第四部 第六章 第四話 異界から来た民


「よし、取り敢えずこの修行は終了。次の修行に移る」

「や、やったぁぁ……ぁ……ぁぁ……」


 カヅキ道場の庭先にて木刀を振ること八日……。


 ようやく最初の修行を修了するに至ったライは、疲労のあまり座していた岩から転がり落ちた。


「しかし、八日で成し遂げるとはな……呆れる他無い」


 池に向かい木刀を振り続けた日々……それは、太刀筋に己を乗せて振り続けたもの。

 一度振る度、長距離を休まず全力疾走する様な疲労が襲う……。そんな全身全霊を日に十回以上──疲労が有って当然である。


「ここに至るまで、才ある者で一年……お前から聞いたこれまでの戦闘経験を踏まえても四ヶ月前後、半精霊体とやらが魔人より上回るとしても二ヶ月と見ていた……が、蓋を開ければ僅か八日。なんと言うか、お前は………生き急ぎ過ぎだな」

「くかぁ~……」

「こら、寝るな!まだ話の途中だぞ!」

「……すみません、何だか安心したら眠気が」


 目を擦りながら“ のそり ”と身体を起こしたライは、冗談ではなく本当に眠そうにしている。


「それはそうですよ……夜もこっそり修行していたのですから……」

「それは本当か、トウカよ?」

「はい。一度、夜中に物音に気付いて様子を見ていたのです。それこそ一晩中ずっと振っていましたよ?」

「無茶をしおって、馬鹿者め……トウカも何故止めんのだ?」

「声をお掛けしようとしたのですが……」

「ワシがそれを止めたのじゃよ」


 メトラペトラは縁側からライの頭の上に乗り移り、深い溜め息を吐いた。


「止めたところで分身を使って抜け出し他所で修行を続けるじゃろうよ。その為に纏装を使う様では修得に時間が掛かってしまうんじゃろ?」

「……ん?分身だと?」

「そう言えば知らぬのじゃな……此奴は分身するんじゃよ。大体は十人程……最大はわからんが」


 リクウは興味津々だが、自分が纏装禁止を言い渡した以上修行を中止して見たいとは言えない。

 が、後で見せて貰おうと決定している様である。


「と、ともかく!今日は休むことだ。良いか?休むことで新たに気付かされることもある。それとて馬鹿にはならぬのだぞ?」

「スピィ~……くかぁ~」

「寝るなと言っておるだろうが!馬鹿者めが!?」

「……いや……師範が休めって言ったんじゃないですか」

「それは話が終わったらだ!師が話しているのに寝る馬鹿弟子が何処におるのだ!」

「ここに居るな……」


 一瞬、場が水を打ったように静まり返った……。


「くっ………ともかく、今日は修行を禁ずる。これは師範命令だ!分かったな?」

「わかりました。じゃあ、お言葉に甘えさせて頂きます」

「うむ。私は母屋にて少しやることがある。今日は一日好きに行動するが良い」


 リクウがライを心配している以上、大人しく従うしかない。確かにここ数日は無理をし過ぎていたのも確かだ。


「……じゃあ少し寝ます。トウカさん、今日時間ありますか?」

「え?はい。大丈夫です」

「もし良かったら、前に言っていた料理本でも探しに行きませんか?」

「本当ですか!是非!」


 約束を果たして貰えることが嬉しいのか、それとも外出が嬉しいのかは分からない。ともかく、トウカは満面の笑みを浮かべていた。



 トウカは道場の敷地から殆ど出ない。自らの立場を理解している故の行動なのだろうが、ライにはそれが息苦しそうに見えたのである。この機に外に連れ出してやりたいと考えていた。


