第四部 第一章 第二話 運命の流れ


「このトラブル勇者!」

「ぎゃあぁぁぁっ!?」


 百漣島の小さな庵に悲鳴が響く───。それはメトラペトラのネコ・スラッシュがライの額に炸裂した証。


 ライの顔に刻まれた爪痕はジワリジワリと回復して行くが、その様子に不知火領主夫妻は若干引いていた……。


「まったく……お主、やはり『運が良い』というのは嘘じゃろ?何じゃ~、このトラブルまみれは~!」


 メトラペトラの言い分はごもっともである。


 同行を始めてからというもの、海王に飲み込まれ、滅んだ筈の夢傀樹と戦い、伝説の魔王と再会し、そして今も何か問題が手招きしているのだ。何処をどう取ったら『運が良い』になるのか……疑問に感じるのは当然だろう。


「いや、そう言われても……俺には良いことありましたし」

「ん?何じゃ、その『良いこと』とは……?」

「おっぱい」

「おっぱい?おっぱいじゃと?そんなものの為に魔王級三体と出会すのが幸運じゃと?このぉ……」


 再びネコ・スラッシュの体勢に入るメトラペトラ。だが、ライは誇らしげに胸を張る。


「そんなもの……だとぉ……?ニャンコの……いや、メスの師匠にはわからないんですよ!おっぱいの素晴らしさが!男は皆、おっぱいを求める旅人……たとえどんな困難が待ち受けようと求め続ける!それが真のおとこ──そうですよね、ライドウさん!?」

「うむ………へっ?いや……うむむむ……!」


 ライからとんでもないキラーパスを渡されたライドウ。違うと否定すればライの機嫌を損う恐れがあり、肯定すれば『不知火領主ライドウ様はおっぱい大好き!』と認定されてしまう。


 迷うライドウ……隣の妻の視線が痛い。


「そ、そんなことよりですな……」

「そんなこととは何だ!そんなこととは!大体ライドウさん、スズさんのおっぱい好きなんでしょ!?」

「な~っ!ちょっ!ライ殿、落ち着いてくれ!?」

「いいや!ハッキリさせましょう!それともライドウさん……他の人のおっぱいが好きなんですか?」

「くっ……そ、そんな筈なかろう!ああ、好きさ!私はスズのおっぱいが大ぁい好きさぁ?」


 少し壊れ気味のライドウさん。絶賛混乱中……。


「ほらぁ!ライドウさんもこう言ってるでしょ!これぞ漢の生き……」


 その時ライの脳天に強烈な一撃が炸裂した。いや、ライだけではない……ライドウとメトラペトラの脳天にもほぼ同時に衝撃が走った……。

 その原因は……スズだった。絵に描いた様な美しい微笑みを浮かべたその手にはキッチリ畳まれた扇子が握られている。薄っすらと黒いオーラも見えた気がした。


「皆さん、少し落ち着きましょうね?あなたも領主なのに混乱しすぎですよ?」

「はい……スミマセンでした……」

「ごめんなさい……」

「ちっ……何故ワシまでこんな目に……」


 リル以外、全員正座でスズに頭を下げている状態。メトラペトラだけは不満気だったが、スズの持つ扇子がバキリと音を立てへし折れた途端、驚くほど姿勢が正され猫背じゃ無くなっている……。


「おっぱいは赤ちゃんの為にあるのよ?この話はこれでお仕舞い。あなた、お話を早く」

「お、おぉ。……む?何を話すのだったか……」


 溜め息を吐いているスズに対し少しオドオドして見えるライドウ……。どうやら領主様は奥方様の尻に敷かれているらしい。


「……っと、貴殿らには国王と会って貰いたいという話だったな」

「いえ……確か国王の一族と運命の流れが同じ、という話じゃなかったですか?」

「……ま、まあ結局は同じことなのだがな。結論を先に言ってしまったが、ライ殿には国王に会って貰いたいのだ」

「それは構いませんが……何故です?運命の流れが同じなら今逢わなくても何処かで逢うんじゃないですか?」


 ライドウとスズは顔を合せ言葉に詰まっている。やはり何やら複雑な事情があるらしい。


「まずは久遠国の現状から説明せねばならぬか……。国が割れている事を知っているならば、久遠国と神羅国の因縁も知っているだろうか?」

「いえ……そこまでは。そもそも何故、国が二分したんです?」

「文献では『女』の取り合いとあったが事実の程は何とも……。だが、最初の諍いは兄弟同士に由来するものだったそうだ。百鬼王の双子の息子による争いにより国は二つに分かたれた……と、文献には記されている」


