第五部 第一章 第六話 ライの覚悟、トウカの覚悟


 トキサダから説明を受けたライは、修行を再開する前に『試練の間』を一旦離れることにした。


 感覚を掴むだけならば試練の間の外でも可能……ならば、祠から出られぬトキサダの研鑽の為にと場所を譲ったのである。


 そんなライが祠の外に出ると眩しい陽射しが目を刺激した。

 季節は薄着が未だ心地良い残暑──。昼には半刻ほど早い時刻……爽やかな風が土や森の香りを運ぶ。


「ん~っ!やっぱり外は気持ち良いねぇ……まだ少し暑いけど、季節を感じる。……。そういや、トウカも外でも修行をしているんだっけ」


 トウカの姿を捜そうとしたライは、直ぐに思い直した。

 トウカは自らの修行をライに見られたくないらしく、修行中の接触は避けている様なのだ。


「無理に覗くのはマナー違反だぁね……それにしても、鬼人てのはそんなに姿が変化するのかな?リクウ師範の話じゃ殆ど変わらないって話だったけど……」

「何じゃ?休憩かぇ?」


 上空より声を掛けられ視線を向ければ、そこには飛翔するメトラペトラの姿が……。


「メトラ師匠……。休憩では無いんですが、試練の間はトキサダさんの【神薙ぎ】研鑽の為に必要かと。で、俺は外で修行に……」

「お主が居らんのなら研鑽になるまいよ?」

「……そう言えばメトラ師匠は知らないんでした。先ずはこれを見てください」


 ライは右腕の裾を捲り上げ精霊契約紋章を見せた。しばらくそれを眺めていたメトラペトラは、思い出した様に前足をポンと合わせる。


「思い出した。これは蟲皇の紋章じゃな?」

「お知り合いだったんですか、メトラ師匠?」

「蟲皇は先代の神に仕えていた精霊じゃからの……少し面識がある程度じゃ。お主、いつ契約したんじゃ?」

「この間『火の里』に行った日に鳳舞城の書庫で。方術の勉強中に方術陣の中から突然現れました」

「召喚ではなくアッチから勝手にかぇ?」

「はい。自由に行き来出来るらしくて……」

「ふぅむ………」


 その昔……女神アローラに仕えていた蟲皇は、幸運竜ウィトと一緒にいることが多かったことをメトラペトラは思い出した。


(ウィトの地孵りであるライの気配を感じ取ったのかのぅ……契約もそれを含めてのことと考えて良いじゃろう)


 いや……蟲皇は友たる幸運竜ウィトを捜していたのかも知れない。ならばこの契約も必然と言える。


「師匠……?」

「いや……何でもないわ。しかし、成る程のぅ……蟲皇は最上位精霊。【神薙ぎ】の研鑽には持って来いの相手じゃな」

「これで俺が居なくても研鑽には困らないでしょう?」

「そうじゃな……が、これで大聖霊以外の契約は三つ。随分と増えたのぅ……」


 右手前腕部に浮かぶのは蟲皇の紋章……。そして左手には水の聖獣紋章。掌にあったシルヴィーネルの紋章は契約を果たしたことにより消え、代わりにフィアアンフの黒竜紋章が刻まれている。


「多いと何かマズイですかね?」

「魔力の減りが早くなるのは確かじゃな。が、チャクラに膨大な魔力蓄積出来るお主には関係無いじゃろ……ホントに申し合わせたような運じゃのぅ」

「あ……それなんですけどね?実は……」


 先程のトキサダとの会話を伝えると、メトラペトラは白目を剥いて何やらニャムニャムと呟いている。


「メ、メトラ師匠……?お、お~い!」

「必殺!酒地獄!」

「くはあぁっ!酒臭っ!」


 心配気に覗き込んだライに向かい、メトラペトラは口から酒の吐息を吐いた。ライは酩酊している!


 メトラペトラの攻撃!再び酒の吐息を吐いた!ライは吐き気に襲われた!


 ライは酒気を分解した!ライの反撃!メトラペトラの身体を撫で回した!メトラペトラは嬌声を上げた末、グッタリとしている!



