越境の章

第五部 第二章 第一話 クロウマル


 久遠国王都・桜花天は、厳しい残暑にも拘わらず変わらぬ活気に満ちていた。



 ライが戻ったその日は殊更賑やかで、散らない桜の巨木が作る日陰では小さな市が立ち祭りの準備が行われている。


 そんな景色の中、王城・鳳舞城へ向かうライとメトラペトラ……。道すがら、人々の営みを心に焼き付ける様に眺めつつ歩く。


「いやぁ……今日も暑いね、ライ殿」


 ライに語り掛けてきたのは、時折トウカと足を運んだ甘味処の店主だ。どうやら出店の準備をしているらしい。


「本当ですね……ところで、今日は何の行事ですか?」

「祭りだよ、祭り。この桜花天を開拓した先祖への感謝を込めたもので、毎年この時期にこうして市が立つんだ。五日程の祭りだから、結構各地から観光客が来るし稼ぎになる」

「ハハ……流石商売人。商魂逞しいですね」

「ハハハ!でもまあ、本音は祭りを楽しみたいだけだがね……良ければ後で寄ってくれると嬉しいよ。……ところで今日のお供はニャンコだけかい?」


 修行に集中したこの五ヶ月は常に傍らにトウカが居た……。甘味処の店主には二人一組の印象が強い様で、トウカの姿を探している。


「今、修行中なんですよ」

「修行?ああ!花嫁修業か!いよいよライ殿も覚悟を決めたのかい?」

「ち、ちち、違いますよ?剣の修業です、剣の!」


 正確には剣の修業ではないが、トウカがカヅキ道場の関係者であることは顔見知りの間に知れ渡っているので理由としては無難だろう。


「何だ。私はてっきり……でも、いつかは嫁に貰うんだろ?」

「俺は異国人ですよ……?」

「そう言えばそうだった……この国の言葉をあんまり流暢に喋ってるから忘れてた」

「特例で滞在してますけど、いつか帰らなきゃならないんです」

「障害があっても越えられるんじゃないかい?」

「色々と……複雑なんですよ」


 事情を知らぬ者には到底理解出来まい。トウカは姫君……国外へ連れ出すなど一大事であり、ドウゲン達への裏切りとも言える行為。

 それに、ライはフェルミナとエイルに対して答えを出していない。そんな中にトウカを連れていくなど到底考えられないことだった。


「……悪いことを聞いたな……今日は祭りだ!ホラ、明るく楽しく、だよ!」

「そうですね」


 ふと視線を移せば、川沿いの土手には長く連なる提灯が僅かに風に揺れている。蝉時雨の中、浴衣を着た者達がウチワを扇ぎながら歩く姿はどこか熱を帯びて見えた。

 微かに聴こえる祭囃子に合わせる様に子供達がはしゃぎ回っていることに、ライは思わず笑みを溢ぼす……。


 ペトランズ大陸とはまた違う祭りの光景……この国にもう少し留まり見届けたい気持ちに駆られるが、今は優先しなければならないことがある。



 目的を再確認したライは、甘味屋の主人と別れ真っ直ぐ鳳舞城へと足を向けた。


「メトラ師匠、酒の買い貯めは?」

「ドウゲンから特撰酒をかなり貰ったからのぅ。心配は要らん」

「また戻るつもりですから今回は残っても良いんですよ?」

「分かっとらんのぅ……ワシは師匠じゃぞ?お主は放置すると無茶するじゃろうが。お目付け役じゃよ」

「……わかりました」


 素直に心配だとは言わないメトラペトラ。それを理解しているライも、感謝しつつも口にはしない。流石は師弟……似た者同士である。


「で、ドウゲンにはどう説明するつもりじゃ?」

「素直に話しますよ。今ままでも何回もドウゲンさんを説得してるので、今更隠しても仕方ないですし……」


 【首賭け】廃止の検討を何度か提言したが、ドウゲンは頑として受け入れなかった。それが伝統を重んじる故か、王としての責務と考えているのかは結局窺い知ることが出来なかった……。


