第四部 第五章 第六話 始まりの魔王
ディルナーチ大陸に残されたメトラペトラは泥酔していた。久遠国・豪独楽にて領主ジゲンとの呑み比べ……結果、すっかり酔い潰れ醜態を晒していたのだ。
このところ気が緩み呑み過ぎているのは、弟子であるライが側にいるからに他ならない。
しかし……そんな油断は突然の出来事により後悔に繋がることとなる──。
「メトラさん!起きて!」
「うぅ……ん……ぎぼじわるい……」
「メトラさん!メトラさん!」
ホオズキが懸命にメトラペトラを起こそうとするのだが、一向に覚醒の気配を見せない。
ほとほと困り果てたホオズキ。しかし、そこで豪独楽領主ジゲンがホオズキの頭を撫でる。
「我が一族に伝わる秘伝の酔い醒ましがある。少し待っておれ」
そのまま屋敷の中に姿を消したジゲンは、僅か後に異様な臭いを放つ急須を引っ提げて戻って来た。
「うっ!何だそれは……」
ライドウは思わず鼻を摘まむ。スズも布で口許を隠し、ホオズキとスイレンは袖で口許を被った。
「ガッハッハ!薬草と野菜を合わせた特製酔い醒ましよ!臭いはアレだが効き目は十分な筈だぞ?健康にも良いしな?」
豪快に笑ったジゲンは横たわるメトラペトラの口を無理に開き、無造作に酔い醒ましを流し込んだ。
しばらく反応の無いメトラペトラ……。しかし、突然悲鳴の様な声を上げ走り出す。
猛烈な速さでところ狭しと駆け回る黒ネコは塀を蹴りそのまま空に飛翔、と思いきや盛大に落下。再び横たわり、足をピクピクと痙攣させている。
「……………」
「……………」
「………あの~……メトラさん、動きませんよ?」
「ふむ……ネコには少々強かっただろうか?」
一同が揃って溜め息を吐いたその時……大地が爆ぜ黒い影が宙を舞う。
クルクルと何度も回転し着地したネコはキメ顔で二足立ちしている。
「フッフッフ……大聖霊メトラペトラ、華麗に復活じゃ!」
場を包む残念な空気。やがて突き刺さる視線に気付いた大聖霊様はチラリと背後に振り返った。
「な……何じゃ何じゃ!その残念なネコを見る視線は!?」
「………はっ!そ、そうだ!惚けている場合じゃないですよ、メトラさん!ライさんが消えたんです!?」
「……アヤツが姿を消すなんてたまにやるじゃろ?」
「そうなんですが、違うんですよ!」
「問題ない、問題ない。そのうちヒョッコリ戻ってくるじゃろ……?」
再び重い沈黙が場を包む。そこでようやく何かを感じ取ったメトラペトラは、改めてスイレンを問い質す。
「ふぅむ……良し、スイレンよ。何があったか話すのじゃ」
「……わかりました」
目の前で起こった出来事を簡略かつ簡潔に説明し始めたスイレン。黙って聞いていたメトラペトラは、やがて真剣な表情に切り替わる。
「……どうやら海王本体に何かが起こった様じゃな。リルはライに助けを求め、二人で本体の元に転移したといったところじゃろう」
「大聖霊様!リルちゃんは大丈夫なのでしょうか?」
「落ち着くが良い、スズよ。恐らく問題はあるまい。今のライが一緒であれば死ぬことは無い筈じゃ。しかし、問題もある……」
唸るメトラペトラ。ライドウは首を傾げて確認した。
「大聖霊様……問題とは?」
「ふむ。リル……海王が負傷したのは、十中八九反撃を躊躇したからじゃろう。リルはちと人に近付き過ぎたのぅ……」
「……それは私達のせいでしょうか?」
「ライの……いや、ワシらのせいじゃな。ワシには予想出来ていた事態じゃ。スマン……」
