第五部 第四章 第六話 往事渺茫   


 再び移動を始めたライが、蘆原領へと向かう丁度その頃……イオリは西寺塔領に足を踏み入れていた。


 かつての友──西寺塔領主ホズミ・ミツナガと袂を分かったのは、今から十五年程前のこと。イオリはミツナガの裏切りに絶望し全てを捨て出奔した……。


 しかし、それはイオリの思い違いであったことを【御神楽】の頭領ラカンからの書状で知らされたのである。


 新たに歩み出す為には、まずミツナガに会う必要がある……そう考えたイオリは、故郷の虎渓領ではなく西寺塔領へと足を向けた。



(………懐かしいね。この辺はミツナガとユキネの三人で良く歩いた場所だ……あれからかなり経つのにちっとも変わらない)


 西寺塔領の城下町・藍堂らんどうの小路を歩くイオリの脳裏に、古い記憶が蘇る。

 それは鼻先を掠める香り、陽射しに揺れる洗濯物、道行く者達の会話……イオリにとっての大切な想い出は、全て忘れようとしても忘れられなかったものだ。


 懐かしさに惹かれ、友と語り合った場所への秘密の抜け道を辿る……。

 街の外れから森へと向かう畦道……蝉時雨を抜けると、一面に緑の絨毯が広がっていた。


 そこに聳える一本の大樹。思わず近寄ったイオリの目に、想い人の姿が映る。


(ユキネ……いや、幻覚か……?)


 それは幻覚ではなかった……。但し、女性の姿は想い人だったユキネとは似ても似つかない別人。


「………あなたは……」


 そう口を突いたイオリに気付いた女性は驚き戸惑っている。イオリはその面影に見覚えがあった……。



「イナホ殿……なのか?」

「……?あ、あなたは……イオリ様……?」

「ああ。久し振りだ……すっかり大人の女性になったね」

「そんな……。イオリ様はお変わりありませんね」

「はは……魔人だからね」


 イナホは領主ミツナガの妹である。ミツナガとは歳が離れていて、当時はまだ八歳だったとイオリは記憶していた。

 それでも見分けが付いたのは、右目にある特徴的な二つの泣きボクロのお陰かもしれない。


「それにしても、何故こんな場所に?」

「兄の姿が見当たらないので捜していたのです。時折姿を消すのですが、大概はここに……」

「そうか……。ミツナガもここに……」

「イオリ様が去ってから、兄はめっきり笑わなくなって……それから時折、城を抜け出す様になりました」

「……そうか」


 友を失った喪失感はイオリだけのものではない。ミツナガもまた、心に穴が開いた気分だった筈……イオリの心が鈍く痛む。


「今更と言われるだろうけど、私はミツナガと話をしに来たんだよ。一緒に捜しても良いかい?」

「はい……兄も喜ぶと思います」



 藍堂の街を歩きながらミツナガを捜して歩くイオリとイナホ。その過程で西寺塔領の現在の様子を聞くことが出来た。


 イオリが去った後のミツナガは何処か覇気が無く寂しげだったという。そこを近年カゲノリに付け入られ、家臣やホズミ一族はミツナガからの領主地位奪還を画策しているらしい。


 現在の西寺塔領は表面上カゲノリ派。しかし領主であるミツナガは中立の姿勢を貫いているという。いつ追い落としを受け完全なカゲノリ派に傾くか分からない状況だった。


 しかし……つい今し方それが変わったかもしれないとイナホは告げる。


「イオリ様……妙なことをお訊ねしますが、先程突然頭の中に酷い惨劇が……」

「……ああ、私も見たよ」

「では……やはり、只の白昼夢では無かったんですね……」

(今のはライ君だろうね……やっぱり)