 ………不毛な戦いが……そこにあった。



「ハァ……ハァ……な、何すんですか、いきなり!」

「ハァ……ハァ……う、うるさいわっ!ボケェ!存在特性が三つじゃと?いい加減にせんか、たわけめ!」

「え、えぇ~っ……」


 メトラペトラ、マジ切れ……。ライは素直に謝るしか無い。


「……スミマセン。何かその……とにかく、ごめんなさい」

「全く……何でお主はそう……ハァ~ッ……ま、まあ良いわ」


 トキサダに『ライはおかしいから何かあっても気にするな』と忠告したメトラペトラは、自ら驚く結果となった。


 その原因。それは───。


(存在特性が三つじゃと?【幸運】はウィトのものか……じゃが一つはライのものとして、もう一つは何じゃ?意味が分からんわ)


 確定していない存在特性というものが既に意味不明。流石のメトラペトラも困惑の色を隠せない。


「……で、お主はどう考えておるんじゃ?」

「存在特性ですか?ん~……俺、ラッキー?」

「………そうじゃった。お主はそういう奴じゃったな」


 親指を立てるライに対して、盛大な溜め息を吐くメトラペトラ。


「ま、まあ、どのみちどうなるかは誰も分からん。今は修行で力を蓄えることじゃ。何か不調があれば言うのじゃぞ?」

「了解で~あります!」

「………。それと……もし【幸運】を把握出来た場合、いよいよ【神衣かむい】に至れるやもしれぬ。犬公……大聖霊アムルテリアに会うのとどちらが先か分からぬが、クローダーを救う道は思ったより早いかもしれんの」


 以前メトラペトラは、クローダーを大聖霊の面汚しと吐き捨てたことがある。

 しかし実は、同じ大聖霊でありながら壊れて行くクローダーを救えないことがその腹立たしさの原因だった。


 大聖霊達は神に創られた云わば兄弟姉妹。心底に憎み合うことは有り得ない。



 ライと出逢ったことはクローダーにとっての【幸運】。トキサダの言うように、【幸運】の存在特性は大聖霊達さえも確かに導き効果を為している……メトラペトラはそう理解した。