「大聖霊様……」
「しかし、そうなると海王の身体をディルナーチに連れて来るべきじゃろうな。魔の海域では助けに行けぬからのぅ」
最終的にリルがどの地に落ち着くにしても、安全な場所が決まるまではライとメトラペトラの傍に置いておくべきなのだ。
久遠国の民がリルを敬っていることも分かっているので、メトラペトラとしては最終的には久遠国……スズに預けるつもりだった。
今回のことはそれを実行する前に起きた出来事。メトラペトラは迂闊と舌打ちしているものの慌てる様子は無い。
「ともかく……ワシも魔の海域に向かうとしよう。お主らはここで……いや、不知火の港で待っとれ」
「私達も行きますよ」
ホオズキとスイレンはメトラペトラに近付き頷いた。しかし、その申し出はあっさり却下となる。
「お主らが出ると揉め事が増える。今回はおとなしく待っとれ」
「む~……ホオズキ、問題なんて起こしませんよ!」
「そういう意味ではない。断言は出来んが、海王が襲われたということはペトランズ側で何かしらの軍事作戦が行われておる可能性がある。そんな中で鎖国中のディルナーチの民が姿を見せてみぃ。今度はディルナーチ大陸に騒動が飛び火し兼ねんわ」
「うっ……わかりました。ホオズキ、大人しく待ってます」
今起きている問題は飽くまでペトランズ側の出来事。ディルナーチの者が関わるべきではないのである。少なくとも現状の世界では……。
「では、早速……早ければ二、三日中にも戻れるじゃろうから心配は要らぬ。では、また不知火での?」
単独転移であれば容易なメトラペトラは、魔法陣を一瞬で完成させ青い光を残し転移を果たした。
「大聖霊様……ライ殿……」
「リルちゃん、どうか無事で……」
不安はあれど信じるしかない。残された一同は急ぎ不知火に向け出発の準備を始めることとなった……。
メトラペトラの転移先は魔の海域……ではなくカジームである。
リルの件はライに任せておけば大丈夫と確信していた。しかし、リルをこのまま魔の海域に置いておくことが出来ないのは確かだろう。
そうなった際、問題はカジームである。海側の守りが薄くなり侵略の危険性が増すのだ。ライが躊躇しディルナーチに戻れなくなる可能性もある。
少しばかりカジームの現状を把握し、対策を講じておくことも師匠の役目……そう勇んでのカジーム来訪。メトラペトラのお目当ての人物──それは、かつての魔王エイル・バニンズだ。
しかし、メトラペトラはある事実を忘れている。
「おい、お主。エイル・バニンズを知らんか?」
レフ族の里、入り口。何やら慌ただしく駆け回る男を見付け声を掛けたメトラペトラ。
だが……。
「ん?ネコか……。何か声がしたが……気のせいか?」
一瞬視線をメトラペトラに向けた男は首を傾げて走り去った。
「……………」
中身は大聖霊だが、見た目はネコ……そんなメトラペトラを一目で敬う者がいたら、その人物は逆に不審人物と言える。
それが長寿にして知識あるレフ族にすら当て嵌まっているのは、メトラペトラの人嫌い故……ある意味自業自得だった……。
「くっ……ま、まあ良いわ。ワシは寛大な大聖霊様じゃ。この程度のこと、水に流してやろう」
メトラペトラはライと関わり少し丸くなったと自負している。
だが、この後も軽くあしらわれ続けること九度ともなれば話は別……時折魚を置いていく者も居たが、深呼吸で何とか怒りを鎮めて頑張った。そう、頑張ったのだ!
