第四部 第七章 第五話 猫神の巫女伝説 


(……湖の封印か。フェルミナの時を思い出すなぁ)


 魔獣が封印されし湖……それを見下ろすライは改めて気を引き締める。


 ミソラの話では、封印されている魔獣は水害を起こすと伝承されているそうだ。但し、文献が古く詳しい能力までは読めなくなっていたという。


 封印された魔獣ということは、当時の者達では倒しきれなかったということ。ライは少しばかり警戒を強めることにした。



 エクナール兵達の誘導により湖周辺に暮らす住民の避難が完了したのは、夕刻。山の麓にあるエクナールは陽が陰るのが早く、既に移動には灯りが必要だった。

 とはいえ……ライにとっては昼夜の視界はあまり関係無いので、目立たないのは寧ろ好都合といったところだろう。




 湖のほとりでは煌々と篝火が焚かれ揺蕩う水面を幻想的に照らしている。そんな中を巫女達は湖を囲む様に配置に付いた。

 エクナール兵達は巫女達の指示で更に離れた位置に待機し、想定外の事態に動けるよう備えて貰っている。


(準備出来ました、コーチ)

(了解。戦いが始まったら、皆は湖の結界維持に努めて欲しい。神具に蓄えられた魔力が切れる前にカタを付ける。少し暴れるかも知れないけど、リプルとミーシアは踊りでエクナール兵達の注意を引いて欲しい。じゃあ、行くよ?)


 日が沈んだ湖周辺は風も殆どなく妙に明るい。巫女達が持つ武器型神具は共鳴するように作製されており、巨大な魔法結界の光柱が湖全体を照らしているのだ。

 そしてその輝きは遥か上空のライを見事に隠していた。


 機を逃さぬように湖底の魔石を狙い圧縮氷結魔法 《螺旋氷槍》を発動。人差し指程の長さがある捩れた氷の杭で、封印の魔石を上空から一気に撃ち抜いた……。


 閃光──そして巨大な水柱……。水柱の中には巨大な蛇のような影が浮かび上がっていた。


「あれが……魔獣なの?」


 水柱が重力に引かれ流れ落ちる中、魔獣だけがその姿を留め残された。


 魔獣の姿は、巨大なウナギに蝙蝠の翼を四枚付けた様な形状。頭部から二本の触角が生え、水中から僅かに見える尾ビレ付近にも大きな翼の様な影が広がって見える。エメラルドグリーンの体表は強固な鱗で覆われていた。


 早期決着を狙うライは、魔獣が行動を開始する前に上空より一気に降下。身体に《魔力吸収》属性纏装を展開し魔獣の後頭部にピタリと張り付く。


「俺の言ってることが分かるなら抵抗しないでくれ。今からお前を聖獣に変化させる。少し苦しいかも知れないけど、乗り越えれば封印されることは無くなるよ?信用してくれないか?」


 ライの呼び掛けに対し魔獣は僅かに動きを止めたが、間もなく咆哮を上げ暴れ始めた。二、三度巫女達の維持する魔法結界に激突し脱出を試みている。


(……お、重いよ~!)

(チェルシー、しっかり!コーチはもっと大変なのよ!私達の力で被害を防ぐの)

(そうだな。あたし達だって出来るところを、コーチにも見せてやろうよ!)


 結界は火炎属性魔法を基礎にしている為、魔獣には却ってダメージが与えられている。それを理解したのか、やがて魔獣は結界に触れるのを止めた。


 その間ライは必死に魔獣にしがみつき続け、額のチャクラを開いて魔力を吸い上げていた……。その勇姿は『寄生勇者・ノミ』と呼ぶに相応しい。


(かなり魔力を吸えたかな?もうちょい減らしたら神聖属性の魔力を……)


 と、考えていたライに予想外の事態が起こる。


 しがみついていた魔獣の体表から粘液が滲み出し始めたのだ。


「うぉっ!ヌ、ヌルヌルして滑る!ヤバイ……て、手が……」


 懸命にしがみ付くも取り付いた体勢が維持できず滑り始めたライ……そこへ魔獣の尾から強烈な一撃が繰り出された。

 弾き飛ばされたライは、結界に激しく叩き付けられた。


「ぐああぁぁぁっ!」


 纏装を纏っていても貫通する威力。この魔獣はかなり強力……今更ながらに実感させられたライは、己の考えの甘さを再確認した。


(コーチ!)