 それが凡そ六百年程前だとライドウは付け加えた。


 それから二つに割れた国は領土の争奪を始めたという。領土の境を巡り小競合いが長く続いたのだと……。


「しかし……ある代の王が無益な争いを止める為、互いの王族同士で方策を決めることを提案した。結果、王同士の戦いで境界線を決めることになったのだ」

「良かったじゃないですか……。民が巻き込まれないなら問題無いと思いますけど……?」

「それが……その方法が問題なのだ。境界を決めるのは『両国の王同士による一騎討ち』……つまり殺し合いだ」

「……はい?な、何ですか、その無茶苦茶な取り決めは……?」


 王同士の殺し合い……そうであるならば一度の一騎討ちで国家間紛争は『決着』になっていなければおかしい。しかし、現在もディルナーチ大陸の国家統一は成されていない……。


 それは、取り決めに別の何かがあることを意味している……。


「勝った王はで領土の拡大が出来る。それ以上でもそれ以下でも無い。王の血が流れるのみで済む一騎討ちは見方によっては賢明な取り決めなのだろう」

「ちょっ……意味がわからないんですけど……」

「……通常ならば、王の落命は国の終わり。それはつまり、負けた国への簒奪が始まることを意味する。王族は根絶やしにされ民は弾圧を受けるのが倣いだろう。王同士の一騎討ちはそれをさせぬ為の縛りである反面、ただ互いの国を永らえさせる苦肉の策でもある」

「だけど、同じ民族でそんなことを繰り返して来たんですか……?」

「我々は……もう同じ民族に思えぬ程の長い間、争い続けてしまったのかもしれんな……」

「………」


 沈痛な面持ちのライドウ……スズはその手に自らの手をそっと添える。同族同士の長い諍いを悲しむライドウではあるが、その理由は領主という立場のみのものではあるまい。


「で……?それが何故ライに繋がるかの説明がまだじゃがのぅ……?」


 メトラペトラは痺れを切らし苛立ちを見せている……。


 本心としてはライを関わらせたくないメトラペトラ……領主ですら嘆く国家の揉め事ならば尚更だ。

 ライは他者の為に心に傷を残すことを厭わない──魔石採掘場でそれを見たメトラペトラは、ディルナーチに来るべきではなかったとさえ思い始めている……。



「我が国王ドウゲンは自分の代でこの因縁を終わらせるお考えだ。一騎討ち──【首賭け】の日は近い。どちらが勝っても現王一族は放逐だけに留め、領民には今の生活を変えずに済ませる提案をしていたのだ。だが……」

「………神羅国が何か言ってきたんですか?」

「うむ……。ライ殿は国を奪い後顧の憂いを断つ方法を御存知か?」

「……一族皆殺し?」

「それも一つの道だが、もう一つ。血縁を結ぶのだよ。敗者の国王の血縁を自らの血筋に取り込む。要は政略結婚というやつだ」


 確かにその手もあるが皆殺しに比べれば不安要素が残る。しかし、上手く行きさえすれば相手領民の反発なく事が運ぶ利点もある。


「神羅国はそれを提案してきた」

「寧ろ悪い話では無かろう。王族は王族として残るのじゃぞ……?何故迷う必要がある?」

「我が国の姫が拒否したのです。そして王はそれを容認した」

「は?姫君の意見など王がどうとでも出来るじゃろうが……」

「姫は【先祖返り】なのです」


 先祖に魔人の血が混じると、ごく稀に世代を経て天然の魔人とも言える存在が生まれる。それが先祖返り……。


「それ程に強力なのかぇ?その姫とやらは……」

「はい……。尋常ならざる魔力だけでなく強き肉体を備え、しかも指折りの剣の達人。神羅国にすれば、脅威であると共に喉から手が出る程の存在なのですよ」


 それ程に強き力を持つ者……血を取り込めれば、数世代は強き王族が産まれるだろう。国力を上げるにはこれ以上無い好機でもあるのだ。


「ライ殿には姫に会って頂きたいのだ……」

「……お主らは結局、何をしたいんじゃ?ライがその娘に会ったところで何も変わらんと思うがの」

「それは……王・ドウゲン様にお会い頂ければ分かるかと……」


 ライドウ達は、まだ何かを隠している……メトラペトラはそれに気付いていた。迂闊に乗るべき話ではない。そうライに告げようとした矢先──迂闊な勇者はあっさり応えてしまう。


