第三部 第一章 第九話 拡大する脅威


 目の前に在るものが何かを理解した時、クリスティーナは硬直し思考を止めた……。はクリスティーナにとって大きな衝撃だったのだ。



 ニルトハイム公国の穏やかな日々に於いてクリスティーナが驚く様なことは稀だった。自分は行動的……だから色々なことに慣れ、また理解しているのだと思い上がってさえいた。


 だが……目の前の光景は、そんな考えのクリスティーナが世間知らずだということを改めて突き付けることとなる……。




 シンがクリスティーナ達の元に戻って来た時……初めは何を持って来たのだろうと疑問に思った。掴んでいる朱色の束は何かの衣服、もしくは植物でも持ってきたのではないか?などと考えていた。場所は荒野……この時点で違和感が無かったと言えば嘘になる。しかし、それは些細なことと深く考えていなかった。


 だが、シンが近付くにつれクリスティーナは何か緑色の物を視認する。この時ようやくシンが掴む赤いものが衣装では無いと気付いたが、木の枝の様な四本の物質を見たことで植物という認識に置き換わる。


 ──が、更に近付きその全貌を理解したクリスティーナはパニックを起こすことになった……。



 引き摺られて来たのは朱色の髪の女………魔王・【鱗】。



 クリスティーナはまず、鱗に覆われた緑色の身体に硬直した。次いで胴がヘソの辺りで断たれていることに口がポカンと開いてしまう。木の枝と勘違いした四本ある腕も二の腕で全て途切れていたことに、微かに手が震え始めた。

 その惨たらしい魔なる者の姿にも驚いたが、極めつけはそれは『生きていた』ことだった……。


「何見てんのよ……小娘」

「ひっ!」


 この時、クリスティーナの脳内は真っ白になった……。



「クリスティーナ!おい!大丈夫かい?」



 ペシペシとクリスティーナの頬を叩き覚醒を促すシン。元・大公女殿下……いや、シンの義妹は立ったまま白目で固まっている。


「あ~らら……そんなもん見せるから」

「そんなものとは失礼ね!」

「あぁ?嬢ちゃんのは普通の反応だぞ?大体なんだ、テメェは?何で緑色だ、コノヤロゥ?」

「知らないわよ!何でそこに食い付くのよ!色に文句言われたのなんて始めてよ!?」


 勇者と魔王が喧嘩している……。しかも理由が『魔王が凄く緑色なんだけど何で?』みたいな状態だ。勿論、セルミローはそんなどうでも良いことに関わる気はなく、遠くの空を見上げて何かに思いを馳せている。


