第四部 第五章 第九話 死獣を喰らう
魔の海域にて対峙したライと魔王。その戦いは完全な決着という形には至らなかった。
力尽きかけたライを仕留めようとしたアムド。手足を失い疲弊しながらもライを脅威と認識した魔王は、余力を使いトドメの一撃をその手に宿す。
だが、次の瞬間──魔王の胸には銀色に輝く剣が突き立てられていた。
「グハッ!何だと…?」
背後からの攻撃……魔王が視界に捉えたのは白き翼。だが、相手を把握するにはそれで十分だった。
「クッ……ハハハハ!天使が背後から不意討ちとはな。堕ちたものよ」
「何とでも言うが良い。我々は秩序の番人。人同士の事案であれば礼を弁えるが、貴様の様な無秩序な魔王にとる礼など無い」
「ほう……?我を無秩序と
「万人がそうではあるまい。貴様を追い込んだ者は勇者だ……そして皆がそうなれる可能性を持つ」
「フン……禅問答だな。ならば力で語れ、天使よ」
魔王アムドは転移によりアスラバルスの剣から逃れ距離を取る。
その際、マリアンヌに抱き止められたライを視野に捉え僅かに笑う。
(強運の持ち主でもある……か。命拾いしたな、小僧。貴様とは後ほど決着を付けてやろう)
魔王アムドは神格魔法 《現崩世界》を発動し、その混乱の隙に逃走を図ることにした。
だが……それは叶わない。魔王アムドの周囲を光の鎖が取り囲むと、神格魔法が霧散したのだ。
「逃がす訳がないだろう、魔王よ!」
「生意気な天使が……貴様、何をした」
「何……我々は幾度も貴様の様な脅威と対峙しているのだ。我々も学習はするのだよ」
「フン……宝具か。面倒な……」
アスラバルスが使用したのは《天鎖錠》という消失魔法を付与されたものだ。一度発動すれば四半刻ほど対象の周囲を取り囲み魔力を乱す効果を持つ。
簡単な魔法は別として、上位の複雑な神格魔法などは不安定で使用が困難になる神具。しかし限定神具という一度きりで壊れてしまう物だった。
「私の力ではこの程度の物しか作製出来なかったが、今の疲弊した貴様相手には十分だろう?」
「……ナメるな、三下が」
「貴様達が現れねば我が友は死なずに済んだ。直接手を下した者はまだ分からぬが、まずは友の心残りであろう貴様を討たせて貰う」
「フハハハ。神の造りし人形風情が仇討ちか……?この世界に囚われた貴様らなど葬ってくれる」
「出来るかな、その身体で?」
「試してみるが良い」
こうして始まったのは、ライも行なった近距離戦闘。
全身を神具で武装したアスラバルスに対し、魔王アムドは残された右手と左足のみ。しかし、それでようやく互角の戦い。神具【天鎖錠】にて魔力を乱される不利の中、本来なら飛翔すら困難な状態にも関わらず纏装まで使いこなしている魔王アムド。古の魔王の底知れ無さが窺えた。
(くっ……これ程とは。魔王が全快であれば『討伐組』総出でも敗れていただろうな)
或いはシンを加えた、マリアンヌ、マーナ、ルーヴェストの協力ならば、倒せずとも追い込むことは可能だったかも知れない。
だが、そうなると被害も甚大だったろうとアスラバルスは感じていた。
そんな中、単身で魔王を追い込む偉業を成し得たライという青年勇者。やはり感嘆……いや、畏怖と感嘆の混じり合った感情がアスラバルスの内に滲み出す。
