第四部 第七章 第十三話 ドレンプレルの城
「うわぁ……凄い数の本ですね……」
「………そうか?」
クレニエスに招待されて向かったドレンプレル領主居城。
クレニエスの部屋に案内されたライが驚いたのは、その書物の多さ……部屋を取り囲む程の本棚にギッシリと列べられるだけでは足りず、床の至るところに本が積んであった。
「……俺は事情があってあまり喋れない。だから本を読む癖が付いた」
「成る程……分かりました。このプクロウ……クレニエスさんを楽しませる為に幾つか趣向を凝らしましょう。あ……一方的に喋りますので、それで宜しいですか?」
「………その方が助かる」
「ではでは!まずは美しき無人島の話をば……」
語り始めはエイルの封印されていた無人島の話だ。正確な場所や細かい事情を濁しつつ、島や海の様相、生態系など分かり易く説明してゆく。
「……ここでプクロウの妙技をお見せしますが、クレニエスさんは私プクロウを信じられますか?」
「………信じる?何をだ?」
「今からお見せするのは私の記憶でしてね。害意ある幻術ではないことだけはハッキリと伝えておかないと」
「………わかった」
「ご了承感謝します。ではでは、失礼をば……」
クレニエスの頭に飛び乗った『プクロウ』ライはそのまま記憶を流し込んだ。
「!……こ、これは!?」
「見えましたか?感覚まで上手く伝わっていると良いんですけど……」
「見える……匂いや風の感触、砂の踏み心地まで……」
感覚の再現は『記憶の再現』の副産物の様なもの。しかし、クレニエスには生まれて始めて感じることができた異国……まるでそこにいるかの様なその感覚に明らかな動揺を見せている。
(ありゃ?やり過ぎちったかな?)
次の瞬間……ライが見たのはクレニエスの涙だった。
「だだだだ、だ、大丈夫ですか?」
「……済まない。嬉しくて……つい……」
「………。そんなに喜んで頂けたなら幸いですよ」
確かに美しい島だったが泣くほどなのかと首を傾げるプクロウ・ライ。クレニエスの感受性の豊かさに驚きつつも、普段が如何に鬱屈しているかを少しばかり感じ取った。
あまり深入りすべきでは無いと理解はしている。それでも……お節介勇者としては聞かずにはいられなかった……。
「……クレニエスさんは嫡男ですか?」
「………いや」
「……それなら、その素晴らしい翼で行ってみたら良いじゃないですか?何処までも行ける訳じゃなくても、数日空ける程度なら……」
「………心配を……掛けたくない」
涙を拭いながらクレニエスは溜め息を吐いた。
その頭からテーブルに飛び降りたプクロウ・ライは、向かい合うようにクレニエスを無言で見つめている。
「………複雑なんだ。政治や家庭……の話だ」
「………。じゃあ、私にはチンプンカンプンですね」
「………フッ。それなら寧ろ気兼ねせずに済むさ」
クレニエスはこの奇妙な友情を気に入った様だった。
そしてライも、トシューラ貴族の子息が純粋な人間であることに安堵を覚えた。
二人は明け方近くまで語り……というよりライが一方的に語り、様々な景色を見せることとなる。
朝日が昇り始めた頃──クレニエスはすっかり夢の中にいた。
飛翔による追いかけっこ……そして世界を体験する楽しさで興奮し、その疲れで眠ってしまった様だ。
(ハハハ……まあ、普通はそうだよね)
ライは一度人型に戻り、テーブルで眠ってしまったクレニエスをベッドへと運ぶ。
一方のライは再び鳥型に戻りテーブルの上に……。疲労は僅かにあるが、現時点では眠る必要は無い。ライは半精霊化を果たしてから不眠が可能となっていた。
正確には分身のどれかが休息を取れば睡眠欲が減少し精神疲労の軽減を出来るというもの。
但し……本体がまともに休んでいない場合が続くと、疲労はやがて蓄積し一気に眠りに落ちることになる。
ライが今恐れているのは正にこれである。
分身を維持し続けるということは疲労が増えることを意味する。戦いでの負傷、魔法使用、思考拡大などは、キッチリ負担として蓄積されているのだ。
もし眠りに落ちた場合、各方面の対応が確実に遅れる。それだけは避けねばならない。
(でも、まあ……イシェルドの魔王騒ぎは予定外だったけど、今のところリーブラの民は助けが期待できそうだ。クレニエスさんには悪いけど、ここの様子も分かれば対応も考えられるし……)
強制収容所にて使用した《迷宮回廊》は、あと二日は解除されることはない。定時連絡で異変に気付いても、強制収容所にトシューラ兵が付く頃にはリーブラの民を安全地帯へと避難させているだろう。
奴隷を奪われることなど有り得ない……警戒の薄さはトシューラ貴族に多い慢心と言えた。
