第五部 第三章 第十八話 天使と悪魔……そして、おっぱい。
「……まだ目覚めぬか。やはり疲弊が原因ではないのか、メトラペトラよ?」
【黄泉人】騒動の後、燃灯山よりカグヤの住まいへと移動したライとメトラペトラ。
カグヤの住まいは神羅国で最も高い霊峰……その山頂にはカグヤが自ら建てた社が存在している。
人が往来するにはかなり険しい道程にある社。しかし、どういう訳か参拝者は後を絶たないという。
それは金龍が住まうという特殊な神社であることに加え、参拝者への御利益が高いというのが理由だ。しかし、カグヤ自身には自覚がないらしい。
そんな社の奥──。ライは布団に横たわり目を閉じている。
「時折うなされておる。あの火鳳の宿主から余程のものを見せられたのじゃろうな」
「ふむ……確かにこうして見ると身体、魔力、共に万全……となると、やはり精神か。しかし、ここまで他人に同調していてはこの世は地獄ではないのか?」
「普段はアホウな振りをして誤魔化しておるがの……結局、ワシは支えてやれなんだ」
落ち込むメトラペトラの頭をスパン!と叩いたカグヤ。続いて逆の手に持っていた徳利をドカリとメトラペトラの眼前に置いた。
「なぁにを暗い顔をしておる!お主まで暗いのでは、ライ殿の意識が戻った際にまた悲しむわ!呑め!呑んで明るく目覚めを迎えてやれ!」
「……そんな気分にはなれぬわ、たわけ」
「良いから呑め!この地に湧く清浄な水でこしらえた特撰酒『金龍の涙』よ!たぁんと呑め! 」
「要らんと言っ……ぐむっ!?ぐっぐっ……プハァ!」
「どうだ?旨かろう?」
「カグヤ!キサマ……」
無理矢理酒を流し込まれ毛を逆立てるメトラペトラ。しかし、カグヤは素知らぬ顔で自らも酒を煽る。
「フン!お主は師匠だろうが!弟子を信じずして何が師匠か!ライ殿は戻って来るとデンと構えて居れば良いのだ!それを引き摺られてメソメソと……」
「キサマに何が分かる!ライは優しすぎるのじゃ!いつか此奴は全てに傷付いて壊れてしまうやもしれん!それを……」
「ライ殿は……優しいだけか?メトラペトラよ?」
「違う!此奴は………」
メトラペトラはハッ!と思い出す。悲しみに暮れながらも何度も立ち上がるライは、その度に強くなった。ならば今回だけ違うとどうして言えようか……。
「分かっとるではないか、メトラペトラよ。お主はライ殿に近い故に取り乱し冷静さを失ったのだ。もう少し落ち着け」
「ドラゴンババァ……」
「何だと、このニャンコババァ!」
カグヤはメトラペトラの口を抉じ開け再び酒を流し込む。対するメトラペトラも前足でカグヤの口を抉じ開け、鈴型宝物庫から取り出した酒瓶を口に突っ込んだ。
そんな鬩ぎ合いの最中……ライは何度も踏みつけられ奇声を上げていたが、いつの間にか自動回復する為メトラペトラとカグヤはその被害に気付かない。
「プハァ……どうだ?落ち着いたか?」
「くぅ~っ!……お主はこんなお節介じゃったかぇ?」
「ハッハッハ!まぁ、妾はお主の数少ない友だからの。それにしても、お主が本気で取り乱すなど初めて見たわ」
「フン……酒じゃ!お主とやりおうたら急にバカらしくなったわ!」
「それでこそメトラペトラよ。お~い!酒だ酒だ!酒を持て!」
拍手の合図を聞き慌てて酒を運ぶ巫女数人。その正体は龍……皆、カグヤに仕える者達だ。勿論、参拝している人間はそれを知らない。
「まさかお主に諭されるとはの………不覚じゃわ」
「何……未来の旦那のお師匠様だからの。この程度はしてやらんとな?」
「……気は変わらぬのかぇ?此奴は割りと大変じゃと解ったじゃろ?」
「ハッハッハ~!妾は出来た女だからのぅ。だが、今更取り消しは許さんぞ?メトラペトラ」
「やれやれ……安心せい。ちゃんと『楽園計画』に入れてやるわ」
楽園計画……それは一言で言うならハーレム計画。
無論、ライの考えではない。未だ乳を見ただけで骨抜きにされるライに、そんな度胸がある訳もないのだ。
