第四部 第五章 第十三話 宝鳴海の角笛
カジーム国を離れたライ達は現在、海王の背に乗りペトランズ大陸南の海域──【宝鳴海】を移動している。
目指すはディルナーチ大陸・久遠国不知火……不知火はリルにとって新しい家、ということになるのだろう。
「リル~。疲れないか~?」
「リル!へいき!」
「早く帰りたいかも知れないけど、無理はすんなよ~」
「うん!しない!」
流石は『王』の名を冠するだけあって、海王は相当の速さで移動をしている。メトラペトラの話では、それでもリルは生態系を壊さないよう速度を抑えているとのことだった……。
全力で泳いだらどんな災害になるのか……ライは少しばかり不安になった。
「この辺って宝鳴海ですよね……?」
「うむ。懐かしい……という程時も経っとらんな。じゃが、お主と出逢った運命の場所でもある」
「沈めちゃいましたけどね……運命の場所」
「……………」
メトラペトラが封印されていた魔石採掘場は、ライの放った技で大崩落を起こし海に沈んだ。今や海面には跡形もない。
「と、ともかくじゃ!この速さなら今日中には久遠国に戻れるじゃろう」
「あっちに戻ったら海王の居場所ってすぐに見つかりますかね?」
「ふむ……あの辺はわりと広く深いから大丈夫じゃろう。神羅国側にも海王は信仰されてた筈じゃから、魔の海域の様なことにはなるまいて」
「信仰……リルは神様扱いですか」
「ディルナーチの連中は何でも信仰するんじゃよ。長く存在する自然物、長寿の魔物、精霊、古き先祖も祀る。確かラカンも奉られておったのぅ」
「じゃあ、古い刀とかも祀ってるんですか?」
「うむ。面白い例として、仮面なども祀ってる場所もあるぞよ?」
「へ……へぇ~……」
万物に神が宿る……そんなディルナーチの思想は良く分からないが、神様の背に乗っているのは罰当たりかな?などと思いつつライは潮風を受けている。
「じゃあ、これもそんな部類ですかね?」
「チャクラのことか?それは神が宿ったのではなく、神の魂の分離じゃな。お主の分身が独立した様なモンじゃよ」
「成る程……何となくは分かりました。骨ニャン」
「ハッハッハ。骨ニャンか………骨ニャ~ン……スラッシュ!!」
「ギャアァァ~!?」
少しでも慣れる為、カジームを出発してすぐにチャクラの研鑽を始めたライ。しかし、相変わらず調整が利かないらしくメトラペトラを骨まで透視してしまっている。
常に修業──。ライをライたらしめる行為とも言えるのだが、チャクラを使い熟すにはまだ時間が掛かりそうだ。
「宝鳴海と言えば天使の伝承がありましたけど、アレ本当なんですか?」
「ん……?『天魔争乱』の時の堕天使が……というヤツかの?」
「はい。本当なら宝具……つまり神具が鳴ってることになりますよね?」
天魔争乱の際、神に逆らった天使は天界への帰参が叶わなかったと伝わっている。
宝鳴海には時折角笛の様な音が鳴り響くと言われていたが、それは帰参の叶わなかった天使が天界への門を開く為に宝具を鳴らしているのだという“ おとぎ話 ”が伝えられていた。
「お主、クローダーの記憶持っとるんじゃろ?それを調べりゃ分かるじゃろ……」
「あれはですね……ちょっとキツくて……」
「まあ、想像は付くがの……」
ライの持っているのは『元・大聖霊クローダー』が管理している記録情報である。それはロウド世界構築後、十万年という膨大なものだ。
「あれはクローダー視点だけですからまだギリギリでしたけど、クローダーの『管理記憶』まで見たら確実に脳が壊れますよ」
「当のクローダーですらあの様じゃからのう……。流石に無理じゃったか」
「少なくとも今の俺じゃ狙った情報を見れませんね」
クローダーが自らの中に保存している『管理記憶』は、それこそロウド世界全ての情報。いつ如何なる場所のあらゆる環境や生態系、そこに存在する生物の生涯に至るまで全てを今も記憶し続けている。
