第五部 第三章 第二話 龍との出会い


 純辺沼原を発ったライの分身体……その一つが雁尾領の山岳地帯を飛翔中、美しくも荘厳な滝を発見した。


 それは森に隠れるように存在し、飛翔でもせぬ限り容易には見付けることが出来ない渓谷……発見したのは本当に偶然だった。


 しばし美しい景観を眺めていたライだったが、観光を楽しむ時ではないと移動を再開したその時───何かが微かに囁いた気がした。


(ん?何だ……?)


 周囲を確認するが何者の姿も見えない。改めて感知纏装の発動を行うべきかと考えた瞬間、突然渓谷の滝壺から水柱が上がる。


 現れたのは龍……。鮮やかな赤い鱗に包まれたやや小型の龍は、真っ直ぐにライの方へと近付いてくる。


(……龍神を騙ったのがバレちゃったかな?だとしたらお怒り……お、御叱り程度で済めば良いんだけど……)


 いざとなったら全力で逃げよう!と考えつつ、ライは赤龍と対峙する。


「…………」

「…………」

「………もし……」

「スイマセンしたぁ!」


 空中で美しい土下座をかます勇者など、かつて存在しただろうか?

 いや……そんな者が存在する訳が無い。まず、これ程に土下座が安い漢自体そうは居ないのだ。


「あ、あのぉ……」

「お怒りはごもっとも!しかし、俺も悪気があってのことでは無くてですね……?」

「………何のお話でしょうか?」

「…………。へっ?」


 赤龍は、幾分戸惑っているように見える……。


「お、俺が龍神をかたって行動したことを咎めに来たんじゃ……」

「………?」

「いや、勿論悪事ではないですよ?寧ろ悪党を懲らしめる為に……」

「…………。貴方に声を掛けたのは別件です」

「別件………」


 赤龍は雷雲を纏い人の姿へと変化する。


 姿は大人の女性……鮮やかな赤の着物には大輪の白い華の刺繍。そして長い黒髪は頭上に簪で纏められていた。さながら何処かの花魁の様な艶やかさだ。


「申し遅れました。私はアサヒ……この幽谷の主で御座います」

「俺はライ……本来はペトランズの勇者です」

「勇者……。龍では無かったのですか……」

「龍……というかの兄弟分なら居ますよ?黒竜フィアアンフって知ってます?」

「く、黒の暴竜!な、成る程……どうりで……」


 アサヒは明らかな怯えを見せている……。


(フィアーのアニキ……どんだけ暴れたんだ?)


 ディルナーチ大陸の龍ですらこの怯えよう……それはフィアアンフの素行の悪さが原因と察したライは、努めて友好的な笑顔で会話を続けた。


「だ、大丈夫ですよ~?フィアアンフは今、かなり丸くなりましたから。もし何かあれば俺が宥めますし……」

「……し、しかし、兄弟分となると貴方も……」

「兄弟分ではありますが、俺は勇者です。大丈夫、信用して下さい」


 笑顔を絶さず力も抑えた結果、アサヒは少し警戒を解いた。


「俺、寧ろ怒られる覚悟してたんですけど……」

「私達は人の事情には興味を持ちません。明らかな敵意を向けぬ限り、また実害が無い限りは関わり無きこと……」

「はぁ……じ、じゃあ、何故俺に声を?」

「初めは同族と思ったのです。貴方からは竜の匂いがしたので……」


 フィアアンフの契約印から伝わる竜の匂い、契約が果たされた為に解除されたシルヴィーネルの匂い、そして地孵りによる魂の匂い……分身体とはいえ、アサヒはそれを敏感に感じ取った様だ。


