第四部 第六章 第三話 池の魚


 カヅキ道場修行初日──。


 早朝から始まったのは修行然としたものではなかった。


「では先ず、纏装を全て解け」

「………マジですか」

「強くなりたくは無いのか?」

「わ、わかりました」


 常時展開していた纏装を全て解除したライは、その身の無防備さに少し心細さを抱いた。


「……それで、どうするんですか?」

「まずはそのまま木刀を振ってみよ」

「わかりました」


 空を切る木刀。その様子をしばらく見守ったリクウは、止めの合図を送った後しばらく考え込んだ。


「ライよ。お前は戦い方を誰かに習ったか?」

「え? え~っと、ちゃんと習ったのは一人にだけですね」

「どれ程の時間を掛けた?」

「ひと月は学んでません。時間に限りがあったので基礎しか……」

「やはりか……」


 リクウは感心するように頷いている。


「な、何か問題がありましたか?」

「いや……その逆だ。寧ろ感心した。その師匠はかなりの人物だろう」

「どういうことですか?」


 リクウによれば、ライには武術の基礎中の基礎がしっかり叩き込まれているとのことだった。身体の軸や体移動など、最低限のものを確実に修得していると感心頻りである。


「恐らくは、お前の道中で好きな武術を修得出来るようにしたのだろう。余計な技術は一切組み込まれていない。お前がその者に会う以前に学んだのも武術ではなく手合わせ程度だった筈だ。後を見越して妙な癖を付けない鍛え方……相当な使い手だな」