「わかりました。お会いしましょう」

「くっ……。わかっておったが……お主、やはり馬鹿じゃな?」


 怒りの視線を向けるメトラペトラ。愛弟子を想い色々と心配していたにも拘らず、当の本人は肩を竦め『それが何か?』みたいな顔をしている。

 その“イラッ”と来る顔にネコ・ヒートスラッシュが炸裂し、ライは悲鳴を上げつつのたくり回わった。最早、日常の光景だ……。


「で、今すぐ行くんですか?」


 素早く身を起こし何事もないかの様にライは会話を続ける。流石に呆気に取られていたライドウはメトラペトラに視線を向けた。


「………大聖霊様。頼んだこちらが言うのも何ですが、本当に宜しいのですか?」

「お主ら……此奴が拒否しないと知っておったのでは無いのか?」


 メトラペトラの視線はスズに向いている。スズは深々と頭を下げた。


「お察しの通りです。だからこそ初めにお会いした際、お招き致しました。どうかご容赦を……」

「本来ならばお主らを消し去りたい気分じゃよ。弟子を利用しようとした時点での……」


 メトラペトラの威圧が領主夫妻に向けられる。この世ならざる超常の威圧は死をも連想させるもの……不知火夫妻からは脂汗が滲み出ていた。


 しかし──ライはそれをあっさりと遮った。


「お~、良し良し!優しいね、メトラちゃんは!」


 メトラペトラを抱き寄せ撫で回す。


「おっ!お主!……あっ!い、一体誰の……あぁん!……為に…らめぇ~っ!?」


 的確にツボを突かれたメトラペトラは艶やかな声を上げた……。と同時に、ライドウ夫妻に向けられていた威圧は霧散した。


「く……こ、この!」


 何とか抵抗するメトラペトラ。だがライは、その身体を優しく抱き締め囁いた。


「ありがとう、メトラ師匠……でも大丈夫。言ったでしょ?俺は幸運だって……多分、今一番の幸運はメトラ師匠に逢えたことです。だから師匠がいてくれれば……大丈夫」

「じゃが、お主……化け物と言われた程度で泣いたじゃろうが。この国の事情はもっと辛いかも知れんぞよ?」

「あれは……改めて気付くと化け物と言われた事が悲しかったんじゃないですよ。リルの想いを理解されなかったことが哀しかったんです。海王と恐れられたリルが人を救ったのに理解されない……こんな哀しい話、無いでしょ?」