 ライの《迷宮回廊》は子供以外全ての神羅国住民に『ホタルの悲劇』を投影した……。

 その対象は事情を知るイオリやサブロウ達、クロウマルやカリン、神羅王、そして当人であるカゲノリにすら及んでいる。


 それがカゲノリの非道ということもあり、カゲノリ派の者達は己の考えに不安を持った筈だ。


「街の全員が同じ幻影を見た訳だから、気のせいと笑い飛ばすことも出来ない……か」

「はい。しかし、これで兄への風当たりは弱まるのではないかと……」

「それで捜していたんだね……」

「はい。でも……あの大樹に居ないとなると、どこに行ったのでしょう?」

「……多分あそこだよ」


 ホタルの死を体感したイオリは、真っ先にユキネの姿を思い出した。恐らくはミツナガも同様だろう。


 そしてその考えは正しかった……。


 墓地──ユキネの眠る墓の前で手を合わせているのは四十程の白髪混じりの男。イナホは直ぐ様男に駆け寄った。


「兄上!」

「……イナホか……ん?そちらの方……は……」


 男……西寺塔領主ホズミ・ミツナガは己が目を疑った……。そこにはかつての友の姿があったのだ。


「久し振りだね、ミツナガ……」

「イオリ……!本当に……お前なのか?」

「ああ……苦労したんだね、ミツナガ。そんなに白髪が増えて……」

「……あれから長かったからな」


 そこに過去の諍いは感じない。イナホはそのことに胸を撫で下ろした。


「……どうして急に戻った?」

「役割が出来たんだ。だけど……その前に私は過去と向き合うことを決めた。だから、ここに来たんだ」

「そうか……」

「ああ。丁度ユキネの前だ……折角だから少し話をしようか」



 そうして話はイオリの過去へと遡る………。



 過去、イオリは藍堂に住まう方術師の元に修行に来ていた。虎渓、西寺塔の両領主の縁もあり、イオリは三年の西寺塔滞在を許された。


 イオリは記憶力が良い。方術の知識は実に一年程で学び尽くし師匠からもお墨付きを貰うに至る。


 折角の他領地滞在……残りの時間は西寺塔の統治体制を学ぼうと考えたイオリ。それを嘆願しに向かった城でミツナガと出会った。


 ミツナガは同じ領主の息子という立場もあり直ぐに打ち解ける。それから二人で行動することが増え、親友と呼べる間柄になるのに時間は掛からなかった。



 そんな二人は西寺塔領内を馬で移動し、各街の現状を調べる任を与えられる。そこで出会ったのがユキネだった……。


 ユキネは女身でありながら行商人の様なことをしていて、街を点々としていたのだ。出会ったのは偶然……それもまた運命と呼べよう。


「あの時、イナホに土産を買おうと言ったのはお前だったな……イオリ」

「ああ。そしてそれを売っていた行商人がユキネだった……」


 色々と買い込んだこともあり親しくなったイオリ達は、ユキネから他領地の話を聞く。それが楽しくて、更にユキネと会う内に二人は親密になって行く。


 ユキネの夢が領主のお膝下で店を開くことだと知ったイオリは、藍堂の街で商いが出来るよう協力を申し出た。

 勿論、領主嫡男の地位など使わない。イオリはその才覚も持ち合わせていた。


 やがてユキネは藍堂に髪飾りの店を開くに至る。


 三人の幸せは、それが最高の時だった……。



 やがてイオリが領地に戻らなければならない時が迫る。イオリは既にユキネと想い合っていた。虎渓へ付いて来て欲しい……そう申し出ようとしたがユキネからは色好い返事が無い。

