第四部 第七章 第十話 妖精女王


 魔女の館での分身体霧散を確認したライ本体は、リーブラの民救出の為再び行動を開始した。


 まず始めたのは、アクト村を一時的な避難所として利用する許可を貰うことだった。



 アクト村は間もなく日が昇るであろう時刻。本来なら寝ている者も多い中、敬虔な司祭マイクは聖堂で祈りを捧げていた。


「お早いですね、ライ殿」

「マイクさんこそ。いつもこんなに早く祈りを?」

「ええ……日課ですから。これも猫神様への献身です」


(そうか……マイクさんはこうしてずっと祈りを捧げていたのか……。猫耳で……)


 猫耳を禁止して本当に良かった……ライは心の底からそう思わずにいられない……。


「と、ところでマイクさん。折り入ってお話が……」

「はい、何でしょうか?」

「実は……」


 ライは大まかな事情を話し協力を求めた。場合によっては、かなりの数の者がアクト村に集まることになるのだ。諸事情で断られてもおかしくはない。

 しかし……マイクは迷うことすらなく二つ返事で答えた。


「わかりました。ただ、村長の許可は頂かないと……」

「ほ、本当に良いんですか?お願いする立場で言うのもなんですけど、他国の者を救えばトシューラ国に目を付けられませんか?」

「ハッハッハ。それは今更な話ですよ。あの国は理由があろうと無かろうといずれ侵略を始めるでしょう」

「確かにそうですが……でも……」

「これも猫神様のお導きですよ。いや……困った時は御互い様と言うべきでしょうかね?」

「マイクさん……ありがとうございます。極力ご迷惑が掛からないようにしますので」


 アクト村周辺は水は豊富──しかし、救出した者達を長く賄えるだけの食料があるとは思えない。暮らしの場も含め考えることは山積みだった。


 そんなライが教会の外にて朝の空気を吸い込みつつ思案に暮れていると、背後から殺気が漂ってきた。

 思わず飛び退くライ──。殺気の元を辿れば、そこに居たのはリクウだった。


「師範……」

「どうだ?少しはシャキッとしたか?」

「……ハ、ハハハ」


 ライは相当渋い顔をしていたらしい。先程の殺気はリクウなりに檄を飛ばしたということなのだろう。


「で、どうだ?」

「分かってはいましたが、大変ですね……分散してしまった人達ですから、捜すだけでも一苦労ですよ。幸い協力をしてくれる人ができたので何とか……でも、まだ問題は山積みです」