(だ、大丈夫……。それより皆、結界を強くしてくれ)

(しかし、それでは維持出来る時間が……)

(直ぐに終わらせてみせる。だから……頼んだよ)


 そしてライは半精霊体の力を発現……。巫女達はその姿に息を飲んだ。

 残念ながら、一心不乱に踊るリプルとミーシアだけは気付かなかった様だが……。


「傷も与えずなんて失礼だった。俺程度が魔獣に加減して戦っても上手く行く訳無いよな?だから……少し本気で行く」


 ライは高速飛翔で突進し火炎属性の纏装で二、三撃殴り付け魔獣の体勢を崩す。即座に纏装属性を切り換えた。

 変化させた属性は修得したばかりの【物質変換】。そして再び魔獣に突進……と思いきや、湖へと矛先を変えその水面に突入した。

 同時に湖水が一瞬で岩と化す。岩に埋められた魔獣は必死に足掻いたが抜け出すことは出来ない……。


 魔獣はその口から水の圧縮魔力を放出しライを狙うが、火炎魔法 《金烏滅己》により迎撃。途端に水蒸気爆発が発生し結界を揺るがした。


 そんな衝突を幾度か繰り返すが、巫女達の張った結界は綻ぶ気配もない。


(うん……ちゃんと使い熟せてるな……)


 リプルとミーシア以外はちゃんとした訓練をしていないのだが、神具の操作は問題なく熟せているようだ。


(これならトシューラが攻めて来ても守り抜けるだろう)


 残れない身故のせめてもの置土産……にしては過剰な『猫神の巫女』装備一式。それはこの先も国家連合の大きな力になる筈だ。



 ライがそんなことを考えている内に、やがて魔獣はその姿を『魔力体』に変化させ岩から抜け出そうとし始める。だが、それこそが好機……ライはそれを狙って『湖水の物質変換』を行ったのだ。



 岩の湖面から飛び出し魔力体になった魔獣を吸収魔法の檻で捕縛。そのまま限界まで魔力を減らし続ける。魔力はやがて小さくなり抵抗が弱まった。

 ここまで来れば後は天雲丸の時の手順をなぞるのみ。自らの幸せな記憶を魔獣へ流し込みつつ、神聖属性の魔力を逆流。予想よりも魔力を消費したが、やがて魔獣から不穏な気配が消え去った……。


 結果───眩い閃光。


 光の柱の中を、ライと魔獣……いや、聖獣は湖へと落下して行く。


 湖は既に岩から水に戻っている。ライは落下しながらも湖の変換を行ったのだ。


 大規模の、しかも二度の物質変換……。更に聖獣への転化という魔力消費疲労で意識が飛びかけているが、本体が気を失うと各分身が消えてしまうので必死に意識の維持に努めた。


 そしてライは──そのまま湖の中へと沈んで姿を消した……。



「コーチ!?」


 結界を解除し湖を覗き込む巫女達は、必死にライの姿を探す。リプルとミーシアはその間も場に不釣り合いな踊りを必死に行っている。


(大丈夫、無事だよ。俺の役割はこれで終わり……後は皆に頼んで良いかな?)

(コーチ!戻ってきて!いま治療を!)

(良いんだ、ベルガ……これでいい。それより、これは飽くまで連合の為の地ならしでしかない。気を抜くとまた連合は崩れる……しっかり纏めて……くれ……よ?)

(コーチ!コーチィィ!?)

(へへっ……俺は……疲れたから少し……休む。やることも……あるし……皆とはここで……少し……お別れだ。じゃあ……な)

