第四部 第六章 第十五話 久那岐の夜明け


 嘉神領主が恋に芽生えた頃……もう一方の城内敷地一画では殺伐とした緊張の空気が張りつめていた。


 異国──ペトランズ五大国の一角・トシューラ。その侵略の魔の手が久遠国にまで伸びていた事実に、流石のライも不快感を隠せない。


 短い滞在と言えるが、久遠国は既にライにとって大切な国である。手を汚す事を厭わない程には縁が生まれている以上、戦うことに躊躇いはなかった。



「これは……貴様、一体何をした?」


 警戒の声を上げたのは頭からフードを被った黒いローブの魔術師。


 警戒するのも無理もないこと。そこは先程までいた久那岐の景観とは全く別の世界が広がっているのだ。


 建物はそのままだが何かに覆われた空間。明らかに閉じ込められていることを魔術師は理解した。

 閉じ込められた者は黒ローブの魔術師以外にも存在している。全身を黒い衣装で包んだ暗殺者達だ。


 魔術師は、頭からフードを被った小柄の細身。パッと見は女にも子供にも見えるが声が野太く渋い為、男なのだろう。杖などは持たず指輪だけが確認出来た。

 暗殺者はその全員が片腕に鉤爪型の刃を装備し顔に覆面をしている。体格から判断するに、やはり男ばかりの様だ。


「暴れられると街の復興が大変だからね。隔離させて貰ったんだよ」

「隔離……だと?」

「お前らは蜘蛛の巣の中だ。もう外に出ることは出来ない」


 そこはライが纏装を変化させて作り上げた蜘蛛の巣の繭……隙間はあるが、人の身では外に出ることは叶わないだろう僅かなもの。

 城の一画で最も広い場所を選択し展開した半球状の繭は、敵対する者からすれば牢獄とも言える。


「出たければ俺を殺すしかない。だけど……」

「それだけ分かれば十分だ。死ね!」


 魔術師は手を掲げ魔法詠唱を開始。しかし、ライは全く動かない。


「……何だと」

「ハッハッハ~ッ!魔法使えないだろ?この中じゃ魔力が繭に食われるんだ。俺以外はな?」

「……ならば」


 そこで魔術師は、暗殺者達に手で合図を送る。一斉に襲い掛かる十三人の暗殺者。


 だが……。


「バカな……」


 その攻撃は怒濤の如し。だが、掠り傷一つ付けられない。


「お前らじゃ相手にならないよ。この繭が無くてもね?」

「……貴様、本当に何者だ?」

「そうだな……勇者とだけ教えておいてやる。どうせ名乗っても知らないだろうし」

「勇者……だと?」


 歯軋りしながら突如として殴り掛かって来た魔術師。

 明らかに冷静を欠いた行動……近接戦闘に向いていないその動きは、逆にライを驚かせた。


「おい!いきなり何だよ!そんなヒョロい攻撃が当たる訳ないだろ?」

「煩い!勇者だと?……人の善意を食い物にする輩如きが何様だ!」

「失礼な奴だな……俺がいつ人の善意を食い物にしたんだよ?」

「フン!勇者なんて皆、同じ穴の狢だろうが!栄光欲しさに口当たりの良いことを並べて、いざ危険になれば平然と逃げ出す下衆め!」


 流石にイラッときたが、どうも様子がおかしい。ライは距離を取り、魔術師目掛けて極小の雷蛇を放り投げた。


「きゃあぁぁぁっ!」

「ひ、姫!貴様ぁ!?」


 暗殺者達はライに襲い掛かり魔術師から引き離す。


「……ちょっと待て。今、姫っつったか?」

「……………」

「そいつの声、どう聴いても男なんだが?」

「……………」

「くっ……!答える気はないってか……」


 ここに来て何やら話がおかしくなったことにライは溜め息を吐いている。


(仕方無い………)


 額のチャクラを開眼。暗殺者達の向こうにいる黒ローブを《千里眼》と《透視》の併用で探る。


 黒ローブの中身は……なんと女性だった!


