第五部 第四章 第七話 隠密の願い


 キリノスケの遺体を乗せた棺が神羅国王都へと向かう──。



 神羅王族の遺体搬送はそれ自体が葬儀の一部。遺体は氷室から取り寄せた氷で腐敗を抑え道中ゆっくりと移動することになっていた。


 今の季節は夏……氷の準備にも手間が掛かる筈だったが、同行の銀龍コウガの力でキリノスケは溶けない氷に包まれ眠っている。


 領民は棺に近寄り自由に献花をすることが許されている。

 それは決して強制ではない……道中積まれた花がその王族が愛された証とされるのだ。



 キリノスケの献花は──最初の領地を出る頃には既に溢れんばかりになっていた……。



「キリノスケ様は愛されておりましたなぁ……」


 釜泉郷からの道中、棺に寄り添う様に歩くカリン一向。クロウマルとトビも仮面を着用し同行している。


「精霊使いという力は多様なものだからな。キリノスケ自身は直接動けなくとも、精霊が代わりを担ってくれる。特にキリノスケは、王族という地位に関係なく民を救っていた。災害、魔物、盗賊、そして今回の魔獣騒動……恐らくキリノスケは、神羅王族の中で最も民を救った個人だろう」


 コウガはキリノスケの友としてその姿をずっと見守っていた。時折共に行動し、手を貸し、その心に触れた。

 ある時コウガは、精霊使いの矜持をキリノスケから聞かされたと語る。


「精霊使いの矜持……それは一体……?」


 久遠国側に精霊使いは存在しない。クロウマルは、ただ純粋な興味としてコウガに尋ねた。


「精霊は自然が意志を持った存在。生物の姿を元に実体化する場合もあるが、本来は自然そのものなのだそうだ」

「自然が意志を……」

「そう。だから精霊使いは自然への感謝を忘れてはならない。自らの力ではなく、飽くまで力は借りているのだと語っていた。そして人や動物、植物も精霊も全てが自然の一部なのだと」


