第四部 第五章 第五話 魔王討伐作戦②


 深夜を回ったばかりの魔王討伐作戦・決行当日──。


 誘導組のトシューラ陣営に一際豪華な赤い布で飾られた兵站。その中にはトシューラ第一王女・アリアヴィータのあられもない姿があった。

 そして……そこに居るのはアリアヴィータだけではない。アステ国王子クラウドもまた全裸で立っている。その身体は鞭で打たれあちこちに赤いミミズ腫れになっていた。


 アリアヴィータの元に作戦の報告に向かったクラウドは、そのまま服を脱ぐように強要され従った。

 アステ王族はトシューラ王族の下僕……そう信じて疑わないアリアヴィータの愚行であると言えよう。


「……生意気なクラウド。私の姿を見ても欲情しないなんて……あなた、女に興味ないのかしら?」


 アリアヴィータの全裸を見ても性的反応を一切見せないクラウド。アリアヴィータの容姿は悪い訳ではない。性格を省いた容姿だけなら寧ろ美しいと言える。


 だが、クラウドは全くの無反応でヘラヘラと笑顔を浮かべている。確かに男色であるかを疑われても仕方ない姿だ。


「まぁ良いわ。……。ねぇ、あなた……私のモノになりなさい。可愛がってあげるわよ?」

「そう言われても困りましたね……アステはトシューラの【物】なんでしょう?それはトシューラ王族全員の所有物を意味するのでは……?」

「正直、トシューラの王はルルクシアで決まりよ。母親が現女王、王子は全員行方不明。末の妹達は傀儡として飼われているだけ。全て女王の計画通りなんでしょうね」

「貴女がいるじゃないですか……何故諦めるのです?」

「私はそこまで秀でている訳では無いわ。そんなことくらい自覚してるのよ……だから、トシューラではなくアステの女王を望んでいるの。どうかしら?」


 目一杯に色気を籠めた視線で撫で回すようにクラウドを見つめるアリアヴィータ。クラウドの首に腕を回し、身体を密着させ唇を奪う。

 しかし、クラウドは変わらずの無反応……馬鹿にされたと勘違いしたアリアヴィータは、クラウドを力の限り鞭の柄で殴り付けた。


「あなた、人形か何かかしら?私の魅力に反応しないなんて……」


 アリアヴィータは今までもそうやって身を守ってきた。強き騎士を見掛ければ誘惑して囲い、専属の騎士隊まで作り上げたのである。


 しかし、全く靡かないクラウドに対し苛立ちが募ったのだろう。血走った目には先程までの色気など存在しない。


「すみません。僕、少し特殊でして……でしか興奮しないんですよ」

「特殊な性癖ってこと?それは私にも出来ることかしら?」

「勿論ですよ。寧ろ貴女は打ってつけかも知れない」

「そう……じゃあ好きにして良いわよ?その代わり私をアステの王妃に……」

「本当に?本当に良いんですか?」

「ええ……構わないわよ?」


 アリアヴィータはこの時点で勝利を確信していた。アステ国の王妃になった後、トシューラとの敵対すら画策していたのである。それも全ては自分の安全の為……。


 だが……そんな思惑は脆くも崩れ去ることになる。


「じゃあ、好きにさせて貰うよ、メス豚」

「えっ……?」


 クラウドはアリアヴィータを殴り倒した。それは女性に対する態度ではない明らかに下衆な行為……容赦の無いクラウドの暴行は、やがてアリアヴィータの恐怖を引き出した。


「や、やめっ!た、助け……」

「おや……?好きにして良いって言ったじゃないか、メス豚王女。言ったでしょ?あることでしか興奮しないって……それはねぇ?トシューラ王族の不幸に対してなんですよ~?」