それは、概念として『記録』を課せられたクローダーの記憶領域を持ってしても意識が維持出来ない程のもの。圧縮され保存されているが、クローダー以外が迂闊に手を出せば間違いなく脳が破壊されるだろう。
「もっとも……お主がそれを見ることが出来た場合、ワシは御役御免じゃろうがの」
「何言ってんですか……?メトラ師匠は俺の家族も同然。手放す訳ないでしょ?」
「………ワシが嫌じゃと言ってもかぇ?」
「その時は……こうしてやる!」
「ちょ……止めんか!やめ……あっ……あぁ~!!」
既に把握しているポイントを的確に攻めるライ……メトラペトラはグッタリしている。
「ハァ……ハァ……クッ……この…テクニシャンめ……」
「次同じこと言ったら、もっとスゴいの食らわしますよ?……そんなことより、天使の話です」
メトラペトラはフラフラと立ち上がり、胡座をかいているライの膝上で丸くなった。
「フゥ~……天使の話は恐らくガセじゃろう。天界への帰参が叶わなかったのは事実とはいえ、それは覚悟の上じゃった筈。ライよ……堕天した者はどうなったか知っておるかぇ?」
「いえ……御伽話にもありませんでしたね。一体何処へ……?」
「地上に降りた天使──所謂、天魔や堕天使と呼ばれる者達はそのまま地に根付いた。堕天した者は翼と髪が黒く染まる。人と同じものを食し、大地の魔力影響を受けるかららしいがの」
「それじゃエクレトルは……?」
「良く分からんが、土地に何か施してあるんじゃろう。それに、今いる殆どの天使は云わば『人と天使の混合体』じゃ。影響を受けない筈じゃぞ」
メトラペトラの推測通り、神聖機構上層部には天界と同じ結界が張ってある。加えて純天使は、地の魔力で肉体変化を受けない神具を身に付けている。
それ以外の天使は混血種。地の魔力も取り込める代わりに、魔力体ではなく肉体が固定されている存在だ。
「ともかく……堕天使はやがて肉体までも人と同様に変化し、人と共に暮らし国を創った」
「……じゃあ、子孫がいるってこと?」
「うむ……じゃが、激減してしまったじゃろうな」
「何で……災害か何かですか?」
メトラペトラは丸まったまま深い溜め息を吐く。
「堕天使が創った国……その内の一つの国名は『ニルトハイム』。魔王アムド・イステンティクスに因って、少し前に『消滅』させられた国じゃ」
「消滅……」
「今は水が流れ込み只の湖になっているらしいの……が、助かった者がいてもごく僅かじゃろう。……そう言えば魔王討伐隊の中にはニルトハイムの公女がいたらしいのじゃが、お主見なかったかぇ?」
「……いえ、わかりませんでした」
魔王との戦いの場にて、ライはその視界にニルトハイム大公女クリスティーナを捉えていた。だが、精霊融合憑依により髪の色が変化していた為それと気付いていない。
「ニルトハイム以外にも散ったらしいから何処かに子孫は居る筈じゃがな。……ともかく、堕天使が帰参を願い続けて笛を吹き続けることは有るまいよ」
「……………」
思わぬ歴史に触れたことより多大な犠牲を知り呆然とするライ……。魔王アムドと戦ったあの時、実は僅かに攻撃が鈍ったのだ。
それは魔王アムドが何か信念を持っていたことに加え、《魔人転生》による精神異常が見当たらなかった為でもある。
(失敗だった……意地でも止めを刺すべきだったな……。クソッ)
実際は限界に達していた為、恐らくは無理だっただろう。だが後悔せずにいられないライを見たメトラペトラは、それを察したのか再び溜め息を吐く。
「どうして会ったこともない者にまで心を砕く?」
「……自分でもわかりません。勇者だから……じゃ駄目ですかね?」
「勇者と言えど人じゃ。そこまでにはならぬのが普通じゃよ」
「スミマセン。いつか自分の中でハッキリしたら、必ず話しますから」
