第四部 第七章 第十五話 イシェルド防衛網



 場面は再びのドレンプレル。進軍の準備を進めていたメルマー家では、一つの変化が起こっていた。


「クレニエス!参加する気になったのか?」

「……ああ」


 進軍前の準備に顔を出したクレニエス。自前の軽甲冑を着込み剣を携えた戦装束……グレスはどこか嬉しそうな表情でクレニエスの肩を叩いている。

 対して、あからさまに不機嫌だったのは次男のボナートだ。


「………ちっ!参加しない筈だったのに、どんな心境の変化だ?」

「……少し気になることがある」

「気になること?……何だ、それは?」

「………まだ、わからない」

「……。まあ良い。あまり張り切らぬことだな」


 ボナートはドカッと椅子に身体を預け目を閉じる。


「………それで、どういう流れに?」

「以前話した通りだ。これはドレンプレルの当主を決める戦い。兵の数は全員均等に分けてある。勝負はこの地の出立より開始し、それぞれ好きな作戦で行動する。相手国王を屈服、または討ち取った者がドレンプレルの新しい領主だ」

「……わかった」

「お前が不参加ならば兵の数を調整するところだったがな……無駄手間にならずに済んだ」


 正々堂々領主を決めたいと語る長兄グレス。競争相手が増え不機嫌な次兄ボナート。そして……突然参加を決めた末弟クレニエス。ここが『大領主メルマー家』の命運を決める分水嶺となるだろう。



 出撃数は各陣営、千の兵力。三百の騎兵、五百の歩兵、百の弓兵、五十の魔術師、残りは斥候や衛生兵などだ。


 大領地にしては総勢三千の戦力は少数に見えるかも知れない。

 しかし、これは飽くまで領主の器を競う試練──これで小国に敗北する様ならば、始めから領主の器ではないということになる。



「クレニエス様!何故ですか!」


 場に不釣り合いな声が響き注目が集まると、そこには小さなメイドの姿があった。


「……。エニー……」

「クレニエス様は戦がお嫌いだったのではないですか?」

「……ああ」

「では、何故……」

「……少し……内緒の話をしようか」


 クレニエスはエニーを連れて人気の無い場所へと移動する。


「……エニー。フクロウのことだけど」

「部屋に迷い込んだあのフクロウのことですか?」

「……そう。あれは他国の勇者だ。今回の跡目争いはその男に妨げられる」

「ほ、本当ですか!」

「………ああ。対峙するとしっかり宣言していた」


 エニーは自分の声の大きさに気付き慌てて口を押さえた。


「……フクロウ自ら身分を明かした。他国への侵攻をやめて欲しいという願いだったのだろう。そして俺は……それに応えられなかった」

「クレニエス様……」

「………これはケジメなんだ。トシューラ貴族として、メルマー家の兄弟として、プクロウの友人として、そして『クレニエス・メルマー』個人としての、な」

「……でも、お優しいクレニエス様が」


 エニーはクレニエスをどうしても止めたいのだろう。自らのスカートを握り締め震えている。


「………済まない」

「……………」

「………俺は俺の出来ることをしたい」

「……わかりました。私は待ってます……だから無事に戻ってきて下さい」

「………わかった。ありがとう」


 エニーの頭を撫でたクレニエスは、憑き物が落ちたように柔らかな笑顔を浮かべていた。



 エニーを城内に戻したクレニエス。再び兄弟の元へと足を運ぶと、そこには執事長ルーダの姿が……。


「……本当に参加なされるのですね?」

「………ああ」

「……。では、ご武運を」


 ルーダは無表情で頭を下げつつ去っていった。

 その様子が妙に気になったクレニエス……。グレスはそれに気付き補足を入れる。


「ああ……。ルーダの奴はお前の兵の指揮を執るつもりだった様だぞ?」

「……執事が?」


 何の冗談だ?とクレニエスは益々訝しげな表情を浮かべる。


「あれでもかつては父上の側近だった男……。血でも騒いだのかも知れんな」

「……それにしても」

「おい、クレニエス!ちょっと来い!」


 会話に割り込みクレニエスを呼び付けたボナート。高慢な態度を維持しつつクレニエスに耳打ちを始める。


「お前は参加するべきじゃない」

「………もう決めたことだ」

「………。何を考えているか知らないが、お前は城に居るべきなんだ」

「………」

「馬鹿野郎………もういい」


 グレスと違いボナートはあまり余裕がない……というより焦っている風だった。



 メルマー三兄弟は普段殆ど会話が無い。だが、仕事で席を外す時以外は必ず食卓を囲んでいる……そんな不思議な関係だった。


(………。昔はこんな関係では無かった。昔はもっと……)


 兄弟として仲が良かった……プクロウと会話してから、クレニエスはその事を思い返す様になっていた。


(………お前が俺の立場ならどうする、ライ?)


