第四部 第六章 第五話 天網斬り
カヅキ道場での修行が次の段階へと移ることになったその日の早朝──。
それまで訓練していた庭先には今までとは違う景色が広がっていた。
「……。何だこりゃ……?」
庭を埋め尽くすのは大量の竹、竹、竹……。葉の切り落とされた竹が、ちょうど人一人が通れる等間隔でギッシリと埋め尽くされている。
その光景に、ライは唖然としていた……。
「これ……師範がやったんですか?」
「うむ。中々面倒だったがな……」
「一体、何時こんな……」
「今朝方だ。この程度なら容易いもの……四半刻も掛からん。これだけの竹を用意するのは面倒だったがな」
突き立てられた竹は二百は下らない。高さはライの身長程……それを等間隔に突き立てることを容易いと言い切るリクウは、ある意味職人である。
竹は昨日の内に用意したらしく、自然を荒らさぬ為何ヵ所かに分け集めたという。それを運ぶのが骨ではあったらしい。
「……で、これを何に使うんですか?」
「取り敢えず基礎は出来た訳だが、集中に時間を掛け過ぎていることは自覚しているな?」
「はい。しかも使用回数も限界有りますし……」
「これはそれを克服する修行だ。集中を維持したままこの竹の中を駆け回り……」
リクウがスッと指を向けた先には一本の鉄棒が竹同様に突き刺さっていた。
「最後にアレを斬る。分かったな?」
「……え?木刀で?」
「そう。木刀でだ。何だ、不満か?」
「不満というか、いきなりハードル高くないですか?」
「何を言っている?昨日の朝の段階でお前はアレを斬れるのだぞ?」
「……木刀で?」
「そう、木刀でだ」
呆れ気味のリクウは木刀をライに投げ渡した。
「試しに斬ってみるか?」
「……わかりました」
鉄棒の前に立ち、それまでの修行で得た感覚を時間を掛け再現。そのまま横凪ぎに軽く払うと、鉄棒は衝撃すらなく両断された。
「………………」
自分がやったこととは思えず呆然としているライは、やはり疲労感が強い。
だが、リクウは休憩も入れず話を続ける。
「では修行に移るぞ。これは集中を維持し続けることで最適な感覚を高める修行……集中の持続をする内に力の抜きどころが分かるようになる。理解したか?」
リクウはまず、手本として竹の中を動いて見せた。
初めは竹を列毎に行き帰りの往復、端に着いたら次は同様に左右の往復、最後は一本毎にジグザグ移動をして端の列で方向転換を数度──最後に鉄棒を斬れれば終了とのこと。
「おっと……お前は無理をするから時刻は夕刻までだ。時間外の修行行為は禁止。食事は必ず三食摂ることを命ずる。短時間で学ぶことが必要になった際、自らの中で答えを探すのも修行だと学ぶのだ」
「了解です、師範」
「では、始め!」
道場の縁側がすっかり定位置になったメトラペトラは、陽だまりの中で丸くなっている。リクウはメトラペトラの隣に腰を下ろして修行の様子を見守った。
因みにトウカの姿は見当たらない。
「さて……縛りが出来た訳じゃが、お主の予測ではどれくらいじゃと思う?」
「通常ならば半年……だが、この修行にはコツがあるからな。それを掴めば縛りを含め、奴なら十日前後か……」
「ふむ。どこまで予想を裏切るかじゃな。ワシは七日と見た」
「……むぅ。いや、良くて八日だろう」
「賭けるか?」
「良かろう……何を賭けるのだ?」
「酒と肴を三日分でどうじゃ?」
「乗った」
すっかり呑み仲間になったメトラペトラとリクウ。互いの弟子であるにも拘わらず、ライを賭けの対象にしている……。
勿論、ライにはその会話がしっかりと聴こえていた。魔力が封じられても半精霊格の肉体は人より上位……加えて様々な機能もある。
(くっ……にゃろう!絶対予想を裏切っちゃる!)