「………やれやれ。では気長に待つとするかの。で、話は戻るが……」
とその時、唐突に聴こえ始めた音に会話が途切れる。
「これは……聴こえましたか、メトラ師匠?」
「うむ……低く響く、まさに角笛の如しじゃ。じゃが、一体何じゃ……?こんな何もない場所に何が音を生み出しておる?」
リルを呼び戻し警戒を始めたライとメトラペトラ。だが、リルはライに抱き付き楽しそうに笑う。
「おふね!きた!」
「おふね?……船が鳴らしてるのか、コレ?」
「うん!ほね!おふね!」
「ほね?……骨ニャンの仕業?」
「骨ニャンに見えるのはお主だけじゃ!大体、今はリルも骨に見えるじゃろ?」
「いえ……師匠だけです」
「ニャンじゃ、そりゃあ~!? 」
響く音がに対抗するが如く叫ぶメトラペトラ。しかし、角笛の様な音は益々大きくなってゆく。
「船なんて見当たらないのぅ……一体何じゃ?」
「おふね!きた!」
「いや、じゃから見当たら……」
突然視界が揺らぎ霧に包まれた海王周辺。やがて霧の中から巨大な船が現れた。
「………船じゃな」
「………船ですね」
「……あの船、相当古い様に見えるが一体何処から」
「………あ、誰かいますよ?」
ボロボロのガレオン船……甲板から手を振る人影を確認したライは、その姿に唖然とする。
「骨だ……骨が手を振ってますよ」
「お主、チャクラを解け。ちゃんと見れば………うぉう、骨じゃとぉ~っ?」
そう。手を振っているのは人骨である。しかし身なりはしっかりしたもので、どうやら海賊らしいことが窺えた。
「リル……知り合い?」
「ともだち!」
「流石は海王様。随分と変わった友達をお持ちで……」
骸骨は何やら手招きしている様に見える。怪しさ全開だった。
「ど、どうします?師匠……」
「折角のお招きじゃ。行ってやろうではないか……なぁに、いざとなれば消し飛ばせば済む話よ」
「いやいやいやいや……リルのお友達消し飛ばしちゃ駄目ですよ。と、ともかく、行きますか」
リルを抱えガレオン船に飛翔した一行は、上空から船の様子を注意深く観察する。
甲板は小綺麗になっていて他に人影は無い。ボロボロに見えるが穴などは開いておらず、古いながらも装飾は実に見事なものだった。
但し、帆は穴だらけ。これでどうやって航行しているのか疑問が湧く程だった。
そして甲板に到着した勇者一行は、眼前に佇む骸骨との接触を図る。
「こんにちは。お招き頂いたみたいで恐縮です。貴方がこの船の船長さんですか?」
会話が出来るかすら分からないが一応挨拶するライに、メトラペトラは半ば呆れている。
「骨にまで挨拶か……お主の物怖じしなさは最早世界一かも知れんのぉ……」
「それを言うならリルのが上でしょう?お友達らしいですし……」
そんなやり取りを見ていた骸骨はカラカラと音をたて笑った。
『ハハハハハ。いやぁ……驚いた。まさか恐がらないで貰えるとは思わなかったよ。よかった~』
それは念話だとすぐに分かった。
見た目の迫力と違い随分と腰の低い骸骨。だが、意思疎通が可能と判った以上、ライには躊躇いう必要が無くなった。
「会話が出来るなら問題ないですね。私はライ・フェンリーヴと言います。一応、勇者です」
『これはご丁寧に……私はピアスレット・ラクタス。どうかピアスと呼んで欲しい』
「わかりました、ピアスさん。俺のことはライと呼び捨てで構いません。こちらは大聖霊メトラペトラと、海王のリル」
『ええ。海王さんは存じてるよ。こんな姿故か海王さんとは会話が出来たから千年近くの古い友人とも言えるね』
ということは、この船は千年近くの間海を漂っていることになる。“ そりゃあ骨になるわな ”と思わずにはいられないメトラペトラ。
「それで……ピアスさんは、その……」
『ハッハッハ。遠慮しないで。御察しの通り私は骸骨だよ。元は人間だけど、ある目的の為に己に呪いを掛けた。皆さんを御呼びしたのはお願いがあってのこと。まあ、立ち話も何だしお茶でも……おっと、茶葉は三百年前に切れてたっけ』