「ひっ!」

「良いね、その顔!ゾクゾクするよ!アハハハハ!」

「だ!誰か~っ!助けて!助けてぇぇっ!?」


 その悲鳴を聞き兵站に侵入する人影を見たアリアヴィータは安堵の色を浮かべた。それは自らが侍らせていた護衛の顔……。

 しかし……それが首だけだと知りアリアヴィータの表情は凍ってゆく。


「あ…あぁ……ああ……」

「アハハハハ!残念でした~……あれ?まだ壊れないでよね?ここからが楽しいんだから」


 兵站に侵入し護衛の生首を放り投げたのはトゥルクの僧兵達である。皆、暗く深い闇を携えた虚ろな瞳をしていた。

 兵站の外……護衛を全て音もなく殺害したトゥルクの僧兵は相当の実力者。それはアリアヴィータの絶望を意味している。


「ご苦労様、メオラさん。さて……このメス豚、もといトシューラ王女なんだけどどうしたら良いかな?」

「そうですな……我が教団にて神に捧げるのが救いかと存じます。如何ですかな?」

「具体的にはどうするの?」

「この世のものとは思えぬ快楽と苦痛を長きに渡り与え続け、そして魔獣に捧げるのです。それこそがプリティス教最大の救済!」

「だってさ、アリアヴィータ様?良かったね、救われて」


 必死に叫ぼうとしたアリアヴィータは、トゥルクの僧兵に手早く猿轡をされ拘束。荷物のように全身を布に包まれる。


「じゃあ、メオラさん。目一杯救ってやってね?」

「勿論です、御主人様」


 恍惚の表情で応えたメオラは僧兵を引き連れ野営地を離脱。トゥルク教国の戦力は全て帰国の途に就いた。但し、神具はクラウドの手元に残されたまま……。


 これで誘導組の陣営にはアステとトシューラしか残っていない。しかもアリアヴィータは始めから指揮を丸投げだった。違和感無く兵を消耗出来ることをクラウドは喜んでいた……。


(うん。順調、順調!とはいえ、討伐組の目もあるから適当って訳にもいかないか。一応、海王への攻撃は真面目に……いや、待てよ?本当に魔王を呼び寄せられれば討伐組にも被害が出るし、今後の邪魔も減らせるかな?上手く行けば魔王が逃げる先もトシューラに出来るかも……)


 真剣に作戦を決行することにしたクラウド。誘導の成功・失敗に関わらずクラウドには損はない。ならば一応仕事を熟し信頼を得ておくのも良いと、海王への攻撃を念頭にした計画を立て朝を迎えることにした。



 そして早朝──。


 誘導組と討伐組は通信魔導具にて計画の擦り合わせを行う。

 計画決行はそれから一刻半程後と決まり、再度の通信は作戦開始を意味することとなった。


 現在アステの軍港に停泊しているトシューラの軍艦前にて、クラウドは指揮官としての挨拶を行っていた。


「今回、誘導という危険な作戦はトシューラとアステの二国のみで行うことになった。小国の坊さんに勇敢な戦は無理だったらしい」


 兵士達の間から笑い声が漏れる。トゥルクを利用し士気高揚を演出するクラウドは、将としての器を持ち合わせている。

 だが、クラウドのその目は将などというものに興味を向けていない。目の前の兵は不要な駒、失えば失うほど都合が良いのだ。


「我々トシューラ・アステは長き隣国……つまりは友だ。互いが互いを見捨てるような真似だけは絶対にするな。生憎にも不調で帰国なされたアリアヴィータ殿に代わり、私……クラウドが指揮官になった。が、この誘導組に国籍は要らない。立場も要らない。その証に私が先陣に立つ」


 この言葉で兵達には響動めきが起こった。特にトシューラは兵を消耗品と考えているのだ。指揮官が前線に立った例などかつて無いことである。


「私が一番槍を受け持とう。だが……我々は同格だと忘れるな!私は臆せぬ、退かぬ!ならば諸君らはどうする?」


 僅かな沈黙の後、兵からポツリポツリと声が上がった。


「退かぬ!臆せぬ!」

「そうだ!臆せぬぞ!」


 その声を聴いたクラウドは満足げに笑う。これで良い……と。


「そうだ!例え私が海王に討たれても退くことはならぬ!私も諸君らが討たれようと諦めぬ!この作戦は魔王の誘導と銘打ってあるが、私は海王殲滅戦と思っている。アステ・トシューラに跨がる魔の海域を我々の手に取り戻すのは今日なのだ!」

