船旅の章

第二部 第二章 第一話 脚下照顧


 【宝鳴海】


 かつて翼を失い海底深く沈んだ天使が天への帰参を望み宝具を鳴らしている……という神話から名付けられた、ロウド世界の南西にある海域である。


 今でも時折、原因不明の角笛の様な音が響くのだと船乗り達は怯えながら口々に語る……。



 そんな海に浮かぶ一隻の船──。


 その船はトシューラ国所属でありながら本国には向かわず、【死の大地】を迂回しトォン国に向かう航路を取っていた。


 宝鳴海からトォン国までの海域は昔から危険な航路の一つと言われ、船で往く者は時間を掛けた別の航路を往くことを選ぶのが常識……。


 そんな無謀な航路の中、船の乗組員達は悲鳴を上げていた。


「クソッ!また始まりやがった!誰か文句行ってこいよ!」

「テメェが行けよ!俺は巻き込まれんのはゴメンだ!」

「うおっ!マジで沈まねぇだろうな!クソッタレめ!」


 乗組員が口々に喚き立てている理由は船に響く爆音と振動。その原因は……。


「バカモンが!どうしてそこで乱れるんじゃ!」


 叫ぶ黒猫。そして……。


「スンマセン」


 金色に輝く光を撒き散らす男・勇者ライである。


 ライは今、トシューラ国の物資にあった簡素な服装を拝借して着用していた。腰には同じく拝借した剣を備えている。


 周囲は見渡す限りの海、海、海……そんな環境の現在、運搬船の甲板にてライの【覇王纏衣】を完成させる訓練が行われていたのだ。


 しかし、やはり上手く扱えず爆ぜる【覇王纏衣】──それが船の甲板の上で炸裂していたのが船員達の恐怖の原因だった……。


「何故最後に余計なことをするんじゃ!あのままで良かろうが!」

「はぁ……つい、あの時の感覚を試したくて……」

「あの時の感覚じゃと?何の話じゃ?」


 ライはエノフラハでの詳細をメトラペトラに説明することにした。神具の拘束を破り、魔王並の力を持つであろうベリドを容易く退けたあの特殊な【覇王纏衣】の再現……。ライの身体を奪いそれを為した『バベル』という存在を。


