第三部 第一章 第五話 力の勇者


 トォン国・シシレック──。


 トォン国領土の南央部に位置する国境の街は、神聖国エクレトルとの交流の要と言える街でもある。


 エクレトルはその存在意義から、世界で唯一『侵略』や『謀略』と無縁な国。更にその領土内は魔物や盗賊の出現が稀で、安全な流通網として各国に重宝されていた。

 但し……その安全性に油断し国境警備を怠れば、他国の密偵の侵入を許すことになるのだが……。


 そういった事情から、エクレトルと接するシシレックは多くの物流と人の往来の恩恵を存分に享受するトォン国の重要な街となった。




 そのシシレックにある小さな酒場【エルベの酒場】……。そこには真昼にも関わらず人集りが出来ていた。



「お次は誰が『勝負』するんだ?」


 店内に出来た円環状の人集りの中心には、腕を組んだまま仁王立ちしている大男の姿が……。


 歳の頃なら二十二、三……。簡素な袖無しの黒い服装に一目で筋肉隆々とわかる肉体。短めの髪は赤茶色をしていて、耳辺りから下は黒髪に変わっている。四角い顔は穏和に見えるが、その眼力は見ただけで実力が伝わる程だった。


 男の持ち物……装備は店のカウンターに置いてある。それは緑色の鎧と、金属棒の先に円盤を付けた様な『黒い斧』だった。


「どうした?誰もいないのか?じゃあ、この金は全部俺が……」

「待った!俺が挑戦する!!」

「よぅし!じゃあ掛け金を払ったら開始だ」


 挑戦に名乗りを上げたのは、まだ幼さが残る十五、六程の少年。年齢にしてはやや高めの長身である少年は、赤茶の髪の大男と対峙すると子供にしか見えないという不思議な光景だ……。


「じゃあ、一応ルール説明だ。お前の攻撃が俺に当たればお前の勝ち。攻撃のチャンスは三回。俺からは一切手を出さないが、ルール違反があれば罰金。例えば武器使用、魔法による身体強化、外野を使った妨害、その辺りやったら反撃するぜ?これは男と男の素の勝負!不粋は無しだ」

「わかった」


 二人が身構えたその時、店の常連達から野次が飛ぶ。 


「ちったぁ加減してやれよ、ルーヴェスト~!大人げねぇぞ~?」

「うるせぇな!勝負は勝負!加減しちゃ失礼だろうが!」

「物は言いようだな、この筋肉勇者が!」

「けっ!うるっさい呑んだくれ共め……」


 酒場の常連にからかわれた赤茶髪の男、ルーヴェスト。売り言葉に買い言葉のやり取りは酒場を笑いの渦に包んだ。


 気を取り直し、ようやく勝負が始まる……。


 少年は真面目に鍛練しているらしく、中々に良い動きで攻撃を仕掛ける。しかし……ルーヴェストは見た目に似合わぬ機敏な動きで攻撃が掠りもしない。瞬く間に三度の攻撃は終了した。


「中々良かったぜ、少年!お前、何かやってるのか?」

「うん。今、騎士の修業中なんだ」

「そうか……ならば特別にこれをやろう」


 差し出したのは一冊の本。タイトルは──


【君も明日から真の漢!目指せ極限!肉体改造講座(一巻)

『ルーヴェスト・レクサム著』】


──という怪しげな本だ……。しかもサイン付き。


「あ……ありがとう……」

「なぁに!良いってことよ!ハッハッハー!」


 本を受け取った少年は、微妙な笑顔を浮かべ立ち去っていった。


「さぁさぁ!次は誰かな?『勝負』しないなら終了だぜ?」

「俺がやるぞ!」


 次にズイッと前に出たのは、ルーヴェストと同様の大男。スキンヘッドの男は顎髭を生やした中年である。


「ヘッヘ……その金は全部俺が頂くぜ?」

「勝負に勝てたならな?ルールを説明……」

「ずっと聞いてたから要らねぇ……ぜ!」


 男は挨拶もせずいきなり拳を振るう。


 完全な不意打ち……だが、ルーヴェストにはやはり届かない。

 しかし三度めの攻撃の際、外野に近付いたルーヴェストは、背後から突然電撃に見舞われる。その隙を狙いスキンヘッドの男が攻撃……。ルーヴェストの頬に出来た一筋の傷跡。確かに血が滲んでいた。


