第四部 第七章 第十二話 月夜の出会い



 クレニエスは、その日の深夜も飛翔による散策を行っていた。


 トシューラ国・ドレンプレル領内の夜空を自由に飛び回っているその日は満月──視界も良好で、クレニエスは快適な散策に解放感に満たされている。



 トシューラ国有力貴族『メルマー家』──その三男であるクレニエスは鳥型の半獣人。その事実は、亡き父イポリッドを除き兄弟達ですら知らない秘密……。


 そう──クレニエスと二人の兄は異母兄弟なのである。



 獣人族であるクレニエスの母は、元々トシューラの兵士だった。イポリッドの先妻が病で逝去した後、どういった経緯かは分からないが男女の間柄になり後妻となったのである。





 トシューラの獣人の歴史は四百年前に遡る。


 当時のトシューラ王が小国 『獣人国ラマイン』を侵略した際、獣人達の命運は幾つかの道に分岐した。

 逃れた者、捕らえられた者、力ある存在に従属した者……。彼らが皆、生きる為に必死だったことは間違いない。



 逃れた者達は北へ……。逃避行を続け、当時未開であったシウトとトォンの国境──『エルゲン大森林』へと辿り着き住み着いた。


 捕まった者達は、その優れた身体能力を利用し危険な作業や重労働を課される奴隷へと堕とされた。


 そして強者への忠誠を誓った獣人は、それなりの地位を与えられ戦場で活躍することとなったのである。


 だが……獣人族が異物と見なされることには変わりはない。彼等は常に過酷な戦場地へと送られた。



 そんなトシューラ国内の獣人族が四百年の内に相当数減少することになるのは、ある意味必然だった。

 何せ獣人達は大半の女をエルゲン大森林へと逃がしたのだ。当然、子孫は殆ど生まれず数は減る一方だった。



 しかしそれでも、捕まった中の僅かな女性が残した子孫……それが現在のトシューラ国の獣人である。


 選民意識の高いトシューラでは人族と獣人族との契りはそうそう起こらず、僅かな純血が残るのみとなっていた。



 クレニエスの母、クレナはそんな中の一人───。


 クレナはこの世を去るまでメルマー家内でその素性を隠し通した。そして、クレニエスに同じ様振る舞うように教え込んだ。

 故にクレニエスは未だ半獣人たる自分を知られてはいないが、それは自分を偽り続けることとして鬱屈が溜まる。


 だからこそクレニエスには、空の散策という息抜きが必要だったのである。 




 人目につかぬ様に夜中の飛翔をするのを薦めたのは、父イポリッドだった。

 先に述べたように、トシューラ国は獣人を見下すきらいがある。例え貴族でも立場が危うくなる恐れもあるのだ。それは、目撃された際のクレニエスの立場を慮った末の忠言だった。


 クレニエスは夜の飛翔が得意では無かったが、父の立場を考え事実を秘事とし忠言に従ったのである。

 それ以来、深夜の散策は定期的な気晴らしとしてクレニエスに習慣付いた。




(今日は月が美しいな……夜目が人並みの俺にはありがたい)


 時間は既に夜半を回っている。街灯りがあまり見当たらない眼下を確認し、更に視線を先へと向けたクレニエス。そこには雄大な山岳地帯が月明かりを反射していた。

 一瞬、更にその先へという衝動に駆られたクレニエス。しかし、上空で停止し頭を振った。



「……………」


 空の月を仰ぐように顔を上げ、深く深呼吸……。最近、散策すると欲求に駆られることにクレニエスは苦笑いするしかない。


(気晴らしのつもりが鬱屈を溜めている……か)


 と……見上げた月。その光の中に高速飛翔を行っている小さな影が見える。


(鳥 ……か?だが、速すぎる。何だあれは………)


 こんな夜分に飛翔する鳥は限定される。しかし、それにしても移動が速い。


 ここでクレニエスは、ふと別の衝動に駆り立てられた。空の上で自らの速さに並び立ちそうな相手……是非とも勝負がしたい。それはそんな子供染みた衝動から生まれた初めての欲……。



 そうと決めたクレニエスの行動は素早かった……。飛翔する影を見逃さないよう追いながら上空へと飛翔し、下降の勢いを利用しつつ影との距離を一気に詰め始める。

 やがて影の正体がフクロウだと視認出来る位置まで近付いた時、フクロウは首を百八十度回転させクレニエスを確認した。


「………な、何かご用ですか?」


 突然人語を話したフクロウにクレニエスは面食らい速度を落とす。高速の飛翔に人語、これは魔物の類い……即座にそう判断したクレニエス。

 しかし、フクロウは別段敵意を向けることはなく首を傾げている様に見える。


 クレニエスは……益々フクロウに興味を持った。



「………お前は魔物か?」

「ち、違いますよ?通りすがりのプラッとフクロウですよ?」

「………フクロウは普通喋らない」

「……ハッハッハ。…………。そりでぃわ!」



 首を戻した『プラッとフクロウ』は、急旋回急しながら加速。クレニエスを引き離しに掛かる。しかしそれは、クレニエスの獣人としての狩猟本能に火を付けてしまう結果に……。