「うおぉぉ!魔の海域を我らの手に!」

「海王を滅ぼせ!」


 兵達は完全にクラウドに陶酔していた。立場など不要と説き最前線に立つ、これだけで兵はクラウドを認めたのだ。

 存在特性など利用せずとも溢れる生まれつきの魅力……それは、その身に帯びる『特殊竜鱗装甲』が証明していた。


「幸い討伐組が危惧の一つである魔王を受け持つ。我等はただ海王を狙えば良い。我々は勇者!我々は戦士!命を惜しむな!」

「うおぉぉぉっ!?」

「海王討伐という偉業は後世まで語られるだろう!行くぞ、勇者達よ!」


 盛大に煽られた兵は一丸となり戦艦に乗り込んで行く。甲板に待機する者、機関部に入る者、全ての者は一切の恐れを見せていない。


 全員が乗艦を終えた後、旗艦に当たる戦艦の甲板にて再びクラウドは叫んだ。


「勝利を我らに!いざ出港!?」


 一斉に行動を開始した艦隊の中、クラウドは討伐組に通信を繋ぐ。


「あ~……もしもし、聞こえますか~?」

『はい、聞こえております。作戦の開始で宜しいのですね……?』

「マリアンヌ……さん。うん、行動を開始したよ。けど、念の為に言っとくよ?魔王が出てくるまで絶対に出てこないでね?」

「承知しています。ご武運を……」

「ありがと~。じゃ、またね~」

「…………」


 全て予定通り。あとは誘導組が海王に蹂躙されるのを待つのみ……魔の海を進む艦隊が海王を発見するまでにさして時間は掛からず、クラウドはいよいよ楽しげに笑っている。




 だが……ここで思惑に大きなズレが生じた。


 一つ目の誤算──。


 それはトシューラの艦隊に備えられた新兵器『魔導砲台』。臨界まで魔力を籠めた魔石弾頭の威力は凄まじく、海王にそれなりの深傷を負わせたのだ。


(ちっ……また余計なもの造ったなぁ、トシューラは。一体誰の考案だ、コレ……?)


 ベリド……と聞いてもクラウドには誰か判らないだろう。ただ、余計な真似をした相手がいることを認識したクラウドは、いずれその者も見付けて倒すことを己の計画に組み入れる。


(それにしても海王の奴……何で反撃しないんだ?これじゃ予定が狂うじゃないか)


 そう……。二つ目の誤算は海王の行動だ。


 いつもなら問答無用に反撃をする海王が、まるで躊躇するかのように逃げ回っているのである。クラウドにとってそれは不快であり不可解なものだった……。


(ちっ……使えないな。じゃあ、もう良いかな……海王、邪魔)


 怒りの矛先を海王に向けたクラウドは、珍しく短絡に走る。海王を生かせば魔王を呼び寄せられる可能性はまだ残るのだ。計画より怒りの発散を選んだクラウドは明らかにらしくない。


 だがクラウドが考え直すことは無かった。代わりに自分を納得させる正当な理由を探すクラウドは、『流石に何か行動をせねば兵の目にも不可解に映り士気が下がる』という理由をこじ付ける。