 これから対峙するであろう相手に思いを馳せつつ、戦に備えるクレニエス。


 やがて刻限が訪れ、代表として長兄グレスが鬨の声を上げる。


 そして遂にイシェルドへの行軍が始まった──。





 それから二日後……イシェルド国境の森を見渡せる高台の岩場には、ライ、メトラペトラ、リクウの三人が待機していた。


「来たようじゃな」

「はい」


 遥か遠方……行軍の様子を確認したライとメトラペトラ。リクウだけは目を細めて首を傾げている。


「……お前達の目は魔法でも掛けてあるのか?」

「いえ……何でですか?」

「私には全く見えんからだ」

「……お主、もう老眼の歳かぇ?」

「そ、そんなことは無い……ぜ?」


 リクウは意地になり、益々目を細め渋い形相をしている。


「……くっ!見えん!」

「いや……それが普通ですよ。昔の俺ならどうやっても見える距離じゃありませんし……」


 何せライ達にすらトシューラ兵の姿が砂粒サイズで霞んで見える距離である。人の肉眼で見える筈もない。


「そう言えば、お主は人のままじゃったか……」

「正確には半魔人だがな……」

「それでも魔人程の肉体変化は無いのじゃから仕方あるまい。さて……攻めてきたからには討たれる覚悟があるのじゃろうが……」

「却下です。追い返して終わりにします」

「言うと思ったわ……。じゃが、根本の解決にはなるまいよ?」


 対策を講じ侵攻を難しくはしたが、トシューラが飛空船型の魔導具を所有していることはカジーム国の民から聞いている。


「今回は敵の数次第ですかね……その先の話は多分、大丈夫ですよ」

「……根拠は何じゃ?」

「高地小国群はシウト国の庇護下に入ることになる筈です」


 『高地小国群』は既に連合に同意している。後はライの書状を持ってシウト国に向かえば正式な庇護下に入れる筈だ。

 その為に多大な労力を用い、山をくり貫いて交易街道まで準備したのである。徒労で終わって欲しくはない。


「シウト国の傘下に入ればラジックさんの結界装置を配置して貰えるでしょう。土地はカジーム国より小さいですし」

「何よりシウト国の後ろ楯が付く訳か……成る程のう」

「まあ【猫神の巫女】の力があれば余裕だとは思うんですが、あの娘達に人殺しとかさせたくないんで……」

「全く……勝手にあんな者らを作りおって……」

「ア、アハハ~……さ~て、敵の様子はどうかな~?」


 惚けるライはトシューラ軍に視線を戻す。先程より近付き漠然とした数が把握出来る状態だ。


「大体三千近くですね。厄介なのは魔術師かな……」

「で、どうするんじゃ?」

「フッフッフ。まずはドレンプレル兵のお手並み拝見ですね」


 侵攻が判っていたのだから罠を張る時間も充分だった。悪戯心満載の罠にライは心踊っている。


 侵攻したトシューラ軍全体が思惑通り荒野に踏み入った途端、それは始まった……。


「な!何だ?大地が……!」


 足元がにわかにぐらつくと、突然大地のあちこちが窪んで行く。


 【大地魔法・蟻地獄】


 昔から割と軍事用の罠として多用されるそれは、尋常ならざる数が発生している。


「フッフッフ……さあ、本番はこれからだぞ?」


 《蟻地獄》は飽くまで大地を流動する砂に変える魔法。だが、ライの魔法は一味違った。


「うわぁぁぁっ!ば、化け物がいるぞ!」


 すり鉢状の砂の底から現れたのは何と、巨大なアリジゴクだ。首を出し大顎をカチカチと鳴らしている。


「………のう、ライよ?」

「何です?」

「何じゃアレは?」

「何って……アリジゴクですよ。蟻地獄にはアリジゴクが居て当然じゃないですか?」

「………とぅ!」

「ぎぺっ!」


 猫アッパー炸裂!リクウには何が何だかわからない。


「どうしたのだ、大聖霊?」

「この痴れ者は荒野にアリジゴクの群れを配置しておったんじゃ!」

「…………うっわぁ」


 想像しただけで気持ち悪い光景……リクウ、ドン引きである。


「痛てて……あれは本物じゃなく岩で作ったゴーレムですよ」

「いつそんな物を……というより、いつそんな魔法を……」

「昨日、コソ~リと魔法式を足してみました。いやぁ、上手く行って良かった」

「……じゃ、じゃが、あれでは人死にが出るじゃろうが良いのかぇ?あ……兵が喰われた……」

「だ、大丈夫ですよ~?まあ、見てて下さい」


 兵を一定数飲み込んだアリジゴクは、突然砂から跳躍し空中で変形。羽虫となってドレンプレルの方角へと去っていった……。


「……………」

「どうした、大聖霊?」

「……い、いや、気にしたら負けじゃな」

「…………?」


 アリジゴクは一定数の兵を捕らえると、『ウスバカゲロウ』になって飛翔する。向かう先はドレンプレルにある湖畔。そこに兵を落として霧散する仕掛けになっている。


 これぞ『対トシューラ限定魔法・アリジゴク変化』である。


「何という無駄な労力を……心底のアホだな……」

「うむ……アホじゃな」

「ヒヒヒ……ほぅら、逃げないと喰われちまうぜぇ?」


 『小悪党勇者』と化したライが見守る中、兵は続々とアリジゴクに喰われ去って行く。トシューラ兵は混乱の只中に居た。


「ヒイィィッ!喰われる!」

「落ち着け!砂の穴は然程さほど深くはない!落ち着けば抜け出せる!」


 檄を飛ばすグレス・メルマー。ボナートも同様に指揮を執るが、そこにクレニエスの姿はない。


(クレニエスさんは来なかったのか……その方が良いけどね)


