第三部 第一章 第四話 ニルトハイム、消滅
ニルトハイム大公達の乗る馬車はアステ国境を越え自国領の街道を往く。それはイズワード領でナタリアと別れてから二日目のことである。
余計な時間を掛けず故郷への旅路を急いだのはクリスティーナの要望だった。
ナタリアの幸せを皆に早く伝えたいことが半分、姉と別れた寂しさで家族と会いたいことが半分、そんな理由からのこと。
だが……。
「クランデル様!街の方角に煙が……!!」
「何だと?一体何が起こったというのだ……?」
馬車から飛び出した大公クランデルとクリスティーナ達。故郷の方角に目を向けると、遥か遠方ながらにそれと判る大きな黒煙が上がっている。
「と、ともかく急ぐぞ!誰か、馬を頼む!?」
「な、なりません、大公!まず我々が調査を……」
「そんなことを言っている場合ではない!我が国民、我が家族に大事あらばこの身を持ってしても護らねばならぬ……それが大公であろう!」
「クランデル様……」
護衛兵から馬を借り受け颯爽と跨がる大公。護衛兵の何人かは同行の意思を見せている。
「お父様!私も……!?」
ニルトハイム大公女・クリスティーナは同行を申し出たが、クランデルは首を横に振った。
「クリスティよ。お前はアステ国境まで引き返せ。一刻過ぎても私が戻らぬ時はイズワード領に向かいパルグ殿に庇護を願うのだ」
「しかし……!」
「心配要らぬ。煙も只の火事やも知れぬだろう?ニルトハイムは近隣に攻め入られぬ国だ。戦争の心配は無い」
「お父様………」
心配そうに見つめる我が子を見てクランデルは穏やかに頬笑む。少しばかり奔放だが、優しい娘に育ったことは誇りにすら思う。
「では数名はクリスティーナの護衛を頼む。メル殿。どうか娘をお頼み申す」
「わかりました。しかし、クリスティの為にもどうか御無事で……」
「……かたじけない。では行くぞ!哈っ!」
半数の護衛兵を引き連れて馬を駆る大公。真っ直ぐに居城を目指し街道を進んで行く。やがてその姿は小さく霞んで遠い景色に溶けた。
「行こう、クリスティ。あなたが待つことが大公の支えにもなる」
「はい……。メル……私は何て無力なのでしょう。私がもっと優れた魔術師なら翔んで行けたのに……。私が男なら、きっと力になれた筈……。私は……私は何て……」
「大公はそんなことは思わないよ。例えクリスティが男だとしても、魔術師であったとしても、同じことを言った筈だよ。それが親の愛。私はそんな人間の愛を心から素晴らしいと感じているんだ……だから、あなたはそれに応えないとね?」
クリスティは溢れかけた涙を拭い頷いた。
「ありがとう、メル……」
大公の娘としての使命。今、それは信じて待つことしか無い。そう理解したクリスティーナの馬車は父の言を守り国境に向かう。
その窓から遠くの黒煙に目を向けているメルが少し寂しげな顔をしていたことをクリスティーナは知らない……。
(異常な魔力を感じる……。クリスティには悪いけど、ニルトハイムはもう……)
せめてクリスティーナだけでも救うべきなのだ。別れの際、大公の目はそれを伝えていたのだろう。
(ニルトハイムの封印……そんなものを解こうとしているのは誰?この魔力は何?一度シンに相談せねばならないか……)
メルは遠退く煙から目を離しクリスティの手を握る。大公女の不安を乗せた馬車は、足早にアステ国境に向かうのであった……。
大公妃ノーラの乗る馬車は、爆発の衝撃に驚き街道で足を止めていた。既に城からかなり距離があるが、引き返すべきか迷っていたのである。
(ああ……ゲイル……。どうか無事で……)
いつも他人を気遣うことを忘れない我が子。両親を敬い不敬など働いたことのないゲイルは、あの時ノーラに厳しい目を向けた。
しかしノーラにはわかっていた。それが親愛故の行動だと……。
立派になった我が子を護りたくともその力が無い。いや……事実として足手纏いの自分は、言われたように大公の帰還を止めることしか出来ない。苦汁ながらも、ノーラは引き続き馬車をアステ国境側に走らせることにした。
我が子はきっと無事だと信じて……。
しばらく街道を走ると、同行の衛兵から声が掛かる。
「ノーラ様!クランデル様のお姿が……!!」
「本当ですか?止めてください!!」
まだ止まりきらぬ馬車から飛び降りる様にノーラが駆け出した。クランデルも同じ様に馬から飛び降り、馬はノーラの脇を駆け抜けて止まる。
