第四部 第七章 第十九話 侵略の爪痕
ドレンプレルでの騒動を終え疲れ果て眠るライは、無意識に分身体の見ていた記憶を夢として体験する。
それは僅かにずれる記憶や認識統合の為の調整──実際にしてほんの僅かの時間……メトラペトラがメルマー家の兄弟達に今後の注意を伝えている時からスランディ島に帰還するまでの間のことだ。
意識の世界は現実世界とは隔絶した時の流れ。ライがトシューラ国に向かった間のスランディ島の出来事は、瞬時に……それでいて緩やかに脳裏を過って行くのだった。
「これで良いかな、トウカ?」
「はい、大丈夫です。随分書けるようになりましたね」
スランディ島の宿屋の一室。本体ライがトシューラに向かった翌日、分身ライは朝から文字を習っていた。
久遠国で約束して以来、トウカは時間を見付けてはライに文字を教えていた。何せ『トラブル勇者』はじっとしていないのだ。こうしてゆっくり文字を学ぶ時間は案外少ない。
「それにしても何かの紋章とか絵みたいな文字だよね」
「はい。あちら側……異世界の文字で【漢字】というそうです。形を模した字も多い様ですね……例えば“ 木 ”などは形がそうではありませんか?」
「う~ん……確かに」
「文字の数はとても多いので私も全ては書けませんが、手紙に必要な程度の漢字はお教え出来ます。ライ様は片仮名と平仮名を随分早く覚えましたから、手紙もすぐに書けると思いますよ?」
「トウカの教え方が上手いからだよ。ありがとう」
「そ、そんなことは……」
頬に手を当て頬笑むトウカは少し顔が赤く見える。
「文字には意味があります。一文字で多くの意味を含んだり、形の無いものを表したりします。人の名前に意味や願いを込めたりもするんですよ?」
「人の名前か……そういや、ペトランズ大陸は魔法王国時代の古いまじないの言葉を人名にしたりするよ?」
「そうですね……それに近いと思います。あとは地名、国名などの文字にも意味があります」
筆を取ったトウカは紙に文字をしたため始めた。
「【久遠国】【神羅国】は、かつて国を別けた王子の名です。兄、桜森『神羅』。弟、桜森『久遠』。それぞれの名を国名にしたのは二人の時代よりかなり後世ですけど」
「へぇ……因みに、トウカはどう書くの?」
「はい。こう……これで『桃華』……トウカです」
「花の名前なんだね」
「はい。久遠国に桃の木はあるにはありますが、季節が違うので花はお見せすることが出来ません」
「それは残念だ。でも、トウカの名前なんだからきっと綺麗な花なんだろうね」
「フフ……ありがとうございます」
「他にも教えて貰える?」
「はい。喜んで」
王家の姓『
「となると、トウカは名前に二つの花があるのか……」
「はい。あ……ツバメ様やヒバリ様は本名だとお聞きしましたが、通常隠密は名を変えている場合があります」
「え?あ~、じゃあシギは違うのか……後で聞いてみないと」
「実は既に嘉神領主『
「だからシギ……『
「トビはサルトビ・ヤヒコ……『猿飛弥彦』です」
「だからトビ……
文字を習い、より身近になった気がする久遠国。ライはふと考えた。
「……じゃあリルにも久遠国の字で名前を付けてやりたいな」
「リルちゃんに……ですか?」
「あの名前は元々、絵本の『海の神様』を思い出して付けた名前なんだ」
「海王だから海神の名を付けたのですね?」
「初めは女の子だって知らないからパッと思い付きで付けた。でも折角久遠国に居るなら、改めて正しく付けてやりたいと思ってさ?」
「そうですか……きっと喜ぶと思います」
「それで……トウカのお母さんの名前から文字を貰っても良いかな?」
「はい?あ……母はルリ……『瑠璃』でした。確かにリルちゃんと似てますね」
トウカの様子を窺うライ。亡き母の名から文字を貰いたいという願いが不快に思われないか心配だったのだ。
だが……それは杞憂でしかなかった。
「そうですね。母も喜ぶと思います。今ではスズ伯母様の子なのですから」
「……ありがとう、トウカ」
「いいえ。……知っていましたか、ライ様?リルちゃんの様な髪の色を『瑠璃色』というのですよ?」
「瑠璃色……こうしてみると、リルはこの国に来る運命だったのかなぁって思うよ」
「それはきっとライ様も同じだと思います。多くの人がライ様と出会い救われた。私も……ライ様に出逢えたから……」
「うん……そうだね」
運命……確かにそれは運命と言えるのだろう。
メトラペトラはその旅の流れを『伝説の勇者バベル』の意志が介在していると語ったことがある。しかし、ライからすれば“ それがどうした? ”と言ったところだった。
重要なのは自らの意思でどう感じ、どう動いたかということ。それに関しては、確かにライ自身で決断したと断言出来る。
その結果のかけがえの無い出会いこそ、ライ自らの運命……そう信じているのだ。
「……よし。じゃあ、リルは文字を貰って『璃瑠』ということにしよう。あ……逆さにして大丈夫かな?」
