第二部 第一章 第九話 魔人達
その日、トシューラ国下級兵のレイス・オールドは自分の行いを悔いていた。これは強制労働者を苦しめた天罰なのだ──と。
だが、レイス以外の兵は違った。その場のトシューラ兵の殆どは『何故こんな目に』としか思っていなかった筈である。
それも仕方無きことだろう……何せ兵達は尋常ならざる存在と対峙することになったのだから……。
彼等のいる場所はロウド世界南西の海『宝鳴海』にある小さな孤島。貴重な魔石採掘場であり、強制労働人員の収監場ともされている秘密の地だ。
そんな採掘場……兵士の立場として一言で述べるなら『失態を犯した者が辿り着く最果ての監獄』である。
貧乏貴族の一人息子であるレイスは、事故で家族を失い軍人になる道を選んだ。そうすれば衣食住が保証される……いや、そうせねば生きていく事が出来なかったから。
トシューラ国は事実として平和である。魔族との争いなどはほぼ全て虚言であり、国が疲弊する事態も軍が戦闘を必要とする情勢でもない。ならば兵士の道を選ぶこともあながち間違いでは無かったのだろう。
そんなトシューラ国兵士の仕事と言えば雑用と上官のご機嫌取り位だった。
だが、レイスはあろう事か王族の一人に逆らってしまった。本来なら重い処分……処刑の可能性も有り得たのだが、王族の戯れによりそれは回避された。そして代わりに下された処分は──。
【レイス・オールド下級兵士。魔石採掘場の警備として転属を命ず】
一日船に揺られやって来たそこはレイスにとってまさに地獄だった。
島一面岩場だらけで、娯楽などは兵士同士のカードゲーム位しかない。情報も稀にしか入らず、たまに来る物資運搬船の作業員と話すことが楽しみになる程に退屈な任務地なのである。
その中でもレイスが真に苦痛を感じていたのは、他国から誘拐した人間を閉じ込め強制労働させる極秘任務だった。他言すれば即時処刑の重責。何より、レイスは誘拐された人間を痛めつけるのが心底嫌だった……。
なまじ良心的であったレイスは労働者に深く同情していた。家畜の餌の様な食事、お世辞にも良いとは言えぬ衛生環境、規定の魔石量を採掘出来ねば女子供でも容赦なく殴る。そんな同僚達に嫌気が差していても、国の命令に逆らえない自分の弱さが本当に嫌いだった。
以前、一度死体を海に棄てたことがある。それは無理な労働で身体を壊した老人だった。遺体は疫病を生む。レイスは涙ながらに海に投げ入れたが、同僚の兵は笑って吐き捨てたのだ。
『老いた豚でも魚の餌になれるんだ。役に立ったろう?』と。
人間の負の面に晒されて精神的にも荒んでいく日々。自分も下衆になってしまうのだろうと諦めかけていたそんなある日、唐突にそれは起こった……。
いつもなら朝食を求め労働者が集まる時刻。しかし誰一人として配給場所である洞穴の入り口付近に姿を現さない。
「何だぁ?豚どもはどうした?どうして一人も来やがらねぇ……?」
「一丁前にストライキでもかましてんだろ……へへ。ここのところ退屈してたんだ。丁度良い。憂さ晴らしでもしてくるか」
二人の監視兵が鞭や棒切れを手に労働者の居住区画へ向かう。明らかに虐待目的。しかし間もなく絶叫が洞穴中に響き渡る。当然、監視兵達は混乱に陥った。
「な!何事だ!!」
「わからん!おい!人数を集めろ!!」
異常事態が起きた際は人員を増やす取り決めとなっている。採掘場のある洞穴内には常時、監視兵が二十名の配置。これは最低限の人数で、外の警備と兵舎の人員を合せると百二十名の兵士が存在する。
異常を感じ取った兵は、急ぎ増員する為に洞穴の外へと駆け出して行く。
兵達も必死である。ここで問題が起き更なる失態を演じれば、行き着く先は牢獄か処刑。己が身を惜しんでいる場合ではないのだ。
そんな混乱の洞穴内……レイスは『ソレ』が現れるのを目撃した。
四体の異様な存在──褐色の肌をした巨体の存在が三体。そして二回り小さい白き肌の存在が一体。頭を不思議な模様の布で被い、腰に巻いた布以外は裸。奇妙なポーズで滑るように接近するその肉体は妙にテラテラと光って見えた。
「うわっ!何だあれは!!」