 途端、ライは手で顔を覆い前屈みになるのは自明の理……。


「………本当に女なんて反則じゃねぇか」

「貴様、何を言って……」

「隠しても無駄だよ、蜂蜜みたいな髪の色したお嬢さん?その声……魔導具かと思ったら特技か何かか?」

「……くっ!こんな奴に看破されるとは!」


 ゆっくり立ち上がった黒ローブのは、フードを外し顔を晒した。


「貴様の言う通り私は女だ。だからどうした?」

「……どうしたと聞かれても困るんだけど」

「フン!どうせ戦うことになるのだ!性別など関係ない!」

「……じゃあ何で隠してたの?」

「そ、それは……」


 暗殺者達は気不味そうに相談を始めた。先程までの緊張感はすっかり消えてしまっている。


「……もしかして、女とバレたら凌辱されるから隠してたの?」


 ライのこの言葉に暗殺者達は一斉にライへと振り返る。当の女魔術師は真っ赤な顔で震えていた。


 図星……ライは再び盛大な溜め息を吐く。


「わかった、わかった。まず話し合おうぜ?」

「勇者など信用しない!」

「……よし。じゃあ勇者を一時辞めよう。今から俺は『ライ・フェンリーヴ』っていう只の男。それなら良いか?」


 腰の刀を鞘ごと抜いて暗殺者の一人に放り投げ、ライはドカッと胡座をかいた。敵対する相手がこんな真似をするとは思わなかった暗殺者達。睨み合い……いや、探り合いがしばし続く。


 暗殺者達はヒソヒソと相談を始めたが、女魔術師からは反対の声が上がった。


「信じられる訳がないわ。それに、もしアイツに話せば【呪縛】が発動して死に至る。私は主として貴方達を死なせる訳にはいかない」

「しかし姫……」

「私は貴方達以外誰も信じない。あんな奴の事を信じられる訳ないでしょ?」

「……………」


 ライには全て丸聞こえだった……。


 相手は『勇者は人間』という先入観があるのだろう。聞かれているとは思っていない様だ。

 そんなライは情報収集の為に目を閉じ腕を組んだ無防備状態。女魔術師はそんなライにも警戒を続けている。


「姫……このままトシューラに使い潰されて良いのですか?」

「……。しかし、貴方達の家族の命が……。それに……」

「弟君や御妃様は利用価値があるので無事でしょう。しかし、我らの家族はもう殺されている可能性が高い。あれからもう五年……。トシューラがそれほど不合理なことをするとは思えません」

「…………でも」

「あれほどの力持つ者……私は不思議と彼に賭けたい気がします。その上で彼の行動に不審あらば、姫様達は一度マコアと合流下さい」

「駄目よ!戻りなさい、プラトラム!」


 プラトラムと呼ばれた暗殺者はライの元にゆっくりと歩み寄る。手の届く距離で立ち止まり腰を下ろすと、向かい合うように胡座をかきライの刀を突き返した。

 覆面と鉤爪を外し、ライの目を覗き込み何かを確認している様だ。


「澄んだ目ではない。が、悪人でもない……」

「まあ、善人のつもりは無いですよ。善人でいたいとは思いますけど」

「………まず先に言っておく。これは我々にとっては賭け……話したところで、結果お前に何が出来るかは判らん。それに……もし救われたとしても我々はお前に返せる物もない。つまりお前に利も無いことだ。それでも話を聞きたいか?」

