第三部 第一章 第八話 勇者と魔王の戦い②


 シン・フェンリーヴを知る者は皆、シンを真面目という。真面目で誠実だ、と……。


 しかしシンは、自分のことを真面目だと思ったことは無い。彼は自分のことを我が儘なのだと認識していた……。




 小さな頃……シンは父や母が冒険者として活躍した話に憧れ、自分もそうなるものだと疑わなかった。そんなある日、父が負傷して帰還を果す事態を目の当たりにする。幸い軽傷ではあったのだが、シンは恐れというものを理解してしまった。


 自分が傷を負うことも勿論だが、大事なものを失うことが何より恐かったのだ。


 それからシンは強さを求めた。それは失わない為に必要な力の渇望……。失いたくないのは自らの『我が儘』。これがシンの行動の原点である。

 後に妹マーナもほぼ同じ理由で強さを求めたことを考えると、血筋によるものとも言えるかもしれない。


 そんなシンは、まず手始めに魔法の力を求めた。一番手近な母の本を片っ端から読み耽り、実践を加えた研鑽。結果、母ほどではないが魔法の才に恵まれたことを自覚するに至る。


 身体鍛練の面では、不在の父を当てに出来ぬ為に学ぶべき相手を探していた。


 まず最初は、王都で時折見掛ける近衛兵。色々質問をしたところ、暇潰しとして手解きをしてくれることになった。


 それからシンは、王都ストラトを訪れる戦士・剣士にまで片っ端から指導を求め始める。中には面倒そうに追い払う者もいたが割と多くの者が相手をしてくれた。

 それは子供の好奇心に応えたつもりなのだろうが、それでもシンには十分な糧となった。


 やがてシンは、街の酒場の手伝いをしながら強い相手を探す様になる。



 そんな中、訪れたのは運命の出会いとも言うべき出来事……。



 ある日……いつもの様に酒場に向かったシンは、酔っ払いに絡まれた剣士風の男に出会う。男は一切手を出さず殴られていただけであったが、負傷の様子は一切見あたらない。やがて酔っ払い側が疲れ果て立ち去ると、男は悠然と酒を飲み始めたのだ。


 シンは男に嘆願した。戦わずして相手を退けたその姿は、シンの目に目指すべき姿として映ったのだ。


 だが男は、シンを軽くあしらい全く取り合わない。そこでシンは男が一人になるまで待ち、勝負を挑むことにした。



「行きます!」

「止めておけ。怪我をするぞ?」

「僕の先生になってくれるなら止めます……。非礼なのは充分承知していますが、この街では他に方法が無いんです。だから……」

「ふぅ……仕方無い。気の済むまでやるが良い」


 木刀とはいえシンの攻撃は苛烈だった。男は一瞬目を見張ったが、それでも手を出さず攻撃を受け続けた。


 だが、やがて僅かに攻撃が通り始める。


(この子は……!赤髪……そうか……)


 シンの気合いの一撃。そこで初めて、男は防御の素振りを見せた。男が掌底で受けたシンの木刀は、粉々に砕け散ってしまう。呆然とするシンの肩に大きく温かな手が置かれシンは顔を上げた。


「少年……お前の名前は?」

「シンです。シン・フェンリーヴ」

「………仕方無い。私がこの街にいる間だけ相手をしてやろう。但し、空いている時間のみだが」

「充分です。宜しくお願いします」



 男は自らの名をアスラと名乗った。



 それからは近くの森で手解きを受ける日々が始まった。流石に毎日ではなかったが、アスラは理解しやすく適切な修業を課しシンはそれらを黙々と熟すことに専念した。


 そんな日々が実に二年……。赤子だった弟は歩ける様になり新たに妹も生まれた。守るべき者が増えた喜びと、守る為の力不足への恐れ。そして、それ故の力への渇望……。

 たかだか十歳前後の子供が持つには過剰な感情であるという現実に、シン自身が気付くことなく努力は続いた。



 そしてシンが十二歳になったある日……遂に纏装を習得したのである。



「これでもう教えることは無い。後は己で考えながら研鑽せよ。それと……年齢を考えれば、身体が成長するまで肉体はそれ以上鍛えぬ方が良い。代わりに纏装を常に纏うことだ」

