第四部 第六章 第二話 カヅキ道場


 鳳舞城からカヅキ道場へと戻ったライは、スイレンに案内され宛がわれた部屋へと向かう。


 場所は離れにある古びた庵……かつてはドウゲンも滞在した由緒正しい建物とのことだ。


「掃除は済ませてあります。一応戸棚や必需品などは用意しておきましたが、他に必要なものがあれば申し訳ありませんがご自分で用意して下さい。わからないことがあれば父にお願いします」

「ありがとう、スイレンちゃん」

「私は御神楽に戻ります。修業の成功をお祈りしています」

「うん。じゃあ、またね」


 スイレンは小さく頷き、そのまま飛翔して夕闇に消えた。


「………。さて、じゃあ早速……」


 部屋に用意されていた稽古着に着替えようとした途端、“ スターン! ”と音を立て庵の障子が開く。


「………スイレンは?」

「あ、あれ?今帰りましたけど……」


 キッ!とライを睨み付けるリクウ。駆け寄って胸ぐらを掴み力任せに揺さぶった。


「何で私に挨拶して行かない……?」

「お、おお、おれれに言われれてててももも……」

「くっ……!スイレンが冷たいのは、やはり貴様が!」

「ち、ちちががいますす!」

「ならば誰のせいだ?あぁ、コラ?ズビャ!」


 その時……リクウの脳天に炸裂したのは、スイレンの持つ刀。勿論、鞘に納刀したままである。


「お……おぉ。スイレン……。ライ、貴様!スイレンが帰ったなどと謀りおったな!」

「父上……私は帰る途中で忘れ物したと気付いて戻ったんですよ。……それで、父上は何をしているんですか?」

「いや……まあ、何だ。弟子と親睦を深めようとして……」

「因縁を吹っ掛けていた訳じゃな?」


 リクウはゆっくりメトラペトラに視線を向けると、そこには猫が顔を洗っている姿が……。


「チクったな、ニャンコウ!」

「事実じゃろうが!」

「この、畜生め!」

「シャーッ!」

「ぐあぁぁっ!?」


 のたうち回るリクウの額には、久遠国の文字で『残念』と刻まれることとなった。


「………ねえ、スイレンちゃん。メトラ師匠がさ?リクウさんと俺が似てるって言うんだよ……似てないよね?」


 無言でライの顔を見つめたスイレンは、一瞬何かに気付いた様な表情を浮かべ顔を逸らした。


「ね、ねぇ?違うよね?ね?」

「………っ」


 スイレンは顔を合わせようとしない……。


「メトラ師匠……」

「良く見るがよい、ライよ……スイレンは小刻みに震えておるじゃろ?」

「くっ!何だ、この敗北感は……。そ、それより、スイレンちゃん。忘れ物って?」

「そ……そうでした。これを手渡すのを……フヒッ……わた……コホン!渡し忘れていました」

「い、いま“ フヒッ ”て……」

「気のせいです。それは御神楽と連絡出来る魔導具。頭領と繋がりますので御持ち下さい」

「……わ、わかった。ありがとう」

「それでは……フフゥ~ッ……!」


 スイレンはリクウに目もくれず去っていった。


「……。最後まで笑ってましたよ」

「それだけ似とるんじゃろう、此奴と」

「えぇ~……」


 何となく不本意ながらも、ライは取り敢えずリクウの額に回復魔法を使用し治療する。流石に額に『残念』と痕のある師範から教わる気にはならない。


「……………」

「……………」

「……飯に……するか、我が息子よ」

「……息子じゃないですよ」


 実は似た者同士……ライはそんな事実に眩暈を感じながらも、ようやく食事と相成った。


「スゲェ……。何ですか、この御馳走は……」

「何……折角の金づる……門下生が入ったのでな。スイレン……じゃなくて門下生に精を付けて貰おうと……ちっ」

「だからスイレンちゃんを探してたんですか……」


 何となく肩身が狭い夕食……しかし、その資金源はライが渡した千両箱だという事実を忘れてはならない。


「……と、ところで師範。師範はドウゲンさんの友人だったんですね?」

「ああ。まあ、幼馴染みの部類だな。昔は良く遊びに来ていたのだが……」

「だから姫様を預かってるんですか……?」

「まあ……そうなるか。ドウゲン王に聞いたのか?」

「はい。で……何で姫様は食事に来ないんです?」

「たとえ親しかろうと身分が違うのだ。卓を並べる訳には行かぬのだよ」


 不満げな顔をするライにリクウは溜め息を吐いた。


