第五部 第三章 第四話 為すべきことを


 純辺沼原から雁尾領主の元へと目指すクロウマル、トビ、ゲンマ──そしてライは、修行しながらの移動を続け領主の街『久瀬峰』まであと僅かという距離に迫っていた。



「一雨来るかと思ったが……雷鳴だけで済んだか」


 空を見上げたゲンマは、消え行く雷雲に視線を送りつつも走る足を止めない。


「今のは龍の声ですよ。ある龍がディルナーチ全土の龍に危機を伝え協力を頼んだんです」


 ライはやはり足を止めずに現状を説明する。



 今、ディルナーチ大陸に起きている事態───火山に封印された魔獣なる存在……。

 そしてその移動で大地が刺激され、大陸全土に活性化が起こる可能性……それらは既にクロウマル達にも伝えてある。


「……しかし、ライの話が本当ならば大陸全土に連絡し避難をさせなければならないのでないのか?」


 久遠国にまで影響を及ぼす恐れがある以上、やはりクロウマルやトビとしては行動を起こしたいのが本音だろう。


「実のところ影響の程が分からないんですよ。全く影響が無いかも知れないし、微弱な揺れで済むかも知れない。かと思えば大陸全てに及ぶ可能性もある……それに」

「それに……何だ?」

「曖昧な情報で民を避難させるのは無理でしょう?」

「………確かに余計な情報は却って混乱を生む、か……」

「避難させるにしても、ディルナーチ大陸全土の民……避難となれば問題が山積みです。避難先の確保、食料の確保、避難もいつまで続くか分からない」


 無論、ライも対応を考えてはいた。【御神楽】への避難や、メトラペトラの《心移鏡》でペトランズ大陸に避難させる方法も……。


 しかし、それすら順調に進めばの話。通常、その準備だけでも半月以上を要するだろう。ディルナーチ大陸に住まう人間の数は一億近く居るのである。

 更に神羅国側に限って言えば、王にそれを信用させる程の功績も繋がりも無い。避難を実行に移すのは困難と言えた。


「その……火山というのは?」

「大陸北西にある『燃灯山』という活火山です」


 ゲンマは何処か納得した様な顔で唸っている。


「成る程、燃灯山か。あそこが噴火すれば大地が割れるなんて囁かれてはいたが……まさか魔獣が封印されているとはな」

「封印されたのはここ二年程のことらしいですけどね……」

「で、お前は何か考えがあるんだろ?」

「そこで話が戻るんです。この大陸の龍は協力を申し出てくれました」

「そうか……それで先刻さっきの雷鳴の話か」


 龍の力は自然の体現とも言える。魔力を元にしているが、魔法以外にも自然に干渉する力を持っているのだ。生物でありながら雨雲や雷、風、雪、地震すらも操り精霊すら凌ぐ力を有する……それかドラゴン族という存在──。