「怯むな!奴隷どもの小細工に違いな……」
叫ぶ兵士達はそこで固まった。四体の異質な存在が滑るように近付いた理由……それは、岩で出来た蛇に乗っていたのである。
「や、やはり化け物か!魔族……いや、古の魔人の恐れもあるぞ!?」
採石場には何かが封印されている……そんな噂は昔から流れていた。目の前の存在が『その封印されていた者』という可能性は無視出来ない。
兵士達が予想をしている間にも岩の蛇に乗るそれらは近付いてくるのだ。兵士達の恐怖は量り知れまい。
そんな混乱の中、異質な存在達は兵士達から少し離れた場所で停止。兵士達は一先ず安堵し胸を撫で下ろす。
だが……安心したのも束の間。低く響く声の魔人は兵士達に語り始めた。
「我々ノ眠リヲ覚マシタノハ、貴様ラカ?」
カタコトで問い掛けてきたのは、白肌の魔人──その声には明らかにそれと判る怒気が含まれている。
「眠り?な、何の話だ!貴様らは一体何だ!」
『黙レ!!痴レ者ガァッ!!!』
爆音の様な、それでいてとてつもない殺気を孕んだ声!あまりの恐怖に兵士達は動けない。
「我々ハ長ラクココデ静カニ眠ッテイタノダ……ソレガイツノ間ニカ人ガ現レ、毎日毎日【コンコン!】【ガン!ガン!】【ドン!ドン!】ト………眠レルカァ!コノ、バカチンガァァァーッ!」
褐色の魔人達は白い魔人が語る度にポーズを変えている。身体中の筋肉を強調するポーズ……ピクピクと筋肉を動かす細かい演出も加え、益々妖しい存在に見える。
「ま、待て!し、知らなかったんだ!!赦してくれ!!」
兵の統率をしている責任者らしき男が弁明を始めると、魔人達はその言葉を聞きポーズを変えながら答えた。
「フム……ナラバ早々二立チ去レ!」
「し、しかし私の一存では……本国に許可を取らねば……」
「………ワカッタ」
「ま、待って貰えるのか?助か……」
「ナラバ皆殺シダ!!」
そして魔人達は雄叫びを上げた。青褪める兵士達。しかしその時、外から援軍が駆け付ける。
「何だ、アレは!」
「えぇい。考えるのは後だ!来るぞ!!」
兵士達が陣形を取ると同時に魔人達は空中高く飛び上がる。そして魔人達の乗っていた岩の蛇が兵士達に向かい突っ込んだ。その一撃でトシューラ兵の大半は岩蛇に弾き飛ばされ陣形を崩した。
「うわぁぁぁぁ!やはり化け物だ!」
「クッ!お前ら!どのみち此処でしくじれは俺達に未来は無いんだ!文字通り死ぬ気で戦え!」
「分かっている!だが……!」
先程の岩蛇ですらあの威力。それを繰る魔人と只の警備兵ではその力の差は比べるべくもない。呼び集めた百人足らずでこんな化け物を相手に出来る訳がないのだ。その恐怖は無言の内に兵士達へと広がっていく。
しかし、魔人達はその動揺を悟りながらも攻撃の手を緩めない。着地と同時に今度は縦一列陣形で滑るように迫り来るのだ。魔法の心得ある兵士の一人が慌てて防御魔法
《風壁陣》を展開するも魔人達は気にも留めず行動を始めた。
列の最後方から飛び出した白い魔人は三体の褐色魔人の頭を足場に高く跳躍したのだ。
「何ぃ!俺を踏み台に!!!」
「俺も踏み台に!!」
「俺まで踏み台に!」
三体の褐色魔人の叫びを無視し宙を舞う白い魔人。そのまま洞穴天井付近まで上昇すると、片足を上げ鳥が羽ばたく様な姿勢を取り金色の光を放つ。
兵士達は一瞬、その神々しさに目を奪われた。だが次の瞬間……兵士達を襲ったのは更なる恐怖だった……。
白い魔人から放たれた光は、まるでその怒りを顕す様に眩さの勢いを増すと光の拡散を始めたのだ。降りしきる光は魔法の風壁を次々に削って行く。
そして───。
「な、何だこの光は……美くガハァ!」
「ひ、光に触るなぁぁっ!爆発するぞ!」
「ヒイィィ!た、助け……ベブッ!」
白い魔人が撒き散らす光……それは触れると爆散する災いの光。雨の如き密度で降り注ぐ掌大のそれは、到底躱し切れるものではない絨毯爆撃。触れると爆発し、触れずとも地に着弾し炸裂した衝撃波や弾かれた
更に、天井付近で拡散している光は岩壁や天井を崩し兵士達に降り注いでいた……。
因みに褐色魔人達は攻撃範囲外の大きな岩陰にしっかり隠れている。