二人はそのまま固い抱擁を交わした。
「ノーラ!よくぞ無事で!」
「ああ……あなた……!」
「それで……何が起こっている」
「わかりません……。しかし、あの子が……ゲイルが封印を気にしておりました。一昨日、何者かが『ニルトハイム列石』を壊したのです。それで……」
「わかった。お前はこのまま国境に向かえ……クリスティーナがそこで待っている」
「あなたは……どうなさるのですか?」
「息子が身体を張っておるのだ。父が向かわぬでどうする……」
不安に駆られるノーラだが夫の決意は固い。止められぬと覚悟したその時、兵の一人が声を張り上げ叫ぶ。
「な……何だ、あの光は!!」
兵が指差す方向には眩い光が見える。少し赤みを帯びた半球体のそれは、ゆっくりと大きさを増している様にも見える。
クランデルは魔術の心得があるが故に気付いた。その光のおぞましさに……。
そしてクランデルは力の限り叫ぶ。
「皆、逃げよ!あれは危険だ!行けぃ!?」
兵達は混乱しながらも馬に飛び乗り駆け出す。その内一人は冷静さを失っておらず、大公にも避難を申し出た。
「大公様もお早く!」
「よい……早く行け。若き貴殿らならば助かるやも知れん」
クランデルは兵の乗る馬の尻を叩き、強制的に馬を走らせた。兵は項垂れていたが、やがて一気に馬を疾走させて去って行く。
「あなた……」
「若き命は残さねばな……助かるかは賭けではあるが……。済まぬな、ノーラ。あの光、尋常ではない。もう助からぬ……」
「……いいえ。怖くはありません。あなたと共に在るのですから」
光は少しづつ速度を増し膨らみ続けている様だった。その光景は恐ろしさだけでなく神々しさも持ち合わせている様に見える──。
クランデルとノーラは、そんな光を見つめながら語らい始めた。
「ゲイルは立派でした。素早く対応し、更に私を逃がそうとしたのですよ?」
「そうか……。フフッ……では、後で褒めてやらねばな?流石は我が息子……立派な跡継ぎだ」
「あの娘達はどうでしたか?」
「イズワード卿の孫にあたる者とナタリアの婚姻が決まった」
「まあ!それは何よりのことです」
「出逢ってすぐに見初められて……いや、あれは惹かれ合ったと言うのだろうな。一時も離れない、そんな仲睦まじい姿だったよ」
「あの娘にそんなお相手が……」
「相手は生真面目な性格に似合わず中々の色男だったぞ?まあ、私には敵わんがな?」
「フフ!あなたったら」
いつも聞き分けが良く聡明で優しいナタリア。ノーラはそんな娘の相手が良き者であることを強く望んでいた。肩の荷が一つ下りた気分だった……。
「クリスティーナが全て配慮して結び付けたのだ。二人は魂で結ばれた相手だから、とな。実に見事だったぞ?」
「あの娘が……。そう……」
天真爛漫で甘えん坊のクリスティーナ。クランデルとノーラはその成長が嬉しかった。
「子供達はもう大丈夫だ」
「私達の子ですものね」
「そうだな。ナタリアと同じ様に、私達も一目で魂が結ばれた相手。その子供達なのだ。幸せにならぬ方がおかしい」
「あなた……」
光はもうすぐ側まで迫っている。互いを強く抱き締め合ったクランデルとノーラは笑顔を浮かべていた。
「愛しているよ、ノーラ」
「私もです。クランデル」
「いつかまた……必ずめぐり逢える。その時まで僅かな別れだ……」
そして唇を交わした二人は、光の中に飲み込まれ消えた……。
しかし──光は拡大を続ける。
国境に向かい避難中のニルトハイム国民を……馬で逃げた兵達を……そして周囲の森も、岩も、山脈さえも白に染めながら飲み込み続けた光は、ニルトハイム公国全土を飲み込んだだけに止まらない。隣国との国境を越え他国にまで迫り始めたのだ。
「クリスティ!早く!」
「メル!もう間に合いません!貴女だけでも逃げて!!」
「私はシンとの約束を破るつもりはない!あなたを必ず守る!!」
既にアステ国境は光に飲み込まれてしまった。馬車は無理な速度に壊れてしまい、引いていた馬も動けない怪我を負っている。
それでも諦めず走るメルとクリスティーナ……光はその背後に確認できる程まで迫っていた……。
クリスティーナが死を覚悟したその時……そこでようやく光は停止した。
「助かった……の?」
「駄目だ、クリスティ!走って!」
「え……?」