「妾は構わぬが、他の者は納得しておるのか?」
「ヌッフッフ……お主より先に確認し既に二名……いや、三名は確実じゃ。他にも脈がある者は結構おるぞよ?」
「流石はライ殿だのぅ。しかし……お主、よくもまぁそんな話を考えたものよな」
「元を辿ればバベルの考えじゃがの」
強き存在の子孫を多く残すことで後の世界の脅威に対抗する……三百年前、バベルはその必要性をメトラペトラに語っていた。
事実、現在の勇者バベルの子孫は多大な成果を上げている。シンやマーナ、ルーヴェストはバベルの血が色濃く反映された存在だ。
そこにライの目指す『食っちゃ寝の為の楽園』が加わったこの計画……ライの気持ちなどお構い無しにメトラペトラは暗躍を始めていた。
「実際、久遠国の強者も勇者イネスと魔人であるラカンの子孫。魔獣や魔物の暴走を見事抑えておるじゃろ?」
「ライ殿があれ程の力ならばその子らは相当なものよな?もし妾との子が出来れば龍人……他の娘も強き力を持つのか?」
「うむ……恐らくバベルを越える子を成せるじゃろう。問題は此奴がウブ過ぎることじゃな……」
満更嫌な訳ではないだろうが、他者の気持ちを大事にしたがるライはどうあってもハーレムに踏み切らない可能性がある。
メトラペトラは、面白がっている訳ではない。ライを支えるには一人二人では足りないと考えていたのだ。
「ライが納得しない時は、狭い部屋で計画の必要性を『意味不明な言葉と映像』を交えつつ長時間切々と説明し、その素晴しさを賛同者の娘に毎日裸で添い寝させ語らせればコロリと堕ちる筈じゃ」
「………な、なんと恐ろしいニャンコよ……。というか、それは洗脳ではないか」
メトラペトラは前足で器用に耳を塞ぎニャムニャムと唸っている。“ 聞こえない ”という意思表示である。
プランその一。『それは世界の為、皆の為、そしてあなたの為だから作戦』。
必要なことだから仕方無いと言い聞かせつつしっかり洗脳・魅了……小賢しさ全開の計画である。
「ま、急いては警戒される。少しづつ少しづつ、その欲望の捌け口を準備し誘導すれば良い。……が、その為には此奴が起きねば話にならんがの……」
「フッフッフ……ならば妾に考えがある。任せよ……」
そんなエロい企みなど露程も知らないライは、深い意識の底にいた。
そこは真白の世界──身を寄せる物すらない広大な意識の中心。膝を抱え顔を伏せている子供の姿……それがライの現在の意識だ。
「ライ……」
その傍らにいつの間にか出現した人影──髪も肌も白いが目だけが金色の男は、優しく子供……ライの頭を撫でる。
男の名はウィト。ライの前世、幸運竜の人格でありライ自身でもある。しかしライは、まだそれを知らない。
「うぅ……」
「辛かったな……ライ」
「ウィトさん……また……また救えなかった。また悲しみが止められなかった」
「……全てを救うのは無理なんだよ、ライ。アローラ……神ですらそうだった。そして君の様にいつも悲しみに暮れていた」
「…………うぅ……」
膝を抱える腕に更に力を込めたライは、嗚咽し泣き続ける。
「……君の優しさは無駄では無かった。あの一瞬の光でキリノスケを探り当て彼女の魂を送ったのだろう?あの後、二つの魂が『魂の大河』に還っていったのを確認した。二人は無事、再会を果たせた」
「……でも……俺が無理矢理……波動で分離しなければ、ホタルさんは死ななかった……」
「でも、それでは彼女の心は永遠に囚われたままだった。そしてキリノスケの元にも行けず、二人の魂は別々の輪廻を繰り返すことになる。私の様に……」
ウィトは果てなく白く無限の空を見上げる。
「いや……私は待っていられるだけマシなんだろう。君には救われているよ」
「……………」
「ライ……君はキリノスケとホタル、二人の想いと来世を救った。ホタルが消えたのは魂の疲弊……波動によるものではなく魔獣と長く同化していた結果だ。それを解放した君は胸を張って良い」
