神羅平定の章

第五部 第四章 第一話 袂別つ師弟 


 雁尾領・久瀬峰にてそれぞれの役割を確認した者達は、各自目指すべき地へと散った。


 クロウマルとトビ、サブロウ、クズハはカリンの待つ釜泉郷・紐川へ。


 イオリは単身虎渓領に帰郷。ゲンマはスイレンに連れられ何処へと行ってしまった……。



 そしてイオリの弟子にして新たに雁尾の家臣となったヒナギクは、カズマサを伴い故郷の八十錫領へと向かう。



 八十錫領主の街・大之堺おおのさかいまでの旅は、ライの作製した神具で難なく移動。ヒナギクの素性も効果を発揮し、八十錫領主たるオサカベ・シシンとの面会も即座に叶うこととなる。



 しかし──ここからが真の試練の始まりだった……。



「カズマサ殿。良いですね?余計なことは一切言わないで口を閉じていて下さい」

「は、はい……」


 おっとりとした笑顔のヒナギク。流石は魔人にして剣の達人……ニコニコとしながらもその迫力は凄まじく、剣に覚えの無いカズマサにすらその威圧感を悟らせる程だ。


 そうして忠告された後、案内されたのは八十錫領主の居城天守。雁尾の城に比べるとかなり迫力ある造りで、天守入り口の襖にはまるで生きているかの様な鮮やかな虎の絵が描かれていた。