(やはり異質な存在か。ライ・フェンリーヴ……少し調べねばならぬかも知れぬな。だが……今はただ感謝するぞ)
そしてアスラバルスは、この好機を逃さぬ為に全力を以て魔王と対峙を始めた。
一方、マリアンヌに抱き止められたライは身動きが取れずにいた。
持ち得る力の集束──それは全てを絞り出す行為。生命力を、魔力を、精神力を、そして魂すらも束ねたそれは謂わば諸刃の剣。
あの時──。魔王アムドの問い掛けに反応し力が解除されなければ、力の大きさにより自滅を始めていたことをライは知らない。
ともかく、残骸漂う海上で身動きすら出来ないライはマリアンヌに身を委ねるしかなかった。
「ライ様。『回復の湖水』です。お飲みください」
「………………うっ……」
口に小瓶を当て流し込むが嚥下することも出来ない完全な脱力状態。しかも意識も混濁を始めている。それ程の力の反動……それは生き残る為に足掻いた証だった。
(これ程の状態になるまで諦めなかったのですね……)
マリアンヌは先程から回復魔法をかけているのだが、何かに阻害されているのか効果が弱い。
一刻の猶予も無いと判断したマリアンヌは、回復の湖水を口にし唇を重ねた。
(飲んだ!これならば……)
繰り返すこと三度。そこでようやく意識を取り戻したライは……慌てた。どうして良いかわからず手で空中を掻くことしか出来ない。
そして離れた唇……だが、マリアンヌの潤んだ瞳が間近にあった為ライは思わず硬直する。見つめ合うこと十数秒。意識が戻ったことに喜んだマリアンヌはライを強く抱き締めた。
「良かった……本当に……」
「マリー……先生……。ご心配をお掛けしました」
「いいえ。貴方が無事ならば良いのです」
「………ありがとう」
そっとマリアンヌの背中に手を回し優しく抱き締めるライ。だが……すぐに我に返り慌てて腕を離した。
「御免なさい!調子に乗りました!」
「…………馬鹿」
「へ……?な、何か言いましたか?」
「いいえ。何でもありません」
マリアンヌは腕を離し向かい合う様に飛翔する。
「お身体の方はどうですか?念の為に用意していた『回復の湖水』の原液なのですが……」
「うん……少し楽になりました」
だが、回復した筈のライは首を傾げている。『回復の湖水』を飲んだ筈が回復が芳しくない印象を受けたのである。
(また……どこかおかしくなったかな?)
そう思い自らに回復魔法を使用すると、問題無く体力が回復する。
(………ま、いっか)
違和感の正体は『ライの許容量増大』に因るもの。既に『回復の湖水』では五分の一にも満たない程度しか癒せない程にライは成長を遂げていたのだ。
しかし、そのことに気付かない痴れ者は違和感をスルーしたのである。
「ライ様?」
「え?ああ、問題無いですよ?」
「いいえ……そうではなくて、なぜ私が『マリアンヌ』だと判ったのですか?」
「え……?だって、マリー先生はマリー先生で………」
マリアンヌの質問の意味、それは………。
『仮面を外した顔を見るのは初めてなのに、何故マリアンヌと判ったのか?』
というものである。
「……。そう言えば何でだろ?」
「…………」
「でも、一目で判りましたよ?ああ……マリー先生だって」
「ライ様……」
マリアンヌはゆっくりライに近付き身を寄せた。
再び硬直した『シャイなチェリー勇者』は、どぎまぎしている!