「……それでも俺は……生きて……幸せになって欲しかった……」
ウィトは少し呆れた様に微笑みライの肩を叩く。
「やはり君は私と違う……私は悲劇を理解は出来ても、親交の無い相手の為に心の底から涙することは出来なかった。だけど君は今、本音で悲しみ悔やんでいる。会ったことすらない者の為に泣いている」
心の深部に沈み目覚めぬ程に深く傷付いている。
他人から見れば自己満足の陶酔に見えるかもしれない。だが、純粋に悲しみ苦しんでいることは同一存在のウィトだからこそ解るのだ。
「だけど、君はこのままで良いのか?待ってる人、やるべきこと、すべてを投げ捨てるんだぞ?」
「……………俺は……」
「私が偉そうに言えた義理ではないが、手離したくないなら前に進むんだ。君は私と違って手離さずに済む力を持っている。今も待っている者達がいるのだろう?」
「……ウィトさん……」
子供の姿から大人へ……ライの精神は再び成長を果たす。立ち上りウィトと向き合ったライは、気恥ずかしそうに頭を下げた。
「ありがとう、ウィトさん……俺にはまだやることが残っている。それを思い出したよ……」
「そうだ……君は……」
「……オッパイ……」
「え?お、おっぱい?」
突然のライの言葉に混乱しているウィト。何故におっぱい……?確かにライのおっぱい好きは知っているが、今の会話の何処にそれが繋がるのか疑問は深まるばかりだ……。
(う~ん?やり残したことがおっぱい?只の乱心か?)
そんなウィトの心配を余所にライは輝きを放ち始める。
「すみません、ウィトさん……俺は行かないと……」
「え?あ、ああ……と、とにかく、頑張って」
「はぁ~い……がんばりまぁ~す……エヘヘヘヘ」
鼻の下を伸ばしたライは精神世界から姿を消した……。
「………。あ~……そういうことか。フッフッフ……ハハハハハ!そうだな、その方が君らしい。待っている者達も良く分かっている様だ」
ウィトは屈託なく笑い再び意識の底へと眠りについた。
対するライは、浮上する意識の中その感触に惹かれる様に覚醒して行く。
そしてようやく目覚めたライは、己の現状に一瞬混乱をきたした。
ライの傍……同じ布団の中には大人バージョンのカグヤが添い寝している。しかも全裸で……。
ライはカグヤの豊満な胸を顔に押し付けられ抱き締められている状況……しかも全裸で。
(ここここ、これは!)
慌てて離れようと考えたが、そこは『助平勇者』……迷う迷う。
今の幸せな感触を手放してなるものかという意思と、これはいけないと自制する意思が鬩ぎ合いを始めた。
やがてその意思は脳内で形を成し、悪魔と天使の姿へと具現する。
「クックック……それだけで満足する貴様ではあるまい?遠慮は要らねぇ……快楽を貪れ」
「いけません……あなたは勇者。それに誠意を持って答えを出すと誓ったのでしょう?」
「ちっ……邪魔な天使だ」
「邪悪な悪魔め……」
現れたのは三つの頭を持つ禍々しき悪魔、そして神々しき光を放つ四枚羽根の天使。
(お……お前らは……)
「忘れたのか?俺はノルグーで貴様に宿った悪魔よ……」
(まさか!『アクギョさん』……だと……?だけどアクギョさんは三人だった筈。ま、まさか!)
「御察しの通り我は融合したのよ……今の我は『悪魔軍勇者堕落誘導部隊総司令──アーク業斬魔・イー』様だ」
融合しても語呂の悪い名の悪魔は、何やら偉い出世を果たしていた……!
「そして私は神聖機構勇者精神防衛室長、エロエ・ローソニアです」
(し、神聖機構の方ですか?………。エロエロさん……?)
「エロエ・ローソニアです」
なんと、天使は神聖機構の実在するお方だった……!
「私の存在を知る者は一部。私は勇者の中に宿り、その良心の力を借り悪しき欲望を払うのが役目。あなたの行動は全て見ていましたよ?」
(全て……そ、それってプライバシーの侵害じ)
「さあ!共に悪魔を倒しましょう!」
話など聞きやしないエロエロさん。対して融合アクギョさんもやる気満々だ!
