蛍火の章

第五部 第三章 第一話 龍神の化身


 クロウマル達が純辺沼原の地より移動を始め、半刻程が過ぎた頃……同じ雁尾領内の小さな街ではちょっとした騒動が起こっていた。



 街の名は乃木霞のぎかすみ──街の側に流れる清流を利用し、染め物産業を確立した街である。


 そんな乃木霞も雁尾領……今の不穏な時世に影響を受け、ここ一年程は盗賊や圧政に悩まされて来た。


「みんな!本当にこのままで良いのかよ!」


 街の中央広間には早朝にも拘わらず多くの者が集まっている。皆の前で声を張り上げているのは若い男……いや、少年と表現するのが相応しい十二、三程の若者だ。


「俺達は奴隷じゃない!横暴に従う義理は無いんだ!」


 集まっている者達は若者を見ているだけで応えない。苦々しげな表情を浮かべるばかりである。


「どうして何も言わないんだよ!悔しくないのかよ、みんな!」

「いい加減にせんか!ゼン!」


 群衆を掻き分け『ゼン』の前に現れたのは、小柄で身なりのしっかりした男。一見して老齢に見えるが、実は四十程……それは頭髪の大部分が白くなっている故の錯覚であることを、街の住人は理解している。


「長……本当はあんたが一番辛い筈だ!」

「………。ならばどうしろというのだ?民を率いて兵に逆らえと?そんなことをすればこの街は皆殺しだぞ!?」

「……みんなで力を合わせないと、どのみち乃木霞は壊れちゃうだろ……違うかい?染め物は安値で買い叩かれて、税は他領地の三倍以上……死ねと言われてるのと同じじゃないか!」

「……だからと言って皆を巻き込む訳には行かん!……私だって本当は、この身一つででも……」

「長……」


 この街……乃木霞が置かれている立場は、ある意味純辺沼原よりも悪い。


 純辺沼原は僻地であり聖獣の加護もある。それ故に領主からの直接的被害は殆ど無かった。

 しかし、乃木霞は産業がある故に領主に目を付けられてしまったのである。


 結果……乃木霞の街では領主臣下による欲望の矛先が向けられ、弾圧を受けることになったのである。


「堪えるのだ、ゼン……。私達にはそれしか生きる道が……」

「長………」


 自分達の置かれた現状は暗く、重苦しい沈黙が場を包む。

 だが、それを破る声が街に響く……。


「あ、あれは……」


 乃木霞の住人の一人が指差した先……そこには雁尾兵の列が……。


「んん~?こんな朝早くから随分と民が集まっているじゃないか……なぁ?長よ」


 隊列の先頭……兵士長の陣羽織を纏う男は、馬上から見下すように民を一瞥する。男はやや禿げ上がった鼠顔をしていた。


「こ、これはシキベ様……皆様こそこんな朝早くに一体何用でしょうか?」

「んん~?ああ……実は、この間連れて行ったお前の娘では領主様への土産としては足りないかと思ってな?もう二、三人用立てて貰えるか?」

「そ……そんな……」

「何だぁ……?盗賊から守ってやってる我等に対して、不満があるとでもいうのか?」


 下卑た笑いを浮かべ長を威圧する姿は、『守る者』という言葉から程遠い。領民への弾圧……それは本来、兵役に就く者として恥ずべき行為……。


 そんな兵団を罵倒する者が一人……ゼンと呼ばれた少年は、勇敢にもシキベに対して罵倒を始めた。


「何が守る者だ!領兵の皮を被った外道!」

「……な……に?」

「知ってるぞ?盗賊とつるんで集落から奪ったものを山分けしてるってな?お前らは盗賊と変わらない悪党だ!鼠野郎!」


 シキベは顔を真っ赤にし口を引き攣らせた。侮辱されたことに激昂したのではない。鼠と言われたことに血が上ったのだ。


「おい……長よ……」

「ど、どうか御許しを!何分なにぶん子供の言葉……寛容なお心で何卒ご容赦を……」

「………はぁ~……そうだな。子供の言葉に腹を立てるなど幼稚なことよな」


 その言葉に長が安堵した瞬間、剣閃が煌めき長の肩口を貫いた。


「ぐあぁぁぁっ!」

「長ぁぁっ!」


 ゼン……そして街の住人はその光景に為す術なく絶叫するしかない。


「ケッケッケ……子供の不始末は大人の責任だよなぁ?なら、『この街の子供』の不始末は『この街の大人』の責任だ。生娘二、三人で済ますつもりだったが、この罪は若い娘全員貰っても償えないぞ?」

