第二部 第三章 第五話 フェルミナの心


 晴天の空を飛ぶ青き竜。その背中には一人の少女が乗っている。悠々と飛ぶ二人が向かう先はシウト国ディコンズにある小さな森。かつて覇竜王揺籃の地だった聖域だ。


『どうしたのフェルミナ?急に静かなところに行きたいだなんて……』


 青のドラゴン……氷竜シルヴィーネルは僅かに首を背中に向け、少女……フェルミナに質問を投げ掛けた。


「ライさんからの手紙を読みたいの。でも家だと……」

『あ~……何となく分かるわね……』


 ライの実家であるフェンリーヴ家は現在、千客万来。その狭い居住空間も加わり静かに手紙を読む環境ではない。故にフェルミナは、シルヴィーネルに頼み静かな場所まで移動している最中である。


 尤も……回復したフェルミナならば単独転移も可能なのだが、シルヴィーネルに同行を願ったのはある種の心細さからだった。


『着いたわ。降りるわよ』


 聖域の森は今も不可侵として保全されていた。聖域の森を必要とする存在が現れるかも知れない。そんなノルグー卿・レオンの配慮によるものだ。


「ありがとう、シルヴィ」


 フェルミナが背中から降りると同時に、シルヴィは人に姿を変える。二人は洞穴の脇にある小さな扉を開き中へと入って行った。


 扉の中は白を基調とした広い部屋になっている。エルドナの技術を用い作製された部屋は、岩壁をくり貫いたにしては実に近代的構造だ。


 その部屋の中央付近にある大きなソファーとテーブル。フェルミナはそこに座ることを促される。


「フェルミナ、紅茶飲む?」

「はい。……ありがとう、シルヴィ」


 シルヴィーネルが準備をしている間、そっと手紙を開き目を通したフェルミナ。ライの行方不明の経緯はフェンリーヴ家の手紙に書いてあったので省かれている様だ。


『フェルミナ。まずはゴメンな。調子に乗ったせいで捕まった。父さん母さんがいるとはいえ寂しい思いをさせてしまうのは間違いなく俺のせいだ。戻ったら好きなだけ文句を言って良いし殴ってくれても良い。だけど一つだけ我が儘を聞いて欲しい。頼むから突然居なくならないで欲しいんだ。…って自分がソレやってる立場で頼むのは心苦しいんだけどさ?必ず戻るから頼むよ』


(大丈夫です、ライさん。ずっと待ってます)


『それで報告を一つ。大聖霊の件だけど、捕まっていた場所で一人封印されてたんだ。運が良いのか悪いのか……ともかく【熱を司る大聖霊メトラペトラ】は解放したよ。で、一緒に行動してるんだ。師弟として契約も果たした』


「えっ!?」


 思わず声を上げるフェルミナ。メトラペトラは他者に興味を示さず契約をしたこと自体が無い。そんなメトラペトラと契約、しかも、ほぼ対等な立場ということに驚きを隠せなかったのだ。


『それでメトラ師匠に聞いたんだけど、【物質を司る大聖霊アムルテリア】はかなり前に自力で封印を破ったらしいよ?』


(アムルテリアも……良かった……)


『メトラ師匠が言うには【時空間を司る大聖霊オズ・エン】は封印される訳が無いそうだから、大聖霊は全員無事ということらしい。良かったね、フェルミナ』


(はい。ありがとうございます……)


『それから、大聖霊の力って契約者の俺も使えるんだな……少しだけフェルミナの力を借りたけど、負担になっているのか分からないから必要な時以外は使わない。後で詳しく聞かせてくれ」


 ライが使った【生命創生】はフェルミナの概念の力に当たる。その為フェルミナ自身の負担になることはない。契約者のライが使う際のみ膨大な魔力を必要とするのだが、まだ知識の浅いライは気付かないらしい。


 それに……。


(フフッ……ライさんの方が負担が大きいんじゃないかと心配だったけど、大丈夫みたいですね)


 以前にメトラペトラが言っていた様に、ライは大聖霊達に魔力を供給している状態だ。フェルミナはそのお陰でほほ全快したのだが、ライ自身にその自覚はない。


『それと俺、少し変化しちゃったけど戻っても驚かないでね?まあ、戻れば分かると思うけど。あ……いつもの如く【巻き込まれる】可能性があるから戻るのはもう少し掛かるかも……でも、必ず戻るよ。ゴメンな、頼りない奴で』


(ライさんらしいですね。でも、頼りなくなんて無いです……。皆、口々にライさんに感謝してましたよ?)


『最後になるけど、皆を頼むよ。もし頼りにされたら助けてやって欲しい。但し、無理は厳禁。約束だからね?それじゃ』


 手紙を読み終えたフェルミナはゆっくりと手を下ろした。無事を信じていたとはいえ『伝えられた言葉』は心に染み渡って行く。

 フェルミナはそこで初めて目の前に置かれた紅茶に気付いた。


「良かったわね、フェルミナ」


 向かい側のソファーに座るシルヴィーネルは頬杖を突いて微笑んでいる。 その時、フェルミナは初めて自分が涙を流していることに気付いた……。


 【命を司る大聖霊】たるフェルミナは、他の大聖霊より人に近い感性を持つ。だが、【命を慈しむ】ことはあっても【死を悲しむ】ことはなかった。命は生まれ消え行く、それは世の理だからだ。理は世の常。常なることに涙を流す意味を理解することはなかったのである。