「ハッ!わ、私は一体……」

「よかった!どうしたんだい、クリスティーナ?」

「いえ……少し記憶が……確か緑……が……」

「お?起きたのか嬢ちゃん。のせいでビックリしたんだろ?」

「え?ってなんでしょ…う……」


 語り掛けたルーヴェストに視線を移すクリスティーナ。そこには魔王・【鱗】の短くなった腕を掴み、クリスティーナに向かって振っているルーヴェストの姿があった。


 途端にクリスティーナは再び硬直した……。


「み……みどり……みどりが……」


 プルプルと震えながら呟くクリスティーナ。実際、現在の【鱗】の姿は、子供たちが見ればトラウマ確定の不気味さ。一国の姫君の反応としては正しいと言えよう……。


「ホラみろ。やっぱりテメェが原因じゃねぇか……ミドリイモ」

「何よ!『ミドリイモ』て!」

「イモムシに緑だから『ミドリイモ』だ。魔王・ミドリイモ……。ヤベェ……ゾクゾクするぜ」

「イモムシじゃねぇよ!この筋肉勇者!?」

「何っ!筋肉が見たいだと?ちょっと待ってろ……いま鎧を……」

「やめてぇ~!暑苦しいからやめてぇ~!!」

「……。仲良さそうだな、お前達……」


 先程までの命懸けの緊張感はきっと何処かの空に消え去ったに違いない……セルミローの輝きの無い目が空を見ているのは、そんな微妙な虚しさ故のことなのだろう。



 その後クリスティーナを何とか落ち着かせ、一同は情報の整理を始めた。


「ニルトハイムが滅んだ原因は、お前達で間違いないんだな?」


 最初に質問したのはシンだ。ナタリアの為にも詳しく状況を知りたいということだろう。


「間違いないわよ。私……つまり【鱗】、そして【六目】、【角】。国を丸ごと滅ぼしたのは、【角】の新術実験。【六目】はニルトハイムの大公子を殺している」

「お兄様……お父様、お母様。仇は……必ず……」


 魔王・【鱗】に視線を向けたクリスティーナ。その目から、明らかな殺意が漏れている。

 猛烈な魔力の圧で流石に怯んだ【鱗】だったが、シンの仲裁で落ち着きを取り戻した。


「クリスティーナ。辛いだろうがニルトハイムの悲劇を繰り返さない為にも情報が欲しい。堪えてくれないか?」

「……わかっています。大丈夫です」

「しかし……随分とまたベラベラ喋るじゃねぇか、ミドリン。自分は、手を下してないから助けて~!とか言うんじゃ無ぇだろうな?」

「そんなこと言わないわよ。敗けは敗け。勝者には従うわ……それよりミドリンって言うな、筋肉バカが!」

「そう何度も見たがるなよ……これが最後だぞ?ホラ、よぉく目に焼き付けるが良い」

「や~め~ろ!!」


 既に上半身裸のルーヴェスト。左右の大胸筋をリズミカルに動かしている。クリスティーナは少し顔を逸らし頬を赤らめていた……。


 ………。話が進まないので質問はセルミローに一任することになった。その咳ばらい一つで皆、静まり返る。


「では改めて……魔王よ。新術実験と言ったがそれは何だ?」

「私達が元・魔術師だというあんた達の予想は正しいわよ。実際、封印された理由は『無秩序な実験』なのだから」

「だから、それが何かと聞いているのだ」

「高魔力を爆破エネルギーに変換する研究……簡単に言うなら、《魔人転生》の際の圧縮エネルギー反応を利用した大規模破壊術の開発」

「その結果がニルトハイム消滅の悲劇……か……」


 ニルトハイムどころか他国まで一部消滅しているのだ。遺憾ながら実験は成功してしまったと判断して差し支えないだろう。


 世界の危機……その現実が重くのし掛かる。


「その【角】という魔王はどこにいる」

「アステ国北西のタラス山脈に研究施設があったから、そこに居るんじゃない?でも他の場所の可能性もあるわね。研究施設は世界中に存在するから」

「くっ……厄介な。場所を全て教えて貰うぞ?」

「仕方無いわね……」

「……貴様は何か企んでいるのか?あまりに素直すぎる」


 質問全てに答える【鱗】。何か企みがあると考え警戒するセルミローだが、そこでシンは改めて説明を加えた。


「私の持つ神具で『沈黙』と『嘘』を禁じています。質問の答えに嘘は無い筈ですよ」

「どおりで素直な訳だ。ならば遠慮せず質問をさせて貰おう。高魔力エネルギーは何を使っている」

「その為の魔獣よ。ニルトハイムにはそれが封印されていたから利用され滅びたの。ツイてなかったわね……あ、そうそう。昔のままなら封印された魔獣の場所は全て把握しているわよ?」