 そして、その力を以てすれば大地の異変は防げるとライは確信していた。



 話を聞いたクロウマルは足を止めしばし思考を逡巡させているが、ようやく覚悟を決めた様だ。


「………わかった。龍が力を貸してくれるならば信じて任せよう。……我々は龍への感謝を忘れてはならないな」

「多分、龍側もそういった民の気持ちに応えている部分があるんですよ」


 実のところ、ライは今回どうしたら良いのか全く自信が無かった。いつもの如くその異常とも言える力を行使しても、全てを一人で担うには問題が多過ぎるのである。

 特に『翼神蛇』は、ライが対峙した中で最大の魔力量を誇る相手。純粋な力だけならば魔王アムドを凌駕しているのだ……。


 取捨選択……ライは自ら苦手と語ったそれを行わねばならない。そんな中で、火山の鎮静化を高い確率で果たせる【龍】の存在は運命だったとも言える。

 加えて、ディルナーチの人間は龍を神格化して扱っているのだ。説得力は十分だろう。


「龍達もこのディルナーチ大陸を愛している。人との諍いを避ける為に、殆ど見掛けない程自然の中に溶け込むように暮らしている。だからこそ身を賭してくれるんですよ」

「そうか………そうだな」

「それと、今から【御神楽】に連絡しようかと思います。恐らく全て見ていて対応を始めていると思いますので、もし何かあった場合はラカンさん達と対応して下さい」

「その必要はありませんよ、ライ殿」


 その場に響いた涼やかな女性の声……その主に一同は視線を注ぐ。


「相変わらずですね、ライ殿は……」

「スイレンちゃん!」


 リクウの娘にして御神楽の剣士、スイレン。【御神楽】の連絡役として行動する彼女がこの場にいる……それは即ちラカンの意志。


「スイレン……久しぶりだな」

「はい、クロウマル様。お久し振りです」

「貴公が来たということはラカン様の命か?」

「はい。今回は伝言役として来ています」

「伝言?」


 魔人の保護以外では率先しては動くことはない【御神楽】。だが今回は、ラカンの意思で事態の支援行動を取っているとのこと。


「ラカン様は“ 大地は龍達に任せよ。各々は為すべきことを行え ”とだけ伝えよ、と」

「ラカン様の未来視か……」

「それと……私もクロウマル様に同行せよと言われました。皆様は『久瀬峰』に向かうのでしょう?」

「そちらが本来の目的だったからな。………。本当に大丈夫なのだな?」

「地の乱れは間違いなく龍が抑える、ラカン様のお言葉です」

「……わかった」


 クロウマルはゲンマに向き直り頭を深く下げた。


「お、おい!何だ、いきなり?」

「私は貴公のことを考えず久遠国のことを優先して考えてしまった……純辺沼原の住人のことも忘れて、だ……」


 この言葉にゲンマは盛大に笑いクロウマルの背中を叩いた。


「馬鹿野郎……どんだけ真面目だ、お前は。次期国王が自国の民を気に掛けなくてどうすんだよ」

「しかし……」

「俺はライが龍に任せたと言った時点で覚悟を決めた。だけど、お前はそう簡単な話じゃないよな?」

「………ゲンマ」

「別に俺もライを信じたから覚悟を決めた訳じゃないぞ?単純な話、結局のところ俺達はディルナーチを離れることは出来ない……只そう思っただけのことさ」

「……一時的な避難は考えないのか?」

先刻さっきライも言ったろ?全員の避難は現実的じゃない。それに戻った時に純辺沼原が無くなっていたら俺達は絶望しちまうだろうからな……あの地はハクテンコウが守っているんだ。離れるつもりはない」

「……………」

「まぁ、俺のは飽くまで民としての思考だな。何でかねぇ……こんな酷い状況でも国を離れる気にならないのは」

「……いや、分かる気がする」


 神羅・久遠両国の先祖、百鬼一族は異界を渡る際に一度故郷を捨てている。そうして手に入れたディルナーチという安住の地。祖先からの血が故郷を二度捨てることを拒んでいるのではないだろうか?クロウマルはそう考えていた。