「ウガァァァ!どこじゃ、エイル!里ごと滅ぼすぞよぉぉっ━━?」
頑張ったんです……ええ、ウチのニャンコちゃん、頑張ったんですよ?と褒めてやりたい程に頑張った忍耐も、最早限界──。
宙に浮き竜巻を起こしながらメトラペトラは里を進む。カジームの里では『ネコ型の魔物が出た!』と騒ぎになっていた。
「おいコラ、テメェ!ネコの分際で里荒らしてんじゃねぇ!」
「シャーッ!?」
「ぐはぁっ!?」
里を護る為にメトラペトラに立ちはだかった漢・オルスト。それがライと共にいたネコだと気付く間も無く蹴り飛ばされ、ガックリと気絶している。
「オルスト教官━━━!?くっ……強い!この魔物、何かヤバイぞ!!」
カジーム防衛爆殺部隊の面々は、オルストが瞬殺されるのを見て恐怖に震えている。
しかし、防衛部隊としての意地と責務。オルスト同様に立ちはだかった漢達は、額に古き文字で『猫』と刻まれ瞬く間に倒された。
この事態は即座に里中に伝わり、とうとう長老が姿を現す事態にまで発展した。
「むぅ……な、何という力!これはまさか……だ、大聖霊様か!」
「ほう……?ワシを知る者も居ったか。しかし、今のワシは少々気が昂っている。ワシの問いに答えなくばその額……刻むぞ?『犬』とな?」
周囲に隠れ様子を見ているレフ族達は心の中で叫んだ。『猫じゃねぇのかよ!』と。
「おぉ……何と恐ろしい……。せ、せめて『漢』にして下さらぬか……」
「駄目じゃな……百歩譲って『乳』にしてやっても良いがの?」
「むむむ……ち、乳か……それも案外……いやいやいやいや!せめデグォォ!?」
レフ族長老の脳天に手刀が炸裂……。背後から現れたのは浅褐色の肌をした少女だった。
「ぐ……い、痛いではないか、エイルよ……」
「ったく……何の交渉をしてんだよ、何の。お前も何やらかしてやがる、メトラペトラ?」
「お主が居らんから悪いんじゃろうが!道行く者に尋ねても無視するわ、魚をくれるわ、通せんぼするわと散々じゃ!」
「……そ、そりゃあ悪かったな。で、結局何しに来たんだ?ライは……居ないのか?」
少しソワソワしているエイルは乙女そのものだった……。
「ライは魔の海域にいる筈じゃ」
「本当か?じゃあ、ちょっと行ってくる!」
「待て、エイルよ!今、取り込み中の筈じゃ。お主が出ると騒ぎが増える恐れもある。少し様子見をした方が良い」
「………どういうことだ?話してくれ」
取り敢えず場所を移し話をすることに決まり、長老の家に移動するメトラペトラ、エイル、長老の三人。
「大聖霊様!お久しぶりです!」
「うむ。息災な様じゃな、フローラよ」
長老の家にはフローラが居た。魔石採掘場にて別れて以来半年と経過していないのだが、随分と昔の様に思えたフローラは思わぬ再開を喜んでいた。
しかし……時間が惜しいメトラペトラは、再開の余韻に浸る間もなく早速本題に移る。
「それでは改めまして……。私はレフ族の長、リドリー・マオナーズと申します」
「ワシは【熱】を司る大聖霊、メトラペトラじゃ。まあ、フローラやエイルから話は聞いておろう?」
「はい。しかし大聖霊様は『勇者ライ』とご一緒だとお聞きしたのですが……」
「そうだ。あたしもそれを聞きたかった。ライが取り込み中ってのは何の話だ?もしかして魔王討伐の件か……?」
「何?……魔王討伐じゃと?」
互いの情報が不足していると感じたメトラペトラは、まず自分の事情から伝えることを選択する。
海王の出会いから始まり、その分身体の存在、意識と肉体の変化、それに伴う旅の同行……加えて現在、魔の海域にて負傷した可能性。
「一番の変化は海王が優しさを理解したことじゃろう。他者を傷付けられぬ海王はトシューラやアステからすれば脅威では無くなった。今後、魔の海域に置いておくことは出来ぬ」
