第四部 第七章 第九話 復讐するは猫にあり 

 メトラペトラの怒りを鎮めるべくリーファムに持ち掛けたお仕置き。


 ここで問題が一つ。ライは自分の力量がどれ程上昇しているのか自覚がない。このことがリーファムに悲劇を齎す。


「えぇっと、ですね……今からリーファムさんの怖いものが一番恐れる形で襲ってきます。それが十度……堪えられそうですか?」

「これでも私は腕利きで名が通っているわ?幻覚くらい大丈夫」

「わかりました。では、行きます!《迷宮回廊・真》!」


 それはアンリに使った《迷宮回廊・改》の更に上──一切の妥協を許さぬ幻覚と本物と区別の付かない感覚を再現した幻覚である。


 リーファムは一瞬無自覚に抵抗をしたが、《迷宮回廊・真》は対個人に絞った最大出力の幻覚。故に抵抗出来るのは上位魔王級……そんな洒落にならない魔法であることをライ自身はまだ知らない……。


「キッチリ決まった様じゃな」

「まあ……一応『対魔王用』ですからね、コレ」

「………プププ!良い気味じゃ。さて……ワシはコヤツの無様を見ながら一杯やるかのぅ」

「………。あれ?アンリは?」

「茶の用意に向かったぞよ?」

「ん~……じゃあ、あっちのテーブルに移動しましょうか」


 完全に呆けているリーファムを置物の様に抱え上げ、サロン用のテーブル付近に運ぶライ。豊満な乳が身体に当たる役得を噛み締める顔は『勇者・助兵衛』の称号が相応しい。


 こうしてテーブルで寛ぐライとメトラペトラ。急いでいる筈なのだが、アンリの用意したお茶に満足していた……。


「……結局リーファムさんとはどういう関係なんですか、師匠?」

「なぁに……昔、暇潰しに幾つかの魔法を授けたのじゃよ。高速言語を火炎魔法限定での」

「だから火葬の魔女か……。じゃあ、姉弟子に当たる訳ですね?」

「うぅむ……そう言われるとそうなるのかの?」

先刻さっき、四百年とか言ってましたが、やっぱりリーファムさんも魔人なんですか?」

「元魔人じゃな……。此奴はお主と同じ半精霊体よ」

「それって、かなり凄いんじゃないですか?普通、人間て魔人にしかなれないんでしょ?」


 魔人化ですら並みでは起こらない。《魔人転生》を使わず魔人化した例は、ディルナーチ大陸を除けば殆んど居ないのだ。


「魔人化した後に魔術的な要素を加えたらしいが、ワシはよう知らん。じゃが半精霊になって図に乗ったのか、ワシのお宝を幾つか盗んで逃げた。全く……とんでもない奴じゃぞ?」


 メトラペトラはリーファムがビクンと痙攣するのを見て満足気である。


「あと四回か……どれ。少し覗いてやるかの?」

「止めた方がいいですよ?メトラ師匠も巻き込まれますから」

「ワシに怖いものなんて無いが……そじゃな。止めておくとするわ」

「………」


 その後、順調に痙攣を重ねるリーファム。アンリはリーファムとメトラペトラが知己と知り、安心して家事を行っている。

 だが、悪夢の八回目の痙攣──そこで悲劇が襲った。


「のう、ライよ……」

「何ですか?」

「……ワシの目の錯覚でなければ、リーファムの奴の服が濡れて見えるんじゃがな。特に股関が……」

「うわあぁぁぁぁっ!またか~!?」


 大の大人の粗相……これは大事件である。禁断のエロスとも言うべき背徳感……『チェリー勇者』たるライにとってそれは、高過ぎるレベルの領域。

 ともかく、女性の尊厳を守らねばならない。ライはアンリの為に編み出した《洗浄魔法》を発動……したのだが、それは虚しく掻き消された。


 振り替えれば悪い顔で笑うメトラペトラの姿が……。


「ちょっ!ヤ、ヤバイですって!早く身体と服を綺麗にしないと!」

「させん……させんぞよ?」

「洒落にならないですって!子供じゃないんですよ?四百歳以上ですよ?泣きますよ?」

「泣かすのじゃよ。そうでなければ溜飲が下がらぬわ!」


 ギャース!ギャース!と騒ぎながら問答している内に、遂に九回目の痙攣が訪れた。魔法を発動してもメトラペトラに消滅させられるの繰り返し……ライはとうとう諦めて逃げる算段を始めた。