「へへっ!これで俺の勝ちだな」


 勝ち誇ったスキンヘッド男。しかし……。


「グワァ!いでぇ!何しやがる!」


 ルーヴェストはスキンヘッド男の手首を握っている。腕はミシミシと音を立て、激痛に堪えられなくなったスキンヘッド男が手を開くと『釘』が床に落ちて跳ねた。


「ルール違反は罰金だ。五倍払って貰う」

「わ、わかった!わかったから手を離せ!!」


 手を緩めたルーヴェストは続き様に素早く外野に近付き、一人の男の腕を捻り上げる。


「お前もだ。五倍払え」

「な、何を言って……」


 惚けようとした外野の男は、次の瞬間絶叫することとなる。


「ぎゃあぁぁぁ~!!」

「おっと。肩が外れちまったか……早く医者に行かないとな?但し、ルール違反はルール違反だ。賭け金五倍払ってからだぜ?」

「わ、わかった!頼むから赦してくれ~!!」


 外野の男の首を掴み、スキンヘッドの男に向け投げ付ける。ルーヴェストは肩や首を鳴らしながら男達に近付いた。


 そして……。


「男と男のルールは守れよ?じゃないと……」


 そこで一気に『殺気』を開放したルーヴェスト……。正確には殺気を含んだ命纏装なのだが、その圧力に堪えきれなかった『ルール違反の二人組』は意識を失った。


「ちっ……根性なしどもめ。なあ、誰かコイツらから賭け金抜いて医者に……」


 酒場を見回すと、全員白目で意識を失っている。その口に付いているのは、ビールの泡か口の沫か……判断が難しい状態だ……。


「………やり過ぎちった」

「何が『やり過ぎちった』だ、このアホ勇者が!!」

「痛い!」


 唯一意識を失わずルーヴェストを背後からひっぱたいたのは、店の女主人・カペラである。

 しかしルーヴェストは、カペラに目を向けずキョロキョロと辺りを見回し何かを探している様子……。


「あれ?変だな……確かに叩かれたんだが、誰もいないぞ?」

「ルーヴェスト……てめぇ……」

「あ!カペラちゃん居たの?小さすぎてわからなかったでちゅよ~?」


 そう……。カペラは齢二十になるが、まるで子供の様に小さかった。見た目は十四、五歳にしか見えないだけでなく、身長もルーヴェストの三分の二も無い。

 かわいい服装が好きで仕事着にしているのだが、それが更に幼く見える原因だと当人は気付いていない……。


「コロス!ルーヴェスト、コロス!!」

「助けて~っ!汚される~」

「おい!誤解される言い方すんな!!」


 刃物を持って追いかけるカペラと、逃げ回るルーヴェスト。大男のルーヴェストが店内をドタドタと走り回る音と振動で、酒場の客は目を覚ました。


「………。な~んだ、またやってるのか………夫婦喧嘩」

「おい!誰が!」

「夫婦だ!」

「………。息ピッタリじゃん」


 確かに絶妙の呼吸の二人。しかし、立ち並ぶと親子にしか見えない。


「大体何だよ、カペラ……俺は売上に貢献してるんだぜ?何故叩かれなきゃならんのだ……?」

「お前がああやって客を気絶させると、漏らす奴も居るんだよ!見ろ!あれを!」


 カペラの指差した先には、先程のルール違反二人組がいる。その股間はしっかりと濡れていた。


「………。ドンマイ!」

「くっ……この脳ミソ筋肉ヤロウが……」

「え?そんなに俺の筋肉が見たいの?ほぅら!」

「誰がそんなこと言うか!おい、見せんな!むさ苦しい!や~め~ろ~!」


 ワナワナと震えるカペラに上半身裸で近付くルーヴェスト。端から見れば子供に迫る『完全変態犯罪者』にしか見えない……。




 ルーヴェスト・レクサム。こう見えても彼は『三大勇者』の一人であり、エルドナ製『竜鱗魔導装甲』に選ばれた【力の勇者】である。決して変質者さんではない。


「で……いつまで居るんだ?ルーヴェスト」


 汚れた床をモップがけしながら問い掛けるカペラ。カウンターで食事しているルーヴェストは口一杯に料理を詰め込み振り返る。


「もむむもみむむむみ……」

「おい……飲み込んでから喋りやがれ」

「む?むぐ……ゴクン!悪い悪い。やっぱり美味いな、カペラの料理は。夢中になって詰め込んじまった」

「そ……そんなこといっても何も出ねぇぞ!」


 顔を真っ赤にしたカペラは、酒場に似合わぬフリル付きのスカートを揺らしカウンターまで戻る。そして素早く手を洗い、ルーヴェストにしっかり飲み物を──とんだツンデレさんである。