「お前には分からぬかも知れぬが、この国の礼儀をだな……」

「俺、異国人なんで知りませ~ん。姫様何処ですか?」

「話を聞かんか!」

「いいえ!聞こえませんね。一人で食べる食事ってのは毎日続くと美味くないんですよ。あれはただ流し込む作業に近い……師範だってわかるでしょ?」

「しかしな……」

「あ~、あ~、聞こえない~」


 耳を塞ぎ目を閉じたライにリクウは呆れている。


「よし!じゃあ、こうしましょう。姫様が一緒に食べたくないと言うのなら諦めます。だけど、もし一緒の食事を望むなら共に卓を囲むとしましょう。どうです?」

「…………」

「無言は承諾と取ります。で、姫様は?」

「…………」

「なら、自分で捜しますね」


 探知纏装の発動により、姫君の所在はすぐに判明した。


 そこは敷地内にある別宅。姫様らしき気配を確認したが、当然ながらあちらも気付いた様である。


「じゃ!行ってきま~す!」

「おい!」


 止める間も無く食卓を離れたライを、リクウは見送るしかなかった。


「無理矢理に止めなかったということは、お主もそう思っとったということじゃな?」

「……昔はドウゲンも含め卓を囲んだものだった。あの時はルリ殿も健在で……いや、止めておこう」

「つまりは思い出させるのが恐かった、か……。そこがお主とあの痴れ者の違いかのぅ。ライは気遣いはするが一応は正面から当たるぞよ?」

「異国人ならではの行動か……」

「いや、あれは奴だけよな。駄目なら謝罪して諦めるじゃろうが、恐らくは……」



 一方、別宅に向かったライはその屋敷の立派な造りに呆れていた。


「ある意味小さい城じゃん……そりゃあ敷居が高いわな」


 しかし、動き出したら止まらない漢……『空気読まない勇者さん』は、平然と屋敷の扉を叩く。


「はい。どちら様でしょう?」


 中から現れたのは十五、六歳程のうら若き娘。前髪を瞼の辺りで揃え黒髪を後頭部で束ねた、薄桃の着物と紺の袴姿の少女。

 ドウゲン王に良く似た柔らかな眼差し。どことなく不知火領主の妻・スズにも似ている。


「今日からカヅキ道場でお世話になります、ライと言います。ご挨拶に参りました。ところで……食事はお済みですか?」

「いえ……。まだですが……」

「では、一緒に食べませんか?同じ敷地に居て別々なんて変だと思うのですが……」


 その言葉を聞いた姫君はパッと明るい表情を見せたが、慌ててそれを隠そうとしたのをライは見逃さない。


「しかし、私がいるとご迷惑を……」

「はい?何でそんなことになるんです?」

「いえ……あの、リクウ様が私を避けているみたいで……」

「……。あの野郎……さては自分でやってて分かってないな?」

「違うのでしょうか?」

「間違いなく違いますね。直接聞けばわかりますよ」


 姫の手を取りリクウの元に向かう意思を見せたライは、酷く不機嫌な顔をしている。それに気付いたからかは分からない。だが、姫は少しばかりの抵抗を見せた。


「あ……ス、スミマセン。強引でした」

「いえ……そうではなく、私はまだ自己紹介していなかったので……」

「あ……し、失礼しました。では、改めて俺から。ライ・フェンリーヴと言います。ペトランズ大陸の勇者……なんですが、流れ流れてディルナーチに来ることになりました。縁あって貴女のお父上にも会ってきましたよ?」

「まあ。私はサクラヅキ・トウカと申します。身の上は……ご存知とあらば省かせて頂きます」

「それじゃあ確かめに行きましょうか?」

「……はい」


 まだ不安げなトウカを連れカヅキ家の母屋に向かうと、リクウが複雑な表情で待っていた……。


(成る程……こりゃあ誤解する顔だな……)


 その様子に流石にイラッときたライは、素早くリクウに近付き両頬を力強くつねる。


「はい駄目~……何です、この顔は?はい、笑顔笑顔!」

「ぐっ……!ひはま!ひはんにふかっへ……」

「まだ何も教わってないですよ?だから、まだ対等で~す。大体、女の子落ち込ませて気付かない様な師なんて要らんわ!さあ……?どうします?」

「…………わはっは」

「………。プフッ!」


 ライはリクウから手を離すと素早く背中を向けた。傍に居たメトラペトラに何やら耳打ちした後、揃ってクスクスと笑い出す。時折チラ見する姿がリクウの苛立たしさを増大させた。


