第五部 第一章 第十話 師との賭け  


 食事をしながらライは考える……。


 この地にて新たな力を得ることは、必ず後に役に立つだろうと。


 華月神鳴流という剣はライを大きく成長させた。以前のライと比べるべくもない程に戦いの技量が進化したのは間違いない。

 そして、その開祖たるトキサダが編み出した【波動吼】という技には大きな可能性がある。その点はライにとって喜ばしきことだった……。


 しかし……ライはトキサダという人物と出会い、憂いていることがある……。



 新たな師トキサダ……彼は余りに孤独なのだ──。


 試練の地たる祠の領域から出られないその身は、これまで時折の伝位認定でしか他者との交わりが無かった。

 そしてトキサダは、それを良しとし会話さえ交わさなかった。



 だが……ライが言葉を交わし教えを受けたトキサダは好感を与える人物。人の身を捨てたとはいえ、やはり誰かとの交わりが必要だとライは感じていた。


「トキサダさん……一つお願いがあります」

『ん?何だ?』


 トキサダは仮面をずらしスミレの用意した鍋物を頬張っていた……。


「メシ……食えたんですね……」

『食わずとも済むのだがな。味覚くらいは楽しめる様にと大聖霊が配慮をしてくれたのだ』

「おかわり有りますわよ?」

『おお!かたじけない、奥方!実に美味!』

「まあ!お世辞がお上手ですね、トキサダ様」

「……………」



 見える口許はまるで女性の様に線が細い。久遠の王家は皆相当に美形であることを考えると、トキサダも例に漏れていないと思われる。

 トキサダは高齢で亡くなっている。つまり、最終的な容姿は老人……ということにライは敢えて触れない。全盛時の姿を再現し修行を付けてくれているのは、見栄ではなくライの為……それを理解出来るからだ。


『それで……何かあるのか?』

「トキサダさんは【神薙ぎ】のみで良いんですか?」

「…………」


 その言葉だけでトキサダはライの意図を理解した。


『貴公はやはり優しいな……しかし、我は既に人生を全うした後に此処にいるのだ。これ以上を望むべきではないと考えている』

「あなたの見たがっている剣の果ては、俺がいる限り終わりませんよ?それでもですか?」

『そうか……貴公もまた、そうなのだな……』


 永久に近い生を持つ存在……。大聖霊契約、魔人化、半精霊化を経て人ならざる生に至った者。ライが剣の研鑽を続ける限り華月神鳴流の行く末は終わらない。

 つまり、トキサダも永久に近い時間を見届けることになるのだ。


『だが、我の意思は変わらん。永き果て──流派の行く末を見届けると望んだのは我……。今後も【神薙ぎ】と共に研鑽を続けるだけだ』


 流派の果てがないことなど始めから分かっていたこと……剣の行く末を見届けるなど、トキサダ自身が満足する剣を修得するまで存在し続ける為の方便だ。

 そしてそれは己の研鑽でしか届くことがない。例えそれが孤独でも、トキサダは諦められない。


「……一つ、賭けをしませんか、トキサダさん?」

『賭け?一体何を?』

「明日、俺が《鍾波》を完成させたら俺の願いを聞いて下さい」

『明日とは随分と大きく出たな……。完成に近付いたとはいえ、後三日は掛かる筈だ』

「だからこその賭け……受けては貰えませんか?」

『……………』


 トキサダにとってライという男は、伝位の挑戦者であり、愛弟子であり、剣を交えた好敵手でもある。そのライが自らの為ではなくトキサダの為に頼みを申し出ている……それを悟りながら無下に断れるトキサダではない。