「失礼します」


 天守の間に入り即座に飛び込んで来たのは巨体の男。

 四十半ば程に見える顔は勇猛、その肉体は着物がはち切れんばかりの筋肉質……襖の虎が飛び出して来たような、今にも襲撃されそうな力強い迫力だった……。


 そして隣には、虎の傍に咲くか細い一輪の花とも言える女性がヒナギク同様ニコニコとしている……。


「父様、母様。ヒナギク、戻りまして御座います」


 三つ指を付き頭を下げるヒナギク。カズマサは慌てて後に続き平伏する。その姿は『草むらに隠れる小動物』のそれを彷彿とさせる頼りなさだ。


 数年ぶりの家出娘の帰還──しばしの間無言だった八十錫領主シシンは、その重い口を開く……。


「ひりゃっ!」


 奇声を上げた領主様は口を押さえている……。どうやら舌を噛んだらしい。


「ひ、ひりゃぎっ!」


 再び噛んだ領主シシン。目を閉じ深呼吸を繰り返した後、自らの心臓を何度も叩いて頷いている。


 ようやく落ち着いたらしいシシンは、努めてゆっくりと言葉を紡いだ。


「ヒナギクちゃ……ヒナギクよ。よくぞ戻った」

「はい、父様。身勝手で飛び出したにも拘わらず、こうしてお会い下さり感謝致します」

「親子なのだ。当然であろう?」

「はい……。母様も、ご心配をお掛けして申し訳ございませんでした……」


 ヒナギクの母・ツツジは笑顔を崩さず頷いている。


「さぁ……疲れたであろう?ここは我が家なのだ……遠慮せずに寛ぐと良い。そうだ!風呂でも浴びて……」

「父様。私はまだこの地に『帰還』した訳ではありません。一時的に戻ったに過ぎないのです」

「何……?」


 それまでの穏やかな空気にピシリと亀裂が入った……カズマサがそう感じた瞬間だった。


「私は無理矢理に婚姻させられるのが嫌でこの地を去ったのです。戻る気はありません」

「何だと……?娘が父のすることに逆らうのか?」

「ご領主として下した領内事案の決定には逆らいません。ですが、私は私の人生を他人に決められることが我慢ならない」

「ヒナギク!」

「いつもいつも、私の気持ちを蔑ろにする父様など嫌いです!!」


 娘の口撃……誰が見てもそれと判る父シシンの動揺。カズマサにはシシンの背後にガビ~ン!という文字が見えた気がした……。


「ヒ、ヒヒ、ヒ、ヒナギク!ち、父を嫌うなどと何ということを……」

「では、婚姻は取り止めて頂けますか?」

「わ、私だって婚姻などさせたくはない!だが、領地には跡継ぎが必要……私もそろそろ孫が見たいんだモン!」


 厳つい姿に野太い声で『モン!』とか言われても誰も喜ばない……。


「跡継ぎが見たいなら私が選んでも良いじゃないですか!」

「どこの馬の骨とも知れない輩にヒナギクちゃんを渡してたまるか!」

「過保護!」

「分らず屋めが!」


 ヒナギクはスラリと刀を抜き構えると、シシンも太刀を抜き放つ。そして始まったのは剣戟の嵐──。


 天守の間で突如始まった緊急事態。カズマサは狼狽した。

 しかし周囲を見渡しても誰も動じていない。侍女も護衛の兵も部屋の隅に移動しじっと見守っている。


 カズマサは益々狼狽した……。


 と、壮絶な親子喧嘩から視線を逸らすと、ヒナギクの母ツツジが手招きしている姿が見えた。

 そこは小動物カズマサ……齧歯類の如く素早く部屋の隅に移動し、ツツジの傍に辿り着く。


「驚かせちゃったわね……私はヒナギクの母、ツツジと言います。あなた、お名前は?」

「ミ、ミノベ・カズマサと申します。あ、あの……お止めしなくても大丈夫なんですか?」

「大丈夫、大丈夫。いつものことだから。二人とも久し振りだから、あんなに張り切っちゃって……ウフフフ」

「へ、へぇ~……」


 一歩も引かぬ剣と剣のぶつかり合い。笑顔のヒナギクは給仕の姿のままなので素晴らしく違和感があった。

 対する領主シシンも、実の娘に殺人者の視線を向けている様にしか見えない。


 結局、誰も止めること無く半刻程が過ぎた頃……領主とその娘は互いに笑顔を浮かべ刀を納めた後、再び座して向かい合う。


「……腕を上げたな、ヒナギク」

「父様は少し雑になりましたね……鍛練不足です」

「むぅ……このところ多忙だったのだ。仕方有るまい」


 シシンはチラリとツツジに視線を送る。が、そこでようやく隣の若者カズマサに気付いた様だ。


「……貴様は何だ?」

「え?いや、その………」

「妻から離れろ!痴れ者め!」

「は、はい!」


 ピュンと音がしそうな程素早くヒナギクの後ろに移動したカズマサは、平伏してすっかり震えている。ヒナギクはその様子に首を振り溜め息を吐いた。


「……それより父様。私が戻ったのは理由があるのです」

「理由だと?」

「はい。それは八十錫の……いえ、神羅国の未来に関わること。聞いて頂けますか?」

「話してみよ」


 ヒナギクが語り始めたのは飽くまで伝聞。しかも火鳳……キリノスケとホタルの件はまだ知り得ていないのだ。

 雁尾の件すらカゲノリ関与の証拠がない以上、本当にただ説得するしかない。


 ある意味、ヒナギクは最も説得材料が足りないとも言えた……。



「つまり……カゲノリ様では王に相応しくないから支持をやめよ、と?」

「領主の領分に口を挟むのはおこがましいと重々承知はしています。ですが、私の恩師も確かにカゲノリ様の即位を危惧しておりました」

「恩師は虎渓領の嫡男……相違ないか?」

「はい。嘘を仰有る方ではありません」

「…………」


 腕を組み目を閉じたシシンは唸っている。やがて何か考え至ったらしく、兵に人払いを命じた。


 残されたのは八十錫領主とその家族……と、カズマサ。カズマサはシシンに食い殺されそうな視線を向けられていたが、何とか必死に堪えていた。


 やがてツツジに促されたシシンは、飽くまで自分の考えと前置きし把握している情勢を告げる。


「隠密の調査も合わせた結果、カゲノリ様には領民虐殺の疑いがある。そして傍らには、それに加担している四人の強者が存在するのだ」

「四人……一体何者です?」

「わからん。が、四人ともその力はかなりのものと見た。調べた限り相当数の犠牲者が出ているのだ……」


 シシンが連ねる犠牲者の名には神羅国内でも有数の実力者が含まれており、その多くは無惨な遺体……もしくは行方不明となっているという。


「実は我が師、フウサイ様とも連絡が取れぬ」

「そんな……。フウサイ様まで……」

「我々が思うより事態は深刻やも知れぬな」


 情報不足はカゲノリをより優位に立たせる。しかし、シシンはそれでカゲノリに屈する様な男ではない。 


「今までは中立の立場だった。しかし、私はカリン様に付くつもりだ」

「父様……流石です」


 娘の賛辞に親指を立て満面の笑みで応えるシシン。時折カズマサに殺気を向けなければ良き父親と言えるだろう。


(どうしたら良い、ハクセンカク……?)