「メトラ師匠、もし昼までに起きなかったら叩き起こして下さい」

「ワシは目覚ましかぇ……お主も随分と偉くなったのう?」

「酒の肴、街には美味そうなものもあるんじゃないかな~……ドウゲンさんお薦めの店にも寄ろうかなぁ~……?」

「フッ……し、仕方ないのぅ……」

「師匠……ヨダレ……」


 外出が決まりライはヘロヘロと縁側に横たわる。部屋に戻れば暖かい布団があるのだが、縁側は日差しがあり居心地が良さそうだったのだ。ある意味、猫の師匠を真似たと言える。



 ようやく修行が一段落したことで気が抜けたこともあり、ライはそのまま深い夢の中に飲まれていった。




 どれくらい時間が経過しただろうか……。


 夢さえも見ることなくそれこそ死んだように眠ったライは、何かに呼ばれていることだけには気付く。


(ん……もう少し……)


 髪を優しく撫でる手……その心地良さに目覚めの決心が揺らぐ。頭部の柔らかな感触はそんな誘惑をより強くした……。


(……ん?柔らか……い?)


 その感触は以前も体験した、とても幸せな感触……と同時に後ろめたい感触だ。

 そんな矛盾した心境がライを眠りの底から引き上げた。


「……………」

「……あ、起きましたか?」

「……………」

「……ど、どうしたんですか?」


 ライは再び目を閉じた。顔が冷静を保とうとしているが、口許が厭らしく歪んでいる。


「この、たわけめ!」

「ゲフィン!」


 メトラペトラに蹴り飛ばされ庭先を転がる『勇者むっつ~り!』は、それでも幸せそうだった。


「ライ様!メトラ様……酷いです」

「良いのじゃよ。見よ、あの幸せそうな顔を……」

「ですが……」

「お~い、ライよ!幸せか~?」

「イェーイ!幸せで~す!」

「のぅ?お主の膝枕なら、あの程度は釣り銭が来るわぇ」


 庭先でゆっくり立ち上がるライは、自らの顔を何度も叩き気合いを入れ直す。ようやくニヤケが取れた時、顔には張り手の痕が付いていた。


「ふぅ~……いやぁ、ヤッベェ……幸せ過ぎてヤベェ」

「結局それか……助平め」

「し、失礼な!我は高貴な勇者なるぞ!」

「勇者でも助平は助平じゃろうが……」

「フニャーン?」

「何が“ フニャーン? ”じゃ!そんなことで誤魔化されると思うな、たわけめ!」

「ニャんだとぉ?し、師匠いつもやってるじゃないか!」

「ワシは可愛いから良いんじゃも~ん」

「くっ……この酒臭め!」


 起き抜けに猫と取っ組み合いを始める漢、勇者ライ。騒がしいことこの上無い。

 そして……いつもながらに返り討ちされ顔にのっしりと乗られているという、とても残念な漢でもある。


「フン……良いから行くぞよ?時間が勿体無い」

「うぅ……了解です。ちょっと待ってて下さい、トウカさん……着替えてきますから」


 飛び起きたライは離れの庵に駆け込み、あっという間に出掛ける準備を済ませた。


「じゃあ、行きますか」

「はい」

「出発じゃな」



 道場を出て向かう先は、店の建ち並ぶ商店街とも言える場所。生活雑貨、衣服、食事処と実に多くの店が並んでいた。