『良かろう………その賭けに乗ってやろう。だが、これは一度のみの賭け。今後は受け付けんぞ?』

「ありがとうございます。ところで……明日までの休養は波動さえ使わなければ問題ないですか?」

『うむ……それで良い』

「わかりました。そうと決まれば……」


 ライは鍋の具を急いで頬張る。時折“ アチい! ”と叫びつつも勢い良く腹に詰め込んだ。

 その姿を見ていたメトラペトラは、冷めた具材を咥えながら改めて思った。『この厳しい残暑の中、何故に鍋?』と……。


「スミレさん、ご馳走様でした。美味かったです」

「はい。お粗末様」

「それじゃトキサダさん、また明日」


 ライはそのまま風呂へと向かった。


『……慌ただしいことだな』

「トキサダよ……お主が賭けに勝てるかを賭けぬか?」


 メトラペトラが突拍子もないことを言い出した為に、トキサダは首を傾げている。


『賭けの結果を賭ける?何をお考えか、メトラペトラ殿?』

「なぁに……ただの座興じゃよ。無論、ワシはライに賭けるがのぅ?」

『……賭けるのは何を?』

「そうじゃの……お主が【神薙ぎ】に至った際のライへの伝授、でどうじゃ?」

『……承知した。が、可能性は低いと思われるが?』

「やれやれ……お主もまだまだじゃな」

『……?』

「それも明日になれば分かるじゃろう。さて……ワシはトウカを呼んでくるとしようかの。折角の料理が冷めるからのぅ」


 試練の間を去るメトラペトラ。トキサダはその背を無言で見つめていたが、スミレが目の前に置いた湯飲みに気付き我に返る。


「ウフフ……ライ殿は人気者ですね」

『人気者……ですかな?』

「ええ。ライ殿に関わった人達は、皆さん不思議と気にしてらっしゃるのですよ?それに信頼している。きっと、いつも誰かの為に奔走してるからね」

『…………』

「先程の賭け……私も加えて貰いましょう」


 スミレまでもがライに賭けると言い出したことに、トキサダはとうとう笑いを漏らした。


「おかしいですか?」

『いや……そうではないのだ。成る程と思ってな』


 人気者……というより信頼されているのだろう。それがライの積み上げたものであることはトキサダも理解している。


『それで、何を賭けるのかな?』

「私が負けたら何でもお好きな料理をお作りします」

『では、私が負けた場合は……?』

「その時はトキサダ様の御随意に」

『……わかった』



 ライの知らぬところで賭けが増えていることなど当人は知らない。だが、増えた賭けはトキサダの胸中に温かなものを感じさせていた。



 翌日───。



 トキサダとメトラペトラが見守る中で、《鍾波》修得への挑戦が始まった。



『刻限は日暮まで。では……始め!』


 だが……ライの目は既に確信を宿していた。


 波動展開、構え、波動操作による圧縮、そして天網斬り……昨日とまるで違う淀み無さにトキサダは驚く他無い。


『………。まさか、ここまで見事に……』

「どうじゃ?驚いたじゃろ?」

『一体どうやったのだ……?確かに波動は昨日から感じていないのだが……』

「ライは意識下で仮想の空間を創り、何度も研鑽を繰り返したのじゃろう。実時間よりも長く研鑽を出来る奥の手といったところよ。お主もやっておるのではないかぇ?」

『………そんな真似まで』

「少々ズルになるので、急ぎでなければ滅多にやらんがの……。今回、アヤツにはそれだけ譲れないことがあったのじゃろう」


 『首賭け』までの時間の足りなさにトキサダとの賭けが加わったライの意気込みは、それまでとはまるで別物……。メトラペトラはそれを理解していたからこそ賭けを持ち掛けたのである。


