第五部 第三章 第十七話 蛍火

「諦めよ、ライ……お主が嫌ならばワシが代わるぞよ?」


 火鳳を浄化する方法が見当たらない……それでもライは諦めない。


「お願いします。もう少しだけ……」

「…………」


 その間にも再生する火鳳。再生する度に火鳳は知恵を付けて行く。ライの攻撃を学習した火鳳は、より有効な攻撃を選択し始めた。


 再生した火鳳が最初に行ったのは、高熱で発生した気流に自らの羽ばたきを加えること。気流は竜巻を生みライの周囲を取り囲む。

 そこへ更に自らの炎を加えた灼熱の竜巻……ライは即座に《具現太陽》五つを自らの周囲に展開。迫る炎の竜巻を吸収し防いだ。


 しかし次の瞬間、火鳳はライの上空より高速で突撃を掛ける。素早く躱し魔法を展開しようとしたのも束の間、灼熱の尾羽がライの身体を打ち付けた。


「グアッ!」

「馬鹿者め!油断しおって!」

「ち、違う、師匠!今のは!」


 即座にチャクラによる《解析》を再使用。そこに映された情報にライは困惑する。


「コイツ……進化してやがる!」

「何じゃと?」


 嫌な予感はしていた。先程の風の操作は一度目の《解析》に表示されなかった能力なのだ。しかし、今現在の解析結果は《気流操作》《火焔旋風》という能力が加わっている。

 それだけではない。先程の尾羽の攻撃は圧縮魔力に由るもの。《紅蓮の尾翼》と表示されたそれは、ライの《炎焦鞭》と同じ効果を発生させていた。


 たった一度受けた圧縮魔法を理解し同様の効果を生み出す……火鳳の進化は尋常ではなかった。


「一体何じゃと言うんじゃ、此奴は……」

「こっちが聞きたいですよ……幾ら何でも成長が早過ぎる」

「くっ……恐らくじゃが、骸たる宿主から力が流れ込んでいるのじゃろうな。精霊や聖獣などの進化は魔力に由るものと先程言ったじゃろ?追い込まれた黄泉人の中で魔獣の意志が強まり魔力流入が増えた……その結果じゃろう」