そんな状況の中……プクロウとしてのライは、負担を減らす為に鳥の姿のまま仮眠を取ることにした。
それは、挨拶も無しで去ることがクレニエスに対して後ろめく感じた為でもある……。
それから一刻ほど後──クレニエスの部屋に扉を叩く音が響く。眠りながらも警戒していたプクロウ・ライは、即座に反応し目を覚ます。
「クレニエス様。朝食の準備が出来ました」
可愛らしい声が響くが返事がない。クレニエスはまだ夢の中だ。
もう一度呼び掛ける声がしてもクレニエスは反応がない。ライはベッドに横たわるクレニエスを起こそうと胸の上に飛び乗り足踏みをしてみたが、やはり反応がない。余程お疲れだったらしい。
「お~い!起きろ!クレニエスさん!」
「………う」
「う~ん……余程はしゃいでいたのかな?ホラ!呼ばれてるぞ、クレニエスさん!」
何度か足で叩いていたその時──唐突に部屋の扉が開き侵入する人影が……。
「起きて下さい、クレニエス様。朝で……すよ?」
入室したのはメイドの少女、エニー。プクロウ・ライとエニーは互いに気付き硬直している。
見詰め合うことしばし……やがてエニーは目の前の状況を理解した。
「お……大きな鳥?あ!ダメよ!クレニエス様から下りて!」
エニーは部屋の端に置いてあった本を手に取り、プクロウを追い払おうと必死に振り回す。ヒラリと躱したプクロウ・ライは、堪らず本棚の上部に避難し少女を観察し始めた。
(メイド……。にしては若すぎる気がするけど……)
「お前!どこから入ってきたの?クレニエス様に乗っちゃダメでしょ!」
腰に手を当てプクロウたるライを見つめる少女。怒っている、というより叱っている様な感じだ。
そこでようやくクレニエスが覚醒し、部屋の中のエニーに気付いた。
「………エニー」
「あ!クレニエス様。お目覚めになりましたか?珍しいですね。いつもなら着替えも済ませていましたのに……」
「………済まない。何か……あったのか?」
「はい!あの鳥がクレニエス様に乗っていたので、追い払ってました!」
「……………鳥?」
クレニエスはようやく状況を把握したらしく、苦笑いでエニーの頭を撫でた。
突然のことで意味がわからないエニーは、それでも撫でられたことが嬉しかったらしく笑顔を浮かべている。
「………あれは昨晩……」
チラリとライを確認したクレニエスは、改めて発言を繰り返す。
「……あれは昨晩、窓から迷い込んだ」
「追い出さなかったんですか?」
「……観察していた。少し面倒をみようかと思っている」
「……分かりました。ともかく、食事の用意が出来ましたので」
「………ありがとう。直ぐに行く」
再びエニーの頭を撫でたクレニエスが身嗜みを整え始めると、エニーは慌てて部屋の外へと去っていった。
「………悪い」
「……いや、別に良いですよ。あの娘はメイドですか?随分若いですが……」
「………色々とある」
「了解。無理には聞きません」
ライは本棚からテーブルに移動し、クレニエスに今後の確認を始める。
「まだ話が聞きたいですか?」
「………ああ、頼む。………昨夜のことは……」
「夢だと思ってましたか?本当は勝手に出ていこうとも思ったんですが、昨日見せたものも夢だと残念がるかと思いまして……」
「………感謝する」
まだ話が聞きたいということなら仕方無い、と理由を付けて残るライも大概のお人好しである。
「で、どうします?あまり人目に付くのも問題でしょうから、プクロウはこの部屋で寝て居ようかと思うんですけど……」
「……ああ。そうしてくれるか?」
「了解です」
「………食事を用意する。何が良い?」
「それじゃパンとミルクを」
「………わかった」
本当は食事の必要がない分身体。魔力供給さえあれば姿が維持される。とはいえ、『食事をしない』のでは明らかにおかしい存在になってしまう。
こんなことなら聖獣か霊獣ということにしておけば良かったと後悔しても、時既に遅しだった。
もっとも、感覚が備わっている分身には当然味覚も備わっている。食料は《吸収》で魔力還元すればちゃんと役にも立つので、全く無駄な行為でもないのだが……。
そうしてクレニエスが食事に向かった後、ライは宣言通り仮眠を取り始めた。しかし、ただ眠るような真似はしない。プクロウの身体から分離した纏装を、小さな蜘蛛数十体に変化させ屋敷の探索を始めたのだ。
(悪いね、クレニエスさん。ここがあの『メルマー家』だって言うなら少し探らせて貰うよ。リーブラの民の情報が有るかもしれないし)
屋敷に散らした蜘蛛は特別に編み出した【完全隠密偵察型】。纏装を限界まで弱め感知索敵にも掛からず、本物の蜘蛛と見分けが付かないという超絶技巧だ。