 それが誰の為の意気込みか……当然トキサダは理解している。


『……。ライは、そこまでして我に何を頼むと言うのだ?』

「さてのぅ……じゃが、悪いようにはなるまいよ。お主の言葉を借りるならば、『ライが導く幸運』は今まさにお主に向いていると思うがの?」

『…………』


 そんな師達の会話の中、ライは《鍾波》を放つ態勢が整った様だ。


「行きます!」


 柄頭を左手掌底で叩き一気に《天網斬り》を流し込む。同時に刃を向けた壁の蝋燭は、横一文字に掻き消えた。


『………見事だ』


 どこか満足そうなトキサダは、ライに近付きその肩を叩く。


『賭けは我の負けだな……。願いとやらを言うが良い』

「………トキサダさん。弟子を取って下さい」

『弟子を?……。そんなものが願いなのか……?』

「だって……勿体無いじゃないですか。トキサダさん程の人が弟子を取らないなんて、それこそ剣の行く末を閉じることになりませんか?」


 トキサダの自覚なき孤独を違和感無く埋めるには、弟子という形が最適……ライはそう判断した。


「一人でも二人でも良いんです。【神薙ぎ】研鑽の邪魔にならない程度で良いから、その手を弟子を育てることに使って欲しい」

『………。貴公は我の為に……』

「だってが孤独なんて寂しいでしょ?俺はトキサダさんにだって幸せで居て欲しいんです。愛弟子なら当然ですよ」

『………そうか』


 トキサダは自らの顔に手を伸ばし鬼面を取り外す。中から現れたのは女性と見紛うばかりの美男子だ。


『この面を持って行け。貴公が事に当たる際に付ければ、建前としては貴公の罪では無くなる』

「……ありがとうございます」

『フフ……感謝するのは我の方だな。数百年振りに交えた言葉が親交と愛弟子を与えた。そして弟子を取れ……か』

「カヅキ道場と繋がっているなら良き弟子が来ると思いますよ?」

『うむ……そうだな。それで、ライよ。直ぐに立つのか?』

「一応、トウカに挨拶してから行くつもりです。カブト先輩にも改めて頼……あれ?そう言えばカブト先輩は?」

『はて……。そう言えば、昨日以来見ておらんが……』


 契約対価の飴を手にした蟲皇は、それ以来姿が見当たらない。


 と……そこにリクウが戻って来た。


「リクウ師範……トウカは?」

「まだ修行中だ」

「頑張ってるんですね、トウカも……無理させない様にお願いします」

「言われるまでも無い。それよりもお前はどうなった?」

「修行は終わりました。それで今後なんですけど……」


 『首賭け』を見届けるまでディルナーチに滞在する旨を伝えていたライは、神羅国へと向かうことも相談することにした。

 リクウはその真意を何となくではあるが理解した様だ。


「神羅国か……。ならばドウゲン様に挨拶をしてから行け。神羅国にはこちらが放った密偵も存在する。裏切りなどと騒がれると面倒だろう?」

「わかりました……ところで、カブト先輩知りませんか?」

「森の中に居たな……昨晩はあの灯りで修行が出来た」

「どの辺ですかね?」

「……眩しいから行けば一目で分かる。トウカも側にいる筈だ」

「それはトウカの邪魔になるんじゃ……」

「今は瞑想をさせているから大丈夫だろう。行ってこい」


 言われるがまま森に向かえば、妙に眩しい光がライの視界に差し込んだ。

 太陽が水面に反射したのかと思っていたそれは、近付く程に輝きを増して行く。


 間近に立ちようやくその正体を把握したライは、己が目を疑った。


「カブト先輩……超ヤベェ……」


 真昼にも拘わらずそれとわかる輝き……。まるで太陽が如き閃光を放つのは蟲皇さんである。


「カブト先輩……。な、何でそんなに光ってるんですか……?」

(飴が美味で昂りを抑えられなんだ……許せ)

「いや……ま、まあ良いですけどね?俺は修行を終えたので今後のことを……」

(約定は忘れておらぬ。トキサダの技が成るまでこの地で手助けを行う)

「ありがとうございます。対価の甘味はリクウ師範に頼んでおきますから」

(……うむ。もし手が必要ならば呼ぶが良い。どこでも手助けをしてやる)

「はい。その時は頼みます」


 輝く蟲皇から離れトウカを探せば、岩の上に座禅する姿が見えた。


 ライは瞑想するトウカの目の前に向かい合い胡座をかく。そしてその顔を改めて見つめた……。


 久遠国の姫君……その見目麗しき姿は神羅国にまで伝わっており、長年の諍いを終結する条件として嫁ぐことを要求されていた。


 初めは姫君としての立場に揺れ遠慮がちだったトウカは、今や強さを宿し凛々しくあろうとしている。ライには僅かな愛おしいさが過るが、それは良からぬ考えと頭を振った。


「トウカ」


 呼び掛けに反応したトウカは目を開き頬笑む。


「ライ様……修行は?」

「俺は修行を終えたよ。本当はトウカの修行が終わるまで待っていたいんだけど、どうしてもやることがあるんだ。だから一旦お別れになる」

「はい……私はここで修行を続けます」

「………強くなったね、トウカ」

「ライ様の……お陰です」


 いつもライの近くに居ようとしたトウカは、今自分の意思で行動を始めた。それは大きな成長だ。


「……俺はトウカの味方だ」

「はい」

「だから……俺を信じていてくれる?」

「はい……」

「ありがとう。じゃあ、少し行ってくる。無理はしちゃ駄目だよ?」

「ライ様も……お気を付けて」


 互いに見つめ合い頬笑むライとトウカ。そこには、語らずとも伝わる信頼があった。




 修行を果たしたライは、トキサダとリクウに改めて別れを告げ王都・桜花天へと向かうことにした。



 その日を境に『首賭け』の間近まで、ライは久遠国に戻ることはなかった……。




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