第四部 第七章 第二話 猫神の巫女
ライが向かったイシェルド国・王都ジェレンは、アクト村から馬で二日程の距離に存在していた。
だが、今のライが全力を出せば湯が沸くほどの時間で到着出来る。
衝撃波で被害が出ぬよう遥か上空で超高速飛翔を行ない、瞬く間にイシェルド王城に到着を果たした。
再び《千里眼》を発動し王の部屋を確認したライは、吸収魔法で窓を消し去り部屋の中へと侵入。
王は安らかな顔で眠っていたが、それが尚更ライの神経を逆撫でした。
「おい……起きろ」
「う……うぅん……」
「起きろってんだよ、このバカちんがぁ!」
「ん………。ぐおっ!」
イシェルド王の眠る天蓋付きのベットを瞬時に《物質吸収》。当然ながらイシェルド王は固い床に落下した。
「ぐ……な、なんだ……?」
「ばっ、化け物!だ、誰か!誰かおらんか!」
「無駄だ……。この部屋は貴様と我だけ……外とは隔絶してある」
スッと闇から姿を現したのは、赤銅色の肉体を持ち頭のみが龍の異形。その双眸は金色に妖しく輝いていた。
「な、なな、何だ貴様は!」
「我は魔王……」
「魔王だと?そんなものが何故……」
「此処に居るのか、か?貴様が吹聴したのだろう?枕元に魔王が現れたのだと……だから来てやったのだ」
「そ、それは……!」
「まぁ良い。面倒だ」
魔王を名乗る存在はイシェルド国王の頭を鷲掴みにし、軽い電撃を流した。
「ぎぃやぁぁぁ━━━っ!」
叫ぶイシェルド王……しかし、それに気付く者はいない。
風魔法 《空縛牢》を利用した空間遮断は外部に一切の音を漏らすことはない。
「ほう……貴様、魔王の名を騙ったな?領内に生け贄を求めた割に安眠していると思えば……。クックック……ハ~ッハッハッハ!」
「何が可笑しい!」
「何……その傲慢さだけは魔王級だと思ってな。まぁ良い。だが、貴様の吹聴は魔王を侮ったもの故見過ごせん。よって、我は貴様の言葉を真実にしてやろう」
「な、何を……」
「姫を……拐うのだったか?」
イシェルド国王の顔は、夜の月明かりでもそれと判る程みるみる青褪め始める。王は縋り付くように魔王の足に手を伸ばすが、あっさり蹴り飛ばされ壁に叩き付けられた。
「フン……賽を振ったのは貴様だ。自らの娘を以て魔王を侮辱した罪を贖え」
《空縛牢》を解除し派手に壁を破壊したライは、そのままイシェルドの姫の部屋を探り当て更に城壁を破壊。姫を抱えて飛翔し、城中に聞こえる声で宣告する。
「イシェルド国王は、その罪により姫を失うことになった。愚かな人間共よ……。魔王を侮ればどうなるか……しかと心に焼き付けよ!」
そして魔王は姫を抱え遠方へと姿を消した……。
この騒動によりイシェルド王城は大混乱に陥ることになるだろう。しかし、今のライには結末を見守る余裕も義理もない。
先ずはアクト村へと戻ることにした。
「魔王様……私はどうなるのでしょうか?」
魔王……つまり『ライ』に抱えられ飛翔していたイシェルドの姫は、怯えた様子もなく淡々と問い掛ける。
「どうということも無いよ。俺、魔王じゃないし」
魔王の姿を解除したライに少しだけ反応した姫。しかし、あまりに表情が弱くまるで人形の様な印象を受ける。
「では、私は何処へ行くのですか?」
「イシェルドの外れにあるアクトって小さな村にね。そこで解放するから後は好きにして良いよ」
「わかりました」
殆ど動じない姫君。だが、僅かに手が震えている。
「………ごめん」
ライは一度飛翔を止め大地にゆっくりと降り立った。
イシェルドの姫を下ろしたライは深々と頭を下げ謝罪を始める。
「俺はライ・フェンリーヴという旅の勇者です。少し焦っていたとはいえ、あなたに対する配慮が足りませんでした。この通り、謝罪致します」
「……………」
「取り敢えず同行して頂ければ事情は説明します。折を見て城にお送りしますので、もう少し我慢を願えませんか?」
「わかりました」
「ありがとうございます……それで、その……」
「私の名はリプル・アトレー・イシェルドです」
リプルは十代半ば程の薄茶色の髪をした少女。人形の様に端整な顔立ちだが、やや食の細い印象を受けた。
「リプル様ですね。……。それでですね……」
「他に何か?」
「え~っと……リプル様を抱え上げても宜しいでしょうか?」
「……あっ」
ようやく遠慮されていた意味を理解したリプルは、頬を少し赤らめる。リプルにちゃんとした感情があることに安堵したライは、抱え上げる許可を得て再び飛翔を続けた。
「空を……飛べるのですね」
「ええ。飛翔魔法と言います……イシェルドには使える方は居ないのですか?」