 本屋は見当たらなかったが、立ち寄った雑貨屋で偶然ながら料理本を見付け目的達成となる。


 続いて魚屋に向かい、イカの一夜干しと塩辛を購入。メトラペトラは満足そうにしていたのだが、酒を我慢出来ず『先に帰って一杯やる』と告げ帰っていった。

 その際思いきり飛翔していたが、実はチョイチョイ抜け出して街を徘徊していたメトラペトラ。今やちょっとした有名人ならぬ有名猫だったようで、騒ぎにはなっていない。


「大聖霊様ですから恐れより敬いが先にあるのでしょう」

「……。それにしては砕けた様子に見えますが……」

「それもメトラ様の持ち味では?」

「……そうですね」


 メトラペトラは好意を向ける人間と親しくなることが増えた。それはライの影響なのだが、当人は全く気付いていない……。


「さて、他に行きたいところはありますか?」

「そうですね……」


 特に物欲がある訳ではないトウカ。姫君という立場上街を出歩くことを控えていたが、改めて考えると出歩く必要性が無いことに気付く。


「特にはありません」

「……。よし、じゃあ今日は俺に付き合って貰えますか?折角なので色々と見て回りたいんですが……」

「はい。わかりました」


 十五、六の娘が色々と達観していることにライは幾ばくかの寂しさを感じていた。ならば、少しでも楽しいと思えるようにと街を遊び歩くことを選択。


 甘味処、雑貨屋と足を運び、更に立ち寄った呉服店でトウカに髪止めの帯を購入する。

 赤く美しい異国の柄の入った帯は少しばかり値が張ったが、ライは躊躇いもせず購入した。


「そんな……頂けません」

「膝枕のお礼ですよ。この国は親しい国になりましたが、それでも甘えられる相手がいませんでした。でもトウカさんに膝枕して貰ったので、ぐっと気が楽になったんです。だから、そのお礼」

「……わかりました。ありがとうございます」


 トウカは帯を大事そうに胸に抱えている。どうやら喜んでくれたらしい。


 その後……握り飯と茶を購入し少し遅めの昼食を取ることになった二人は、桜の巨木が良く見える川沿いの土手に場所を移した。


「あの樹はいつ見ても綺麗ですね」

「元は“ 山桜 ”というものだそうです。先祖の中に花が好きな方がいて、結構な数を持ち込んだみたいですよ?」

「異世界の植物ですか……」

「はい。でも、大きく変化したのはあの桜だけみたいです。多分地脈のせいだろうと、母が……」


 トウカの母、ルリはトウカが七つになる頃に他界したとドウゲンからも聞いている。家族が健在なライからすれば、その辛さを理解するのは難しいと自覚していた。


「……トウカさんは、何で城を出たんですか?」

「……私が神羅国に嫁ぐことを求められていることはご存知ですか?」

「はい」


 長く対立の続く久遠国と神羅国──その歴史を終わらせ友好国になろうとしていることは、不知火領主であるライドウから聞いている。その条件として、確かな血縁を結ぶ為にトウカが神羅国に嫁ぐ様求められていることも……。