「………逃がさん」


 ニヤリと笑うクレニエス。彼の飛翔は少々特殊だ。羽ばたきに纏装を加えた、飛翔魔法とはまた別の……独自に編み出した飛翔方法は、フクロウの動きに追随が可能だったのだ。


 背後の圧力を感じたフクロウは再び首を真後ろに向けると、クレニエスを確認し絶叫した……。


「ギャ~ッ!何で?何で追ってくるの?」

「…………別に」

「まさか!喰う気なの?」

「……………フッ」

「何で笑うの?うわぁぁぁっ!?喰~わ~れ~る~!」


 慌てたように羽ばたきをしつつ急旋回を繰り返すフクロウ。それを追うクレニエス。大空の追いかけっこは実に半刻の間続いた。


(………ちょこまかと素早いな。……ハハ……アハハ!)


 素早く逃げ回るフクロウは捕まりそうで捕まらない。クレニエスは己の全力飛翔が通じない相手に楽しさを感じずにはいられない。

 只でさえ自分を晒す行為などそうそう出来ることではない立場。しかしクレニエスは今、確かに全力出しているのだ。楽しさが芽生えるのはある意味必然だった。



 しかし……フクロウからすれば堪ったものではない。


 何せ突然出会でくわした獣人らしき存在に追い回されているのだ。目を爛々と耀かせている獣人は、引き離そうとしても背後に食らい付いて離れないのである。

 しかも時間が経過するにつれ笑い声を漏らし始める始末……。完全に洒落になっていない。



(クソゥ!初っ端っからとんでもねぇ奴に見付かった!)


 フクロウは改めて追いかけて来る者を観察する。獣人らしき姿……しかし、人の形状を基としているその姿は、以前見た獣人の子供達の様に半端な獣化に見える。

 着ている服は品が良く凝っている。腰に剣を携えているので商人ではなく貴族なのだろう。


 厄介だったのはその能力。背中の翼を羽ばたかせ追ってくる姿は、纏装を使用している。

 纏装の使い手……加えて高い飛翔能力。迎撃するのは容易ではない。


(何でこんな所に、こんな奴が……)


 懸命に逃げ回るフクロウはふと気付いたことがあった。相手から殺気を感じないのだ。

 追ってくる男は飽くまで仕事ではなく個人で追って来ている……そんな気はしたが、だから何だということはない。捕まれば都合が悪いことには変わらないのである。


 お気付きの者も居るだろうが、『プラッとフクロウ』の正体は『プラッと勇者』ことライの分身体。

 トシューラ貴族たるメルマー家を偵察に来たライの分身体は、予定外の相手と邂逅したということだ。




 こうして更に半刻……。月明かりの下、深夜の“ 追いかけっこ ”は続いたのである。




 終わりが見えない追走劇……かに思われたそれは唐突に終わりを迎える。


 フクロウ≒ライは獣人の男を振り切ろうと森の中に飛び込んだのだ。森の木々を避けながら進めば、身体の大きな男は追ってこれない……そう考えていた時のこと。

 初めの内は上手く回避して森を抜けていたライだったが、“ あること ”に意識を取られ自ら樹木に激突。そのまま落下し男に捕縛されてしまった……。


 意識を奪われた“ あること ”……それは丁度、リーブラの跡地にて分身体の一つが目撃した緊急事態──【火葬の魔女・リーファム】の弟子・アンリの“ 粗相 ”だ。


 《洗浄魔法》の魔法式を必死に考える余り、意識が一処に集まり意識散漫となった。だからこそアンリの乙女の尊厳は守られたが、結果としてライは盛大な自爆という結果と相成ったのである。



 そしてフクロウはどうなったかというと……。



「………大丈夫か?」

「………キュウ~……」


 狩りの獲物の如く両足を持ち上げられているフクロウ≒ライは、逆さ吊りでグッタリと両羽根を広げていた……。


「………悪い。つい楽しくて」

「…………」

「……敵意があった訳じゃない。話がしたい」

「………話?」


 その割りには雑な扱い……ライは少し憤慨しながらもこの獣人……クレニエスに興味を抱いた。


「ならば、この待遇の改善を求めます」

「………逃げないなら」

「良ござんしょ。何の話がしたいかは知りませんが、少しなら良いですよ」

「………わかった」


 フクロウ≒ライを解放したクレニエス。礼に則り改まって自己紹介を始めた。


「俺は……クレニエスという。お前は?」

「一介のフクロウに名前なんて無いですよ。プラッとフクロウですから『プクロウ』とでも呼んでください」

「…………」


 今回、ライは珍しく自己紹介をしない。流石にトシューラ国で貴族相手に自己紹介する訳にはいかないのだ。

 お尋ね者……主に妹マーナのオマケらしいが、元トシューラ貴族マコアの話によると『ライ・フェンリーヴ』はそれなりに有名だという。今はやはり名乗らないのが正しいという判断に至った。