「うわぁ……ヤベェ!!!マジ、ヤベェ…!!!」
「うむ…アレはヤバイな!!」
「確かにヤバイ!」
ヤバイヤバイと囁く、そんな魔人達の囁きに気付く兵は無い。死者こそ居ないものの兵の大半は被害甚大である。
「大聖霊殿……あれは一体何なのだ?」
いつの間にか褐色の魔人の頭に乗っていた白い翼のある黒猫。何故かウンザリとしている様だ。
「ま、全く……変な技ばかり使いおって、痴れ者め。ウォッホン!さてお主ら……纏装は知っておるか?」
「聞いたことは……!しかしアレは、かなり異様に見えるのだが!」
「アレは纏装の最上位【覇王纏衣】……の出来損ないじゃよ。身体から光が撒き散るのは維持の不安定さからじゃろう。触れて爆ぜるのは火の魔力ではなく【命纏装】と【魔纏装】が反発し分離する際の衝撃波じゃな。偶然の賜物で生まれた技と言えようの」
「成る程!流石は俺達の親方だな!」
「……。……ま、まあ良いわ」
褐色の魔人の感嘆の言葉に呆れつつ溜め息を吐く黒猫。白き魔人共々、変人ばかりと諦める心中は察するに余りある。
そんな白い変人……もとい魔人は、頃合いと判断したのか纏った光を解除し手で羽ばたきながら下降を始めた。
そうして地に降り立った白い魔人……兵士達に向け再び言葉を放つ。その背後には何時の間にか巨体の魔人達がポーズを取っている。
「愚カナル人間ドモヨ……今ナラバ見逃シテヤル。早々二去レ!ソシテ二度トコノ島二近付クナ!!」
「わ、わかった!俺達はここは去る!だから……」
「そうは行かないんだなぁ……」
上位兵らしき人物が撤退を匂わせる言葉を口にした瞬間、その背後から一太刀を浴びせた者がいた。
「き、貴様……兵士長に向かって……!上官への反逆……その罪は重いぞ!」
「残念ながら俺は兵士じゃないぜ。俺を縛るものは何もない」
「何……だと……?」
兵士に紛れていたその男は、被っていた兜を外し顔を晒す。その顔にトシューラ国の兵士達は絶句した。
「オルスト!『フォニック傭兵団』の副長が何故此処に……」
「副長?ヘッ……今は俺が団長だぜ?」
その言葉で兵士達に響動めきが起こる。フォニックの団長が代わる理由──それは団長の死以外有り得ない。
「貴様が……団長?腰抜けの卑怯者が? ハッハッハ……」
背中を斬られながらも兵士長は強気を崩さない。しかし、それが仇となった……。
オルストは兵士長に近寄ると金属鎧の脇腹に深々と刃を突き立てたのだ。鎧ごと背中を斬り、同じく突き通す……その光景はオルストの腕前が確かな強者であることを意味していた。
「グオォァァァァ!」
「へ、兵士長~っ!オルスト!貴様ぁ……!」
「ハハハハ!文句があるなら力で来な!なんなら全員で構わねぇぜ?」
トシューラ国最大戦力の一角『フォニック傭兵団』。仮にもその団長が相手である以上、こんな僻地に回される兵士達では相手になる筈がない。当然ながら皆、命が惜しいが故に動くことも出来ない。
「あぁ?どうした?誰もいねぇのか?根性なし共が!」
威勢良く声を張るオルスト。
しかしその時……オルストの肩を叩く者がいた。兵士達は皆硬直しているが、当人であるオルストは気付かないまま上機嫌で振り返る。
「ほぅ……こんな場所にも肝の座った奴がいるのか。フッ……じゃあ、その命で代金をぉぉ……おぅぅ……」
オルストは振り返った途端に間抜けな声を上げた。自分の肩に手を置いたのは『白肌の魔人』……調子に乗りすっかり忘れていた存在が触れていたのだ。
間近で見ると実に怪しい雰囲気を醸し出すその姿……オルストはすっかり思考停止している。
そして次の瞬間、一同が絶句する様な信じられない事が起こった……。
「……我ヲ無視スルトハ肝ノ座ッタ奴メ……クックック!褒美ダ……埋マルガヨイ!」
言葉の意味が分からないオルストは身構えることも出来ない……いや、それ以前に魔人に触れられてから身動きが出来ないのだ。
魔人の手はそのままゆっくり下方に降ろされて行く。しかしオルストに痛みは無い。何故なら身体全体が硬直状態で地中に沈んで行くのだ。
それはまるで底無し沼に嵌まった感触だったが、そこは確かに岩場……オルストは混乱した。