「はい」
「………そうだ!巻き込んだお詫びに後で空を飛ぶ道具を進呈致します」
一瞬パッと明るくなったリプル。再び顔を赤らめ努めて表情を消そうとしていた。
どうやらリプルは只の恥ずかしがり屋らしい……。
「スミマセンが少し飛ばしますね。急ぎたい用があるので………」
「……ライ殿、でしたね?差し支えなければ、急ぎの用とは何かお聞きしても?」
「……そうですね。巻き込んだ手前説明すべきでしょう。イシェルドにもあながち無関係という訳でもありませんし……」
ライは要点のみをリプルに伝えた。
縁の出来たオルネリア達の家族を救出する為にトシューラ国へと向かうつもりだ、と……。それは、リプルにはとても無謀な行為に思えた。
「これはイシェルド国にも無関係な話ではありません。トシューラに国を滅ぼされた人達は皆、本当に苦しみの中を生きていました。その殆どがトシューラに隣接する小国です……。救出に向かう『リーブラ国民』もその一つ。そして……イシェルドもまたトシューラに隣接する小国……」
「やはり、イシェルドも危険なのですね……」
「はい……失礼ですが、少しばかり無防備過ぎる気がします。イシェルドは大国の傘下に入ってはいないのですよね?」
トシューラを除けば一番近いのはシウト。しかし、ライの記憶ではシウトの庇護国にその名は無かった。
「この辺りは小国が集まる地……。かつては連合を創ろうと呼び掛けた国もあったそうです。しかし王達は皆、我が強く結局叶わなかったと聞いております。以来イシェルドは中立国を謳ってはいますが、実質はただ流されているだけ……。このままでは危険なことは理解しているのですが、私にはどうすることも……」
「……リプル様はそれを理解しているだけ大したものですよ。イシェルド王は選択を誤っています」
と、そこまで口にした時ライは後悔した。リプルの気持ちを考えれば知らぬ方が良いこともある……。
しかし、リプルからすれば知るべきことと理解しているのだろう。覚悟の視線でライに問い質した。
「父は……一体何を……」
「………魔王の事は本当の話だと思ってましたか?」
「はい……魔王の台頭は聞いていましたので……」
「イシェルド国王の話は比喩ですよ。魔王はトシューラです」
「まさか……!そんな……」
トシューラ国からの宣告……それは姫であるリプルを差し出せというもの。そうすれば併呑する際のイシェルドを領地として残してやる──という脅しだったことを、ライはイシェルド国王の記憶を覗き理解したのだ。
「トシューラ国は常に侵略を……それが今の女王の方針なんでしょう」
「それで……父は何を……」
「知らない方が良いですよ……。それはリプル様の責任ではないのですから」
「……いえ。私が原因なら知るべきです。お願いです。教えて下さい」
「……代わりにトシューラ有力貴族への人身売買を。それで忠誠だと手を引いて貰っている」
「…………うっ……うぅ……」
泣き出すリプル。恐らくその思考は、罪悪感と父への軽蔑で嵐の様に荒れている筈だ。
「……リプル様。確かにイシェルド国王は選択を誤った。俺はそれが許せないけど、あなただけは国王を責めてはいけない。王はあなたを守る為の方法を他に思い浮かばなかっただけなんです。愛する娘の為に手を汚すことを選んだ」
「私の為に……」
領民を犠牲にする……それはライには赦せないことだ。
しかし……それが娘の為ならば親は他者を犠牲にすることを厭わない。汚名を被る覚悟を完全に否定することはライにも出来ないのだ。寧ろそれこそが人間……ライはそう口にし掛けてやめた。
「……後でイシェルド国王と良く話し合って下さい。そして問題はその後です。どのみちイシェルドには先が無い……」
「……私が……トシューラに行けば……」
「行っても一時凌ぎでしょう。併呑した国の王族は大半が奴隷に落とされる。残酷ですがイシェルド国王もあなたも」
「……方法は……無いのでしょうか?」
「一番は小国で連合を創った上でシウト国の傘下に入ることですね。今のシウト国なら女王が賢く人道的だそうですから、損得ではなく義で動いてくれます。ただ、連合を組むにはそれ相応の労力と時間……そして覚悟が必要です」
ライの提案を果たすにはどうしても時間が足りない。ライは今回、最後まで面倒を見る余裕がない。
人間同士の争いより今は魔王に対抗する術を優先したい。それは皮肉にも、神聖国家エクレトルの考え方に近い。
だが……そんな自分に気付いたライは、自己嫌悪に陥ることとなり押し黙ってしまう。
ようやく口を開いた時、ライは少し寂しげに微笑んだ……。