 実は少数の兵を連れて迂回しているクレニエス。荒野の外側にある森の中を進んでいる最中だ。


「クレニエス様の読み通り罠が有りましたね」

「……油断は出来ない。恐らく森にも何か仕掛けている筈だ」

「分りました。魔術師達は警戒せよ!」


 クレニエス達がゆっくり森を進んでいる間に、荒野のトシューラ軍は態勢を立て直し蟻地獄から脱け出していた。


「ハァ、ハァ!くっ……!イシェルド付近にこんな化け物が居たとは……どおりで警戒が緩い訳だ。だが、イシェルド国は間も無くだ。このまま一気に……」


 進もうとしたトシューラ軍の前に二体の巨大な怪鳥が出現。体毛の殆ど無い、固い皮膚に覆われた鳥達はトシューラ軍の前で滞空し羽ばたいている。


「くっ!次から次へと!イシェルドは魔境か?」


 怪鳥はしばし様子を見た後、大きく口を開き咆哮を上げた。


「ぐっ!耳が!」

「ぜ、全員!警戒しつつ森へ向かうぞ!魔術師は奴の注意を逸らせ!」


 堪らず回避を始めたトシューラ軍。しかし怪鳥はそんなトシューラ軍の行く手を遮り挟み撃ちをかける。

 喰われる人、人、馬、人……。猛烈な勢いでついばみまくり満足したらしい怪鳥は、最後にもう一度咆哮を上げ彼方へと去っていった。


「のう、ライよ……」

「何ですか?」

「アレもそうかぇ?」

「そうですよ?名付けて『腹ペコ怪鳥、今日も快調』です。凄いでしょ?」

「そ……そうじゃな……」


 今回はゴーレム魔法に拘った防衛。怪鳥に喰われた者達は、やはりドレンプレルの湖畔に放出される仕組みだ。

 だが、怪鳥は先程のアリジゴクと違い岩を元に魔石を埋め込んだ自律型。役割を果たすと岩に戻り侵入者への警戒を続ける一品……それにしても間抜けな名前である。


 腹ペコ怪鳥が飛び去った後、トシューラ軍は森へとひた走る。最早なりふりを構っている場合ではない。


「くっ!魔術師が役に立たんとは……やはり魔境!」


 ルーダの報告には無かった魔物の連続に歯噛みするグレス。だが、ボナートは笑い声を上げていた。


「ボナート!気でも触れたか!」

「悪い、兄上。いや、実に滑稽じゃないか……領主を決める為に他国へ踏み入ったら魔物に襲われるなど、最早天罰としか言えないだろう?」

「言い出しっぺはお前だろうが……」

「そうだ。だから尚更おかしくてな……兄上は、イシェルドの田舎村に変な宗教があることを知ってるか?」

「変な宗教?邪教か?」

「いや、頭がおかしい宗派さ。猫を祀って自らも猫の気持ちになるとか何とか……」

「……それが今回邪魔しているとでも?馬鹿馬鹿しい」


 不愉快な顔で吐き捨てるグレス。だが、ボナートは笑顔で続けた。


「もし、もう一度何か起これば馬鹿にも出来ないさ」

「起これば……な。もう良い。俺は先に行くぞ」


 既に兵は三分の二まで数を減らしている。しかし、名門貴族・メルマー家としてもここで退く訳には行かないのだ。


 それからは森の中を進むメルマー三兄弟。だが……当然ながらそこにも罠は仕掛けられている。