「常に……ですか?」

「うむ。本来は覇王纏衣を纏うことが理想だがな。命纏装は肉体を、魔纏装は魔力を、使用していた分だけの上昇を促す。覇王纏衣ならば両方が強化される」

「わかりました。今までありがとうございました、先生」

「私は少し手助けしただけ。その若さで『覇王纏衣』を習得した者を私は他に二人しか知らぬ。胸を張るが良い」



 アスラが去った後……シンは纏装を使って様々な場所に足を運んだ。魔術を学ぶ為にエルフト、剣術を学ぶ為にノルグー、といった具合にシウト国内を巡り歩いた。それらは全て『守る力』への渇望からのことだった。


 しかし、ある時……シンは弟・ライに言われたことがある。


『兄さん……誰かの為ばかりじゃ疲れちゃうよ?自分がやりたい事はないの?』


 シンはそこで初めて自分が必死だったことに気付いた……。


 言われた様に力を抜き少し考えることにしたシンは、折角得た力の使い方を考える様になった。


(自分のやりたい事……か)


 修業を続けながらも答えを探す……そんな日々を繰り返す内に、更に三年の時が経過した。


 答えの出ぬままの旅立ち……。そんなシンは『勇者の持つ性』とでも言うべきか、旅先でも人を救い続けた。救いを求められればその大小に限らず救いの手を差し伸べたのだ。

 様々な出会いと旅の果て……他国にまで足を伸ばし救い続けることで、やがてシンは強くなることを渇望していた日々が無駄では無かったと気付く。



 ようやく見付けた答えは、至極単純なものだった……。


『ただ己が気持ちに従う』


 何のことはない。人を助けるのは性分であり、救わねば己が納得出来ない……それだけのことである。再び己の我が儘を自覚することになったシンは、以前より肩が軽くなった気がした。


 だが、それはまた苦難の道の始まりだった。全ては救えないことは理解している。が、納得は出来ない。だからシンは更に力を渇望した。今度はただ己の心の為に……。



 そして更に旅の果て──。


 シンは魔王と対峙しても余裕を持つ程の成長を遂げていた。




「お前達がニルトハイムを滅ぼしたことに間違いはないか?」

「へぇ……あの小国はニルトハイムっていうの……そうよ?私達が滅ぼしたけど、それが何か?」

「罪を償って貰う」

「なぁに?あなたの故郷だったの?」

「私の想い人の故郷だ。つまりお前は私の仇と言っても過言ではない」

「………ちっ!色に狂った猿め。これだから人間は嫌なの……よっ!」


 言葉尻に不意打ちの魔法を放つ【鱗】。しかしその魔法はシンの手前で霧散した。


「……神具か。面倒ね」

「では諦めて討たれてくれるかい?人に戻りたいなら別だけど」

「冗談!折角魔王になってこんな力があるのに……あんた随分余裕だけど、魔王が魔法しか使えないと思ってるの?」

「関係ないな。どんな力があろうとお前は私に勝てない」

「生意気な……」


 苦々しげな視線を向ける【鱗】──その時……シンが突然背後に剣を振るうと、何かが剣に弾かれ甲高い音を立てた。両断されたのは……緑色の鱗。


「あら、残念」

「これで二度目。不意打ちが魔王の本分なのか?」

「あら?魔王が正攻法で戦うとでも?【六目】みたいな傲慢な奴ならともかく、魔王なのよ?人の都合などどうなろうと構わない横暴さが売りでしょう?」

「……そうだな。私はまだお前を人と認識してしまっていた様だ。感謝するよ、魔王。お前を敵だと再認識させてくれて」

「それはどうもっ!」


 今度はシンの足元から鋭い何かが突き出した。緑色をしたそれは、太い槍にも見える。素早く飛び退いたシンだったが、緑色の槍は途端に柔軟さを持つ鞭の様にしなりシンを打ち据えた。


「くっ……」


 直ぐ様体制を立て直し攻撃を受けた場所へ視線を向ければ、そこには緑の鱗を持った蠢く物体が……。


「蛇の尾……か?」

「アハハハハ……正解よ」

「【鱗】……成る程、蛇女という訳か」

「失礼ね。そんな安っぽい名前で呼ばないで頂戴。そうねぇ……魔王・鱗姫とでも呼んで欲しいわね」


 地中が割れると蛇の尾は【鱗】の足元に繋がっていることが分かる。


「プッ……アハハハハ!【鱗姫】だって?馬鹿馬鹿しい……魔王というのは型から入らないと気が済まないのか?」

「笑ったな?だが、お前の顔だけは気に入った。だから頭だけは残して全部綺麗に消してやる。頭は私が大事に飾っておいてやるよ」

「趣味の悪さだけは確かに魔王だな。が、やはり低俗……下級魔王というのも間違いないのだろうね」

「もう良い……その喉を引き裂けば雑音も消えるだろ?」


 【鱗】のフードが内側から弾けるように破れ、その全貌を現わす。その姿は魔獣にも同様のものが存在する『半人半獣』──。


 蛇の下半身は太く、その模様は如何にもな毒々しさを顕した赤い斑。下半身の所々に小さく尖ったヒレがあり、尾の先に向かうにつれ緑一色になって行く。腰から上の部分は人型。『獣人』ではなく『魔獣』らしく見えるのは、肌の部分が緑の鱗鎧スケイルメイルの様に首元まで鱗に覆われていることと、その腕が四本あることが理由だろう。