「同族とあらば頼み事をと思ったのですが、人では……」

「正確には、もう人じゃないんですけどね……。もし協力が必要な事情があるなら聞きますよ?これでも一応、大聖霊の弟子でもありますから」

「だ、大聖霊様の!」

「勿論、あなたが嫌でなければ……ですけど」

「……わかりました。此処ではなんですから、是非我が家へ……」


 アサヒにいざなわれたライは、共に滝壺の中へと向かう。


 滝の底には結界が張られ、その中には御殿と呼ぶに相応しい空間が広がっていた。

 更に奥へと招かれたライは、もてなしの用意に気付き丁重に断りを入れた。


「……少し用もあるのでお気持ちだけ……それより依頼を優先して下さい。急ぎなら直ぐに動きますので……」

「……わかりました。実はお力添えをお願いしたいのです」

「龍であるあなたが力添えを求めるとなると、相当の事態ですね?」

「はい……これはディルナーチ大陸に住まう龍の一大事に御座います」


 アサヒは順を追って経緯の説明を始めた。それはディルナーチに住まう龍の系統にまつわる話……。


「ライ殿は、ディルナーチ大陸・西の海域の名を御存知ですか?」

「えっと……確か『龍玉海』でしたっけ?」

「はい。あの海域にはディルナーチ大陸の龍王とも呼べる方が存在しておりました」

「存在して……いた?」

「ここ二年程、行方が知れないのです」


 龍王とまで言われる存在……その不在を心配したアサヒは、龍の気配がある度に声を掛け捜しているのだと言う。


「彼の方の名はコウガ様……偉大なる銀龍」

「う~ん……居場所には心当たりも無いんですか?」

「残念ながら……」

「それ程の存在なら、力も強いんですよね?じゃあ、外敵にやられることは無いと思うんですけど……」

「しかし、私は……」


 アサヒの表情は不安げで、その想いの程が窺える。


 ライからすれば龍の思考は正直良く分からない。竜は殆どが人に興味を持たない、という話は以前シルヴィーネルから聞いたことがある。

 しかし、だからと言って達観している訳でも無いことはアサヒを見れば一目瞭然だった。


 仲間を想い心配する心があるならば、その力以外は人と変わらないのではないか?だからこそ稀に竜と人が結ばれるのではないか?そんな考えがライの胸中に宿る。


「……アサヒさんはコウガさんが好きなんですね?」

「えっ!い、いきなり何を……」

「間違ってたなら謝りますけど、ただ心配というには随分と乙女の顔だと思って……」

「乙女……」


 図星……。


 そう……アサヒはコウガを慕っている。それ故に長い龍の寿命の内たった数年の不在が心配で仕方無いのである。


 この勇者さんは自分のこと以外にはやたら鋭い……。


「あの方は私など……それに、龍が恋など笑い話でしか……」

「龍は恋をしてはいけないんですか?」

「いけない訳ではありません……しかし、龍同士は子孫を残せません。だから本来は互いに恋心なども抱かないし、寄り添い暮らす際に伴侶も選ばない。愛や恋に惑うのは変わり者なのです」


 絶対数の上限がある【竜】や【龍】……ドラゴン族は、同族との生殖行為での繁殖は起こらない。慈母竜による魂の回収と転生卵の循環……それこそが生態を維持するシステムなのだ。

 それ故か分からないが、竜達の多くは伴侶というものに興味すら抱かない。恋愛ではなく友愛、同族愛でコミュニティを形成している。


 そんな中……稀に生まれる愛情を理解する存在は、同族から変わり者として扱われていた。


「良いじゃないですか、変わり者。俺の知り合いにも居ますよ?人に興味を持った竜が」

「フィアアンフのことですか?」

「いえ……。……………。あ、あれ?俺の知り合いはどっちも変わり者……ですね」


 片や人に興味を抱き人を知ろうとするシルヴィーネル。片や種族に関係無く何だかんだと世話焼きなフィアアンフ。ドラゴンの中では確実に変わり者である。


「………とまあ、世の中には変わったドラゴンが結構居るんですよ。だから、アサヒさんだけが悩まなくても良いと思うんですが……」

「…………」

「もしかして、相手から拒絶されるのが怖いですか?」


 またしても図星……それはそうだろう。人間ですら恋愛に踏み出すのは気後れするのだ。相談することも儘ならない龍の立場なら、尚更のことだ。


「……龍のことはあまり分からないので適当なことは言えませんけど、出来ればアサヒさんのその気持ちは大事にしていて欲しいと思います。俺みたいな奴でもあなたの気持ちを理解して応援している……それだけは忘れないで下さい」

「ライ殿……」

「さて……それじゃあ、アサヒさんの大切な人を捜しましょうか。幸いその為の力は持っていますから」

「………ありがとうございます、ライ殿」


 何処か柔らかな表情になった気がするアサヒ……。それを見たライは、コウガと会えるまで力になることを決意した。


(さて……どうするか)


 チャクラや大聖霊紋章は本体のライでなければ使用出来ない。このままクロウマル達の側で間接的に調べるか、それともあちらに分身を残して本体をこちらに移動させるかの選択……。