 カズマサは傍らの大太刀に触れ、刀に宿る霊獣ハクセンカクに語り掛ける。この情報を一刻も早く仲間に伝えるべきと考えたのだが……手段がない。


(勇者ライに伝えることならば出来るが?)

(本当か?頼むよ)


 ライが霊刀の刀身に埋め込んだ魔石には念話も付加されている。幸いなことにライに連絡することが可能だった様だ。


『ライ殿……聞こえるだろうか?ライ殿?』

(……。カズマサさん?どうしました?)

『八十錫領主様から得た情報をお伝えする』


 ライはカズマサの情報に驚いている様だった。


(四人も……わかりました。皆さんには俺から連絡します。それと……俺からの情報も渡しますから驚かないで聞いて下さい)


 驚くなと言われても、ライからの情報は動揺を避けられないものだった。


「そ……そんな……」


 漏れた言葉に反応したのはヒナギク。カズマサが霊刀を握っていることに警戒したが、正気を保っていることを確認し安堵した。


「カズマサ殿……どうしました?」

「ヒナギク殿……キリノスケ様が亡くなられたと……ライ殿が……」

「えっ……?」


 天守の間の空気が再び張りつめる。神羅国第二王子の訃報は、王位争いとはまた別の不安を生むことになる。


「貴様!根も葉もないことを口にすれば只では置かんぞ!」

「待って、父様。カズマサ殿、続きを……」

「はい……。キリノスケ様は衰弱で昨夜お亡くなりになったと。キリノスケ様の死そのものにはカゲノリ様の関与は無い。だけど……」


 婚約者のホタルとその家族はカゲノリに殺され、それが原因で火鳳と翼神蛇が暴走。神羅国の危機が発生した……カズマサはライの言葉をそのままに事実を伝えた。


「まさか、そんなことが……」

「カゲノリの四人の側近……恐らく一人は龍だそうです。危険だから対峙は避けろと……」

「くっ……龍までも取り込んだか」


 カズマサの言葉を疑う反面、シシンは自ら集めた情報との整合性も感じている。


 ホタルの実家、コバヤカワ家は豪商。姫山道領の港に拠点を置く『源内屋』は、突然の一家失踪で廃業に追い込まれていたのだ。

 ホタルがキリノスケの婚約者であることは、領主全員が神羅王から通達を受けている。信憑性は高まるばかりだった。


「……ならば、尚更カゲノリ様には加担出来ぬな」

「父様……」

「今すぐ対策を打たねばならぬ。カゲノリ様の側近が皆龍と並ぶ実力を持つならば、領地を落とすなど容易かろう。ヒナギク……お前は今すぐカリン様に伝……」


 シシンの言葉の途中、カズマサの脳内にハクセンカクから警告の声が響く。


(カズマサ!)

(えっ?何だ?)

(間に合わぬ!体を借りるぞ!)