「特に問題は無いと思います。それに、大切なのはそこに込められた想いだと私は思いますから」
「ありがとう。それじゃ帰りに不知火領に寄ろうか。もう結婚式の日取りも決まったかもしれないし」
「そうですね」
それから翌日までは、トウカに文字を教えて貰いつつ互いの思い出を語り合い時間を過ごす。
時折トウカはマコアと何か相談話をしている様だったが、一応“ 女同士 ”の会話なのでライは敢えて問い質さずにいた……。
そんなトウカに変化が現れたのはスランディ島滞在二日目のこと……。
「ト……トウカ?その格好は……」
「に、似合いませんか?」
ライの前に現れたトウカは、いつもの袴姿ではなくサマードレス姿だった……。
白を基調にパステルブルーを配ったデザインは、スランディ島の気候に良く映えて見える。
「いや……うん。凄く似合うよ」
「良かった……マコア様に薦められて涼しげな格好をと」
「あ~……。ゴメン!そうだよね……あの格好じゃ暑かった筈だ。早く気付けなかった俺が悪い」
常時、黒身套を極薄で纏うのは分身も同様。魔人化の際に耐熱性が上がった事もあり、気候に関しては視覚情報ばかりが優先してしまうライ。トウカの服装にまで気が回らなかった様だ。
トウカは魔人化をしているが纏装を殆ど使用していない。当然、スランディ島の気候に着物・袴姿では暑い筈だった。
「……うん。トウカはどんな服も似合いそうだ」
「そう言って頂けると嬉しいです。でも、少しヒラヒラしていて不安ですけど……」
「ハハハ……大丈夫だよ。それに涼しいならその方が良いでしょ?」
「はい……確かにかなり楽になりました」
「うんうん……マコアに感謝しないとね。そういや、そのマコアは?」
「何やらお忙しそうでしたけど……」
スランディ島国に存在するトシューラ兵は既に懐柔を成したというマコア。その有能さは理解しているが、その後も慌ただしく動いている様子が気に掛かった。
これはこの島で暮らす者達の役目……マコアがそう宣言した為、極力スランディ島の事情には口を出さないでいたライ。
しかし確認しなければならないこともあるので、改めて話そうと考えていたところだった。
「どれ……少しマコアを捜……」
「必要無いわよ、ライちゃん?」
部屋にのそりと姿を現したのは当のマコアである。
トウカと色違いのサマードレスを着ているマコアは、ややゲンナリとした表情でイスに座ると円卓に突っ伏した。その巨躯の過重に円卓と椅子が軋んでいる。
「………どうした?何か問題か?」
「……元トシューラ兵の方は解決したのよ。船を宿代わりにするのも大体目星が付いた。でも、新しい問題があって……」
「新しい……問題?」
「ええ。元から島に暮らしていた民達に薬物が広がってしまっていたの。よりによって『マドレーの種』よ?……どうしましょ……」
「マジか……。これまた厄介なものが……」
聞いたことのない言葉にトウカは首を傾げている。
「何でしょうか、その『マドレーの種』というのは?」
「ん?ああ……トウカが知らないのも無理もないよ。簡単に言うなら麻薬だ」
「麻薬……」
「そう……しかもかなり中毒性が高い。ただ、マドレーの種はペトランズでも一部の火山地帯にしか無い植物の種なんだよ。そんなものが何でスランディ島に……」
この疑問を受けたマコアは突っ伏したまま溜め息を吐いた。
「十中八九トシューラが持ち込んだんでしょうね……。アレの栽培に成功して他国侵略の際に使用した貴族がいたわ」
「……それがスランディ島の統治を任された貴族ってことか?」
「ええ……ホルツという名前の貴族で、とにかく怠惰な男。しかも領主では無いけど名門貴族。薬物をスランディに撒いたのも統治に使う労力が面倒だったからでしょうね」
「とんでもない下衆だな、おい……。で、何か策はあるのか?」
「う~ん……治療系の魔術師は居るには居るんだけど、技量が低くて薬物治療は無理ね。地道に薬物を断っての治療になるわ」
現状御手上げ。元々スランディ島国民が侵略を理解した際に、現実逃避の為に拡がった薬物……ある意味自業自得でもある。
しかし、今後は共に暮らすことになるのだ。見捨てるのは得策ではない。
「それじゃ数年掛かるな。………。なぁ、マコア?今日にもリーブラの人達が島に来るかも知れない。時間的に考えても俺が力を貸した方が早いんだけど?」
「……それがわかってたから落ち込んでるのよ。ライちゃん、折角トウカちゃんとお話ししてたのに……それにあんな啖呵切っておきながら結局頼るなんて、女が廃るわ」
「この際、個人感情は諦めてくんないかな?早く助けた方が島民の為でも有るだろ?」
「……わかった。お願いするわね、ライちゃん。ゴメンね、トウカちゃん……」
ムクリと起き上がったマコアは早速行動を開始。薬物中毒者を一処に集めライに報告しに戻った。