そんな扱いをされた為に寧ろやる気が出たらしく、ライは一心不乱に修行を続けていた。
途中、何となく分身の際に使用する『意識拡大』を行ない修行を続行。断ち斬る力を木刀に乗せながらも、俯瞰で己を捉え始める。
(確かに無駄が多いかな。だから移動すると力が散っちゃうのか……)
己の欠点を次々に見極め、一度拡大した意識を閉じる。それを頭の中で反復し、より理想的な形へと近付けて行く。
それは端から見れば、動かずじっとしている状態……。メトラペトラはリクウと相談を始めた。
「何だ?動かなくなったが、どうかしたのか?」
「……恐らく意識内で練習している様じゃな。しばらく様子見としようかの」
だがライは、日が頂点付近に近付くまで石の如く動く気配が無い。流石に心配になったリクウが立ち上がった途端、ライは再び動き始めた。
「………驚かせおって」
「動き出したと言うことは何か掴んだのやも知れんのぅ。どれ……お手並み背景じゃな」
リクウは再び縁側に腰を下ろすと湯飲みに茶を注ぐ。いつもならトウカが用意してくれるのだが、今日はまだ姿が見当たらない。
「トウカはどうしたのじゃ?」
「珍しく私の妻が戻ってな。料理の勉強だそうだ」
「アッチはアッチで修行か……まあ良いのではないかの?飯に期待出来るのは嬉しい限りじゃからな」
「ふむ……ツマミで酒も美味く呑めるからな?ハッハッハ」
「そうじゃな、ニャ~ッハッハ~!」
───カランッ!
その時、唐突に聴こえた音……。金属質な物体が地を転がる様な……いや、実際金属が転がる音にメトラペトラとリクウは固まった。
そこに有ったのは鉄棒を両断したライの姿……。
「イェイ!やりましたよ~!」
「……………」
「……………」
「え……?あ、あれ?見てなかったんですか?」
息を切らしているが疲労困憊という訳ではない様子のライは、頭を掻きながら縁側まで戻ってきた。
「もしかして……見てなかったんですかね?」
もう一度念を押すライは、深く溜め息を吐いた。
「仕方無いなぁ……分かりましたよ。じゃあ、もう一度やりますから見てて下さいよ?」
再び竹の合間を縦横に行き来し、ジグザグ移動……そして……。
───カランッ!
見事に鉄棒を根本から両断した。
「どうです?出来たでしょ?」
再び縁側に戻ったライは、思わず吹き出した。
「ちょっと~!何で二人とも白目剥いてんですか!?」
白目を剥いて何か呟いているリクウ。メトラペトラに至ってはヨダレが垂れ背中の翼をパタパタさせている。
「お~い……ダメだな、コリャ。ま、まあ良いや、もう少し練習しよう」
短くなった鉄棒を引き抜き予備の物に変える間も、師匠二人は白目のまま。
結局、トウカが昼食に呼びに来るまでメトラペトラとリクウは元に戻らなかったという……。
「本当ですか!まさか一日で……」
トウカは驚きと不安の混じった表情を浮かべている。あまり早く修得されるとライが帰還してしまうことを恐れているらしい。
「正確には半日だ。まさかこんなことが……ライ、お前何をした?」
「何って……試行錯誤しただけですよ。師範も短い時間で出来ることを考えろって言ったでしょ?」
「言うのとやるのは違かろうが!吐け……何をした?」
食事中にも拘わらずライに詰め寄るリクウ。こんなにもあっさり修得されては師範としての沽券に関わるのだ。問い詰めずにはいられない。
「何って……頭の中でイメージトレーニングしたんですよ。それこそ何千回何万回と……実際の時間にしたら二ヶ月分くらい……」
「そんなことが出来るなら苦労など無いわ!」
「出来るんだから仕方無いでしょうが!」
「くっ……!まだ言うか……」
黙って聞いていたメトラペトラは呆れた様子で首を振っている。