「くっ……!」


 リクウはライの態度に苛立ちながらも深呼吸をし、落ち着くことに努める。


「姫様……」

「はい、スト~ップ!?昔は何て呼んでたんです?ホラ、やり直して」

「ぐっ…………ト、トウカよ」

「リクウ様……いえ、リクウおじ様。私は……ご迷惑ですか?」


 煮え切らないリクウに先んじたのはトウカである。不安ながらも、決意を持った眼差しを向けていた。


「……そんな訳無かろう」

「ですが、昔みたいになれないのは私のせいではないのですか?」

「違う……。私は……」


 再びの沈黙。見兼ねたメトラペトラが盛大な溜め息を吐く。


「やれやれじゃのう……トウカとやらよ。リクウはお主が昔を思い出して悲しむのが恐かったんじゃよ。この家は思い出の場所でもあるのじゃろ?」

「……はい。でも、それは大切な思い出であって悲しい思い出ではありません。私は……避けられるほうがずっと辛い……」


 その言葉を聞いたリクウは己の過ちに気付き拳を握る。


「………済まなかった。恐かったのだ、私は。トウカにはあの楽しかった過去を思い出して悲しまれたく無かった」

「リクウおじ様……」

「何より、成長したトウカにどう接すれば良いか分からなかったのだ……嫌われるのが恐かった」

「そんなことはありません。私はおじ様を大好きなままですよ?師匠でもある尊敬している方を、どうして嫌いになれましょうか?」

「ああ……ありがとう」


 互いを思いやるが故の行き違い……そんな心の壁は、少しの勇気で言葉を交わせばすぐに取り払えることをライは知っている。



 ライは久々に故郷の父の言葉を思い出していた──。



『昔、仲良かった奴がいてな?些細な行き違いで気不味いままになって、そのまま袂を別った。でも父さん……納得行かなくてな?そいつに会いに行って聞いたんだ……。


【貸した金は何時返すんだ?】


 ってな?それから三日三晩、ソイツと戦い続けて借金を取り返した。友人との金銭貸し借りには気を付けるんだぞ?』


 思い出したのは『父の教え語録・【金と友情】』の項目だった……。


 因みに、母の話では取り返したのは金ではなく『装備を奪い売り飛ばした』のが正しいらしい。装備を奪われた友人は新たな装備購入の為に始めた商売が成功。商人になり、後に貴族の娘と婚姻を果たしたというのが後日談だ。