「そんな急な進化が出来るんですか?」

「普通はその存在に負担が掛かり過ぎる為、無理じゃ……じゃが……」

「不死身の火鳳なら可能か……クッソ!やり辛れぇ!」


 そんな会話の間にも新たな技が増えて行く。

 羽ばたきによる冷却と炎を利用した温度差の視界錯覚……所謂蜃気楼。通常の精神干渉幻覚と違いかなり朧気だが、確かに虚像を発生させ惑わせる。


 迫る火鳳を《氷壁陣》で防ぐつもりだったのだが、それは幻影……そう気付いた時、既に火鳳は真下より迫りつつあった。


 流石にこのままでは不味いと判断したライは、五つの《具現太陽》を高速回転させ一気に全ての炎を取り込む。

 同時に四体の分身を発生させ、再び火鳳の魔力を奪う選択を行った。


 魔力の奪取と再生……拮抗した状態で動けなくなった火鳳。この間に対応を考える為、ライは意識拡大・意識加速による並列思考を繰り返す。

 あらゆる可能性……新たな力である精霊契約すら含め、持ち得る全ての力を再確認し幾通りもの仮定・検証を続けた。


 しかし、その殆どが挫折への答えに繋がると知り無力感が膨らんで行く。


「決め手が足りない……。いや……まだだ!」


 そんな中………ライは、まだ試していない力に辿り着く。同時にそれは、信じられない事実を明らかにした。


「波動が………」

「何じゃと……?」

「何で直ぐに気付かなかったんだ……火鳳から波動を二つ感じるんです。信じられないことに宿主の人、生きてますよ」

「なっ!何じゃと?……ま、まさか!」


 波動吼の師たるトキサダは、波動についてあらゆる存在が持ち得るものと説明していた。但し、物などの波動は生物に比べ弱いのだとも……。


 もし黄泉人……魔獣の宿主が死んでいるのならば、遺体は魔力を宿していてる物質に過ぎない。例えるならば魔導具のそれと変わらない筈。

 しかし目の前の火鳳から感じる二つの波動は命あるもののそれと区別が付かぬ程に強い。つまり、宿主は生きている可能性が高いのだ。


「生きているじゃと……?そんなことが……いや、火鳳の性質と同化を起こしているなら或いは……」


 死して甦る火鳳……その宿主ならば、死からの再生も起り得る。それはメトラペトラと言えど否定は出来ない。


「じゃが、ライよ……生きているとしても分断が出来るか分からんぞよ?」

「それは……」


 確かにその通りである。事実が判っても打てる手が無いことには変わらないのだ……。


「どのみち、このままじゃ倒すか封印するしかない。封印して先送りにするべきでしょうか?」

「……当てがあるのかぇ?」

「クローダーを救えるだけの力を得られれば魔獣と人の分離も可能かと……」

「ふぅむ……この状況で封印しても、火鳳に自爆されて結界が消し飛ぶ恐れもある。今のところ有効なあの《混沌陣》とやらか……維持時間はどのくらいじゃ?」

「研鑽が足りなくて一刻持ちません……。それに長期の封印となると精霊か聖獣達に力を借りて結界を……」

「それも無理じゃろうな……《浄化の炎》の真逆……魔獣たる今は《侵食の炎》とでも呼ぶ力を持ち得ておるのじゃろう。恐らく精霊や聖獣では黄泉人の侵食を受ける可能性が高い。それ以外の封印ではコウガ達の様に時間的犠牲を強いる結果となるやもしれぬ。特に今、お主は優先してやるべきこともあるのじゃろ?……結局、本末転倒じゃ」


 ドレンプレルで見せた【神衣】の片鱗ならば、或いは完全に封印することが可能かも知れない。しかし、あの時ライ自身が言っていた様に再び出来るかは甚だ疑問だ。


「………フェルミナなら……何とか出来ませんか?」

「分離をした後なら或いは……今の状態では火鳳と人の存在が重なっておるからの。ただ、聖獣転化はお主にしか出来ぬぞよ?あれは心の領域から引き戻す行為……今の大聖霊の力では封印が邪魔をしてそこまでのことは出来ぬ」

「………少し……考えさせて下さい」

「好きにせい。じゃが、お主の選択がどうであれ、そして結果がどうであれ『本来なら救えぬ相手』の為に尽力しているのじゃ。悔やむでないぞよ?」


 メトラペトラの言葉には答えず黄泉人へと迫ったライは、再び《混沌陣》を発動。結論に一刻程の猶予を得た。



 一時の猶予の中で地平の彼方に沈む太陽を見詰めたライは、想いを巡らせる……。

 今頃クロウマル達は久瀬峰で休息を取っているだろう。カリン姫と連絡は付いただろうか?カリン姫はキリノスケの命が尽きることに涙していないだろうか?コウガとアサヒはキリノスケを僅かでも楽にしてやれているだろうか?


 ふと、黄泉人……魔獣の宿主にも待っている人がいるのではないか?という考えが過る。ならばやはり殺したくない。では封印すべきだろうか?しかし、フェルミナを危険に晒したくない……やはり倒すべきか?


 思考加速を使わずゆっくりと己の心に問い掛ける。その間にも二つの上弦月はゆっくりと空を昇り始めた。



 結局有効な答えを出せぬまま一刻近くが過ぎようとした頃、地上からボンヤリと輝き昇る龍の姿が一つ……。


「カグヤか……地上はカタが付いたのじゃな?」

「うむ……で、どうなっておる?」

「アグナの解放はもう把握しとるじゃろ?奴は黄泉人をどうするかで迷っておるんじゃよ」

「災害たる黄泉人を救うつもりか……。しかし、それは……」

「それがライじゃよ。今までそうして敵すら救ってきた。じゃが、……」


 幾ら幸運を持とうとも抗えぬ流れはある。其処に行き当たった時、ライの心は酷く傷付くだろう。メトラペトラにはそれが怖かった……。


 そんなメトラペトラを、巫女幼女に変化したカグヤが抱き締める。


「すっかり可愛くなったのぅ……昔は敵とあらば容赦なく消し飛ばしておったのに。のぅ?メトラペトラよ」

「うるさいわ」

「だが、ライ殿ならば或いは不可能すら乗り越えるのではないか?」

「そうじゃの……アヤツは全部巻き込んで、取り込んで、ワシの想像を超えてくる」


 しかし、それは喜びだけでなく悲しみも怒りも全てを飲み込むのだ。救えなかった際には何度落ち込んでも慣れることすらないのである。


 そんなメトラペトラの不安を置き去りに、時は無情に進む……。ライは遂に結論を出すことになった。


「……やはり封印しましょう。俺は宿主を危険に晒したくない。今から新たに封印術を作ります。もう一度 《混沌陣》を掛けた後で………」


 メトラペトラはライの決断を尊重するつもりだった。だが───ここで異変が発生する。


(私を……解放して……)