「……。あの時は良く分からなかったけど、あの島に居た子供、海王だったんだな」
「うむ。一つの意識で二つの身体……そもそもそれが無茶の始まりじゃが、ライは見捨てて置けなかったんじゃよ」
「事情は理解したぜ。で……どうする、長老?」
海王の不在は確かにカジーム国にとって痛手となる。
しかし、レフ族は情が深い。海王は意図していた訳ではないだろうが、カジームが今残っているのは確実にその存在あればこそ。
その感謝も含め、苦しむ海王を蔑ろに出来る訳が無い。
「大聖霊様……海王を救ってやって下され。カジームでは守ってやることも叶わぬのです。ならばせめて安息の地に……」
「本当に良いのかぇ?カジームの危機に繋がるんじゃぞ?」
「実は既に襲撃を受けたのですよ。シウト国の協力もあり犠牲なく撃退出来ましたが……トシューラ・アステの兵は空や地中からすら現れました。例え海王が居ても奴らは攻撃を止めないでしょう。ならば、海王は無理に縛り付けるべきではありません」
感謝すべき海王を危機に晒すのはレフ族の恥、長老はそう言い切った。
「それに今、カジームは変化を迎えています。大聖霊……フェルミナ様により与えられた大地を護る守護者に加えて、シウト国の魔導科学者の協力により強き結界も完成しつつある。安心して下され」
森に直接転移したメトラペトラは気付かなかったが、森の中には巨大な樹木の守護者『樹人』がいる。大地の中全てを把握し、上空からの悪意ある侵入すら防ぐ守護者が二体、カジームの森には存在しているのだ。
更にトシューラ軍から奪った魔石を利用し、ラジックが発明した新型結界を準備中である。メトラペトラが森で出会った者達はその準備をしていた作業員だったことは余談だろう。
「……わかった。本当に海王が居らずとも良いのじゃな?」
エイルは長老の代わりにニンマリと笑った。
「心配すんなって、メトラペトラ。安定するまではあたしが残るからよ?それにもう一つ……面白いこと考えてる奴がいてな?」
「面白いこと?」
「ああ。ま、それは上手くいったら教えてやるよ」
エイルは随分明るい表情になったとメトラペトラは感じている。カジーム国への帰還は贖罪の意味合いが強い。しかしレフ族は皆、エイルを温かく向かい入れたのだろうことが読み取れた。
永き寿命を持つレフ族は三百年が過ぎた今もエイルの知人が多い。寂しさも感じず済んだことも幸いと言える。
「で……話は変わるが、魔王討伐と言うのは何じゃ?」
メトラペトラの一抹の不安……その不穏な響きがどうしても気に掛かる『魔王討伐』。運が良いとは名ばかりのライが巻き込まれている可能性は高い。
「実は先日、北方の小国・ニルトハイム公国が消滅したと情報が入っています」
「消滅じゃと?滅亡、ではなくてかぇ?」
「はい。国土が丸ごと抉れ、更に爆発で隣国まで破壊されたと……」
「何じゃと!いかな魔王とてそれ程の力、どうやって……」
「エクレトルの情報では『魔獣を利用した禁術』を古の魔王が開発したのだと……」
「なっ……!」
古の魔王……禁術……その響きに更に嫌な予感がしたメトラペトラ。やがてその口から零れた名はレフ族の長老をも戦慄させる。
「まさか……アムド・イステンティクスかぇ……?」
「そ!そんな筈は……!?」
「?……誰だ、それ?偉そうな名前だけど……?」
「アムド・イステンティクスは古代魔法王国クレミラの滅亡原因となった魔術師じゃ……」
「いや……しかし、大聖霊様。アムドは最後のクレミラ王に討ち果たされたと聞いていたのですが……」
「偽者……或いは嘘じゃった可能性も捨て切れまいよ。今、活動を再開したならば封印されていた可能性もある。どのみち危機には変わるまいがの」