 顔の額には朱い魔石が埋め込まれ、髪は同様の朱……。肩の辺りには大きな皮膜の翼が一対。


 更に【鱗】の周囲には、光を浴びて反射し浮遊する鱗が空を漂っていた。


「死んじまいな!色男!!」


 大量の鱗がシン目掛けて射出され、命を奪いに迫る。


 シンは無言で右手を前に構える。すると、その前面には光る防御壁が現れ飛来する鱗の尽くを音を立てながら消滅させて行く。

 それは右手首に嵌まる白き腕輪の力──。


 【光竜の盾】


 触れる物を分解し消滅させることが出来る光の盾。手を翳している間は消滅、拳を握ると防御、といった様に調整が可能で、更にイメージを浮かべれば形状を自在に変えられる。


「厄介な神具ね……だけど、これならどうかしら?」


 魔王の操る鱗は僅かに赤い光をともしながら再びシンへと迫る。やはり光の盾に消されるかと思いきや、拮抗し激しい音を立てた。


「鱗に消滅効果を与えたのか……?」

「バレちゃった?良く見てるわねぇ……」

「だが、その程度なら……」

「残念……それだけじゃあ無いわよ?」


 シンは背後に気配を感じ飛び退いた。その判断は正しく、先程までシンがいた場所には大量の鱗が降り注ぐ。そして大地に埋まった鱗は、大地を溶かした──。


「今度は空間転移する鱗か……。加えて鱗それ自体に強酸性の毒。やはり『一応』は魔王なんだな」

「フン……その減らず口、いつまで叩けるかしらね?」


 絶え間無く襲い来る鱗……。それは魔王から自動生産され尽きることはない。それらを光の盾で防げば、転移してくる毒の鱗が迫る。回避すればまた消滅の鱗が迫るのだ。

 どう見ても魔王に近付けないシンの方が不利に見える。


 だが───。


「…………気に入らないわね」

「何がかな?魔王」

「何故、防ぎきることが出来る。どう考えても転移する鱗を躱しきれるのはおかしいのよ……あんたは未来視でも出来るの?」

「……さて、どうかな?」


 シンの使っているのは【探知纏装】である。纏装を詳しく知らない魔王には、空間ごと知覚されている事実を知らないのだ。

 しかし、教える義理がないことをシンは理解している。対・知的脅威存在戦闘の基本は手の内を見せないこと。そういった意味ではシンは中々に賢しい男なのだ。


 だが端から見れば、魔王に近付く事が出来ないという不利は変わらない。故に【鱗】は、余裕の笑みを浮かべていた。


「フフフフ……いつまで魔力が持つかしらね?私達魔人の魔力に付き合い続ければ、いずれ力尽きることになるわよ?」

「さて……それはどうかな?」

「強がりを……精々、悪足掻きしながら絶望するのね!」


 魔王は鱗の数を更に増やしシンを取り巻く様に配置。すると、大量の鱗はシンを中心に高速回転を始めた。魔力のうねりは竜巻となり、更に鱗の毒は霧状に変化。あらゆる物を腐食させる死の竜巻……囲まれたシンの姿は紫色の竜巻に飲み込まれた。


「あっ……?首を残すの忘れちゃった!……まあ良いわ。これから幾らでも首なんて増やせるし……」


 余裕の傍観を決め込む【鱗】。だが……突如として竜巻の中から無数の斬撃が飛び出し【鱗】の身体の何ヵ所かを切り裂いた。


「ぎゃあぁぁぁあ!」


 斬撃による痛みは魔王を混乱させた……。何故生きている?中は腐食の竜巻なのだ、何故?