 まさかそこまで考えて修行をつけてくれていたとは知らなかったライは、唯々ただただマリアンヌに感謝するばかりである。


「その後のお前は恐らく力押しで来たのだろう? 技ではなく、魔力にモノを言わせて魔法や纏装で押し通ってきた。違うか……?」

「うっ……ま、魔法や纏装の修行ばかりで、剣や体術までは行き届かなかったのは間違いないですね」


 元々魔法がポンコツだったライは、纏装の修得により魔法が楽しくなったのは確かである。

 その後、メトラペトラと出会いオリジナル魔法を編み出してからは、完全にそれ頼りになっていたことは否定出来ない。


「加えて肉体の変化にも頼り切ったのだろう。お前と対峙した人間が魔力を読み取れない場合、恐らく相当に油断しただろうな」


 身体の動きだけで見れば、素人以上達人未満という体たらくだとリクウはバッサリ切り捨てた。


「くっ! 否定出来ねぇ……」

「別にけなしている訳ではないぞ? それは、どんなことも修得し易いことを意味しているのだ。教える側の私としてはありがたい」

「そ……そうですか?」

「うむ。まあ、じきに解るだろう。では……纏装を解いたまま其処の岩に座れ」


 示された場所は道場の庭にある平らな岩。丁度、大人が上に座れる大きさの黒い岩だ。


「座りましたけど、何をするんですか?」

「よし。ではそのまま正面の池を見ろ」


 言われた通り身体を反転させたライは、庭先にある池に視線を向ける。


「そのまま纏装無しで一日過ごせ。但し、池の中にいる魚の中には一匹だけ赤い魚が混じっている。良いか? 『赤い魚』が水面から出たら修行の一段階目は終了だ」

「え? ……ま、まさかそれが修行?」

「何だ、不服か?」

「いえ……どういう意図があるのかと……」

「それは自分で考えることだ」

「…………。わかりました」

「時刻は日が沈む夕刻まで。では始め!」


 その日は晴天。太陽の光が水面に反射する中、ただひたすらに池に意識を集中する。

 ライにとって纏装を使ってはいけないという状況は不安なことこの上ないが、修行とあらば仕方無いと決意を新たにした。



 そして、時は着々と進み既に昼過ぎ──。ライは食事も休憩も無いまま池を凝視し微動だにしない。


「凄いですね……」


 昨日ライが寝ていた縁側に腰を下し見学中のトウカは、ライのその集中力を評価している。


「私も昔あの修行をやりましたけど、あんなに集中は続きませんでした」

「……まあ、ライの持ち味の一つじゃからの」


 集中、洞察、研鑽……今までそうやって戦いを凌いできたライには、集中し続けることなど容易いことだろう。


「お主に見せた記憶の中にワシとライが出逢った場所があったじゃろ?」

「はい。確か崖のあった場所ですね?」

「あそこはの……魔力が吸い取られる特殊な場所での? アヤツはそんな場所で覇王纏衣をほぼ完成させておった。それがどれ程集中が必要かは想像が付くじゃろ?」


 魔力の霧散する魔石採掘場に於いて、魔力を留め魔纏装を維持するのは並の集中力では成し得ない。

 しかも常時衣一枚の展開……。覇王纏衣こそ未完成だったが、型としてはほぼ完成していたのだ。


「この修行が集中力だけならばすぐに終わるじゃろうが、違うのじゃろ?」

「はい。これは言わば“意地悪な謎かけ”です。私がこの修行を終えるまでに十日も掛かりました」

「謎かけか……これは面白そうじゃな」


 それから池を睨み続けたライは、一切の身動ぎすらせず夕刻に至る。


(………驚くべき集中力か。だが)


 リクウの用意したハリセンがライの頭に炸裂。纏装を解いていたライは全く反応出来ず張り飛ばされた。


「痛い!?」

「今日の修行は終了だ。食事にするぞ」

「………ねぇ、師範。この修行って……」

「質問は無し。考えがあるなら行動で示せ」

「……了解っす」


 といっても初日で質問を投げ掛けた時点でリクウは感心をしていた。


(この様子ならば、明日には次の段階に移るか……)


 ハリセンを使い自らの肩を叩きながらリクウは思考に更ける。


「ライよ……。お前は纏装をどれ程で修得した?」

「はい? ん~……纏装自体は即修得しましたよ?」

「……嘘をつくな、嘘を」

「う、嘘じゃないですよ。俺に修行を付けてくれた人は『俺を通して』覇王纏衣を発動してくれたんです。で、その感覚を頼りにずっと修行を……」

「………そんな事が可能なのは『存在特性』だろうな。やはりその師は驚くべき者だ。何故、その者から武術を習わなかった?」

「一つは時間が無かったんです。何やかんやと慌ただしくて……。ディルナーチ側に来てからはライドウさんとの約束が……それにやるべきことも有りましたし。勿論、【天網斬り】はペトランズ側には無い技ですから、是非学びたかったのも理由です」


 ライドウとの約束、天網斬り、ヤシュロの卵、それにリルの移動……。既に縁深きディルナーチでしか学べないこともある。


「そうだ、リクウ師範。ディルナーチ大陸には大聖霊は居ませんか?」

「う~む……聞いたことは無いな。御神楽……ラカン様が知らぬのであれば、この大陸には存在しないことになる」

「そう……ですか。あ、あと『存在特性』の専門家って居るらしいのですが、どうしたら会えますかね」

「……お前はもう会っているだろう?」

「へ……? い、何時ですか?」

「我が道場に来たその日にだ。……知らなかったか? この国で存在特性の智識が誰より高いのはドウゲン王だ」

「…………マジですか」


 ドウゲン王は妻であるルリを救う為にあらゆる方法を探した。その中で辿り着いたのが『存在特性』だったとリクウは語った。


「久遠国中を探し回り、ルリ殿を救う方法はついぞ見付けることが出来なかったがな」

「……そう……ですか」


 出会いの運命は残酷だ。もし命を司る大聖霊フェルミナがディルナーチ側に封印されていて誰かがそれを解放したならば、ドウゲン王の妻・ルリは死なずに済んだかも知れない。

 今更なこととはいえ、そんな事実にライは少し悲しくなった。


「……まあ、ドウゲン王に聞けば何か分かるだろう」

「じゃあ、そのうち聞いてみます」

「……そんな簡単に謁見を許されたのか?」

「はい。友人として週に一度程で話がしたいと……」

「そうか……」


 リクウの警戒とは対照的なドウゲン王の親密さ。リクウはそこに思い当たることがある。

 ドウゲンの妻は未来視を持っていた。ライについて何か助言をした可能性は高い。


「ともかく食事にするぞ。昼食も抜いているから空腹だろう?」

「そういえば食事って誰が作ってるんです? 昨晩はやたら気合いが入っていましたが……」

「ん……? ああ。私の妻だが?」

「え? し、師範、奥さん居たんですか?」

「失礼な奴め!スイレンは私が産んだとでも思ったか!?」

「いや……。そういう意味じゃなくて……」


 リクウの妻は治療師を務めているのだという。久遠国は魔法……特に回復魔法を得意とする者が少なく、多忙ゆえに診療所に泊まり込み状態らしい。

 昨日はリクウが弟子を取ったことに喜び、大急ぎで食事を用意して診療所に帰ったそうだ。


「……師範。もしかして穀潰し?」

「な、何だと? 師に向かってその言い草は何だ!」


 リクウの目は激しく揺れ動いている……。


(実は肩身狭かったのか?)