「……お、お気遣い無く~」
もし茶葉があっても古くて飲めたものでは無いだろう。寧ろ無くて良かったと安堵するしかない。
移動した先は甲板に備え付けられたテーブルと椅子。恐らくピアスレットが茶を楽しむ為に設置したと考えられるそれは、一応手入れはされていて使用は可能の様だ。
「ピアスさんは酒いけるクチですか?」
『うん……だけど、随分前に切れてしまって……』
「師匠……お願いします」
「仕方無いのぉ」
『鈴型収納庫』から取り出したグラスに酒を注ぎ前に差し出すと、ピアスレットは実に嬉しそうな声をあげた。
鼻で匂いを楽しみ、色を楽しみ、一口含むピアスレット。鼻も無く、目も無く、舌もないことは敢えて突っ込まない。
『うまい!いやぁ……骨身に沁みるなぁ……』
口に含んだ端から零れ落ちる酒。骨である以上当然のお約束といえる。
「くっ……何処から突っ込むべきじゃ?骨だけに骨身に沁みるトコか?零れとる酒のトコか?」
「師匠……突っ込まない優しさもありますからね?」
「む……ならば、良いか」
ライとの旅を続けた故か随分と適当さが身に付いたメトラペトラは、自分も酒を煽り始めた。
「それで、お願いというのは……」
『ああ!ごめん!久々に話が出来る嬉しさでつい……。実は、私は貴族の出身でね……』
ピアスレットは自らの出自とこれまでの経緯を語り始めた。
ピアスレット・ラクタスはアステ国の元となった小国『オルグンド』の貴族だったという。
貴族の放蕩息子だったピアスレットは、海に憧れ船を造りそのまま商人紛いのことをしながら生活をしていた。
因みに、海賊の格好はピアスレットの趣味だと明らかになった。
『ある時、突然世界に巨大な火の玉が降ってね。人間には何が起こったのかわからなかったけど、あれが【神の裁き】だと後に聞いた時は妙に納得したよ』
「納得した……?」
『うん。当時、世界は『魔法王国クレミラ』が支配していたんだ。オルグンドも含めて全てね。随分と発展した世界ではあったけど、あれ程酷い世界も無かったんじゃないかな……』
過酷な奴隷制度、魔法研究による無秩序な資源の搾取と大地の魔力涸渇、絶対王政の階級社会……。だからピアスレットは敢えて大地を離れたのだと言った。
『今は違うけど、当時この船には魔法技術は使わなかった。でも、楽しかったよ……。今みたいに魔力に溢れていなかった時代は、正に自然イコール環境との戦いだったから。そのお陰で【神の裁き】から助かったのは偶然か必然か分からないけどね』
【神の裁き】により多くの国が滅んだという。その際、魔法王国では王の実兄による反乱が起こった。
やがて追い込まれた王の兄は、秘かに編み出していた術 《魔人転生》を自らに使用し魔人化……王と対峙した。
それが魔法王国の崩壊に繋がったのだとピアスレットは語った。
『でも、神の裁きは止まなくてね……そこに天使達が救いの手を差し伸べてくれたんだよ』
「……………」
魔王アムド・イステンティクスの意図は今となっては確認しようが無い。ロウド世界や人々の為か、只の権力争いなのかも分からない。
だが……確かなのは、ニルトハイムを滅ぼしたのは魔王アムドである。経緯がどうあれ赦す訳には行かない。何より、ライの『身内』に類が及ぶのだけは避けねばならないのだ。
「……師匠。魔法王国の王ってそんな奴だったんですか?」
「いや……。最後の王・イフェルコーデは世界を憂い新しき技術を生み出そうとしていた筈じゃ。それを奪おうとしたのがアムド……腐敗していた元老院まで抱き込んで、内乱に繋がった」
「……じゃあ、王じゃなく政治が腐敗していたってこと?」
「イフェルコーデは奴隷制度や階級世襲を排除したがっておったからの……。どのみち魔法王国の崩壊は止められなんだろうが、奴は賢王じゃったとワシは今でも思っておるよ」