「クソォッ!鼠野郎!外道!禿げ!」

「くっ……!どうやら死にたいらしいな、餓鬼!」


 馬駆けで少年ゼンの前に迫り刃を振り翳すシキベ。街の住人……そしてゼン自身もが絶望に顔を覆った瞬間、それは起こった……。


 馬とシキベは何かに妨げられた様に動きを止め、やがて勢い良く押し戻されて行く。馬は倒れ、シキベは大地を転がり建物に衝突、蛙の潰れた様な声を漏らす。


 何事があったのか理解出来ない一同。少年ゼンが恐る恐る顔を上げると、そこには笠を被った一人の雲水が立っていた。


「……え?」

「大丈夫か、少年?」

「……お坊……様?」


 良く見れば雲水は白髪頭……しかも妙に体格が良い。武士崩れにも見えるが、その顔は異国人のものである。


「やれやれ……刃傷沙汰とは嘆かわしい。この国の兵はそこまで堕ちたか?」


 ゼンを助け起こした雲水はそのまま長の元へ向かう。そして傷口に手を当てると、唐突に奇声を上げた。


「ナンジャラ~ハンジャラ~……喝っ~!」


 あまりにも適当な呪文の後、一瞬の閃光……同時に長の傷は跡形もなく消えた。


「あ……あなたは一体……」


 驚き戸惑う長。明らかに奇蹟とも言える事態に、長だけでなく乃木霞の民、そして兵士達ですら動けない。


「私か?通りすがりの勇者……じゃなかった。え~っと……。………。エロス坊主です」


 自らエロスを掲げる怪しげな雲水坊主……それは言わずと知れたである。



 ライの放った分身の一体は、たまたま乃木霞に立ち寄り一部始終を目撃していたのだ。


江呂須えろす様……と仰られるか。危なきところを助けて頂きましてありがとうございました。ですが、早く逃げて下さい!このままではあなた様が……」

「江呂須様……ま、まぁ、いっか。大丈夫大丈夫!全ては仏の御心のままっス!」

「し、しかし……」

「さぁさぁ、街の皆さんは御下がりを。奴等には今からキッツイ『罰』を……いや……」


 ここでライは一つ思い直した。


 実は神羅国に来る際、一つ自らに決め事をしていたのだ。



 『神羅国では人間相手に自ら戦闘を行わない』



 それは、ゲンマと行った様な『互いを理解する為の手合わせ』を別としての決め事……。


 命のやり取りに関わる行為、そして国や領地との諍いに直接的な影響を与えぬ為に行動を手助けだけに限定……既に久遠国との縁が出来た以上、神羅国への過剰な肩入れを避ける為に考えた方針だった。



 もっとも……見て見ぬ振りが出来ない『救いたがり勇者』。誰かの命の危機が迫れば見過ごせる訳もないだろうが、飽くまで“ 極力戦わない ”という漠然とした決意なので破っても困ることはない……。



 ともかく……ライはこの場にて『人』を相手に自ら力を振るうことをやめた。



「どうなされました、江呂須様?」

「……むむ?どうやら龍神様が力を貸すと申している様ですな……」

「り、龍神様が?」

「少年……確かゼンと言ったかな?龍神様は君の勇気に偉く感銘を受けたようだ。故に君に力を貸したいらしい」

「え?お、俺に?」

「うむ。こちらに……」


 ゼンを近くに呼び寄せたライはその身体を黒身套で包む。但しそれは、飽くまで身体の外部を包むだけ。ゼンの内側に流すことはない。


「こ、これは……?」

「黒龍様のお力だ。大きな力故、相手を殺さぬように気を付けなさい」

「わ、わかりました」

「この街の方々はとくとご覧なさい。龍神様のご意志は勇気ある少年へと宿ったのです」


 そしてビシリと兵達を指差したライは、改めて宣言する。


「民を苦しめる事を是とするなら罰を、非とするならば寛容を……さぁ!返答や如何に?」


 この言葉に一瞬の動揺を見せた雁尾兵。自らの行為が人道から外れている自覚はある様で、多くの者がその視線を泳がせている。


(……兵までは腐敗しきって無い、ってことかな?なら、まだ希望はあるな)