 則ちそれは『世界規模であの爆発を起こせる』ということだ。危機は更に高まった。

 だが【鱗】の言葉は尚、更なる不安を生み出すことになる。


「その場所も全て教えて貰う」

「でもねぇ……。教えても無駄かも知れないわよ?」

「どういうことだ?」

「開発した術は圧縮したエネルギーを結晶にして持ち歩けるのよ。その為に開発した術なのだから。既に【角】は幾つかの結晶を保有しているわよ?」

「由々しき事態だな、これは……」


 セルミローはその場で通信魔導具を起動させ、エクレトルに報告を始めた。


「ペスカーよ。かなり危機的状況だぞ……」

『何でしょうか?』

「先程の波動は感知しているな?」

『はい。その影響で映像が確認出来ないそうですが……」

「……ニルトハイムが滅びた」

『まさか!そ、そんな……』

「加えて世界中で同様の事態が起こる可能性がある。詳しくは情報を送る。しかし、時は一刻を争うのだ。大至急、各国に招集を呼び掛け対策会議を手配して欲しい」

『世界会議……それ程の危機なのですね?』

「そうだ。それと魔王を一人捕縛した。連れ帰る故、尋問の準備も頼んだ」

『わかりました。セルミロー……どうかお気を付け下さい』

「わかった」


 手筈を整えたセルミローは再び質問を続ける。


「他に仲間は居ないか?」

「さぁ……【角】は私からしても得体が知れないのよ。恐らく仲間がいる……もしくは仲間を増やすでしょうね」

「………やはり相当厄介な相手か」

「高魔力の結晶はそのまま《魔人転生》に転用出来る。間違いなく仲間を増やすでしょうね」


 更なる悪しき魔人の増加……ロウド世界の悲鳴が聞こえそうだとセルミローは思った。


「……貴様らの本当の名前は何だ」

「……私の名前はイルマ・スケリー。【六目】はテルヴィオ・イズィル。そして【角】はアムド・イステンティクス」

「ア……アムドだと!!」

「あら……やっぱり知ってたわね」


 セルミローのあまりの動揺ぶりに顔を見合わせるシンとルーヴェスト。クリスティーナは当然話に付いて行けず、憑依中のメルレインから説明を受けている。


「なぁ、天使さんよ……【アムド】ってのは誰なんだ?」

「……お前達が知らぬのも無理無きことだ。【アムド・イステンティクス】は魔法王国を滅ぼした原因とまでいわれた魔術師だ。世界から魔力を奪い疲弊させた大罪人にして、当時の天使兵の大半を『喰らった』男だ」

「天使を喰らっただと?」

「正確には天使の魔力を……だがな。当時の天使は魔力生命体だ。奴はそれを限界まで取り込み続け、そして魔人化した。恐らく千年来最悪の魔王だろう。だが……」


 そう……それ程の魔王なのだ。魔法王国がそれを封印したならば、並の者では開封など出来ない筈。力ある何者かが意図をもって封印を解いたとしか考えられない。


「と、ともかく、【アムド】となると話は別……。勇者達よ……力を貸しては貰えまいか?」

「いや……俺は始めからそのつもりだが?」

「感謝する、勇者ルーヴェストよ……。それで、勇者シンはどうする……?」


 シンは答えない。


 世界の危機……過去のシンならば二つ返事で応えただろう。しかし今は──。


「私は……」


 答えあぐねているシン。そこにクリスティーナの嘆願が入る。


「シン様は姉ナタリアとの婚姻の為に【勇者】であることを諦めたのです。今後はアステ国イズワード卿として協力なさいますが、どうか勇者としての要請はお止め下さいませんか?」

「クリスティーナ……」

「シン様……。私の我が儘と承知でお願い致します。姉ナタリアの側から離れないで……ニルトハイムを失った姉を支えてくださいまし」

「……ああ、わかってるよ」


 悲痛ながら決意に満ちた表情を浮かべるシン。セルミローに顔を向け深々と頭を下げる。


「申し訳ありません。この非常事態に私情など挟む余地など無いことは理解しています。しかし、私はもう勇者としての自分を捨てたのです。今はただ、ナタリアの為に生きることしか出来ない」