 そこで自己完結したクラウドは、改めて計画を開始。トゥルクから奪った神具を構え海王に投げ付ける。

 まるで銛の様に放たれたそれは海王の背に深々と食い込み、海王は雄叫びに似た鳴き声を上げた……。



 歓喜する兵達。対するクラウドは予定が狂い不機嫌そうだ。



 事態はそこで一変する……。



「な……何だ、アレは?」


 艦隊の兵が目撃したのは小さな人影──。それは海王の上空に停止し浮遊している。


 人影はそのまま海王と共に海中へと姿を消した。


「ま、まさか魔王か?クラウド殿!如何しますか?」


 期待をしていなかった存在の出現にクラウドは再び笑みを浮かべた。これならば、海王に期待した艦隊壊滅以上の結果もあり得る。


「全艦に通達。討伐組が到着するまで魔王の足止めが必要だ!だが、折角海王を討つ好機でもある。海王・魔王が再浮上の後、それぞれ半分に標的を分け魔王と海王の両方を攻撃せよ!」

「はっ!全艦に通達します!」


 通達を受けた艦隊は静観し様子を窺っていたが、再び浮上した海王・魔王を確認すると魔石弾頭を一斉射出。しかし……。


「十八発、発全弾命中……で、ですが、炸裂せず沈黙!」

「何だと?どういうことだ!」

「わかりません!あ……海王が逃げる!」


 再び海に潜ったら海王・魔王。その後しばらく浮上して来ない為、倒したと淡い期待を持つ者すら現れた。


 そんな中……十ある艦隊の内四隻が突如二つに折れ、海底に沈み始める。


「なっ!一体何が起こった?」

「わかりません!ぜ、前方に魔王らしき影が浮上!?全艦、警戒せ」


 報告が途切れ再び戦艦四隻が両断・沈没。残りたった二隻となった艦隊は混乱に陥った。


(思ったよりヤバイ相手だな。僕まで殺られちゃったらマズ)


 そしてまたも戦艦は両断。全ての艦隊は既にまともに機能せず、沈むのを待つばかりである。


 クラウドは初めて焦りを感じた……。どうやら予想以上に強力な相手……これは手に負えない、と。

 期待以上の被害だが、このまま自分が死んでしまっては復讐が道半ばで途絶えることになる。それは即ち、トシューラがこのまま存在し続けることを意味した。


 それだけは絶対に赦せなかったクラウドは、密かに海中から逃げることを選択。その行為がクラウド自身の“ 死への怖れ ”であることには気付かない。


 魔導装甲を身に付けていたクラウドは、その補助機能で水中でも辛うじて呼吸が確保され効率よく逃避が可能だった。その途中、海の中には息絶え沈む大勢の兵の姿が……。


(………アハハハハ!どうせならトシューラまで攻め込んでくれないかなぁ)


 魔力の続く限り海を往きその場から離れる選択をしたクラウドは、そのまま魔の海域から姿を消したのである。







 ライは怒っていた──。


 実に久方振りの憤怒。殺意を持って『敵』と対峙したのは恐らく、エノフラハ地下での戦い以来だろう。


 いつものライならば、きっと折り合いを付けることを選んだだろう。しかし、一目で起こっている事態を把握したライには到底我慢することなど不可能だった。



 久遠国・豪独楽からリルと共に移動したのは海上。初めは場所すら判別出来なかった。

 啜り泣くリルを抱き抱えつつ飛翔していた眼下にを確認するまでは──。


「海王の身体が……リル!どうして反撃しなかったんだ!」


 深く傷付けられた海王の身体……。


 海に船の残骸などは浮かんでいない。リルが反撃を躊躇ったことを即座に理解したライは、思わず問い質さずにはいられなかった。


「……ひと……きずつける……イヤ……」

「だからってリルが傷付いたらダメだろ!俺や師匠……ライドウさんやスズさんだって悲しくなるんだぞ?」

「でも……うっ……うわぁぁん!」

「ゴメン……。ゴメンな、リル……本当は……俺が悪いんだよな?ゴメンよ」


 ライが連れ出し人間と関わりを持たせたことで、リルは人を攻撃出来なくなった。その価値観はライと共に行動した結果植え付けられたものだろう。それをもっと真剣に考えれば、リルが傷付くことを避ける方策を考えていた筈なのだ。