「良いからちゃんと説明するのじゃ、ライよ。お主の“ 中のこと ”など、お主しか分からんのじゃぞよ?もっと分かりやすく丁寧に説明せんと話が堂々めぐりになるわぇ」
「わ、わかりましたよ。じゃあ……」
始めに行ったのは、分身の際に使用する意識拡大──。
自らの意識を乗せる天網斬りを維持したまま意識拡大が出来るか?という疑問を解消する為に試してみたところ、意識の拡大自体は問題無く行えた。
逆に意識拡大をした状態で天網斬りを発現出来るかを試してみたところ、刃に自分を乗せ切れず天網斬りは発動しなかった。
それを試した理由は『分身体』も天網斬りを使えるかを試す為。天網斬りは一体のみ……つまり本体しか発動出来ないことを最初に理解した。
だがそれは、天網斬りを維持したままなら分身を生み出せることでもある。戦略に幅を持たせられる可能性が残った。
そして次に、本体が天網斬りを発動した状態で拡大意識を利用し全身を俯瞰……違和感を探した。
『もしこう動いたら?』というイメージで発生する違和感を一つ一つ覚え、それを補正したイメージに焼き直して行く。
実質止まっていた時間の大半はそれに割かれていたことになる。
何せ意識を加速させて何万回ものイメージの焼き直し……肉体疲労はともかく、精神疲労が尋常ではなかったとライは苦笑いをしている。
「で……ある程度納得いったので実践に踏み切ったら、なんとか成功した訳ですよ」
「……………」
あまりの出鱈目さにリクウは再び白目になり掛けていたが、何とか踏み留まり疑問をライに問い質す。それによっては修行の日程が大きく変化するのである。やはり確認が必要だった。
「まず、その……『意識拡大』……か?それはお前の存在特性か?」
「多分違うんじゃないかと……発現したのは大聖霊の紋章が融合してからですし」
「大聖霊の紋章……見せてみろ」
ライは箸を置いて胸元を開いた。胸には薄っすらと光る紋章が浮かんでいる。突然ライの裸を見たトウカは、慌てて顔を隠していた。
「それは具体的にどの様な力なのだ?」
「自分でも良く分かってないのが本当のトコですね。簡単に言えば、自分の意識を拡げて思考の限界点を限り無くす様な感じです。例えば、分身を同時に操っても混乱しないとか、探知纏装を使う広さが相当広がるとか…」
「………探知纏装はどこまで広げられる?」
「試したこと無いんで断言は出来ませんが、地表を探知して把握するだけなら世界の半分以上は出来るんじゃないかな……」
「なっ!そんな馬鹿な……」
以前、魔王アムドに向けた言葉……『世界の半分くらい見えている』と言ったのは、そういう意図があったことを当の魔王も知る由は無い。
「大聖霊の力って尋常じゃないと今更ながらに感じてますよ。契約をしたから纏装、魔人化、半精霊を差し障り無く成し遂げたんでしょうし……」
「それを二体……いや、三体分かぇ。しかも無茶な使い方をしとるから紋章が融合まで果たしたのじゃな。その代償が……」
「この頭、ですね。普通魔人化した場合、肉体疲弊は修復されるんですよね?メトラ師匠?」
「うむ……じゃが、その髪は治らない。つまり魂が根幹から疲弊し変化したことになるのじゃろうな」
大きな力を得た代償は思ったより大きいらしい……。後にどんな影響があるのかは、最早メトラペトラにも分からない。
「まあ、そんな訳で意識拡大を利用しました。意識拡大は魔力では無いので使えましたし……ズルじゃないですよね?」
「うむ……だが、大丈夫なのか、それは?使い過ぎて精神が壊れる恐れは?」
「今のところは問題無いですね。それに、普段は意識を一人分に閉じてますし」
「………どうやらお前は……いや、良い……」
異常……ここでリクウは初めてそれを理解した。