「……。駄目だな、俺は」
「……え?」
「リプル様。自らが手を汚す覚悟はありますか?」
「……………」
「恐らく小国の連合は、力を見せ付ければ短期で成立出来ます。俺はその力になることは出来る……でも、旅の勇者程度では後々までの責任は負えない」
「だから……私が?」
「そうです。私はイシェルド国王には手を貸す気は無い。でも、あなたに対しては違う」
リプルは迷った。飛翔が出来るライは確かに優れているのだろう。しかし、小国とはいえ個人が国を押さえられるかは話が別だ。
それに、ライ自身の危険に加え“ 急ぎの用 ”の邪魔をしてしまう恐れもある。
だが、それでも───リプルはライを頼るより他に無い。
「どうか……お願いします」
「……。了解しました。ともかく一度アクト村に向かいます。そこで色々準備しないと……」
姫君を抱えたライは、月明かりの中で更に飛翔速度を上げアクト村へと辿り着いた。
既に真夜中……リクウはマイクに振る舞われた酒に酔っていた。しかし、ライが事情を説明した時にはすっかり酔いが冷め盛大に呆れていた。
勿論、呆れていただけではない。トラブル勇者のトラブル体質に対して驚愕もしていた。
増える問題──。それは今後もライの負担も増やすことになる。
そして翌日───。
「駄目だ駄目だ!まだ照れがあるぞ!そんなことで小国連合が成せると思っているのか!?」
「は……はい!スミマセン、コーチ!」
「もう一度始めからだ!時間は待ってくれないぞ?」
「はい!お願いします!」
日も高い時刻、片田舎アクト村の祭壇に響く声──。そこには二人の女性が懸命に踊る姿があった……。
そして、それを見守る男──そう。それは言わずと知れた奴……『鬼コーチ・ライ』である。
何故こんなことになっているのか……やはり説明が必要だろう。
昨夜遅く……アクト村に帰還したライは、早速リプルを司祭マイクに引き合わせた。
リプルはこれから小国連合を立ち上げ纏めねばならない。その為の準備にアクト村滞在は必須だったと言える。
司祭マイクはまさかの姫君登場に驚き戸惑っていた。しかし『猫神様のお導き』の一言で一切の疑念を捨て去り、チョロくも協力をしてくれることになったのである。
但し、リクウはとても酸っぺぇ顔をしていた。雷おやじはマイクの様に甘くないということだろう……。
結局、その日からはマイクの暮らす教会で休ませて貰うことになった。マイクには一人娘がおり何かと面倒を見てくれたのは、ライにもリプルにも幸運と言える。
「………それでライよ。どうするつもりなのだ?」
一夜明け朝食を済ませたライ達は、教会の近くにある森で天網斬りの修行の為に刃を振るっていた。
本来は纏装を封じ修行するのだが、纏装を解けば分身も解けてしまう。既に段階としては天網斬りを仮修得している状態なので、リクウはそのまま修行を続けさせた。
ただ、その分技術修得には時間が掛かるだろう……。
昨夜、トラブルを解決に向かったライが問題を背負って帰って来た……と理解したリクウ。何をどうやったら問題が連鎖するのか問い質そうとしたが、疲れるだけと諦めた。
ともかく事情だけは聞き出し見守ることにしたらしい。
「小国を纏めるには対等ではなく上に立って纏める者が必要かと……。結局のところ、王達は他国よりも優位であることを考えるから纏まらない訳です。だったら『テメェら連合かトシューラ、好きな方選べ』ってすれば否応無く纏まるかと。その連合側の象徴をリプル姫にやって貰うんですよ……」
「力で押さえるのではトシューラと変わるまい。本当に上手く行くのか?」
「だからこその姫様ですよ。異国から来た俺が力を見せ付けて脅すより、顔の知れた小国の姫様が圧倒的な力を見せつつ連合を提案した方が抵抗が無いでしょ?」
「………そんなものか?」
「まあ、俺ならそっちに従うかな~と。でもなぁ……」
何やら考え事をしているライは浮かぬ表情だ……。
「何か問題があるのか?」
「リプル姫は恥ずかしがり屋みたいなんで、誰か一緒に……」
そんな会話の途中、教会の方角から声が……。
「皆さ~ん!お茶の用意が出来たのでいらっしゃいませんか~?」
それは司祭の娘、ミーシアだった。
この時、ライの頭脳に電撃が疾ったとか疾らなかったとか……。
「……悪い顔をしているな」
「え?や、嫌だなぁ……生まれつきですよ~?」
悪企みの顔が『生まれつき』というのもそれはそれで嫌な話に思えるのだが、どうやら言い訳も適当らしい……。
「ミーシアさ~ん……。少しお話が……」
こうして悪い顔をしたライに巻き込まれることになったミーシア。