 斬撃で掻き乱された竜巻……その中には光の繭に包まれたシンの姿があった。


「厄介な神具……」

「もう終わりか、魔王」

「……調子に乗るなよ?人間の癖に」

「それは此方の台詞だ。改めて言わせて貰おう。『調子に乗るなよ?』人間であることから逃げた分際で……」

「生意気な下等生物の癖にぃぃ!!」


 【鱗】は四本の腕を広げ魔法陣を展開。そこから巨大な黒い魔力光を放つ。


 時空間魔法・《黒断空刃》


 空間すら断絶する黒き巨大な刃は、光の繭ごとシンを切り裂いた……かに思えた。


「ぎひゃぁぁぁ!!」


 しかし、悲鳴をあげたのは【鱗】だった……。


 四本あった腕は切り裂かれ、更に背中の翼も切り落とされている。


「なっ……何故!?」

「何故も何もないだろう……。私が転移出来ないとでも思ったのか?」

「し、干渉魔法の使い手だと?あんたは剣士じゃないのか!」

「俺は剣士じゃなく『勇者』だ。あらゆる魔法を学び、あらゆる武に通じ、あらゆる装備を揃えた、伝説の勇者の子孫……まぁ、お前達は知らないだろうな」

「伝説の勇者だと?ふざけるな!」


 高速で腕を再生し、尾で凪ぎ払う。しかし、既にシンの姿はそこにない。


「無駄だよ……そろそろ終わりにしたいんだけど構わないか?」

「転移が出来ようが関係ない。そんなもの私達にも……」

「出来るかな?ならばやってみると良い」

「何だと……!」


 【鱗】が転移魔法を発動すると一瞬青い光を放つ。しかし転移は成功せず、同じ場所に留まっていた。


「く、くそっ……くそぉっ!」


 何度も転移を試みる【鱗】。しかし、一瞬青く光るのみで転移することは叶わない。


「い、一体何をした!」

「お前の中にある『転移』の力を禁じた。二度と転移は出来ない」

「その神具の力か……人間の分際でぇ!!」

「もう聞き飽きたよ、魔王。最後にもう一度だけ言うぞ?人に戻るなら剣ではなく『法』で裁かせてやろう」

「舐めるな!」


 鱗の乱れ打ちと魔法の同時展開。そしてシンを鱗の結界に閉じ込め、大規模魔法を撃ち込んだ。しかし、やはりシンの姿はない。


「それが答えだな?では罪を償え!」


 目にも止まらぬ斬撃は【魔王・鱗】の身体を瞬時に細切れにした。全ての腕を失い、胴を両断され下半身を失い、魔力の要である額の石を砕かれた魔王は、ただ地面に転がり動けない。それは完全に無力化された姿だった……。



 シンの持つ剣──【戒律剣】は、切った相手の能力を禁じる神具。かつての勇者バベルの遺産の一つである。



「た……助けて……」

「もう遅い」

「な、何でも教える!全部喋るから……!」

「………………」

「そ、そうだ!もう一人いる魔王のことも話すわ?聞いておかないと、世界は大変なことになるよ?」

「……ハァ。仕方無い、か」


 シンは軽く二度【鱗】を斬りつけると剣を納め改めて告げる。


「お前の『逃走の意思』と『他者への害意行動』を禁じた。全て吐いて貰う」

「も、勿論よ」

「ハァ……済まない。ナタリア、クリスティーナ」



 もう一人の魔王の行動……それを知らずば、第二、第三のニルトハイムが生まれ兼ねない。


 シンはナタリアとクリスティーナへの申し訳無さが湧き上がるが、実情として情報は喉から手が出る程に欲しい。きっと理解してくれると信じ、魔王【鱗】の髪を掴み引き摺って行く。


「ちょっと!もう少し丁寧に……!」

「投げた方が早いかな……」

「わかったわよ!………あんた、顔の割に結構エグいわよね」

「敵には一切の情けを掛けない。これは基本中の基本だ。わかったら少し大人しくしていろ」

「…………はい」



 引き摺られる魔王は妙に汐らしい……。それはシンがまだ力を隠していることに気付いているが故だろう。


 事実、シンは今回神具の力ばかりで魔王を撃退している。しかも鎧の神具は効果を使っておらず、己が実力で使用したのは空間転移と飛翔斬撃、そして探知纏装。神具が強力とはいえ魔人相手に実力を抑え捕縛するなど、魔法王国時代にも殆ど例がない。

 則ちそれは、世界で戦う者の強さの上昇を顕しているのである。


 全てはロウド世界が抱える危機に由来しているのだが、それを理解している人間は皆無と言って良いだろう。



 ともかく、勇者二人による魔王退治は終了した。


 一体は撃破、一体は捕縛。少々大地に影響を与えてしまったが、それでも被害は最小と言えよう。





 これからアステ国の荒野で情報を引き出す為の話し合いが始まる。だがそれは、新たな脅威への前触れでしかなかった……。



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