「責任も立場も理解はしています。でも私は自分の心を大切にしたいのです。それが母の願いですから……」


 我が儘と言うのは簡単だ。しかし、当人には死活……下手をすれば心の死とも言える問題。トウカの母ルリはそれを望まなかったのだろう。


「ドウゲンさんは何て……?」

「お前の人生だから好きにしなさい……と。だから、細やかな抵抗として城を出ました」

「そっか……」

「それに、【首賭け】はあと一度は間違いなく行われる。私はそれを止めたい。でも、その立場が無い。力が……無い」


 久遠国と神羅国は、その境界を巡り一代毎に【首賭け】という一騎討ちが行われる。勝てば次の代になるまで土地の権利を広げることが出来るのだ。


「……ドウゲンさんが【首賭け】をするのが嫌なんですね?」

「はい……父は優し過ぎるのです。ここ何代かは久遠国が勝利している【首賭け】……蟠りを無くす為にわざと討たれるのではと不安が消えません」

「……城の近くに居るのは何かあった時に動けるから、ですか?」

「はい……」


 トウカには辛い現実ばかり………。王族には王族の苦労がある。『チャランポラン勇者』は己の恵まれた環境に感謝した……。


「……トウカさん。一つ、約束しましょう」


 ライは項垂れるトウカの頭を優しく撫でながら、力強く宣言した。


「俺はトウカさんの味方です。トウカさんが望む形に収まるよう努力しますから、どうして欲しいか遠慮しないで言って下さい」

「ライ様……」

「それを今からある人に一緒に伝えに行きます。良いですね?」

「………はい」

「じゃあまず、ご飯にしましょう!腹が減っては気も弱くなりますよ?」


 握り飯にかぶり付いたライを見て、トウカはようやく笑顔を浮かべた。



 食事後───二人が向かったのは鳳舞城。ドウゲンとの謁見はあっさり叶い、二人はドウゲンの元で話し合いを続ける。


「という訳で、俺はトウカさんの味方になりました。ドウゲンさんはどうします?」

「どう、とはどういう意味かな?」

「出来ればドウゲンとトウカさんが笑い合えるようにしたいんですよ。【首賭け】は代理は出せないんですか?」


 ライは自らが代理に立とうとしていることをドウゲンはすぐに悟った。


「残念ながら王しか挑めないんだ」

「なら、ドウゲンさんの姿で俺が……」

「それは駄目だよ。これは互いの国の誇りを賭けたものでもあるんだ。加勢も手出しも一切認められない」


 温厚なドウゲンの目が厳しくなっていることで、その儀式の重さは理解出来る。

 だが、今のライはトウカの味方を宣言した。どうあろうと食い下がる。


「では、首賭けが終わったら回復魔法で癒すのはダメですか?」

「【首賭け】はその名の通り相手の首を取るまで終らない。回復魔法でどうにかなるものではないよ」

「………それなら……」


 可能性を探すライは諦めない。質問を繰り返す中やがて一つの方法を思い付いたが、それは最後の手段として口には出さないでいた。


「……また来ます。でも、トウカさんの気持ちはわかってますよね?」

「わかっていても私は王なんだよ。婚姻の件は“ 親として ”破棄するけど、首賭けの件は“ 王として ”曲げられない」

「わかりました。でも……俺は諦めませんよ?」

「……頑固だね、君も」


 苦笑いしているドウゲンの顔をトウカはじっと見つめている。かつてここまでドウゲンに意見し続け、こんな表情を引き出した者をトウカは知らない。


「トウカさんも言いたいことがあれば言うべきですよ?」

「……殆どライ様に言って頂きました。十分です」

「じゃあほら、リクウさんと打ち解けたとか料理を勉強してるとか……折角なんですから何か話してください。俺は席を外しますから……」

「ですが……」

「あ~もう、何で親子揃って不器用なんだ!はい!じゃあ、ちゃんと話してくださいね?下で待ってますから!」


 ライはそそくさと立ち上り天守を後にする。親子水いらずで無ければ話せぬこともあるだろう……そう見抜いての配慮だった。


「……ハハハ。全く彼は物怖じしないというか……」

「だからこそ、リクウおじ様とのすれ違いも繋いで頂けたのですよ?」

「そうか……。その……最近のトウカのこと、色々と聞かせてくれるかい?」

「はい……」


 互いの胸の内を伝え合えば父娘の溝などすぐに埋まるだろう。少なくともライはそう確信している。


(俺は戻ったら何から話そうかな……)