 しかし……フェルミナは【ライ】という人物に出逢った。


 ライはフェルミナを消滅から救った……いや、実際は消滅からではなく孤独から救ったのだ。それからは孤独に怯えたフェルミナを癒すに充分な温もりを与えた。

 それはフェルミナがこの世に存在してから初めてのことだったのだろう。何故なら、大聖霊がそんな状況に陥ることは本来起こり得なかった筈だから……。


 ライという人物はフェルミナからすれば不思議な人物だった。一言で言うならお人好しな人間。だが、そんなライは一貫していることがある。


『対話を試みること』


 ライはどんな相手にも必ず対話を呼び掛けるのだ。そう。魔物相手にさえも。

 エルフト付近で魔物を倒す際も、ライが魔物の意思確認をしていたことをフェルミナは目撃している。


 フェルミナは一度そのことをライに尋ねたことがある。その時のライは苦笑いで答えた。


「心がある相手なら出来るだけ傷付けたくないんだよ。敵対意思を向けた時は別だけどね」


 それからフェルミナは心を学んだ。心で学んだ。結果、数々の感情を手に入れた。今、涙を流しているのもその結果である。

 大聖霊として必要が無くても今の自分には大切な【心】。全てはライとの出逢いから始まったのだ。


「……うん。ありがとう、シルヴィ」

「……ライが戻ったら沢山甘えちゃいなさい。あ……マーナがいると難しいかな?」

「フフッ。そうね」


 勇者マーナは兄であるライを溺愛している。間違いなく感動の再会は邪魔されるだろう。しかし、フェルミナは気にしていない。ライとは【心】が……魂が繋っているのだ。

 ……そんなことを言えば、またマーナに『お嫁に行けない顔』にされるだろうが……。


「早く帰ってくれば良いのにね?あ……前と違って地下に居るんじゃなければ、割と早く見付けられるんじゃない?」

「いえ……待つわ。約束だから……」

「そう……そうね。今更もう少し待っても構わないか……」


 ほぼ不死である大聖霊と長寿たるドラゴンであるが故の発言だが、普通ならば業を煮やしそうな話である。


 結局ライは、案の定トラブルに巻き込ま……首を突っ込んでいる最中。帰還は何時になるのやら想像も付かない……。


「じゃあ、もう帰る?皆のところに戻ろっか」

「ええ。そうね!」


 賑やかなフェンリーヴ家に集う仲間達……。フェンリーヴ夫妻同様に大切な存在になりつつあることがフェルミナには嬉かった。寂しがり屋の大聖霊は現在、寂しさとは無縁の環境にいる。それもかつて無かったことであり、全てはライとの繋がりから始まったこと……。


  そんなフェルミナはふと恐くなる時がある。繋がりを失えば再び孤独に戻ってしまう……。そして自分は人から見れば永遠とも言える寿命を持つのだ。いつかはまた孤独に苛まれる日が来ること……それが何より恐ろしく、不安だった。


 だからフェルミナは、ライと自分が一緒になることを強く望んでいる。そうすれば大好きなライと共に居られるから。たとえそれが我が儘であっても、たとえそれが赦されなくても……相手がマーナと言えど譲るつもりはない。それがフェルミナの本当の心……。


 しかし……フェルミナはまだ、その【心】に気付かない。


「フェルミナ~!」


 突然ドアが開け放たれ侵入してきたのはマーナである。その背後にはアリシアとエレナ。いつもの仲間達だ。


「ちょっ……まさか追ってきたの?」

「当たり前じゃない!お兄ちゃんから手紙を貰うなんて生意気よ!見せなさい!全部見せなさい!」

「嫌ぁ~!駄目です~!」


 抵抗するフェルミナから無理矢理手紙を奪おうとするマーナ。それは勇者とはかけ離れた姿だ……。


「ちょっとマーナ。それは流石に酷いわよ……」

「酷い?私に手紙を見せない方が酷いじゃない!」


 聞く耳を持ちやしない『横暴勇者マーナ』。『良識人』たるエレナは羽交い締めにして抑えようとしているが、三大勇者様には全く効果はない模様……。


「……横暴女大魔王ですね」

「……勇者なのにね」


 アリシアとシルヴィーネルは呆れている。やれやれと首を振りながら仲裁に入る二人。しかし……。


「邪魔するならこうなるのよ!」

「ちょっ、痛い!」

「止めて下さい!やめ……!」


 マーナの手がシルヴィーネルとアリシアの頬を“ガシッ”と掴まえた。半分とはいえ、とても殿方にお見せできない顔になっている!耐久力の高いドラゴンのシルヴィーネルが苦悶に歪む辺り、その威力の程が判る……。


 しかし、マーナが意識を逸したこの隙にフェルミナは手紙を自らの口に押し込み食べ始めた。慌てたマーナは標的をフェルミナに変更し、フェルミナの顔はもはや言葉に著せない大惨事になっている。


「は、吐きなさい!このっ!この~!」


 既にモザイクをかけて然るべきフェルミナの顔……。瞬く間に手紙を飲み込んだことを確認したマーナは、ガックリと力尽きた。


「……醜いわね」

「……勇者なのにね」

「……女大魔王ですからね」


 死んだ魚の目で見守るエレナ、シルヴィーネル、アリシアの三人。三人とも『勝者、フェルミナ!』と心の中で判定を下していた。

 実はフェルミナは手紙を食べてはいない。咄嗟に偽の紙を【概念能力】で創り出し押し込んだのだ。紙は元々植物なのでフェルミナにはそのくらい造作はない。その意味でもフェルミナの勝利である。



 皆がマーナを叱るのを見てフェルミナは笑う。しかし、その笑顔の中には『自分の気付かない心』が含まれていることをフェルミナは知らない……。



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