そこでエイルは、メトラペトラが一番危惧している事を述べた。
「魔王討伐作戦てのは、魔力が高い何かを囮にして魔王を引き付ける計画だって聞いたぜ?それってまさか……」
「うぅむ……恐らく……海王じゃろうな。それで話が繋がったわ。海王を怒らせ魔力放出させ魔王を引き付けるのが『魔王討伐作戦』……じゃからリルが負傷する羽目になったと。じゃが、そこにはライが居る筈じゃ。これは不味いやも知れぬ」
海王が人を傷付ける事を躊躇い攻撃を行わずとも、ライがリルを護るため何かしらの行動を起こすのは間違いない。魔王アムドがそれに引き寄せられることは否定出来ない。
「ワシは今から魔の海域に向かう。ライが心配じゃ」
「なら、あたしも行くぞ」
「お主はカジーム国を守れ。もし本当に『アムド・イステンティクス』ならば、位置的に近いカジームに目を向けぬとも限らん。ライが無事ならここに連れて来ると約束する。じゃから我慢せよ」
「……わかった」
丁度その時、見張り担当のレフ族が長老の家に慌ただしく駆け込んだ。
「魔の海域にて動き有り!かなりの遠方ですが、閃光や爆煙も確認しました!」
「わかった。皆には外出を控える様に通達。防衛担当の者は集会場にて戦闘準備を行うよう伝えよ」
「了解しました!」
それぞれの役割を確認したメトラペトラは長老の家を出た。
エイルは防衛準備の為に集会場に、長老は魔導通信機を目指す。
「私は通信でシウト国の知人に連絡し対策を考えましょう。魔王討伐に向かっている者達が事に関われば、良からぬ結果に繋がらぬとも限りませんからな」
「うむ……それで良い。海王の処遇の件は戻ってから改めてとする。じゃが、優先すべきは里の者の生命。それを忘れるでないぞよ?」
そう言い残したメトラペトラは素早く上空に飛翔し魔の海域を眺める。一瞬の閃光を確認し方角を定めたメトラペトラは、超高速飛行でライの元を目指した。
(……トラブル勇者め!帰ったら仕置きじゃ!?)
そうは言いつつも心配が先に立つメトラペトラは必死に飛翔し続ける。やがて視界の先に夥しい数の船の残骸が飛び込んで来た。
「これはリル……海王の仕業……ではないな?ライの所業かぇ?」
海王が居たであろう場所には沈み行く戦艦が何隻も縦になり沈み、破損した場所から煙を噴き出している。海には必死に泳ぎ残骸にしがみつく兵の姿が確認出来た。
(余程、頭にきておったのじゃな……。アヤツがここまでやりおるとは……)
兵の中には動かず漂う者もいる。屍と化し漂う兵はざっと見ても百を超えていた。ライがこれ程容赦無い行動を取ったことにメトラペトラは胸が傷んだ。
(ワシが酒に不覚を取らねばな……済まぬの、ライ……)
ライの代わりに手を汚すことを考えていたメトラペトラだが、結局ライの代わりにはなれなかった。師匠失格……そう痛感せずにはいられない。
ならばこそ、早くライの元に向かい尽力せねばならないと懸命に探した先……。そこには向かい合う様に二つの人影が……。
「貴様……魔人かと聞いているのだ。答えろ、小僧」
「……魔人じゃないとしたら何かあるのか?大体誰だ、アンタ?いきなり現れて随分と偉そうだな?」
「……フッ。それは済まなかったな。我は【角】だ。貴様に興味が湧いたぞ?少し話を聞かせろ」
「【角】?角が生えてるからか?そりゃあ名前じゃないだろ……名乗れないってんなら外見から危険人物としか思えないぜ、アンタ?」
「ハッハッハ!その通りだな……。良かろう。我が名はア……」
「ライ~!?」
会話を遮り勢い良くライの顔に貼り付いたメトラペトラ。突然のことに慌てたライは、手をバタバタとさせている。
ようやく離れたメトラペトラはライの腕に包まれた。
「メ、メトラ師匠!どうして此処に……?」