 神羅国へ向かうことを反対される可能性もあるが、その時は振り切ってでも向かうつもりだった。




 そんな覚悟を決め鳳舞城に到着したライ。ドウゲンとの面会を果たしたのだが……その言葉は拍子抜けするものだった。


「神羅国へ向かうなら書状を用意するよ。それで警戒が消える訳ではないけど、神羅王との面会は可能になるだろう」

「………。止めないんですか?」

「何故?」

「何故って……」


 あまりに当然の様な顔をしているドウゲンに、ライは体の力が抜ける気がした。


「ライ君が必要と思うことなのだろう?私は君の気持ちを理解しているつもりだが、応えてはあげられない。そしてそれは、恐らく神羅王も同様になると思う。でも……直接確認しないと君は納得しないだろう?」

「……それはそうですが」

「それに、止めても行くつもりなのは分かってるからね……ライ君のことは結構理解したつもりだ」


 全てを理解し送り出す……その王としてのドウゲンの度量に改めて驚かされたライは、改めて申し出を行うことにした。


「………もし神羅王から『首賭け』を廃止する約定を取り付けたら、ドウゲンさんもそれに乗って貰えませんか?」

「………わかった。でも、神羅王が提案に応えなかったら、ライ君も諦める。良いね?」

「嫌です」


 即答で拒否。その諦めの悪さに笑い声を上げたのはメトラペトラだった。


「ハッハッハ!無駄じゃぞ、ドウゲン?此奴のお節介は天下一じゃ。大体そんな物分りが良ければワシは苦労せんわ!」

「うん……まだライ君を理解し切れていなかったみたいだね……前言は撤回するよ」


 苦笑いで眉間を押さえるドウゲンの姿はかなり珍しい。


「……まあ……諦めないのはある程度は予想していたんだけど、こうもキッパリと拒否されるとは思わなかった。しかし……」


 ライを射抜く様に見つめるドウゲンは、少し哀しげな笑顔を浮かべていた。


「君は私の為に諦めないのだろう……それが少し申し訳無い」

「……単に俺がわがままなだけですよ。事情を無視してでも我を通すなんて、ガキと変わらないって自覚はあるんです。でも俺は諦められない。だから、ドウゲンさんに嫌われても止まれませんよ」