「マ、マリー先生……?」
「はっ!私としたことが……」
マリアンヌは“ パッ ”と身を離すと身嗜みを整え、いつもの様に姿勢正す。
しかし………その顔は実に嬉しそうだった……。
「……………」
「……………」
「………そ、それでマリー先生。何故、魔の海域に……?」
この質問をした直後、ライは愚問であることを自覚する。
メトラペトラの記憶にあった『魔王討伐計画』……そこにマリアンヌが参加していても不思議ではない。
少なくとも、実力者として声が掛からないという方がライには納得が出来なかっただろう。
「ニルトハイムを滅ぼした魔王って、アムドのことだったんですね……」
「ライ様は鎖国中のディルナーチ大陸に居たのではないのですか?何故その事をご存知で……」
「あ~……っと、実践した方が早いですね。少し額を貸してください」
マリアンヌの頬に優しく触れながら額を合わせるライ。マリアンヌは少し赤い顔で目を閉じた。
マリアンヌの脳裏に流れたのはライの記憶。但し、一度に流すと負担が大きい為に掻い摘んだものを少しだけ早く流して見せた。
「こんな力まで……」
「……まあ、色々あったので」
「事情はわかりました。ライ様は海王……リル様の為に魔の海域に来たのですね?」
「はい。今は傷も癒してメトラ師匠と海深くに潜ってます。それより……」
海上を漂う残骸を見回しながら、ライは申し訳無さそうに告げた。
「艦隊沈めたのは不味かったですかね?」
「……大丈夫です。手は打ちましたから。ですが、アスラバルス様が敗れては破綻してしまいますけど」
視線の先には魔王アムドと互角の戦いを繰り広げている天使の姿が……。
「あの人は誰ですか?」
「あの方はエクレトル至光天の一人、アスラバルス様……簡単に言えば神聖国家の一番偉い方です」
「そ、そんな人が魔王と戦って大丈夫なんですか……?」
「大丈夫でしょう。ですがそろそろ手助けすべきかも知れません」
マリアンヌの解析では神具【天鎖錠】は連続使用に向いていないと判断したのだ。
「じゃあ、手助けに……」
『必要無い。手出しは無用に願う』
突然脳内に響き渡る声。力強く威厳のある声に心当たりは無い。だが、その内容から誰の声であるかは判別がついた。
「今のは……」
「アスラバルス様の念話……なのでしょう。手出し無用とはどういうことですか?」
『私の友の果たそうとしたことだ。私にやらせて欲しい。頼む』
「しかし……」
マリアンヌの言葉はその手をライに握られ止まることになった。視線の先のライは首を振っている。
「了解しました。但し、貴方の命が危険と判断した場合は勝手に介入させて貰いますよ?貴方が死んだら、その友人も悲しむでしょうから……」
『………感謝する』
意を汲んだ形で見守ることになったライとマリアンヌ。だが、内心はアスラバルスが不利だろうと考えていた。それは視覚纏装による判断であるが、魔導具・神具を含めた物ではない。よって可能性が無い訳ではない。
加えてアスラバルスの覚悟──それは、実力では測れない何かを起こすことも否定は出来ないのだ。
そして……その予想は現実になる。
「ハハハハハ!どうした、神の人形よ。宝具による魔力阻害の有利を持ちながら、この程度か?」
「魔王よ。我ら天使を人形と嘲笑うのは止めて貰おう。神の不在より三百年……天使も自ら思考し道を模索したのだ。そして至った答えもある」
「答えだと……?ならば見せてみよ!天使の研鑽とやらを!」
「望みとあれば見せてやろう!私の……答えを!」
六枚の翼を広げたアスラバルスの背後に、金色の魔法陣が展開される。そして、その中から一体の獣が姿を現した。
現れたのは魔法陣同様の金色に輝く獅子──。その背中にはアスラバルス同様、六枚の翼を備えている。
「聖獣か……使役したところで我には届かんぞ?」
「使役ではない。この『聖獣ノーディルグレオン』は私の分身。そして今、私達は一つとなる」
「何だと?……まさか天使が『御魂宿し』の真似事か?」
「真似事でもない。聖なる存在たる私達の融合はそれを上回る。行くぞ!」
聖獣ノーディルグレオンは光の珠に変化し、アスラバルスの中に吸い込まれるように消えた。
同時にアスラバルスは閃光を放ち変化を始める。
そこに居たのは十二枚の輝く翼を持つ天使。更に頭上には二つの光輪が浮かんでいた。
「あ、あれは……!」
「ライ様……あの姿に何か心当たりがあるのですか?」
「いや、超眩しいなぁと思って……」