「追って来たに決まっとろうが!このトラブル勇者めが!」
「……スンマセン」
「とにかく無事で何よりじゃ。リルはどうした……?」
「無事ですよ。怪我をしてましたが完治させました。今は海の深いトコにいます」
「……そうか」
ライの腕から飛翔し頭上の定位置に移動したメトラペトラは、【角】と名乗った男に向き直る。
「やはり魔王アムド・イステンティクスか……。貴様、死んだ筈じゃがな?」
「大聖霊か……。フッ、ハッハッハ!面白いぞ、小僧。その姿、加えて大聖霊を飼い慣らすとはな!益々興味が湧いた!」
「飼ってる訳じゃないよ。大聖霊メトラペトラは俺の師匠だ。………。ん……?魔王?アンタ魔王なのか?」
「さてな。今は便宜上、魔王と名乗ってはいるが」
魔王とは烙印である。人の姿をしながら超常の魔力を持ち『人に仇なす万魔の王』……。厄災にして悪夢の体現者。それを自ら名乗ることは世界の敵を自負していることを意味する。
「何でそんな奴がここに……」
「封印が解けた故よ。この世界も随分と変わった様で驚かせて貰った。貴様の様な者もいるならば楽しめそうだな」
「……なら、魔王なんて辞めて見守ったらどうだい?」
「ハッハッハ!我には目的がある。その為に研鑽を重ねていたのだが、クレミラ王は気に入らなかったらしい。油断し封印されたが、それも悪くなかったと思わされる」
「目的……?」
「我と来るなら教えてやろう。どうだ……?」
要領を得ない魔王・【角】ことアムド・イステンティクス。傲慢だが何故か悪人という印象を感じなかった。
しかし、ライが警戒を解くことは無い。
「……アンタみたいに会話の感じは悪くない印象でも、極悪の魔人てのを知ってるからね。二つ返事って訳にはいかないな」
「ほう……?そんな輩もいるのか……やはり面白い」
「……一つ聞きたいんだけど、アンタは目的の為に平気で人を犠牲にするクチか?」
「……くだらん質問だな。大きな目的の為ならば他者の尊重など何の価値もない。違うか?」
「ああ、違うね。……わかった、もう十分だ。俺はアンタの敵。それ以上でもそれ以下でもない」
「クックック……アーッハッハッハ!面白い。ならば存分に見せてみよ」
魔王アムドは力の解放を始める。その魔力で大気が揺らぎ波が荒さを増してゆく。明らかな超常──今まで出会ったどの相手より膨大な魔力だった。
そしてそれは留まるところを知らず、大聖霊すらも上回りそうな勢いで膨れ上がって行く。
「ちっ!まさか、ここまでとはのぅ……ライよ!油断するなよ?此奴は謂わば『始まりの魔人』じゃ!」
「始まりの魔人?何です、ソレ?」
「此奴は自らの意思で魔人化し、魔法王国の滅亡の切っ掛けを作った張本人よ」
「それって……まさか!」
「そう……禁術 《魔人転生》を創り上げたのは此奴。大地を枯渇させ多大な犠牲を元に魔道を歩み続けた、最悪にして最凶の存在。そしてクレミラ王の実弟でもある」
「………。完全にラスボスじゃねっすか、コイツ」
それは即ち、魔法というものの頂点に君臨したとも言える魔王──。
そんな相手である。流石のメトラペトラも今回は静観の姿勢を崩すことになった……。
「ワシも戦うぞよ?生半なことで倒すことは不可能な相手じゃ。それでも苦戦は免れまいが、勝ち目が無い訳でもない」
「勝ち目……?」
「纏装じゃよ。纏装は魔法王国が滅びる間際に生まれた技術。特に覇王纏衣はそれよりかなり後のことよ。なればこそ魔法主体の相手を倒すに向いておるのだ」
「………わかりました。だけど、アイツとは俺一人でやる。師匠はリルを護ってください」
ライの言葉にしばらく沈黙したメトラペトラは、やがて沸々と怒りが込み上げるのを我慢出来なくなった。今回ばかりは我が儘を通させるつもりはないのである。