 既にディルナーチでの行動にも片鱗はあった。海賊船を攻撃せずスズ達の船を曳航した時点で、リルはもう人への攻撃に躊躇いがあったのだろう。


 ライはそんなことも解らなかった自分に腹の底から怒り、そして悔やんだ……。


「ともかく怪我を治そう。大きいリルはまず深く潜るんだ。出来るかい?」

「ぐすっ……うん……」


 言われるがままに海王は深く潜って行く。ライはその後に続くように海に飛び込んだ。


 呼吸纏装を展開した上に黒身套を重ね、真っ暗な海に身を潜める。改めて怪我の具合を確認したのだが……海王の身体はかなりの深傷だった。


(ん?あれは……魔導具……いや、神具か?リルの魔力が漏れている……先ずアレを何とかしないと……)


 ライは深々と突き刺さる杖を引き抜くと、怒りを込めて《吸収》し消滅させた……。ともかく一度海王の体内に入ることにし、リルと共に口からの侵入を果たす。


「リル。直ぐに回復させる。もう少し我慢な?」

「うん……」


 力を解放し半精霊形態になったライは、持ち得る魔力全てを海王への回復魔法に注ぎ込む。

 山程もある海王の身体……その全てを癒すにはそれでも魔力が足りないだろう。


 だがまず、幾分でも癒さねば苦痛に苦しむリルに申し訳が立たない。


「どう?少しでも楽になった?」

「うん……」

「じゃあ、もう一回魔力を貯めてくる。あの船にあったのは海賊が使ってた兵器だよな……あれがあれば魔力は十分か。リル、ここで待っててくれ」


 立ち上がろうとしたライだが力が入らない。慌てたあまり魔力を使い過ぎたのが原因である。


「………。アホだな、俺って」

「ライ……リル、つかう!」

「リルの魔力を?でも……」

「リル!ライ、いっしょ!」

「わかった。じゃあ少し分けて貰うよ」


 傷は治せずとも有り余る海王の魔力。ほんの僅かだけ魔力を借り再び浮上したライ……しかし、リルも付いて来てしまった。


「リル!いっしょ!」

「……分かったよ。今度は絶対に怪我なんてさせないからな?」


 海上に出るや否や魔導砲台による連続射撃。しかしそれを予想していたライは、再び半精霊形態に変化し魔石弾頭の魔力を吸収し始めた。


「くっ!……こりゃあ、全部は吸収し切れないか?なら、こうすれば……」


 吸収した端から海王の体内に分身体を生み出す。魔力で満ちる前に次々発生した分身は、そのまま魔力源として海王の中に貯蔵。魔石砲弾の魔力が尽きるまでその流れを繰り返したライは、十分溜め込んだことに納得し再び海中に沈んで行く。