「で、何だっけ?」

「だからぁ……何時まで居られるのかって聞いたんだ」

「う~ん……特には決めてないな。最近、騒ぐ様な事態って無いみたいだしな?」

「………勇者がそれでいいのかよ。まあ、良いけどよ」


 どこか嬉しそうなカペラに気付くことの無いルーヴェスト。『鈍感筋肉男』は再び料理を貪りながら語る。


「魔物は各国で駆除出来る程度に落ち着いてきたからな……慌てる必要が無い。最近目ぼしい騒動っつったら、そうだな……魔の海域での船団壊滅と二年前のシウト国エノフラハの魔獣……あとトシューラ国の魔王か……」

「魔王出たなら勇者の出番じゃねぇのかよ?」

「おいおい……トシューラだぞ?あの国、面倒クセェんだよ。それに『勇者マーナ』が戦ったらしいから俺の出番は無しだ」

「適当だな、おい……」

「ま、近くで騒ぎが起きたら出番だな。それまではゆっくりするさ」


 食事を終えたルーヴェストは装備を揃え出掛ける準備を始める。


「……ゆっくりするとか言って何で武装してんだよ?」

「常在戦場、ってヤツだ。こういうのは大事なんだぜ?特に今のご時世はな?」


 ルーヴェストの言葉を興味無さげに聞きながら食器を片付け始めたカペラ。手元を動かしながら呟く。


「ふぅん……ま、どうでもいいや」

「どうでも良いって、お前なぁ……」

「どうせ、あたしらみたいな素人は備えても死ぬときゃ死ぬんだ。だから守ってくれよ?筋肉勇者!」

「何!筋肉が見たいだと?鎧着ちまったからな……ちょっと待っ……」

「や~め~ろ~っ!お前いつか捕まるぞ!」

「ハッハッハーッ!また来るぜぃ、チビッ娘!」

「あたしは二十歳だぁぁぁ~!!」


 軽やかなスキップで立ち去るルーヴェスト。先程まで座っていた座席には『勝負』で手に入れた利益が丸ごと置いてあった。


「あいつ、また置いて行きやがったな……?まぁ、また来るだろ」


 ルーヴェストはこの店【エルベの酒場】に来る度に『勝負』を行ない、その儲けを置いていく。一種の再開の約束なのか、はたまた貯蓄のつもりなのか……ルーヴェストもルーヴェストだが、それを大切に保管するカペラもカペラである。


 常連客から『夫婦』などと揶揄されるのはこういったことの積み重ねが原因なのだが、やはり当人達に自覚はない様だ。





 【エルベの酒場】を出たルーヴェストは、腹ごなしにシシレックの街を歩くことにした。そして親しみあるこの街に思いを馳せる。


 シシレックはエクレトルの高度技術魔導具がトォン国内で真っ先に揃う街。その真新しさを求めて訪れる客が多いのだ。

 加えてトォン国の中では比較的に雪の季節の短い街であるので、居住に向いている為に人口も多かった。


 そして何より、この街はルーヴェストの生まれ故郷でもある。

 と言っても住居が在った訳ではない。ルーヴェストの一族は旅商人。遊牧民の様に住まいを変えながら商売を行っていた。


 やがて身籠ったルーヴェストの母は友人のエルベ夫妻の元に身を寄せ、そこで生まれたのがルーヴェストである。ルーヴェストにとってカペラの営む酒場はまさしく生まれ故郷ということになる。当然、カペラとは幼馴染みだ。


「この街も随分変わったな……人が増えたせいか壁の増設工事が大変そうだ」


 シシレックには国境警備も兼ね大きな防壁が張られている。その為、国の内外問わず脅威から街を守る必要があり、壁は街をぐるりと囲んでいる。

 しかし、人口が増えれば土地を増やす必要がある。その為の増設工事は不可欠なものになっていた。


(昔は外壁部を走って鍛えたっけな……うっし!ちっと行ってみるか)