 ライは兵達をどうすべきかと考える……。そこで本来の目的を大々的に伝えることにした。


「実は、今朝方早く龍神様からのお告げがあった。悪しき者は本日を以てその地位を失うのだと」

「な……何だと?」

「悪しき為政者に荷担した者はやがて罰を受ける。だが、改心した者はその例に非ずとのこと。どうかな、雁尾兵の方々?」

「………し、しかしその様な曖昧な」


 一介の雲水坊主の言葉など本来なら相手にする必要すらない。しかし、実際に怪しげな力を目の当たりにした兵は揺れていた。


 当然それもライの狙い通りである。


「疑うのも無理はない。ならば、皆でそれを確認しに行こうではないか?」

「か、確認?」

「そう……本日行われるのは領主と領民の決闘。これは必ず一対一と決まっているものだが、今まで領主により歪まされてきた。だが今回……龍神様は不正の程を見兼ね、正しき形での決着に手を貸すと申されている」

「決闘……真実まことか?」

「ハッハッハ~ッ!、エロス、マジ、ウソツカナ~イヨ~?」


 何故か急に片言のエロ坊主。しかし、その妙な自信に兵達は益々戸惑い悩む。


 と、そこに割り込むように怒号が響く。シキベが目を覚ましたのだ。


「戯け者どもが!領主様の立場が揺らぐと本気で考えているのか!?」

「ほほぅ……龍神様の言葉を信じぬと?」

「なぁにが『龍神様』だ!龍は人に干渉せぬ!貴様の言葉は謀り……違うというならば証拠を」

「良かろう。では賭けをしようか?」

「何だと……?」

「貴公は龍神様の加護を得たこの少年……ゼンと決闘せよ。参ったと述べた方の負け……なぁに、直接の手助けは一切行わぬ。だが……こちらが勝った場合、兵達は街の者達を守りながら雁尾領主の元に向かい決闘を見守るのだ。良いな?」

「……良いだろう。但し、こちらが勝った場合は税を十倍にし若い娘は全員捧げてもらう」


 この条件にゼンが割って入る。


「待て!俺が勝ったら姉ちゃんを……長の娘も返して貰うぞ?」

「ふん……勝てればな?」


 一方は年端もいかぬ子供……もう一方は仮にも兵士長。結果は火を見るより明らか。街の住人は皆が絶望に顔を歪めている。

 しかし、長だけは違った。身を以て体験した怪我の回復……あれは並の事態では無い。雲水には何か考えがある……そう確信していた。


「では、良いかな?」

「ケッケッケ……餓鬼が死んでも泣くなよ?」


 余裕のシキベ。子供相手であることで明らかに嘗めている。


「坊様………」

「安心せよ。その龍神様の力はあのネズミ如きの刃では蚊程も通じん。動いて殴るだけで良い」

「わかった……坊様を信じるよ」


 覚悟を決めたゼンは震える拳を握り締めシキベを睨んだ。


「……生意気な餓鬼め!鼠と言った罪、命で償わせてやる!」

「今まで街を苦しめたお前を赦さないぞ……ミヨ姉ちゃんを返せ!」



 先に飛び出したのはゼン……。子供ながらに自分がどの程度動けるかを把握しているゼンは、ライの言葉を信じ駆け出した。


 だが……次の瞬間、ゼンの足は縺れ盛大に前のめりになる。それを見たシキベが下卑た笑いを浮かべたその時、ゼンの身体は何かに押されもう一歩を踏み込んだ。


「グベェ!」


 悲鳴を上げたのはシキベ……その腹部にはゼンの頭がめり込んでいる。シキベは勢いそのままに後方へと弾かれ建物に激突。先程同様に蛙が潰れた様な声を漏らした。


「え?えぇっ?」


 急加速による頭突き。実はコレ、ゼンの力に由るものではない。


 ゼンに使用した黒身套は、内側から沸き上がる力ではなく体表を覆う防壁の役割のみを担っている。つまり身体能力は子供のままだ。

 にも拘わらずゼンが一気に跳躍出来たのは、実はライの魔法による補助……。


 大地を隆起させ突風で押しただけではあるが、完全防護の体当たりは中々に極悪な威力だった様だ。


 ライは宣言していた通り“ 直接は ”手を下していない。まさに屁理屈……笠の下では勿論、悪い顔だ!