 耳を疑う一同。今のは直接頭に語り掛けてきた……つまり念話だ。


「誰じゃ!カグヤの悪巫山戯かぇ?」

「こんな状況でそんな不謹慎な真似はせんわ!……だが、今のは女の声?」

「女……」


(私を……解放して……。お願い……早くしないと……)


 再び響く声の元は《混沌陣》の中から発されていると気付き、ライは慌てるしかない。


「どうやって……あの中では力も意識も安定しない……念話なんて無理な筈だ」


(お願い……時間がないの……お願い……)


 あまりに切実に語る声にライは惑う。メトラペトラは再び意思確認を行った。


「黄泉人に意識があるとは思えぬ……じゃが、策を弄する賢しさがあるとも思えぬ。初めての事態ばかり……どうするかはお主が決めよ」

「……………」

「先程封印を迷ったのは、何か考えがあったのじゃろう?」

「……波動吼を使えば分離出来るかもしれないと思ったんです。トキサダさんには直接打ち込むことは禁忌と言われたけど、火鳳の二つの波動を分離することは出来るんじゃないかって……でも」

「何が起こるか怖い、か……」

「でも……この声が嘘にも思えない。だから……」


 覚悟を決めたライは分身を発生させ《混沌陣》を解除した。そのまま魔力を奪った火鳳に波動を流し込む。


「もう少し……頼むから上手く……」


 最後に【波動吼・鍾波】の要領で【天網斬り】を押し込んだ途端、激しい波動が大気すら揺らした。


「こ、これは……!」

「波動の余波か!大気にまで干渉を起こすとは……」


 同時に火鳳は夜を激しく照らす炎を上げると二つに分離……人型の炎は分身が受け止め素早く消火。鳥型の炎には本体ライが一気に聖属性魔力を逆流させる。

 鳥型の炎は輝きを増し白い炎を上げそのまま姿を消した。


「火鳳は……どうなった?」

「聖獣転化して消えた様じゃな……恐らくアグナの聖地に跳んだのじゃろう」


 ライの左腕……アグナの紋章の翼には神代文字で『二』と表示されている。


「ほ!……とんでもない男だの、ライ殿は……」

「全くじゃ。弟子にしておきながら何じゃが、トンでもない奴じゃよ」


 しかし……ライの表情はどこか冴えない。本体ライは急いで火鳳と分離した人型へと近寄り、回復魔法 《無限華》を使用している。


 人型は若い女……長い髪の美しい女性だが、その手足は両方の肘・膝辺りで断たれていた……。


(惨い……でも、これなら命に問題ない筈だ……。後はフェルミナに頼めば手足も……)