「ま、まあ師範。あれだけ金があれば、しばらく胸張ってられるでしょう?」

「む? うむ……そうだな」

「あの額は師範だからこそお支払いしたんです。いやぁ……高名なカヅキ・リクウ師範に御指導頂くのにアレっぽちじゃ足りないのはわかっているんです。だけど、しがない異国人にはアレが限界でして……くっ! 不甲斐ない!」

「そうか……気にするな、我が息子よ」

「だから息子じゃねって」


 リクウは咳払いをして誤魔化しているが、嬉しさで口許がニヤけ鼻の穴が広がっている。どうやらコイツもチョロイ様だ……。



 そんな『そっくり師弟』が食事に向かった母屋には、割烹着を着けたトウカの姿が……。


「トウカよ。何をしている?」

「今日は私がおば様にお願いしてお料理を任せて頂きました。どうぞ、お召し上がり下さい」

「おお……美味そうですね、師範?」

「う……うむ。まあ……そうだな」


 何やら様子がおかしいリクウに、ライが小声で耳打ちする。


「どうしたんですか?」

「トウカは……料理の方は少し……な……」

「五段階でどのレベルです?」

「………ギリギリで二……といったところか……」

「………と、とにかく食ってみましょう」


 皆が口に運ぶのを嬉しそうに眺めるトウカだが、『そっくり師弟』は緊張の面持ちだ。

 意を決し、最初に料理を口に運んだのはライだった。


「ん! いけますよ! 美味しいです」


 満面の笑顔で頬張るライ。その姿に安心したのかリクウも料理を口に運んだその時、動きが止まった。


(ぐ……。貴様……騙したな?)


 リクウはまばたきでライに批判を向けている。その手は強く箸を握っていた。


(ならリクウ師範、ハッキリと言えるんですか?)


 対するライも瞬きでリクウと意思疎通を果たす。最早、熟練コンビの様な連係だ。


(くっ……ま、まあ食えぬことはないからな。ただ、味が無いが)

(調味料とかダシの概念がスッポリ抜けてますね……。それ以外は完璧なのに……)


 ニコニコとした笑顔で食事を頬張る師弟。だが、これはこれで中々の苦行だ。


 そんな中、空気を読まない者が約一名……いや、一体存在した。


「味がないぞよ? これでは酒の肴にならん」

「えっ? 本当ですか?」


 戸惑うトウカ。少し困った顔をライとリクウに向ける。


(くっ……何やってくれてんですか、メトラ師匠!)

(ワシは正直に言ったまでじゃもん)

(俺達が頑張って笑顔を作った意図を読んでくださいよ! ねぇ、リクウ師範?)

(そ、そうだ! 大聖霊とはいえ少しくらい気遣いをして貰いたい!)


 満面の笑顔を浮かべる師弟……。だが、その脳内ではライ経由による念話が行われていた。

 そう……念話である。この状況で力を絞りだし修得したと言っても過言ではない。


(と、ともかく、後で美味い肴あげますから……)

(良いのかぇ? ここでハッキリとしておかぬと、この先毎日この『無味料理』が待つのだぞよ?)

(む、寧ろ健康に良いじゃないですか……)

(そんなに味がないですか?)

(無い。誰か教えてやるべきなのだがな……)


