第四部 第六章 第六話 奇跡の姫君


 リクウの妻が開く診療所は、カヅキ道場より徒歩で四半刻足らずの場所に位置していた。


 その外観は一見すれば普通の民家……。しかし、トウカの話では裏手に回れば医療施設として必要な改築が施されているのだという。



 久遠国の医療は、魔力溢れる地にも関わらず魔法医療が盛んではない。その為、異界から持ち込まれた外科的治療というロウド世界ではあまり類を見ない方法を採用していた。

 それでも、スランディ島国経由で医療魔法が齎させて以降は外科的な手法と併せた独自の魔法医学が主流となっている。


「さて……着いたは良いけど、俺は目立たない方が良いよね……?」

「あの……ライ様」

「ん……?何かあった?」

「いえ、その……そ、そろそろ降ろして頂けますか?」


 ライに抱えられ街中を爆走したトウカは、お姫様抱っこのまま顔を赤らめている。

 勢いで抱きかかえたライも流石に気恥ずかしいらしく、そっとトウカを地に降ろし謝罪した。


「ゴメン。つい……」

「いえ……大丈夫です」

「そ、それでね?俺が治癒して回るとやっぱり目立っちゃうからさ?」


 ライはリクウの懸念を一応は理解していたらしい。


 確かに異国人のライはそれだけで目を引くが、白髪は久遠国の民の黒髪と真逆。かなり存在感がある為に、圧倒され治療を拒否する者がいる可能性も否定出来ない。


「取り敢えず、おば様にご相談致しましょう。こちらに……」


 正面の待合室には、鉱夫とは別口の一般患者がいる。人目を避けたいというライに配慮し、トウカは裏口へと向かった。


 と……丁度その時、裏口の扉が開き中から一人の人物が姿を表す。


 白い、割烹着に似た服を着物の上から纏ったその人物……ライは思わず間の抜けた声で問い質した。


「あ、あれ?スイレンちゃん……御神楽に帰ったんじゃ……」

「ライ様。この方はスイレンじゃありませんよ?」

「………え?う、嘘……あ、じゃあ、お姉さんだ!少し大人びてるし、良く見ると確かに髪もスイレンちゃんより短いね」


 この言葉で、スイレンに似た女性は手で口を隠し楽し気に笑う。


「うふふ……嬉しいわ。でも、私はスイレンの姉ではありませんよ?」

「そ、そうなんですか?じゃあ、親戚のお姉さんですか?」

「あらあら……。私はスイレンの母よ、ライさん」

「…………へっ?」


 聞き違いかと自らの耳を疑ったが、トウカがライの服の袖を引っ張り改めて説明を始めた。


「この方はリクウおじ様の奥方様、スミレおば様です」

「初めまして、ライさん。トウカちゃんからお話は聞いていたから、直ぐに判ったわ」

「………はっ!は、初めまして……ライ・フェンリーヴと申します。リクウさんやスイレンさんにはお世話になっておりますです、はい」


 スミレはどう見ても子持ちに見えない若い外見。ほうれい線すら見当たらない若々しい肌をしている。


「……ほ、本当にリクウさんの奥さんなんですか?からかっている訳じゃなくて?」

「ええ、正真正銘のリクウの妻……つまりスイレンの母よ」

「………わ、わかった!スミレさんは魔人ですか?」

「正解。私は魔人化してます。だから、実際より若く見えるでしょ?」

「はい……。実年齢は知りませんけど……それにしてもスイレンちゃんにそっくり」

「フフフ……お腹を痛めて生んだ子ですから、当然です」


 リクウの外見は四十前半程。スイレンは十六歳なので、逆算するとリクウが二十代半ばまでに生まれたことになる。

 だが、スミレはまだ二十歳前に見えるので母親と言われてもピンと来ない。


「それで……何かご用があったのかしら?」

「はい。えぇと……まず、私がカヅキ道場にお世話になる初日に食事を用意してくれたと聞いて、そのお礼を兼ねて挨拶を……ご馳走さまでした」

「まあ、それはご丁寧に」