「ふぅむ……ならば、そういう時こそ鍛練だ。一度思考を切り替えればまた良い案も浮かぶ……こともある」

「……曖昧ですね」

「…………。小手ぇ!」

「痛い!?」


 それは、愛の鞭……と言う名のごまかしであった。


「さて。今、お前は天網斬り修行の三段階目に入ったところだ。先に言っておくが四段階目は予定を変えて『華月神鳴流』を学んでから教えることにした」

「え?何故です?」

「お前の剣があまりにつたないからだ。天網斬りだけに頼った剣は最早剣技ではないからな。たとえ天網斬りを使い熟しても、剣が未熟なら通じぬ相手もいる」

「………わかりました」

「よし。では修行を始めるぞ?」


 新たな修行はこれまでとはまた違った修行。森の中で修行を行うそれは、落ちてくる葉に刀を振るうもの。但し、天網斬りを使用した状態で落ち葉を『叩き落とす』ものだった。


「た、叩き落とす?斬るんじゃなくて?」

「叩き落とすのだ。斬ってはならぬ」

「でも、刀ですから切れちゃいますよ?」

「仕方無い……良く見ていろ」


 スラリと刃を抜いたリクウは近くの木に蹴りを入れると、見事落ちてくる葉を全て『叩き落とした』……。


「……凄げぇ」

「天網斬りは確かに斬るための技。しかし、斬らぬ技にも出来る。この修行は天網斬りの切れ味調整の修行だ。常に全開で斬ってみろ……空間まで切り裂いて大変な事になる」


 切り裂いた空間は元に戻る際、猛烈な力の奔流を生み辺りに被害を齎すとリクウは語る。それを利用した技もあるそうだが、未熟な者には教えられないとの事だ。


「これは次の段階への下準備でもある。これなら私がいない場合でも出来るだろう?」

「はい!ありがとうございます!」


 それから半刻……一心不乱に刃を振るライ。感覚が掴めぬ状態で刃を降り上げたその時、眼前にメトラペトラが現れた。


「うぉっ!」


 ライは思わず固まった……。あと少しメトラペトラが遅く出現したら真っ二つだったことに手が震えた。


「し、師匠~……」

「な、何じゃ!」


 ライは情けない声を上げへなへなと崩れ落ちると、刃を放り投げメトラペトラを抱えるように踞る。その手はまだ恐怖で震えが止まらない……。


 そんなライの様子をリクウは無言で眺めていた。


 と……そこへ真剣な空気をぶち壊す存在が現れる。


「ライ~!ありがと~!」


 ライの顔面にビタッ!と貼り付いたのは妖精ウインディさんだ。リクウは予想外の『妖精登場』に目を擦っている。


「ライのお陰で妖精の皆と再会出来たわ!本当にありがとう!」

「そっか……良かったな、ウインディ。でも、実質俺は何もしてないよ」

「そんなことは無いわよ。魔女のところに一緒に行ってくれたじゃない!それでね?お礼にライを手伝いに来たの」

「手伝い?折角、仲間と再会出来たのに……良いのか?」

「ええ。役に立つわよ?」

「わかった……ありがとう」


 実際役に立つかは分からないが、心遣いには感謝にしたいと考えていたライ──。しかし、予想に反してウインディの協力は絶大な助力となる。


「じゃあ、行きましょ?」

「え?何処に?」

「『彷徨う森』よ。皆に場所を聞いてきたから……」

「え?リーファムさんは確か『無くなった』って言ってなかったっけ?」

「そうだけど、正確には『動かなくなった』よ。王が死んだから機能しなくなったの」

「王が死んだ?……ウインディ……」

「詳しい話は後よ。彷徨う森を使えれば人間の千や二千、匿えるわ?」

「ほ、本当か?それは助かる!」


 ウインディの言を信じるならば、救出した民を分けることなく一ヶ所に集められる。それは、今のリーブラの民にとっては間違いなく大きな意味を持つ筈だ。


「わかった。頼むよ、ウインディ」

「任せなさい!」


 リクウとの修行を中断したライは念の為に分身を一体アクト村に残し、メトラペトラト、ウインディの二名と彷徨う森へと向かった。



 『彷徨う森』は元々存在した位置から北方へと移動し、山の中という微妙な位置に存在していた。


 ゴツゴツとした岩肌にポツリと浮かぶ茶色の森は、明らかに周囲の風景から浮いている。


「ここで……妖精王が力尽きたのね……」

「……大丈夫か?ウインディ」

「ええ……行きましょう」


 森の木々はすっかり枯れ始めていて落ち葉が舞っていた。

 ウインディの話では、森は常に春の様相を維持しているが妖精王不在の為に力を失い大地に還りかけているのだという……。


「『彷徨う森』の本当の部分はこの先なの。この辺りは対人用ね?侵入者を惑わせたり、リーブラ国の人と交流したり……。でも、この先に人が入るのは初めてよ」

「……メトラ師匠もですか?」

「うむ。入るのは初めてじゃな。そもそもこれを創ったのは鳥公とフェルミナじゃ。見たのは初めてじゃがの……」

「へぇ……」


 【生命を司る】フェルミナと【時空間を司る】オズ・エンの共同作製した『彷徨う森』は、フェルミナが妖精族に贈ったものだという。


「じゃあ、行くわよ?」


 森の通路の先に進むと一瞬視界が歪み、辺りの様子が一変する。


 そこはまだ常春の様相を残した野原。見渡す限りの植物が生い茂り、花を咲かせていた。

 野原の中央に巨大な樹木がある様子は、リーファムの館を思い返させるものだった。


「はぁ~……良いな、此処……こんな場所で食っちゃ寝したい……」

「気に入って貰えたなら光栄ね」


 満足気なウインディ……しかし、ライはウインディの声に違和感を感じ視線を向けた。