 生き様を選択したシンに、セルミローは柔らかな笑顔を浮かべその肩を力強く掴んだ。


「……頭を上げよ。勇者シン……いや、シン殿。人はそれで良いのだ。そうでなければ世界は回らぬ。世界の危機より大切な者……それを守れずしては『人』足り得ぬのだ」

「セルミロー殿……」

「そうだぜ?勇者なんてのは結局、家庭や家族を省みないロクデナシの仕事なんだよ。胸はって嫁貰え。んで子供沢山産め」

「プッ!……じゃあ、あんたはロクデナシ筋肉勇者ね」

「黙れ!ミドリン虫!」

「ちょっとぉ!どんどん酷くなるんですけどぉ?」


 ルーヴェストは親指を立てシンに向けた。数年前出会ってから不思議と縁が出来た友人。その友情はかけがえの無いものである。


「済まない……ありがとう」


 再び礼を述べたシンはもう迷いを吹っ切った様だった。クリスティーナは胸を撫で下ろすと同時に自らの決意をシンに伝える。


「シン様……。代わりという訳ではありませんが、私はセルミロー様のお力になろうと思います」

「それは!駄目だ、クリスティーナ!!」

「大丈夫です。今すぐどうこうする訳ではありませんから。ただメルレインの力も借り得た今、私は力を使うことに慣れねばなりません。私は強くなりたいのです」

「クリスティーナ……」


 その決意は少し歪に感じるが、やはり決意は固い様だ。セルミローはそれを汲み取り助言を告げる。


「ならばクリスティーナ殿。落ち着いたならばシウト国に向かえ」

「シウト国……シン様の祖国ですか?」

「うむ。あの国の街、エルフトには魔王級の存在が戦いの手解きをしている。あらゆるものに通じる優れた指導者らしいから、私から頼んでおこう」

「……ありがとうございます。セルミロー様」


 今度はクリスティーナが深々と頭を下げた。今日は妙に感謝される日……などと思った訳ではないが、セルミローは自然と頬を弛める。


「あ~……もう質問が無いなら解放して貰えないかしら?」

「あん?何、馬鹿言ってんだ?」

「だって、もう私は不要でしょ?魔力も戦う意思も封じられて情報も吐いたんだから」

「………お前、何か隠してるだろ?」

「隠してるわよ?……あっ」

「クックック……嘘付けないからなぁ。全部吐け。拒否も出来ないぜ?」

「あ~あ……私の運も尽きたわね」


 それから【鱗】ことイルマは、知り得ること全てを吐いた。魔法王国時代の魔人で天使を核として《魔人転生》を行ったのはアムドだけだということ。魔法王国が創り出した【人造魔人】の研究所は、既にもぬけの殻だったこと。二年前、【鱗】の封印を解いたのは【角】だったこと、それから情報収集と世界体制の把握を密かに行っていたこと。その他知る限りの情報を洗いざらい吐いた。


「良し。じゃあコイツ滅ぼそうぜ!」


 これはルーヴェストの提案だ。先程まで割と仲良さげだったが、あっさり死刑宣告をするその容赦の無さに当事者以外全員微妙な顔をしている。本来、魔王に容赦の無い筈のセルミローですら同情の色を浮かべていた。


「まあ待て……質問の仕方によってはまだ情報を引き出せるやも知れぬ。魔王・【鱗】はエクレトルが引き受ける」

「良いのか?消せるときに消しとかないと後々面倒だぜ?」

「それは判るが、やはり情報が必要なのでな」

「ま、構わねぇがな?で、これからどうするよ?」


 シンはクリスティーナと打ち合わせの後、帰還の準備を始めた。


「我々はイズワード領に戻る。ナタリアも心配しているだろうからな。……。セルミロー殿……直接のお力にはなれませんが、イズワード領としての協力は惜しみません故ご容赦を」

「うむ……良き領主にならんことを願っているぞ」

「はい……ルーヴェスト、またな」

「おう!今度飲みに行くわ」

「ハハハ……楽しみにしてるよ」

「嬢ちゃんも大変だろうが、元気でな」

「はい。お二方とも大変お世話になりました」


 シンとクリスティーナは互いに飛翔し、そのままイズワード領の方角に去って行った……。


「さてと。じゃあ、コイツ任せたぜ?セルミローさんよ」

「うむ。魔王討伐の件、宜しく頼む。勇者ルーヴェストよ」

「あいよ。じゃあな、『虫』」

「あんた……次会ったら殺すわ」

「勿論、返り討ちだがな?」


 目一杯の殺気を向けられた魔王・イルマは、あっさりと気絶した。元々、戦闘向きでは無いのだろう。かなり耐久性が低い様だ。


「ハハハ。じゃあな」


 着込んだ鎧が翼を羽ばたかせ一気に飛翔する。ルーヴェストは瞬く間に姿が見えなくなった……。


「では私も行くか……」


 手首の腕輪で音声を含む各情報を纏めエクレトルに送信したセルミロー。槍を手に取り動かない魔王を掴み上げ飛翔を始めた刹那……それは起こった。



「ぐはっ!」


 セルミローは己の胸を見た。そこにはセルミロー以外の腕が鎧を突き抜け胸から生えていた……。

 噴き出す鮮血……セルミローの手から力が抜け魔王は落下していった。


「だ……誰だ……一体何時から…」

「それはナ・イ・ショ!」


 セルミローはその声に心当たりがあった。胸から腕を引き抜き振り返った場には、予想を確信に変える姿がある。


「ぐふっ……き、貴様は……ゆ、勇……者…ク……」

「はい、そこまで~。じゃあね、天使さん」


 襲撃者が腕を薙ぐと、セルミローの首が宙を舞う。消え行く意識の中──セルミローはそれでも世界を憂いた。


(済まぬ……後は頼んだぞ……)


 誰に願った訳でも無い思いは、アステに広がる空に消えた……。




 神聖国家エクレトル。その最高意志の一人、セルミローの喪失は前代未聞の事態。これにより間接的関与に止まっていたエクレトルは、国として本腰を入れることになる。




 この事件は瞬く間に拡がり、大国による会議──『世界会議』へと発展して行くのである。




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