 わざわざ足を運んで礼を伝えに来た異国人の若者は、礼儀正しく頭を下げている。スミレは素直に感心していた。


「おば様。ライ様は他にもお話が……」

「はい、何かしら?」

「ライ様は回復魔法が使えるので是非お手伝いしたいと……」

「まあ!それは助かるわ!」

「ですが、私は異国人なので目立たない方が良いと思うんです。そこで、建物の外からこの敷地に居る人達を丸ごと回復させたいのですが、大丈夫ですか?」

「……え?そ、そんなことが可能なの?」


 広範囲回復魔法ならば可能なこと。しかしそれは、戦場でより多くを癒す為に生み出された『戦闘魔法』であることをライは知らない。

 医療用に伝わった回復魔法は個人対象。しかもスランディ島国自体は戦闘の無い穏やかな島国。久遠国には馴染みのない全体回復魔法はかなり驚くべきことらしい。


「はい、可能ですよ。ですが、阻害させる要因があると回復出来ません。何か刺さっていたりすると傷は塞がりませんし、喪失している部分は再生出来ません」

「それは通常の回復魔法と同じね?」

「はい。それと……いきなり回復したとしても騒ぎになるので、誰かが回復させたことにしたいのです」

「……確かに、そうでなければ混乱するわね。でもライさんは、何かお考えがありそうに見えるけど……」

「はい。実は……」


 ライの提案にスミレは驚いていたが、更に驚いたのはトウカである。その顔は困惑の色に満ちていた。


「あ、あの……私も目立つのは……」

「ここは人助けと思って……俺がやると間違いなく騒ぎになるからさ?」

「う……お、おば様……」

「うん!良い考えね!準備は任せて!」

「お、おば様!?」


 そそくさとトウカの手を掴み建物内へと姿を消したスミレ……。待つことしばし──やがてスミレに連れられ姿を現したトウカは、完全に別人の様だった。


「………ど、どうですか、ライ様」

「…………」

「ラ、ライ様?」

「……ハッ!あ、ああ!す、凄く似合ってるよ!うん!?」

「……良かった」


 現れたトウカは、髪を下ろし綺麗な刺繍に彩られた着物姿に着替えていた。


「流石は姫様……これなら大丈夫ですよね、スミレさん?」

「ええ。私のお古だけど、トウカちゃんは素材が良いから問題無いみたいね」

「よし。トウカ、これを……」


 ライが持っていたのは、待っている間に分身を利用し生み出した純魔石。籠められた魔法は、ただ光るのみの光魔法 《発光》──。


「じゃあ、確認……。まず『久遠国姫君のトウカが【入手した神具】に癒しの力があると判ったので、民を治療に来た』という設定は理解した?」

「はい……。あの……ライ様?ど、どうしてもやらないと駄目ですか?」

「まあ、トウカがどうしても嫌ならこのまま魔法使っちゃうけど……良いですか、スミレさん?」

「別にそれでも大丈夫よ?ただ、しばらく騒ぎにはなるわね」


 中にはその原因を探ろうとする者も出てくるだろう。何せライがやろうとしているのは医院内にいる患者の瞬間完治。騒ぎにならない方がおかしい。


「それだと野次馬が来て、この医院にも迷惑が掛かるかな~と思ったんだけど……その点、トウカなら立場として追及されないし」

「……わ、わかりました。やります」


 観念したトウカは胸を押さえ深呼吸を繰り返している。やはり緊張している様だ。


「じゃあコレなんだけど、 ただ光るだけの玉だけどトウカがこれを光らせたら魔法を発動するから」

「光らせたらって、外に居るライ様はどうやって確認するのですか?」

「分身が一緒に中に入るから大丈夫。そうだな……リクウさんの姿を借りるかな。スミレさんの旦那な訳だし」

「え……?姿を借りる?」


 首を傾げるトウカとスミレ。背後から肩を叩かれ振り返ると、二人は大きく目を見開いた……。


「お、おじ様!」

「オッス!オラ、リクウ!ワクワクすんぞ!」

「あなた……じゃないわね。これが分身かしら、ライさん?」