「聞きますよ。縁てのは何処に転がってるか分からない。俺もそうして救われたこともある」


 ライにとっては救われるより救った方が多いのだが、今に至る過程で多くの者に支えられたことは確かだ。


「わかった……私はプラトラム・グレコ。我が命を賭け勇者ライに聞いて貰いたい話がある。実は……」

「ストップ!……その前に確認したいんですが、プラトラムさんは俺を信用できますか?」

「命を賭ける……そう言っただろう?」

「今から俺のやることにも黙って命を賭けられますか?悪いようにはしませんが……」

「……勿論だ」

「では、目を閉じて……」


 プラトラムの意志を確認したライは、その額に手を翳し飽くまで必要な一部の記憶のみを確認した。


「目を開けて良いですよ」

「……。何故、泣いている?」


 言われるがまま目を開けたプラトラムの眼前には、涙を流すライの顔が……。 

 指摘され慌てて涙を拭う姿にプラトラムは首を傾げていた。


「っ……。さ、最近、歳のせいか涙脆くて……」

「歳は幾つだ?」

「十八歳?」

「……………」


 全然歳のせいじゃねぇ!と突っ込みたかったが、なんとか堪えたプラトラムさん。こんなところでも頑張って信じようとしている様だ。

 結局、何故泣いていたかの答えは無いまま話は進む。


「では、改めて……我々は……」

「まだ駄目ですよ」

「……何だ?まだあるのか?」

「必要な手順です。命を賭ける……つまり委ねられると受け取って良いんですね?」

「随分と念入りだな」

「俺もこの手のことを一人でやるのは初めてなんで慎重に為らざるを得ないんですよ」

「委ねよう。どのみち我々には後がない。藁をも掴む状況だ」

「わかりました」


 ライは再びプラトラムに手を翳す。但し今度は額ではなく心臓付近……しばらく何かを探る仕草を繰り返し、やがて淡く赤い光を放ち始める。

 全身を光で包まれたプラトラムは、己の内に不思議な解放感を感じていた。


「痛いのは一瞬……それで楽になります。行きますよ?」


 ライは返事を待たずプラトラムの心臓付近を一気に抉り取った。


「ぐっ……!?」

「プラトラム!?」

「ぶ、無事です、姫!そのままお待ち下さい!」


 プラトラムの呻きに思わず駆け出しそうになった女魔術師は、おとなしく指示に従い仲間達と待機している。


「……。こ、これは一体……」


 自らの胸を確認するプラトラム。服には穴が開いているが、抉られた胸元には傷一つ無い。


「これですか?」


 ライの掌には黒い魔石が握られている。この時点でプラトラムは己が完全に解放されたことを理解した。


「い、一体どうやって……」

「俺は【大聖霊】と契約しているので、少しばかり変わったことが出来るんですよ」

「大……聖霊……?」

「あ~……、ペトランズ側の人間は大聖霊を知らないんでしたっけ……。簡単に説明すれば神様の一種です」

「神の………そうか。これも神の導きか……感謝する、勇者ライよ」


 深々と頭を下げようとするプラトラムだが、手でライに制止される。まだ礼を言うには早いとライは囁いた。


「さて……申し訳無いですが、実は大まかな事情だけ記憶を覗かせて貰いました」

「記憶を……そんな真似まで」

「それで……もしかして全員がこの魔石を?」

「ああ。全員だ」

「……わかりました。じゃあ全員取っちゃいましょう。但し、俺が事情を知っていると理解した時点で魔石の【呪縛】が発動し兼ねない。だから『信じろ』とだけ伝えて一人づつ連れて来て下さい。それとその服の穴も隠した方が良いですね」