千年前の確執──今は確かめようもない。
『まあ、そんなこんなで天使が我々を助けてくれたんだ。身を呈してまで助けてくれたことを今でも感謝しているよ。彼等が天に帰れなくなったことが本当に申し訳無くてね……』
「で……それの何がお主の頼みに繋がるんじゃ?」
『お願いがあるのは、その【堕天使】のことなんだ。一緒に来てくれるかい?』
立ち上がったピアスレットは船内へと歩き出す。ライ達は後に続き船を観察する様に移動した。
「ピアスさん。他に誰も居ないんですか……?」
『乗組員は世界が落ち着いた後、陸での暮らしを選んだ。ここに居るのは私と【彼女】だけだよ』
「【彼女】?奥さんですか……?」
『そうだと良かったんだけどね……。私の想いは実ることは無かった。だけど、今まで傍に居られただけで十分さ』
薄暗い船室の先……恐らく船長室に当たる場所。そこには美しい花が飾られた棺が一つ置かれている。
部屋の中にはステンドグラスで出来た明かり窓が備え付けられ、神聖的な雰囲気に包まれていた。
そして棺に近付いたピアスレットがゆっくりと棺の蓋を開く。
ライの頭上から飛翔し中を除きこんだメトラペトラは、思わず驚愕の声を上げる。
「こ……これは!堕天使かぇ?じ、じゃが、こんな完全な形で……」
『……神の裁きから私を護ってくれたのは彼女。だけど……やがて傷付き疲弊を始め眠りに就いた』
「生きて……いるんですか?」
『うん。彼女の持っていた神具の中には【生命の時を止める】ものが有った。私がそれを使ってこんな風に……』
メトラペトラの見解では、僅かに人に傾いた時点で時を止めているらしい『ほぼ堕天使状態』とのこと。神具は周囲の花にも影響を与え、花は枯れることなく棺を飾っている様だ。
『彼女は恩人……だけど、私はただ一緒にいることしか出来なかった。海王さんと共にいるあなた方ならば彼女を救えないかな?』
「しかし……ピアスさんはそれで良いんですか?救っても一緒に居られるとは限りませんよ?」
『良いんだ。私はもう充分だから』
「……………」
報われない恋──そんな言葉がライの頭に過る。きっと堕天使はピアスレットの気持ちなど知らないだろう。
そんなピアスレットは、ずっと堕天使を救う術を探していたのだろう。
「この海域で、ずっと探していたんですか?【彼女】を救える人を……」
『初めは世界中を探したよ。でも、世界は無茶苦茶になっていたからね。後に堕天使の国の噂を聞いて訪れたんだけど、彼らはもう力を失い人になっていた。その智識でも分からないって言われたんだ。それからは私も寿命が気になって、神具で自らに呪いを掛けた。目的を果たすまで死ねない呪いをね』
「それは……彼女が助かったら消えるってことですか?」
『そう……なるね。でも、救う為にそれを選んだ。君は……私を笑うかい?』
「笑いませんよ……。笑える訳無いじゃないですか……」
『ありがとう……』
視線をメトラペトラに向けたライが口を開こうとしたのに先んじ、拒絶の言葉が響く。
「駄目じゃ。死人は生き返らせてはならぬ。それは曲げてはならぬ鉄則じゃぞ?」
「でも……なら魂を何かに移し代えて……」
「神具による呪いというならば、解けた途端に魂は天に還る筈じゃ。例え移し代えてもの?」
「そんな……」
「それに、ピアスレットのことを考えるならば魂の循環に戻してやるべきじゃよ。千年の孤独は長い……解放し輪廻すれば何れ『魂の伴侶』に出会えるかも知れぬからの」
「彼女は……違うんですか?」
「純天使は神が造りし存在。魂は人のそれとはまた違う。いつかこの堕天使が魂の循環に加われば別じゃがの」
永き時の先に魂が混じり合うこともある……メトラペトラはそう呟くと無言になった。