 結局ライは、クロウマル側に分身を発生させ本体をこの幽谷へと移動させる選択を行った。


 その際、メトラペトラは当然ながら同行。僅か後、アサヒの住まいに本体ライが到着すると分身は霧散した。


先刻さっきのは分身です……力に少し制限があるので本体と入れ換えました。あ、因みにこちらが大聖霊『絶叫する酒ニャン』です」

「絶叫はお主がさせておるんじゃろが!」

「そんなこと言うなよ、おニャンコちゃ~ん!」

「せいやっ!」

「ぎゃあ~っ!め、目が!目がぁぁっ!」


 猫テイル・ウィップは見事にライの瞳に直撃。両目を抑え床を転げ回るライの姿に、アサヒは唖然としている。


「……お主がアサヒ、赤龍じゃな?ワシは大聖霊メトラペトラじゃ」

「御初にお目に掛かります。私はこの『花咲渓谷』を治める、アサヒと申します」

「そして俺が『あれ?最近白髪増えた?』で、お馴染みの勇者ライです」

「……………」

「……………」

「……………」

「ハッハッハ~、………スラッシュ!」

「ぎゃあぁぁ~っ!」


 いつの間にか立ち上がり自己紹介に参加していたライは、メトラペトラの猫スラッシュを受け再び床をのたうち回る。

 ライは基本、メトラペトラが居るとテンションが上がるらしく痴れ者化する傾向にあった……。


「全く……なぁにが『最近、白髪増えた?』じゃ。お主、増えるどころか真っ白じゃろうが!」


 呆れるメトラペトラ。このやり取りを見ていたアサヒが、顔を俯かせ小刻みに震え笑っているのも御約束。


「……フゥ。ともかく、銀龍を捜せば良いのじゃな?」

「は……はい。な、フフッ……何卒、宜しくお願い致します」

「………。で、では、ライよ」

「ガッテンでさ!」


 額のチャクラによる《千里眼》を発動し、銀龍コウガの居場所を捜す。

 脳裏を過る光景……ライがそれを理解した途端、軽快さが消え真剣な面持ちへと変わる。


「……どうしたんじゃ?」

「……師匠、これはヤバイかも知れない」

「……良いから説明せい」


 ライが確認したコウガは、現時点で無事。だが、同時に動くことが出来ない状態ということだった。


「コウガさんは神羅国内の山脈にいます。ただ、そこにはコウガさん以外にも力ある存在が……」

「力ある存在……それは一体……」

「魔獣……それと精霊。恐らくコウガさんは精霊と協力して魔獣を押さえている」

「コウガ様が……」

「魔獣の居る場所は神羅国北西の大きな火山……その火口」

「燃灯山……あの地には魔獣ではなく聖獣が居た筈ですが……」


 アサヒの言葉に反応したメトラペトラは、ライに視線を送る。互いの推測は恐らく同一のもの……それを確認したのだ。


「聖獣の裏返りか……じゃが、宿主は居ったのかぇ?」

「いえ……【黄泉人】ではなく魔獣の姿でした。でも、今までの中で最も強力かも知れません」


 魔獣の形状を説明した際、メトラペトラは小さく唸ったことにライは気付かない。


「ふむ……。何故裏返ったかは知らぬが、最後の最後に厄介な相手とはの……つくづくお主は……」


 トラブル勇者……。


 だがメトラペトラは今回、それを口にしない。茶化す様な事態ではないのだ。

 そして今回は時間に追われているライに余裕がない。


 五ヶ月前にリーブラの民を救った状況は、『より早く苦難から救う』為の焦り。しかし今回は、『首賭け』まであと僅かという実質的時間制限に追われているのだ。


「……ライよ。優先すべきは理解しておるかぇ?」


 このメトラペトラの問い掛けに対し、ライはアサヒへと視線を向ける。

 アサヒの不安気な表情に対し、ライは柔らかな微笑みで応える。


「大丈夫……アサヒさんの気持ちを伝えることが出来るようにしてみせますから」

「ライ殿……」


 対してメトラペトラは半ば諦めていたのか、溜め息を吐いた後にライの頭上へと移動する。


「仕方無い奴じゃ……良いんじゃな、本当に?」

「どうも俺は取捨選択ってヤツが苦手で……スミマセン、メトラ師匠」

「ま、知っとったがの……では、行くかの?」

「お願いします」


 メトラペトラは如意顕界法 《心移鏡》を発動──。

 姿見の鏡の中へと消えるライとメトラペトラ。アサヒはその後を追い鏡の中へと飛び込んだ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る