第四部 第六章 第十九話 マコアの願い
愛染山の麓砦にてライが小細工を労する一方、久那岐の街側では──。
(さてと──イブキさん達の方は、と……)
瑞雪城、門前。凡そ千二百の飯綱兵が集結し、イブキからの声を待っていた。久那岐に残してきた分身ライは、城の屋根の上からその様子を観察している。
やがて皆の前に姿を見せたイブキは、既にその身を戦支度に包んでいた。その傍らには白に灰の模様が混じった犬型の獣が寄り添っている。
「皆の者!これより謀反人アブエ・シンザ、及び異国よりの侵略者の討伐に向かう!この事態を招いたのは私の不徳の致すところ……皆にはどれ程謝罪しても足りない。だが、この通りだ!今は黙って力を貸して欲しい!?」
凛々しき声を上げた後、イブキは深々と頭を下げる。
家臣達は慌てた……領主が臣下に頭を下げ頼む──それは自らの進退にすら関わる大事と言える行為だ。
そもそもイブキは、シンザを率先して取り立てた訳ではない。それは謂わば、領内の有力血筋に名を連ねる者への配慮とでも呼ぶべきもの……そんな中で義理として取り立てるねばならなかっただけの話なのである。
アブエ・シンザの一族は代々重臣。有能かはともかく、財と権力を持ち基盤を確立している。
そんな者達を取り立てる悪しき慣例は、役人一族の安泰の為に考え出されたものなのだろう。しかし……確実に民の生活を掌握する手法は、まるで領民を人質に取った行為でもあったのだ。
そういった怠慢を何代も重ねれば欲深くなるのは必定──。世襲制の政治が腐敗を起こすのは火を見るより明らかだった……。
しかし、久遠国は……いや、ロウド世界の大半の国は民主主義ではない。慣例に流されることに民意で反対しても滅多に反映されることはなかった……。
だからこそ、領主達は常に身を律せねばならない。残念ながらそれが出来る者は限られるが、イブキが間違いなくその一人であることを臣下達こそが知っている。
「経緯はともかく、全ては私の落ち度。だが、今は飯綱領……そして久遠国に繋がる危機なのだ。解決の為に皆の力を貸して欲しい!」
この呼び掛けに兵士は士気を高める。イブキは良き主君──その主君が頭を下げ『頼む』と願ったのだ。応えぬは家臣の恥である。
「やりましょう!我々の領地の不始末は我々の手で!イブキ様の為に!」
「おおっ!イブキ様の為に!」
兵達は一丸となり呼び掛けに応えた。その姿を見たイブキは目を閉じ奮えている。
「皆の気持ち、有り難く受け取ろう!我らの誇り、謀反人に見せ付けてやろうぞ!」
「おお━━━うっ!?」
「目指すは愛染山の麓、敵砦!いざ、出発!?」
イブキの掛け声で兵は一斉に行軍を開始。恐らく明後日の昼には砦を取り囲むことが出来るだろう。
兵の数は、途中で合流する者達も含めれば最終的に二千五百程になる予定だ。これは最低限の各地の守備兵を除いた全戦力と言える。
「イブキさん」
城の屋根から下りてコッソリとイブキに近付いたライは、天雲丸の頭を撫でながらイブキに情報を伝える。
「ライ殿。……悪いけど、行ってくるわね?」
「いや、あっちにも俺は居ますんで……。それとアブエ一派は砦を組んでいますが、内部の飯綱兵達はイブキさんの到着と合わせて蜂起してくれるとのことです」
「!……そう。やはりアブエに騙されていたのね?」
「アブエの配下は既に排除しましたから、蜂起は必ず起きます。一応、立役者は『カミイズミ・ノブカゲ』という兵なので、後で恩賞をあげてください」
「フフッ……わかったわ。これで迷うことなく戦える。ありがとう、ライ殿。終わったら貴方にもお礼をしないとね……」
イブキが用意された馬に跨がろうとした時、天雲丸が服の裾を咥え制止する。
「なぁに、天雲丸?」
天雲丸は首で自分の背中を指し示した。
「……自分に乗れって言ってるの?」
「ウォォン!」
「ウフフ……わかったわ。お願いね?」
「ウォォ~ン!?」
天雲丸に乗るイブキはその首もとを撫でる。そこにはライが手渡した魔石が輝いていた。
「よし、兄弟。イブキさんを宜しくな?」
「ウォン!」
力強く応えた天雲丸はゆっくりと……そして徐々に走り出す。天雲丸は瞬く間に行軍の先頭まで移動を果たした様だ。
「トビさんはどうします?」
イブキの傍に控えていたトビとトウカ。二人は当然ながら同行することはない。
「現地には隠密【梟】の配下が居る……俺は報告を待てば良い。それより……国内の情報取り纏めが必要だ。取り敢えず俺は、飯綱の城を借りて確認作業をする」