「…………」

「メトラ師匠?」


 突然無言になるメトラペトラを心配したライは、そっと顔を近付け様子を窺う。

 だが、そんな『師匠想いの弟子』は何故かネコパンチを見舞われることに……。


 更にメトラペトラは、倒れたライの顔に“のっしり”と乗り再び目を閉じる。その流れるような動きにライも呆然とするしかない。


「し、師匠?」

「…………………」

「だ、大聖霊さま~?」

「…………はっ!」


 ようやく我に返ったメトラペトラはライの顔から降りて謝罪を始めた。


「は、ハハハ。いやぁ!スマン、スマン!『バベル』と聞いて思わずやっちまったわぇ!」

「………はぁ?」

「まあ、そう怒るでない。お主に罪はないんじゃが、関わりはチョビっとだけあるんじゃよ」

「くっ……意味が分かりませんよ……」


 メトラペトラの様子がおかしいので本気で心配し、結果何故か突然殴られた……不満なのは当たり前である。

 珍しくヘソを曲げたライをやはり珍しく優しく諭すメトラペトラ。肉球でライの顔を挟みいたわる、実に美しい師弟愛だ。


「バベルという名……お主、本当に知らんのかぇ?」

「だから一体誰なんですか?フローラも知っていたみたいですが聞きそびれちゃいまして……」

「そうか……。バベルの正確な名前は『バベル・クレストノア』と言っての?……お主の先祖に当たる人物じゃな」

「ご先祖様?……それって……」

「うむ。お主の話では今や伝説の勇者、ということになるんじゃろうな」

「!?」


 三百年前の伝説の勇者にしてライの祖先に当たる人物。魔王を封印した神に選ばれし者……。そして、今に至る勇者大安売りの原因たる絶倫子沢山勇者……。


 その名を『バベル・クレストノア』──ライは初めてその存在に触れた気がした。


「………で、何故殴ったんです?封印された積年の恨みを子孫に向けたんですか?」

「そ、それはじゃの……言われてみれば確かにお主にもアヤツの面影があったんじゃ。それでつい……」

「つい?」

「……フニャーン?」

「…………」


 メトラペトラは余程気不味かった様で、急に横たわるとゴロゴロと喉をならしながら無防備に転がり始めた。まさにネコそのものだ……。


 ライがそんなメトラペトラの姿に毒気を抜かれたことは言うまでもない。


「くっ……。ま……まあ、良いですよ。それより話の続きを……」

「うむ!それでじゃな!」


 赦しが出た途端張り切るおニャンコ。ライは少しイラッと来たが、知識欲が勝り話を進めることにした。


「バベルは人族の中で唯一【神衣】を成し得た人物じゃ。正確には人と呼ぶべきかは別じゃがの……」

「どういうことです?人じゃないって……まさか【魔人】ですか?」

「いや……バベルはの?人と天空竜の合の子じゃよ。所謂【竜人】と言う奴じゃな。じゃから生まれながらに超越の力を備えていたのじゃ」


 驚愕の事実ばかりでライはやや混乱気味だが、メトラペトラは構わず話を続ける。


「アヤツの身の上は追々話してやるが、まずは【神衣】の説明をせねばの?お主……感覚を再現したいと言っとったが、どんな感じか説明出来るかぇ?」

「え~っと……魔纏装と命纏装を合わせる際に“何か”を混ぜる様な……」

「そうじゃ。お主はが何か理解出来ていないから失敗するんじゃ。【神衣】と言うのはの?己の存在の性能を纏う事、とでも言うべき御業じゃ。お主の言う“混ぜる何か”とは、その者の持つ【存在特性】とも言う力……」

「存在特性……?それは一体……」

「さての……バベルの存在特性は【拒絶】じゃった。バベルが【神衣】を纏い戦えば、その攻撃は存在や概念ごと消滅させる滅びの手。二度と回復はせんよ」


 思い返せば、確かに【破壊者バベル】はエノフラハでの戦いに於いてその力を使っていた。【魔獣モラミルト】は不死と言える程の再生力だとベリドは言った。しかし、実際はバベルに消滅させられた部位は回復せず不死では無くなっていたのだ。


「お主を乗っ取ったバベルが使った特性は【拒絶】に間違いあるまい。つまりバベル本人、もしくは思念体じゃろう。鳥公……時空間を操るオズ・エンがバベルに何かをした可能性もあるがの……。ともかく、それを再現しようとしても無理な話じゃて。何故ならお主の特性は【拒絶】ではないのじゃからの?」

「じゃあ……俺の特性って何ですかね?」

「知らん。それは自ら理解するものじゃよ。じゃがの?人の短い一生でそれを理解し、その特性を使いこなすなど奇跡としか言えぬ。いや……まぁ例外もあるのじゃが、正直ワシはお主には……いや、殆どの人間には無理と思うておる。【竜人】のバベルだからこその力じゃとな?」


 目指していたものが遥か高みの力だという事実は、ライに少なからずの悔しさを与えることになった。メトラペトラはそれを理解しながらも改めて諭した。


「良いか?どの道、【覇王纏衣】を極めるのが先じゃ。覇王纏衣だって使える者は非常に稀なのじゃぞ?それに、覇王纏衣にはまだ先があるのじゃ。悔しがる前に努力せんか!」


 その叱咤で思い違いを理解したライ。自分はそもそも兄妹の中では最弱だったじゃないか……?魔導装甲を偶然手に入れて勘違いしたのか?多少の力を付けたからといって力の渇望に溺れる人間だったのか?と。