 突然大太刀を抜き放ったカズマサ……ハクセンカクは、刃を天に向け突き立てた。ほぼ同時……城の天守を巨大な斬撃が襲う。


 幸いハクセンカクが張った結界で、天守の屋根は消し飛びつつも全員無事。しかし、あまりの出来事に全員動けない。


「くっ……!い、一体何が……」

『敵襲だ。今のは纏装による斬撃……』

「若僧……?いや、貴様は誰だ……?」

『我はハクセンカク……刀に宿る霊獣だ』


 カズマサの目は赤く変化し、身体中にハクセンカクと同じ紋様が浮かんでいる。


『我のことより次に備えよ。奴は遊んでいるぞ?』


 刀を肩に担いだハクセンカクはカズマサに意識を戻す。記憶は共有されているので混乱を起こすことはない。


「上空に飛翔しているのが敵です。ハクセンカクが探った限りでは他に敵意は感じないと」

「……只のお付の者と思ったが……やるではないか、若僧」

「お、お付の者……」


 そういえば恋人と紹介して貰っていなかった……そう思いヒナギクを見ると、サッと視線を逸らされた。


「………そ、それより、降りて来ますよ!」

「何だと!返り討ちにしてやる!」


 駆け付けた兵にツツジを守り下がる様に伝えたシシン。自らは刃を抜き放ち纏装を展開する。ヒナギクもそれに続き身構えた。


 降りてきたのは腰まである黒髪。白い着流しで二刀を手にした若い男。飛翔しつつ刃を鞘に納め不敵に笑う。


「貴様は何者だ!」

「フッフッフ……気付かぬか、シシン。我が弟子よ」

「弟子だと?何を言っている。我が師は一人のみ……貴様など知らんわ、若僧がっ!」


 その言葉を聞いた男は顔に手を当て盛大に笑う。


「フハハハハ!……良いぞ、シシンよ。愛弟子すら儂と気付かぬこの若き姿、素晴らしいではないか!」

「……ま、まさか……!」

「ようやく気付いたか。儂はお主の師、キダ・フウサイよ」

「馬鹿な!フウサイ様は老齢……それに飛翔の力など……」

「持っていなかったか?フフ……儂は龍の秘宝で若返り魔人となったのよ」

「なっ……!」


 本来は若返らぬ魔人化……しかし、龍の秘薬はその奇蹟を可能にした。

 金龍カグヤの血を元に生み出される秘薬は、その強き生命力を与え一度転生に近い状態で肉体を作り替える。擬似竜人とも言える形態だ。


「し、しかし、ならば何故先程のような真似を……?」

「何……主の御命令だ。許せよ、シシン?」

「主?……まさか!」

「そう、カゲノリ様よ。私の老いへの恐れをカゲノリ様は取り去って下さった。当然、忠義は果たさねばならぬからな」


 その言葉を聞いていたヒナギクは、疑問を呈する。


「主の命と言いましたね。フウサイ様は何を根拠に攻撃を仕掛けたのです?」

「ヒナギクか……久しいな。簡単な話だ……儂はしばらくこの大之堺に居た。そうして聞いていたのだ。シシン……お主の腹の内をな?」

「一体どうやって……」

「そこな壁を良く見るが良い。ソレはずっと城の中に居たのだぞ?お主らも修行が足らんな」


 残された天守の壁に浮かび上がる影は少しづつ色を変え、その姿を現す。

 緑の肌を持つ大きなトカゲは、確認と同時に天守から姿を消した。


「今のは精霊……まさか……」

「お主は良く頭が回る様だな、ヒナギク。名高き精霊使いソガ・ヒョウゴは我らに与している」

「くっ……!まさかそこまで人を揃えているとは……」

「カゲノリ様とて王を目指す器よ。力を集めるのは至極当然のこと」


 フウサイは笑みを消しカズマサに視線を向ける。


「予想外だったのはお主だ。折角苦しませずに弟子を屠るつもりが……あの力、何者だ?」

「え?えぇ~と……その……」


 チラチラとヒナギクを見るカズマサ。余計なことを喋るなというヒナギクの言葉を実直に守る忠犬の鑑の様な男だ。


「その方は私の婚約者です」


 パッと明るくなったカズマサ……だが、シシンからの殺意が激しく突き刺さる。敵より味方に殺されそうな勢いだ。


「ほぅ……では、オサカベ一族と共に滅んでも問題ないな?」

「フウサイ様……此奴を殺させる訳にはいかぬ」


 互いに刀を構えるシシンとフウサイ。カズマサを守る意を示したシシンに感動したのも束の間……シシンは声高に宣言した。


「此奴を殺すのは私だ!」

「え、えぇ~……!?」


 カズマサはガビ~ン!と衝撃を受けた……!



 そんなカズマサを置き去りに、『八十錫領主オサカベ・シシン』と『カゲノリ配下の魔人キダ・フウサイ』───葛篭心円流師弟の戦いが始まる……。


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