「じゃあ、トウカもお留守番だね」
「ライ様は?」
「まあ、あっちにも俺が居るから。折角だからこっちの俺はトウカにディルナーチの文字でも教えて貰おうかな?」
「はい!」
トウカが行動すればトビも動かねばならない。そうすると調査が遅れスランディに向かう予定が先伸ばしになるのだ。これ以上修行が遅れるのはライとしては勘弁願いたいのが本音である。
それに、トウカから文字を習うこともまた有意義なこと……。
文字を知れば久遠国の術『方術』を理解し易くなる。折角のディルナーチ滞在……ライとしては役立つものは出来るだけ手に入れておきたい。
という訳で、久那岐側のライはトビの邪魔をせず、かつ知識を蓄えることに専念する。
一方、再びの愛染山砦側──。ネズミ型の分身を生み出したライは、マコアの様子を窺っている最中だ。
既にアブエ・シンザは観察し終えている。アブエは戦いに関してほぼ無能──だが、マコアは少々……いや、かなりの魔力を持ち得ていたのだ。
となると、最後の詰めとしてマコアを排除しておきたいところ……。ライは隙を窺い捕縛を狙うことにした。
分身ネズミが侵入した砦内のマコアの部屋……。そこは他の部屋とは完全なる別世界。ライも己の目を疑った程である。
美しい装飾の壁掛けで武骨な壁を隠し、白とピンク基調の家具の数々。そして溢れんばかりの人形やヌイグルミ……正に【夢見る乙女の部屋】と呼ぶに相応しい光景だ。
(あ、あり?へ、部屋、間違ったかな?)
と思ったが、考えてみれば砦内に女性はいない。だからこそ隠密姉妹は潜入出来なかったことを思い出す。
間違いなくここはマコアの部屋……そう確信した矢先、隣の部屋に繋がる扉が唐突に開いた。
現れたのはピンクのパジャマ姿のマコアだった。
(………………)
何と表現すれば良いか分からない微妙な空気……ネズミながらにライは硬直している。
何故なら可愛らしい模様の入ったパジャマは、はち切れんばかりに筋肉で張りつめていたのだ。明らかにサイズが合っていない。
と──突然マコアの魔法詠唱が始まり、油断していた分身ネズミは攻撃を受けることに……。
分身を貫いたのは小型の
氷結魔法 ・《氷針》
初級魔法ではあるが、その正確さと詠唱の速さ……油断していたとはいえライの分身を仕留めた辺り、マコアの実力の程が窺える。
更に……。
「……ネズミ……じゃないわね。誰だか知らないけど面白い技を使うじゃない。でも、乙女の部屋に無断で忍び込むのは失礼よ?」
一瞬でネズミの正体を看破。それはつまり、視覚纏装である【流捉】を使えることを意味していた。
ライはこの時点でマコアとの接触を正解だったと確信した。
もし砦の戦いにマコアが参加していれば、予想を上回る犠牲が出ていただろう。やはり先に捕らえるべき相手の様である。
「そりゃあ悪かった。でも、余所の国に土足で上がり込んだのはアンタらのが先だろ?」
壁に縫い付けられたネズミが言葉を口にしたことにマコアは一瞬驚きの反応を見せたが、ライは構わず話を続けた。
「侵略者に礼儀が必要なのか?」
「侵略者だろうとレディに無礼を働くのは、また別の話ではなくて?」
「それはアンタの流儀だ。この国にはこの国の流儀がある。違うかい?」
「……そうね。確かにそうだわ」
マコアは近くのイスに座るとネズミを見据えたまま会話を続けた。
「では、私の流儀で悪いけど少し話さない?砦内で動き回っていたの、貴方よね?」
「……知ってて放置してたのか?喰えない奴だな、アンタ?」
「どう?正式なお招きよ?お茶もお出しするけど?」
「………わかったよ。じゃあ、お邪魔しよう」
そう言い残すとネズミは跡形もなく霧散した。そして間も無く部屋をノックする音が響く。
「どうぞ。開いてるわよ?」
「お邪魔しますよっと」
入室したのは普段のライの姿。分身ではなく本体なのは、一応のお誘いへの礼儀である。
「………貴方、ディルナーチの人間じゃなかったのね」
「ああ、客人みたいなもんかな?でも、縁があって義理もある。それで理解出来るだろ?」
「……そうね。筋は通っているわ」
ライを【流捉】で窺うマコアは既に汗だくだった。無理もない。魔王級存在……しかも上位の力。その気になれば砦ごと消し炭に出来ることを理解したのである。
「……じゃあ、アンタに提案だ。このままトシューラに帰る気は無いか?」
その内包する力に反し、ライは随分と温い提案を持ち掛けた。マコアは少々拍子抜けしたが、直ぐ我に返り正直に答えることにした。
