第二部 第二章 第五話 勇者の足跡


 その日、ティムがエルフトを訪れたのは本当に偶然だった。



 ノルグー卿との会談の帰り道。エルフトの道具屋・シグマの元で出来上がった物資流通網の経過確認する為に立ち寄ったのである。


 しかし、それは飽くまで建前……本来の目的はラジック邸への来訪だった。



 ラジック邸には不思議と色々な人や物が集まる。ラジックの友人たる商人・バーユを始め、持ち込まれる魔導具やその材料、シウト国内から集まる訓練志願者、魔導科学研究目的で集う魔導師、そしてライと関わった者達……。


 ティムからすれば、それらは情報としての価値だけでなく商売にも繋がるもの……そして何より、ライの影響で一番変化した街・エルフトは何かと有意義なものが揃っていた。


 というのも実は理由付けで、戻らない親友が最後に口にしていた場所であることから帰還を期待しているという本心にティム自身気付いていない……。



「こんにちは、マリアンヌさん。お変わりありませんか?」


 ラジック邸の外で兵達を訓練しているマリアンヌ。メイド服に木刀という奇妙な後姿を確認し、ティムは気軽に声を掛けた。


「御無沙汰しております、ティム様。御陰様で問題はありません」


 振り返ったマリアンヌは仮面を着用していない。そこには無表情ながらも美しく整った容貌があった。

 紫色の瞳の切れ長で力強い目、筋の通った鼻、小さく結んだ口。その姿は既に人そのもの……。魔導兵だったと言われても信じる者はまず居ないだろう。



 ラジック邸周囲の森はライが来訪した時点よりかなり伐り拓かれ、訓練兵の兵舎まで建築されていた。そしてそこには兵士が相当数暮らし日々の訓練を行っている。

 更にマリアンヌ以外にも働く女性の姿があり、洗濯・掃除などの雑用や食事の準備などを熟している姿が日常となっていた。



「此処もすっかり訓練場になっちゃいましたねぇ……。お願いしておいて何ですけど、何かと大変じゃありませんか?」

「問題ありません。ティム様の手配のお陰で訓練生の世話係も増えましたから、私は訓練のみに集中出来てます。感謝しております」

「いえいえ、その位は当然のことですよ……無理言ってお願いしたのは私達の方ですし」


 シウト国の軍事防衛を強化する為、キエロフは兵の強化を図った。その際、エノフラハでの実績あるマリアンヌが教官として推薦されたのである。


 エルフトに訓練場を創るに至ったのはマリアンヌへの配慮であると同時に、ノルグー卿の領地であることが大きい。当然ながら協力を申し出たティムは、より快適になるよう様々な便宜を図ったのだ。


 勿論、それは商売の一貫でもある。マリアンヌの訓練は諸候に評判が良く、礼として様々な特典が得られたのだ。このことはシウト国貴族の信頼を得るだけでなく、その思惑を把握する意味でも大いに役立った。お陰でティムは貴族にも顔の利く商人となったのである。


 因みに、マリアンヌの指導で給仕として働くメイド達は料理の腕が格段に上昇するとかなりの評判だった。飲食店経営を望む者や花嫁修業希望者が挙って集まり『家事のエキスパート育成所』としても名を馳せていたのは余談である。


「ところでラジックさん居ます?」

「はい。研究室にいる筈です。丁度、バーユ様とフリオ様もいらしております」

「え……?随分と来客が重なりましたね。俺も含めてですけど」

「……そうですね。お三方ともライ様に所縁ある方ですね。………。もしかすると、ライ様に関わる何か前触れの可能性も……」

「まさかぁ……ハハハ。いや……ま、まさか……ねぇ?ハハ…ハハハ」


 ティムは冗談めかして笑うがマリアンヌは無表情なまま……それがまた自信あり気で、本当になるのではないか?と、ティムは少し怖かった……。



 あれから二年……親友ライの音沙汰は無い。未だ漠然とした居所すら不明だが、そろそろ『トラブル大魔王』が顔を出すのではなかろうか……?ティムはマリアンヌの言葉でそんな期待とも不安ともつかない感情に駆られることになった。