「流石は奥さん。一発で見抜かれましたか」


 傍目からはリクウにしか見えないそれは、声まで同じ。それを一目で偽物と見抜いたのは夫婦故か……。

 対してトウカは、偽物と聞いてもまだ本物か疑っている様だ。


「これなら疑われないでしょ?」

「良いことをするのに疑うも無いと思うのですが……」

「まあ、そうなんだけどね……ともかく、これで中まで同行出来る」


 後は実行あるのみ。鉱夫の中にはかなり重症の者が居ることもあり、早めに回復してやるべきなのだ。


「では……実行しましょうか、姫君?」

「……あの、ライ様?普段は姫君と呼ばないで下さいね?」

「大丈夫だよ。俺は『姫』としてじゃなく、『トウカ』という女の子を見てるから安心して」

「はい……良かった」


 トウカは姫としての立場を幾分重荷と見ている節がある。それが生来の魔人である故の心の負担なのか、久遠国王家一族の責任からなのかはライには分からない。


 しかし、ライにとってトウカは姫ではなく『サクラヅキ・トウカ』という一人の少女。姫という肩書きはその後に付いてくるものでしかない。


 これはトウカに対してだけ……という訳ではない。ライはまず誰もを個人として見るのである。その上で相手の立場を踏まえた対応をしているのだ。

 だからこそライドウやジゲン、そして王であるドウゲンとも打ち解けたと言えるだろう。



「スミレさん、お願いします」

「ええ。任せて」


 正面口から医院の中に入ったトウカとリクウの姿をした分身体。早速スミレが説明を行ない、姫君・トウカの神具により回復魔法が発動することを伝えた。

 発動中は移動しないようにと念を押したのは、ライが見付からない様にする為の配慮である。


「では回復を行いますが、この神具は古いものなので何度使えるかわかりません。ですから、“何度怪我をしても平気 ”とは思わないで下さい」


 トウカにそう説明させたのは、回復魔法を当てにした生活は良い結果を生まない為だ。

 ペトランズ側であってさえその事を意識として持たせる教育が施されているのだ。過信して肉体の部位を喪失した場合、取り返しが付かないことを踏まえた注意だった。


「では……。皆さん、目を閉じて……」


 素直に従う患者達。純魔石が発光を始めたのを分身体で確認したライは、上位生命回復魔法 《命力転換結界》を発動した。


 《命力転換結界》は使用者の魔力をそのまま生命力に変換し癒しを与える魔法。光の柱の中に居る者すべての傷や疲労を癒す魔法であり、使用する土地の魔力が高いほど相乗効果を生み結界内の回復効果が上昇する魔法だ。


「おぉ……痛みが……」

「何か温かい……」

「疲れが……消えていく」


 医院内では多くの者がその効果に驚きの声を上げていた……。


 何せ喪失した場合を除きあらゆる怪我や疲労を癒すのだ。老人は足腰の不具合が癒え、子供のすり傷は塞がり、鉱夫の折れた腕は瞬く間に繋がった。

 病には直接効果は無くとも、体力が戻れば抵抗力が上がる。風邪やちょっとした腹痛程度はすぐに癒える程に体力を戻すことが出来るのだ。


 結果、医院の外で待つライにもそれと分かるほどの歓声が上がった……。


「ありがとうごさまいます!姫様!」

「お役に立てて良かった……不具合が残っている方はいらっしゃいませんか?」


 幸いカヅキ医院には重病人は居ないらしく、皆がトウカの元に謝礼を述べに集まる。


 そんな中……瀕死の怪我から全快した鉱夫が呟いた──。


 “ これは奇跡だ ”と……。


 トウカは必死に神具のお陰であることを主張したが、医院内に奇跡という言葉が波のように広がり始める。

 何せ“ 久遠国の姫君 ”が庶民の為にわざわざ足を運び、貴重な神具を使用してまで癒したことになっているのである。しかも魔法文化の主流ではない久遠国……事実がどうあろうと、それは奇跡と感じても仕方がないことだった。