 そう……初めは『それなりの勇者』を目指していた筈なのだ。


 途端にライの内から気負いが一気に抜ける。努力を止めるつもりはない……しかし、焦る必要も無い。出来ることをやるだけ、それで良いのだ。


 そしてライは自らの顔に気合いの張り手を入れる。メトラペトラはそんな弟子の姿に満足げに頷いた。


「わかりました。見ていて下さい、師匠!」


 目を閉じ集中したライは覇王纏衣を展開し徐々に出力を上げる。余計なことはせず純粋に出来ることを……基本通りに、無理をせずに……。


 そして───。


「うむ。それで良い」


 完全に制御された【覇王纏衣】は眩い光を放っている。それは、ライ自信の今の力量が上昇したことに他ならない。


「今後は覇王纏衣を更に極める努力をすることじゃな。その為にも魔法を鍛えねばならん。それとじゃな……少し言いづらいんじゃが……」

「何ですか?改まって……」

「お主の中の魔石は新たな臓器になった。それは間違いない。じゃがな……お主の新たな臓器『魔力製造器』はワシの予想と違う形になりおったんじゃよ」


 どうせいずれは分かること……開き直ったメトラペトラはライに改めて宣告する。


「お主はもう人とは呼べんかも知れんのぅ。その『魔力製造器』はワシの知るどれとも違うのじゃ。幾つかの小さな臓器が螺旋状に繋がっていて、その臓器が人体に無駄なく魔力供給しておる。しかも螺旋状に巡る魔力は加速しながらその量を増やしておるのじゃ」

「つまり……何か問題があると?」

「逆じゃ逆。本来自ら生み出せる魔力はそこまで効率が高くない。【魔人】でさえもな?しかし、お主のは【最上位魔人】並に高すぎるのじゃ。お主……魔石以外に何か取り込まなかったかぇ?何か特殊な細胞を取り込んだ、とかの……?」