手を引き走り続けるメルは、大きな岩影を見付け飛び込むようにクリスティーナを引き込んだ……。
すると──光は輝きを増しながら奇妙な音を立て始める。
それはまるで、獣の雄叫びの様な……不均等に響く低い音だった。
《死獣の咆哮》
魔王の一人が編み出した最悪の禁術魔法であるそれは、莫大な魔力を利用した『大規模殲滅魔法』である。
魔力の塊とも言える魔獣を圧縮することにより人工的な《魔人転生》を起こす。その際に発生するエネルギーを破壊力に還元するだけでなく、拡大する光に飲み込まれたものもエネルギーとして利用し相乗的に威力を増す……まさに最悪の魔法爆弾だった。
そして遂に──死の光玉はその臨界を迎え弾けた……。
広がる光景はまさに『終末』──。
昼の空がその閃光で暗転し、猛威は他国にまで魔の手を伸ばす。
小国のニルトハイムを中心に包んだ光……その直径の倍ほどまで爆炎は拡がり、更にその先まで轟音と共に衝撃波が伝わる。木々を薙ぎ倒し、草花を焼き、川の水も蒸発という地獄……。
その爆煙はキノコ雲となり、遠く離れたトォンやアステ、エクレトルといった大国の首都でも確認出来たという。その三国は領土の一部まで失うこととなったのだ……。
ニルトハイム公国はこうして世界地図から姿を消したのである……。
「うぅ……」
アステ国境付近で破壊に巻き込まれたクリスティーナは、本来ならば髪の毛一つ残さず消え去っていても不思議では無かった。
だが、彼女は生きていた………。
土埃にまみれ掠り傷程度は負っていたが、その身体に異変は見受けられない。
「う……。こ、ここは……?」
頭痛に堪えつつ周囲を確認するクリスティーナ。その光景に我が目を疑った……。
「な、何……これ……何処…なの……?」
周囲には……何もなかった……。
黒く焼けた大地以外、何一つ存在しない広大な荒野……そんな現実感の無い景色がクリスティーナの視界に広がっている……。
クリスティーナはフラフラと立ち上り自分のいた場所を見つめる。その場所だけ深く抉られ、中に倒れていたらしい……。そこでようやく自分の連れが居ないことに気付き慌て始める。
「メル……メルが居ない!メルゥ~ッ!」
返事はない……。そもそも見渡す限りの更地。今いる場所以外は完全な平野が広がっているのだ。誰かが倒れていれば意図せずとも目に入る。
しかし、クリスティーナは諦めない。自分が助かったのならばメルが生きていてもおかしくはない。
自分はメルに助けられたのだろう。しかし、ならばこそ側にいた筈なのだ。
「メルゥ~ッ!お願い!返事して~!!」
繰り返し叫ぶクリスティーナ。やがて不安に駆られると、『自分を守ったからこそ消えてしまったのか?』という考えが浮かんだ。恐怖は益々心の中で勢いを増し、孤独で涙が滲み始めたその時……不意に声が聞こえ始めた。
(……よ。クリス…ィ)
「メル!無事なの!何処に……」
(大丈夫……無…よ)
周囲を見回しても姿はない。幻聴かという不安も頭を過ったが、ようやくメルの言葉がハッキリと聞こえ出した。
(大丈夫だよ、クリスティ)
「メル!で、でも姿が……」
(ハハハ。姿は見えないよ……私が居るのはあなたの中だから)
「私の……中?」
確かに声はすぐ側から聞こえる。まるで耳元……というより頭の中からだ。
(ゴメン。こうしてクリスティの中に入らないと、あなたを守れなかった)
「メル……あなたは一体………」
(黙っていてゴメン。私は聖獣なんだ。本当の名前はメルレイン。え~っと……ちょっと待ってて)
メル……メルレインの言葉が途切れると同時に、クリスティーナの頭の中に獣の姿が浮かび上がる。
青い羽根を持つ鳥形の獣だが、翼は二対。その尾は三匹の羽毛持つ蛇が三つ編みの様に絡んでいる。
「これは……」
(これが私の姿だよ。一応、水と風の力を持つ聖獣。今は力を使い過ぎて身体を出せないけどね)
「……メル・レイン……メルレイン……そのままの名前ですね……」
(そこはシンに苦情言って欲しいね……あの堅物のセンスだから……)
クリスティーナはそこで吹き出した。姉の夫……つまりクリスティーナの義兄になるシンの命名と聞き、かなり可笑しさを感じたらしい。
一頻り笑ったクリスティーナは改めて現状を問い質す。
「メルレインが私を救ってくれたのですね……ありがとう」
(シンとの約束だからね。でも、私もクリスティを気に入ったのは本当だよ?)