「わかった。……どうか頼む」


 プラトラムは素早く立ち上り布で服の穴を隠すと、努めて表情を抑え戻っていった。


 最初に連れてきたのはあの女魔術師。プラトラムに促され腰を下ろした女は、まだライを睨んでいる。


「こちらは我らの主、オルネリア様だ」

「へ、へぇ~……キレイな名前ですね?」

「……………」

「……プラトラムさん、ちょっと」


 一端、黒ローブの女……オルネリアから離れたライとプラトラム。何やらヒソヒソと耳打ちを始めた。オルネリアはその様子を怪訝な顔で見ている。


「何であの人が一番手なんですか!」

「む?何か問題か?」

「大問題ですよ!良いですか?あの人、俺のことまだ疑ってるんですよ?そんな状態で……」

「信じろとは伝えてあるが……」

「いや、信じろといった傍から胸を触る訳ですよ?男ならともかく、女がそれを納得しますか?」

「………むむっ?」


 オルネリアの順番を最後に回しておけば、先に魔石を取り出した者達からの信頼で抵抗が少ないと考えていた。

 だが、プラトラムの考えは真逆……。先にオルネリアから魔石を取り除けば、その言葉で他の者は無条件で従うと判断したのだ。


 そこには『真っ先に救いたい』というプラトラムの意思も介在していたのだろう。ライはそれが分かる為強くは批判できない。


「それに服を貫く訳ですから……その……オ、オッパイが見えちゃいますよ?」

「そんなことを気にしていたのか……豪胆な行動とは裏腹に随分とウブな……」

「ど、どうせ『ウブな坊や』ですよ、俺は……」

「いや、貶していた訳ではない。寧ろ関心していたのだ……先刻は凌辱などと口にしていたからな」

「やめてぇ!改めて聞くと、口にしたことが恥ずかしいからやめてぇ!」

「……。プッ!ハッハッ……」


 どうも初めより幼い印象をライに感じているプラトラム。戦う世界に生きる者には十八といえば婚姻していてもおかしくない年齢だ。

 やはりウブな男……プラトラムはどこか気が抜けてしまった様に笑った。


「と、ともかく、今更後回しとか言っても尚更警戒されそうなんで、このまま押し通します。一瞬だけ眠って貰いましょう」

「気絶させるのか?それは少し……」

「いえ、一瞬だけボ~ッとするだけですよ。二十秒位ですかね……」

「……わかった、任せる。私は全てを勇者ライに託したのだ」


 再びオルネリアの元に戻り胡座をかいたライは、疑いの眼差しに堪えながらも話を始めた。


「ま、まず俺の額を見てください」

「……額?額が何?」

「良いから……」


 警戒しつつ額に視線を送ったオルネリアは、そこに見開かれた目に絶句した。

 だが次の瞬間には魂が抜けた様に惚け、焦点の定まらぬ目でライを見ている。


「勇者ライよ……まさかその力悪用したことは……」

「あったらオッパイでこんなに慌てたりしませんよ……。そんなことより早くしないと……」

「そうだな」


 オルネリアの胸に手を当てプラトラムの際と同じ手順で魔石を抉る。やはり傷一つ残らないが、ライには大ダメージが発生した。


「うっ……バ、バカな!」


 魅惑の突起物が見えた為に股間の暴れん坊が目覚めかけ、正座で前屈みになっているライ。かなりみっともない……。


(若いな、勇者ライ……)