天網斬りこそ未熟だが、これは脅威を育てているのではという不安が首をもたげる。
「そういえば、師範。天網斬りって何で飛ばせないんですか?」
「何だ、いきなり……」
「だって纏装と組み合わせて使えるのに、飛翔斬撃になると天網斬りが消えるみたいですから……」
「何故それを知っている?」
「いや、スイレンちゃんに向けられたので……」
御神楽の地でスイレンは天網斬りを飛翔させることは無かった。使わなかったのでは無く使えないのはその場で分かったが、どうも理屈がわからない。
「……以前、お前には『天網斬りは己の肉体と技のみで放つ』と言ったな?」
「はい、確かそんなことを……」
「あれは正確には『己の肉体と技で事象干渉を起こす』ということだ。天網斬りは物理法則を上回らなければならぬからな」
どれ程技を鍛えても精々が物質を斬るのが限界なのだ。
「それはつまり……どゆこと?」
「さてのぅ……ワシにもよう分からんわ」
猫と勇者は互いを見合わせ、鏡写しの様に首を傾げている。
「この世界は【魔力の世界】と言っても過言ではないだろう。魔人も、纏装も、魔法も、魔導具・魔石も、果ては自然環境に至るまで全て魔力で成り立っている」
「……確かにそうかも知れませんが」
「それは魔力の高い者……例えば魔獣や魔人に勝つには、常人が魔力をぶつけても相手にならないことになる。人の魔力は特殊な血筋を除き限界があるからな」
それはロウド世界に於いての自然の摂理とも言えるもの。大河に小石を投げても流れを塞き止められないのと同じ理屈だ。
「だが、一つだけそれを覆す力がある。分かるか?」
「ん~?何だろ………あっ、もしかして……」
「そうだ。だからこの国は魔法よりそちらに意思が傾いている。元々『百鬼一族』が居た異界には魔力が少なかったのも理由だろうな」
「『存在特性』か……。改めて考えれば不思議な力じゃのぅ。ワシの概念力に似ておる」
「それはあながち間違いではないな。『存在特性』は世界の法則に繋がる力の様なもの。故に魔力を必要としないにも拘わらず、道理を無視する」
現在ライが把握している『存在特性』は肉体強化、運命の可視化、未来視、共感、無空、鬼人化、記憶操作──。
そのどれもが確かな理論など存在しない固有能力である。魔法の様な公式や魔力調整を必要としない道理の外……個人が個人でしか使えない能力だ。
「だが、それでは戦う力として確実性に欠ける。存在特性は個人差があるからな。植物を活性化させる力があっても、操る力が無ければ戦闘には使えまい?」
存在特性はそれこそ人の数だけあると言われている。同じ肉体強化でも、実は『筋力強化』と『肉体性質変化』と言ったように微妙に違うらしい。
「確かに『千里眼』みたいな力だけじゃ戦いに不向きですよね……」
「だから、それを戦闘用に編み出した者がいた。『法則に干渉を起こす』技法……擬似存在特性とでも言えば良いか?破壊特化にのみ編み出された、それが……」
「天網斬り……」
「魔法や纏装はロウド世界にとって法則に則った【正】の力。だが天網斬りは法則を無視し引き出す【負】ならぬ【裏】の力だ。当然上手く混じわらない」
「……だから手元でしか使えないんですね?」
世界を満たす魔力ではなく、法則に働き掛ける力。まさに裏技と言えるだろう。
「直接接触する物にしか使えないのは、力を体現しているのが己自身だからだ。剣技にするには剣を己と同化させねばならない」
「じゃあ、体術としても『天網斬り』は使えるんですか?」
「うむ。だが、我が国ではやはり斬る方が主流と言えよう」
「斬撃飛ばしに組み込めなかったのは、他人に纏装を纏わせても斬撃が飛ばないのと同じ理由なんですね」