「約束……ですか?」
(うん……私はシンと出会い契約した。詳細は省くけど、以前彼に助けて貰った。その時に力を貸す約束をしたんだ)
「そう……。ねぇ、メルレイン。ここは何処なの?」
(……ここはアステの国境付近だよ。あそこから殆ど動いていない)
「えっ……う、嘘……」
周囲には、かなり離れた山脈以外に一切何もないのだ。アステ国境ならば、街道沿いに豊かな森だけでなく岩場や関所も有った筈。それらは痕跡すら見当たらない。
「そんな……じ、じゃあニルトハイム公国は……?ねぇ、メルレイン!ニルトハイムは?お父様やお母様、それにお兄様もどうなったか知りませんか?」
(……………)
「ねぇ!お願い!答えて、メルレイン!?」
(………。あの光はニルトハイム公国を中心に拡がった筈だよ。それがアステ国境まで拡がったんだ。光の中に居なくてもこれほどの破壊の嵐が起きたことを考えれば、光の中に居たらどうなるか……)
「……そ……そんな……お父様…お母様……お兄様!嫌よ……イヤァァァ~ッ!!!」
崩れ落ちたクリスティーナ。膝を着き両手で顔を覆うと張り裂けんばかりの声で泣いた……。
つい先刻まで一緒だった父、故郷で待っていた筈の優しい母、家族で一番クリスティーナに甘かった楽しい兄。彼らはもう存在しない……。
(………クリスティ……気持ちはわかるけど、ここから早く逃げないと……)
「イヤァ……みんなが…イヤよぉぉ……!」
(………………)
聖獣であるメルレインには家族という感覚が分からない。聖獣は魔獣同様に魔力から構築され受肉・顕現する存在……家族を知らないのだ。
しかし、友人などの親しき者を失えば悲しみで苦しくなる。それと同様かそれ以上の苦痛だということは容易に想像が付いた。本来ならばクリティーナを気の済むまで泣かせてやりたいと思っていたが、今は時間がない……。
「うぅ……私…何も……無くなって……ヒック…うぅ…イヤァ……」
(クリスティ……時間がない。話を聞いて……)
「うぅ……私……どうすれば……」
(……いい加減にしなさい!クリスティーナ!!)
メルレインの厳しい声にクリスティは“ビクッ”と反応した。涙は流したままに硬直している。
(ニルトハイム大公はクリスティを生かす為に私に『頼む』と言った。同じ様にクリスティの家族は皆、あなたが幸せになることを望んだ筈。クリスティはそれを裏切るの?)
「……うら…ぎ……る?」
(だってそうでしょ?大公は『イズワード領に向かえ』と言っていた。だけどあなたは泣くばかり。ここはまだ危険なのに……早く逃げないと、もう助けられないよ)
「…うぅっ………」
(あなたは大切な家族を裏切って生きることを放棄したいの?生き抜いて家族を心の中に残しておきたくないの?すぐに決めなさい!)
項垂れるクリスティーナはそれでも反応がない。メルレインがもう一度発破をかけようとした時、クリスティーナの啜り泣く声が止まった。
「家族を……心の中に……」
(そう。あなたが生きている限り、ニルトハイムの日々は確かに存在したことになる。あなたとナタリアの中では決して家族は死なない。だけど……あなたがそれを捨てたら、家族の『想い』も全て無くなる。だからあなたは家族の為にも生きなければならない)
「……………」
(辛くても急いで……。あなたの国を消したのは恐らく『魔王』。もし見つかったら疲弊した今の私では守りきれない)
その身を呈しクリスティーナを守った大切な友人・メルレイン……。クリスティーナはふと母の言葉を思い出した。
『あなたの為に心を砕いてくれる人を大切になさい。あなたの為に身を呈してくれる人を大切になさい。その方達はあなたの人生の宝そのものなのだから。そして、その方の宝になれる様にあなたも心を砕くことを覚えなくてはなりませんよ?』
聖獣という存在をクリスティーナは詳しく知らない。だが、メルレインはクリスティーナの友人……宝だ。裏切ってはならない。ニルトハイム大公女ならば尚更に……。
クリスティーナは涙を力強く拭い立ち上がる。
そう──今は生きねばならない。亡き家族の想いの為、励ましてくれたメルレインの為、そして自分の為にも。
「ゴメンなさい、メルレイン……」
(クリスティ……。厳しいかもしれないけど、家族の死を惜しむのは落ち着いてからにしましょう。それより早く逃げないと……。見渡す限り何もないこの場所ではすぐに見付かってしまう。魔王は殆んどが人格に欠陥を持つと言われてるから、何が起こるかわからないの……)
「……。わかったわ、メル。イズワードに向かいましょう」
土埃に塗れたクリスティーナは決意を新たに走り始める。だが、その背後にはメルレインの危惧した脅威が迫っていた……。
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