 そこでライ達は固まった。念話にはトウカも混じっていたのである。


「ライ、貴様!」

「おじ様……酷い……」

「えぇっ? わ、私か?」

「おじ様のバカぁ~!」


 部屋を飛び出したトウカ。リクウは固まっている。


「え、え~と……おじ様、バ~カ!」

「何だと? ライ、貴様よくもトウカに……」

「そんな場合じゃないですよ。とにかく俺が追いますので、バカおじ様は待っていて下さい」

「ぐぬぬぬぬ……!」


 感知纏装を使いトウカを追った先は別宅。ライは開いたままの扉からトウカの元に向かった。


「お邪魔しま~す」


 気配は一番奥の部屋にある。だが、そこに向かう途中……台所の様子が見えた。


 そこには料理を練習したのだろう様子が窺えた。恐らく、ライ達の為に昨夜から練習していたのだろう……。

 そんなトウカの気持ちが少し嬉しくもあり、傷付けたことが心にチクリと傷む。


「トウカさん。お話ししましょう」

「……嫌です。恥ずかしくて……顔向け出来ません」

「そんなこと言わないで……ね? ……そうだ。料理を見てくださいよ」

「ライ様の……ですか?」


 恐る恐る襖を開いたトウカはまるで子供が泣いている姿にも見えた。


「さ、台所に行きましょう」

「だ、ダメです! 台所は……!」

「練習してくれたんでしょ? じゃあ、恥ずかしいことなんて何もないですよ。ホラ……」


 トウカの手を握り台所に向かったライは、まず失敗作らしき料理を口に運ぶ。


「ダメです!」

「良いから良いから」


 ライが行ったのは調味料を探して食材にかけ、再び火を通しただけ。それを皿に盛り付けたライは、美味そうに口に運んだ。


「トウカさんも食べてみて? 美味しいですよ?」

「………。まぁ! 本当……ですね」

「俺も料理得意な方じゃないんです。そうそう、昔妹に食わされた料理はとんでもない衝撃でしたよ?」


 小さい頃のマーナに食わされた料理は、甘さ、辛さ、酸味、塩気、苦み、とほぼ全ての味覚を刺激する物だった。


「流石に妹にはハッキリと言えなくて……でも、妹自身も分かってたんでしょうね。ずっと練習して最後はプロ並みでしたよ」

「でも、私は……」

「トウカさんの料理の問題は多分味付けだけです。だから少し手を加えたらこんなに美味い。それってトウカさんが一生懸命作ってくれたからだと思いますよ?」


 具材の切り方も丁寧で、火加減や具材の相性は正しいのだ。あとは味付け……それはそれで難しいのだが、トウカは誰かを想いながら料理を作ることが出来るのだ。すぐに解決するだろう。


