第五部 第三章 第三話 燃灯山の魔獣


 メトラペトラの《心移鏡》により移動した先は、燃灯山の火口が見える上空……。


 岩肌が剥き出しとなっている燃灯山は、火口から朦々と噴煙を上げている。火山ガスが植物の育成を阻害している為、山岳の周囲一帯は禿げ山と化していた。



「師匠、ここ知ってたんですか?」

「まぁ、たまたまのぅ?……因みに裏返ったであろう聖獣も知っておるぞよ?」

「強いですか?」

「強い……しかも、とてつもなく厄介じゃぞ?【翼神蛇アグナ】と言ってな……その名の通り神の力の一部を持っておる」

「それって大聖霊と同じ……?」

「ワシら大聖霊の力は、【創世神ラール】の力を写し分けた存在じゃ。じゃがアグナは、二代目の神【大地神アルタス】の力を切り分けた存在。大聖霊のワシやその契約者たるお主を除けば、恐らくこのディルナーチ最強と言って良いじゃろう」


 二代目の神アルタスは大地を肥沃化し、様々な植物を世界に根差した存在──。

 その力は全ての植物と大地の支配。加えて、植物を育む太陽の具現化だったとメトラペトラは告げた。


 その一部とはいえ、神の力を持つ存在である【翼神蛇アグナ】は別格であることは確かだろう。


「今までは他者を傷付けたくないお主の気持ちを汲んで手出しせんかった……じゃが、今回はそうも行くまいのぅ」

「……確かにそんな場合じゃないですね」


 燃灯山の火口を凝視しているライは、チャクラの《解析》で魔獣の力を測っている。


「……アサヒさんにお願いがあるんですが」

「何でしょうか?」

「近隣の住民に避難を呼び掛けて貰えませんか?」

「私が……ですか?」


 人に興味を持たないアサヒだが、今はそんな場合でないことは理解している。アサヒが躊躇ったのは、自分の言葉を人間達が信じるか不安だった為だ。


「寧ろアサヒさんにお願いしたいんです。この国の人達は龍を神の様に崇拝してますし……それを理解しているからコウガさんは身体を張ってくれたのかと……」

「……わかりました。お任せ下さい」

「お願いします」


 龍の姿に戻ったアサヒは、燃灯山噴火の危機という名目で近隣への避難呼び掛けに向かった。



「メトラ師匠。取り敢えず今から精霊と銀龍……コウガさんに呼び掛けて、現状把握します。念話は繋いだままにしますから一緒に策を考えて下さい」

「良かろう……」

「……この規模の火山が噴火すると久遠国にも被害が出ますよね?」

「うむ……最悪、大地が割れあちら側にも火山活動が始まるやも知れんからの……」

「……何とか止めないと」


 念話による会話を試みたライ。【流捉】と感知纏装で銀龍の位置を把握し語り掛ける。幾度かの呼び掛けに気付いたコウガは反応を示した。


『誰だ?』

「はじめまして、俺はライ。故あってあなたと魔獣の存在を知った者です」

『魔獣の封印に気付いている、か……何者だ?』

「大聖霊の弟子の勇者です。アサヒさんに頼まれてあなたを捜してたんです」

『アサヒが……そうか……』

「それで、詳細を聞いても?」

『良かろう……』


 銀龍コウガは友人に頼まれた、と始めに明かした。


 今から二年前……何処からか現れた小型の魔獣が神羅国に住み着いたという。


 魔獣は危険……といっても常に暴れている訳ではない。魔獣の行動は主に三つ……。

 自らの縄張りを確保した魔獣は基本的にそこから動かない。近くに不浄の存在があれば取り込みに向かう。近くに清浄があれば汚しに向かう。


 しかし小型の魔獣は、動くもの全てに攻撃を仕掛けるという不可解な行動を繰返していた。


『見兼ねた翼神蛇アグナが魔獣を封印に向かったのだが、アグナですら封印する余裕が無かった。それどころか、アグナにまで魔獣の影響が出始めた。一連の流れを見ていた我が友は魔獣の討伐に踏み切ったが、そこで初めて大きな勘違いに気付いたのだ』