「……だから私は君が気に入っているんだ。この国で王に遠慮せず発言する者は少ないからね」


 友人として接したライは決して無遠慮だった訳ではないが、譲るべきではない時はしっかりと主張をしていた。

 嘉神や飯綱の騒動に於ける領主自らの挽回や、断絶になりかけたスランディ島との交易の必要性などはドウゲンも聞き入れ処分・対応に反映されている。


「……それで、いつ向かうんだい?」

「出来れば早めに……あまり時間が無いですから」

「わかった。今、書状を用意しよう」


 ドウゲンは手慣れた手つきで瞬く間に書状をしたため、ライに手渡す。


「神羅国は文化は殆ど変わらないが、久遠国よりも好戦的な者が多いと聞く」

「修業のお陰でその辺は問題ないと思います」

「そうか……まあ、君なら大丈夫だろうけどね。……また会えるかい?」

「『首賭け』の日までには戻るつもりです」

「………気を付けて行きなさい」

「はい」


 固い握手を交わしたライとドウゲン。結果がどうあれ再びの再開を約束し、ライは天守を後にした。




 その帰り……鳳舞城の大階段を半ばまで下りたところで、ライは突然足を止めた。


「何か用ですか?」


 ライの呼び掛けに返事はない。だが、ライとメトラペトラにはそこに居る人物を察知することは容易いこと。視線も向けずに言葉を続ける。


「トビさん……それとシギ。城内で刃を抜くのは御法度……不味いんじゃないの?」


 隠密二人はライの指摘に僅かに反応したが、構えを解く気配はない。盛大な溜め息を吐いたライは、その場にいる“ もう一人の人物 ”へと意識を向ける。


「……俺を信用しないのは構わないですけど、王との会談を盗み聞いたり城内での抜刀を命じるのは『次の王』として正しいんですか、クロウマルさん?」


 その言葉を受け物陰から現れたのは、久遠国の嫡男・クロウマルだ。


「……試した訳ではないことは理解している様だな」

「まあ、隠密が殺気を消して刃を抜いた訳ですからね。で、どうします?続けるなら受けて立ちますけど?」


 この場合の受けて立つは『諦めるまで相手をするぞ?』という意味である。それだけの実力差があることは隠密達も理解しているだろう。


「いや……十分理解した」


 クロウマルが手で合図をすると、トビとシギは素早く刃を納め膝ま付く。


「先ずは非礼を詫びるべきか……?」

「詫びるってのは悪いことをしたと自覚するからするものでしょう?クロウマルさんはそもそも悪いと思ってます?」

「……そうだな。あわよくば亡き者に、と考えたのは確かだ。トビとシギには無理だろうと言われたが……」

「それでも……俺の命が欲しかったんですか……?」

「そうだ。貴公は危険すぎる。父ドウゲンも妹トウカも貴公に心を許し過ぎている。いや、父や妹だけではない……領主も隠密も、貴公に心を奪われ過ぎているのだ」


 クロウマルが一番恐れているのは、ライが去った後のこと……。それは他国に久遠国の内情が筒抜けになることを意味している。対立関係にある神羅国に渡るならば、尚のこと見過ごせない。

 だが、ライを信じる者達はそれを全く危惧していない。警戒心の低下……それこそが久遠国の危機とクロウマルは認識していた。


「貴公はまともに向かい合って倒せる存在ではない。故に不意を突いたつもりだったが……」

「………クロウマルさん。少し話をしませんか?」

「話?今更何を話すと……?」

「この国に来てまだ誰にも話していない本音と、これからどうするつもりかを腹を割って話します。あなたに聞きたいこともありますし……。但し、あなたと俺の二人で」

「…………」


 ライの力はクロウマルも聞き及んでいる。本来は二人だけでの会話など以ての他なのだが、クロウマルは敢えてこれを受けることにした。


「良いだろう……では私の部屋に。トビとシギは別室にて待機だ」

「はっ!」


 そのままクロウマルの部屋へと案内されたライは、メトラペトラの同席を願い出る。


「二人だけでと言いましたが、メトラ師匠の同席は許して頂けますか?」

「構わん。貴公がその気ならば、他者が居ようが関係無いだろう?」

「すみません。メトラ師匠は家族なんで一緒に聞いて貰いたいんです。その代わりメトラ師匠、出来る限り口を挟まないで下さいね?」

「仕方無いのぅ……」


 ライの頭上から移動したメトラペトラはライの膝元で丸くなる。


「で、何の話だ?」

「……まず、何故俺が神羅国に向かうのか?ですね」


 神羅王の説得というのは嘘ではない。が、目的はもう一つあるのだ。


「俺が神羅王に会うのは度量を確認する為でもあります」

「度量?王としての度量のことか?」

「それもありますが、文字通りの『強さ』……それと信頼に足るかを確認する為です。俺はある程度人物を見抜く自信がありますし、額のチャクラを使えば能力も把握出来る」

「……『首賭け』相手の器を知るのが目的か」

「そうです。……失礼ですが、ドウゲンさんはあまり武に長けていないですよね?」

「……ああ。父は才がない訳ではないがあの性格だ。他者を傷付ける術に情熱を傾けることは出来なかった」


 ドウゲンは魔人ではない。そして半魔人でも剣の道の探求者でも無い。優れた王としての度量を持ち合わせているが、優しすぎる普通の人間だ。


 『華月神鳴流・目録』であることから才無き訳ではないと理解している。しかし、恐らく神羅王と一騎討ちを為すには冷酷さが足りないだろうというのがライの見立てだ。


「『首賭け』は命のやり取りだけじゃなく国の威信も背負うことになる。ドウゲンさんも真剣になるのは間違いありません。でも、ドウゲンさんは優しすぎるから必ず躊躇うでしょう」

「父は『首賭け』に勝てない、と言うのか……?」

「ハッキリ言えばそうです。でもそれはドウゲンさん自身も理解している筈ですよ。その上で何かを計画している。自らの命すらも利用し、久遠国と神羅国の諍いを無くす為の何か……そしてそれは神羅王と共謀している可能性が高い」


 和平案など一方の想いだけで策が成り立つ訳がないのだ。その為、神羅王がどの様な考えかを知る必要があった。


「だから俺は神羅王を……その強さや人柄を知らなくちゃならない。神羅王が悪意ある人物なら、俺はドウゲンさんを首賭けに出すつもりはありません」

「………。貴公は何故そこまで父に肩入れする?いや、父だけではない……トウカにも、領主達にも、異国の敵だった相手にさえもだ。貴公は何故、ほんの少し指先が触れただけの者にすら心を砕くのだ?」