集められたのは港にある倉庫。ライとトウカは中の様子を覗き見る。
集められた者達は凡そ二百人程。殆どの者が成人の男だが、中には小さな子供まで含まれていた。その全員が虚ろな目でヘラヘラと笑っている。
その光景をトウカは悲しそうに見つめていた。
「酷い……」
「……これも侵略された側の悲劇。忘れちゃダメなことだよ」
「はい……」
「まあ、今から何とかするんだけどさ?マコアはこの人達が正気に戻ったら説明を頼む」
「ええ……わかったわ」
倉庫の中へと足を運んだライは、早速魔法を発動。使用したのは幻覚魔法 《迷宮回廊》である。
これはライの安全の為ではなく中毒者側の為のものだ。治療中暴れることが無い様にという配慮だった。
(……う~ん。薬物を抜くだけじゃダメだな、コリャ。身体がボロボロじゃないか……)
欠損部位がある訳ではないが、過剰な疲弊による臓器の劣化は回復魔法だけでは癒すことが難しい。
そもそもで言えば、中毒性の無い幻覚魔法による【現実逃避】が可能なロウド世界──そんな商売すら成り立つ世界で、実際の薬物に手を出す者は稀……。故に治療は確立されておらず、薬草を研究し尽くした者でも治療は困難だった。
だが、そこは只のアホウでは無い勇者ライさん。額のチャクラによる《解析》で肉体を調べ尽くし、最適な治療法を模索する。
(なんとビックリ……まさか、父さんの言ってた通りだったとは)
辿り着いた答えは、父ロイが以前話していた方法。ロイが若かりし頃、旅先の魔術師から聞いたという手法は頭の隅で確立を果たす。
「マコア、酒を持ってきてくれ。出来れば樽で頼む」
「酒?何をするの?」
「良いから早く頼む。トウカは手伝ってくれる?」
「わかりました」
用意された酒樽の中に解毒効果を付加した純魔石を砂粒ほどに粉々に砕き投入。魔石が暴発しないよう内包魔力だけは調整してある。
ライとトウカは、その酒樽が空になるまで中毒者全員の口に酒を流し込んだ。
「え?それで終わりなの?」
呆気に取られたマコア。ライは肩を竦め説明を始めた。
「あとはこのまま寝かせておくと発熱が始まるんだってさ?酒に溶け出した魔石の解毒成分を胃袋から取り込んだら、今度は魔石の粒が毒素の吸収を始めるんだ。そしたら毒素の粒が体外に排出されるから、また酒を飲ませる」
「お酒じゃなくちゃ駄目なの?」
「酒は血流が速くなるから成分が全身に回り易いらしいよ。本当はこれを数日繰り返さなくちゃならないんだけど、
ロイが語った本来の方法は、魔石が貴重なので劣化魔石を使用する治療法だという。その為効果が遅く回数も必要なのだとか。
それを稀少魔石である純魔石、しかも《浄化》まで付加したという贅沢っぷりにマコアは呆れていた。
「……勿体無い。時間掛けても劣化魔石使えば良いじゃない」
「そう言うなって。間もなく国王様の凱旋だ。皆で健やかに迎えて貰いたいんだよ」
「国王……本当にリーブラの民を救い出したのね?」
「互いに負い目や恨みがあるだろうけど、そこはマコアが上手く調整してやってくれよ?」
「簡単に言うわね……。直ぐには打ち解けないと思うわよ?でもまあ、恩人の意に叶うよう努力はしてみるわ」
「因みに妖精の森がオマケで付いてきます。そっちとも仲良くね?」
トウカとマコアは『妖精』という言葉に反応し驚愕の表情を浮かべている。
「妖精?妖精ってあの妖精族?」
「御伽話は私も本で読んだことはありますけど……ライ様、本当に妖精なのですか?」
「本当だよ。妖精の女王はウィンディって言うんだ。リーブラ王族との盟約があるから森ごと移動して来るってさ。彼女達にとっても新しい国になるんだ。しっかり頼むぜぃ?」
「………ライちゃんに出会ってから驚かされ通しよ、私」
「私もです……」
《迷宮回廊》を解いたことにより、程無く薬物中毒者達は目覚め己の身体の異変に気付く。強力な中毒症状が消えていたのだ。
しかし、体力は落ちたまま。そこでライは、指環型の純魔石を人数分用意。中毒だった者達全員に手渡した。
効果は《自然治癒上昇》。魔導具の指輪には今回、実験を兼ねてある加工を施してある。
「落ちた体力は直ぐには回復しない。肉体を蝕んだ毒素は怪我より病に近いから時間が掛かるんだ。だから、その指輪を常に着けておく様に。完治したら指輪は霧散するからね?」
次も指環が使えると思わせない様にする為の加工。これで完治後も薬物に頼ることは避けられるだろう。
「じゃあ……この人達にも現状を説明してやってくれるか、マコア?それと、後で話があるから終わったら部屋に来てくれる?」
「分かったわ」
「よし。行こうか、トウカ」
「はい」
問題を一つ解決し宿に戻るライとトウカ。スランディ島には、まだ様々な意識的問題が残されている。
そして、その最たる例がライ達の滞在する宿に訪れる……。
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