「………あ、あれ?もしかして不味った?」


 中の様子を分身体を通して見ていたライは、その騒ぎの大きさに若干引き気味である。トウカに演技を頼んだことが寧ろ騒ぎを大きくしたことを、今更ながら気付いたのだ。


「………よし、逃げよう」


 そう決断したライの行動は早かった。リクウの姿をした分身体でスミレと打ち合わせし、トウカを裏口に連れ外へ……。待っていたライはトウカを抱え飛翔し逃げた。


「……ごめん、トウカ。逆に騒ぎになっちった」

「いいえ……でも、皆さんが回復して本当に良かった」

「優しいなぁ、トウカは。……で、どうする?」

「どうする?とは一体……」


 ライに抱き抱えられ顔を赤らめているトウカは、質問の意図が判らない。


「桜花天の診療所はまだあるだろ?トウカが嫌じゃなければこのまま回っちゃうかと……」

「……その……大丈夫なのですか?あれ程の力、負担が大きいのでは?」

「ん?ああ……大丈夫だよ。俺、どうも特殊らしいから。それに、ディルナーチ大陸は魔力に溢れてるから回復も早いんだ」


 上位魔法に関わらず既に魔力は回復している。大地に溢れる魔力と自己の魔力製造器の相性が良いらしく、ライは疲労も無い。


「……わかりました。このまま案内します。でも、ご無理はなさらないで下さいね?」

「了解。トウカもね?」

「私は……いえ……何でも……」


 ライの胸に寄り掛かるトウカはどこか嬉しそうだった……。


(そっか……人の役に立てるのが嬉しいんだな。うんうん……)


 相変わらず恋愛沙汰には非常に疎い『ニブチン勇者』。基本、自分のことに関してはエイルの様にストレートに告白されないと気付かない程に鈍い……。


 そんな『ニブチン勇者』とトウカは、その後も次々に医療施設を回る。トウカが自ら医師に説明している為、順調に治療をして回ることが出来た。


 その際、飛翔し去って行く姿を目撃されたトウカは『奇跡の姫君』として伝説に残ることになる……。




 時を置いてカヅキ医院に戻ったライ達は、スミレの熱い歓迎を受けることとなった。


「良かった!帰ってきた!何処に行っちゃったのかと……」

「あの後、桜花天の全ての医院を巡りまして……」

「ぜ、全部?それは凄いわね……そうだ!今日はもう患者さん大丈夫みたいだし、道場の方でご飯にしましょうか?」

「大丈夫なんですか?」

「大丈夫、大丈夫。急患の際は道場の方に連絡が来るから。その前に……トウカちゃん着替えないとね?」



 トウカの着替えを済ませた後、三人は街中を歩いて帰る。薄桃色の着物に藍色の袴、腰には刀を下げているトウカが『姫君』であることに気付く者は居ない。


「……少し心配だったのですが、気付かれないみたいですね。良かった」

「髪を解き、豪華な着物にしたのはその為だったんですよね、スミレさん?」

「そうよ。『姫様』の印象があれなら、普段のトウカちゃんは気付かれないでしょ?」

「まぁ、気付いても“ 他人のそら似 ”で惚ければ誤魔化せるんじゃないですかね?下手に追及も出来ないでしょうし」

「そんなものなのですか?」

「世の中なんてそんなものよ、トウカちゃん?」


 ライはともかく、スミレも割と楽観的らしい。その点は生真面目そうなスイレンと随分違う様だ。


 その後……カヅキ道場に戻るまで特に問題が起こることはなかった。道すがらでは早くも『姫君の奇跡』が話題になってはいたようだが、トウカがその『姫君』と気付いた者はいなかった。