「うおぉぉぉ?何じゃこりゃあ~!」
訳がわからず地中に沈んでいくオルスト。首を残し全ての部位が埋まると白い魔人は満足げに笑う。
「ハッハッハ。ウム!良キ二計ラエ!」
一体何を計らうのかは誰も理解出来ず呆けて見ていることしか出来ない。
だが白い魔人……今度は舐める様に周囲を見回し更に不吉な発言を放つ。
「フム……少シ床ガ寂シイナ。モウ少シ増ヤストスルカ!」
そして魔人が一歩踏み出した時、兵士達はパニックを起こした。通常の精神ならば無理もない反応だ。
「うわぁ~っ!!う、埋められる!!」
「嫌だぁ……埋められるのは嫌だぁ!!」
兵達は逃げ出そうと外への出口に殺到した。しかし、そこには既に回り込んだ白い魔人の姿が……。
「クックック!サァ!逃ゲ惑エ!ソシテ埋マルガヨイ!」
それからはまさに蹂躙だった……。肩を叩かれた兵は何故か姿勢を真っ直ぐに硬直し地中に沈む。そんな悪夢な様な光景……。
「アハハハハ!楽シィ~ナァ~!!アハハハハ!!」
次々に埋まって行くトシューラ兵達。全ての兵が埋まるまで実に一刻も掛かっていない。
「ウム!コレダケアレバ床モ賑ヤカデアロウ?」
「御意!」
「ヨシ!ジャア、モウ良いな?お~い、皆!出てきても大丈夫だぞ~?」
急に流暢になったその声に呼ばれ姿を現したのは大勢の労働者達だった……。当然ながら労働者達は皆、驚きと歓喜の混じった複雑な顔色を浮かべていた。
「くそっ……やはり囚人どもだったか」
「やはり?おいおい……ビビりまくってた奴ばっかりだった気がしたんだけど?」
地中に埋まるオルストの前に屈み、その額をコツコツと叩く白い魔人。労働者達の方に向き直り発された言葉は更に兵士達を戦慄させた。
「恨みがある人、赦せない人、様々だろう。だから機会を与えようと思う」
労働者は一斉に歓喜の声を上げた。逆に兵士達はみるみる青褪めた顔になって行く。白い魔人は一度労働者を落ち着かせ話を続けた。
「ちょっと聞いてくれ!その前に確認して欲しい事があるんだ。全員、兵士達の顔を確認して欲しい。身内がいないか、親しい人がいないかどうかを念入りにね」
労働者達は顔を見合わせている。そのうち、一人の男が意図を理解出来ず質問を投げ掛けた。
「旦那……一体どういうことですか?」
「この採石場は秘密の場所らしいけど秘密ってのは漏れるんだよ。人は重い秘密ほど堪えきれないからさ……で、それを耳にすれば行方知れずの大切な人を捜しに来る者も出てくる。例えトシューラの兵士になってでもね」
「旦那はそういった人が居るかも知れない、と思ったんですね?根拠は?」
白い魔人は一人の兵の元に近寄り頭を鷲掴みにすると、一気に引き抜いた。まるで人参でも引き抜いたかの様に軽々とである。
引き抜かれた兵士は硬直は解けたものの緊張で強張ったままだ。
「誰かこの人から酷いことされた人いる?」
しばらく労働者が入れ替わりながら確認をしていると、一人の女性が歩み出た。
「あの……私……」
「酷いことされたの?」
「いえ……この方に助けて頂きました。他の兵に暴行されそうになった時です」
労働者から響動めきが起こる。兵士は憎い敵と思っていたが、皆が皆そうではない。それを今、改めて気付かされた。
「なぁ……?アンタは何で此処に来たんだ?」
「……俺は、行方不明の弟を捜しに来たんだ」
「見付かったのか?」
「いや、生憎……。どうせ国には戻れないとはいえ外道にはなれなかった、それだけの話だ。トシューラの指示に従っていた以上、他の連中と変わらないよ……」
「まあ、それを決めるのはここで強制されていた労働者達だよ」
男は黙って頷いた。抵抗の素振りはない様なので場所を移しそのまま座っていて貰うことにする。
「まあ、こんな感じかな。飯時とか怪我人を庇ってた兵士ってのは他にもいた筈だよ。俺も少しは覚えてる」
「成る程……わかったよ、旦那。おい、皆」
そして、労働者による首実検が始まった……。
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