 突然失踪したぐうたら息子……。両親にはさぞや心配を掛けているに違いないと、内心かなり反省はしている。

 だが、ディルナーチでの約束を破り戻ることはライ自信が納得出来ない。それはきっと、両親であるロイやローナも理解してくれるだろう。


「ライ様……お待たせしました」

「トウカさん、もう良いんですか?」

「はい……もうすっかり」

「そうですか……その……城に……残らなくても?」

「はい。父にはいつでも会えますから……帰りましょう」

「わかりました」


 トウカの顔は何処か安らぎに満ちている。どうやら蟠りは消えたようだ。 


 帰り道──トウカは遠回りして帰ることを提案した。大通りを迂回し、賑やかな街並ではなく暮らしの風情が確認出来る通りを進む。


「………ライ様は修行を終えたら故郷に戻られるのですか?」

「はい。……実は俺、誘拐されて強制労働させられてたんですよ。だからもう二年は帰ってないんです」

「それは……ご家族もさぞや心配でしょう」


 トウカはその事実を知っている。メトラペトラに記憶を見せて貰っていたのだ。

 しかし、それを口に出すことはない。勝手にライの行動を知り得たことで嫌われるのが恐かったのである。


「まあ……一応手紙を出したり知人に会ったりしたのでなんとか大丈夫ですけど、帰ったら謝らないと……」


 しばしの無言……。トウカは意を決し口を開く。


「あ、あの……ライ様はこの国が好きですか?」

「え?えぇ……良い国だと思いますよ?自然豊かでペトランズ大陸には無い良さが溢れている。身内を一人、不知火の領主に預けることにもなりましたし……」

「……で、では、このまま」


 トウカはそこで言葉を飲み込んだ……。


 ライのお陰でリクウ、そしてドウゲンとの蟠りは解けた。トウカ自身も励まされたりと、ライに対する感謝は膨らむばかりである。

 修行はまだ序盤……。だが、今の修得速度では年内には別れが訪れるだろう。その時、トウカはそれを受け止められるだろうか?


 しっかりしているとはいえ、トウカはまだ十六の少女。別れの重さを知るからこそ、大切な関係が壊れるのが恐いと感じている筈なのだ。


「トウカさん?どうしましたか……?」

「いえ……あの……そ、そう、お願いがあるのです」

「お願い?何ですか?」

「その……ライ様にはお世話になりまして……。それに一緒に暮らしても居る訳ですから……」

「はい」

「その……敬語はお止め頂けたらと……」

「……え?そんなこと?」

「はい。……ダメですか?」


 トウカは上目遣いで見つめている。ライより頭一つ低いトウカは、幼さが残る顔で不安げに嘆願した。


「ん~……わかりました。けど、俺だけじゃなくトウカさんもそうして下さいね?」

「わ、わかりました」

「じ、じゃあ……トウカさん」

「出来れば“ トウカ ”でお願いします」

「わ、わかり……分かったよ、トウカ。これで良い?」

「はい。ライ様」


 嬉しそうなトウカ……だがライは少し不満そうだ。


「いやいや、トウカも敬語は無しで……」

「は……う、うむ。ラ、ライよ。こ、これからも宜しく」

「………何かリクウさんみたいだね」

「で……では、これからも宜しく頼むよ?」

「む~……それはドウゲンさん?」


 トウカはどうやら言葉遣いを使い分けられない様だ。ライの服を掴み、何故かぴょんぴょんと跳びはね抗議を始めた。


「し、仕方無いじゃありませんか!ずっとこの喋り方なのですから!」

「うむ。仕方なかろうな」

「ラ、ライ様?」

「………プッ!」

「もう!ライ様のイジワル~!」


 トウカは今まで見たことが無いくらいコロコロと表情を変えている。


 普通の女の子──まさにそんな印象だった。例え一国の姫君で、魔人として生まれ剣の達人であったとしても、トウカは年相応の少女でもある。


 そんなトウカが、ライには眩しく見えた……。


「ハハハ……無理をする必要は無いよ。トウカが一番楽な様にすれば良いんだ」

「はい……ありがとうございます」

「じゃ、帰ろうか?」

「はい」


 帰路を歩く二人。以前と違うのは言葉遣いだけでなく、その距離も変わっている。トウカはライの服の袖を掴んでいた。


 そんな状態で道場に戻った際、ライがトウカを呼び捨てにしていることを怪しんだリクウ。散々ぱらライを追い回した後、相撲が始まりライを投げ飛ばしまくったのは余談である。