「そうだ。力を伝えた先の『その先』まで伝えるのは既に技ではない。それでも試行錯誤し続けたが、やはり無理だった様だな」
だが……それでも万物両断という神技は生み出された。それは久遠国にとって大きな戦力ではあるのだろうが、他国から見れば脅威とも取れる事態だった。
ライには久遠国が敵国と成り得ないと理解している。しかし、世界はそう判断しないだろうことは容易に想像が付く。
寧ろトシューラは何処からか『天網斬り』の話を聞き付けたからこそ、海賊を利用しディルナーチ侵入を狙ったのかも知れない。
無論、そんな心持ちで天網斬りを修得出来るとは思えないのだが……。
「修行ってこれで終わりですかね?」
「まだ二段階残っている。が、お前なら時間は掛からぬかも知れん」
リクウはしばらく無言だったが、改めてライを見据えた。
「念の為にお前に聞こう。その力を悪用せぬと誓えるか?」
「悪用ですか……それは何を以て悪用と判断するんです?」
「む……」
「俺がそれを悪事と思ったことには使わない自信はありますよ?でも、必要な時に使っても相手からすれば悪用に感じるかも知れない」
個人の善悪の基準など当てにはならない。そもそも明確な基準がないから人同士の争いが無くならないのだ。
「…………」
再び思考の迷路に入り込むリクウ。だが、その迷いを振り払う声があった。
「大丈夫です、おじ様。ライ様は私の味方ですから」
「味方とは何だ……トウカよ」
「味方は味方です。ライ様は私が悲しむ真似はしないのです」
「………本当か、ライよ?」
「そりゃあ、味方ですからね。少なくともトウカが嫌がりそうなことはしませんよ。……もし信用出来ないなら、リクウ師範が俺に呪縛を掛けても良いですよ?」
「………いや、わかった。ライではなく、トウカを信じるとしよう」
「うぇ~?し、信用無いんスね、俺って……」
ガックリと肩を落とすライを尻目に、リクウはメトラペトラに視線を送り軽く溜め息を吐いた。
「心配要らん。確かに脅威を宿してはおるが、此奴は異常なお人好しじゃ。でなければ不知火、嘉神、豪独楽、それに王も放置はして居るまいよ」
「……わかった。大聖霊の言葉も信じよう」
肩を落としたままのライは顔をゆっくりと上げると、恨めしげにリクウを見つめた。
「ね、ねぇ、リクウ師範?トウカとメトラ師匠の言葉は信じるのに、俺のことは信じてくれないんですか?」
リクウは視線をスッと逸らし茶を啜る。一息吐いた後、指で何かを摘まむような仕草を見せ鼻で笑った。
「これっっっっ……ぽっちだけ信じてやるわ。ハッ……!」
「ぐぬぬぬぬ……!師範!何故に俺に冷たいんです?」
「何故だろうか……不思議と気に入らん。何がという訳ではないのだが、見ていてイラッと……」
「理不尽だあぁ~!?」
その様子を見ていたメトラペトラはトウカの傍で小刻みに震えていた。
「どうしました、メトラ様?」
「プププ……いやの?リクウがライを疑っている理由が愉快でのぅ……」
「愉快……ですか?」
「うむ。あれは『同族嫌悪』じゃよ。自分にどこか似ているから、胡散臭く感じるのじゃろうな……ププッ!」
「まあ……。それはまた、残念な話ですね……」
トウカにすら残念がられる『似たもの師弟』は、その後も喚きつつ昼食を終えることになった。
「で、次の修行はどうしたら……」
「本日はもう終了致しました。またの御贔屓、お待ちしております」
「くっ……!よ、余所余所しい……。ま、良いや。そうだ。トウカ、ご飯美味しかったよ」
「ありがとうございます。でも、今回はおば様が居たから美味しく出来ました」
「あ……それもあった!リクウ師範の奥さんにご挨拶を……」
「もうお帰りになりましたよ?」