 そんなライを見下ろしつつ布で素早くオルネリア胸を隠したプラトラム。その脳裏に己のウブな少年時代を思い出したことなど誰も知る由はない。



「はっ!わ、私は……」

「姫……!ようやく……ようやく解放されましたぞ……」

「プラトラム……。どういうこと?一体何が……」


 目の前には、まるで土下座している様に突っ伏すライの姿が……。訳が分からないだろうことは間違いない。


「……説明して、プラトラム」

「わかりました。この勇者ライに出会えた我々の幸運をお話し致しましょう」


 プラトラムの話を黙って聞いていたオルネリアは、信じられない事実に驚きを隠せない。

 しかし、埋め込まれた魔石が消えている自らの胸を確認すれば信じない訳にもいかない。


 思うところもあったのだろう。しばしの沈黙の後姿勢を正したオルネリアは、別人の様な態度でライへの礼を尽くす。


「勇者ライ殿。私は何と無礼なことを……」

「……は、話の前に、まず全員の魔石を取り除きましょう。良いですか?」

「はい……ありがとうございます」

「まだ礼は早いですよ。良いですか?魔石を取り除くまで相手に悟られちゃ駄目ですよ?」


 オルネリアの発言力は強く、暗殺者達の抵抗はなく次々に魔石を取り除かれた。処置の済んだ者は後続に悟られぬよう歓喜を抑え無言に努めている。


 抉り取った魔石はライの背後に穴を堀り、目に付かないようにまとめて放り込まれていた。


「これで終わっ……あ!あと一人いた……」


 最初に気絶させ縛り上げた暗殺者は、プラトラムが担いで連れて来た。気を失ったままなので寧ろ手間が掛からず魔石を取り除けたのは幸いと言える。

 と……同時に、暗殺者達はようやく歓喜の声を上げた。


「やった!俺達は自由だ!」

「長かった……半ば諦めていた。それが……」

「やっと……やっとトシューラの呪縛から……」


 その様子を微笑ましげに見つめるオルネリア。プラトラムと共に頷くと、整列をかけライの前に膝を突く。


「勇者ライ殿。あなたは我々の救い主……我ら一同、あなたに働いた無礼をお詫び致します。そして心よりの感謝を……」

「あ~……っと、そういうの苦手だから無しで願います。俺は一介の若僧勇者で、たまたま助ける力があった。それで良いじゃないですか……。それより、事情を詳しく聞かせて貰えます?トシューラに縛られていたことしか知らないんで……」

「分かりました……」


 一同の主たるオルネリアは自らの指輪を外しライに手渡す。


「これは……」

「それは王家の血筋の証。私の名はオルネリア・リーブル。ペトランズに於ける小国『リーブラ』の王女だった者です。この者達は私に仕えた騎士達……」

「王女……だった?」

「我が国リーブラは今は存在しません。トシューラに侵略されて……亡びました」


 リーブラは五年ほど前に侵略され亡びた国。王女であるオルネリアは騎士達にいざなわれ辛うじて落ち延びたが、奴隷狩りに遭う国民の為に交戦。魔術師ベリドに捕縛された。

 生かされたのは魔術師として才覚が有ったからだと告げられたという。


 その後、オルネリアと騎士達は魔石により呪縛され自由を奪われることとなる。

 呪縛は秘密を口にした時、または裏切り行為を働いた時に発動するもの……既に仲間の何人かは犠牲になってしまったとオルネリアは悔しそうに呟いた。


 やがてオルネリア達は尖兵として久遠国へ。そして現在に至るというのが経緯らしい。



「あ……じゃあ、あっちの魔術師や騎士達もですか?騎士は無事ですが魔術師は全員死んじゃいましたけど……」

「いや、オルネリア様に仕えているのは我々だけだ。あちらはトシューラの正規兵……これも幸運なことだった」


 戦力分断の際、ライは特に強い者達だけを分断した。それは魔石を『埋め込まれた者達のみ』……。つまり、戦力の中でオルネリアと配下を狙ったように分断したことは必然とも言えた。