 そして、その予感めいた想像は現実となる──。



「おぉーい!マリアンヌさ~ん!!」


 市街地の方角から駆けてくる少年……彼はエルフト市長の息子・ポルト。何やら使いを頼まれたらしく息を切らし駆けて来る。


「如何致しましたか、ポルト様?」

「そ、それが……鉱山の方角から突然、大勢の人がやってきて……。今は街の入り口で待って貰ってるんですけど、その中の代表者らしき人がこの手紙をマリアンヌさんに、と。一部はトシューラ国の装備をしていたので急いだ方が良いかと思いまして……」

「そうですか……お疲れ様でした。どうかそちらでお休みになって下さい、ポルト様」


 マリアンヌは受け取った手紙を確認し自分宛のものを読み始めた。


 マリアンヌが内容を確認している間、騒ぎを聞きつけたフリオとラジック、そしてバーユが現れる。


「ん?ティムまでいるじゃねぇか……一体何の騒ぎだ?」

「フリオさん!ちょ、ちょっとだけ待ちましょう。今、マリアンヌさんが手紙を……」


 丁度その時、手紙に目を通し終わったマリアンヌが顔を上げた……。

 一同はハッと息を飲んだ……いつも無表情のマリアンヌが涙を浮かべ微笑んだのだ。ティムはその姿に一瞬目を奪われたが、直ぐに我に返り慌ててマリアンヌに確認する。


「マ、マリアンヌさん。それで……結局何が……?」


 涙を拭きいつもの無表情に戻るが、僅かに口角が上がっているマリアンヌ。咳払いを一つした後、努めて冷静に説明を始めた。


「手紙はライ様からのものです。無事を伝えるものでした」


 その言葉で皆から安堵の声が漏れる。あの『馬鹿者・痴れ者・愚か者勇者』はやはり生きていた──その確証を得られたことは、ライを知る者には大きな喜びと安堵を与えた。


「只今代表として手紙を確認した訳ですが、一つは今読んだ私宛。一通はフリオ様宛て、そしてもう一通はティム様宛です。残り二通はライ様のご実家『フェンリーヴ家』宛と『キエロフ大臣』宛ですので、ティム様にお願いしても宜しいですか?」

「わかりました。至急王都に向かい必ず渡します」

「それで一つ……皆様にご協力願いたいことが御座います。街の外にいる方々ですが、ライ様の手紙によるとどうやらトシューラ国に囚われていた方々らしいのです」


 トシューラ国から来た……この言葉を聞いた一同は少なからずの警戒心が芽生える。しかし、マリアンヌは直ぐにそれを感じ取り落ち着くように促した。


「彼等は誘拐され強制労働をさせられていた方々とのことです。トシューラ国の間者はいないから安心して欲しい……ライ様からの御言葉です」

「しかしマリアンヌさん……もしかすると、手紙自体がトシューラの奸計の可能性も……」


 ティムの心配を余所にニッコリ微笑むマリアンヌ。本日二度目の笑顔は場の全員の疑念を強制的に霧散させた。


「手紙は間違いなく本物です。内容をお見せすることは出来ませんが、ライ様でなければ知り得ないことが書かれていました。それでもお疑いであればご自分の手紙をご確認下さい」

「……いや、必要無いですよ。マリアンヌさんがそう言うなら間違い無いんでしょう。」


 この二年でマリアンヌに関わった者は、その超越的な強さだけでなく『貫禄』の様なものを感じていた。何事も正確に見抜き、その上で最善の対応を行い、誰に対しても誠実な姿勢を忘れない。その言葉は信頼を得るに十分なだけの実績も積んでいる。