 自然崇拝とも言える思想だが、精霊からすればそんな考え自体どうでも良いらしいとキリノスケは笑っていたという。


「精霊は邪心を嫌う。自然の中で邪心を持つのは人のみ……魔獣が存在するのは全て人のせいなのだそうだ。人間以外の存在は、負の感情は有れど邪心は無いと聞いている」

「それは……身につまされる話だな……」

「そうだな。だが……キリノスケはこうも言っていた。『精霊が力を貸してくれる内は神羅国は大丈夫』とな」


 精霊は邪心を持つ者には力を貸さない。キリノスケは、人の中でも稀有な程に清らかな心の持ち主だった。

 そんなキリノスケも、やはり祖国の未来は気掛りだった様だ……。


「キリノスケ様らしいですな。ならば……キリノスケ様の安心出来る国を作ることこそが弔いになりますな、姫様?」

「ええ……サブロウの言う通りですね。兄上……きっと良き国を作ります」

「姫様……ジジイは今からその為の行動を始めようと思います。本当は王都まで見届けたいのですが、為すべきことを為さねばキリノスケ様に顔向けが出来ませぬからなぁ」

「……わかりました。サブロウ。くれぐれも無理はしないでね。王都で会いましょう」


 ニコリと微笑んだサブロウはトビの傍に移動する。


「では、クロウマル様……。私も……」

「わかった。私はお前を一番頼りにしているのだ。無事で戻ってくれよ?」

「はっ!必ず。……コウガ殿、申し訳無いが後をお頼み申す」

「任せてくれ。道中、気を付けて行かれよ」


 トビとサブロウは葬列から離れ、目立たぬ位置にて飛翔の準備を始める。



「それでトビ殿……これからどうするつもりなのだ?予定ではカリン様支持の諸侯を確かめるという話だったが……」

「……いや。本当の目的は違うのだ。あなたには全てをお話しした上でご協力を賜りたい……『コウガ・サブロウ』殿」

「ほう……私を知っていたのか……」

「俺は久遠国の隠密頭、サルトビ・ヤヒコ。サブロウという名前で直ぐに思い当たった……神羅国伝説の隠密よ」


 素性を当てられたサブロウは、それでも表情を崩さない。


「買い被り過ぎだ、トビ殿。私は今や只のジジイに過ぎぬ」

「それだと困るのだ、サブロウ殿……。この先俺がやろうとしていることには、『伝説の隠密』の手助けが居る」

「……貴殿は何をしようと言うのだ?」

「神羅国の隠密にはカリン殿の配下になって貰う。その上で久遠国の隠密と和解して貰いたい」

「!……それはまた……」


 それは所謂、隠密の取り込みを意味していた──。


 隠密は王の直属。隠密はそのことに誇りを持ち、命を懸ける。例え血に染まろうとも、己の役目を全うするのだ。

 そんな隠密を取り込むなど、不可能──と考えるのが普通。


 だが、トビは至って真剣に語っていた。


「俺達の様な隠密にも心はある。そして、普段殺しているその心にも願いはある。サブロウ殿にも思い当たるのではないか?」

「願い……か」

「我らとて争いなどしたくはないのだ。同じ祖先、同じ血を持つ我らの諍いは終わらせねばならない。今がその時だとは思わぬか、サブロウ殿?」


 それはライという男が起こした時代の風……異国の者ですらディルナーチ大陸の為に協力出来るのだ。

 ならば、皆が親類と言えるディルナーチ大陸の中でそれが出来ない訳が無いとトビは力強く問い掛ける。


「……トビ殿はライ殿のやろうとしていることを?」

「……。聞いている。だから俺も出来ることを考えた。隠密の癖に甘いことを言っているのは重々招致。しかし、今を逃せば久遠と神羅は分かたれたままな気がするのだ」

「……………」


 特にカゲノリは久遠国相手に戦争すら仕掛け兼ねない。最低でもカリンを神羅王にする必要がある。そうすれば交友が生まれ、更なる和睦への道が開ける。


「……困難だぞ?しかもこれまでに慣習化してしまった常識を破壊せねばならぬ。越えねばならぬ問題は幾つもある」

「覚悟の上だ。仕えるべき主の未来の為ならば、この命惜しくはない」

「……。分かっておらんな、トビ殿は」


 サブロウはやれやれと首を振る。


 若い故に前しか見ていないトビ……だがサブロウは、だからこそ面白いと感じた。

 久遠国の隠密頭すら動かしたライという男……確かにこれは風が吹いているとも言える。


「貴殿が死んだらクロウマル殿が悲しむだろう。命を賭ける覚悟はともかく、命は惜しむべきものだ。それは私も同様………主の為にこそ死ねぬのだよ」

「……………」

「だが、トビ殿の言う通りでもある。今を逃すのは得策ではない。だから……私も力を貸そう」

「おぉ……サブロウ殿!感謝を!」


 深く頭を下げるトビ。その肩を優しく叩くサブロウは、トビの姿にディルナーチの未来を見た気がした。


「さて……そうとなると課題は幾つもあるぞ?隠密は神羅王直属……それを取り込むとなれば王への反逆と取られ兼ねない」

「それは理解している……が、一つ思ったことがあったのだ。サブロウ殿……何故神羅王は『首賭け』までの期間、各領地を使い王位争いなどをさせているのだ?」

「それは領主を取り込める器があるかを見極め、王に相応しいかを見……!そ、そうか!」


 トビは、サブロウが自分の考えを理解したことにニヤリと笑った。そしてそれは、己の考えが確信に変わった瞬間でもある。


「やはり気付いた様だな。領主の取り込みが王の選定基準であるならば、領主同様に重要な存在である隠密を取り込んでも良い筈」

「むぅ……王直属故に盲点であった。いや、寧ろそれは王位継承に大きな判定材料となるだろう」

「問題は神羅王がそれを黙認するか、対抗してくるか、だ。試練として対抗された場合、隠密全てを敵に回さねばならない」

「そこで私の出番か……クックック。トビ殿も食えぬ男だな」

「忠義ではなく家族としてカリン殿の傍らに居るサブロウ殿ならば、協力してくれると思ったのだ。そこは賭けでもあったが……」


 サブロウがカリンの傍に居る理由が監視だった場合、この考えはご破算となっていた。


 隠密は心を隠す。トビが自らの考えをギリギリまで明かさなかったのは、サブロウの心を見極める為。それでも……最後は賭けの割合が大きい。


「俺はライの様に他者を見抜けない。経験則も足りない……特にサブロウ殿を見極めるのは苦労した」

「……ライ殿のアレは隠密のそれとは違うから参考にはならん。だが、見事だトビ殿。貴殿は見事に道を見付けた」

「サブロウ殿……では、先ずは各地の隠密の取り込みからだろうか?」

「いや……隠密頭の元に向かおう。その後、各地隠密に通達すれば手間は掛からぬ」

「!……いきなりで大丈夫だろうか?」

「ハッハッハ!どうせなら大胆に行こうではないか。そうでなければ動かぬ事態もある」

「……承知した」

「では、案内しよう。神羅国、隠密の里に」



 二人が飛翔し向かった先は王都の手前にある山村。神羅国隠密の隠れ里──その名を『根の里』という。


 表向きは小さな集落として農業を営んで見えるが、そこに暮らす者達は全て隠密……。徹底して鍛え上げた手練ればかりの地だ。


 無論、久遠国の隠密が足を踏み入れるなどというのは初めての事態。通常ならば罷り通ることはない。


 しかし……サブロウは、一切の躊躇無くトビを『根の里』に引き入れた。



「おぉ……。これはサブロウ殿……お久しぶりで御座います」


 サブロウに気付いた隠密の一人は駆け寄るように近付いてきた。その態度は親密というより恐れている様に見える。


「タカキか……久しいな。頭は居るか?」

「はい。いつもの屋敷に居る筈で御座います」

「客人を連れてきたのだ。取り次いで貰えるか?」

「分かりました。急ぎ手配します」


 そそくさと走り去るタカキ。トビは里の様子に目をやると驚くように呟く。


「流石は伝説の隠密……外部の者をいざなったのに反論すらされないとは……。それにしても……見た目は完全な農村。久遠国とは随分違う」

「ハッハッハ……久遠国も昔はこうだったと聞くぞ?今の久遠国隠密はドウゲン王になってから変わったのだろう」

「確かに……あの御方は隠密すら大事にして下さる。感謝している」

「さて……。神羅国もそうなると良いが……先ずは隠密の歓迎。トビ殿。驚かぬ様にな」

「成る程……歓迎か」


 四方八方に広がる人の気配。トビとサブロウは完全に取り囲まれた様だ。

 そんな中を何事もない様に近寄る男が一人……男はサブロウの前で歩みを止めた。


 見た目は齢五十程で細身の中背……まるで庄屋の様な出立ちでニコニコとしているが、立ち上る威圧感から隠密頭に間違いないとトビは察した。


「ふむ……珍しい客人だな。伝説と恐れられた隠密と……久遠国の隠密頭トビか」

「既に把握していたか……流石だな、シレン。では、来訪の目的は理解しているか?」

「……まぁな。ともかく茶でも出そう。付いてこい」


 久遠・神羅の隠密頭の対面……それは歴史上初の出来事でもある。


 ディルナーチの未来、そして隠密の願いを懸けた対話が始まる。


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