「コーチィィ~!?」


 ライが湖から浮き上がってくる様子は無い。しかし、きっと生きている──巫女達には不思議と確信があった。


「皆……コーチは私達を信じてくれた。後は私達で」


 ベルガの言葉に皆が首肯く。だが、リプルとミーシアだけは未だに踊っている。

 ベルガは思った……あの踊りは雰囲気ぶち壊しだ、と。



 この出来事がエクナール王の覚悟を確かなものに変えて動かし、全ての小国は連合を組むことになった。




 そして後日談──。



 ライが巫女達の前から姿を消し二日が過ぎたエクナール国。巫女達は事後処理を手伝いつつ、改めてエクナール王から連合加盟の署名を貰うことになる。


 女騎士ミソラは王からの厳命で巫女として活動することになり、すっかり落ち込んでいた。


「うぅ……恥ずかしい」

「ミソラちゃん、ファイト!」

「ミーシアさん……が、頑張ります」

「ミーシア『ちゃん』でお願いね?」

「……はい」


 既にすっかり振っ切れたミーシア。そこに近寄る人影が一つ。


「失礼……私はあなたと話がしたいのですが宜しいですか?」

「ス、スティオ王子!如何なさいましたか?」

「ミソラ。ミーシア殿を少しお借りしても?」

「え、はい。大丈夫ですが……」


 結論から言うと、エクナール国の王子スティオはミーシアに一目惚れしたらしい。一心不乱に踊るあの姿に文字通り悩殺された様だ。

 ミーシアも満更ではなく立場や巫女としての役割などについて話し合いの末、最終的には婚約と相成った。身分差についてはエクナール国は寛容な国らしい。


「良いなぁ……」

「チェルシーさ……ちゃん?……あなたはまだ若い。あれはミーシアちゃんの大人の色気があったからこそですよ?」

「じゃあ、ミソラは?」

「うっ!わ、私はまだ……その……あ、相手がね?」

「チェルシーはお兄ちゃんのお嫁にして貰うの」


 爆弾発言投下。これに慌てたのはツンデレさんだ。


「ち、ちょっとお待ちなさい、チェルシー!何勝手なことを……」

「して貰うんだもん!ベルガ、羨ましい?」

「ぐぬぬぬ!」


 エクナール国の応接間には、連合結成の打ち合わせで居ないリプル、王子と出掛けているミーシアを除き、五人の巫女が集まっている。


「アハハハ。賑やかだね……ん?どうしたの、クーネミア?」

「……私もコーチのお嫁さんになる」


 半分紅茶を啜っていたミネットは盛大に吹き出した。


「ケホッ!え?な、何?何でそんな話に?」

「……早い者勝ち」

「えぇ~……」


 ミネットがチラリと視線を移すと、チェルシーとベルガが闘志に燃えた目をしていた。


「……そうね。早い者勝ちなら私が有利だわ?」

「ツンツンのベルガになんて負けないもん」

「わ、私だって胸もないお子様に負けないわよ」

「何を~?」

「何ですって~?」


 ミソラは巫女達のそんな姿すら羨ましいといった顔をしている。

 見兼ねたミネットは、実は一番の常識人……場の空気を変える為話題を切り出した。


「そ、そうだ!あの魔獣……今は聖獣だっけ?どうしてるの、ミソラちゃん?」

「え?あ、えぇ……湖での浄化により自由になった聖獣は、湖の底で静かに暮らしている様です。以前より湖が綺麗になったと周辺住民は驚いてました」

「それにしても魔獣を聖獣に変えるなんて初めて聞いたよ……。本当に何者だったんだ、コーチって?」

「……私の嫁」

「いや、クーネミア……嫁っておかしいよ?」

「違うもん、チェルシーの嫁だもん」

「だ~か~ら~!」


 知らぬところではモテモテ、その実体は『チェリー勇者』。何者かだと?無論、『痴れ者』よ。


「……。ところで、この巫女衣装はいつまで着ていれば良いのでしょうか?」

「連合がシウトの傘下に入るまでじゃないかな?でも折角自由なんだし、あたしはずっと着てても良いかな~?」

「私は騎士ですので、あまりこの格好は……」

「でも、この格好ならミーシアみたいに誰かを射止めるかも知れないよ?」

「………ほ、本当に?」


 ミソラは乙女の表情を浮かべている。ミネットは思わずミソラの頭を撫でた。


「ミソラちゃんは可愛いからすぐ見付かるかもね?でも、そうなると後継者探しておかないと……」

「そういえばそんな話でした……」

「まあ、折角巫女仲間なんだし私としては長く居て欲しいんだけど」

「……そ、それはそれで困ります」


 そんな楽しげな応接間にリプルが戻って来たのは、夕刻に差し掛かる頃……。最初の巫女故に仕方無しとはいえ、リプルはリーダーの役割を見事に果たしている。


「それで、どうなりましたか?」


 エクナール国出身の巫女にも関わらず会議に参加出来ないミソラは、楽をしていることに肩身が狭いらしく早く結果を知りたがっていた。


「はい。取り敢えず決まったことを……。署名が集まったので、改めて式典を開くそうです。場所は中央に位置するこのエクナール国。今までの非礼を謝罪する代わりに、持て成しをしたいとのことです」