現在一度も会っていないリクウの妻。毎日の食事はトウカが練習を兼ねて作ってくれているのだが、初日の豪勢な料理はリクウの妻のもの。まだお礼を言えていない。
「診療所ってそんなに忙しいの?」
「おば様は医師も兼ねていますから特に忙しいみたいです。それに、治療術が使える者も稀なので……」
「それにしても診療所に入り浸りって忙し過ぎない?」
「実は……」
トウカの話では、ライ達が王都・桜花天に着く数日前に鉱山の崩落が起こったとのことだった。
かなりの大規模崩落だったらしく、運ばれた人間は百人近く──。王都にある全ての治療施設に怪我人を収容し治療に当たっているとのことだ。
「そいつは大変だ……。師範、今日はもう修行無いって言いましたよね?」
「言ったが……それがどうした?」
「じゃあ治療手伝って来ますから、魔力使用の許可下さい」
突然の申し出に面食らうリクウ。その隣ではメトラペトラが盛大な溜め息を吐いていた。
「ま~た悪い癖が出おったわ……」
「大聖霊よ。此奴はいつもこうなのか?」
「ほぼこんな感じじゃな……。いつもはもっと勢い任せじゃが……」
メトラペトラの言葉に嘘の気配は見当たらない。リクウは、再度確認を行う。
「それで……許可を出したら治療出来るのか?」
「はい。回復魔法使えますから病気以外は……」
「となれば、目立つのが問題だが……うぅむ」
「このゲス野郎!」
「ぐはぁっ!?」
突然リクウを殴り飛ばしたライ……。いつもなら『痛いけど痛くなかった』を発動するのだが、魔力を封じられていた為にリクウはしっかり鼻血が出ている。
師に対してグーで殴る辺りが痴れ者勇者の真骨頂とも言える。
「き、貴様!師に対して何をする!?」
「目立つことを迷ってる場合か!諦めたらそこで終わりなんだそ!」
「………いや、別に何も諦めてはいな……」
「バッカッヤッロォ~!?」
「ブぺッ!?」
次々に襲う痴れ者の理不尽……まさかの二連続パンチ。先ほどの仕返し……ではないと思いたい……。
「もっと熱くなれよ!」
「くっ……。何を訳のわからんことを……」
「もう良い!俺は行くぜ……うぉぉっ!」
「こら待て!?」
「じゃあ許可ちょ~だい?」
「ぐっ……わかった、好きにしろ」
頬を撫でながら溜め息を吐いたリクウは、渋々許可を出した。これ以上殴られては堪ったものではないことに加え、治療師は多いに越したこと無いのも事実。
「じゃっ!早速行ってきまぁぁ~………場所、何処?」
「では、私がご案内致します」
「よぉうし!行っくぞぉ?」
「きゃあ!ラ、ライ様?」
トウカを抱え上げ飛び出していったライは、まさに嵐の如くである。
「くっ!まさか殴られるとは……。大聖霊よ……奴はいつもあんな感じなのか?」
「き、基本はの……」
「失礼しやっした~」
「うぉう!ライ、貴様!どこから戻った?」
出口の反対……リクウのすぐ背後に現れたライは、その肩を揉みつつ回復魔法を使用した。瞬く間に回復したリクウには傷痕一つ無い。
「戻ったらちゃんと謝るんで、勘弁してくんな!」
親指を立て挨拶を送ったライは、ボフンと音を立てて煙のように消えた……。
「今のは一体……?」
「今のが分身じゃ。奴はもう遥か先じゃろう。それにしても今日はテンション高かったのぅ」
「……酒でも飲むか、大聖霊」
「そうじゃな」
気にすると疲れるので、リクウは深く考えるのを止めた……。
一方のライは、トウカを抱え土煙を上げながら診療所を目指す。
初日の食事の礼を考えていたライは、一応回復魔法の使い手……。診療所ではライの活躍が期待出来ることだろう。
ライのこの行動は、久遠国に一つの伝説を残すこととなる……。
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