「クックック……とうとう貴様と決着をつける日が来たか……!」
「悪魔め……滅びなさい!」
突然始まった天使と悪魔の脳内戦争。ライの意識世界に広大な荒野が広がり、超常なる力の応酬が始まった……。
荒れ狂う稲妻、吹き荒ぶ竜巻、割れる大地、広がる焦土……悪魔に従うモヒカンの男達が火炎放射型魔導具片手に混沌の大地を駈け、天使に従う白い法衣の者達が弓銃を乱射するその光景は正に世紀末……ヒャッハー!このイカれた世界へようこそ?
(…………)
人の精神の中で迷惑千万。だが、ライはかつてのライとは違う。今やその精神は意識世界にさえ干渉が可能なのだ。
(エロエロさん、追放!)
「な、何故ですか!」
(プライバシーの侵害は犯罪ですぅ)
「キャアァァァッ!」
ライの一言で天使エロエロさんは精神から弾き出された。
「ククク……それで良い。さあ、欲望を解放……」
(アクギョさん、消滅)
「何だとぉぉっ!」
(お前、うるさい)
徐々に薄れ行くアクギョさん。だが、最後に抵抗の言葉を吐く……。
「クックック……まあ良い。貴様が乳を好きな限り我は不滅………」
(ふん。馬鹿め……俺のおっぱいへの想いは何よりも純粋な愛だ。貴様が入り込む余地などない)
「何を言って……ば、馬鹿な!我が消える、だと?ギャアァァァッ~!」
悪魔の消滅は加速し完全に姿を消した。
(ふぅ……。さ~て、これでようやくゆっくり感触を楽しめ……)
「起きておるな、ライよ?」
(………うっ!)
天使と悪魔の戦いに気を取られている内にメトラペトラには覚醒を気付かれたらしい。
が、そこは往生際の悪い……いや、『諦めない漢』ライ。寝惚けたフリでカグヤの胸に顔を押し付ける。
「う……うぅん……」
「起きておるじゃろ?のぅ?」
メトラペトラの前足がライの頭に置かれ爪がサクリと食い込む。が、ライは堪える……必死に堪えている。
「くっ……!こ、此奴は……」
メトラペトラは最終勧告に打って出た。
「……皆に言い触らすぞよ?ライはカグヤの乳に顔を埋め“ ニヤニヤしていた ”とな?」
そこでライは初めて己のミスに気付いた。『アチャー……顔に出ちゃっていたか』、と……。
が、そこは『往生際も悪い漢』……最後は“ 今起きましたよ? ”と言わんばかりの演技で目を覚ます。
「し、師匠……お、俺は一体……」
「…………」
「はっ!カグヤさん!何故裸に………って俺も裸?」
「…………」
「きゃあ!エッチぃ!」
「シャーッ!!」
「ギャアァァァッ!!」
お惚けライにメトラペトラの『ネコ・クロスヒートスラッシュ』炸裂……ライの顔には縦横十字の爪痕が焼き付けられ、のたうち回っている………全裸で。
「全く……ワシがどれ程心配していたと思っとるんじゃ!」
「ハッハッハ。まぁ良いではないか……こうしてライ殿は無事起きたのだからの」
「にしても……まさか本当にそんな手で戻ってくるとは、どこまで助平なんじゃ……」
カグヤの全裸添い寝は確実にライを引き戻すことに貢献していた……。
「この『助平勇者』め」
「うっ!ち、違うよぉ!誤解だよぉ!」
「何が違うんじゃ?ん……?事細かに聞いてやるから存分に話してみよ?」
「そ、それは………御免なさい!吾輩、幸せでした!」
「………」
全裸で綺麗な土下座をかますライ。堕ちるところまで堕ちた残念勇者の姿は、物凄く格好悪い……。
「……ま、まぁ良いわ。で、どうするんじゃ?まだやることはある上に時間はないのじゃろ?」
「……カリンさんの方はクロウマルさんに任せました。俺は他にやることが出来た」
「……大丈夫なんじゃな?」
「ご心配をお掛けしました。カグヤさんもありがと……うっ!」
視線を向けた先のカグヤは未だ全裸。ライは股間を押え踞まるしかない。
「早よう服を着んか、痴龍よ。ライにはちと毒じゃぞ?」
「誰が痴龍だ……仕方無い。ライ殿の服も用意しようかの。それと昼食も用意させるから、しばし待つが良い」
そう言い残すとカグヤは全裸のまま去っていった。
時間にすれば僅か一日足らず……それはライの心を癒すには短い時間だった……。
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