「それで……ライはどうして欲しいって?」

「彼等の身の振り方が決まるまで面倒を頼む、と。彼等が滞在をして頂くことになる際の食料や宿泊場所・生活必需品など、手配をお願い出来ますでしょうか?代金になるものは彼等が持ち合わせていると書いてありました。それでも不足な分はライ様の貯まっているであろう利益分から引いて良いとの提案もされています」

「わかりました。フリオさんとバーユさんも協力お願いします。ノルグー卿にもお願いしないと……」

「わ~ったよ、ティム。それでマリアンヌさん、人数はどれくらいだ?」

「約千人と……」

「千人!!こりゃまた随分と大勢なこって……」

「囚われていた者全員だそうですから。では、皆様……迅速な対応を宜しくお願い致します」


 言葉が終わると同時にマリアンヌも行動を起こそうとしたが、ティムがそれを引き留める。一番肝心な事が聞けていないのだ。


「マリアンヌさん!結局ライは今、何処に?」

「シウト国に目が向かない様に囮になるとのことです。トシューラ国の海から船でトォン国に向かう航路を移動するとありました」

「そ、それ……大丈夫なんでしょうか?」


 トシューラ国からトォン国に向かう航路はかなりの長旅。魔の海域を避けるには大きく回り込まねばならず、子大陸側への逆回り航路では危険な海流もある。


 しかし……マリアンヌの言葉は一同のそんな心配をアッサリ飛び越えた……。


「ライ様は魔の海域に向かうと……。その途中で『転移する』と記されています」

「………はい?」

「新しい大聖霊様が共にいらっしゃるそうです。ライ様は問題はないと断言しています」

「素っ晴らしいぃ━━━━っ!!」


 話に我慢出来なくなった変態研究家ラジックがマリアンヌに詳細確認に迫るが、流れるような動きで張り飛ばし往なされた。訓練中の兵達は、その動きの見事さに遠巻きながら感心頻りだった……。


「………。ま、まあ、ライのデタラメはいつものことだろ。な、なぁ……ティム?」

「……そ、そうですね。フリオさん」


 ピクピクと踞るラジックを見なかったことにして、一同は早速行動を開始した。




 ティムは市長の息子ポルトを引き連れ市街地に向かった。まずはエルフトの住民が不安がらぬ様に迅速に動かねばならない。

 それに、街の外で待つ者達も受け入れられるか不安な筈……早く安心させる必要がある。


 取り敢えず早急に必要なのは宿と食料の確保。その為にはシグマとバーユの連携もあった方がより効率が良い。


 対してフリオは、馬に乗りノルグーの街へと駆ける。


 ノルグー領での円滑な行動には領主たるレオンを通した方が滞りなく進められる。更に、レオンからキエロフに話を通せば救助された者の今後も円滑に解決出来る筈なのだ。




 そしてマリアンヌは現在──脱出した『ライの友人達』と面会中である……。


「貴女がマリアンヌさんですか?」

「はい。貴方がパーシン様ですね?そしてそちらがジョイス様、アスホック様、ウジン様。貴女方はフローラ様、ベリーズ様、ナッツ様。間違い御座いませんか?」

「うむ!」

「間違いない!!」

「宜しくッス!!!」


 三兄弟を見て遠い眼差しをしているバーユ。非常に濃ゆい三兄弟に若干引いている。


「宜しくお願いします」

「お願いします」

「します」


 魔族と言われる存在のフローラ達は少しビクビクとしているが、マリアンヌはそっと近寄り優しく抱き締めた。


「ご安心下さい……全て理解しておりますから。この街にいる間はもっとお気を楽にして大丈夫です。それがライ様の願いですので」


 解放されてまで警戒していたのではあまりに不憫……。ライは特にフローラ達を気に掛ける様に頼んでいた。



 それからマリアンヌは、急ぎ食事を用意し皆を待遇もてなした。皆、久々のその暖かい食事に自然と顔が緩んでいる……。


「それではお聞かせ下さいますか?あの方の……ライ様のことを」


 パーシン達脱出組は顔を見合わせ笑顔で応える。


「わかりました。まず俺がアイツに会ったのは……」






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