 そこに居たのは人と同じ大きさに変化したウインディの姿が………。


「ウインディ……知らぬ間にこんなに成長しちゃって……」

「……違うわよ?ライが縮んだの。あたしは同じ大きさのままよ?」

「……………」

「……な、何よ?」


 ライはウインディを観察している。同じサイズになって初めて気付いたことが幾つかあった……。


「ウインディ……美人だったんだな……」

「な、何を急に……」

「いや……オッパイも大きいしさ……。何か別人と話している気分だ……」

「別人って人聞きの悪いわね……。あたしは初めから変わってないわよ?」

「……そっか。確かにそうだな。ゴメン、ウインディ」

「い、良いけどね、別に……」


 美人と言われて満更でもないウインディ。ライは別段狙いがあった訳ではない。素直に感想を述べただけなのだ。

 まず、人間が妖精と同じ目線になることなど起こり得ないのである。その容姿の善し悪しに気付くことなど虫眼鏡で観察せねば無理な話である。


「と、とにかく行くわよ!」


 虫羽根を羽ばたかせ弾むように大樹へと向かうウインディ。その様子にライは首を傾げている。


「……ねぇ、師匠?ウインディ、何か嬉しそうなんですが……」

「……本当に自分が関わると鈍いのぅ、お主は」

「……どういうことです?」

「内緒じゃ、内緒。その方が面白い」

「………」


 ウインディの後を追ったライ達はその大樹の大きさに驚くしかない。


「凄いな……でも、本当は小さいのかな?」

「いいえ?この大樹の世界は一つの形しかないのよ」

「どういうこと?」

「ここは全てが一つの形しか持たないの。大小ではなく、そのものが自覚する形。だから、あたしはあなたと同じ大きさなの」

「認識世界じゃな……だから大樹は大樹として存在する、そういう訳じゃな?」

「流石は大聖霊ね。これは物も生物も同じ。まあ、細かい話は置いておいて……急ぐんでしょ?」

「ああ……そうだな」


 大樹の根の隙間をしばらく進むと、大きな空洞へと繋がっていた。辺りは木漏れ日が差し込んでいて、かろうじて内部の様子が判る程度。

 だが……この場に居る者にはそれで十分だった。


 空間の奥──植物で型取られた玉座。そこには既に息絶えた妖精王の亡骸が座っている。

 外見はまるで生きている様にも見えるが、胸には深々と剣が刺さっていた。


「こんな深傷で皆を逃がす為に……王の責務を果たしたのね」

「その人が妖精王……」

「そうよ。『彷徨う森』は妖精王の血族しか動かせない。だから、実質は無くなったことになるの……今までは」

「今までは?……ウインディ?」

「あたしは世界を見たかったの……。まさかこんな別れになるなんて……お父様」

「…………」


 泣き崩れるウインディ。ライはただ見守り立ち尽くすことしか出来ない……。


「ごめんなさい……時間が無いのよね?」


 ライは首を振りウインディの肩に触れる。


「確かに時間は惜しいかもしれないけど、家族を悼む時間くらいは誰も責めないよ」

「うぅ……うわぁぁぁ~!」


 再び泣き崩れるウインディを優しく抱き締め頭を撫でるライは、妖精王へと視線を向けた。

 刺さっている剣には見たことの無い紋章が刻まれている。恐らくは件の『勇者』の仕業……イシェルドと妖精族を襲った元凶とも言える存在に、ライの中に業火の如き激しい怒りが宿る。


 しばらく泣き続けたウインディはようやく落ち着いたらしく、改まって自己紹介を始めた。


「ありがとう、ライ。私はウインディ……隠していた訳じゃないけど、私は妖精族の王女……いえ、今は女王よ。私はあなたに恩を返さねばなりません。この『彷徨う森』を使って協力をお約束致します」

「………それは凄く有り難いけど、一つ良い?」

「何でしょうか?」

「俺は堅苦しい女王様より、いつもの元気なウインディの方が好きだ」

「わ、わかったわ」

「それと少し時間を……王を弔ってあげないと」

「………ありがとう、ライ」


 玉座から運ばれた妖精王は丁重に大樹の根元へと埋葬された。胸の剣はライが引き抜き、千里眼の能力 《残留思念解読》で記憶を読み取る。


(その顔、居場所、覚えたぞ……ジレッド。キッチリとその罪を償わせてやる!)


 久々の怒りはライに僅かな変化を齎すのだが、それは少し先の話となる。



「……じゃあ、ウインディ。辛いだろうけど頼めるかな?」

「ええ。行きましょう」


 玉座に座ったウインディが即位を宣言した途端、玉座の両脇にある魔石が緑色の光を放つ。

 外縁部の枯れた木々はみるみる力を取り戻し『彷徨う森』は完全に復活を果たした。


「まず、何処に向かうの?」

「リーブラ王城跡地に。労働させられている人達を避難させないと」

「わかったわ」


 移動を始めた『彷徨う森』──。始めは僅かに揺れたが、それ以降は移動しているのが分からない程に揺れがない。


 移動の間の『彷徨う森』は人間達からは見えない。次元の位相をずらし物質を透過する森は、それ故に突然現れる妖精族の森として伝わっているのだ。


 そうしてリーブラの土地を真っ直ぐに移動し労働者収容施設を目指す。到着まで然程の時間は掛からなかった。



 彷徨う森の復活──それこそが、リーブラの民が真に解放される為の最初の鍵となる。


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