「……で、クレニエスさんは何でこんな時間に?」

「………散歩だ」

「へ、へぇ……。散歩ですか……」

「………何だ、その怪しげなものでも見る目は?」

「い、いや……普通、夜中に飛翔なんてしないでしょ?」

「………それが俺の散歩だ。悪いか?」


 やや不機嫌な顔をしているが、やはり敵意は感じない。それが拗ねているのだと気付くまでに、ライは少しばかり時間を要した。


(悪い人じゃない……か。まあ、今すぐどうこうということは無いだろうし少し付き合ってやるか……)


 他の分身達と違いドレンプレル領に来たのは飽くまで偵察。見ているだけでその役割は果たしているのだ。

 大規模な軍行動が起こればライの感知で把握出来る……分身体でも領地一つ程度なら問題ない。


 それに、このクレニエスという男は不思議な印象を受けるのである。


(オーウェルに少し似てる……かな?まあ、もしかすると情報も入るかもしれないしな)


 こうしてフクロウ≒ライこと『プクロウ』と、メルマー家三男・クレニエスは奇妙な縁で繋がれることになった。



「で……クレニエスさんは、何の話がしたいんです?」

「………まずはお前だ。フクロウが喋るなんて有り得ない」

「ま、まあ世の中広いってこってすよ」

「………魔物か?」

「魔物じゃないッスよ~?因みに魔獣でも聖獣でも、獣人でも無いですよ?」

「………わかった」


 どうやらクレニエスは感知系の纏装が苦手らしい。そうで無ければマコアの様に分身体の違和感に気付く筈なのだ。


「話は終わりですか?」

「………いや」

「………もしかしてクレニエスさんは喋るのが苦手?」

「………ああ。少しな」


 それで話をしたいというのもかなり矛盾しているのだが……。もしかして夜の散策も『照れ屋』だからか?などと見当外れのことを考えたライは、警戒心を少しだけ解くことにした。


「具体的には何が聞きたいですか?」

「………世界の話を」

「世界……景色とか文化とか情勢とか?」

「………そうだ。何でも良い」

「一つだけ断っておきますが、政治はチンプンカンプンですよ?」

「………それで良い。頼む」


 政治に関する話をすれば、下手な隠し事も難しくなる。それは侵略に繋がらないとも限らない。ライは、クレニエスを完全に信用した訳ではない故の予防線を引いたのである。



「話しと言っても、私もそこそこしか世界を見てませんけど……」

「………俺はこの国から出たことすら無い」

「そうなんですか……分かりました。しかし私は良いですが、こんな森の中で構いませんか?狼とか居そうですけど」

「……そう……だな。時間も時間だ。嫌でなければ俺の部屋に招待したい。受けてくれれば嬉しい」

「……わかりました。お邪魔します」


 この辺りを飛翔していたならば、クレニエスの家はそれほど遠くないだろう。ならば、時間的にも問題は無い……ライはそう判断した。

 しかし、半分はクレニエスの寂しげな顔を見た為に無下に出来なかったのだ。


 二人は飛翔しながらクレニエスの住まいへと向かう。但し、今度はゆっくりと景色を見ながらの飛翔だった……。



「……見えた。あそこだ」

「……あそこ?本当に?」

「………ああ」

「うひゃあ~……」


 クレニエスが指差したのは、街の中央に聳える大きな城……ドレンプレル領主の居城だ。


「クレニエスさんは貴族だとは思っていましたが、まさか領主様?」

「……違う」


 それはそうだろう。マコアの記憶の中で見た『イポリッド・メルマー』は五十手前の痩身の男だった。

 だが、ライには一つ確信があった。クレニエスは領主の身内……その面影から恐らくは子息だろう、と。


 これは却って好都合……これでドレンプレル領の動向を細かに把握出来る──筈だったのだが、ライはかなり微妙な心境である。


 何せクレニエスは、純粋な気持ちでライを招待したのだ。只でさえ姿を偽っているのに、これでは隠密ではないか?という後ろめたさが渦巻いていた。


(いつもこんな気持ちなのかな……シギやトビさん達は……)


 自分には向かない役割だと自覚する反面、こんな役割を担っている隠密達に頭が下がる思いだった……。


「………どうした?」

「いえ……知人達のことを思い出して……」

「………フクロウなのに知人が?」

「い、色々あるんですよ、フクロウにも」

「……………」


 ともかく、話を聞かせたら早めに立ち去ろう……ライはそう考えていた。


 しかし、ライとクレニエスの出会いはある種の運命。更に深い縁となり後にまで繋がって行くのである……。

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