「勘違い……?」

『魔獣かと思われた存在は【黄泉人】だったのだ。何故生まれ、何処から来たのかは知らないが、既に人の姿からかけ離れた形状をしていた』

「黄泉人……」


 聖獣ハクテンコウの言葉が正しければ、神羅国側にはかなりの聖獣が存在していた可能性がある。その内の一体が人と繋がる【御魂宿し】になっても不思議ではないのだ。

 だが、裏返り──【黄泉人】と化す程の事態となると只事ではない。力ある【御魂宿し】が憎しみを持ちながら討たれる……そんなことが今の世界で起こるなど、魔王の関与でもなければ有り得ないとライは思った。


「黄泉人は一体何処から……」

『そこまでは……だが黄泉人は、翼神蛇アグナの身体に寄生する様に食い込んでいる。そのせいでアグナは魔獣に裏返った』

「……それをあなたが封印したんですね?」

『違う……封印したのは我が友だ。我が友は人の身ながら精霊を使う。アグナの【裏返り】を阻止できなかった友は精霊を使いアグナ、そして黄泉人を封印した。だが、相手はアグナ……封印を掛けたは良いが抑え切れない。そこで我が友は自らの使える最大精霊を使用する為火山へと移動し再封印を掛けたのだ』


 火山のマグマを利用した火の上位精霊による封印……しかし、一つ問題が生じた。


『我が友は元来、強い身体を持ち得ていない。加えて上位精霊による結界維持は体力を大きく奪われ続けた。結界の維持が限界に近いと判断した末、我に協力を持ち掛けたのだ』

「つまりコウガさんは結界の要として力を貸している」

『うむ。だが我とて限界はある。封印して二年近くになるが、魔力は持ってあと一、二年。しかし、その前に友の命が尽きるだろう』

「…………」


 封印から解放されれば翼神蛇はディルナーチ中を暴れ回るだろう。何せ【黄泉人】の寄生による魔獣化など例を見ない事態……力の程も分からない。

 少なくとも神羅国は壊滅するだろう……というのがメトラペトラの見立てだった。


「おい。聞こえるかぇ、銀龍」

『汝は誰だ?』

「ワシは大聖霊メトラペトラじゃ。お主に問うが、黄泉人はアグナに寄生したままなんじゃな?」

『大聖霊様……はい。黄泉人は黒き宝玉を形成し翼神蛇の額に寄生しております』

「そうか……他に変わったことは無いかぇ?」

『我が知る限りは有りませぬ』

「……ここまでよくぞ封じたのぅ。悪いようにはせぬ、しばし待て」

『おお……大聖霊様……御慈悲を感謝致します』

「感謝は上手く行ったら、じゃな。ともかく、再びの語り掛けを待て」


 念話を切ったライとメトラペトラ。今後の対策を立てる為、情報を纏める。


「黄泉人と翼神蛇……厄介じゃのぅ」

「先ずは寄生している黄泉人を何とかしないと」

「ふむ……額の宝玉か……これを破壊するのが最優先。その為には一度封印を解除させ戦わねばならぬぞよ?」

「周囲への被害が心配なので場所も変えたいんですよね……」

「今回はワシが支援する。じゃが幾つか必要なことがあるのぅ……先ず、火山のことじゃ。封印を解除するにしても移動するにしても余波での噴火が心配じゃ」


 噴火を抑えるには、かなりの力が必要となる。そちらに力を割いて翼神蛇と戦うには不安が残るのだ。


「それは私が……いえ、この国の龍達が防ぎましょう」


 凛と響く声……そこにあったのはアサヒの姿。

 住民への避難警告を終えたアサヒが再び戻って来たのだ。


「大地が荒れることはこの国……この大陸に住まう龍達にとっても痛手。ディルナーチ中の龍に呼び掛け大地を鎮めてみせます」

「それは心強いです……」

「それに龍神様などと崇められては、人を見棄てるに忍びないですから……」


 避難を呼び掛けたアサヒに対する人々の感謝……それは僅かにアサヒの心を刺激した様だ。


「となれば次は場所……ワシは上空へと移動しようと考えている」

「空ですか?海じゃ不味いんですか?」

「海には生物が多い。魔獣や黄泉人の影響を受けぬとは限らぬ。それに万が一逃した場合、発見が難しい」

「成る程……でも上空には逃亡を遮るものが無いですよ……?」

「ワシが結界を張る。流れとしては《心移鏡》で火山より転移。更にワシが結界を張り、その後コウガと精霊の封印を解除……《心移鏡》にてお主とコウガ達を入れ換える。これでお主が中で戦えるじゃろ?」