「トシューラに戻っても死ぬだけよ。私の行動は半分は国の重要任務。放棄すれば処罰される」
「……じゃあ、他所の国に行けば良いだろ。どのみち久遠国に居れば討ち果たされて終わりだぜ?」
「……何処に行っても同じよ。私はもう……何だか疲れちゃった」
「……………」
項垂れるマコア。先程の覇気はライと対峙した時点で消え失せている。本当のところは“ 諦めた ”といったところだろう。
「私はね?欲しいものがあったの。だから自ら望んでこんな遠い場所まで来た……どうせ消されるなら聞いてくれるかしら?」
「約束のお茶を貰えるならね。夜は長い」
「ありがと……フフッ、変わった魔王さんね?」
「う~ん……魔王じゃないんだけどなぁ。俺はライ。勇者ライだ」
「貴方が………勇者ライなの?そう……こんなところに居たのね」
「……何で俺を知ってるんだ?」
「そりゃあ……有名人よ、貴方」
マコアの話によると、ライ自身の活躍が有名な訳ではないと言う。
勿論、ペトランズ側で有名になる程のことはライにも覚えがない。魔の海域での艦隊殲滅の件は、最近過ぎて有名になる間は無い筈だ。
実は……トシューラに踏み込んだマーナはライの名を連呼していたらしく、その名が知れ渡ることとなっていた。
現在トシューラ内部では、マーナを引き込む為に『勇者ライ捕縛命令』が出されているのだとマコアは付け加える。
「でも、捕縛は無理ね。貴方、明らかに化け物だもの」
「そりゃあ、どうも」
マコアは紅茶を用意し向かい合うようにテーブルに着いた。
「毒なんか入ってないから安心して」
「毒なんか入ってても効かないよ」
「……貴方は魔人なの?」
「うんにゃ?今は半精霊だったかな?大聖霊契約で色々と変化……」
「だ、大聖霊ですって!」
マコアは突然立ち上がりワナワナと震えている。そのあまりに必死な形相に、ライの顔は若干引き攣っていた。
「な、何だ……?」
「い、今、大聖霊って……」
「大聖霊を知ってるのか?ペトランズ大陸じゃ殆ど知られていない筈だけど……」
「知らない訳無いじゃない!私の本当の目的は大聖霊との対面なのよ!」
「取り敢えず落ち着けって……説明して貰えるか?」
気の抜けた様にペタリと腰を下ろすマコア。だがその目には、先程までの諦めの気配は失せ輝きが宿って見える。
「……私の真の目的はね?本当の女になることなの」
「本当の女……肉体を作り変えたいってこと?」
「ええ……。その為にあらゆる方法を探したわ。魔法や神話、この久遠国の『手術』とかいう医療技術も。でも皆、紛い物……それで藁をも掴む覚悟で『ある魔術師』に聞いたの。ベリドと言うのだけれど……」
「またベリドかよ……」
「お知り合いかしら?」
「うんにゃ……怨敵って奴?」
怨敵という表現が相応しいかは微妙なところだが、敵には変わらない。敢えて訂正する必要は無いだろう。
「そう……まあ良いわ。ともかく、六年前ベリドに聞いたのよ。肉体を変える方法を……」
初めはベリドが変えてやると持ち掛けてきたらしいが、マコアはその頃既にベリドの危険さを把握していた。不興を買えば命の危機の可能性もあり、やんわり断ったのだという。
性別が変わっても化け物にされては堪ったものではない……至極まともな理由である。
「その時に大聖霊の話を聞いたのよ。【命の大聖霊】なら簡単に変えられるだろうって」
「何でベリドは大聖霊のこと知ってやがるんだ……?」
「そこまでは……でも、私はそこで希望が生まれた。私財を使って探索者を雇いペトランズ中を探したけど……見付からなかった。それでディルナーチの任務を希望したのよ」
「……そりゃあ、運がなかったな。民間の探索者ってのは詐欺が多くて有名なんだ。使うなら商人組合の……いや、今更か」
探している振りをして働かない『探索者』は世界中に居る。実はかなり大掛かりな裏組織らしいが、今はどうでも良い話だ。
「……。貴方は大聖霊を……【命の大聖霊】を知ってるのね?」
「契約大聖霊の一人だ。今はシウトにいる筈だけど……」
「一体何処で知り合ったの?」
「封印されてたんだよ。見付けたのは二年近く前、偶然に……。あそこは探して見付かる場所じゃないだろうね」
「………そう」
マコアは席を立ち床に膝をつけると深々と頭を下げた。
「お願い!私を……女にして!」
台詞だけ聞くと勘違いされそうだが、目の前に居るのは紛れもない大男である……。