ミーシアは司祭の娘だけあり、慈愛が滲み出る優しげな顔付きの美女だ。長い髪、二十四歳と大人であり体つきも相応に豊満である。
「え……?わ、私がリプル様と一緒に行動を?」
「はい。リプル様だけでは何かと心細いかと思いまして……」
「……わかりました。失礼の無いようお仕えを……」
「違います。お仕えするのではなく相棒になるんです。つまり対等な立場で無ければいけません」
「そ、それは流石に失礼では……?」
教会の応接間。卓で紅茶を啜るリプルに視線を向けたミーシア。リプルはその視線を受け取った後、ライに確認の視線を向けた。
リプルには協力を約束した際、身分を越えて接することを容認して貰っている。
これは必要なこと……ライはリプルに対し力強く頷いた。
「これから二人には『猫神様の啓示を受けた巫女』ということにして貰います。猫神様の元では対等な関係ですので、身分差は無いと思って下さい」
「わ、わかりました……。それで……具体的にはどうしたら良いのですか?」
「やることは沢山ありますよ?俺が造る神具の使い方、それに立ち振舞いも覚えて貰わないといけませんし……」
「……大変そうですね。私なんかが務まるでしょうか?」
不安げなミーシア。しかし……ライは不敵な笑みを浮かべている。
「大丈夫です。寧ろミーシアさんは素晴らしい素材……いえ、人材です」
「しかし私、自信が……」
そこでスッとミーシアに近付いたライは、その耳元でそっと囁く。
『全ては猫神様の思し召し』
そんな魔法の言葉でミーシアは自信に溢れた表情を見せた。
「猫神様が……私、頑張ります!」
「ええ。猫神様は見守ってくれていますよ」
「はい!」
司祭の娘・ミーシアにとって猫神様は絶対と言えるのだ。その猫神様が見守っていることは幸せなこと……断れる訳がない。見事な洗脳、もとい信仰である……。
折角なので、ライはそんなカルト染みた信仰を利用しまくることにした。
「では、これから私は準備を始めます。二人には祭壇にて猫神様に捧げる『ニャンニャン・ダンス』を習得して貰いますので、動きやすい服装で来て下さい」
ニャンニャン・ダンス……中々にダッセぇネーミングなのはご愛嬌。
「わかりました。それではリプル様……」
「同格ですよ~?『様』じゃダメですよ~?」
「リ、リプルちゃん……って呼んで良い?」
「は、はい。では、私はミーシアさんと……」
しかし、ライは妥協を許さない。
「駄目ですよ~?ミーシア『ちゃん』と呼ばないと」
「で、でもミーシアさんは歳上で……」
「相棒なんですから『さん』はおかしいでしょ?二人は固い絆で結ばれた相棒……という設定です」
「せ、設定ですか?」
「おっと……これ以上は後のお楽しみということで。そりでぃ~わ!」
逃げるように部屋を出るライ……扉を開けた瞬間分身をした為に何やらダブって見えたリプル達は目を擦っていた。
そんな訳でリプルとミーシアは、『鬼コーチ・ライ』の指導の元シンメトリカルなダンスを叩き込まれていた。
ダンスと言っても神に奉納する舞いの様な優美なものではなく、軽快なリズムで動くもの。特に胸や腰を強調する動きが多いのは、
「………なぁ、ライよ?」
「何ですか、リクウ師範?」
「あれでどうやって小国を纏めるのだ?通常ならば相手にすらされんぞ?」
「そんなことないですよ。フッフッフ……まあ、後のお楽しみということで」
「……………」
リクウの心配を余所にライの計画は既に動き出していた。
アクトの街に放たれた分身は、神具作成の為に材料を集めて回っている。
衣装類、小道具、その他諸々……村人は皆『猫神様のご意志』と伝えると嬉々として協力をしてくれた。
その夜……ライが教会の一室に籠り朝方まで仕上げを行っていたことなど、誰も知る由もない。
「今日は衣装合せと神具の説明をします。二人とも、魔法使えます?」
朝食後……リプルとミーシアを教会の応接間に呼び出したライは、満面の笑顔で問い掛けた。
「私は城で少しだけ学んだので初級の火魔法を……」
「私は回復魔法を……。やはり初級ですが……」
「魔法適性はある訳ですね?なら慣れるのも早いでしょう。お渡しするのは直接の魔力は殆ど必要としない神具。お二人に負担は掛からないとは思いますが、注意点や確認もあるので説明を……」
そうしてテーブルに並んだ神具の数々……。リプルもミーシアも驚きを隠せない。
「こ……これは!」
「まさか、こんな!?」
痴れ者の飽くなき趣味の世界は続く……。
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