 細胞……。聞き慣れない言葉の筈が、ライの記憶には確実に刻まれている。エノフラハでベリドから聞かされた言葉だ。


『細胞単位での融合』


 あの時、モラミルトの細胞は全て弾き出されたものと思っていた。しかし微細ながらライの身体に残っていたことになる。


「成る程のぅ……それで、か。……その魔獣は再生能力を持っていたのじゃろ?まさかその性質も引き継いでいまいな?」

「流石にそれは……ねぇ?」


 互いに冗談めいた笑いを浮かべる。何度も笑っては互いを窺いまた笑う……。

 やがて互いの態度に収まりが付かなくなると、メトラペトラは爪を伸ばしてライに問い掛ける。


「……ちょっとだけ試させてくれんか?」

「い、いや……自分で試しますんで……」

「そう言わんで……な?ちょっとだけじゃ?一掻きだけ、の?」


 メトラペトラの目は本気だ。興味本意で引っ掻かれるなど真っ平ゴメンのライ。しかし、熱を司る大聖霊様は素早かった……。


 温度差を利用した蜃気楼を発生させ天然の幻覚を見せるだけでなくその力で突風をも起こし、更には自らも猛スピードで移動を始めたのだ。


「くっ……おニャンコちゃんめ。今日こそ……下剋上なり!」


 対するライは修得したばかりの完全版・覇王纏衣を発動しメトラペトラに対峙した。考えてみれば、大聖霊と真面目に対峙するのは初めてある。


 勿論、互いに本気ではない悪ふざけ。しかし、船の乗組員達には悪夢でしかない音が『ドンドン』『バチバチ』と響き始めた。



 メトラペトラはライの周囲を高速移動し火炎魔法を無詠唱で連射する。更に足元から冷気による氷結で脚の自由を奪いにかかった。


 しかし、覇王纏衣は少しの間であれば宙に浮くことが出来る。その状態で全方位に向け風の魔力を放つ。


「そうじゃ!覇王纏衣は魔力と生命力の合せ技じゃが、更なる魔纏装を上乗せ出来るのじゃ!」


 戦いながらもレクチャーをするメトラペトラ。初めて師匠らしいことをしている、と実は心踊っている。


「じゃが弱点もあるぞよ?例えばこれじゃ!」


 突然、ライの真正面から姿を現したメトラペトラ。ライは反射的に氷結魔法で壁を生み出そうとした。だが、メトラペトラは壁を造り出す前にライをすり抜けて消えた。


「幻覚!?」

「そうじゃ。覇王纏衣といえど幻を見破る効果は無い。更にじゃの?」


 再び真正面から飛び出したメトラペトラ。今度は黒い球体二つがその身体の側に浮遊している。


(これは、まさか……ベリドが使ってたヤツか?)


 ライの予想通りそれは【神格魔法】と呼ばれる類のもの。但し加減した下位の神格魔法 ・《魔弾》である。

 メトラペトラの側を漂う球体からは、更に小さな無数の球体が放たれライを襲う。覇王纏衣に当たってもダメージは通らないものの、その金色の光を削り続けていった。


「干渉……いや、神格魔法というのは特殊での?覇王纏衣でも完全に防ぐことは出来ぬのじゃよ……例え肉体は守れても魔力も体力も削られ、奪われる。防ぐには覇王纏衣に神格魔法の魔纏装を加えることじゃな。まぁ、神格魔法は後で教えてやるわぇ」


 堪らず飛び退きながら覇王纏衣の氣を細かく射出し神格魔法との相殺を狙うライ……。しかし次の瞬間、その弾幕を潜り抜けたメトラペトラがライに三度みたび飛びかかった。対してライは雷の属性を詠唱し全方位からの攻撃に備えた。


「中々しぶといのぅ。どれ……師匠の威厳というヤツを見せてやるかの?」


 メトラペトラは真なる力の一部を解放。大聖霊として熱を操る力は魔力ではなく【概念】である。覇王纏衣もろともライを赤い球体が覆う。そして……。


「!?ゴホッ!」


 ライは喉を押えヒューヒューと苦し気な呼吸を始めた。遂には甲板に降り膝を折ることになる。そこで赤い球体は消滅した。


 メトラペトラはゆっくりとライに近付き、目の前で腰を下ろした……。


「覇王纏衣で魔法や物理攻撃を防げても、周囲の空気は生めぬのじゃよ。先程の様に周囲を囲まれ空気を燃焼させられてしまえば呼吸は出来なくなるし、水中に入れば同様に呼吸出来なくなるのじゃ。ま、対策はあるがの?」


 ようやく呼吸出来たライは肩で息をしている。それは……圧倒的な敗北だった……。


「さ、流石は師匠です。お見それしました」

「そうじゃろ?ならば今後も敬って精進せい。さて、それじゃあ……“ニ~ン!”」


 メトラペトラは“ニ~ン!”と爪を伸ばした。その目は獲物を狙うネコそのもの……。


「え?ち、ちょっと師匠!待ってください!あぁ~っ!」


 メトラペトラの爪がライの顔にヒット!ライの額には見事な文字が刻まれた。古い時代の文字を達筆で再現。その文字の意味は【猫】である。


 それを満足げな様子でじっと見つめ傷の様子を見守るメトラペトラ。傷は非常にゆっくりとだが確実に回復していった。


「う~む……超回復と呼ぶにはちと弱いのぅ。それでも普通よりはかなり速いが……半端じゃな」

「うぅっ……酷い……」

「まあ、これもお主を想うワシの気遣いじゃ。現状がわかれば鍛え方や弱点も理解できるしのぉ?ニャ~ッハッハッハ!」


 師の威厳を見せ付け御満悦なメトラペトラ。しかし……少々やり過ぎた感は否めない。


 これ以降、ライの目標は一先ずメトラペトラへの仕返しと定まり秘かに燃え上がるのであった……。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る