 そんな中で海王の体内に戻ったライは思わず足を止めた……。体感より分身の数が多かったのだ。


「ライ、いっぱい!」

「う、うん……我ながら気持ち悪いな……」


 把握出来る数を越え『半笑いにヨダレ』になる分身体。それが暗闇に佇む姿は相当不気味である。


「ま、まあ良い。これで魔力は足りるだろう。すぐ治してやるからな、リル」


 ひたすら回復魔法を使いまくるライは、大量の魔力循環を長時間続けた為か肉体に変化の兆候が生まれる。


 額の妙な違和感……何となく感じていたそれは、リルの指摘で何事か判明した。


「ライ!め!ここ!めがある!」


 自らの額を指差したリル。しかし……意味が分からない。


「ここ?め?」

「ライ!おでこ!めがある!」

「………ハッハッハ。リルさんったら、ご冗談を」


 嫌な予感てんこ盛りで自らの額に指を翳したライは、思わず硬直した。


「ヤベェ……指が見える……」


 視界に入らない筈の額にある指先。それがしっかりと見えているのだ。


 魔人化はそれぞれ変化の度合いが違う。エイルは肌の色だけだが、ヤシュロは下半身が蜘蛛と化してしまっていた。


 しかし、ライは今や半精霊体。肉体変化はもう起こらないだろうとタカを括った矢先、額に目が生まれた。

 これは今までのライの変化の中で一番人から外れた変化と言えよう。


「………。ま、良いか。許容範囲だし」


 後に鏡で見て改めて実感することになるのだが、今は取り敢えず後回しにする痴れ者。この楽観があるからこそ正気を保ち続けているとも言える。


 ともかく、この第三の目の開眼はライに大きな恩恵も与えた。


 魔法の増幅──魔法効果が数倍に跳ね上がるという結果を齎したのである。


「リル……何か回復魔法が楽になったんだけど」

「?……リル、なおった!」

「へっ?う、嘘……まだ怪我残ってないか?」

「なおった!ぜんぶ!」

「ほ、本当に……?」

「なおった~!」


 喜ばしいことなのだが、問題は大量に余っている分身体。半笑いの我が身から目を反らし逃避したライは、試しに分身体を吸収してみた。

 結果、分身体を全て吸収してもまだ余裕があるという驚くべき事態に……。


「……この目は魔力貯蔵も出来るのか。はは……すっかり人間離れしちまったなぁ、俺」

「ライはライ!」

「……そうだな。ありがとうな、リル」

「おぉ~!」

「よし、じゃあ帰るか……の前に、リルはここで待っててくれるか?」

「わかった」


 海王の口から出たライは少しばかりやることを思い出した。


 このままでは『海王が魔の海域を追い出された』ことになるだろう。それはカジームの守りを一つ失うことを意味し、海側からの侵略計画が加速する恐れがあるのだ。ライとしてはこれを避けたかった。


 それにリルを連れ魔の海域を離脱するにも、どのみち包囲網を突破せねばならない。


 しかし、一番の理由は怒り──。リルを傷付けられた借りを返さねばライの気が済まなかったのだ……。


(海王に手を出したらどうなるか、キッチリ叩き込んでおかないとな……)


 深い怒り……それは家族を傷付けられたことへの怒りである。ライにとってリルは身内。家族と同義なのだ。


 ライは何より身内が傷付くことを嫌う。自らを傷付けた者に殺意を持つことは無いが、親しき者を傷付けた者には情けなど不要と考えている。

 そしてその際、ライは実際に加減をしない。加減を知らないのではなく加減をしない。


 それは、シウトで燻っていた頃から変わっていない『ライ・フェンリーヴ』の根幹に関わる部分である。


 ある意味勇者らしく、また勇者から程遠いその思考は、肉親であるフェンリーヴ家の者達も知らぬライの闇の部分とも言えよう。



 そんな【闇】の反撃は海中から出たと同時に始まった。


 海上に出た途端に火炎圧縮魔法【穿光弾】を左右の手で一発づつ射出。手に入れたばかりの第三眼による魔法増幅は、戦艦を容易く貫通しその向こうにある二隻も巻き込み両断した。


 飛翔しつつ同様の手順で更に四隻。最後は遠距離に氷の刃を放つ圧縮氷結魔法 《氷月刃》にて二隻を両断。艦隊はあっさり壊滅した……。


「殺す気で来たんだ。殺されても文句はないだろ……?」


 いつもならば憂いを帯びる言葉だが、今回は情けの欠片もない。メトラペトラが居れば目を疑った光景だろう……。




 魔王討伐計画の場に現れたライは、奇しくも魔王の代わりを努めたことになる。当然起こり得る事態がある……。


 一つは魔王討伐組との対峙。


 端から見れば魔王以外の何者でもないライは、艦隊壊滅の実行者という事実もある。だが、幸か不幸か魔王討伐組の姿は無い。


 そしてもう一つの可能性……。


 そちらが今、現実としてライの眼前に存在していた。


「貴様、魔人か……この船を沈めたのは貴様か、小僧?」


 ライと対峙するように飛翔しているのは、額から二つの厳つい角を生やした長身の魔人。



 この邂逅は一つの大きな運命の区切り──。そしてそれは大古の魔人と半精霊体の戦いを意味していた……。



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