 夕食後、風呂から上がったライはトウカが本を読んでいる姿を見付けた。


「トウカ、さっそく本を読んでるの?」

「はい。とても参考になりました」

「どれどれ……。え~っと……読めないや」

「ライ様は文字を学ばなかったのですか?」

「ん~……言葉はメトラ師匠から記憶を流して貰ったんだけど、文字までは……」

「そうですか……」


 トウカは少し考えた後、ライに一つの提案をした。


「宜しければ文字をお教えしますが……」

「え……?でも……」

「差し支えない程度の文字ですが、手紙なども書けますよ?」


 手紙が書ければライドウ達に近況を伝えることも出来る。もっとも、その気になれば半刻掛からずに会いに行けるのだが……。


「……じゃあ、お願いするかな。それにしても、この国の文字って不思議だよね」

「実はこの文字は異界に渡った時点ではもっと少なかったらしいのです」

「そうなんだ……」

「この国が異界からの移住者の子孫であることはご存知ですよね?」

「うん。確か鬼人と人が渡ってきたんだよね?」

「はい。実は当時、この大陸にも人は居たのです。魔法王国の子孫が割れた大地に残された。でも、大半が親大陸側に戻ったと聞いています」


 当時の『神の裁き』は始まりの大陸を砕き二つに割ったが、何故かディルナーチ側にはその後の裁きは起こらなかったらしい。歴史家の話では聖獣の森を神が守った為ではないかと言われている。


「実は移住の際に現れた『異界の門』は、その後も度々開いたと聞いています。その度あちら側の文化が此方に流れ込んで混じるのだとか……。文字もそうらしいですよ?」

「へぇ~……じゃあ文字以外も?」

「はい。私達の着ている袴もそうですね。鉄鍋などはスランディ側からの文化ですが、建築技術や料理は殆ど異界からのものらしいです」


 木造建築、瓦、藁葺き屋根……果ては稲作農耕に至るまで、異世界から齎されたものとのこと。どおりでペトランズと文化が隔絶していると、ライは改めて納得した。


「……最後に『異界の門』が開いたのっていつ?」

「確か百年程前という話です。不思議なことに、此方からあちらには渡れない一方通行の門なのだとか……。流れて来た方は故郷に戻れないのがお気の毒ではありますね」


 異界からの漂流者は戻れない。確かに気の毒だが、久遠国にとっては貴重な文化の元になっているらしい。


「それと、異界から渡って来た方は不思議な力を得ることが多い様ですね」

「……だから、この大陸は『存在特性』持ちが多いのか。そう言えばトウカは使えるの」

「いえ……まだ使えません。王家筋には使える者が多いらしいのですが、私はまだ……」

「そういや、スイレンちゃんもまだだって言ってたな……」


 そこでライは、存在特性の話をドウゲンに聞き忘れたことを思い出した……。


(ま……良いか。その内に聞けば……)


「ねぇ、トウカ。師範て存在特性使えるの?」

「いえ、聞いたことがありませんのでわかりません……。ただ、存在特性の中にはあまり他言したくないものもある様ですから」

「………透視とか?さては師範……」

「何が『さては師範……』だ、何が。私の存在特性は【無空】だ。透視などでない」

「うぉう!突然現れないで下さいよ……」


 メトラペトラと酒盛りをしていたリクウは、ツマミの追加を取りに来たらしい。


「何です、無空って……」

「私の存在特性は距離を瞬時に縮めるものだ。縮地と違い移動ではなく距離を無にする、だから【無空】」


 一種の転移の部類だが、魔法ではなく能力、加えて接近限定。

 だが、魔法が主流ではない武術家にはとてつもないアドバンテージである。


「何ですか、そのチートは!天網斬りと合わせたら最強じゃないですか!」

「失礼な奴め……私は一度足りとも手合わせで使ったことはない。ある意味持ち腐れだと言うのに……」

「……そんな自慢気に『持ち腐れ』と言われても……あ!さては透視が欲しかったんですね?このこの~……ス・ケ・ベ!」

「……くっ!今日と言う今日は赦さんぞ。そこになおれ!」

「ちょっ!冗談ですってば!うっ……。し、真剣は反則………さては酔ってるな?」


 二人はギャアギャアと騒ぎながら外に飛び出して行った。


「ウフフ……今日もカヅキ道場は賑やかです、御父様」


 ライが来て以来、トウカだけでなくリクウも生き生きとしているのが分かる。卓を囲む相手がいることの大きさをトウカは改めて感じていた。


 その日は、遅くまで逃げ回るライの声が賑やかに響いていたという……。




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