「もし分からないなら聞けば良いんですよ。出来る範囲は俺も手伝いますし、調べることも出来る……そうだ! 今度料理の本でも買いに行きましょうか!」

「ライ様……」

「リクウ師範もトウカさんがガッカリしない様に気遣っただけです。次はもっと美味いもの食わせて驚かせてやりましょう」

「………はい!」


 涙を拭ったトウカは少し落ち着いたらしい。


「それじゃあ、リクウ師範の所に戻りましょう。あの料理だって少し手を加えれば間違いなく美味い」


 再び母屋に戻ったライとトウカの前には土下座するリクウの姿が……。


「リクウおじ様! そんな真似なさらないで!」

「いや、これはケジメだ。私はトウカを傷付けた」

「いいえ。私が未熟でした。今度こそおじ様に喜んで貰える料理をお出ししてみせます。だから……少し待っていて下さいね」


 リクウの手を取り立ち上がらせるトウカ。その間にライは先程の料理に調味料を振り火を通す。


「うむ! 美味いではないか!」

「確かに、これなら酒も進むのう」


 再びの団欒。今度は皆、笑顔で食事を頬張った。


 そして食事後の片付けを終え、茶を飲みながらライとリクウは語らう。

 因みにトウカは別宅に戻り風呂に入るとのことだ。


「貴様……。わざとトウカに念話を漏らしたな?」

「いや……残念ながら違いますよ。念話はこの『チャクラ』の力らしいんですが、何ぶん使い熟せなくて苦労してるんですよ……」

「チャクラだと……? うぅむ……それは確かに難しいか……」

「知ってるんですか、これ?」


 リクウは茶を一口啜り、“ ほうっ ”と一息吐いた。


「うむ……確か、何代か前の神羅国王が持っていた筈だ。だが、その王は使い熟せず山に隠遁した。何せ自他共に心の声が丸聞こえと聞いている。山にでも籠るより他あるまい」

「……そりゃあ、ご愁傷様なことで」

「だが……お前は問題無いのだな?」

「それも多分、大聖霊の力のお陰でしょうね……」


 大聖霊クローダーの司る力は【情報】………精神と記憶である。精神を司るならば念話など容易に扱えただろう。

 つまり『チャクラ』を宿していなくとも、念話はいずれ修得が可能だった為に暴走せずに済んだことになる。


「ともかく……明日以降、修行の時は許可を出すまで力は使うでないぞ? 本来なら封じる魔導具でも有れば良いのだが……」

「そういえば……メトラ師匠、あの腕輪って……」

「ん? おお……アレじゃな」


 それは以前、エイルを封じる為に作り出した『魔力封じの腕輪』。メトラペトラの収納庫に預けていたものだ。


「魔力を封じれば取り敢えずは大丈夫ですか?」

「うむ……だが、明日からでも良いぞ」

「まあ、何となくは察しが付いてるんで大丈夫ですけどね」

「………。ともかく明日早朝、もう一度あの岩に座ることだ」


 そう告げたリクウはそそくさと立ち上り、“ 風呂だ風呂だ ”と去っていった。


「どういうことじゃ、今のは? 明日どうしたと言うんじゃ?」

「まあ、明日になればわかりますよ」


 含みのある言葉に不満気なメトラペトラを撫で回し、ライ達はそのまま母屋を後にした。



 そして次の日──。



「………何じゃ、あれは?」


 道場の縁側から見える、ライが座る岩の向こう……。池の水面に奇妙な岩が浮かんでいる。

 いや……浮かんでいるのではなく、不自然に突き出ていたのだ。


「……よし、終了」

「オッス、師範!」


 第一訓練終了──。それは小手調べ終了という意味である。


「……一体どういうことじゃ、トウカよ?」


 縁側から見ていたメトラペトラはさっぱり意味がわからない。流石に問い質さずにはいられずトウカに迫る。


「今のは修行ではなく【試しの儀】とでも言うべきでしょうか?」

「試しの儀じゃと……?」

「はい。試されたのは集中力でも見抜く力でもなく、考える力……そして答えはそれを理解させる行為です」


 リクウが『赤い魚が水面に出れば終了』と匂わせたのは、つまり『魚が水面に出ない限りこの試しの儀は終わらない』ことを意味するのだとトウカは語る。


「待つのではなく結果を得るための行動を選べるか否か……それが大事なこと。私はこれを理解するのに時間が掛りました」

「……これは真面目な者程思考の迷路に惑うものじゃな。魚が岩に書かれたものと気付いても、その後どうして良いか迷うのが当たり前じゃ」

「お恥ずかしながら私はまさにそれでした。勝手に動かして良いのか分からず、迷った末にライ様と同様訓練開始前に池から引き上げました」


 思考の問題と言うべきそれは、華月神鳴流には不可欠なものなのだという。



「ライよ……察してはおるだろうが、何を意味していたかは分かるか?」

「考える力ですよね? ……師範が言ったのは“ 赤い魚が水から出たら終了 ”ですから。動くな・魔法を使うなとは言ってませんでしたし……」

「うむ。これは武を嗜む者には常識とも言えるのだろうが、戦いというものは常に変化して行くのだ。素手の格闘術、武器、魔法、纏装……全てはより有利に戦い抜く為にもの。よって戦いとは、常に変化に対応をせねばならぬことでもある」