「………さま……」

「意識が!し、しっかり!いま傷を癒しているから……」

「……キリ……ノスケ…さま……」

「え……?」


 女は掠れた声で確かにキリノスケの名を呼んだ。


「あ、あなたは一体……」


 しかし、女はライの問いに答えない。その顔はどこか恍惚としていて、抱き抱えているライにすら気付いていないのだろう。


「……キリノ……スケ……さま…。いま……おそばに……」


 やがて女の身体は少しづつ火の粉を上げ崩れ始める。まるで蛍の様に漂いながら、ゆっくりと身体から散り始めたのだ。


「そんなっ!回復魔法を掛けているのに何で!?」


 だが、火の粉は止まらない。熱を孕まない火の粉はやがてライの身体を通り抜け始める。

 流れ込んだ火の粉は数々の記憶をライの脳裏に映し始めた。


 それは女の記憶……ライはただそれを見ていることしか出来ない……。


「あぁ……ああぁ~っ!」

「ライ!しっかりせよ!」

「そんな……あんまりだ……あんまりだぁぁ━━っ!」

「ライ!」


 やがて女はその身全てを火の粉に変え、ライの腕の中から温もりを……重ささえも失った……。


「うぅ……うわぁぁぁぁぁぁぁ━━━━っ!!」


 悲しき咆哮が空に轟く───。


 同時にライは激しい光を放ち、ほんの一瞬ディルナーチ全土を真昼の様に照らした。

 力尽きる様に落下を始めたライは、手で目を被い嗚咽を続けている。


「くっ……!しっかりせい、ライよ!飛翔せんか!」


 メトラペトラが動き始めるより早く、カグヤは金龍に姿を変えた。その大きな身体で落下するライを優しく受け止める。

 光に包まれゆっくりと地上へ降り行く光景──それは周囲の龍や人の目にさぞ神々しく映ったことだろう。




 同時刻───遥か離れた神羅の領地・釜泉郷では……。


「何かしら……?急に空が明るく……」


 長い髪を団子の様に束ねた若く美しい少女は、窓の外に視線を移している。

 その傍には床に伏せる痩せた男の姿が……。


「コウガ様……今のは……」

「うむ。ライ殿の魔力を感じた……」


 伏せる男の傍にはもう二人……若武者と着物の女性の姿もあった。

 銀龍コウガと赤龍アサヒ……二人は日暮れ少し前に釜泉郷に到着し、キリノスケを見舞っていたのである。


「ライ殿……コウガの言っていた方か?」

「キリノスケ、目が覚めたのか?」

「ああ……お前達の癒しの術が効いたのかな?何か急に身体か楽になった。カリン……済まないが起こしてくれるか?」

「はい、兄上……」


 窓の外から視線を戻した少女……カリンは、キリノスケの身体をゆっくりと起こし肩から羽織を掛ける。


「本当に……大丈夫なのか?」

「フフフ……何……今更大丈夫も無いさ。私は間もなく死ぬ」

「兄上……!そんなことを仰らないで下さい……」

「カリン……お前には世話になったな。感謝している」


 自らの肩で震えるカリンの手に己の手を重ねたキリノスケ。その手は細く白い。


「カリン……王家の掟に縛られることはない。自由に生きなさい。お前は神羅国の王族としては優しすぎる」

「はい……はい……」


 溢れ出る涙が止まらず啜り泣くカリン。キリノスケは泣くなとは言わない。自分を思ってくれる涙を否定することはしない。


「コウガ、そしてアサヒ殿……翼神蛇の件、迷惑を掛けた。精霊達をありがとう。本当はライ殿にも感謝を伝えたかったが……」

「それは俺が伝えておこう……。………。キリノスケ……最後にもう一度だけ確めたい。何とか生きる気は無いのか?人の生から外れるなど、魔人の多いこの大陸では些事ではないか……」

「ありがとう、我が友よ。でも……これで良いんだよ。もう迎えが来ている」

「……迎え?」


 キリノスケはまるで浮くようにフワリと立ち上がる。突然の出来事にカリンだけでなくコウガ達も我が目を疑った。


「来てくれたんだね、ホタル」

(はい……ずっと……お会いしとうございました)

「私もだよ……ずっと……ずっと会いたかった……」


 キリノスケは軽い足取りで縁側へと歩みを進める。視線の先には、いつの間にか大量の蛍が舞っていた。

 その蛍の中には着物姿の若い女性が佇んでいる……。


「ホタル様……」


 カリンの声に気付いた女性……ホタルは優しく首肯き微笑んでいる。


「もう、何処にも行かないでくれるかい?」

(勿論です……もう、二度と離れません)

「私もだ……二度と離さない……。あんな苦しみはもうゴメンだ」


 抱き締め合った二人の周囲を蛍が祝福するように漂う。


「ああ……。ようやくだ……ようやく私は……そなたの元に……」


 その言葉を最後に蛍は眩く輝き、一斉に舞い上がった。それは月よりも強く、そして優しい光……蛍はやがて光の柱となり天へと昇って行く。


 やがて全ての蛍が去った後……縁側にはキリノスケが眠るように倒れていた。その顔は本当に幸せそうで、だからこそカリンは尚更涙が止まらなかった……。


「うぅ……兄上ぇ……」

「キリノスケ……良かったな。最後に想いを遂げられたんだな……」


 コウガもその涙を止められずにいたが、友の幸せな最後を嬉しくも感じていた。その手はアサヒの手を強く握り締めている。



「カリン殿……辛いだろうがキリノスケを弔ってやらねば。残された我々には先に逝った者が安心出来るように生きる義務がある。きっとキリノスケは、天からカリン殿を見守っている筈だ」

「は……い……」

「力が必要ならば遠慮せず言って欲しい。それが我が友キリノスケへの義でもある」

「ありがとう……ございます……」



 黄泉人から始まったディルナーチ大陸最大の危機は去った……。


 しかし、そこに至るまでに数多くの悲しみがあったことを民が知ることはない。それどころか、大陸に危機があったことすら気付かないだろう。


 特に異国の勇者がその心に傷を負い、また己の選択を深く後悔することなど知る由しも無いのだ。



 それでも……月の光が世界を等しく照らす様に、世界の時は等しく止まらない。ライが深い悲しみに沈む間にも、陽は昇り時間は過ぎて行く……。



 アグナと火鳳の解放翌日……ライは未だ目を覚まさない。




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