「……指先が触れたなら……十分でしょう?」


 純心な子供のような目で穏やかな笑顔を浮かべるライに、クロウマルは思わず息を飲む。そこには心の底からの本心が語られていることが理解出来たのだ。


「ほんの少しでも指が触れれば、次は手を繋ぐことが出来るかもしれない。手を繋ぐことが出来れば、今度はその温もりが分かるんだ。俺はそうやって繋いだ縁が何より大切で、それを守る為なら自分が化物になっても構わないと思ってます」

「………。だが、相手にも温もりが……思いが伝わっているとは限らないぞ?」

「良いんですよ……大事なのは俺が相手の温もりを理解していること。それだけで俺は十分なんです。才覚を何も持ち得なかった俺がここまで来れたのは、繋いだ手があったから……」

「…………」

「そして俺は、どうしようもなくそれを求めてしまう。胸の内から本当にどうしようもなく大切で、温もりを守りたくて……」


 そこに嘘偽りは感じられない。クロウマルが羨望する程にライは本心からの吐露を行っていた。


「トウカやドウゲンさんはこの国で最も大事な温もりと言って良い。だから俺は、その温もり達の為に首賭けを潰すつもりです」

「首賭けを潰す……だと?」

「はい。俺はその為の覚悟も決めている」


 それがディルナーチのでの最後の行動になるだろうと改めてクロウマルに告げた。


「本当はクロウマルさんに協力して欲しいんです。あなたは次の久遠王だから……でも、それを話す前にクロウマルさんに確認したいことがあります」

「確認したいこと?」

「……どうしてあなたは、嘉神領主だったコテツさんを見殺しにしたんですか?」


 ライの言葉はクロウマルを驚愕させた。


「………気付いていたのか……一体どうやって……」

「状況からの結論ですよ。久遠国の隠密が優秀さは十分に理解していたので……」


 嘉神領主コテツの死……それは直接的にはヤシュロに因るものだが、ライには疑問に感じていたことがあった。


「隠密【梟】はヤシュロの存在を知ってたんですよね?それが方術によるものか存在特性に由るものかは分かりませんが、知っていて放置した。ハルキヨさんが嘉神領主に取って代わっても、王家に弓さえ引かなければ容認するつもりだったんでしょう?」

「……………」

「強力な魔人と戦い排除するより、取り込むことでより強い国にしたかったのかも知れませんけどね……でも一番の理由は、コテツさんの“ ある行動 ”に気付いてしまった為に処分を考えていた。その中での騒動……だから放置した。違いますか?」

「……大した洞察力……いや、考察力だな。貴公の言う通りだ。コテツには禊として解決の場を与えた。結果、命を落としたのはコテツの力不足」


 隠密に警戒されたコテツの行動……それは、スランディ島国商人への支援である。


 コテツが行った援助はトシューラの支配から一部の商人達を救う為のもの。だが隠密はスランディ島国がトシューラの侵略を受けたことだけを把握しており、結果としてコテツは背信を疑われることとなったのである。


「あなたはコテツさんを信じようとはしなかった……」

「情報を元に判断すればコテツは謀叛人。それを許していては王の示しが付かんだろう」

「コテツさんは久遠国の未来に必要と判断したから、スランディの商人を手助けした。それの何処が謀叛なんですか?」

「王への進言をしなかった。それが謀叛でないと言うのか?」


 ライは首を振った。クロウマルはそれが自分の意見への同意と取ったが、ライの口から出された言葉は別のものだった。


「王への進言はあったんですよ。そしてドウゲンさんはそれを許可していた。あなたが知らなかっただけで、コテツさんはちゃんと忠義を貫いていたんです」

「馬鹿な……そんな話は……」

「混乱を起こさないよう極秘で動いていたんです。知っていたのはドウゲンさんとハルキヨさん、それとライドウさんの三人。異国の侵略となれば事態が大きく国内が混乱する可能性もある。だからコテツさんは、いざとなれば全ての責を負うから切り捨てて欲しいと申し出て王に嘆願した。疑うならドウゲンさんに確認して下さい」