「……まず席に座って」
「答えてくれるまで……」
「良いから!まず順序があるだろ?」
「…………」
言われるがままに席に戻ったマコア。ギラギラした目が少し怖い……。
「何でそんなにしてまで女に?」
「私は生まれてこの方自分の心を男と思ったことは無いわ?物心付いた時には服も姿も全部女の子の物以外、苦痛でしかなかったの」
「……まあ良いや。少し記憶を見るけど良いか?」
「………ええ」
マコアはトシューラ有力貴族の長男だった。だが、話していた様に男である事を苦痛に感じていた。跡取りの立場上として無理矢理矯正されていた様だが、それでも心には逆らえなかったらしい。
子供の頃はまだ良かった。だが、成長するに従って肉体はより男へと変化を始める。厳つい体格、伸びる髭、野太い声に変わった時は血の気が失せるような衝撃を受ける。
ライが確認した記憶……そのマコアの心は確かに女性のものの様だった。
「……何で泣いてるの?」
「……っ!記憶読むと同調しちゃうんだよ」
「なら、わかるでしょ?」
「……だから物事には順序があるんだってば」
深く溜め息を吐いたライは真剣な目付きでマコアを睨む。
「理由は分かったよ。でも、アンタは少し無責任過ぎないか?」
「………………」
「アンタはトシューラ兵の命を預かって此処に来た。だけど真面目な話、このままならトシューラ兵は全員死ぬぜ?」
「それは……」
「アンタは自分の願いを叶えれば満足だろうが、トシューラ兵は無駄死にじゃねぇか……アイツらに家族が居るのを知らないとは言わせないぞ?」
「……………」
「責任者としてどうケジメを付けるんだ?」
ライはわざと意地悪を言っている。事実はマコアが居ようが居まいが変わらないのだ。トシューラは計画を進め同じことになっていただろう。それは最早マコアの責任ではない。
しかし、それでも『責任者』には違いないのだ。責任を取らないで済むなら責任者などゴミでしかない。
「……うっ」
「…………」
「うわぁぁぁっん!そんなこと言っても仕方無いじゃない!他に方法なんて無かったんだから!じゃあ、どうすれば良かったのよ?」
「……………」
大声で泣き出すマコア。だが、ライは黙ったままだ。
「私だって人殺しなんてしたくないし、出来れば女の子として生きたかったわ……。でも……世界がそうさせてくれなかったんでしょ?」
「……そうだよ。世界は意地悪で不公平で歪んでるんだ。だけど他人を巻き込んで良い訳じゃない」
「………うっうっ。でもぉ、でもぉ!」
「これは行動の結果の話だよ。そしてアンタは、これから犠牲になるトシューラ兵の為に責任を取らなくちゃならない。それがアンタが歩いた道だ。願いが叶うとしたらその後……違うか?」
重い沈黙……マコアも本当は理解している。それでも望まずには居られなかった願いだからこそ止まれなかった。
「………と、前振りはこんなものかな?」
「え………?」
「アンタの責任を軽くしてやるよ。犠牲が出なければ罪も責任も無くなるだろ?その代わり取り引きだ。アンタの知る情報を洗いざらい吐いて貰う」
「取り……引き……?」
「そう、取り引き。アンタが情報を渡せば久遠国は問題解決出来る。それだけじゃない……他の多くの命も救えるかも知れない。罪を帳消しには出来ないけど、罪を軽いものには出来る。どうだ?」
迷う必要は無い──。それは未来への道が残されていると言われているのだ。
「……乗るわ、その話」
「うっし!じゃあ、改めて取り引きと行こうか?」
ライの提案はトシューラ兵を国外へ全員逃がすこと。その為には久遠国でのトシューラ兵の記憶を全て消す必要がある。
人の記憶は歴史……それを消すこともまた罪。だがそれはライが引き受けるつもりだ。マコアには、その後のまとめ役を担って貰わねばならない。新しい生き方はそれから探せば良いとライは告げた。
先払いの対価……その情報は、かなり有意義なものだった。知り得る限りの情報……スランディ島国の内情や亡国リーブラの民の現状、更に侵略計画やトシューラの世論、ベリドの情報等、相当広範囲に及ぶ。
全ての情報を聞き終えた頃には、すっかり日が昇り眩い光が差し込んでいた。
マコアという男……いや、女?との出会いは、ライにとっても大きな意味を成すことなど今は気付くこともない。
異国にて異国人同士の出逢いは奇縁──これも
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