 ……一応、今でも友情は続いているとのことだった。


「ん……?どうしたんじゃ、ライ?涙なんぞ流してからに?そんなに感動したのかぇ?」

「い、いえ……。友情と金についてちょっと……」

「それ、今関係あるのかのぅ?」

「いいえ、全く……」


 ライが思い出す言葉を間違えるのは良くあることだが、目の前のトウカとリクウを見ていて父が恥ずかしくなったのは秘密である。


「は、はい!ともかく!誤解が解けたなら、食事にしましょう!」

「ライ様……」

「い、いやぁ……やっぱり皆で食べたほうが美味しいですよねぇ?ね?ね?」


 チラチラとリクウを確めるライは、内心やっちまったことに困っていた。

 横柄な態度でリクウを嗜めたことは後悔していない……してはいないが、修業出来なくなるのは困る。


「………まあ良い。一つ借りとしておこう」

「師範、あざぁッス!」

「だが!貴様は【冥府魔道コース】は確定だ!ホレ、どうした?早く食わんと体力が持たんぞ?」

「まあ自業自得じゃな……」

「くっ!何て世知辛ぇんだ……」


 一つの蟠りが解けた代償に、勇者は【冥府魔道コース】という不穏な響きの修業をすることに……。

 だが、問題など無い。どうせ【冥府魔道コース】になることは決まっていた様なものだから。



 カヅキ道場での修業……その第一歩は人間関係から。ライらしいと言えばライらしいものと言えよう。



「それでは明日、早朝より修業を始める。といってもお前は基礎体力は足りているのだろう。技術に重きを置いての修業となる」

「はい。お願いします」

「……ライよ。お前は何の為に強くあろうとする?」

「自分でも良くわかりません。でも……この掌から大事なものを溢さずに済むなら、強くなるべきかなって……」

「……まあ良い。いずれその覚悟もわかるだろう」


 食事も終わりライ達が離れに帰った後、リクウに近付いたトウカは素朴な疑問を投げ掛けた。


「ライ様は悪い方では無いと思うのですが……何故、警戒を?」

「……やはりトウカには見抜かれていたか。確かにあの者は善良かも知れん。が、何か違和感が拭えぬ」

「違和感ですか?」

「説明するのは少し難しいな……」


 無言で考え込むリクウ。やがてある人物の名を上げる。


「トウカはイスルギ・タモンを覚えているか?」

「……はい。忘れようがありません。あの方はリクウおじ様の……」

「うむ。私の弟子の中では一、二を争う使い手だった」


 久遠国に暮らす者に於いて、イスルギ・タモンを知らぬ者は殆どいない。

 人望厚く、人を慈しみ、自らの犠牲すら顧みず弱き者に手を差し伸べる心優しき者。


 そして、ドウゲン王の腹心だった男──。


 だが……イスルギ・タモンは暴走した。より人を救う為に、王の地位を欲したのだ。

 それは確かに私利私欲では無かったのだろう。だが、正しき意思と正しいと思う行動が必ずしも合致するとは限らない。


 結果──イスルギ・タモンは国を乱す謀反人として、師であるリクウに討ち果たされたのである。


「私はタモンの危うさに気付けなかった。奴の正しさを過信していたのだ」

「ライ様がタモン様と同じとお思いなんですか……?」

「わからん。が、近い違和感がある。何というか……二人の人間を同時に相手している様な……そんな印象が」

「本心を隠している……と?」

「本性を、だな。それが善か悪かも分からぬ。だが、スイレンの話を聞く限りでは暴走する者とも思えぬ。そんな危険な者をラカン様が放置するとは思えぬからな」

「………わかりました。少し話を窺って参ります。その上で私は私としての接し方を決めます」

「待て、トウカ!ま……」


 トウカは制止も聞かずにライの元に向かう。リクウは溜め息を吐くしかない。


「元気になったは良いが、お転婆に戻っていないことを祈るしかない……か」


 話をしようと庵に向かったトウカだが、そこにライの姿はない。感知纏装を使用したトウカは、道場側にライの気配を見付け出した。


 向かった先には道場の縁側。そこには横たわったライの姿があった……。


「ライ様……。お話が……」


 声を掛けようと近付いたトウカは、ライのその姿に息を飲む。


 半精霊体──肌が変化し紋章が服の隙間から紅く輝いている。トウカはそれを美しいと感じていた……。


「……何用じゃ、娘」

「えっ……?」


 その声は男のものではなく、女のものである。

 目を凝らせば、ライの傍らには黒猫が暗闇へ溶け込む様に座っていた。


「あなたは大聖霊様だったのですね?お話は窺いました」

「そうか。で、何用じゃ?」

「あ、あの……少しライ様とお話をしようと……」


 しかし、ライはどう見ても眠っている様に見える。


「ここに着くまで色々あったからの。まだ疲れが抜け切らぬのじゃろう。寝かしてやれ」

「はい。……失礼かもしれませんが、ライ様のそのお姿は?」

「半精霊体……。眠ると時折この姿に変化してしまう様じゃな」

「……ライ様は魔人ではないのですね?」

「うむ。元は人間……その後魔人となり、今や半精霊じゃ……」

「何故その様なことになったのかお聞きしても?」

「聞いてどうする?」

「それは……」


 トウカは答えに詰まる。それはライにとって知られたくないことかも知れない。だが……それでもトウカは知りたかった。


「興味本位では無いとしか……。申し訳ありません」

「………まあ良い。では近こう寄れ」

「はい」


 メトラペトラを挟みライの反対側に腰を下ろしたトウカ。メトラペトラは飛翔し自らとトウカの額を重ねた。


「ワシの知る分だけじゃが此奴を見せてやる。良いか……?」

「はい。ありがとうこざいます」


 トウカの脳内に流れる映像……そこに映るライは、気さくで、無鉄砲で、冷酷で、脆い……。そんな青年だった。


「…………」

「どうしたんじゃ?」

「いえ……その……」


 言葉にすることの出来ない感情──。恐怖?羨望?好意?親愛?哀愁?同情?トウカ自身が自らの気持ちに混乱を起こす程、ライの生き様はトウカから縁遠いものだった。


「何故ライ様はこんな……」

「不器用なのか……か。ワシにも……いや、此奴自身にも良く分かっておらんようじゃな。少なくとも此奴の行動は幼少期からの環境で得たものではないじゃろう」

「………では一体?」

「さての……前世か、はたまた勇者バベルの血の因果か」


 リクウが感じた違和感はまさにそれなのだろう。本人すら分からない渇望のような行動。


 だが……。


「ワシはのぅ?もう此奴と別れることは出来んじゃろう。生まれて十万年以上……ワシを家族と呼んだのは此奴だけじゃ。一時的な別れならまだしも、長らく別れることはもう考えられん」