 そして帰宅したカヅキ道場……そこでは、とある人物が待っていたのである。


「ん?シギ……どうしたんだ?」


 母家の玄関には二人の人物が立っていたのである。


 一人は今やライと所縁のある隠密のシギ。そしてもう一人……若い男の姿が。


「お兄様……」


 呟いたのはトウカだった。その言葉が真実なら、目の前の人物はトウカの兄……即ち、久遠国次期国王に当たる人物ということになる。


「久しぶりだな、トウカ。そちらの方がライ殿か?お初にお目に掛かる。私は久遠国嫡男、クロウマルと言う」

「失礼しました。私はライ・フェンリーヴ。素性はご存知の様ですから省きます。お会い出来て光栄です」

「堅苦しいのは無しにしよう。折角だ……ライ殿にも話を聞いて頂きたい」


 昼間やらかしたことを追及されるかと心配だったのだが、どうやら別件の様だとわかり安堵したライ。

 しかし……シギが呆れている様子から、それはそれでバレているらしい。


 ともかく、一国の嫡男を玄関先で立たせておく訳には行かない。リクウはクロウマルを客間に案内し上座に座る様促した。


「それで、クロウマル様……。わざわざ私の元に御足路頂いたのは何故ですかな?」


 リクウは優れた武人ではあるが久遠国に奉公している訳ではない。親戚筋という点を考えれば来訪自体は不思議ではないのだが、どうもクロウマルの態度からは物々しさを感じる………。


「実は、昼間起こった出来事で……」

「騒ぎ起こしてスイマセンでしたぁ~!?」


 即行で土下座をするライ……。これ程度々土下座している勇者もそうは居まい。


「いや……昼間の件は寧ろ感謝すべきことだ。どうか頭を上げて欲しい」

「へっ……?ほ、本当に?」

「我が国の民を癒して貰ったのだ。感謝こそすれ難癖を付けるなど以ての他だろう。後で父……久遠王からも褒美が出ると思う……が、話は別件だ。全く無関係という訳では無いのだが……」


 クロウマルはシギに視線を向け首肯く。シギは応えるように頭を下げ、用件の説明を始めた。


「実は……ライの治療により昏睡から目覚めた鉱夫から重大な証言が取れた」


 魔法で回復した鉱夫は、目覚めると同時に錯乱した様に騒ぎ始めたという。医師が落ち着かせて話を聞いたところ、鉱山の崩落原因を語り出したのだそうだ。


「鉱山の奥深くには魔獣が居たとの証言を得た。国の安全の為にこれの確認に向かいたい。鉱夫は魔獣が暴れたと言っていたのだが、何分なにぶん目撃者がその者しかいない。何かの見間違い……若しくは、魔獣ではなく魔物や聖獣の可能性も否定できないのだ」

「それで確認ですか……。でも坑道は崩落してるんだろ、シギ?」

「ああ。だが、崩落している部分は一部だ」

「何でそれがわかるんだ?」

「坑道の入り口は二つあるんだ。でなければ全員生き埋めだったろう」


 坑道は二つ造るのが久遠国の採掘なのだという。地盤が固い場合は脇道を所々に掘り、生き埋めを避ける為に道を確保するのだそうだ。


「成る程……一応道はある訳だ……。でも、やっぱり危険じゃないんですか?」


 クロウマルは唸っているが、意志は変わらない様だ。


「もし魔獣だった場合、速やかに討伐せねばならない。それが民に生かされている王家の責務と私は考えている。しかし、配下の犠牲も抑えたいのだ。調査とはいえ魔獣相手では何が起こるかわからないからな……。そこで……」

「私の出番……ですか。わかりました。お引き受けしましょう」

「済みません、リクウおじ……ゴホン!済まない、リクウ。腕利きの其方そなたならば魔獣相手でも逃げ切れるだろう」


 クロウマルとしても苦汁の決断らしく、辛そうな表情を浮かべている。久遠国でリクウに匹敵する武の者は豪独楽のジゲンくらいなもの……魔獣と対峙しても無事で居られるのはこの二人だろうとシギはライに耳打ちした。