 せめて男の目に晒されていなければ……見なかったことにすればリーファムの心の傷は浅くて済む。


 だが……ニャつはそれさえも許さなかった……。


「グエッ!し、師匠、何を……!」


 ライを蹴り倒した後、時空間魔法 《空間固定》を発動するメトラペトラ。ライは床に伏せたまま動けない。


「なぁに……あと、ほんのチョビッとだけここに居れば良いのじゃよ?リーファムが目覚めるまでのぅ?」

「お、恐ろしい……なんて恐ろしいニャンコなんだ……」


 最後の抵抗で目を閉じたライだが、悪魔のニャンコはそれすら許さない。器用にライの目蓋に前足を乗せ無理矢理目を開かせたのである……。


 そして遂に……【粗相の魔女】リーファムが目を醒ます。


「う……うぅん……」

「ヤ、ヤメロぉぉ~!?」

「ハッハッハ!そうら、とくと見よ!これが復讐というものじゃ~!」


 その後……目を覚ましたリーファムが自らの粗相に絶叫し、ライはメチャクチャ踏みつけられ、メトラペトラが追い回されたことは言うまでもない……。



「うぅ……。まさか、こんな羞恥を男に見られるなんて……」


 リーファムは床に崩れ落ち顔を隠している。耳も真っ赤だった。


「メトラ師匠!何てことをしてくれたんですか!」

「ワシを怒らせるから悪いんじゃも~ん!」

「そこに俺を巻き込まなくても良いでしょうが!」

「お主はいつもトラブルにワシを巻き込んでおるじゃろが!これはお主への罰でもあるぞよ?」

「くっ……本当なだけに言い返せねぇ……」


 しかし、困ってしまったのもまた事実。リーブラ国の民を救う手助けを当てにしていたのだが、これでは気不味くて協力を依頼出来ない。

 まさに無駄足……流石のライもこれは堪えた……。


 だが、事態は予想外の方向に動き出す。


「さて、リーファムよ。これでワシに対する数々の無礼は手打ちにしてくれる。コレから先は仕事の話じゃ」

「…………」

「立て。お漏らし女よ」

「くっ……!この性悪ネコ……」


 真っ赤な顔で立ち上がったリーファム。ライはその瞬間を狙い《洗浄魔法》を発動した。

 瞬く間に身綺麗になるリーファム。少し驚いていたが、やはり羞恥は拭え……?


(あ、あれ?な、何か嬉しそうに見えるんだけど、気のせいかな?)


 そう……リーファムは時間が経過するに従い、妙な興奮を覚えたのである。

 彼女は目醒めてしまったのだ……ソッチの道に。


「ま、まぁ恥ずかしかったけど、赦してあげるわよ……」

「勘違いするでない!ワシが赦してやったのじゃ!分からんならまた“ 粗相 ”させるぞよ?」

「え?……ふ、ふん!やれるものならやってみたら良いじゃない!ほら!」

「お……おぉ……」


 ようやく違和感に気付いたメトラペトラ……ライの残念そうな視線に激しい後悔が脳内を駆け巡る。


(こ、此奴、もしや?)

(ええ……目醒めた見たいですね。師匠のせいで……)

(くっ……!此奴の性癖なんて考えもせんかったわ!)