そしてメトラペトラは、己の持つ最大限の威圧をライに向けた。
「馬鹿弟子め……そう毎度毎度好きに出来ると思うなよ?今回、お主の勝手は許……」
メトラペトラの言葉を遮ったのはライの熱い口づけ……。口で口を塞がれる……そんな突然の事態にメトラペトラは全身の毛を逆立て叫び声を上げた。
「ギニャ━━━ッ!な、何すんのよっ!この変態っ!」
「ギャアァァ~ッ!」
『ネコ・スラッシュ乱舞』炸裂。ライの顔は目の細かい網のように刻まれた。
何もない空中をのたうち回る様は何とも言えぬ滑稽さである。
「ライ!貴様ぁ!?」
「くっ……おニャンコめ……口が何か臭かったぞぉ……?」
「そ、それはジゲンに飲まされた酔い醒まし……って、そんな場合じゃない!お主!」
「おいおい、おニャンコちゃんよ……もう一発熱い口づけが欲しいか?ん?」
「……。な、何と質の悪い……」
文句を言いながらも少しモジモジしているメトラペトラ。折角の真剣さが台無しになってしまった。
「魔王とは俺がやります!これは決定事項!異議は認めません!?」
「じ、じゃが……相手は……」
「あんまりしつこいと【ピーッ!】しますよ?」
「…………………」
「…………………」
メトラペトラは折れた。【ピーッ!】が何を意味するかは分からないが、心が折れたらしい。
「……本当に?一人で?」
「ええ。一人でやります」
「何でじゃ?何故……」
「先刻、師匠に貼り付かれた時に記憶が少し見えちゃったんですよ。そしたら、リルが怪我した原因はコイツじゃないですか!」
魔王アムドをビシッ!と指をさすライ。魔王は無言で腕を組んでいる。
確かに原因は魔王アムドとも言える。魔王討伐の為の囮にされたリルは、アムドが居なければ狙われることは無かった……訳ではない。いずれは似たような事態に陥っただろう。
しかし、今回はアムドが原因には違いないのだ。
「だからキッチリ責任を取らせてカタに嵌める。魔王として危険なのは『その次』ですよ」
「……本当に死ぬぞ?ワシはお主が傷付くのが嫌じゃ」
「それは俺も同じっすよ。メトラ師匠がケガしたら俺より治り悪いでしょ?そしたら泣きまくりますよ、俺……」
「……………」
「それに、海王であるリルを護れるのは師匠しかいません。大丈夫。死にませんから……何でか負ける気がしないんです」
確かに海王の巨体を守るには、メトラペトラの力が応用の幅が広く適しているだろう。
「……わかった。約束を破ったら『勇者ライはオッパイ大好きで大好きで魔王に殺された』と後の世まで永久に伝えるぞよ?」
「くっ……!ヤベェ……負けたらヤベェ!話に脈絡が無い分、不名誉感が半端じゃねぇ!」
「良いな?約束じゃぞ?」
「了解、ボス!」
メトラペトラは躊躇しながらも深い溜め息を吐き、海底のリルの元に向かった。
そして残されたライと魔王アムド。互いに不敵に笑っている。魔王に至っては拍手までしていた。
「ハッハッハ!随分と滑稽なものを見せてくれた。まあ、悪くなかったぞ?茶番にしては……だがな?」
「ご静観ど~も。さて……聞いていた通り、俺の身内が酷い目に遭ったのはアンタのせいだ。加えて、危険な魔王を放置すると他の身内も心配だし勇者としても放置出来ない……。もう一回聞くけど、魔王辞める気無いんだね?」
「勇者だと?……所詮は愚物だったか。ならば楽しませて貰った礼だ。貴様を倒した後に、寂しくないよう身内とやらも送ってやろう」
魔王の宣告を受けたライ。胸の前で自らの掌に拳を叩き付けた勇者は、不敵な笑みを浮かべたまま力強くそれに応える。
「うっし!じゃあ遠慮無く魔王……テメェをブッ殺す!?」
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