『良いんだよ、ライ……半分はね?恩返しだったんだ。本当に彼女と一緒に居続けたければ君達に声は掛けないさ』
「……この海域の角笛はピアスさんが?」
『ああ。ある程度の力がある人にだけ聴こえる魔導具なんだって。昔知り合った魔術師から貰ったんだ。聴こえた人なら力があるから彼女を救える可能性もあるって』
「船を隠してたのは……?」
『骸骨にこの船だからね。皆逃げるんだ。だから笛が聴こえた人にだけ姿を見せる。聴こえた人達は話を聞いてくれたし噂も流してくれた……そうそう。昔会った勇者は【あと三百年待てば救う奴が現れる】なんて言ってたけど本当だったね』
「それってバベル……ですか?」
『そっか……知り合い、にしては昔過ぎるな。有名な勇者かい?』
「一応、俺の先祖らしいです」
『ハハハ。縁は奇なもの、だな。……ライ。引き受けてくれないか?』
複雑な心境が渦巻く中、リルに視線を向けその頭を撫でる。リルは笑顔を向けていた。
「ピアスさん……骸骨さんとお別れになるけど、平気か?」
「だいじょうぶ!ライ!ほね、たすける?」
「……うん。助けような」
スッと立ち上り目元を拭ったライはピアスレットに笑顔を向けた。
「分かりました。彼女は必ず救います」
『ありがとう』
「じゃあ……師匠。どうしたら良いですかね?」
飛翔しライの頭に乗ったメトラペトラは、肉球で優しく頭を叩く。
「折角じゃ。そのチャクラを使ってみよ」
「え……でも、まだ……」
「お主は誰かの為なら力を増す。大丈夫じゃ。ワシが支える」
「分かりました」
ピアスレットは神具の発動を停止し堕天使の時間を解放した──。
「良いか?まず堕天使の身体に異常を探す。エイルの時と同じじゃ」
「はい。……見付けました」
「恐らく疲弊は魔力枯渇に因るもの。底が抜けた状態を治せば、やがて魔力に満たされ自然に目覚めるじゃろう」
「堕天使のまま固定はしない方が良いですよね?」
「うむ……それは意思を確認してからで良かろう。では……良いか、ピアスレット?」
『お願いします』
胸の紋章を発動し力を額に集中──。使用するのはチャクラの能力 《解析》と《復元》。最適の形に最適の状態で復元……堕天使は一瞬輝いたが、何事もなく目を閉じたままだ。
『終わったかい?』
「はい」
『そうか……良かった。これで安心して行ける』
「……はい」
『笑顔で送ってくれないか?君達とは出会ったばかりだけど、友人になれたと思う。だから幸せな気分なんだ』
「はい」
笑顔を作りピアスレットと握手を交わす。ピアスレットはライの肩を優しく叩いた。
『神具は彼女に返してやって欲しい。それとエクレトル……って国を彼女に教えてやってくれないか?』
「わかりました。エクレトルの偉い人と少し面識があるので、悪いことにはならないと思います」
『そうか……じゃあ後は……いや、もう充分だな。ありがとう、ライ。海王さん、メトラペトラさんもお元気で』
光の粒子を放ちながらピアスレットは少しづつ崩れて行く。最後に少しだけ堕天使に顔を向け、囁くように呟いた。
『君は君の幸せを……私は充分君に貰ったから……。ありがとう【スフィルカ】』
全て崩れ落ちたピアスレットの記憶がライの中に流れ込む。それは、孤独でありながら幸せに満ちた感情だった……。
ピアスレットの魂が世界に溶けた後……堕天使スフィルカは目を覚ます。薄く目を開いた彼女はゆっくりと身体を起こし立ち上がった。
漆黒の翼と濡れたような黒髪──対称的に、服は純白のドレスに似たローブを纏っている。
「私は……倒れたのですね?あなた方は……ピアスレットはどうしましたか?私を看病してくれていたあの方は……」
「亡くなりました。貴女に幸せになって欲しいと言伝てを残して……」
ライはスフィルカに近付きその手を取ると、真剣な目で嘆願した。
「ピアスレットさんの記憶……受け取って貰えますか?」
「………はい」