「……………」

「他にも似たような考えの者も居るようじゃしな?たとえ此奴が何であれ、ワシはライの身内じゃ。こんな話をすればライが図に乗るから内緒じゃぞ?」

「はい……わかりました」


 メトラペトラの記憶にあるライは、トウカの中にあるイスルギ・タモンの記憶とはあまりに違う。

 例えるなら、イスルギはより効率的な方法を探し人を救おうとする『政治家』。対してライは、関わった者を傷付けさせない為に自らを盾とする『守護者』の様な行動を取る。


 決定的な違いは、救う対象に優先度があること。基本多くを守ろうとするのはイスルギと同じ思考だが、ライは身内と認定した者の為ならばその他を切り捨てる覚悟がある。


 より人間的なのはどちらかなど明白なことだった……。


「……この方は、身内の定義が大きいのですね。だからそれらを護れる様に力を求め、時に力を貸すことに尽力する。だから私も救われた」

「……そうじゃな。基本は誰も彼も身内にしようとしているのやも知れん。難儀なことよな」



 目の前で寝息を立てる異国人の青年は、トウカには随分と幼く見えた。





 そんな会話のしばし後──。


 ライは柔らかな感触で夢見心地から引き戻される。以前も似たようなことがあった為、尚のこと幸せそうだ。


「うぅん……幸せ……」

「…………」

「ん?しあ……わせ?」

「ライよ……そろそろ起きよ。トウカも付き合う必要は無いのじゃぞ?」

「いえ。私がしたくてやっているので……」

「………ま、まさか?」


 ゆっくり目を開き視線を上に向けると、そこにはトウカの微笑んだ顔が……。


「お目覚めですか?」

「あわわわわ!す、スンマセンした~!」


 跳び跳ねるようにトウカから離れ、縁側に膝をつき腕を真っ直ぐ伸ばす。額を縁側に着けたその姿。

 そう──それはライの最終兵器『ドゲザ・オブ・ドゲザ』であった。


「私が勝手にやったことですから、そんなことをなさらないで頂けませんか?」

「……へっ?で、でも姫様に失礼なことを……」

「姫様は止めてください。今、カヅキの道場に居るのは王家の姫ではなく『サクラヅキ・トウカ』という一人の娘。それは、先程あなたがリクウ叔父様に示してくれたではありませんか」


 ゆっくりと身体を起こしたライは、まだ恐る恐るといった体である。


「………わかりました。しかし!何か失礼なことしませんでしたか?」

「ワシが知る限りでは『ぐへへ、最高』という寝言と、無意識にトウカの尻を撫で回した辺りかの?」

「うわぁぁぁ~っ!?ごめんなさい!?ごめんなさいぃぃぃ!? 」

「いえ……お尻は撫でられていませんが……」

「……………」


 視線を向けたライに反応し、ほぼ同時に明後日の方角に顔を向けるメトラペトラ。


「くっ……!この嘘吐きニャンコめ……」

「嘘じゃないもん!本当だもん!」

「………ほ、本当?」


 やはり自信の無いライは、再度トウカに確認の視線を向ける。


「嘘ですよ?お尻『は』触られていません」

「お尻『は』?『は』?って一体……ね、ねぇ、トウカさん?」

「さあ。もうお休みしましょう。明日は早いですよ?」

「そうじゃな……トウカちゃん、一緒に寝ても良い?」

「そうですね、メトラちゃん。今日は一緒に寝ましょうか」


 そそくさと立ち上り去って行くトウカとメトラペトラ。ライは手をニキニギしながら見送るしかない……。


「くっ!俺はトウカさんに一体何を……」

「ほう?貴様はトウカに何かしたのか?」

「お、お父ちゃん!」

「誰がお父ちゃんだ、誰が……それより貴様。トウカに何かしたのか?もし何か良からぬことをしたならば……」

「いや!してない!筈!多分!」

「フッフッフ……冥府魔道。楽しみだなぁ~?」

「お父ちゃん!お父ちゃ━━━ん!?」


 カヅキ道場の庭先に残されたライは、呆然と遠くの桜を見つめ佇んでいた……。



 翌日。いよいよライの修業が始まる──。



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