 そしてそれはメトラペトラ自身にも言えること。ライと出会ってからの時間は、メトラペトラが十万年存在している中で最も幸せ……口にはしないが、そう自覚もしていた。


「……。それで、修行の方はどうじゃ?」

「それが中々……天網斬りの時は結構早く掴めたんですけど、波動というのが良く分からなくて……」

「天網斬りは【斬る】という感覚からも繋がるとリクウも言っとったからのぅ……修行の間リクウが背後から感覚を送っていたのも早期で把握出来た理由じゃろうがの」

「リクウ師範、そんなことしてくれてたんですか?知らなかった……」


 普段は素直ではないリクウは、師としての器は確かに持ち得ている。特にライの人間性を見極めてからは、親身に修行を付けていた。


「トキサダもやっていた筈じゃが、やはり波動が分からんかぇ?」

「ボンヤリと、って感じですね。何というか……空気振動の皮膚に伝わる感覚が無いバージョン?何となくザワリとするような……」

「何じゃ……把握はしておるではないか……」

「何となく感じる範囲では、ですよ。それがアチコチから飛んでくるんで余計に判りづらくて……」

「今のお主は感覚が過敏なのやも知れんのぅ。他は遮断して、己の波動のみを探るようにした方が良いのではないかぇ?」

「そんなこと可能なんですか?」

「そこは集中力の問題よ。じゃが得意じゃろ?意識を操作するのは」


 言われてみれば確かにやれそうな気がしたライは、ドレンプレルでも使用した『意識集中』を試みる。

 目を閉じて意識を外ではなく内……己のみに集中。自らが放つ波動を把握する為にあらゆる器官を総動員。普段、魔法に向ける意識さえも波動の把握に努めた。


 そんな中、ほんの一瞬自らから広がる『違和感』に気付いた……。


「………今の!……わ、解った気がしますよ、メトラ師匠!」


 目を開きメトラペトラに語り掛けるライ……。だが、既にメトラペトラの姿はない。

 代わりにそこに居たのはトウカだった……。


「………え?あ、あれ?メトラ師匠がトウカに変身?」

「ウフフ……違いますよ、ライ様。メトラ様はあちらに……」


 トウカに促されて視線を向ければ、祠の入り口でリクウと話しているメトラペトラの姿が見える。


「…………いつの間に……」

「お気付きになりませんでしたか?ライ様、もう一刻程もこうしていたのですが……」

「え?そ、そんなに?」

「お食事の用意が出来てお声を掛けたのですが、反応がなくて……メトラ様は『直に気付く。それまで放っておけ』と」

「……そっか。ゴメンね、トウカ。待っててくれたんだね……」


 ライが気付くまで傍でずっと待っていたトウカ。恐らく食事もしていないのだろう。

 修行中の身であるのはトウカも同じ。ライはトウカと共に必要な栄養を摂ることにした。



「修行の方は如何ですか、ライ様?」

「うん。先刻ようやく取っ掛かりを掴んだよ。……トウカはどんな感じ?」

「私は……その……」


 どうも歯切れが悪いトウカは何か迷いがある様子。


「トウカは『鬼人の力』の制御だったよね?そんなに難しい?」

「いえ……その……。私は鬼人の姿があまり好きではないのです」


 魔人の一種、『鬼人』──。ディルナーチの民の魔人化は基本的に形状が統一されている。額に角が発生するその姿は、異界からロウド世界に渡った『百鬼族』の遺伝子が大きく影響しているのだろう。

 人と鬼……自由にその姿を変えられるのはディルナーチの鬼人達の特長でもある。


「……鬼人化してもあまり普段と変わらないってリクウ師範から聞いたんだけど、何で嫌なの?」

「それはその……角が……」

「ツノ?鬼人だから角があるのは普通じゃないの?」

「……それはそうですが……ラ、ライ様は女性の額に角が出ていても平気なのですか?」

「ん~……別に気にしないよ?」

「本当に?」


 上目遣いでライを見るトウカは乙女の表情。ライはドキリとしたが、真剣な悩みには真剣に返すべきだと努めて真面目に答えた。


「………トウカは俺の額のチャクラ、どう思う?」

「……初めは驚きましたが、それ以降はそういうものだと……」

「それと同じじゃないかな……大きく変化しているとどうしても驚くかも知れないけど、部分的なものは気にならないと思うよ?」

「そう……なのでしょうか……」


 まだ不安げなトウカにライは改めて笑顔で告げる。


「俺はトウカの味方だから『鬼人化』がどんな姿でも気持ちが変わらない自信はある。でも、トウカが嫌なら無理に修行をする必要は無いと思うよ……。久遠国は良い国だし、強い人も多いからね」

「ライ様………」

「それでも力が欲しいなら出来るだけ協力するつもりだ。だから、トウカは自分が後悔しない答えを選んで良いんだよ」

「………はい」


 どこまでもトウカの味方……そう約束したライは、間も無くディルナーチから居なくなる。だからこそトウカは、自分も強くならねばと修行の申し出を受けたのだ。

 ライがディルナーチを去るその時に枷にならない様に……そう思いながらも、トウカの中には無意識下でそう踏み切れない自分が存在している。


 鬼人化に躊躇いがあることを理由にして、修行を終えるまでライを引き留められないだろうか?──トウカ自身がそう計算をしている訳ではなく、恋する少女としての我が儘が無意識にそれを利用していたのだ。



 トウカは今、そんな自分の気持ちに改めて気付いてしまった……。ライはトウカにとって、それ程に大きな存在になってしまっていたのである──。



「さて……それじゃあ修行の続きをするかな。取り敢えず俺はその辺で修行してるから……」

「トキサダ様のお相手は……?」

「カブト先輩に任せてきた。最上位精霊だから申し分無いでしょ?」


 トウカはまた一つ、ライが久遠国に留まる理由が消えたことを知る……。


 この時点でトウカは、ある覚悟を選択肢として自らに設けた。賭けとも言えるその選択……結果次第では『鬼人の力』が必要になる。

 そうしてトウカは、『首賭け』の日まで真剣に修行に打ち込むことを選んだ。



 しかし、鈍感なライはトウカの決意に気付くことはない。正直なところ余裕が無かったのである。


 そこまで焦る理由──それこそは『首賭け』が迫っているからに他ならない。



 久遠・神羅両国の威信を賭けた王の一騎討ち『首賭け』──そこに介入することは大罪。それを理解しつつも、ライは『首賭け』という制度そのものを破壊しようとしている。

 後世に渡るまで『首賭け』という制度を無くす……それはディルナーチ大陸の統一、若しくは完全なる友好でのみ可能だろう。


 しかし、ディルナーチの統一は互いの国の立場上現実的とは言い難い。結局は王家同士の殺し合いに繋がってしまうからだ。

 だからこそライは、友好の道を確かめに神羅王に会おうと考えていた。



 もし、それでも願いが果たせぬならば──ライはトウカとはまた別の覚悟を胸に宿し修行を続ける。



(とにかく、【波動吼】の修行を仕上げよう。波動の感覚を一瞬でも掴んだ今なら、何とか把握の達成は出来そうだ)


 ようやく掴んだ感覚……ここからライの【波動吼】修得は加速して行く。

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