 命纏装を纏い軽く一跳ねすると、大通りに派手な土埃が上がる。ルーヴェストはその一跳ねで街の外壁に辿り着いた。

 驚いたのは壁の上で警護していた兵士である。


「な……だ、誰だ!………って、ゆ、勇者ルーヴェストぉ?」

「オッス!悪りぃな、驚かせて……。昔ここを使って修業してたから、つい懐かしくてよ……」

「い、いえ!どうぞ、ごゆっくり~!」


 兵は敬礼して強ばっている。それも当然だろう。トォン国随一の勇者は尊敬の的なのだ。

 しかしルーヴェストは気取った様子など見せることなく兵の背中を叩くと、ニッカリと笑みを浮かべ外壁部を歩き始めた。



 別に意図があった訳ではない。ただ本当に懐かしく、思い出に浸りたかっただけなのだ。

 それがこの街にとっての幸運だったと気付いた者は、後に何人いただろうか……。




 しばらく外壁を散策したルーヴェストは、壁の上から近くの森の中を眺めていた。そこには魔物の親子が彷徨う姿が見える。今は冬季ではない為に雪は見当たらない。恐らく、間もなく訪れる冬に備えようとしているのだろう。


 餌を探しているのか?などと考えたルーヴェストが、ふと視線を遥か森の果てに移したその時──それは突然起こった……。



「……なんだぁ?アレは?」


 森の果てに見えたのは空の色が暗転するほどの閃光──そしてそこから更に拡がる爆炎……。

 当然、それに気付いたのはルーヴェストだけではない。衛兵達は叫び警鐘を鳴らす。


「全員、安全な場所に避難を!」


 遥か離れた場所の異常……。過敏な反応にも思えた兵士達の行動。しかし、その判断は間違ってはいない。爆炎は途中で止まったが、衝撃が木々を倒し始めたのだ。


「ちっ……不味いな。ありゃあ、壁まで来るか?」


 ルーヴェストは壁の上から更に一跳ねし衝撃の迫る森の中に着地した。


「起きろ!【スレイルティオ】!」


 背負っていた斧を構え高く掲げると、ルーヴェストは高らかに叫ぶ。

 と同時に、斧は形状を変え刃に当たる部分四片が分離しシシレックを覆うほどの広範囲に拡がった。


「空に逸らせ、【スレイルティオ】!!」


 防壁の展開とほぼ同時に届いた衝撃は、轟音を立てシシレックの上空に消えていった。


「ふぅ……ヤバかった~。だろ?お前ら?」


 ルーヴェストの背後には先程観察していた魔物の親子が見つめていた。当然、何が起こったかなど理解していないだろう。

 そんな魔物から視線を逸らし再び外壁に飛び乗ったルーヴェストは、危険などなかったかの様に平然とした表情だ。


 とはいえ、一部始終を見ていた兵が固まったまま動かないことに流石のルーヴェストも苦笑いを浮かべる。


「しっかし……一体ありゃ何だ?あの威力……中心部はどうなったんだかな……」


 この時代にあのような兵器は存在しない。つまり、もし有り得るとするなら可能性は二つ。【魔王】か【魔獣】……ともかくロクなことではないだろう。


「やれやれ……休暇も終わりか。カペラには悪いが勇者様の出番だな、こりゃ……」


 騒ぎが起きたら……などと言った矢先の騒動。どうやら他国での出来事らしいのだが、遥かトォン国にまで被害が及んだのだ。出張らない訳には行かない。


「エクレトルに連絡……は必要ないな。勝手に動くだろ。さぁて行くか……」


 ルーヴェストの鎧はみるみる形を変え、マントだった部分はまるで竜の翼の様に変化を果たす。


 そして羽ばたき一つでシシレックから一気に飛び去った……。


 それは先程の衝撃波の如き速度の高速飛行──。



 向かう先は爆心地、ニルトハイム。そこに居るのは三人の魔王……。


 『特殊竜鱗装甲』の勇者でも侮れない相手……ルーヴェストがそれを知らずとも、ただならぬ脅威がそこに在ること位は理解しているだろう。


 だが──ルーヴェストは鼻唄混じりで空を行く。


 常在戦場……常に戦場に心を置く者、それが力の勇者【ルーヴェスト・レクサム】という男なのだ。




 ニルトハイムの悲劇から生まれた騒動は、大きなうねりとなり世界に広がり始めた……。



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