「…………確かにそうですね」
昼間でも目を細めねば見辛いほど輝くアスラバルス。『純天使』と『聖獣』の融合は同じ聖なる存在ということもあり、相性が良く力が跳ね上がっている。
全快時の魔王アムドに比べれば劣るものの、現在の状態ならば倒し切ることは可能と思えるほどに力を増したアスラバルス……。後は戦いの熟練次第と考えられる。
「さあ……行くぞ、魔王!」
「生意気な……その自信、打ち砕いてやるわ!」
アスラバルスの限定神具【天鎖錠】が使用限界に達し、空中で砕け散ったとほぼ同時──魔王アムドは神格魔法 《魔手装鎌》を発動した。
《魔手装鎌》は蟷螂の鎌の様な刃の補助腕を発生させる魔法。
本来は使用者の近くに浮遊し動きに合わせて自動迎撃をするものだが、魔王アムドは失った自らの手足に取り付ける様に使用している。
「まだあんな力が残ってんのかよ……」
追い込んだと思っていた相手にまだ相当の余力が残されていたことは、ライに少からずの自信喪失を与える結果となる。
魔王アムドとの戦いは横からの介入がなければ完全敗北──つまりは死に至っていた。メトラペトラに大言を吐きながらこの
だが……そんなライの気持ちを悟ってか、マリアンヌはライの顔を柔らかく抱き締めた。
エルフトでの最終訓練日と同様に柔らかな胸……いや……今は確かに感じる温もりに包まれ、ライは緊張が途切れてしまった。
結果……ライはしがみつくように泣き出した。
「うっ……!負けた……ちくしょう……ううっ!」
決して傲っていた訳ではない……。ライが常に単身で戦おうとするのは、他の誰かが傷付かない様にする為の無意識な行動である。
だからこそ……負ける訳にはいかないという、負い目の様な義務感を持っていた。
豪独楽領主・ジゲンとの戦いでの敗北感から間も無いこと、加えて眼前の魔王との力量差───心の中では鬱屈が相当溜まっていたのだろう。
そして……マリアンヌはライの師匠でもある。尚更気が緩んだのだろう。溢れる感情を抑え切れず、まだ戦いの中ということすら忘れて涙した……。
「……戦いは辛いですか?」
優しくライの髪を撫でながら問い掛けるマリアンヌ。嗚咽を繰り返すライからの返事は無い。
「辛いなら止めても良いのです。本当に辛いなら、私が貴方を守って見せます。ですが……貴方がそれを望まないことも判っているのです。失うことが怖いのですよね?」
マリアンヌの問いに、しがみついた手が震えている。
「……嫌……なんだ。本当は……誰も傷付けたくないし、誰も傷付いて欲しくない。でも、世界は……優しくないんだ。……傷付く人を救えず、殺めたくない人を殺めて……でも、家族や友人を傷付けられれば赦せない。……そんなの、どうしようもないじゃないか!」
「………。でも、貴方は自分の罪が怖い訳じゃない」
「怖いのは……何も出来ないことなんだ。ただ零れ落ちるのが堪えられないんだ……。それなら……戦うしかないだろ……?」
『日がな一日食っちゃ寝して過ごすのが夢』と語ったライ……。だが、それは権力者になりたい訳ではない。世界の平和などという夢物語を僅かに含んだ願望なのだ。
「……では、貴方はどうしたいのですか?」
「強く……なりたい。……救う為に……守る為に……もっと、ずっと強く……。それには……」
必要なものがある。必要な出会いがある。こんな場所で止まってはいられない……。
感情を吐き出したライは決意を新たにした。泣いていても何も始まらないのだ。
「……ありがとうございます、マリー先生」
マリアンヌから身体を離そうとしたライだったが、マリアンヌは抱き締めた手を弛めない。
「今回は貴方の意を汲んで戦いに介入しませんでしたが、魔王に腹部を貫かれた時には目の前が暗くなりました」
「………ごめんなさい」
「だから……今度はどんなに拒まれても貴方の傍に行きます。そして盾になり矛になります。たとえ貴方が悲しんでも」
「……………」
「貴方はもっと知るべきなのです。貴方が誰かが傷付くのが怖いように、貴方が傷付くことが怖いと思う人の『存在』と『心』を……」
ゆっくりと力を抜いたマリアンヌは、ライの頬に両手を添えた。
「わかりました。マリー先生や皆が不安にならないように強くなります」
「……仕方の無い方ですね、ライ様は」
「ありがとう……マリー先生」
涙を拭い、魔王と天使の戦いに目を向けたライの顔は──茹でダコの様に真っ赤だった。
(……やっちまいました!恥ずかちい!)