「では、船着き場のこともかぇ?」

「はい。リルの善意に弓が向けられていたのが哀しかった……。化け物という言葉で消されたのがね」


 今、メトラペトラの眼前にはライの顔がある。その目は少しだけ潤んでいた。


「……仕方無いのぉ」


 諦めて溜め息を吐くメトラペトラ。


「酒臭っ!師匠……ちょっとは控えて下さいよ!?」

「フフン。これから久遠国に向かい飲むんじゃから無理じゃな」


 その言葉はライドウ夫妻は畏れの表情を打ち消した……。


「そ、それでは!?」

「此奴は言い出したら聞かんからのぉ……仕方あるまい。但し、お主らの策謀で此奴に何かあろうものなら国ごと滅ぶと心得よ!」

「はい!ありがとうございます!ライ殿……心より感謝を!?」


 再び深々と頭を下げるライドウ夫妻。その声には確かな感謝が籠められていた。


「で、どうしたら良いですかね?」

「うむ……まずは我が領地『不知火』の居城に共に行って貰いたい……のだが、少し時間をくれまいか?」

「俺は別に急ぎではないので構いませんが……何かあるんですか?」

「うむ。実は最近、海賊が妙に増えてな……先ずそちらをどうにかしたいのだ」

「もしかして、ライドウさんが島に居た理由はそれですか?それに海賊って【髑髏に花】の……スズさんを狙ってた、あの?」


 無人島付近でスズ達を追い回していた海賊達……。不知火領の海域で領主の奥方を狙うということは、余程勢力を伸ばしていることになる。


「うむ……。彼奴らは【蛮龍党】と名乗っておってな。最近では近海を荒らし回り困っておるのだ。拿捕して罰せねば漁師達も安心して働けまい」

「それは神羅国の手先という訳ではないのじゃな?」

「いいえ。どちらかと言えば両国の荒くれ者の集まりと言うべきでしょうな。ですが、これが中々に厄介でして……」

「厄介?」


 ライドウの話では、【蛮龍党】は船の性能が高いらしく不知火領保有の船では相手にならないらしい。


「まず奴等は突然現れるのだ。加えて船の速度、そして強固さが違う。我が方の船は木製だが、彼奴らの旗艦は金属……しかも遠距離魔法も効かぬ。たかだか十隻の船に此方の五十の船団が歯が立たぬ始末……」

「それって国外の船ですかね?」

「間違いないだろう。我が国の技術では金属の船はまだ造れぬからな。それに、魔法を防ぐ仕組みも船自体に備えられている様だ」


 ライは考えた……。海賊が一体何処からそんな技術を手に入れたのだろうか?と。そして辿り着いた答えは──。


「またトシューラか……。懲りないな、あの国も……」

「トシューラだと?まさかペトランズ大陸の大国と海賊が繋がっているのか?」

「恐らくは、ですけどね……じゃなければ有り得ないでしょう?そんな魔導科学を用いた船なんて。海賊が開発して形に出来るとは思えませんし……」

「では、我が国……いや、ディルナーチ大陸は外敵に脅かされている訳か……。これもまた由々しき事態だな」


 ディルナーチ大陸内で揉めるだけではなく外敵まで発生したとなると、事は一刻を争う。せめて海賊だけでも何とかしたいとライドウは呟いた。


「あの海賊……人も拐いますよね?」

「……うむ。既にかなりの数が拐かされた」

「流れる先はトシューラでしょう。あの国は国外の民を道具の様に扱う。向かう先は強制労働か、はたまた『異能』目当てなのか……」

「だからスズを狙ったのか……くっ!卑劣な」

「………師匠」


 ライがメトラペトラに視線を向けると、既に諦めていた様子。その前足をプラプラと振っている。


「好きにせい。今更揉め事が一つ二つ増えたところで変わらんからの。ま、修業と考えてやって見い」

「流っ石、師匠は話が早い。じゃあリル……手伝ってくれるか?」

「お~!リル、なにする?」

「この辺の魔物ってどうなってるんだ?リルの友達?」

「みんな、なかま!こぶん!」

「……。子分なんだ……ま、まあ都合が良いかな?」


 何やら悪い顔で相談を始めた人外達。ライドウは少し不安になってきたらしく、恐る恐るライに尋ねる。


「ラ、ライ殿?一体何を……」

「ヌフフフ……なぁに、この海に海王あり!と見せ付けてやろうと思いましてね……。ついでに船の一つでも奪ってやろうかと……」

「無理な頼みごとをした我々に助力願えると言うことか?し、しかし何故……?」

「いえ。トシューラにはちょっと……いや、かな~り恨みがありましてねぇ……。クックック……」


 悪い顔のまま笑っているライ……『背後に魔王の幻影を見た!』とライドウは考えていたが、スズは寧ろ安心した顔でそれを見つめている。


(やはり、あなたの見立ては間違いないみたいですね……ルリ)


 目の前の赤髪の青年には力の微弱なスズでさえ判るほどの大きな力を感じる。しかし、同時にとても温かい何かを感じてもいるのだ。

 きっと悪い様にはならないという確信がスズの中に存在している。


「良し、ではライドウさん。小舟を一艘貸していただけますか?」

「いや、一艘ではなく我々の準備が済むまで待って貰いたいのだが……」

「大丈夫っすよ。俺達だけで……」

「いや、しかしな……」

「下手に一緒に来ると巻き込んじゃいますよ?」

「……………」


 迷うライドウのその手にスズの手が触れる。スズは頷いていた。


「わかった。お任せしよう。ご助力、感謝する」

「あ……一応、船の準備はしといて下さい。拐われた人とか奪った船とか、色々仕事はある筈ですよ?」

「……う、うむ。心得た」


 たった三名での海賊退治──ライドウは不安な目を向けながらも期待せずにはいられない。




 そして……ライ達は不知火領の海に漕ぎ出して行く。いざ!海賊退治の始まり始まり……。



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