 華月神鳴流は古くから伝わる武術だが、その型は時代に会わせ変化しているのだという。


「基本の型は変わらぬが、どうしても技には欠点などが生まれてくる。それを踏まえて効率化していかねばならん。その為の柔軟な思考を確認したのが今回の修行だ」

「それは理解しましたが……何故に纏装を禁じたんです?」

「それは単に今後の修行の為だ。本来と手順が逆になるが、方針としてはまず“ 天網斬り ”から学ばせる。それが終わるまでは纏装を使わせる訳には行かん」


 纏装は便利だが、天網斬りの修得には妨げになるのだという。


「わかりました。では引き続きお願いします、リクウ師範」

「うむ。では今度こそ真の修行に移る。岩に座れ」

「………は?」

「良いから座れ。それと、この木刀を持つのだ」


 木刀を渡され再び岩に座ることになったライは、不満気ながらも素直に従った。


「良いか? その状態で木刀を構えたまま目を閉じるのだ」

「……はい」

「次は集中! 木刀を腕の延長として感じるまでひたすらに集中せよ。まずはそこからだ。時間制限は設けぬから自分が納得が出来た時は申告する様に」

「わかりました……」


 意識集中を始めたライを確認したリクウ。ゆっくりトウカ達の居る縁側に戻り腰を下した。


「おじ様? お茶はどうですか?」

「ああ。頂こう」


 茶を注ぐトウカから湯飲みを受け取り、リクウは一息吐いた。


「とんな具合じゃ?」

「それはこの先次第だ。この修行は『心刀一体』とも言うべきもの。意識を刃で感じ取れるか否かは個人差がある」

「……お主の予想ではどれ程と考えておるのじゃ?」

「ライは曲がりなりにも死線を潜り抜けて来ているようだからな……纏装が切れた状態での死線も有った筈。ならば、割と早く次の段階まで繋がるかも知れぬな」


 大切なのは肌で世界を感じることなのだ、とリクウは告げた。その為にはあらゆる危険から護られる纏装が邪魔になるのだという。


「感覚さえ掴めば纏装があっても問題はない。が、やはり最初は纏装が邪魔になるだろう」

「具体的に何を目指しているのか分からぬが、とにかく感覚頼りの修得が必要なのかぇ? ならば……」

「出来ました」

「ブハッ!?」


 リクウは思わず茶を吹き出した……。


「ゴホッ……幾らなんでも早すぎる」

「いえ、おじ様……あれ……」


 傍目からはよく分からないが、ライの木刀には妙な圧迫感があった。


「むう……とにかく試すか」


 再びライの元に向かうリクウは、近くで良く観察した末に新たな指示を下す。


「刀に意識を乗せたまま池の水を斬るように木刀を振るのだ。良いか?意識を乗せたままだぞ?」

「はい……」


 ゆっくり振り上げられた木刀は、上段の構えから軽く振り下ろされる。


 池の水は僅かに波を立て揺れるのみだった……。


「……ハァ、ハァ……ど、どうでした?」

「……失敗……という訳でもないな。感覚はそれで正しい。が、今のは振り下ろす瞬間、僅かに意識が散った。斬ろうとする意識が強過ぎたのだろう」

「む……難しいッスね、コレ……。しかも妙に疲れる」

「己の身一つの技だからな。肉体と意識、その集中の先に在るものを束ねる……これはそういう技よ」


 身体の全てを使い世界を……いや、世の全てを斬る。それが天網斬りという奥義だとリクウは告げた。


「天の張り巡らせる決して破れぬ網……それすらも断つのは万物一切を断つこと。故に天網斬り」

「万物……何でも斬れるんですか?」

「理論上はそうだ。良いか? 斬ろうとするのではないぞ? 斬れるのが“ 当たり前 ”なのだ。それを理解したらもう一度だ。今度は私に許可を求めず、自分の感覚で振ってみよ」


 ライの肩を軽く叩き再び縁側に戻るリクウは複雑な表情を浮かべている。


「どんな感じじゃ?」

「恐ろしく勘が良い……やはり纏装が使えない状況まで追い込まれた死線を潜ったのだろうな」


 それはエノフラハでの戦いにてギリギリの状態で生き残った時……。ヤシュロとの戦いで一度魔力切れし掛けた時……。ジゲンとの戦いの最中、突然纏装が使えなくなったまま殴り合いを続けた時……。そして魔王アムドとの戦いの際に己の全てを光る槍に変え、無防備の中振るった時……。


 特にライはアムドとの戦いを思い出していた。


 ただそれは、命を削ると言われた技……天網斬りはそこまで全てを賭けて放つものではないことはライも分かっている様だ。


「やはり凄い集中力ですね……私は初めて訓練に入った際、一度振っただけで力尽きました」

「まあ、肉体のみならば男女の差もあろうからな。だが、あの集中力はやはり異常と言える。……しかし、それでもこの段階を修得するのは数日は掛かるだろうがな」

「そんな簡単に掴めるものなのかぇ?」

「今は飽くまで“ 触り ”だけだからな。だが……通常ならば皆伝した者でも一年以上を要する」


 再び茶を啜るリクウはじっとライの様子を窺っている。


「トウカよ……。ライを見ていてくれるか? 恐らくは奴は……」

「はい。わかりました」

「では、頼んだ」


 リクウは母屋の方に姿を消した。


「……『恐らく』、何じゃ?」


 メトラペトラは自分が質問ばかりであることに歯痒さを感じている様だが、今は聞くことしか出来ないことも理解していた。


「この修行は最終的に疲労で倒れます。肉体は魔人……いえ、半精霊のライ様でも確実に。それ程に集中しつつ体力を使いますから、結果として物凄く空腹になるので……」

「……食料の買い出し、か。リクウも存外面倒見が良いの」

「ウフフ……そうですね。おじ様は何かとライ様を気に入っている様です」


 警戒をしつつもライという人物を理解し始めたリクウ。暴走するような繊細さではなく、何でも飲み込む雑種の様な貪欲さを感じてはいる様だ。



 その後……ライは回数にして八度程木刀を振り下ろし、そのまま岩から崩れ落ちるように倒れた。


 リクウが戻った際、トウカによる膝枕を目撃されたライは疲労困憊の身で追い回されることになる。その後、貪るように食料を頬張り日暮れまで修行を続けた。



 【天網斬り】修得の修行はまだ始まったばかりである。




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