「……事情はわかりました。でも、これからが大変ですよ?この国は鎖国している。侵略者には特に厳しいし」

「それは仕方あるまい。事情を話しても通じなければそれはな。だが、姫だけは何とか助けて貰えるか?」

「プラトラム!責は主である私が取るのが当たり前。ライ殿……どうか配下は見逃して貰えませんか?」


 互いを庇い合う主従。何とか救いたいと考えるのは『お節介勇者』の常である。


「その前に、皆さんはこの国で人を殺めましたか?」

「いや……我々は比較的後から来ていてな。それに呪縛されていても誇りまで捨てる気はなかった。精々気絶させた程度だ」

「そうですか。なら、何とかなりそうですね」

「勇者ライよ……疑いもしないのか?」

「大体目を見れば判りますよ。魔石を取り除いた前と後じゃ、皆さん目が違う」

「………そうか」


 本当のところはそこにチャクラの能力 《読心》も加わっているが、説明する必要は無いだろう。


「となると、皆さんにとって残る問題は『家族の安否』か……」

「それも記憶からか……?」

「はい。勿論、ハッキリはわかりませんが……」

「……それは我々の問題だ。この国で赦されたなら救いに向かうつもりだが」

「家族の居場所は判るんですか?」

「……いや。もう五年……生死すら分からない」

「知ってる者に心当たりは?」

「マコアなら或いは……我々はソコを突かれてマコアに従わされている」


 家族の命を盾に従わされている者も多い様で、オルネリアは寧ろそちらの方が枷は重い様だ。


「じゃあ、マコアから聞き出して来ます」

「ならば我々も……」

「皆さんはまだ罪状保留なんで大人しくしていて下さい。じゃないと、家族を救うどころじゃ無くなりますよ?」

「しかし、勇者ライにばかり頼っては……」

「どのみちマコアとは対峙しなければならなかったんですよ。だから皆さんは気にしないで良………」


 その時──ライの背に怖気が走る。


 敵は全て無力化した今、そんな存在が居る訳がない……そう考えていた。

 だが、確かにライが警戒するに十分な力を感じる。


 ゆっくりとその気配を辿れば、地に空いた穴が一つ……。それは、プラトラム達から取り除いた魔石を放り込んだものだが、良からぬ気配は明らかにそこから伝わって来ていた。


「ヤッベ……」

「どうしました、ライ殿?」


 これまでで一番緊張の面持ちを浮かべたライに、オルネリアは心配げな視線を向ける。


「皆さんは取り敢えずここから離れて下さい。分身を付けますから久遠国との敵対は避けられます」

「分身?一体何を……」

「皆さんに魔石を埋め込んだ魔術師……ベリドでしたよね?」

「ええ。私は直接会いましたから……」

「オルネリアさん達の胸の魔石は恐らく、魔獣の一部が封じられていた物。それを一所に纏めたせいで、魔力が集まって姿を成そうとしてるんですよ」


 かつてエノフラハ地下にてライが対峙した魔獣モラミルト。人造魔獣を生み出したベリドならば魔石にその一部を封じることなど容易いだろう。


 こんな離れた地にもベリドと因縁があることに、ライは思わず舌打ちした。


(表に出てこないからな……ある意味、魔王アムドより厄介な奴だよ)


 ともかくオルネリア達をイブキの元に送ることを優先と判断したライは、分身を生み出しつつ繭の一部を開く。


「行って下さい。案内しますので」

「あれが魔獣ならば我々が原因だろう?ならば共に……」

「駄目ですよ。皆さんが優先すべきは早く自由になって家族を迎えることです。それに、これも俺の役目の範疇ですから」


 久那岐の奪還の為に行動しているのに魔獣を解放したなどとあっては、笑い話にもならない。


「しかし、魔獣だぞ……?一人で相手をするのは幾らなんでも無謀だ」

「前は確かにそうでしたけどね……今は多分大丈夫。試したいこともありますから」

「だが……」


 痺れを切らしたライは、大量の分身を生み出しプラトラム達全員を担ぎ上げ“ ソイヤ!ソイヤ! ”と駆け出した。


「お、おい……!」

「はいは~い!邪魔ですよ、邪魔~」


 繭の外に運び終えた分身達は、一人を残し霧散。と同時に繭に開いた穴も瞬時に閉じた。


「………何故」

「もしあの魔獣が知ってるヤツなら、ちょっと因縁があるんですよ。だからハッキリと言えば……俺の我が儘です」

「…………」

「それより行きますよ?俺から離れると敵として狙われるので注意を」

「わかった……気を付けてな。……勇者ライを目の前にしていながらこの言葉は妙な気分だが」

「あはは~……紛らわしいですよね、実際」


 目の前に分身ライが居る状態で繭の中に居る本体ライを気遣うのは、確かに奇妙な状況だ。


 結局、プラトラム達を連れた分身ライはそのままトウテツ達と合流。事情を説明しイブキ達の元へと向かった。



 そして繭の中──。魔獣は肉体構築を果たしライと対峙を始めている。


 【魔獣モラミルト】


 その姿がエノフラハ地下で見たものと形状が異なっていることに、ライは思索を廻らせた。


(確かプラトラムさん達が魔石を埋め込まれたのは五年近く前……ってことは、コイツは試作型か?)