女性の胸に顔を埋め、人目も憚らず泣いたのだ。ましてやマリアンヌは今や『容姿端麗』……照れない方がどうかしている。
「クックック……戦場で女に弱音を吐く、か。つくづく巫山戯た男よ」
「ハッハッハ……魔王を呆れさせるとはな。だが、私は少し安心した。あの青年には魔王になる危険性は無いのだろう」
魔王級の存在を増やして歩いた男・ライをアスラバルスは警戒していた。
だが、アスラバルスに配慮する心だけでなくマリアンヌからの信頼、そして先程吐露した言葉は到底魔王になる者のものではない……と、アスラバルスは判断した。
少なくとも現時点では……。
「我の誘いを断ったのだ。奴は我が手で滅ぼすのみよ」
「私の仕事は貴様を倒すことに変わりはない。ならばそれも叶わぬと知れ!」
「ほざけ!世界の真理も知らぬ愚物が!」
神具【天鎖錠】が解けたことにより、戦いは神格魔法と近接戦闘に変わった。アスラバルスの剣術は見事だったが、魔王アムドの体術は更に洗練されていたと言える。
魔法に関しても永き時を生きている純天使アスラバルスは引けを取ってはいない。拮抗しつつ戦いは続いている。
その戦いを食い入る様に見ているライは、己に足りないものを改めて実感した。
「やっぱり……剣や体術はちゃんと学ぶべきなんですね」
「……今までは我流のままでしたか?」
「殆ど魔石採掘場でしたから……。メトラ師匠……【熱を司る大聖霊】は基本的に魔法の師匠なんです。だから、剣に関しては殆ど素人のまま……」
ディルナーチ大陸では魔力と纏装の力押しばかりだったライは、だからこそジゲンやアムドに追い込まれたと言える。それを身を以て痛感していた……。
「体術、剣術は私が教えることも出来ます。ライ様がお決めになってください」
「………ディルナーチにはやり残したことがあります。だから、学んで来ます。マリー先生を驚かせたい気持ちもありますから」
「わかりました。私は待っています。どうか無事で……」
その時、一際輝いたのはアスラバルスの翼。六対十二枚の翼から伸びる閃光が魔王アムドに襲い掛かったのだ。
神格魔法の展開を図る魔王アムドだったが、再び魔法が阻害され閃光をまともに受けることに……。
「ぐあぁぁっ!き、貴様宝具を……!」
「神具『天鎖錠』が一つとは限るまい。油断したな魔王よ」
「うおぉぉぉ━━━っ!」
それまでで最大の光は場の者全ての視界を白く染め上げた──。
波のうねりと残骸の軋みが聴こえる中、やがて各々の視界は再び世界を捉え始める。
蒼天の空、深い碧を携えた海原……残骸が漂っていなければ、さぞ幻想的な光景だったに違いない。
そして魔王アムド──その場所で最も異物と言える存在は、海上に今だ飛翔を続けていた。
「倒し切れなかったか……だが!」
アスラバルスの攻撃は確かに魔王を貫いた。だが、ほんの僅かに逸れた攻撃は魔王アムドの下半身のみを吹き飛ばしたに留まっている。
「…………もう良い」
「何だと?」
「貴様らには過分だが、我が新術の贄にしてくれる!」
遥か上空への転移。そして口から吐き出した紅玉を握り絞めた魔王アムドは、その最大脅威と認識された禁術を発動。