 念話でのやりとりに気付いたのかは分からない。だが、リーファムはビシッ!とライを指差し高らかに告げた。


「だ、誰でも良い訳じゃないんだからね?か、勘違いしないでよね!」


 何故かツンデレ。リーファムの外見でツンデレというのも中々マニアックな気がする……。

 それにしても話が進まないのはトラブル勇者故か……。


「ちょ!ちょっと話を戻しましょう!」

「良いわよ?取り敢えず私は彼氏いない歴四百と十二年よ?」

「違~うっ!そうじゃなくて……」

「歳上は嫌い?」

「あ~っ!もう!ちょっと、本当に真面目な話なんですよ!頼むから!時間が無いから!」


 ライは必死だった。今の自分の状況は生きる余裕のある者のそれである。

 内から湧き上がる救済への欲はライを一層焦らせていた。


「……わかったわ。まずは真面目な話からね。で、あなたの依頼は何?」

「リーブラ国の人達を救出する手助けが欲しいんです。アンリはリーファムさんならそれが出来るって……」

「リーブラ……アンリを向かわせたあの場所にあった国ね。そんなに必死になってまで滅んだ国の民を救う理由があるの?」

「他人から見れば僅かな縁でも、知った以上は救いたいんです。たとえそれが、俺の自己満足でも……」

「そう……」


 リーファムにとっては他人の依頼理由はどうでも良いこと。少なくとも今はそうとしか考えていない。


「一人残さず救うのは無理よ?」

「わかってます。でも、出来る限り多くを……」

「わかったわ。依頼を受けましょう」

「ありがとうございます!依頼は奴隷にされた女性達の捜索と救出です。但し、本人が心から残ることを望んだらそのままで……」


 稀に……本当にごく稀な話だが、奴隷の身分から本当に幸せになる者も居るという。小国タンルーラの王妃は元奴隷だったという話もある以上、運命の辿り着く先で幸せになれる者も居る可能性もある。


「避難先はどうするの?」

「最終的に落ち着く先はあります……が、一度に送ることは難しいでしょう。だから一時的に避難させる場所も欲しいんですが……」

「わかったわ。救出した女性達は一度この館で預かることにするわね」

「ありがとうございます」


 リーファムはすっかり仕事用の顔になっている。


「では、依頼内容の確認ね?リーブラ国の女性救出を早急に行うこと。但し、幸福を感じている場合は除外……救出した者はあなたが迎えに来るまでここで預かる。これで良い?」