 かつての魔獣モラミルトは獅子の頭に角、硬質の皮膚に翼と三本の尾を持つ容姿。

 だが今眼前に在るのは、黒い体毛に覆われた狼の様な形状。類似しているのは額の角と硬質な三本の尻尾くらいなものだ。


 その姿は以前見たものよりかなり小さく、普通の魔物の様にも見える。


「よう!俺はライだ。戦いじゃなく話し合う気は無いか?」


 魔獣は低く唸り警戒している。


「やっぱ駄目か……。じゃあ色々と試させて貰うぜ?」


 その言葉に呼応するように魔獣は咆哮を放った。


「魔力は以前並み……かな?だけど、今の俺なら救ってやれるぜ?ホラ来い!遊んでやるよ!」



 【勇者ライ】対【魔獣モラミルト(試作型)】



 因縁の対決が始まった。



 魔獣はライに爪と牙で襲い掛かる。だが、それら全ては当然ながら当たらない。それでも幾度も繰り出される近接攻撃は、通常の者ならば一撃で死に至るだろう力を宿している。


 やはり魔獣……だが、ライは半精霊体に変化しわざと攻撃を受けることにした。されるがままに噛まれ、踏まれ、爪にて引っ掻かれ、尻尾で叩かれている。

 しかし最早、ライにその攻撃が通ることは無い。


 爪も牙も尻尾も、角すらもライの肉体には傷を付けることは無い。たとえ直撃を受け続けても【黒身套】を破ることは出来ない……。


「やっぱり以前より力や素早さが無いな。ホラ!もっと力を使わないと俺を倒せないぜ?」

「グルルル……」


 言葉が伝わっているかは分からない魔獣は、距離を取り様子を窺っている。

 やがて業を煮やしたのか口を開き魔力を火炎に変換した砲弾を放ち始める。初めは単発で、徐々に拡散する炎と交互に連射し始めた。


 繭の中では使えぬ筈の魔法を使う魔獣……いや、使わされている魔獣は、その事に気付くことは無い。やがて魔力を使い続け疲弊した魔獣の動きが鈍り始めたことに、ライは自らの思惑の成功を確信した。



 魔獣から聖獣への転化──それこそがライの狙いだった。


『良いか、ライよ?本来、聖獣・魔獣の裏返りは人の意図で為せるところではない。それは聖獣・魔獣の意識の転換なのじゃ。悪人に善人になれと言うたところで当人にその気がなければ無理な話じゃろ?』


 これは魔獣からの聖獣転化が可能かを聞いた際のメトラペトラの言葉だ。


『全ての属性の中で聖と邪はその者の在り方と言って良い。優しさ、労り、慈しみ……対して怒り、憎しみ、妬み嫉みなど、人間は全てを内包しておる。が、聖獣・魔獣は違うのじゃ。どちらか片方しか持ち合わせぬ存在……そういう存在なのじゃ』

『じゃあ、転化は無理なんですか?』

『わからん……何故ならそんなことを考えるのはお主くらいじゃからな?全く、お主というヤツはワシの心配も無視して……』


 このあとクドクドと説教すること半刻……その後ようやく元の話に戻ったメトラペトラは、重要なヒントを述べていたのだ。


『朱に交われば、と言うじゃろ?大量の聖属性魔力で魔獣を充たせば転化は起こり得るやも知れん。じゃが、それは事実上不可能じゃ。何せ魔獣は魔力の塊。 加えて邪属性を聖属性に変えるのは魔獣側が納得しなくては起こり得ないこと。魔獣を説得するなど無理に決まっておろう?』