「ぐっ!ゲホッ……お、おのれ、餓鬼が……」

「さあ、少年よ!ケッチョンケッチョンにやっておしまい!」


 とても僧侶の言葉とは思えぬが、ゼンは先程の攻撃で自信を付けた。今度はゆっくり、かつ確実にシキベを殴り始める。


「くっ……こ、この餓鬼!」


 シキベは咄嗟に刀を構えゼンに向かい突き刺した。だが、岩に当てたが如く手応えで刃が通ることはない。

 一方のゼンは、刃を手で払い退け体力の続く限り腕を振るう。


 腕力は子供。例え全力で殴っても効果は薄い……と考えるのは甘い。その身体には魔獣の攻撃すら軽減する黒身套が展開されているのだ。


 その一撃は金属で殴るのと同様の重さが含まれているが、腕の振りは羽根のように軽々と加速出来る。

 それはさながら、大人が小さい金槌を振るうが如くである。


「こ、ゲキャ!ク、クソ餓鬼ボグェ!ブベッ!や、ヤブバっ!」

「うわぁぁっ!このっ!コノヤロウッ!」

「ヤベッ!ヤブェて!タズゲデ!」


 兵士長が素手の子供にボコボコにされる姿……。


 兵士達は確信した。龍神様はお怒りだと。そして同時に、己の罪の重さに対し裁きを恐れ始めた。


「降参するか!」

「バ、バイ……バイリマジダ……」

「それまでっ!勝者、ゼン!」


 ライの宣言に乃木霞の住人達は一斉に歓喜の声を上げた。ゼンはまだ実感がないらしく呆けたままでキョロキョロとしている。


 そんなゼンの傍に駆け寄ったのは長……涙を浮かべた長は、力強く抱き締める。


「バカ者が……無理をしおって……」

「……お、長?俺、勝ったの?」

「ああ……見事だったぞ?これで娘も……ミヨも戻る。ありがとう……ありがとう」


 ゼンがライに視線を向ければ、笑顔で首肯く姿が……。そこでようやく実感したらしく、年相応の顔で泣き始めた。



 一人の少年の手により乃木霞の街は悪政から解放された。

 それはまだ一時的なことだろう……。しかし、雲水の語ることが真実ならば今後の治安も安全になる筈だ。



「さて……まぁ、事情は何となく分かるから良いとして、今後のことだな」


 兵士達と向かい合ったライは、改めて確約をさせる。


「まず兵士長シキベを捕え牢に入れておくこと。明日には正しい沙汰が下る筈だ」

「………承知した」

「勝負は少年の勝ち。約束通り乃木霞の住人を連れ雁尾の領城へと向かうこと。夕刻前に着かねば間に合わぬから急げ。途中、長の娘を解放することを忘れるな?」

「それも了承した」

「貴公らはまだ良心が残されていると信じて街の者を託す。だが……」


 ライの分身扮する雲水は少しづつ姿を変え天へと伸びて行く。

 それは、ライが久遠国の絵巻物で見た【龍】の姿……兵士、街の住人、そして長と少年ゼンは息を飲んだ。


『約定破られしその時は、我が怒りに触れ報いを受けることになるだろう!心せよ!』


 そう告げた【龍】は激しい雷光を放ちながら空高く昇り、雲の中へと姿を消した……。



「……………」

「……………」

「……り、龍神様だ…」


 後に乃木霞には龍を祀った神社が建立され、今回の出来事は伝承となり伝えられて行く。

 但し、雲水の名は江呂須のまま……ライは後に悪ふざけを激しく後悔するのだが、それはまた余談だろう。




 実はその日の朝、雁尾内の各地では似たような事例が続発していた。



 ある街では、齢八十の長老が龍神の力を借り華麗な体さばきで盗賊を撃退。またある街では、巫女に指名されたうら若き女子が龍に乗り兵を諌めた。

 そしてまたある街では、仏師の掘った仏像が龍に変化し悪徳商人を懲らしめたという。


 他にも似たような話が二十件近く……共通していたのは雁尾領主の居城を目指せと言う龍神のお告げ。これにより雁尾領内ほぼ全ての民は、お告げに従い雁尾領主の街『久瀬峰』へと足を運ぶこととなったのである。



 全ては江呂須……ではなく、ライの思惑通り。雁尾中の民により領主の決闘を目撃させる計画は順調に進んだ。




 しかし……そんな流れの裏で、ディルナーチ大陸最大の危機が進行していた───。


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