禁術 《死獣の咆哮》
ニルトハイム公国を文字通り消滅させた大規模殲滅魔法が、魔王アムドの掌から無慈悲に放たれることとなる。
「こっ、これは……!まさかニルトハイムを消失させた、あの……」
「そうだ。新たに改良を加えたこの魔法は、連動した結界を張って対象を閉じ込める。貴様らの死は揺るがん」
「くっ……。私としたことが油断したか……」
「海に逃れれば幾分威力も下がるが、貴様らが生存する可能性は無に等しいぞ?フハハハハハ!さらばだ!勇者とその女!そして天使よ!」
紅き光を放ちながら上空より禁術が迫る中、アスラバルスは全ての力を解き放つ。眩い閃光は全て禁術の赤い光を捕らえたが、禁術の勢いが落ちることは無い。
それどころか益々輝きを増し膨らみ始めた。
それは例えるなら夕陽──。この世の終わりを告げるかのような、紅き太陽と表現するに相応しい絶望的な光景だった……。
「くっ……こうなれば私が二人の盾となろう。幾何かの生存率は上がる筈だ」
「好きなだけ足掻くが良い。その最期、見届けさせて貰う」
急ぎライ達の元に向かったアスラバルスは、二人に説明を始めた。
「あれはニルトハイム公国を滅ぼした光だ。最早、逃れることは出来まい……。今から私がお前達の盾になる。良いか?決して……」
「マリー先生。あの魔法、どんなものか解りますか?」
「はい。あれは膨大な魔力を術により反復反応させる無属性の魔力嵐と言うべきものです」
「つまり、魔力の塊ってヤツですか?」
「端的に言えばそうですが……」
アスラバルスを無視して話を始めたライとマリアンヌ。その瞳には諦めの色は無い。
「二人とも聞いているのか?あれは……」
「あれが何だろうと足掻かないと死んじゃうでしょう?ちょっと黙ってて下さい」
「う……うぅむ。……。いや……しかしな……」
「ライ様が諦めないのであれば私も諦める訳には行きません。アスラバルス様は下がって下さい」
「………はい」
二人の盾になる筈が邪魔者扱いにされたアスラバルス──エクレトル最高指導者なのに肩身が狭い。
「マリー先生。どのみち賭けになっちゃいますけど、手伝って貰えますか?」
「僅かでも可能性があるならば賭けも悪くありません。それにライ様との初めての戦場……失敗など有り得ません」
「……ありがとうございます。じゃあ、先ず……ギリギリまで魔力を減らすので飛翔出来なくなったら支えてください」
「わかりました」
折角回復した魔力だが、今は策の為に少しでも減らさねばならない。ライは回復魔法 《無限華》を発動。
《無限華》は華の形を具現化した癒しの光が、対象を包み全快するまで回り続ける魔法。確実に全快させる為、並の術師では発動すら行えない最上位の魔法である。
それをアスラバルス、マリアンヌ、自分に発動し魔力を消費した。
「もう少しかな?取り敢えず……」
分身を生み出し海中に沈めたライ。落下したライは凡そ二十人程。最早、呆れるしかないアスラバルス。
(セルミローよ。やはりとんでもない輩だったぞ……?)