額を重ねピアスレットの記憶を渡したライ。スフィルカはそんなライを胸元に抱き締めた。
「……ピアスレットは逝ってしまったのですね。私はあの人にずっと護られていた」
「はい……」
「私には気持ちに応えることは出来なかった。それでもずっと……」
「はい……」
「そう……あなたはそんなピアスレットのことを想って泣いてくれているのですね」
涙を必死に我慢していたライはどうしても堪え切れなかった。記憶を覗くという行為はライの感情の制御を複雑にする。
それを理解しつつも止めようとしないことを、メトラペトラは既に諦めている。
「時間は短かったけど、ピアスレットさんとは友人になれたと思ってます……。彼は笑顔を望んだけど、俺にはやっぱり悲しいんですよ……」
ゆっくり顔を上げたライは、スフィルカの顔を見て息を飲んだ。
スフィルカもまた……涙していたのだ。
「私も……とても悲しいです。例え彼の心に応えることが出来なくても、彼は大切な存在でした」
「なら……貴女は幸せにならなきゃ駄目だ。貴女に聞きたい。堕天使としての未来を望むか、やがて変化する人としての未来を望むか……」
「………。私は、堕ちた天使だからこそあの人と出逢えた。だから、このままで居られるなら……」
「それが世界でたった一人の孤独でも……?」
「はい」
「……わかりました」
そのままスフィルカを抱き締め堕天使としての存在を固定する。
それはリルに施したものよりずっと容易な干渉──仮とはいえクローダーとの契約が加わり、大聖霊の紋章が益々力を増していることはライも自覚していた。
「これであなたは堕天使のままです。……。堕天使って言葉嫌いなんで何か呼び方ないですかね、師匠?」
「ふむ……ならば地天使とでも呼ぶかの?状態は半精霊と精霊体の間、純天使ではないが地と共に在ることの出来る天使……。どうじゃ?」
「流石はメトラ師匠。それでいきましょう。良いですか、スフィルカさん?」
「はい……ありがとうございます」
「それと、先程流した記憶にエクレトルという国があります。そちらに向かって頂けますか?あの国は天使の国でもあります。今はきっと良くしてくれる筈ですから……」
「わかりました。色々とご配慮頂いて何もお返し出来なくて……」
スフィルカから身体を離しグイッと涙を拭ったライは、屈託の無い笑顔を浮かべている。
「あなたが人を救ってくれたから俺の先祖が生きてるのかもしれませんよ?それに、ピアスレットさんの頼みでもありますから」
「……はい。ありがとうございます」
ピアスレットから託された神具・魔導具を全てスフィルカに手渡し船から出た一同は、船底に穴を開け沈み切るまで見送った。
そこにピアスレットはもういない……だが、その千年の痕跡をただ破壊したくなかったのだ。
海王の背で別れを告げたスフィルカは、一度エルフトに向かって貰った。
エルフトの街ならマリアンヌがいる……【ロウドの盾】として取り次いで貰えば、すんなりエクレトルに入れると踏んだのである。もしマリアンヌが不在でも、ライの知人が多いエルフトなら問題は無いだろう。
「さて……じゃあ行くかの、『泣き虫勇者』よ」
「ぐっ……否定出来ねぇ……」
「全く困った坊やじゃよな……リルよ、お主より泣き虫じゃぞ?」
「ライ!なきむし!」
「ぐぐっ……ああ、そうさ?俺は泣き虫さ?悪うござんしたね?だから何です……?」
「此奴、開き直りおった……よぅし……リルよ!早くディルナーチに行って言い触らすぞよ?」
「おぉ~!」
「あぁ!ど、どうかご内密に~!?」
また一つ出逢いと別れを重ねた『泣き虫勇者』ライ。宝鳴海の伝説に触れた悲しい別れを体験しディルナーチ大陸へと向かう。
宝鳴海に、あの角笛が響くことはもう無い……。
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