 魔獣を満たす聖属性魔力と、その意思を聖獣側に揺り動かす決め手。それが転化の可能性の鍵……。

 確かに成し得るどころか、考える者すらいなかったのは納得である。


 だが……ライには確証に似たものがあった。エノフラハの地下にいた魔獣モラミルトは、本当にほんの僅かだがライの言葉に耳を傾けたのを見逃していない。


 今度は救う──メトラペトラの話を聞いた時点で、ライは魔獣に会った際の行動を既に固めていた。


「じゃあ行くぜ、兄弟?」


 動きの鈍った魔獣へと特攻をかけその首根に腕を回し、神聖属性魔法 《聖刻》を自らの身に使用……更にその状態で神格魔法 《魔力譲渡》を全開で発動した。


 《聖刻》は一定時間自らの身を神聖属性に変化させる対不死魔物用の魔法。


 《魔力譲渡》は吸収魔法の一種で、吸収を逆転させ自らの魔力を相手に分与するものだ。

 本来は魔力不足の仲間に分け与える為に使用するが、今回は強制的に神聖属性の魔力を流し込む為に使用している。


 そして案の定、魔獣は苦しみ暴れ始めた……。


「堪えろよ?このままお前を放置すれば被害が出て討ち果たさなくちゃならなくなる。死なせたくないんだよ、兄弟!」

「ギャウォォォッ!」


 魔力が枯渇しなければ聖獣・魔獣、そして霊獣は死なないとメトラペトラからは聞いている。真逆の属性でも魔力は魔力。魔獣からすれば死なない毒の餌を与えられている状態……苦しくて当然だ。


 だが、このままでは足りない。ライは自らの幸せな記憶のみを徹底して魔獣に流し込んだ。

 世界は決して優しくはない。だが、だからこそ幸せな記憶が大切なのだという願いを込めて……。


 そんな状態で繭の中を暴れまわる魔獣に振り回され続けること一刻。繭の外にはトウカや領主イブキを含め、既に大勢の者が待機していた。


「静かになりましたね……」

「……まさか最後に魔獣が現れるなんて」


 繭の隙間から中を覗いているトウカとイブキ。しかし、時は夜明け前……中は暗くて状況が分からない。


 魔人化しているトウカは夜目が利くらしく、僅かな月光の差し込む中を食い入るように見つめていた。


 やがて場を覆っていた繭の糸が解ける様に消えると、中からライを乗せた“ 白い獣 ”が姿を現した。


「ライ様!」


 駆け寄るトウカ。


「トウカ……皆も……」


 白い獣の背から下りたライは、その場にへたり込んだ。


「ライ殿……魔獣は……?」

「イブキさん……魔獣はもう居ないですよ。今いるのはこの聖獣だけです」

「ま、まさか!……魔獣を聖獣に……?」

「何とか上手く……いきました。けど……予想以上にキツかった……」


 力の使い過ぎでいつもの如くウトウトと始まったライ。だが、まだ寝る訳には行かない。


「分身が……話した様に……オルネリアさん………や、プラトラムさん達は……被害者……です。記憶を……見たから……嘘じゃな……い」

「大丈夫よ。だから安心して眠って……。詳しい話は起きてからにしましょう」

「はは……す、すみま……せん……」


 カクッ!と糸が切れた様に崩れたライはそのまま寝息を立て始めた。


「………。魔獣を聖獣に……そんなことが本当に出来るのですか?」


 トビに確認するトウカだが、それが人の御業でないことは嫌でも分かる。


「この男は少し異常です。……自らの命を削ることを、望んで繰り返しているとしか思えません」

「優しすぎるのですよ、ライ様は……。それがこの人の命を奪う気がして、私は怖い……」

「姫……」


 トウカの不安を余所にやり遂げた顔で眠るライ。長かった久那岐の街の夜は明け、街に光が差し込み始める。


 間もなく街は動き始めるだろう。だが、久那岐に暮らす者達はその夜に起こっていたことを知ることはない。

 久那岐奪還戦──そして領主に起こっていた危機すらも。


 勿論、勇者ライの活躍など関係者以外誰も知ることは無い……。



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