 確かに理想的な形だが、ライには不安も残る。


「大丈夫ですか、師匠?負担掛かりません?」

「随分前にかなりの力が戻っておるからのぅ……。契約者たるお主が成長するとワシらの力も増して少しづつ封印が解ける様じゃ」

「じゃあ、大丈夫なんですね?」

「ワシを誰と心得る。四元の一柱じゃぞ?」

「……わかりました。お願いします」

「まぁ、不安ならお主の契約を少し借りるとするかの。蟲皇と……何じゃったか、あの聖獣は……」

「マーデラですか?分かりました」


 高地小国の一つ、エクナール国の湖に住まう聖獣は、ライの手により魔獣から転化した存在。いつの間にか主従契約が成されていた為、意思確認として一度召喚していたのである。

 喚び出された聖獣は上半身は女性、下半身は翡翠色の長い魚の尾を持つ人魚の様な形状に変化していた。


 聖獣は自らの名をマーデラと名乗り、改めてライと契約を結んだのである。


「残るは黄泉人と翼神蛇じゃな……黄泉人は既に死んでおる存在。滅するに躊躇うでないぞ?」

「分かりました」

「最大の問題は翼神蛇じゃな……お主、転化させるつもりかも知れんが恐らく無理と心得よ。相手が相手……配慮して立ち向かえる相手ではない」

「それは……その時になるまで考えさせて下さい。黄泉人を排除出来ればメトラ師匠も結界を外しても大丈夫でしょう?」

「それはそうじゃが……アグナは強いぞ?」

「それ程の存在なら、まだ完全な魔獣化を起こしていない気がするんです。勘ですけど……」


 そもそも精霊と龍の力を借りているとはいえ、人の使用した結界が維持されているのだ。何かしら意思が働いている可能性はある。


「ともかく……黄泉人を最優先で倒すことじゃ。そうでなければ最悪の事態に陥る」

「わかりました……アサヒさん。龍達に連絡をお願いします。準備が出来次第、行動に移ります」


 頷いたアサヒは、赤龍に変化し空高く昇ると雷雲を発生させる。やがて雷雲を媒介にして、ディルナーチ大陸全土の龍達へとアサヒの声が届けられた。


『私は花咲渓谷の主、【朝陽アサヒ】──。今、ディルナーチ大陸は未曾有の危機に瀕している。強大な魔獣の影響で燃灯山……そして大陸全土さえも大地が裂け火に包まれる可能性があるのだ。私はそれを防ぎたい!自然豊かな大地を失いたくない!』


 人には理解出来ぬ龍の言葉。その声はライにすら雷鳴にしか聞こえない。


『幸い大聖霊様のお力添えがある。同胞達よ……これは種を超えたこの地に生きる全てのものの為。大地を宥める為に我こそはと思う者は、燃灯山に集い力を貸して欲しい!この地にて待っている!』



 やがてアサヒは人型に変化しライ達の元へ下降を始めた。


「どうでした?」

「……こればかりは少し待たないと……龍も様々ですので」


 その時、アサヒが発生させた雲が消える寸前に幾重もの遠雷が響く。


「どうやら応えてくれる様です。これでコウガ様も……」

「良かったですね、アサヒさん」

「はい……ありがとうございます」


 残るは戦闘準備……相手が強力であれば分身に気を回す余裕はない。各街へと送った分身は全て解除……クロウマル達に付けた分身だけを自律型に切り換えた。



 やがて、ディルナーチ大陸の龍達が集い始めた燃灯山。その数、凡そ五十程……それ以外にも各地に待機している様だとアサヒは語る。


「……これはお主にとって、この大陸最後の戦いにして過去最大の戦いになるじゃろう」

「……はい。でも良かった。俺がペトランズに帰った後じゃなくて」

「……………」


 親しき者が増えるほどライの負担は世界へと広がって行く。

 この先……ライが誰かを救い切れずに悔やむ日が来ないことを、メトラペトラは密かに祈った……。


「さぁ……覚悟は良いかぇ?」

「はい!お願いします!」




 しかし……この戦いは、ライに深い苦悩を与えることになる──。



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