分身を使う勇者など歴代初だろうと思いながら、アスラバルスは亡き友を想う。
(お前ならば何と言うだろうか……いや、豪快なお前のことだ。きっと盛大に笑っただろうな……)
人と共に……ライやマリアンヌが人かどうかは別として、人間と共に在る存在には違いない。それはセルミローの望んだ共存の形でもある。
不謹慎と思いつつも、アスラバルスは思わず笑みが溢れた。
「もう少し……。それなら」
身体強化系の魔法を全員に掛け耐久力を上げる。そこでようやく魔力限界間近……。
落下を始めたライをマリアンヌとアスラバルスが支える。
「勇者ライよ。私にも手伝わせて貰えるか?」
「わかりました……お願いします」
爽やかな笑顔で答えたライは最後の確認に移った。
(頼むぜ……開いてくれ)
閉じている額の目に軽く触れ刺激し、その部分に意識を集中する。これが出来ねば策は破綻してしまう。
元々高い集中力に加えこれ以上無いと言うほど集中出来たのは、追い込まれた際の底力と言えるだろう。
斯くして、額の目は少しづつ開眼を始めた。
「よし!じゃあ最後の仕上げです。俺をあの光に投げて下さい」
「纏装すら無いのだ!それでは只では済まんぞ!?」
「大丈夫です、アスラバルス様。ライ様を信じましょう」
「……。良かろう。では三つ数えたら投げることとしよう。行くぞ!一、二、三!」
タイミングを合わせて放り投げられたライは見事、赤い光に到着。
そして発動したのは神格魔法 《吸収》──。但し、今回は額の目を中心に吸収を始めた。
「フハハハ!無駄なことを……。無様に足掻く姿は、折角我を傷付けた
皮肉を吐く魔王……しかし、その言葉に答えている余裕などライには無い。
「ぎ……ぎぎ……ぐ……」
《死獣の咆哮》は国一つを飲み込む魔力奔流である。だが、ライには僅かな希望もあった。
マリアンヌの言葉通りなら、魔力は魔法に反応し増幅を繰り返すらしい。ならば増幅より早く全てを吸収してしまえば良いのだ。
「ぎ……ぐ……」
それでも膨大な魔力を一気に吸収する負荷は大きく、それ以外の行動に移ることが出来ない。ライは分身で負担を分散させることも出来ないまま、ただ吸収し続けるしかなかった。
あとは賭け──。肉体が壊れるか、精神が壊れるか、禁術を吸い付くすか……。
それから実に四半刻……粘り続けたライは、完全な白髪と化してしまっている。
「くっ……駄目か……!」
アスラバルスが諦めの色を浮かべたその時、マリアンヌは笑顔で力強く告げた。
「いいえ。ライ様の……勝ちです!」
次の瞬間──禁術 《死獣の咆哮》は全てライの額に吸い込まれた。
「なっ……!何だと!?馬鹿なっ!?」
驚愕する魔王アムド。だが、それはまたしても油断……。
それは今の時代を嘗めたと言える油断。想像を超える事態に対峙したことの無い、強者故の油断。そして──この時代に生きる者を軽んじた油断……。
「うおぉぉぉぉ━━っ!」
魔力が満ち半精霊化したライは、そのままメトラペトラの能力顕現を模倣。氷と炎の翼を刃に変え、魔王の右肩口から袈裟斬りにした。
「ギィヤアァァァァ━━ッ!!」
叫ぶ魔王アムド。ライは更なる追撃を試みたが、肉体が限界に達し半精霊化が解け落下を始める。
それを素早く飛翔し受け止めたマリアンヌとアスラバルス。二人とも笑顔でライを覗き込んでいた。
「ライ様……お見事でした」
「全く……恐ろしい男よな。勇者ライ」
「は……ははは……どうも~……。そ、それより……魔王を……」
頭上に視線を向けた一同。しかし、既に魔王アムドの姿はない。
「滅んだか……それとも逃げられたか……。だが、勇者ライのあの攻撃ならば無事では済むまいよ」
「この周辺一帯には気配はありません。少なくとも、撃退は果たしたと考えて良いでしょう」
「……そう……か……。じゃあ……もう、大丈夫だぞ。リル……?」
言葉が終わると同時……海面が盛り上がり現れたのは巨大なシャチ【海王】。その背には『猫』と『人魚の子』が待っていた。
古の魔王が討ち果たされたかは誰も確信がない。
しかし、ライの本当の目的である『海王救出』は見事成功と相成ったのである。
そして──限界を迎えた勇者ライは、海王の背で晴天を仰ぎつつ深い眠りに落ちることとなった……。
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