 まず大半は《迷宮回廊》の幻覚に捕まった。魔術師であっても無効化出来ない魔法は、幻覚に囚われ置いて行かれた兵を『逃げ帰る』という鍵でのみ解放する。


 幸いにも魔法を回避した者達は、ようやく森を抜け安堵した……筈だった。


 が、そこにあったのは断崖。その向こうには強固な防壁と門が造られていた。


「……どういうことだ?ルーダめ……謀ったのか?」


 報告を受けて僅か四日。あまりに強固な門はその鉄扉を固く閉ざしている。

 門への道は断崖に架かる橋のみ。他に渡る術はない。


「飛翔でもせぬ限り無理だな、これは。しかし断崖に門だと?報告にはこんなものは無かった筈だぞ……」

「いや、兄上。門に何か書いてあるぞ?」


 その門には大きな文字でこう刻まれていた。


【この門を潜る者、一切の悪意を捨てよ──猫神】


「……どうやらお前の言う通りの様だな、ボナート」

「いや……これは神の仕業じゃないな、兄上」

「どういうことだ?」

「見ろ……」


 ボナートの指差した先には小さな文字が書かれている。


『イシェルド、アクト村へようこそ!のどかなスローライフを満喫したい方は歓迎致します。観光の方は王都をお勧めしておりますので、ゆっくりしていってね?マタタビ酒もあるよ』


「……………」

「……………」


 観光案内である……。 


「くっ……!だが、これ程の物を造ったとなれば最上位魔術師の仕業だろう!」

「もしかすると猫神を騙る者がアクト村を支配しているかもしれないぞ、兄上」

「となれば迂闊に進めんか……」


 どのみち門を開ける術がない。


 そこへ遅れて到着したクレニエス。事情を確認ししばらく考え込んだ後、声高に叫んだ。


「居るのだろう?姿を見せろ!?」


 寡黙なクレニエスが声高に叫んだことにグレス、ボナートの二人は驚きを隠せない。


「だ、誰に向かって話しているんだ、クレニエス?」

「……今に分かる」


 と、雷鳴が響き巨大な雷が大地に落ちる。閃光に眩んだ目が回復すると、そこに居たのは肩に猫を乗せた異様な人物だった。

 その姿は、司祭の服を着用し頭から三角の頭巾を被っている。


「な!何者だ!」

「フッフッフ……痴れ者よ」

「ちょっとぉ~っ!メトラ師匠!折角恰好良く登場したのに……!」

「うるさいわ、痴れ者め!またワシまで巻き込みおって!恰好を語るなら普段からそう思わせて見せぃ!」

「ぐぬぬぬぬぬぬっ!」


 ギャーギャーと騒ぎ始めた怪しげな猫と頭巾男。メルマー三兄弟は律儀に待っている。


「コ、コホン!え~……お、お待たせしました。猫神様とその使いの者です」

「………ライ。小細工は不要だ」

「くっ!いきなり正体をバラさないで下さいよ……」


 頭巾を外し現れたのは白髪の青年……クレニエスは、ようやく本物のライと対面を果たしたのである。



 そんな中……ドレンプレル領に混乱の嵐が迫っていた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る