 そこでイオリは、ユキネとミツナガの間を疑ってしまったのだ……。


「あの時、もっと君達を信じられれば……」

「……………」

「今でも後悔している。やり直すことは出来ないけどね……」


 イオリの不安を探り当てた様に、悲しい運命が動き始める──。


 ミツナガは突然、ユキネと恋仲になったと告げた。イオリの気持ちを知りながら、ミツナガはユキネは渡さないと。


 親友、そして想い人の裏切り……イオリはもう誰も信じられなくなった状態で故郷へと帰還することになる。それから間もなく虎渓のイオリ宛に書状が届いた。



【ユキネは事故で他界した】



 それがトドメだった……。


 イオリは内心、まだユキネが自分を追ってきてくれると希望を抱いていた。だが、そのユキネがミツナガの元で死んでしまったのだ……。


 イオリはミツナガを恨んだ。恨んで怨んで憎み切ったと思った瞬間、ミツナガを憎めない自分に気付いてしまったのだ……。


 ユキネを失い、ミツナガを憎むことも出来ず、全てに絶望したイオリは、遂に出奔──それから雁尾領・久瀬峰に辿り着くまで長い時を放浪し続けることになる。


「人の悲しみは時間で薄れるというけど、あれは嘘だね……」

「イオリ……」

「でも、ミツナガ……私はある人から真実を知らされたんだ。危うく、また大事なものを失うところだった……」



 ラカンからの書状には、イオリが知らない真実が書かれていた。


「ユキネは……久遠国の隠密だったんだね」

「…………」

「ユキネは隠密だから私の誘いを受け入れられなかった。その正体が判明した為、お前は捕縛の命が下る前にユキネを私から引き離したんだろう?」

「……ああ。ユキネが望んだんだ。イオリが虎渓領主になるのを妨げたくはないと……お前は必ずユキネを庇うだろうから。だから俺は……」

「私とユキネの為に汚れ役を買って出た……お前は馬鹿だよ、ミツナガ」


 イオリが失意のうちに去った後、ユキネは処刑された。異国の隠密は重罪人……ミツナガはそれでも嘆願し罪を軽くしようとしたと、ラカンの書状には記されていた。


「ユキネは本当は逃げられた筈なんだ。だけど、イオリを騙した自分が赦せないからと……ユキネはお前を愛していた」

「………ああ。分かってる」


 屈み込みユキネの墓に手を合わせるイオリ。その目から一筋の涙が伝う……。

 当時は知らなかったが、本来罪人たるユキネに墓は無い。それはミツナガの配慮……密かに弔われていたことにイオリは改めて感謝する。


「結局、私はそんなお前達の気持ちを裏切ってしまったね……愚かな男と笑って良いよ」

「……笑う訳が無いだろう!俺は結局、お前を傷付け苦しめた!」

「あの時、お前はそれが最善と判断したんだろ?じゃあ、仕方無いよ……。だけど、私は違う……お前達を信じて無理にでも事情を聞き出せば、ユキネと二人逃げることも出来た筈なんだ」

「イオリ……」

「私は……本当に愚かだ……」


 行動を起こさないことの愚かさ、立ち止まることの不毛さを知ったイオリは、悲しみを感じながらも前へと進む。そうユキネの墓前に誓う。


「許してくれ、ミツナガ……私はお前の優しさを……友情を裏切った」

「お前が謝るのは違うだろう?悪いのは俺だ」

「それでも……私はお前と友でいたい。友に戻りたい。都合が良いことを言っているのは分かる……だけど……」

「………馬鹿野郎」


 泣き崩れたイオリの肩を叩くミツナガ。長きすれ違いを経た友情は今、再び固く結ばれた。


 きっとユキネも笑顔で見守っているだろう……イナホはそう思わずにはいられない。



 だが、そこに水を差す輩の気配が……。


 武装した者達が墓地へと集いつつあったことをイオリは察知する。


「……ミツナガ。西寺塔の大体の情勢はイナホ殿から聞いたよ。今度は私がお前の義に報いる。そうさせてくれないか?」

「……感謝する」

「差し当たって、お前の敵は誰だい?」

「叔父一族、それと家臣に数名裏切り者が居る様だ」

「わかった。では……まず手始めに、この場に不粋を持ち込んだ輩を排除しよう」

「助かる。では、やるか……」


 スラリと刀を抜こうとしたミツナガ。だが、イオリはそれを制止した。


「ここは私に任せて貰えないか?ユキネの眠る地を血で汚したくない。ミツナガはイナホ殿を……」

「何か策があるのか?」

「まあ、少しばかり奇縁があってね……その話はこの場を切り抜けた後にでもしよう」


 ライから譲り受けた籠手を使用し雷撃魔法 《雷蛇》発動。放射状に放たれた地を這う雷の蛇は、取り囲むように配置している曲者達を感電させた。

 続いて《迷宮回廊》を発動。曲者達は幻覚に取り込まれ動きを止めた。


「………い、今のは?」

「魔法だよ。異国の勇者と縁が出来てね……彼のお陰で過去の真実も知ることが出来た。今のは譲り受けた神具の力だよ」

「お前も色々とあった訳だな……」

「まぁね……今眠っている連中は改心の意がある場合のみ目を覚ます。少し待とうか」


 しばし後、約半数の者が目を覚ました。事情を聞けば討手を差し向けたのはミツナガの叔父ホズミ・セイカイ。目を覚ました兵達を不問に処すと述べると、兵達は改めてミツナガへの忠誠を誓った。


「不幸なのは家臣も同じか……」

「ミツナガ……私は今、カリン様側に付いている。お前も見ただろう?カゲノリ様の非道な所業を……」

「ああ。やはり、あれは現実のことなのか?」

「間違いないと思う。キリノスケ様は亡くなられたそうだよ」

「そう……か」


 ミツナガは改めて決意を固めた様だ。


「これより我が西寺塔領はカリン様に忠誠を誓うことにした。が、その前に領内の浄化をせねばならない。イオリ……力を貸してくれるか?」

「勿論だ。では、行こうか……」


 目覚めた兵達に未だ眠っている兵の投獄を任せ、イオリ達は領主の城へと向かう。


 西寺塔領で再び結ばれた友情は、その領内の浄化を一気に加速させて行く……。


 

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