「へぇ~……良いんじゃないかな?ここは聖獣も居るし」

「はい。それでですね?各国の見解を確認して欲しいとのことでして……皆さん、一度国許に戻りましょう」

「えぇ~?やだ~!チェルシー、帰りたくない!」

「しかし、確認しないと連合が気持ち良く成り立ちませんよ?確認してくるだけですし……。それに、いつまでもエクナール国のお世話になる訳には……」


 目下問題なのは巫女の今後の活動と居場所。それについて、リプルはライよりの手紙を受け取っていたらしい。


「コーチ、何て書いてますの?」

「えぇと……ベルガ、読んで頂けますか?」

「わかったわ。え~……字が細かいわね。な、何かしら、この染み……」


 ビッシリと書かれている手紙は何故か端に血のような跡がある……。


『この手紙を君達が読んだ時、俺はもう居ないだろう。だから君達の今後について記しておく』


 いきなり縁起でもない出だし……ベルガは口が引き攣っている。


『まず、巫女達の今後について。連合成立後はシウトへの使者となり同盟を求めること。巫女達は連合の意思決定機関として、国の垣根を越えた存在になって欲しい。その辺はリプルがリーダーとして上手くやると信じている。内気なリプルは凄く成長しているけど、皆で支えて欲しい』


「コーチ……」


『巫女達の居場所はイシェルド国のアクト村で良いと考えている。田舎だけど、あそこは天猫教の聖地。きっと温かく迎えてくれる筈だ』


「田舎ね……でも、好きに移動出来るから良いわよね?」

「チェルシー、田舎でも良いよ?」

「……お城よりマシ」


 巫女達は何処へでも一足飛びで行けるのだ……衣装さえ気にしなければ、だが。


『活動としては、全員で歌と踊りを練習して連合国内を回って欲しい。人を助ける力もある君達なら、元気な姿でより多くの絆を結べる筈だ。国内活動にはお金を取らない様に。代わりにグッズ販売や曲入りの魔導具販売は解禁する。詳細は商人組合の『ティム』という男に相談してみて欲しい。それと、アクト村には不思議と優秀な人材が多いからキッチリ技術を仕込んだ。安心して良いよ』


「………コーチってアクト村に少ししか居なかったって聞いたんだけど、何をどうやって“ 仕込んだ ”のかしら?」


 それは勿論、記憶の流し込みと神具開発である。かなり過酷な仕込みも『猫神様の御意思』で解決……やったね!


『それから売り上げ純利益の内一割はアクト村に。四割は各国に分けて納める様に。各業者さんへは利用する度に売り上げの……』


「凄いお金に細かい……。何なの、この綿密な計画……?」


『──で、その資金で猫神の巫女の宿舎を建てるように。因みに小国連合成立後、シウト国に呼ばれたら活動全部で金取って良いから。ヒューゥッ!やったね!皆、潤っちゃうよ?』


「………そんな先まで。ちょっと怖くなってきたわね」

「ま、まあ、連合しても大国よりかなり貧しい訳ですから助かります」

「………コーチ、起業家?」


『あ?素敵な人を見付けたら後継者だけ見付けてね~?後は自由だからね~?巫女を辞める条件は結婚、もしくは年齢上限だから後継者を選ぶ時に伝え忘れないでね?』


 ここでミソラはガタッと崩れ落ちた。


「私、どう考えても年齢的に不利じゃないですか!」

「ま、まあまあ……ミーシアちゃんだって玉の輿です。きっとミソラちゃんも大丈夫ですよ」


 女騎士ミソラの幸せはいつになるのか……それは誰にもわからない。


『それじゃあ最後になるけど、皆と会えて良かったよ。じゃ!バイバ~イ!』


「最後は凄い軽いし……」

「……ま、まあ、生きているのは間違い無さそうですから。そ、それで皆さん、納得は?」


 沈黙……そして笑顔。


「分かったわ。じゃあ、国に帰って確認を取れば良いのね?で、その後アクト村に」

「分かった。チェルシー、帰る」

「あたしも一旦帰るよ。そしたらすぐに」

「………私も」

「あ……因みにミーシアさんはこのままエクナール国に残ります。後継者は決まっているみたいでしたし」

「そうなんですか?な、何て羨ましい……」

「ミソラちゃん、涙拭こうね?」


 ミーシアは作法を学ぶ為にエクナール国に残ることになった。後継者はアクト村に妹のような娘がいるとのこと。




 こうして一度解散した猫神の巫女達は、改めて式典のことを各国へと伝えることになった。しかし、今ならば問題が起こることは無いだろう。



 イシェルドのアクト村には神の力を授かった巫女達が居る。そんな噂が風に乗りシウト国にまで拡がるのは、もう少し先の話……。






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