「はい……それで対価は?」

「かなり大変だから流石に高く付くわよ?そうねぇ……今必要なのは魔力庫かしら?」

「魔力庫?」

「神具の一つで、魔力の補給が出来る魔力源よ。要は純度の高い魔石かしら」

「わかりました。場所は何処に置きます?」


 さも当たり前の様に話を続けるライに、リーファムは困ったような視線を向けた。


「ちょっと……意味分かってるの?神具よ?神具!魔力庫なんて世界を探したって両手の指より少ない代物なのよ?」

「そうなんですか?」

「そうなのよ。だから別の物にしても良い……」

「場所は何処が良いですか?」

「………庭の噴水」

「了解しました」


 そそくさと外に向かったライを呆然と見送るリーファム。だが、メトラペトラは別段慌てた様子もない。


「ね、ねぇ……あの人、大丈夫なの?」

「ん?何がじゃ?」

「だって……魔力庫よ?最低でも精霊結晶が必要なのよ?」

「……まぁ、待っておればわかるわ」


 魔石は大きく分けて五種類に分類される。

 質の低い物から【劣化魔石】【汎用魔石】【高密結晶】【精霊結晶】【純魔石】と分類され、価値は後に述べた物ほど高い。


 伝承には更に上の魔石もあるらしいが、やはり神の遺産の部類で存在を確認した者の話はない。


 質の低い魔石三種は岩石が魔力を浴びて変化したもの。精霊結晶は霊位存在が魔石化したものだ。

 そして純魔石は『魔力そのものが結晶化したもの』である。云わば自然の中でも非常に稀にしか発生しないもの。当然ながら貯えられる魔力量は他の比ではない。


 だが、それを当然のように生み出せる存在がいた。世界の法則に絡む大聖霊である。


 その契約者であり弟子でもあるライは当たり前の様に生み出しているが、【純魔石化】は簡単に言えば空気から金を生み出す様な夢物語なのだ。



「出来ました~」


 館に戻ったライは疲れ気味な表情だ。良く見ればやや透けて見える。


「……あ、あなた、何か透けてるわよ?」

「ありゃあ~……もうすぐ消えますね、これは……」

「き、消える?」

「魔力使い過ぎたから維持出来なくなったんですよ。ささ……消える前に確認して下さい」


 混乱するリーファムは促されるままに庭に向かう。噴水……は綺麗に補修され水が満たされていた。

 一瞬ガクッと力が抜けたリーファムだったが、良く見れば噴水の向こうには見慣れぬものが……。


「嘘……これ、本当に魔力庫?」


 そこに有ったのはライの倍ほどの高さを持つオベリスク型の純魔石。但し一本ではなく、円形の台座の上に三つの魔石が等間隔になるように配置されていた。

 使用する際はその中心に立ち魔石に触れるのだが、お節介なライは他にも様々な効果を付加している。


「噴水は勿体無いので直しました。で……それが『ライ謹製魔力庫』です。初めて造ったので不具合が無いから試してみて下さい」

「造った?……え?……え?」

「あ……ヤベェ……」


 半透明だったライはもう殆んど消えかけている。分身の維持限界が来たのだ。


「依頼の件、お願いしますね。魔力庫に問題があれば連絡を……。メトラ師匠。いま、俺の本体はアクト村に戻ってますので……」

「わかった……少し話をしてから戻る。安心せい」

「……スンマセン」


 やがて分身ライは霧散して消えた……。


「……あの『ライ』という男は何なの?魔力庫を造ったって一体……」

「何じゃと聞かれるとのぉ……やはり勇者ということになるのかの。ただ、奴は恐らく……」

「……?」

「いや……さあ、仕事の時間じゃぞ?【粗相の魔女】よ!」

「や……止めてよね、言い触らすのは……?」


 嬉しそうな顔のリーファムにドン引きするメトラペトラ。

 だが、仕事モードのリーファムは優秀だった。



 屋敷の中……。独自に編み出したらしい探索魔法を使い、リーブラ国の女性達の痕跡を追尾。瞬く間に位置を特定した。


「……ほう?面白い魔法を使うのぅ?高速言語もワシが教えたもの以外も使用しておるな?」

「あの後クローダーに会ったのよ。で、高速言語を知りたいって願ったら、ある魔術師が残した本を見付けてね?まだ全部は解読してないけど、お陰で色々魔法を作れたわ」

「クローダーか……四百年もあれば流石に出会してもおかしくないのぅ」

「だからそれを利用した仕事用の探索魔法よ。条件を限定すれば痕跡を辿れるの。流石に妖精を捜すのは無理だったけどね?」


 大きめの卓上には世界地図が張られている。リーファムはその上に小さな四角い魔石を置いた。

 魔石は精霊結晶で出来ていて、その表面には文字が浮かび上がっている。


「五百三十……五………人ね」

「思ったより少ないのぅ……」

「恐らく自害した者が相当数いるのよ。こればかりはね……」

「リーファムよ……ライには話すでないぞ?」

「何で?」

「泣くからじゃ」

「……嘘!……ほ、本当に?」


 人死にが出る度泣いている訳ではないが、ある程度それを見続けるとライは突然行方を眩ますことがある。それが泣く為だとメトラペトラが知ったのは、割りと最近のことだ。


「確かに悲しくて泣いてはおるが、あれは同情の涙ではなくてのぅ……救えぬ悔しさと、救えぬ命への謝罪を刻み込んでいる様な感じじゃったの」

「そんな生き方してたら、この世は地獄じゃない……」

「地獄……か……」


 半精霊体のライはそれが半永久的に続くのだ。確かに地獄という表現が正しいのかも知れない。

 恐らくメトラペトラと出逢わずとも辿る道は同じだっただろう。しかし、メトラペトラは責任の一端を感じても居た。


「ともかくじゃ。奴を泣かせぬ為にもより多くを早く救出せねばならぬ。仮にもお主の弟弟子ということになるのじゃから、頼んだぞよ?」

「……わかったわ」


 リーファムは更に幾つかの魔石を並べ替え詠唱を始めると、魔石は滑るように数ヶ所に移動。魔石の表面にはやはり数字が表示されている。


「ここから先は直接向かって対応するわ。メトラペトラはあの人……ライの所で待ってて」

「わかった。今滞在しているのはイシェルド国、アクト村じゃ。ワシらが居らん時は村長のマイクに用件を伝えよ」

「わかったわ。……。その……昔は悪かったわね……」

「……まあ良いわ。先程も言ったじゃろ?水に流すと」

「……変わったわね、メトラペトラ。それもライのお陰かしら?」

「まぁ……の……」


 フィっと視線を逸らしたメトラペトラ。ライの元へと転移を発動しかけた時、けたたましい声で飛翔して来るウインディの姿が……。


「待って~!あたしも行く~!」


 そのままメトラペトラの背中に張り付き転移魔法の発動で姿を消した。


「……さあ、お仕事お仕事。アンリ~!出掛けるわよ~?」


 【火葬の魔女】は弟子を伴い依頼を熟す。仕事上探索が多い為ライが捜すより遥かに効率が良く、かつ手慣れていた。


 リーファムが依頼を果たすまで僅か三日──。


 それは、ライが対価として置いていった魔力庫の力が大きく役立ったことを忘れてはならないだろう……。



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