但しその分、耐久度も本物の蜘蛛並。しかも、偵察の機能以外は一切備わっていない。
そんな蜘蛛達は、荘厳な石造りの居城を隈無く這い回り情報を集めて歩く。その中でライは、幾つかの情報を入手するに至った。
それは、少し想像と違ったメルマー家の現状……。
まず、当主イポリッドが戦死していたことにはライも少しばかり驚かされた。イポリッドは他国にも名の轟く領主……しかしここ近年、病の養生していたと言われていた。
メイド達の会話では、カジーム進行の際にトシューラ第一王子・リーアから召集を受け病を押して侵攻に参加。カジームから予想外の反撃を受け討たれたと囁かれていた。
それらはカジームから解放された一部の兵による伝聞らしい。
ともかく、メルマー家は現在当主不在。跡目争いが起こっているとのこと。
(クレニエスさんは三男か……順当に行けば跡目は長男だけど……)
蜘蛛を走らせ長男グレスと次男ボナートらしき人物も発見。現在は二人ともクレニエスと共に食事の最中。二人にはそれぞれ一体づつの偵察蜘蛛が張り付いた。
居城にはメルマー三兄弟を除けば執事・メイドの下仕えしか存在しない。兵士は居城内には存在せず、居城を囲むように配置されている兵舎で待機している。
対して、居城内の下仕えは相当数が従事している。
何せ城は広い。下手をするとイシェルドの城より広いかもしれないのだ。
そんな中……下仕えの執事の中に異様な気配を感じたライは、早速蜘蛛を探りに走らせることにした。
場所は執務室。机で書類整理を行っているらしき人影。見た目は老人だが、明らかに常人を超えた威圧感が漂う。
執事長ルーダ──下仕えの者達の会話からその部屋の主の名は判明していた。
(執事長のルーダか……あの爺さん、何者だ?)
「誰だ?」
何もない中空に視線を向け問い掛けるルーダに、ライは一瞬ギクリとした。『探索蜘蛛』を感知されるとなると厄介な相手……。
だが……それは杞憂だった様である。
「……ルーダ様。戻りましてございます」
突如屋根裏から現れたのは、この居城の中では異様な魔術師然とした男。
「お前か……ご苦労だったな。で、どうだ?」
「はい。手頃な隣国となるとイシェルドが相応しいかと。エクナールを除く他の小国は、秘密裏にシウト国への庇護を願い出ております」
「そうか……確かに今、シウトと事を構えるのはあまり賢いとは言えん。だが、イシェルドとなると距離を歩かねばならぬか……」
ルーダは目を瞑り思索を巡らせている。
「まぁ良い。では、イシェルドを攻めるとしよう。その間、お前にはやって貰うことがある」
「何なりと……」
イシェルドを攻める理由は会話や集めた情報でライも推測が付いている。
(それにしても、跡目争いの標的で狙われるとか……こりゃあイシェルドの守りを少し何とかしないとな)
この情報収集が【猫神の巫女】の超常神具に繋がることは余談だろう……。
「しかし、手間だな。こんな労力を掛けずに済めば良かったのだが……」
「そうですね……。!……ルーダ様。誰か来ました……」
魔術師は執務室に近付く気配を感知し姿を消す。転移ではなく認識阻害……魔術師もかなりの使い手の様である。
「入るぞ、ルーダ」
「どうぞ」
扉を開けたのはメルマー家長兄グレス。ルーダは素早く立ち上り臣下の礼を取りつつ席を開けた。
グレスはそれを手で制止し、用件のみを告げる。
「戦の場は決まったか?」
「はい。イシェルド国が良いかと……」
「イシェルドか……少し遠いな」
「他の国はシウト国の傘下に入る旨の念書が送られたという情報があります。『高地小国群』は険しい山に囲まれた地区故に、シウトとの同盟は困難で手薄……特にイシェルドは、以前からの策が上手く回っている様かと……」
「そうか。わかった……確かにシウトとの戦はまだ期ではない。で、何時仕掛ける?」
「準備に二日……移動に二日といったところでしょうか。宜しいですか?」
「任せた。弟達には私が伝える」
「御意に御座います」
グレスが執務室を去った後、再び姿を現した魔術師はルーダへと向き直り疑問を投げ掛けた。
「メルマー家は全員参加するのですか?」
「いや……クレニエスは興味が無い様だな。才覚はあるかもしれんが、厄介な奴を無理に参加させる必要もない」
「では……」
「うむ。だが、これは始まり……この領地は変わる。いや、やがてはトシューラすらもな……?クックック」
ドレンプレル領の跡目争いは、波乱を含み他国まで波及しようとしていた……。
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