「それに、異人であるライが命を賭けようとしているのに、俺達が逃げるのは筋が違うって疑問もある。何が出来るって訳じゃないがな?」

「……そう……だな。ライの方は……本当に大丈夫なのか?」


 この問いにライは一瞬躊躇したが、穏やかな笑顔で返した。


「どうなっても魔獣はこの国から排除しなければなりません。それだけはやり遂げます」

「安心しろとは言わないんだな……」

「今回はちょっとばかり相手が悪いんですよ。戻れるかも分からない」


 かつてない程真剣な言葉……そんなライの背中をトビは思いきり叩く。


「痛っ!な、何ですか、トビさん?」

「俺の知るライとかいう勇者は、一度決めたことを取り止めない諦めの悪い男だ。……止めるんだろ、『首賭け』を?」

「……トビさん」

「ならば手早く済ませろ。俺の協力を無駄にするな……そういえば分身は負担にならないのか?」

「今の俺は自律分身……本体と記憶を共有していますが、こっちの役割を優先した独立型ですよ」

「また器用な真似を……」


 自律分身は自らの修行の為に編み出したもの。同一思考の状態では自らの剣技研鑽に向かなかった為に、意識を切り離して思考を独立させた分身である。


 設定により思考の方向性や同期、能力、維持時間を調整することが可能で、現在の分身体は記憶を共有している。


「……ともかく、俺達は雁尾領主の元に向かおう。こちらはこちらでやることが沢山あるのだろう?」

「そうですね……トビさんにはやって貰いたいこともありますし」

「フッ……そうこなければな。クロウマル様、それで宜しいですか?」

「わかった……では、行こう」



 新たにスイレンを加えた一行は間も無く雁尾領主の街、『久瀬峰』に到着を果たす。



 久瀬峰は、雁尾領内にある他の街より少しばかり高地に創られた街である。

 雁の姿をした巨大な聖獣が去った後、領主が領内を見守る為に築城したのが始まりと伝わっていた。



「……随分と人が多いな。久瀬峰はこれ程人の往来があるのか、ゲンマ?」

「いや……普段はもっと少ない。以前来た時は祭りがあったが、この半分以下だった」

「……では、何かあったと考えるべきか」

「あ……これ、俺が呼んだんです。龍神様を騙って集めたんですけど、その後で龍と出会して思わず土下座しちゃいましたよ。アハハハハ……」


 全員がジト目になりライに視線を送る。どう考えても説明が足りていないライは、目立つ白髪を隠す為に頭には天蓋を被っている。その為、表情が判らない。


「………お前は毎度毎度、勝手に動き過ぎだ。洗いざらい説明しろ」

「いやぁ……領主との対決をするなら領民に監視させれば不正出来ないでしょ?という訳で領内全ての街で龍神の名で触れ回って来たんです。だから、まだまだ集まる筈ですよ?」

「雁尾領内全員が集まるのか?」

「流石に全員は無理ですね……仕事によっては残る人も居るし、老人達には移動も一苦労でしょうし。結構大変でしたよ?残った人達の安全確保とか、移動する人達の護衛とか……」

「………そうだった。お前はそういう奴だったな」


 明らかに呆れているトビだが、そんなライを理解してもいる。久遠国・飯綱領の騒動でも似たような行動を起していたのだ。



 今回は領主の決闘を正しき形にし、より多くの領民がそれを目撃する必要があった。揺るがぬ事実をより広く周知することが目的だったのである。

 だが、そうなると人手の減った街の治安や移動する民の安全を確保する必要があった。


 そこで各地に散ったライの分身体を利用し、大人の膝下程の大きさを持つゴーレムを作製したのだ。十九体の分身がそれぞれ三体づつ、計五十七体。

 それを移動する民や各集落に残った者達の護衛に配置。余りは周囲を巡回し危機の排除に回した。


 自然魔力を元に動くゴーレムは、魔力が切れれば岩に戻り魔力回復する半永久自律稼働型。破壊されても再生する特製のもの。

 機能は単純。明確な敵意と悪意に反応し、それを実行しようとした者をタコ殴りにする。但し、盗賊や民、男女の区別すら出来ないので民もその対象にされる可能性がある。


 正当な理由を持つ復讐を否定しないライだが、ゴーレムはそれも許さないことになる。ライがそれに気付かなかったのは単純に余裕がなかった為だ。



 後に語られるディルナーチ大陸百物語【雁尾の膝丈小僧】───民が困った時、影ながら手助けをするが民の悪さも許さない存在。子供を躾する際に引用されることは余談である。