「………一つ良いですか?」

「何だ、ライ殿」

「その役目、俺に任せて貰っては駄目ですか?」

「………それは、其方に利は有るまい?」

「利は無くても不利はあるんですよ。師範に怪我されたら修行が続けられません」

「こら!そんな場合ではないのだぞ、ライよ!」


 リクウに叱られながらもライは一向に引く気配はない。


「でも、リクウ師範……魔人じゃないですよね?」

「それがどうした?」

「もし生き埋めになったらどうするんですか?」

「……その時は潔く自害……」

「このバカちんがぁ!」

「ぐはぁ!?」


 本日まさかの三度目……痴れ者の拳が炸裂。但し、今回は回復魔法纏装『痛いけど痛くなかった』を忘れていない。


 だが、次期国王の前で師匠を殴る漢にシギは少し目眩がしたらしい。


「ぐっ……三度も……!貴様!」

「何が『貴様!』ですか!師範が死んだらスミレさんもスイレンちゃんも、トウカもクロウマルさんだって悲しむでしょうが!それが分からないなら、今度はチョキで行きますよ?」

「チ、チョキ?くっ……だからと言って弟子に任せる訳には行かぬわ!」

「じゃあ、弟子辞めます。後でジゲンさんからでも教わりますよ、天網斬りなんて。それに俺、生き埋めになっても死なないし……」

「……この馬鹿弟子め!」

「あ~!あ~!聞こえない~!」


 耳を塞ぎ目を閉じるライに、リクウはタジタジだった。

 見兼ねたシギが止めに入ろうとした途端、盛大な笑い声が座敷に響く。


「ハハハハハ!まさか本当に聞いた通りの人物とはな。いや、済まない。……しかし、師を殴るのはやり過ぎと思うのだが」

「……わかってはいますが、今回のは謝りませんよ?出来る者に任せないのは愚行というものでしょう?」

「ライ殿なら出来る……のか?」

「確認だけなら安全に出来ます。任せて貰えれば、ですが……」


 互いに真剣な目差しで確認しているライとクロウマル。やがてクロウマルは微笑みを浮かべて頷いた。


「わかった。では頼めるだろうか?」

「了解しました」

「ただ、一つだけ……隠密を同行させる。これだけは決定事項だ」

「確認だけなら俺一人の方が安全なんですが……」

「私はまだ貴公を完全には信用する訳にはいかない。済まないな」

「……わかりました。じゃあ、仕方無いですね」


 取り敢えずリクウが鉱山に向かうことは回避された。同行者が隠密ならば寧ろリクウより動きが機敏だろうから生還率は高い筈だ。


「それで……いつ鉱山に?」

「明日一番で行って貰いたいのだが……」

「わかりました。では、明日早朝に」

「同行者はこのシギと、もう一人の隠密だ。早朝にここに迎えに来させる。では頼んだぞ?」


 クロウマルは立ち上がるとトウカに耳打ちをした後、シギを伴いカヅキ道場から去っていった。


「……クロウマルさん、何て?」

「……な、内緒です!」

「そっか……ともかく、明日出掛けてくるよ。師範……良いですね?」

「……勝手にしろ!」


 リクウは素早く立ち上がり自室に籠ってしまった。


「……帰ったら謝らないとな。済みません、スミレさん。師匠殴った罰として、俺の晩飯は抜きで」

「わかったわ。じゃあ、お風呂に入って休みなさい」

「はい。ありがとうございます」


 今日は一応活躍したのだが、そんな気分ではなくなってしまったライ。それはリクウを危険に晒さない為に取った行動ではあるが、師に対しては確かに失礼だったと反省しているからだろう。


 風呂の後……庵に戻ったライは、布団に丸くなるメトラペトラを見つける。どうやら酔い潰れて寝ている様だった。


(うっ!酒臭!どうりで静かだと思った……でも明日は間違いなくうるさいだろうなぁ……)


 そんなに予想に苦笑いしつつも、ライは酒臭ニャンコを抱えて眠りに就く。



 そして翌日──。


 久遠国にとって歴史に残る大きな騒動が幕を開けることとなる。





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