 ライがそのことを知ったのも最近のこと。ドウゲンとの会話の中で、トウテツの婚約が話題に上がった際に聞かされたことだ。


「そんな……それでは私は……」

「クロウマルさんはもっと触れようとすべきだったんだ……ドウゲンさんがそうしたように、少しでも手を伸ばせばコテツさんという人物を理解出来た筈なのに……」


 過信とも取れるクロウマルの判断は、既に取り返しが付かない。コテツを謀叛人とみなし危険を放置した結果、国の未来を見据え命まで賭けた忠臣を失ったのだ。

 いや……コテツだけではない。異変を見抜いた嘉神の忠臣テンゼン、そして嘉神の隠密達も犠牲になったのである。


 今更ながら己の過ちに気付き呆然とするクロウマル。動揺の中でライの哀しげな表情に気付き我に返った。


「貴公からすれば……さぞ浅はかで滑稽な嫡男に見えるだろうな……」


 ライは目を閉じ首を振ることで否定の意を示した。


「クロウマルさんが隠密を取り仕切る様になったのはドウゲンさんの為……『首賭け』に挑む父の負担を減らそうとしたんじゃないですか?」


 ペトランズ大陸側での『魔王出現』を情報として伏せたのは、将来的には開国を望んでいるドウゲンの理念を国外への不安で崩さぬ為。隠密を取り仕切り国内を把握しようとしたのは、ドウゲンの心労を慮ってのことだろう。

 コテツに対しての厳しい判断ですら、次王に相応しいことを証明しドウゲンを安心させようとした焦りからの行動だ。


「……クロウマルさんは出来ることをやろうとした。その結果がどうあれ、俺はそれを責めることは出来ない」

「だが……貴公は嘉神の……トウテツの友だ。私はその友の父を見殺しにしたのだぞ?」

「俺はコテツさんを知らない。でもヤシュロやハルキヨさんのことは深く知ってしまった……だから、コテツさんを直接殺したヤシュロすら憎めない。そんな俺が、父を想う息子の行動を責められる訳がないでしょう?」


 寧ろライは、クロウマルの行動のお陰でヤシュロとハルキヨが本当の意味で悪にならずに済んだとすら考えてしまったのである。


 魔王級の強さを誇ったヤシュロと記憶操作が可能だったハルキヨ。二人が王の討伐隊に抵抗した際の犠牲は、恐らく嘉神の騒動の比ではなかっただろう。

 そしてそれは、マコア率いるトシューラ兵による飯綱侵略に絶好の機会を与え被害を拡大した可能性が高い。そのこともライは理解してしまったのである。尚更責めることは出来ない。


「……クロウマルさんはこれからどうしますか?」

「私は……嘉神に……トウテツに謝罪せねばならない」

「例えあなたが次期国王でも、トウテツは赦さないかも知れませんよ?」

「だが、筋は通さねばならない。私は己の過ちを誤魔化す人間にはなりたくない」

「…………」


 クロウマルは冷酷なのではない。真面目が故に力が入り過ぎているのだろう。優れた王を父として持つが故か、亡き母に代わり父を支える意気込み故か……或いはその両方を一身に背負った結果、冷酷に振舞っていたのだろうとライは感じた。


 ならばクロウマルには、優れた王としての可能性が見込まれる。


「クロウマルさん……もっと民や臣下を見てください。国を知って下さい。大局ばかりではなく、か細い声にも耳を傾けて下さい。それを全て理解して結論を出すのが王の責任だと俺は考えます」

「………家臣を信じなかった私は大きな過ちを犯した。王を継ぐ資格はないだろう」

「過ちを犯したならばそれを糧にして下さい。久遠国嫡男・クロウマル……あなたが次期国王であることから逃げてはいけない。逃げる甘えは許されないですよ?」

「…………」

「以前、ドウゲンさんから王としての在り方を聞いたことがあります。何て言ってたか知りたいですか?」

「……ああ。是非に」

「肩の力を抜く……そうしていられるだけの忠臣を持つことだそうです」


 現在の領主の殆どは臣下であると同時にドウゲンの友人。だから裏切りも起こらず、悩みも相談され国の現状も把握出来る。それがドウゲンが辿り着いた王の形。


「クロウマルさんがそれを真似る必要は無い。でも有益なことは吸収すべきだと思います」

「……私に……出来るだろうか」

「コテツさんは常に未来を見据えていた人と聞いてます。多分、あなたの姿を見たら『前を向いて欲しい』と言うんじゃないですかね」

「前を向け……か」



 長い沈黙──。クロウマルは今、己の中で新たな自分の在り方を模索しているのだろう。結論が直ぐに出る訳ではない。しかし、自らに足りないもの、不要なものを見つめ直す時間は必要だ。


 そうして導き出されたクロウマルの結論。まず始めに決断した答えは、ライを驚かせることになる。


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