「……お前、毎回そんなことやってるのか?ウチの街でもやってたし」


 ゲンマは妙に感心している。対してトビは明らかに呆れていた。


「そんな労力を使ってる場合なのか?」

「アハハハ……いや、だって俺のせいで犠牲者とか嫌なんで……それに今回は魔力しか使ってないからすぐ回復しますし」

「………フゥ……まあ良い。それで、これからどうする?」

「少し休憩しましょう。皆さんを回復させてから改めて説明を」



 適当な宿を見付け休憩を兼ねた昼食、そして行動の協議が始まる。


「まず誰が戦うかなんですけど……」

「それは俺がやるんだろ?神羅国内のことは神羅の民がやるのが筋だ。それに久遠の民であるお前達が戦えば問題になるだろう」

「わかりました……ゲンマさんにお任せします。そうだ。具体的に決闘の決まりとかってあるんですか?」

「一対一なら制限は無しの魔導具・神具何でもありだ。それだけでも本来領主が有利なんだがな……」


 通常、民が戦闘向きの魔導具など手に入れられる訳もない。神具であれば尚更のこと……対して領主には、国王から与えられた魔導具が存在する。

 そんな状況で領主と対峙するのは当然命懸け。それでもやらねばならない民の覚悟を汲んだのが領主と民の一騎討ち制度である。


「まあ、ゲンマさんが相手なら問題は無いでしょう」

「どうかな?神羅国にも一応使い手も居る。お前らの国では天網斬りと言ったか?あれに近い技もある」


 ゲンマの話では天網斬りの様に【万物両断】にまでは至らないが、かなりの切れ味を誇る技があるのだという。


「魔法防御くらいならあっさり切り裂くって話だぞ?」

「それはちょっと興味深いから見てみたい気もしますが……まあ、それでもゲンマさんは心配してませんよ」

「ライは随分買ってくれてるが、根拠は何だ?」

「手合わせしたでしょ?俺の見立てではゲンマさんは素手で下級の魔獣と渡り合えます。不完全ながら【黒身套】を使えるとはそういうことなんですよ」


 加えて純辺沼原を守る為に独学で鍛練を続けたゲンマは、並外れた戦闘技量を持っていた。それを圧倒したライが異常というだけで、本来なら領主になれる器である。


「そもそもゲンマさん、どこで鍛練したんですか?戦いの型も微妙に様になってますし」

「ん?ああ……元は俺の爺様から習った体術だ。途中で爺様が死んだから完全な技じゃない」

「それは残念でしたね……」

「まあ、お陰で純辺沼原の長として守る力くらいは身に付いた。時折腕試しに出て実戦を積んだのが今の体術だ。何でも古い流派らしいが……名前も知らん」


 完全な我流ではなく、流派と我流の掛け合わせ。故に無駄が少なく、型に嵌まらない。それが上手く噛み合っているのがゲンマらしい。


「ゲンマさんの実力に神具が備われば決闘の方は問題ないでしょう。そこで問題は二つ……一つは雁尾兵の動向。大勢の民が見守る邪魔は出来ないでしょうけど、影から決闘の邪魔を仕掛けるかもしれません」


 トビは頷いている。逆の立場ならそう行動を取るだろうという隠密の予測だ。


「俺達はそれを防げば良いのか?」

「いえ……面倒なので兵には眠って貰います。それは俺が担当しますけど、問題は二つ目」


 領主を倒した後、誰が新しい領主になるのか?という単純な話ではない。領主の役割を担い兵を纏め上げられる人物に、全く心当たりがないのである。


「そもそも、神羅国側の知人が殆どいないんですよ……」

「ゲンマじゃ駄目なのか?」

「ゲンマさん、領主やりたいですか?」


 視線を集めたゲンマは肩を竦め首を振っている。


「俺は純辺沼原の長だぞ?領主になるとあの地を離れなければならない。真っ平御免だ」

「かといって我々は久遠の民。成る程……これはかなり問題だな……」

「そうなんですよねぇ……どうしましょ?」


 悩む一同。そんな中、事態解決の糸口となったのはスイレンの持つ書状だった……。


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